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ダムの書誌あれこれ(104)
〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会、ダムマイスター 01-014)です。

◆ 1. 豊川の流れ

 豊川は、その源を愛知県北設楽郡設楽町の段戸山(標高1,152m)に発し、当貝津川、巴川、海老川を合流しながら南設楽郡鳳来町長篠地先で宇連川を合流し大島川を合わせ、東三河平野部に出て、野田川、宇利川、間川、神田川、朝倉川等を合流しながら大きく蛇行し、豊川市行明において、昭和40年7月に完成した豊川放水路を分派し、三河湾に注ぐ。流域面積724km2、幹川延長77qである。

 上流部は、大部分が良好な森林におおわれ、年平均降水量は上流域で2,000o〜2,500o、下流では1,500o〜2,000oであり、良好な原木の産地であるとともに、豊かな水資源の供給源となっている。流域は愛知県の東部に位置し、豊橋市、豊川市、新城市、宝飯郡、南設楽郡、北設楽郡の3市3郡にまたがり愛知県下有数の重要な一級河川である。

 一方、堤防は豊島より下流で形をなしているが、5ヵ所に霞堤があり洪水時には浸水し遊水効果を発揮しているが、土地の高度利用の妨げとなっている。また、豊川水系は東三河地域の中心部にあたり、なかでも愛知県下第二位の都市である豊橋市及び豊川市は臨海部とともに内陸工業化住宅地化が進み、地域開発とともに東三河地方における産業交通の中心地として、経済、文化の基盤をなしている。

◆ 2. 豊川の水害

 豊川の水害状況については、豊橋工事事務所編『五十年のあゆみ』(中部建設協会・1988)には、次のように記されている。なお、豊川の水害の原因は大半が台風によるものである。

(1) 昭和28年9月25日(台風13号)
 台風13号の中心は、碧南市、岡崎市の南を通り、田口町の北部を経て長野県にはいり25日21時頃には諏訪湖方面に去った。このため愛知県は県下全体が暴風雨となり、特に台風経路の近くや、南側の渥美湾沿岸、渥美半島では暴風雨と高潮による大災害を受けた。被害を大きくした原因の多くは高潮であり、とくにこのころは満潮のときの潮位が高く、24日の朝夕と25日の朝の満潮もかなり高い大潮であり、25日夕刻には、このような大潮の満潮に台風による1mを越える異常潮位が重なったため暴風による波浪により海岸堤防が決壊し大きな被害となった。石田水位観測所では水位4.90mを記録した。
(2) 昭和34年9月26日
 台風15号いわゆる伊勢湾台風による水害で、石田水位観測所では水位6.48m、流量約3,200m3/sに達し、高潮のために海岸沿岸の被害が甚大となった。死者11人、負傷者255人、全壊家屋904戸、半壊家屋2,550戸、床上浸水241戸、床下浸水801戸等の被害を受けた。

(3) 昭和43年8月29日(台風10号)
 台風10号は、29日鹿児島湾にはいり、瀬戸内海を通って15時頃若狭湾に達し、夜半には三陸地方に進んだ。この台風は中心域の広い、並の強さの台風だったが、その東側に広い範囲にわたる雨域と強風域をもっていて、上陸後に中心がぼやけた割には豪雨を降らせた。
 降雨は三河山間部で29日夕方から、一時間に20o〜50oもの強雨が3時間から4時間つづき、この日の日雨量は100o〜240oになった。台風の接近前に、前線活動により4日間にわたり連日50o〜100o程度の降雨があり、さらにこの台風が三河北東部を中心に大雨を降らせたため、小河川の氾濫やがけくずれ、山崩れが発生しており豊川では支川の杉川堤防が決壊した。石田水位観測所では水位7.24m、流量約3,400m3/sを記録した。豊川流域では6人の死者、10人の負傷者、全壊家屋21戸、流出家屋7戸、半壊家屋21戸、床上浸水247戸、床下浸水1,602戸、水田流出埋没44ha、冠水527ha、畑流出埋没570ha、冠水527ha、道路決壊1,242ヵ所、堤防決壊25ヵ所等の被害が生じた。

