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ダムの書誌あれこれ(95)
〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。

◆ 1. 真名川の流れ

 九頭竜川は福井県にとっては最も重要な河川である。その支川の一つである真名川は、その源を越美山地に発し、途中で雲川を合わせたのち真名峡などの渓谷を流れ、大野市五条方地点で大野盆地に出てから流路を北に向け、盆地の開口部勝山市下荒井地点で九頭竜川に合流する。流域面積356.9km2、幹川流路延長34.5qである。

 上杉喜寿著『ふくいの川』 (福井県文化振興事業団・平成7年)には、真名川について、次のように述べられている。


『ふくいの川』
 この川は、昔「真中川」とも書かれていた。それは大野盆地を北から順に、崩川・真中川・清滝川と、三本の川が流れて下荒井付近で合流しているが、三本の中央にあったことから、真中の川とよばれたのである。この外に「鶴川」、「真那川」、「細沙川」とも言われていた。『深山木』という書物には、「まな川は山の間をながれて、佐開(さびらき)の南にていとど勢あらく、行くべき川をゆかずして、上・下の里どもみなおしながしつべし、されど、いと高き堤を長くきづきて、これをとどむるを、ほりかねの堤とはいへり」とある。つまり峡谷を出た途端に流れるべき川筋を流れず、乱流し洪水の都度被害をもたらしたために、余儀なく高い土堤を築くことになり、これを堀兼の堤防といったというのである。永正年間(1504−1520)の宝慶寺々領目録」によると、かなりの水害があったらしい。また、文中には教密島・猪島(井島)の地名も見られるが、これらは乱流によって形成されたものであろう。
 真名川が有名になったのは、昭和40年9月14日の台風で未曽有の大災害が発生してからである。この時は台風の影響を直接に受け、14日から15日にかけての36時間に、1,047oに達する集中豪雨となり、濁流は容赦なく沿岸の村々を襲い、大野盆地は冠水して、甚大な被害を蒙った。死者2人、家屋全壊283戸、半壊85戸、被災者1,234人に達し、これが引き金となって西谷村では離村者が続出した。
 真名川が山峡を抜けて大野盆地に出ようとするところに、十文字長者達の供養も兼ねて弁財天を祀る社がある。弁財天は「治水の神」ともいわれ、洪水禍を防ぐために祀られたのであろう。旧上庄村の稲郷の八幡神社境内には、水波神社がある。祭神は弥都波能売神(みずはのめ)といい、治水の神様である。こうした水神の社のあるところには、その付近を含めて、かつては痛ましいまでの水害が続発した伝承がある。真名川は愛らしい名前であるが、時には暴威をふるって、人々の生活をおびやかしてきたのである。昔は洪水や土砂流出を防ぐために、 「鉄砲出し」と呼ばれる沈床(ちんしょう)や、鵜又(うまた)などが川床に設置されていた。建設省によって、昭和54年真名川ダムができてからは、水流は完全に調整された。

◆ 2. 真名川ダム事業の必要性

 昭和25年6月に「国土総合開発法」が施行され、それに伴い福井県においても九頭竜川流域の開発が計画された。昭和26年大野市で九頭竜川と合流する真名川で「真名川総合開発事業」が着手。真名川本川に治水、利水を目的とする笹生川ダム、その支川の雲川に砂防と発電を目的とする雲川ダムが計画された。笹生川ダムは昭和25年から建設が開始され、昭和32年雲川ダムと同時に完成した。

 さらに、昭和35年12月に決定された九頭竜川水系工事実施基本計画により九頭竜川本川に九頭竜ダムが治水と発電を目的として建設された。しかしこのダムのみでは昭和34年の伊勢湾台風、昭和36年の第2室戸台風の出水でも、中角地点の計画高水流量3,800m3/sを300m3/s上回るので、その処理を目的として、福井工事事務所で昭和38年から九頭竜川、真名川筋でダムサイトを調査していた。

