これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
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◆ 1. 雄物川の流れ
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雄物川の流域は、秋田県の南部に位置し、湯沢市、横手市、大曲市、秋田市の4市と雄勝、平鹿、仙北、河辺の4郡にまたがり、幹川延長133q、流域面積は4,635.2km2で、うち72%が山地で平地27%である。
雄物川は、その源を秋田、山形県境の大仙山(標高920m)に発し、院内銀山の深谷を東流し、上流部の右支川役内川、高松川を合流して十文字町付近で宮城・岩手県境に水源を持つ皆瀬川を合わせて北上し、横手盆地を流下する。また強酸性温泉全国一で有名な玉川温泉を上流域に持つ玉川は数多くの支川を合わせ、カルデラ湖で知られる田沢湖に発電用水として流入し、再び発電用水として湖から玉川本川下流へ流出し、角館町で檜木内川を合流してから仙北平野を貫流し、大曲市で雄物川に合流する。玉川を合流した雄物川は中流部へ入り、さらに北上し、途中、楢岡川、土買川を合流した後、強首〜椿川(26q区間)の狭窄部を大きく蛇行しながら流下し、椿川附近で秋田平野に出てさらに北上を続け、岩見川を合流して秋田市の臨海工業地帯へ入り、旧雄物川を分派し日本海に注いでいる。 雄物川は、秋田県内の半分以上に当たる流域内人口約69.5万人の水道の源として、また県内農地の半分近い耕地に灌漑用水として使われその水は極めて広範囲に利用され、恩恵の及ぼすところ計り知れないものがある。
しかし恵みの川も時として暴れ川に変わり、その流域に洪水被害を及ぼしてきた。流域の山脈には、神室山(標高1,365m)、須金山(1,234m)、栗駒山(1,628m)、朝日岳(1,375m)、秋田駒ヶ岳(1,637m)、焼山(1,366m)など標高1,000m〜1,600m程度の山々がそびえており、これら山岳に源を発する諸支川は、流路が極めて短く、勾配が急であるため、山地の降雨は、短時間に平地に駆け下り、洪水が一時に集中することがしばしばである。
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◆ 2. 雄物川の洪水
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雄物川における出水の原因は、大雨と融雪に大別される。融雪出水は3月から5月にかけて発生し、流出波形は比較的緩慢である。一方、大雨による大洪水は6月から8月にかけての梅雨前線等の活発化に伴う前線性豪雨によるものが圧倒的におおく、これらは全流域に甚大な被害をもたらす。昭和22年7月、昭和47年7月の雄物川の洪水を見てみたい。 @ 昭和22年7月洪水 7月19日より23日にかけて、中国東北部から東に伸びる前線上を移動性低気圧が通過するのに伴い、秋田地方は断続的な降雨となり、特に前線が南下した21日以降は雨量が多くなり、22日から24日までの降雨量は各地で200o〜350oに達する豪雨となった。水位は全川に亘り既往最高を突破し、椿川地点で最高水位9.35m、ピーク流量(推定)5,300m3/sを記録した。氾濫区域は流域平地部の約60%にも及ぶ大洪水となり、耕地、家屋、公共施設等の受けた被害は甚大で、戦後の混乱期と相まって沿川住民に大きな打撃を与えた。
A 昭和47年7月洪水 九州、四国地方に集中豪雨による悲惨な災害をもたらした梅雨前線は、7月7日から8日にかけ東北地方で勢力を盛り返し、各地で断続的に強い雨を降らせた。5日から9日にかけての秋田県内の降雨量は、山沿い地方で400oに達したのをはじめ、横手225o、檜木内417o、鷹の巣280oを記録するなど、全県にわたり記録的な値となった。この大雨により、米代川、子吉川、雄物川をはじめとする各河川の水位は軒並み警戒水位をはるかに突破した。最高水位は椿川8.31m、神宮寺6.53m、大曲橋4.35mで、昭和22年7月9日の洪水以来25年ぶりの大洪水となり、雄物川、米代川、玉川等の沿川地域に多くの被害が発生し、その被害は、死者1人、負傷者3人、半壊7戸、流失8戸、浸水10,884戸であった。
このような雄物川の洪水、また近年流域内の開発の進展に伴い資産の増大が著しく、治水の重要度は益々増加する傾向にあり、水系一貫とした治水安全度を確保するための検討が行われた。新洪水調節計画として、基準地点椿川における基本高水のピーク流量を9,800m3/sとし、既設鎧畑ダム並びに皆瀬ダムの他玉川ダムを含む上流ダム群により、洪水調節(1,100m3/s)を行い、計画高水流量を椿川地点において8,700m3/sとすることが昭和49年4月1日に決定した。
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◆ 3. 玉川ダムの建設