(4) 昭和44年8月4・5日(台風7号)
 台風7号は、4日19時30分頃潮岬の西に上陸し紀伊半島の東岸を進み、松阪付近から伊勢湾にはいった。その後知多半島、名古屋付近、岐阜県東濃地方をへて長野県諏訪地方付近をとおり、5日9時には関東地方北部に達して弱い低気圧となった。7月末に日本付近へ前線が南下し、雷雨やにわか雨の多い天気がつづき、台風来襲の前日にも三河山間部では30o〜50oの降雨があった。このようなところへ、三河北東部から天竜川流域にかけて、時間雨量40o〜70oの雨が降り、このため堤防の決壊や山崩れによる被害が生じた。豊川の石田水位観測所では水位8.25m、流量約4,600m3/sを記録し計画高水位を上回る出水となり、豊川左岸の江島下ノ郷地先の堤防が破堤した。愛知県全体で2人の死者、全壊家屋5戸、半壊家屋8戸、床上浸水791戸、床下浸水2,550戸、道路決壊235ヵ所、堤防決壊44ヵ所などの被害を受けた。
 その後、昭和54年10月19日台風20号による出水により、石田水位観測所では水位7.42mを記録し、また、昭和57年8月2日台風9号くずれの低気圧による出水により、石田水位観測所では水位6.02mを記録した。

◆ 3. 豊川放水路の建設

 豊川の水害を防ぐために、江戸期から中流部に多くの霞堤が築造されている。また、豊川の右岸側には霞堤より堤内地に流入した水が、遊水地の控堤を乗り越し(乗越堤)、旧江川沿いに流下して海に直接注ぎ、元の豊川に戻らないようなシステムを形成している。豊橋市大村町宮井戸には乗越堤があり、豊川の水が7合に達すると越流するようになっていた。これは吉田城下側の堤防と吉田大橋の安全を図ることを目的としたものである。

 昭和13年霞堤を連続堤防にするため、豊川市行明町から豊橋市前芝町に放水路開削する放水路計画が16年の継続事業として総事業費750万円で着手された。昭和15年度用地取得を開始し、昭和19年度までに大部分を取得する。昭和18年度放水路工事に本格的に着手したが、戦争のためにほとんど進捗しなかった。昭和25年度〜28年上流分派点までの離作問題の解決に年月を要したが、昭和29年度にこの問題は解決した。

 昭和28年度総体計画が立案実施され、放水路工事も軌道に乗り出し、昭和32年度上流部の工事に着手した。昭和35年度治水特別会計の設定により、放水路は5ヵ年計画により、昭和39年度までに概成することになった。昭和40年7月13日着工以来27年目にして完成し、通水式が行われた。豊川下流部の約5,000haを洪水から守るため、豊川市行明町から河口部の豊橋市前芝町までの延長6.6q、川幅120m〜160mを開削した放水路である。総事業費47億8千6百万円を要した。豊川放水路は、広島県の太田川放水路、静岡県の狩野川放水路とともに、戦後における三大放水路と呼ばれている。

 完成直後の昭和40年9月17日、台風24号による出水があったが、放水路の完成によって豊川本川の被害は免れた。

 なお、放水路工事に関連し、大村霞堤をはじめとし、右岸側の当古、三上、二葉の霞堤の締切りは昭和39年度から昭和41年度にわたって施工を完了した。東上の霞堤は支川の改修に関連して平成9年度に締切られた。残りの左岸側牛川、下条、賀茂、江島の霞堤についても順次堤防整備が図られている。以上、豊川放水路については、豊橋工事事務所編・発行『母なる豊川 流れの軌跡』(1998)に拠った。