 ところが、昭和40年9月の奥越豪雨、台風24号出水により流域各地で大災害が発生し、特に真名川筋では記録的な大洪水となった。そこで治水計画の再検討を行うとともに、同年10月から真名川筋でダム計画の検討が始めた。昭和41年5月に福井県を通じて真名川ダム計画を地元に提示し、同年7月検討中の真名川ダムの規模が決まったので、ダム建設計画を正式に発表して福井県に連絡した。そして同年9月に地元で説明会を行い、昭和42年2月から用地調査に着手した。ダム建設事業は奥越豪雨による出水で西谷村が壊滅的な被害を受けたことが真名川ダム建設の端緒となった反面、用地交渉では家屋流失の補償、残存集落の処理などが大きな問題となった。また、建設工事は12月中旬から翌年3月中旬過ぎまで降積雪によって施工不能という、特殊な気候、地理的条件の中で行われた。

◆ 3. 昭和40年9月三大風水害の被害

 前述のように真名川ダム建設の端緒となったと言われる昭和40年9月の台風23号、前線活動による集中豪雨(奥越豪雨)、さらに台風24号は、福井県内に多大な被害を及ぼした。これらの災害を三大風水害と呼んでいる。福井県開発調査主幹編『三大風水害の記録−昭和40年9月−』(福井県・昭和41年)は、その風水害の恐怖と被害状況を生々しく伝えている。


 9月10日福井県を襲った台風23号は、その瞬間風速福井市42.5m、高浜町48.6mに達し、福井県としては、未曽有の烈風のため、その被害額は31億余万円の巨額に達した。その応急復旧に努めていたところ、9月14日からの前線活動による集中豪雨は、岐阜県境、奥越地方に、これまた14〜15日までの36時間において福井気象台創設以来、未曽有の1,044ミリの雨量をもたらしたために、真名川・九頭竜川は決壊し、特に大野・勝山両市と西谷・和泉の両村を含む奥越地方は壊滅的な打撃を受け、その被害額は156億円以上の巨額にのぼり、県では直ちに前記市町村に対して災害救助法を発動し、自衛隊の支援を受け、応急対策をすすめている際、更に三重苦というべき、台風24号の大災害となった。即ち9月17日志摩半島に上陸した本年最大の24号台風は、県下全域に猛威をふるい、嶺南、南越を中心にまたまた全県下に大被害を生じ、その額実に163億余万円の厖大な額に達した。


『三大風水害の記録−昭和40年9月−』
 以上の三大風水害により33名の尊い生命を奪われ、罹災者は20万有余名にのぼり、公共土木を始め、被害総額は合計351億円に達する大被害を蒙った。真名川の流域の惨状は、岩石で埋め尽くされた大野郡西谷村中島、中島小学校、集中豪雨で流出した左開橋等が写し出される。

◆ 4. 真名川ダム建設の経過

 真名川ダムは、昭和40年10月実施計画に着手し、42年4月に建設が始まり、54年3月に完成した。ダムの位置は、先に完成した雲川ダム、笹生川ダムより下流大野市下若生子地先であり、水没戸数は197戸に及ぶ。