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玉川ダム(宝仙湖)は、昭和48年に着手し、平成2年雄物川水系玉川の最上流部秋田県仙北市田沢湖田沢(右岸)、同市田沢湖玉川(左岸)に、建設省(現・国土交通省)によって完成した。昭和48年は、第一次石油危機(オイルショック)、水源地域対策特別措置法の公布、そして完成した平成2年は、長崎県雲仙岳の最高峰普賢岳が約200年ぶりに噴火した年である。そのダム建設について、(株)建設技術研究所編『玉川ダム工事誌』 (東北地方建設局玉川ダム工事事務所・平成3年)があり、この書からダムの建設過程、諸元、目的、技術的特徴を追ってみたい。
玉川ダムは、雄物川水系工事実施計画に基づく上流ダム群による洪水調節計画の一環として、また、流水の正常な機能の維持と増進、農業用水の補給、秋田市及び周辺地域への都市用水の供給、及び水力エネルギーの開発を目的とした多目的ダムとして、昭和46年度より河川総合開発事業調査費をもって開始した。主なる建設過程は、次のとおりである。
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『玉川ダム工事誌』 |
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昭和48年4月 玉川ダム調査着手 49年10月 用地調査測量開始 50年4月 玉川ダム関連工事着手 10月 玉川毒水対策技術検討委員会設立 51年11月 用地測量調査完了 52年 水源地域対策特別措置法の適用 53年1月 玉川ダム建設に伴う損失補償協定締結 55年2月 公共補償調印式 8月 玉川ダム本体工事着手 58年9月 本体コンクリート打設開始 62年9月 本体コンクリート打設完了 63年3月 玉川酸性水中和処理施設建設着工 4月 鎧畑ダム(秋田県営)利水放流設備工事着手 平成元年10月 玉川酸性水中和処理施設試験運転開始 湛水開始 2年10月 玉川ダム竣工 鎧畑ダム利水放流設備竣工 3年4月 玉川ダム管理所へ移行 玉川酸性水中和処理施設本格運転開始
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◆ 4. 玉川ダムの諸元・目的
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玉川ダムの諸元は、堤高100m、堤頂標高406m、堤頂長441.5m、堤体積115万m3、流域面積287km2、湛水面積8.3km2、総貯水容量2億5,000万m3、有効貯水容量2億2,900万m3、堆砂容量2,500万m3、洪水調節容量1億700万m3、利水容量非洪水期1億9,000万m3、同洪水期1億2,200万m3、計画高水流量2,800m3/s、計画放流量200m3/sで、放流設備として、クレストゲート巾8.6m×高さ11.9m 4門、オリフィスゲート巾4.0m×高さ3.5m 1門、コンジットゲート巾2.9m×高さ3.0m 2門、表面取水設備3段ローラーゲート1門、利水放流設備ジェットフローゲート1門を備え、型式は重力式コンクリートダムである。
起業者は国土交通省、施工者は鹿島建設、奥村組、地崎工業で、事業費は1,220億円を要した。その費用割り振りは河川71.2%、灌漑3.5%、都市用水23.6%、発電1.7%となっている。
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なお、主なる補償は水没世帯数129、土地取得面積810.74ha、公共補償として玉川小中学校、同宝仙台分校、教員宿舎、生保内営林署、玉川へき地診療所等、そして特殊補償として小沢発電所等であった。
玉川ダムは、次の6つの目的をもって造られた。
@ 洪水調節 玉川ダムの建設される地点における計画高水流量2,800m3/sのうち、2,600m3/sの洪水調節を行う。実際に年間平均5回程度の洪水調節を行っている。特に平成19年9月17日の降雨では、ダムへの最大流入量が約930m3/sに達したが、ほぼ全量を貯め、これにより、玉川の下流大仙市長野地点では水位を約0.7m下げることができ、被害拡大防止に貢献した。
A 流水の正常な機能の維持 下流の既得用水の補給等流水の正常な機能の維持と増進を図る。
B 灌漑用水 雄物川及び玉川沿岸の約1万200haの農地に対する灌漑用水の補給を行なう。この用水の補給は、専用の施設を新設し、また拡張して行なう。
C 水道用水 秋田市に対し、豊岩豊巻及び仁井田地点において、新たに最大11万1,600m3/日、雄和町に対し、平尾鳥地点において、新たに最大2,300m3/日の水道用水の取水を可能ならしめる。
D 工業用水道 秋田県に対し、豊岩豊巻及び仁井田地点において、新たに最大45万2,500m3/日の工業用水の取水を可能ならしめる。
E 発電 玉川ダムの建設に伴って新設される玉川発電所において、最大出力2万3,600kWの発電を行い、下流鎧畑発電所及び田沢湖発電所における電力量の増加を図る。