◆ 4. 豊川用水の構想

 1921(大正10)年、鳳来寺山付近の峡谷に大規模な貯水池を造り、渥美半島の先端まで水路を引くことができれば、東三河地域の水不足が解消できると壮大な構想の考えをもった男がいた。その男は、赤羽根町大字高松出身の愛知県会議員近藤寿市郎(のちの豊橋市長)であった。彼は、この年、東南アジアを視察し、ジャワ島のバジャルガロ、バンドンなどで行われている水利事業をみて、この構想を思いついたという。愛知県知事らにこの構想を働きかけたが、大規模な計画であったために、「理想としては、至極結構なものの討議することではない」と一笑に付されてしまった。

 1927(昭和2)年、農林省は窮迫する農村を救援するため、各県知事あてに、一団地500町歩以上の集団的開墾見込地があれば、申し出でよという通達をだした。1930(昭和5)年、愛知県は開墾面積5,700町歩事業費1,700万円の「愛知県渥美八名二郡大規模開墾土地利用計画書」を発表した。近藤らがたてた計画は、高師、天伯の開墾、田原湾、福江湾の干拓を中心としたもので、その水源は寒狭川に求めていた。しかし、水量的に問題があるので農林省の技師可知貫一らは三輪川の支流である宇連川にダムを造り、そこから放流した灌漑用水を鳳来町大野で取水する計画を立てた。この計画は、西部幹線水路がないだけで、水源である宇連ダムも取水する大野頭首工もほぼ同じ位置にあり、補給水源として幹線水域に芦ヶ池、万場池、反茂上池、伝法寺池などの補助ため池を増・新築するものであった。また、計画当時、堤高約50m、貯水量2,000万m3という宇連ダムは農業用ダムとしては最大級のものであった。しかしながら、この計画は世界恐慌、日中戦争、太平洋戦争が勃発したため事業が進捗しなかった。具体的に動き出したのは、戦後1949(昭和23)年となってからであった。

◆ 5. 豊川用水事業の経過

 豊川用水事業は、豊川水系宇連川に宇連ダムを建設し、その貯留した水を愛知県東三河地方の平野及び渥美半島全域、静岡県湖西市地域に、農業用水、水道用水、工業用水を供給する総合事業で、1961(昭和36)年に国営事業及び県営事業を愛知用水公団が承継し、幹線水路から畑地灌漑施設の末端給水施設まで一貫施工を行い、事業着手以来19年を経て昭和43年に事業は完了した。豊川水系だけでは十分に水需要を賄えないため、宇連ダムに天竜川水系の大入川、大千瀬川から流域変更により導水・貯留を行っている。また、灌漑期には天竜川水系佐久間ダムから宇連川に導水(最大5,000万m3/年)を行っている。このほか水源施設として大島ダム、寒狭川頭首工などがある。

 昭和43年全面通水以降、受益地域は飛躍的に発展してきた。その後、営農形態の近代化、人口の増加と生活水準の高度化により水需要がひっ迫してきたことから、これを解消するため、昭和55年度より農林水産省と愛知県企業庁の共同事業として、「豊川総合用水事業」が始まり、平成11年度水資源開発公団が事業を承継し、13年度に完了した。また、施設の老朽化著しく、防災上の見地から対策を講じる必要があった取水施設などの改築を行う「豊川用水緊急改築事業」を平成2年度から平成10年度にかけて実施した。現在、豊川用水施設、豊川総合用水施設の管理業務と併せ、老朽化水路施設の改築、大規模地震対策、支川水路の石綿管除去対策を行う「豊川用水二期事業」を水資源機構が実施している。


◆ 6. 宇連ダムの建設

 豊川用水事業の基幹施設である宇連ダム(鳳来湖)は、農林省によって、昭和24年着工し、昭和33年12月完成した。宇連ダムの建設については、西松建設(株)川合出張所編・発行『宇連堰堤工事竣工記念』(昭和33年)、愛知用水公団編・発行『豊川用水技術誌』(昭和43年)、同『豊川用水設計図集』(昭和43年)、宇連ダムパンフレットにより追ってみたい。宇連ダムの位置は愛知県南設楽郡鳳来町大字川合地内で、その諸元は次のとおりである。