 ダムの調査・用地補償・建設の過程について、真名川ダム工事誌編集委員会編『真名川ダム工事誌』 (建設省近畿地方建設局・昭和54年)より、次のように追ってみた。


『真名川ダム工事誌』
昭和40年9月14日〜15日 奥越豪雨・西谷村災害
    9月17日〜18日 24号台風による出水
    10月 真名川筋におけるダム候補地点調査開始
  41年3月 新河川法により九頭竜川水系を1級河川に指定
    5月 福井県を通じてダム計画を地元提出
    7月 西谷村水没対策協議会結成
    8月 大野市若生子水没対策協議会結成
    9月 真名川ダム建設計画地元説明会開催
       調査立入要請 地元より陳情書提出
    10月 陳情書に回答
    12月 調査立入受諾の回答
  42年6月 真名川ダム工事事務所開設
       物件調査開始
    8月 西谷村、大野市に対し水没買収線の地元説明会開催
    12月 九頭竜川水系工事実施基本計画定まる
  43年1月 西谷村において補償説明会開催
    2月 大野市において補償説明会開催
    3月 西谷村水没対策協議会と基本事項協定書調印
    4月 大野市若生子水没対策協議会と基本事項協定書調印
    8月 損失補償基準書発表
    10月 ダム型式をアーチ式に決定
    12月 一般補償基準妥結 協定書調印
  44年3月 少数残存者補償覚書調印
    7月 個人交渉終了
    8月 水没各区の記念碑除幕 水没地域の移転開始
  45年1月 ダム本体第1期工事契約
    4月 仮排水トンネル着工
    6月 西谷村公共補償妥結調印
       西谷村解散式
    7月 西谷村が大野市と合併
    11月 仮排水トンネル完成転流開始
  46年5月 本体掘削開始
    9月 福井県企業庁真名川発電所建設工事開始
  47年5月 西谷村河川漁業組合と補償妥結
    7月 大野市漁業協同組合と補償妥結
    9月 堤体コンクリート打設開始
  48年3月 福井県企業庁と中島発電所補償に関する基本協定締結
    9月 九頭竜川中部漁業協同組合、勝山市漁業協同組合と補償妥結
  49年2月 北陸電力(株)五条方発電所導水路補償妥結調印
    11月 ダム本体コンクリート打設40万m3達成
  50年4月 県道大野〜墨俣線が国道157号線に昇格
    7月 大野市都市用水の真名川ダム不参加決定
    8月 台風6号による出水 原石山大崩落
       若生子大橋架設工事着工
    11月 ダム本体コンクリート打設50万m3達成
  51年12月 一次湛水開始
  52年4月 福井県企業庁真名川発電所発電開始
    10月 二次湛水開始
       真名川ダム竣工式
  54年4月 ダム管理開始

 ダム完成後、昭和62年度から平成12年度にかけて、ダム下流の無水区間の解消及び流水の正常な機能の維持のための放流設備を設置し、下流河川の自然環境改善を図る目的とした事業を施工した。具体的な整備事業として、水環境改善等放流設備(分岐管、放流管、不特定用水放流設備、河川維持用水放流設備、噴水設備)を実施している。


◆ 5. 真名川ダムの諸元

 真名川ダムは、前述のように昭和40年9月の奥越豪雨と台風24号による大洪水を契機として、九頭竜川の治水計画の再検討が進められ、昭和43年6月に新たに真名川ダムなど上流にダム群を建設して、洪水の調節を行う治水計画が決定した。真名川ダムは大野市下若生子地先に昭和44年に着工し、昭和54年に完成した。
 その諸元は、

 堤高 127.5m
 堤頂長 357.0m
 堤頂幅 6.0m
 堤体積 50.7万m3
 基礎岩盤高 EL.260.0m
 堤頂高 EL.387.5m
 基礎地質 片麻岩・石灰岩・ひん岩
 湛水面積 2.93km2
 集水面積 223.7km2
 総貯水容量 1億1,500万m3
 有効貯水容量 9,500万m3
 堆砂容量 2,000万m3
 洪水調節容量
   7/1〜7/31 7,640万m3
   8/1〜9/30 8,900万m3
 不特定用水容量
   10/1〜7/31 1,590万m3
   8/1〜9/30 600万m3
 発電容量
   7/1〜7/31 1,860万m3
   8/1〜9/30 600万m3
   10/1〜6/30 4,700万m3
 洪水時最高水位 EL.385.0m
 型式 不等厚アーチ式コンクリートダム
 起業者 建設省(現・国土交通省)
 施工者;前田建設工業
 事業費は355億円を要した。