なお、平成6年の全国的な渇水では、秋田県内19市町村で44の水道施設が断水・減水となり、また50市町村で2万9,000haの水田が水不足で大きな被害を被った。しかし、玉川と雄物川との合流地点下流では、玉川ダムから安定した水を補給したため水不足にはならなかった。
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◆ 5. 玉川ダムの技術的特徴
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玉川ダム建設における技術的特徴について、建設省東北地方建設局河川部編・発行『東北のダム五十年』(平成5年)には、次の3つを挙げている。
@ RCD工法の採用
玉川ダムのダムサイトは、積雪寒冷地で冬の5ヵ月間は休工せざる得ない劣悪な条件である。玉川ダムは堤体積100万m3を超える大規模ダムでは初めてRCD工法を採用した。この工法の特徴として従来の工法と最も異なる点は、コンクリートの運搬打設をダンプトラック・ブルドーザ・振動ローラ等の大型汎用機械で施工したことである。コンクリートは、骨材最大寸法が150o、スランプゼロのRCD用硬練コンクリートで、全面レヤー方式で打設した。
○コンクリートの運搬 ダムサイトの地形を利用して、コンクリートの上下方向の運搬はインクライン設備2条を設けた。水平方向はダンプトラックとの組み合わせにより連続大量施工を可能とした。
○コンクリート打設 材料の分離を防ぐため、厚さ25p程度の薄層敷均しを行い、1リフト厚を1.00mにして大量施工を図った。時間当たり最大打設270m3を記録。締固めには、7.0t振動ローラと26t級のタイヤローラを使用した。これは振動ローラのみでは骨材の浮き上がりや微細なクラックが発生し、水平打継目面に弱点が生じると判断したためタイヤローラで表面仕上げを行なった。横継目の造成は油圧ショベルを改造し、目地切り装置を取り付けた振動目地切機で施工した。
○コンクリート養生 コンクリート打設中の乾燥防止のための散水は自走式の噴霧車で行い、一定時間後の養生はスプリンクラーで行なった。
玉川ダムでは、RCD工法の採用により、島地川ダム、大川ダムなどの貴重な経験を踏まえ、より一層の施工の効率化を図るため、数々の工夫がなされ、その結果工期の短縮・工事費の節減・安全性の確保、その優位性を確認することができた。
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A 玉川酸性水中和処理対策
玉川は、奥羽山脈の焼岳、駒ヶ岳、乳頭山などの沢水を集め、玉川ダムを経て、さらに田沢湖の南から生保内を過ぎて檜木内川と合流し、大曲北部で雄物川と合流する。玉川ダムの上流にある玉川温泉は、大小さまざまな湧出口があり、中でも「大噴(おおぶけ)」と呼ばれる湧出口からは、97℃の温泉が毎分5,000■〜15,000■も噴出する。その水質はpH1.1と非常に強い酸性水で日本一となっている。この玉川温泉は、医学的効用が高いといわれており、全国から多数の湯治客が訪れる。しかし、酸性の強い玉川の流れは昔から下流の農民を苦しめてきた。玉川の酸性水は、20%〜30%の米の減収をもたらし、80q下流の水田2,500haに被害を及ぼしてきた。さらに、農業のみならず、生活用水にも適さず、発電、河川構造物にも被害を与えるなど、流域住民にとって、この玉川の水質改善は長年の悲願であった。
このような毒水の状態から、玉川ダム建設計画においてダム本体、発電施設を酸害から守るとともに水利用の適正化を図るため、ダム建設と合わせて、玉川ダム上流に恒久的な中和処理施設を設置した。
○玉川酸性水中和処理施設の設置 ここの中和処理施設で行なわれている中和方法は「粒状石灰中和方式」と呼ばれ、粒状の石灰石が大量に詰まった中和反応層に玉川温泉の酸性水を流入させて中和する。石灰石は酸性水と接触するとその酸性を弱める性質を持っており、これを利用して層の中で接触反応させている。 これにより、以前は直接渋黒川(玉川に注ぐ川)へ流出していた玉川温泉の約95%を中和処理することができ、大噴でpH1.1〜1.3程度の酸性水をpH3.5以上を目標に弱めて放流している。処理水は流下しながら沢水と混ざり合い、農業用水の取水地点となる玉川頭首工では、中和処理施設が本格的運用を始めた平成3年以降は、pH6.5〜7.0程度となり、農業用水基準pH6.0を満たしている。この施設での石灰石の1日の使用量は、現在40トンで、石灰石は石灰石サイロからベルトコンベヤでコーン型反応層に随時補給され、その弱まった酸性水は渋黒川へ放流される。また、非常時には、酸性水取水口から、コーン型反応層を通らずに、野積石灰石ヤードに直接流し、石灰石と反応させて中和処理した後に放流する。 中和処理施設の稼動により、玉川の水質は大きく改善された。玉川ダム湖では、中性の河川に生息する水生生物が増えたためこれらを餌とする魚の数も種類も増加し、下流域ではカジカなど清流に棲む生き物もみられるようになった。さらに、土壌の酸性化の緩和、水質改善による米の増産など暮らしの中で大きな効果をあげている。 玉川中和処理施設の諸元は、次のとおりである。 処理対象・大噴湧出水、処理率・95%、反応層形状・コーン型層、石灰石粒径・5〜20o、石灰計画最大消費量55t/日、希釈源水濃度(適正濃度)・8.4Ax 4,000(r/l)、滞留時間・約5分、最大希釈源水量(温泉水+沢水)・0.31m3/s、最大取水量(温泉取水量)・0.19m3/s、最大希釈水量(沢水取水量)・0.12m3/s、槽数・6槽、1槽当たり希釈源水量・3.72m3/min/1槽