『宇連堰堤工事竣工記念』

『豊川用水技術誌』

『豊川用水設計図集』

 堤高65m、堤頂長245.9m、堤体積27.3万m3、総貯水容量2,911万m3、有効貯水容量2,842万m3、流域面積26.26km2、湛水面積1.23km2、常時満水位EL.229.15m、最低水位EL.178.85m、型式は直線越流重力式コンクリートダムである。起業者は農林省、施工者は西松建設(株)である。水没戸数は6戸で、ダム補償は川合地区対策委員会が国有林の払下げを了解して解決している。
 地質として、付近は鳳来寺山噴火による凝灰岩からなり、両岸とも急峻で表土は薄く、岩盤はところどころに露出しているが、節理、断層破砕帯は無い。また、弾性波の速度は、3.6q/s〜4.0q/sである。余水吐きとして、テンターゲート(幅5.0m、高さ5.5m)を設け、減勢施設はダム下流91.7mに高さ2.5m、頂幅1.0m、底幅8.0mのデフレクターを設置した。取水施設は堤体側面に取水塔を設け、その塔の前面に表面取水ゲート(多段式ローラゲート2門)を設けて、常に温水取水を行う。

 平成2年度から、宇連ダムは利水放流施設の機能低下を回復するために緊急改築事業が行われ、同時に管理棟の移設が行われた。


◆ 7. 調整池の建設

 豊川用水事業において、有効に水の活用を図るために三つの調整池が造られた。その役割は、@河川余剰水の貯留(洪水導入)A下流必要量の調整B管理用水の有効利用である。三つの調整池で合計260万m3の用水量を確保した。豊川総合用水事業では、後述するが四つの調整池が造られ、現在の貯水容量は合計1,210万m3である。

(1) 三ツ口ダム(透水性地盤上のダム)
 三ツ口ダムは豊橋市石巻町に位置する。その諸元は堤高12.5m、堤頂長280m、堤頂幅6.0m、堤体積8.2万m3、総貯水量24.3万m3、有効貯水量20万m3、満水位EL.63m、流域面積3.2ha、満水面積7.2ha、型式ゾーン型である。

(2) 初立ダム(粗粒材料を使用したダム)
 初立ダムは、東部幹線水路末端に建設したダムで愛知県渥美郡渥美町に位置し、渥美半島の先端伊良湖岬の北東約2qのところにあり、水路末端の伊良湖サイホン(2.9q)は、このダムの副堤の下を通って池に流入する。
 その諸元は、堤高22.5m、堤頂長346.5m、堤頂幅6.0m、堤体積25万m3、総貯水量170万m3、有効貯水量160万m3、満水位EL.20m、流域面積65.6ha、満水面積22ha、型式ゾーンタイプである。

(3) 駒場ダム(真砂材料を使用したダム)
 駒場ダムは、豊川用水西部幹線水路総延長36qの中間よりやや下流、東西分水口から約23.5qの豊川市平尾町に位置する。その諸元は、堤高24.6m、頂長187.5m、堤頂幅6.0m、堤体積21.6万m3、総貯水量90万m3、有効貯水量80万m3、満水位EL.60.5m、流域面積102ha、満水面積13.4ha、型式傾斜コア型である。