 主なる補償として、水没集落は大野市下若生子、大野郡西谷村上笹又、下笹又、中島の5集落で257世帯、少数残者は西谷村中島、黒当戸、巣原、温見の4集落の59世帯となり、用地取得面積282.7haであった。公共補償として、学校2、神社5、寺院5、役場、公民館、集会場、農協、森林組合などがあり、特殊補償として、中島発電所補償、西谷村漁協、大野市漁協、九頭竜川中部漁協、勝山市漁協に対する漁業補償、それに中竜鉱山・日本亜鉛鉱業(株)の鉱業権補償を行った。
 水没者らの移転先は、福井県内が最も多く85.1%、次いで中京の8.9%、関西、関東の順になっている。県内では大野市の移住が大半を占め、74.2%となっている。

◆ 6. 真名川ダムの目的

 真名川ダムは、洪水調節不特定用水の供給、発電の3つの目的をもったダムである。

(1) 洪水調節

 真名川ダムは洪水時にはダム地点における計画高水流量2,700m3/sのうち、2,550m3/sの洪水を貯留し、下流には150m3/sの一定放流することにより洪水の防御を図っている。
 特に、7/1〜7/31では洪水調節容量7,640万m3、8/1〜9/30では、洪水調節容量8,900万m3でそれぞれ対処しており、有効貯水容量9,500万m3の実に80%と93.7%を占め、治水に最重点をおいたダムである。

 具体的な洪水調節方法を見てみよう。
@ 雨が降った時
 雨が降っても、ダムへの流入量が500m3/s以下の場合は、ダムには水を貯めずにダム流入への流入量をそのまま下流の川に放流する。
A 大雨が降った時
 大雨が降ってダムへの流入量が500m3/s以上になる場合は、下流の川へ放流する量を150m3/s(一定)にしぼり、それ以上の水をダムに貯めて、下流が洪水になるのを防ぐ。
B 雨が止んできた時
 大雨が降りやんで、ダムへの流入量が500m3/s以下になり、下流の川の安全を確認したら、500m3/sを上限として徐々に放流量を増やし洪水によってダムに貯めた水を放流する。
 平成16年7月総雨量279o、時間最大雨量44oの福井豪雨では、真名川ダム、笹生川ダムの洪水調節により、大野市五条方(真名川佐開橋上流約300m)地点で約2.2mの水位低減効果があった。
 なお、平成18年2月に策定された「河川整備基本方針」では、九頭竜川の基準地点中角地点において8,600m3/s基本高水流量を、上流のダム群において3,100m3/sを調節し、河川では5,500m3/sを流下させる計画となっている。


(2) 不特定用水の供給

 真名川沿岸の既得用水の補給等、流水の正常な機能の維持と増進を図っている。真名川ダムでは、上流の笹生川ダムと合わせて大野市周辺の農地1,285.6haに水を供給している。不特定用水容量は、第一期洪水期1,590万m3、第二期洪水期600万m3となっている。

 近年重視されている流況変動確保による河川の生態系保全、河川の景観保全、河川の土砂移動等の新たなる水環境のニーズに対応し、既存ダムにより有効な活用を図るため、真名川ダムにおいても河川環境保全のための操作(ダムの弾力的運用管理)が行われており、シルトの堆積や付着藻類の更新のためのフラッシュ放流、河川への放流量0.28m3/sから1.0m3に増量を行っている。

(3) 発電

 真名川ダムの建設に伴って下流約2qに福井県企業庁によって新設された真名川発電所(型式:ダム水路式 内径2.80m導水路延長2.2q)において、使用水量15m3/s、有効落差110mをもって、最大出力14,000kWの発電を行っている。

 また、真名川ダムでは、ダム管理用水力発電を実施、横軸三相交流同期発電機、横軸単輪単流渦巻フランシス水車で、使用水量0.67m3/s、有効落差95.5mをもって、最大530kWの発電を行い、管理所の電気に使い、管理費用の低減に努めている。この使用水量は水環境改善のための放流水を利用したものである。