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B 鎧畑ダム放流設備の新設
玉川ダムから下流7q地点に鎧畑ダムが、洪水調節及び発電を目的として昭和32年に建設省によって完成した。堤高58.5M、堤頂長236M、堤体積19.2万m3、総貯水容量5,100万m3、有効貯水容量4,300万m3、型式は直線重力式コンクリートダムである。現在管理は秋田県が行なっている。
玉川ダムの利水計画では、ダムサイトに於いて最大66.1m3/sの利水補給が必要となり、それに伴い下流の鎧畑ダムでは、玉川ダムの利水放流量に残流量を加えた69.1m3/sの放流が必要となる。 しかし、鎧畑ダムにはこれに対応する放流設備がなく、最大取水量35m3/sの発電設備のみであることから、玉川ダム建設事業の一環として鎧畑ダム堤体に利水放流設備を設置した。
なお、既設ダムへの放流設備の新設は、世界的にも事例が少ないことから、利水放流設備の新設にあたっては、事例検討のほかに浅瀬石川ダムの建設により水没する沖浦ダムを利用した堤体掘削実験を行った。また、この改造工事は、鎧畑ダムの運用上、湛水状態のままで施工するため、特殊の仮締切工を用いた。
利水放流設備の設置位置及び施工方法について、地質状況及び改造工事事例を参考にした結果、堤体右岸側の非越流部11ブロックに放流管を設置することとなった。 利水放流設備の計画条件は、次のとおりである。
(1) 計画放流量は、鎧畑ダム地点における責任放流量の最大である69.1m3/sとする。 (2) 貯水池利用水深は、常時満水位標高325.0m〜最低水位標高299.0mまでの26.0m間とする。 (3) 取水方式は、水位シミュレーション結果及び既設鎧畑発電所設備が低層取水であることから、低層取水方式とする。 (4) 利水放流管の管径及び管軸標高は、放流管内圧力・堤内応力等の検討結果から管径3,200o、管軸標高EL.292.50mとする。また、ゲートの微小開度放流の防止、流量制御の精度確保を目的に、使用頻度60%程度が見込まれる最大放流量10m3/sの分岐管を設ける。
鎧畑ダムの堤体コンクリート掘削径は、放流管径3.2mに放流管据付等の作業空間を片側0.6m考慮して4.4mとした。掘削工法の選定にあたり、掘削時に発生する衝撃及び振動により、堤内空洞周辺に発生する応力を助長させないように急速施工はさけ、丁寧に掘削することを基本方針とし、実物規模の実験を行い検討した結果、トンネル用全断面掘進機を採用し、コンクリートの掘削を行なった。
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◆ 6. 歴代所長の思い出
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前書『玉川ダム工事誌』に、玉川ダム建設に当たって、現場で指揮されてきた歴代玉川ダム工事事務所長たちの苦労が掲載されている。
○但野佳成(初代) 「秋田県では当時、秋田湾地区大規模開発計画を進めており、その水供給基地として大ダムが必要であった。又毎年のように発生する雄物川中流部の洪水被害を軽減し、ダムを利用した大規模揚水発電基地構想と、藩政以来の悲願である「玉川毒水」の抜本的対策を玉川ダム建設の一環として実現したいという強い要望を持っており、県勢発展のため不可欠の要件として玉川ダム建設を位置づけていた。 用地関係者に対しても、再三に亘り知事が直接説得しており、異例の速さで用地解決をみた一因である。昭和52年8月末に基準発表以来わずか4ヵ月余で調印式にこぎつけたのは、用地関係者が一致団結して交渉に望んで頂いたこと、用地職員の寝食を忘れた努力の賜ものであり深甚な感謝と敬意を表したい。」
○大條昭直(第二代) 「当時、国内でRCD工法によるダムは島地川ダム(中国地建)のみであり、しかもまだ始まったばかりで同工法に関する情報は乏しい状況であった。それでもコンクリートの運搬手段、打継目処理方法や温度規制の問題、更には最大骨材寸法150oでの試験練り等々について検討を重ねたが、目標とした55年本体発注の時期までにはこれらの問題を解決することは無理と判断、苦肉の策として、とりあえず従来工法で発注しコンクリート打設までの間に問題を解決整理し、工法変更を行なう事にした。当時の担当職員の方々にはそう云うことで大変苦労をかけてしまった。」