◆ 8. 大島ダムの建設

 前述のように豊川用水は、昭和43年から全面的に通水を開始した。それ以後受益地域は飛躍的に発展し、とりわけ農業は花き、野菜など施設園芸に代表されるようにわが国屈指の生産規模を誇ることになり、また、水道用水は4市7町に、工業用水は愛知県三河地域のみならず静岡県湖西地域にも供給してきた。こうした営農形態、生活水準の高度化により水需給がひっ迫してきた。このため、昭和55年に農林水産省と愛知県企業庁との共同事業として豊川総合用水事業に着手した。その後、平成11年6月に豊川用水施設の一体的な管理の必要性から水資源開発公団に承継され、平成13年度に建設事業が完了した。この事業は農業用水約1.5m3/s(年間平均)、水道用水約1.5m3/s(最大)を開発するため、大島ダム、寒狭川頭首工、導水路、大原・万場・芦ヶ池・蒲郡の4調整池を建設した。


 大島ダム、4調整池の建設について、水資源開発公団豊川用水総合事業部編・発行『豊川総合用水事業 事業誌』 (2002)、大島ダムパンフレットにより追ってみる。

 大島ダム(朝霧湖)は、豊川水系宇連川とその支流の大島川の合流地点から、大島川の上流へ約3qの地点、愛知県南設楽郡鳳来町名号地内に位置する。このダムは農業、水道用水の取水の安定を図る目的として建設された。水の利用は自己流域の雨水等を貯水し、その水を大島川に自然流下させて下流の頭首工で取水し、下流域の水需要に対応する。そのダムの諸元は、次の通りである。

 堤高69.4m、堤頂長160m、堤体積18.3万m3、総貯水量1,230万m3、有効貯水量1,130万m3、流域面積18.4km2、湛水面積0.498km2、常時満水位EL.240.7m、型式重力式コンクリートダムである。起業者は東海農政局から水資源機構へ移る。施工者は間組・大日本土木・大豊建設、事業費は221.56億円を要した。水没家屋は7戸であった。


『豊川総合用水事業 事業誌』
 大島ダムの建設経過は、平成3年に工事用道路工事に着手、5年に仮排水路トンネル工事着手、6年本体工事開始、8年転流開始、水没者7戸の移転完了、9年本堤コンクリート打設開始、11年水資源開発公団へ事業承継、11年本堤コンクリート打設完了、12年試験湛水開始、13年大島ダムの完成検査、14年豊川総合用水事業で完了した。


◆ 9. 4つの調整池の建設

(1) 大原調整池の建設
 大原調整池は東名高速道路と豊川用水東部幹線水路の交差する愛知県新城市富岡地内に平成6年に完成した。大原調整池の湛水池内には、着工前に農業用の「川谷上池」、「川谷下池」、「みぐみの池」という3つの溜池があり、地域の田畑を潤していた。大原調整池はこれらの3つの溜池を統合した、堤高47.9m、堤頂長351m、堤幅9m、堤体積71.17万m3、総貯水量202万m3、有効貯水量200万m3、流域面積1.9km2、型式は中心遮水ゾーンロックフィルダムである。
 水の利用方法は、自己流域の雨水等を貯留するとともに、宇連川と豊川の豊水時に大野頭首工から取水し、豊川用水東部幹線水路に導水した用水を大原チェック工の上流にてポンプにより揚水(Q max=0.5m3/s)して調整池に一時貯水し、下流の水需要が生じた場合(用水需要期)には逆に東部幹線水路へ自然流下(Qmax=1.0m3/s送水)させる。

(2) 万場調整池の建設
 万場調整池は豊橋市の中心より南南西約10qの渥美半島・神出川を挟む丘陵地を掘削し人工池を造成した。その諸元は堤高28.6m、堤頂長370m、堤幅8m、堤体積82.47万m3、総貯水量539万m3、有効貯水量500万m3、流域面積1.23km2、型式は表面遮水壁型フィルダムである。万場調整池の水の利用は、まず宇連川と豊川の豊水時に大野頭首工から取水した水を豊川用水東部幹線水路を経由して太郎池チェック上流地点で取水して導送水路、吐水槽を通り、調整池に貯水する。貯水した水は水道用水及び工業用水としては上工水取水塔から取水し、豊橋南部浄水場へ送水され利用し、また農業用水としては池底の農業用水取水口より取水し、ポンプ場より再び吐水槽に揚水され、東部幹線水路へ自然流下させて下流の水需要に対応する。