◆ 7. 真名川ダム建設における特徴

 真名川ダムにおける建設中の時代を顧みると、昭和33年に起こった岩戸景気のさなかの11.2%(昭和34年)を始めとして、日本はたびたび10%を越える驚異的な実質経済成長を遂げた。特に昭和41年から44年までは、4年連続して10%を越えた。46年〜48年は列島改造景気にわいたが、昭和48年10月第4次中東戦争に伴って発生した石油危機は、世界経済及び日本経済に大きな打撃を与えた。国内で急激なインフレが起こり、抑制のための公定歩合引き上げの影響などで、企業の設備投資が抑制された。この時真名川ダムは建設中であり、物資の高騰などにより多大な影響を受けた。昭和49年にはマイナス成長を記録、この第一次石油危機を契機に、日本の産業構造は省エネ型、高付加価値型に転換し、エレクトロニクス産業、自動車産業が経済を主導することとなった。また、ダム完成時の昭和54年にはイラン革命によってイラン原油生産が中断し、再び原油価格の高騰(第二次石油危機)が起こっている。


 前掲書『真名川ダム工事誌』の真名川ダム座談会により、真名川ダム建設の特徴をいくつか追ってみるが、その一つ一つは、真名川ダム誕生までのダム従事者の悪戦苦闘のプロセスでもあったといえる。

(1) 奥越豪雨によって西谷村の家屋の流失が水害と同時に土砂で埋まったために、真名川ダムの計画が見直され、とくに真名川上流は崩落が著しく、砂防の調査も十分実施された。したがって、ダム計画と砂防計画と調和のとれた計画として、位置づけられた。


(2) ダムの事業着手は、まず実施計画費の予算要求を行うのが通例であるが、水没地内には家屋が被災しており、大野市への移転が急がれるため、できるだけ早期に補償金の支払いをする必要があるとの判断から、いきなり建設事業費の予算要求が行われた。
 国も被害救済ということを重視して、初年度からダム事業費に用地費を計上し、調査事務所を経験することなく、工事事務所を発足した。

(3) 西谷村全村が被災していることから、山本満村長、村の幹部は、 「ダムによる一部集落の水没では村の再建はマイナス(中途半端)となり、ダムを大きくして全村水没しか考えられない」と、申し込んだ。そこで、ダム計画は出来るだけ大規模のダムを造ることとなった。真名川ダム計画の特徴の一つといえば、その大きな治水容量と99.5%という高率の治水負担の多目的ダムということである。
  当時、本省河川局からは「バカでかい真名川ダム」との批判をうけたという。

(4) 何はともあれ、補償交渉を優先し、水没者の生活の安定を図ることが先決で、特に問題となった少数残存者補償を確立し、さらに、奥越豪雨での流失家屋補償については、福井県当局が補償することにより、水没者らの生活再建が図られた。

(5) 用地補償交渉は、昭和43年2月から、いわゆる「真名川方式」という形で進められた。このことは、金額を提示するまえに、金額算出の方式について説明討論を行ったり、土地の格付けなど相談する方式で、お互いの考え方をこの段階で洗いざらい議論し合い、それを反映して補償基準を作ろうとするもので、お互いに駆け引きの下心が取り除かれた。
 この方式は、地元によき指導者、山本満西谷村長、石田善徳若生子水没対策協議会長に恵まれ、村長の善意と信頼という旗印のもとに始められた。昭和43年8月の一般補償基準提示の段階では、お互いの主張は相互に十分理解しあっており、その後わずか4ヵ月の交渉と若干の調整で、最終妥結ができた。

(6) 本体工事設計は殆ど直営で行い、ダムの応力計算や構造については土木研究所が担当した。積算では火薬について気を遣い、積み込み機種はパワーショベルで積算し、型枠の転用回数、セメント単価が注意された。現場は積雪地帯であることから、雪崩対策として、雪崩防止でなく、被害の防止であって、雪崩の発生しそうな場所に、事前にロケット弾を1,000m位飛ばして、3ヵ所行ったが、実際に雪崩は起こらなかった。なお、変電所とダム出張所は雪崩が絶対起きないよう、左岸上流のやせ尾根の先端部に配置した。