○下村 周(第三代) 「昭和56年4月大條所長のあとを引き継いだ当時は、仮排水路トンネル、付替道路等の工事が最盛期で、これから本体基礎掘削、仮設備関係の工事に移るという時期でした。当時コンクリートダムの合理化施工の研究が、盛んに行われており、玉川ダムのダムサイトは合理化施工に適しているということで、全国初の大規模ダム施工の合理化施工として、省力化、工期の短縮、経済性等を目標に、合理化施工の検討に入りました。本省開発課、土木研究所、玉川ダム合理化施工検討委員会の先生方の御指導を得ながら、短期間のうちに、配合試験、上流二次締切と基礎処理部での試験施工、仮設備計画等を行い、インクラインとダンプトラックを組み合わせたRCD工法の採用に踏み切りました。」
○原田讓二(第四代) 「私が担当した昭和50年代後半は、政府の財政再建政策の下でのゼロシーリングの予算措置が、私共のダム建設の財源確保にも大きな影響を及ぼした大変厳しい時期であった。玉川ダムでも本体工事が最盛期を迎えたのに、予算不足で付替道路予算は事業費の5%程度と、非常に苦しい工程のやり繰りをせざるを得なかった。 時を同じくして建設省では、設計から管理に至るまで従来のダム建設を見直そうという試みがなされていた。こうした技術開発を行なうことは、限られた予算を効率的に使うという意味だけでなく、実施する段階で更に新しい技術と発想が生まれ、官民を問わず担当した者の自信と前向きの姿勢を引き出し、また、技術の国際的競争力が高まるということになるため、各々の現場で一つ以上の新しい試みをしようという意気込みであった。」
○鳥居欽吾(第五代) 「我が国が世界に先駆けて開発したRCD工法の施工。それも最大粒径150oの骨材を用いて、1mリフトで打設するという試みの下で、事務所全職員はもとより、施工業者も一体となって、ある緊迫感に包まれて居りました。3m3×3台のバッチャプラントが回転し、9m3×2台のインクラインが昇降を続け、そしてダンプトラックと振動ローラ等が広々とした打設面を走り廻る毎日の中で、その結果、1日平均2,000m3のコンクリートを打設したのでした。RCD工法の合理性と経済性、そして安全性を実感すると共に、この技術開発の成果を確実に伝承する義務を痛感させられたものでした。」
○加藤敏治(第六代) 「先輩からRCD工法のまとめを命ぜられ、RCDのR字もわからない状態から、多くの方々の協力を得て、63年末に一次稿を仕上げた。鎧畑ダムの利水放流管設置工事は、貯水したままダム本体に4.4mの孔をあけ、放流管を設置するという、我が国初の工事であった。浅瀬石川ダムで水没する沖浦ダム及び仮締切堤体での孔あけと仮締切の試験施工を行い、本施工に備えた。昭和63年は鎧畑ダム竣工30周年で大先輩方が一堂に会された。大先輩方が努力されたダムに孔をあけるなど、もっての外であろうが、立派に再生させるのだからとお許しをいただいた。」
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◆ 7. おわりに
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以上、玉川ダムの建設について、概観してきたが、その建設のプロセスのなかで、さまざまな用地的、技術的なドラマが生じたことであろう。いま管理段階に移行した玉川ダムは、雄物川、玉川沿川の流域住民に多大な貢献を果たしている。また、玉川ダム以外にも鎧畑ダム、そして東北電力(株)が昭和15年に建設した夏瀬ダム、神代ダムもその発電としての効用を十分に発揮している。
こうしてみてくると、昔から玉川は酸性水の強い河川であったため、発電用のダムが多く造られてきたといえる。だが上流に、玉川酸性水中和処理施設が設置されたことにより農業用水、水道用水、工業用水の利水に転換できるようになり、多くの生き物も生息可能となった。玉川は甦った。
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[関連ダム]
玉川ダム
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(2012年2月作成)
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[テ] ダムの書誌あれこれ(36)〜宮崎県のダム〔下〕(川原・沖田・田代八重・瓜田・広渡・日南)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(37)〜高知県のダム〔上〕(永瀬、大森川、穴内川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(38)〜高知県のダム〔下〕(鎌井谷、大渡、桐見、中筋川、坂本)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(39)〜青森県のダム〔上〕(目屋