(3) 芦ヶ池調整池の建設
 芦ヶ池調整池(愛知県渥美郡田原町大字野田地内)は、奈良時代に築造された貯水量100万m3の芦ヶ池溜池を200万m3に改修した。その改修は、池の堤体の嵩上げと池敷の掘削により、利用水深を増大し、池周りには護岸工、管理用道路、および排水路を設けて池周囲の美観を整え、排水を分離し、さらに池敷の掘削土を池周辺農地に客土に利用して圃場を整備し、生産性の高い農地に変えた。
 その諸元は、堤高5.0m、堤頂長219m、堤頂幅3m、堤体積2.25万m3、総貯水量201万m3、常時満水位EL.17.2m、型式は盛土+鋼矢板護岸堤である。芦ヶ池調整池の水の利用は、宇連川と豊川の豊水時に大野頭首工から取水した水を東部幹線水路を経由して芦ヶ池チェック工上流の取水工より調整池へ導水後貯水し、これを渇水時に必要に応じポンプアップにより再び東部幹線水路に戻して下流の水需要に対応する。

(4) 蒲郡調整池の建設
 蒲郡調整池は、昭和29年に農業用溜池として築造された貯水容量10万m3の豊岡池を改築し、貯水量を50万m3とした調整池である。その諸元は、堤高43.2m、堤頂長178m、堤頂幅8m、堤体積36万m3、総貯水量61.2万m3、有効貯水量50万m3、流域面積0.75km2、型式は中心遮水ゾーン型ロックフィルダムである。
 蒲郡調整池の水利用は、自己流域の雨水等を流入貯留するとともに宇連川と豊川の豊水時に大野頭首工から取水した水を西部幹線を経由して、豊岡暗渠地点でポンプにより揚水(Qmax=1.0m3/s)して調整池に貯水し、下流の水需要に対応するため必要に応じて再び西部幹線水路へ自然流下(Qmax=1.0m3/s送水)させる。この調整池は地域の水不足を解消するだけでなく、蒲郡市民をはじめ近隣の住民に潤いと安らぎを与えている。


◆ 10. お わ り に

 豊川用水の主水源である豊川は季節や年によって降水量の差が大きいことから、流量の変動が大きな河川である。このため、豊川水系だけでは十分に水需要を賄えないため、宇連ダムに天竜川水系の大入川、大千瀬川から流域変更により導水・貯留を行っている。また、灌漑期には天竜川水系の佐久間ダムから宇連川に導水を行っている。豊川用水はこのように流域変更を行っているのに特徴がある。

 豊川用水は、大野頭首工で取水する大野系幹線水路と牟呂松原頭首工で取水する牟呂松原系幹線水路がある。松原用水は室町時代の1567年に開削された歴史があり、牟呂用水は明治27年に開削されおり、その後いくども改築され豊川用水の重要な水路となっている。水路は自然流下方式の開水路であり、牟呂用水は豊橋市街の中心部を流れている。歴史をそなえ、自然流下で流れている事も特徴の一つと言える。近藤寿市郎が構想した豊川用水事業は花開き、渥美半島の先端まで水路を引かれ、東三河地域の発展に大いに寄与している。おわりに、いくつか豊川に関する書をかかげる。