(7) 真名川ダムの基本設計については、管理面を考えて行われている。それにはまず洪水調節は自然調節で、クレストはゲートのない切欠きだけの構造となっている。

(8) 真名川ダムは当初、重力式ダムとして計画されたが、両岸のアバットメントの地質が非常によく、最初の重力式案はかなり下流にあり、調査の重点を若干上流に拡げたところ、左岸上流の崖錐部の堆積が意外に浅く、堅硬な岩盤が確認され、堤軸を上流に移しアーチ式とした。

(9) 真名川ダムでは、下若生子の集落跡地という非常に大きな土捨て場が確保でき、そこでこの広い土捨て場に堤防を築き、ビニールシートによる遮水によって沈澱池を造成することができた。
(10) 仮設備機械はすべてにおいて余裕のある設計で計画、配置した。1次〜2次プラントを含め、70万m3〜80万m3打設に対応可能な設備規模であり、打設期間を通じて骨材が不足することはなかった。製砂設備のロッドミルから排出する濁水は、非常に沈降しにくく、なかなか所定の100ppm以下ならず、ついにPAC剤を20ppm程度添加することにより、所期の目的を達成することができた。

(11) 若生子トンネルの直上流の道路は、1月〜3月は休止期間であるといいながらも、予算消化もあって、豪雪の中危険を冒して工事を続行した。

(12) ダムサイトの石灰岩の容堂溶蝕空洞については、周囲のコンソリデーショングラウチングを密にして様子を見、湧水が減少し、掘削範囲を拡げたところ空洞も小さくなりだしたので、約10m掘り下げた所で湧水処理してプラグコンクリートを打設。カーテングラウチングは、単に深さだけてなく、厚さも重要と考え、上流に近い部分には、補助カーテンの意味で、密に長いコンソリデーションと敷別施工した。

(13) ダムサイトの右岸低角度の断層については、中腹部に川に落ちるF-7とその上方で山に差し込むF-4の2枚の断層があって、それらに囲まれた岩盤のブロックが滑りやすい形になっていたが、そこで、これにかかるアーチからの力が、安定上最も有利になるようなダムの形状とアーチアバットメントの座どりを選ぶようにした。おそらく日本で初の基礎内部の応力分布を立体的に解析して算出した。このような慎重な設計により、断層は大きなトラブルを起こさないことが判明した。大ダムの基礎の重要性からみて岩盤PS工によって岩盤をしばりつけた。

(14) ボンド型計器を最初に入れたダムでその結果は成功であった。また、3次元解析によって岩盤内応力を算出した初めてのダムである。

(15) ショルダー処理、断層処理で行ったダム右岸側斜面の補強工事では、高所の急斜面であって、PSアンカーの挿入は大変苦心が伴った。レラクゼーションの測定及び再緊張ができるようにしてある。

(16) 管理施設で特に次のことが配慮されている。
 @ 利水用ホロージェットバルブの開閉機構に、機械式を採用し、開度設定後に誤差が生じない構造となった。
 A コンジットゲート(主放流)の扉体上部に電動部分を一切配慮しなかった。これは放水に伴う電気的障害を生じないようにするためで、すべてオイルモーター方式にした。
 B コンジットゲートの支枠アンカープレートの位置を3段階に配列(6.5m、8.5m、12m)して、堤体内に発生する応力の分散を図ったことも、高水圧に対する配慮の一つであった。
 C コンジットゲートの油圧配管系統は、一方が故障状態になっても、他の1門から送油できるようにして、この種のトラブルに対し、万全を期している。

(17) 真名川ダム湛水池沿岸並びに原石山で採用した地すべり防止工法は、主として排土工、鋼杭工であったが、特に地すべり土層の厚さの大きな(30p)斜面においては、ロックアンカー工を採用した。試験湛水中に地すべりを起こした貯水池102-1地区では、地すべり頭部に鋼杭工を行い、この鋼杭頭にH鋼を抱かせて、これをロックアンカーで引っ張る工法を採用した。原石山の2回の地すべり崩落には、その対策に苦労があったが、鋼管杭工が採用された。