、久吉、早瀬野、二庄内)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(40)〜青森県のダム〔中〕(浅瀬石川、浪岡、小泊、下湯)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(41)〜青森県のダム〔下〕(浅虫、川内、天間、世増)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(42)〜山形県のダム〔上〕(白川、長井、前川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(43)〜山形県のダム〔中〕(蔵王、寒河江、白水川、新鶴子、神室、田沢川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(44)〜山形県のダム〔下〕(月光川、荒沢、月山、温海川、横川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(45)〜千葉県のダム〔上〕(山倉、高滝、亀山)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(46)〜千葉県のダム〔中〕(片倉、郡、矢那川、保台、山内)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(47)〜千葉県のダム〔下〕(印旛沼開発、利根川河口堰、東金、長柄)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(48)〜ダムの事典、ダムの紀行〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(49)〜ダムの切手、ダムの話、緑のダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(50)〜ダムの景観〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(51)〜ダム湖の生態〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(52)〜ダムの堆砂〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(53)〜茨城県のダム(飯田・花貫・小山・緒川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(54)〜矢作川のダム(矢作・雨山・木瀬)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(55)〜埼玉県荒川のダム (上)(二瀬・有間)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(56)〜埼玉県荒川のダム (下)(浦山・合角・滝沢)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(57)〜長崎県のダム (上)(本河内高部/低部・土師野尾・萱瀬再開発)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(58)〜長崎県のダム (下)(相当・川谷・下の原再開発)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(59)〜熊本県のダム (上)(竜門ダム)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(60)〜熊本県のダム (下)(石打・上津浦・緑川・市房)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(61)〜鬼怒川のダム (上)(五十里・川俣)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(62)〜鬼怒川のダム (下)(川治・鬼怒川上流ダム群連携・三河沢)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(65)〜長野県・味噌川ダム 〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(66)〜飛騨川のダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(68)〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
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(古賀 邦雄)
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