○伊藤節夫他編『定本 豊川』(郷土出版社・2002)
○春夏秋冬叢書編・発行『豊川物語』(2007)
○中西正・池田芳雄編『豊川の自然を歩く』(風媒社・1991)
○愛知大学綜合郷土研究所編『豊川流域の生活と環境』(岩田書院・2000)
○市野和夫編著『豊川の「霞堤」と遊水地』(愛知大学中部地方産業研究所・1994)
○市野和夫著『川の自然誌 豊川のめぐみとダム』(あるむ・2008)
○藤田佳久著『生きている霞堤』(あるむ・2006)
○松倉源造著『穂国のコモンズ豊川』(あるむ・2012)
○牧野由朗編『豊川用水と渥美農村』(岩田書院・1997)
○豊川用水研究会編『豊川用水史』(水資源開発公団・愛知県・1975)
○豊川用水研究会編『豊川用水史 資料編』(水資源開発公団・愛知県・1975)
○建設省豊橋工事事務所編・発行『豊川放水路工事誌(上巻)、(下巻)』(1967)

[関連ダム]  宇連ダム  大島ダム
(2015年10月作成)
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(27)〜天竜川のダム〔上〕(泰阜・平岡・佐久間)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(28)〜天竜川のダム〔下〕(美和・小渋・市の瀬・大泉砂防・横川・片桐・箕輪)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(29)〜千曲川のダム〔上〕(奈川渡・水殿・稲核・高瀬・七倉・大町)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(30)〜千曲川のダム〔下〕(奈良井・水上・小仁熊・北山・古谷・余地・金原・内村・豊丘)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(31)〜山梨県のダム(広瀬・荒川・大門・塩川・深城)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(32)〜三重県のダム(宮川・蓮・君ケ野・滝川・青蓮寺・比奈知・安濃・中里)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(33)〜庄川・常願寺川・小矢部川のダム(庄川合口・小牧・御母衣・有峰・刀利)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(34)〜愛媛県のダム(大谷池・黒瀬・台・石手川・鹿野川・野村)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(35)〜宮崎県のダム〔上〕(轟・上椎葉・一ツ瀬・杉安)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(36)〜宮崎県のダム〔下〕(川原・沖田・田代八重・瓜田・広渡・日南)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(37)〜高知県のダム〔上〕(永瀬、大森川、穴内川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(38)〜高知県のダム〔下〕(鎌井谷、大渡、桐見、中筋川、坂本)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(39)〜青森県のダム〔上〕(目屋、久吉、早瀬野、二庄内)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(40)〜青森県のダム〔中〕(浅瀬石川、浪岡、小泊、下湯)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(41)〜青森県のダム〔下〕(浅虫、川内、天間、世増)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(42)〜山形県のダム〔上〕(白川、長井、前川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(43)〜山形県のダム〔中〕(蔵王、寒河江、白水川、新鶴子、神室、田沢川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(44)〜山形県のダム〔下〕(月光川、荒沢、月山、温海川、横川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(45)〜千葉県のダム〔上〕(山倉、高滝、亀山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(46)〜千葉県のダム〔中〕(片倉、郡、矢那川、保台、山内)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(47)〜千葉県のダム〔下〕(印旛沼開発、利根川河口堰、東金、長柄)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(48)〜ダムの事典、ダムの紀行〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(49)〜ダムの切手、ダムの話、緑のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(50)〜ダムの景観〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(51)〜ダム湖の生態〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(52)〜ダムの堆砂〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(53)〜茨城県のダム(飯田・花貫・小山・緒川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(54)〜矢作川のダム(矢作・雨山・木瀬)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(55)〜埼玉県荒川のダム (上)(二瀬・有間)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(56)〜埼玉県荒川のダム (下)(浦山・合角・滝沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(57)〜長崎県のダム (上)(本河内高部/低部・土師野尾・萱瀬再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(58)〜長崎県のダム (下)(相当・川谷・下の原再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(59)〜熊本県のダム (上)(竜門ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(60)〜熊本県のダム (下)(石打・上津浦・緑川・市房)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(61)〜鬼怒川のダム (上)(五十里・川俣)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(62)〜鬼怒川のダム (下)(川治・鬼怒川上流ダム群連携・三河沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(65)〜長野県・味噌川ダム 〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(66)〜飛騨川のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(68)〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
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 (古賀 邦雄)
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