(18) ダム及び貯水池の周辺環境整備は、大々的に、しかもモニュメント、慰霊碑などきめ細かい整備がなされた。これらは事業費で施工するという初めての試みで、このため、包括的に統一的な考え方で実施できた。東京農工大の高原先生の指導により、人の入り込むところ、眺める側、眺められる側及びビューポイント、植栽、無彩色を多用した色彩感覚、各整備個体のそれぞれの意味づけがなされている。

(19) 試験湛水では、他に例をみないほど洪水調節利用水深が大きいため、試験湛水が必要として、本省、本局、発電関係者の支援を実施した。

(20) 真名川ダムでは、建設省初の改良型カールソン歪計を採用した。


◆ 8. 工事における苦心談

(1) 内田泰治(前田建設工業(株)大阪支店真名川作業所長)

 昭和45年2月左岸走行路掘削において、奥越の厳冬の真っただ中に、わずか数名の構成で現地に乗り込みました。春の雪解けを待って掘削に着工。そのときはまだ付替道路も完成しておらず、旧県道をダムの上下流2ヵ所に橋を架けて右岸側の河床に迂回路を作って作業を開始しました。なにしろ両岸は目も眩むような峻険な場所で河床から240m上部にD-8級の巨大ブルドーザー、クロラードリルを引揚げ、さらに河床では一般交通をさせながら掘削作業を施工しました。上から眺めると河床では巨大ブルも豆粒にしか見えません。ここから押し出す岩石の落下の勢いは物凄いものでした。D-8級ブルドーザー1台とクロラードリル1台を河床に転落させた事故がありましたが、運転手は途中で飛び降りて岩肌にしがみつき一命をとりとめました。河床では機械がバラバラになっていました。夜間宿舎にいても電話のベルが鳴ると「ビクッ」として、さて事故が発生したのではないかと不安にかられ、神経がいらだち眠れぬ日々の連続でした。

 奥越地方は12月中旬から3月中旬まで雪に閉ざされ、ボーリンググラウト注入以外は作業を中止します。したがって、暮れには500名に近い労務者の解雇、春先には新規募集の繰り返しでこれには大変苦労しました。


(2) 栗田昭郎(真名川ダム工事事務所ダム第二出張所長)

 仮排水トンネルは、残雪の中で測量し、4月上旬に着工して11月20日に転流をしました。ライニングは本巻工法としたので、支保工をロックボルトで岩盤を縫い付けて全断面を掘削するなど、ほかではあまりやらないことをやりました。一部コンクリートコアーを持つロックフィルダムですが、コアーのコンクリートを打設完了の翌日、4時間ほど停電して水が溜り、倒れるのではないかひやひやしたことがありました。

(3) 竹林征三(真名川ダム工事事務所工務課長・調査設計課長)

 残工程計画を立てるにあたっては、湛水までに解決せねばならない事項をすべて網羅してスケジュールを毎日チェックしました。非常項目が多かったことが印象に残っています。
 用地課では、鉱業権補償、砂防指定地解除、中島発電所補償、減電補償、未買収地等の問題が残っていました。工事の方では、右岸下流のショルダー処理、上流の断層処理、表層取水工事、北陸電力の導水路補強工事、原石山対策工事、貯水池地すべり対策工事、管理設備などはすべて手を付けていない状況でした。そして、大きな問題として、大野市の地下水の問題を解決するための真名川筋の水利秩序の確立でありました。これらの問題もよく湛水まで間に合ったものだと思います。まずなによりも、し残し工事はつくらないこと、貯水池周辺の整備にも十分に意をつくすこと、管理所に移管した時に、管理担当者から建設の時にやってもらっておけばなあと言われないようにしたいということです。

◆ 9. 真名川ダムの想い出

(1) 伊集院 敏(真名川ダム初代所長)

 昭和40年の西谷災害を契機として、調査、計画、事業化へと、わずか1年9ヵ月でスタートを切った真名川ダムの建設は事務所発足2ヵ月目には用地丈量調査の受諾を得、8ヵ月には補償基準の下交渉を開始し、1年6ヵ月後の昭和43年12月には補償基準が妥結するという、本当にめまぐるしいスピードで展開していきました。……(中略)……大雪のなかの大野乗り込み、職員総出でスコップをふるい雪を除けながら完成した変電所の温床舗装、粉雪の降りしきるダムサイトでの厳冬期の本体工事現説、炊出しの豚汁をすすりながら32時間ぶっ通しで頑張った補償基準の妥結交渉、堤敷にポッカリ口をあけた思いもかけぬ石灰岩の空洞の処理等々、様々な悪戦苦闘の末、昭和47年11月には、晴れがましい定礎式を迎えて、青空からスルスルと降りる紅白のバケットに、全職員心からの万歳を三唱しました。

(2) 山本 満(西谷村村長)

 西谷村は他の地区のダム建設に比して余りにも条件が悪く、一村全滅の大災害をうけ、住民は路頭に迷い、ダム建設になれば廃村となるような、歴史にその例をみない複雑な要素が山積みしている中で、私はまず議会等と図り、種々の条件整備に努め、長期的作戦計画を立て、自ら水没対策協議会長(兼補償委員長)になり、如何に有利に村民ひとりひとりが、将来幸せになる体制をうち立てるかということに腐心しました。しかしその間でも村民の生活や福祉は一日もゆるがせにすることはできないのですが、国は予算の二重投資はできないと、すべての工法は簡略化され縮小されてきました。私は一変して建設省と戦う戦士として活躍しなければならなかったのです。村民にとっては我が人生の歴史を転換しなければならない重大なできごとであったのですが、住民意志の統一は簡単にはかられないし、難しくなれば村長一任となり、私は若き全知全能をしぼって、これに当たらねばならなかったのです。一歩もあやまることのできない羽目に追い込まれました。しかし、男意気に感じてか我ながら不思議にも闘志が湧いてきました。……(中略)……多数の関係者の絶大な協力により、これがダム建設の妥結と解決をみることができました。私は政治や行政、交渉は所詮人のすることである。すべて人と人の関係の上に成り立つことと思い、善意と信頼という人間関係を信条としてきましたが、この点自分は今もなお、人にめぐまれていたなあとつくづく思っております。私ども旧村民は現在それぞれ第二の故郷をもとめて幸せに暮らしております。私どもの血と汗と涙が、国土保全と福井県民の将来の安全と利益になることを心から祈っております。

◆ 10. おわりに

 以上、真名川ダム建設について、述べてきた。ダム湖誕生までは造られる側と造る側の攻防はあるとしても、最後には、昭和40年9月の西谷災害のようなことが、起こらないようにとのお互いに共通の願いが結局、実を結んだのではなかろうか。

 私は平成23年7月23日に真名川ダム湖(麻那姫湖)を訪れた。この日は「森と湖に親しむつどい サマーフェスタ」が開催されており、多くの家族連れが青空のもと、ダム見学を楽しんでいた。ダム湖周辺はよく整備されており、西谷村上笹又等のふるさとの碑、7人が殉職した慰霊碑、干ばつのために人柱となって雨を降らせたという麻那姫像に手をあわせた。麻那姫湖には人それぞれの人生の苦労が重く沈んでいるが、湖面は静寂であった。


 おわりに、服部勇次著『ダムと水の歌102曲集』 (服部勇次音楽研究所・昭和62年)より、服部勇次作詞・作曲「ああ真名川ダム」を掲げる。

 1. 地図から村が 消えようと
   村が湖底に 沈んでも
   わしらのふるさと 西谷だ
   生まれ育った とこだもの
   ああ村は 真名川ダムの底に
 2. 西谷村に 数々の
   作業歌が 流れてた
   月夜に石臼 ひきながら
   うれしはずかし 手が触れた
   ああ村は 真名川ダムの底に
 3. 村にさようなら したときも
   雪がチラチラ 降っていた
   街で仕事を していても
   雪を見るたび 思い出す
   ああ村は 真名川ダムの底に

[関連ダム]  真名川ダム
(2013年11月作成)
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 (古賀 邦雄)
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