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ダムの書誌あれこれ(89)
〜筑後川水系・藤波ダム〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
 
◆ 1. 坂東太郎、筑紫二郎、四国三郎の呼称

 なぜに利根川を坂東太郎、筑後川を筑紫二郎、吉野川を四国三郎と呼ぶのだろうか。

 日本の河川の流域面積を見てみると、第一位利根川16,840km2、石狩川14,330km2、信濃川11,900km2の順で、吉野川は3,750km2で17位、そして筑後川の2,860km2で21位になる。地域的に視れば本州では利根川、九州では筑後川、四国では吉野川がそれぞれ一位となる。

 東洋大松浦茂樹教授は、「それは、本州、九州、四国と面積の大きい順に並べていき、それぞれの最も大きい河川を選び出して呼称していったと考えれば納得いく。ただし、北海道が含まれていない。このことは、北海道の開発が進み内地化する以前に造られた用語だと推察される。つまり北海道が本州、九州、四国と同列と意識される以前に造られたことを物語っている。とすれば遅くとも明治40年代以前である。」と、述べられている。これらの三つの河川は、流域面積の大きさだけでなく、歴史的、社会的、文化的にも重要な役割を持っている。坂東とは、坂の東となっているがこれは箱根の坂を境にして東の地域を指している。筑紫は九州のことである。四国は、阿波、讃岐、伊予、土佐の国を現わしている。

◆ 2. 筑後川の流れ

 筑後川については、小倉紀雄・島谷幸宏・谷田一三編『図説 日本の河川』(朝倉書店・2010)のなかで、島谷幸宏九州大教授は、次のように論じている。

@ 筑後川は久重連山および阿蘇外輪山を水源に、林業および温泉地帯を流下し、水郷日田を形成し、夜明峡谷を通過し、肥沃な筑紫平野を形成し、有明海に注ぐ。幹川延長143q、流域面積2,860km2の九州最大の一級河川である。

A 筑後川が流入する有明海は、干満の差6mにおよぶ内湾であり、ノリの養殖をはじめ、多くの水産資源に恵まれ宝の海と呼ばれている。有明海の集水域に占める筑後川流域面積は35%、年間流出量は40%を超え、有明海に対する影響は大きく、洪水時には有明海の対岸まで洪水流による濁水が到達する。有明海はノリの養殖のため、冬期晴天が続くと極端に栄養塩濃度が低下し、ノリの色落ち被害が発生する。筑後川では、このような場合に上流の下筌ダム、松原ダムから放流し、有明海に流入する栄養塩類を増加させる効果をあげている。

B また、筑後川は干満の差により、上げ潮時には水が逆流し、最大毎秒2,000m3にもおよぶ水量が出入りする。この時、海から大量のガタ土が堆積し、そこにはトビハゼやムツゴロウが生息し、独特の風景をみせる。また、この干満の差を利用したアオ取水がこの地域で長らくおこなわれてきた。アオとは塩水の上に乗る淡水のことで、上げ潮によって押し戻される水面付近の淡水を取水し、利用する方法である。筑後大堰の取水により、現在アオ取水は行なわれなくなった。

C 筑後川の感潮域は筑後大堰が位置する23q地点までであり、エツやアリアケヒメシラウオなど珍しい魚類が生息する。エツはカタクチイワシ科の魚で、渤海、東シナ海、黄河の沿岸部に生息し、わが国では有明海湾奥部のみに生息する。成魚30p程度の銀色で細長い独特の形状をしている。産卵時汽水域に遡上し浮遊性の卵を産卵する。卵は流下しながら孵化するが、塩分濃度が濃いと死滅するため、わが国では筑後川以外での再生産は難しいとされる。絶滅危惧U類に指定されるが、水産魚として利用されており、刺身や唐揚げは美味しい。また、アリアケヒメシラウオは絶滅危惧T類に指定され、緑川と筑後川のみに分布する魚類で近年緑川では確認されていない。このように筑後川感潮域は独特の環境となっている。

D 筑後川中流域は、瀬淵やワンドが発達し、豊かな生物相となっている。特に魚類相は豊かで、ニッポンバラタナゴ、セボシタビラ、カゼトゲタナゴなど北部九州に生息する殆んどの魚類が筑後川にみられる。また、中流部には、江戸時代に造られた筑後四大取水堰が設けられ現在も袋野堰、大石・長野堰、山田井堰、恵利堰は、現在においても農業用水堰として利用されている。これらの堰は現在も石(コンクリート)を用いた歴史的で美しい景観を呈している。

E 上流域は熊本県、大分県の林業地帯であり、日田は林業の集積地として栄えてきた。この木材は筑後川を利用して下流に運ばれていたため、道路交通が発展するまでは舟運路を確保する目的で低水工事が行なわれてきた。下流の大川は、これらの木材を利用した家具生産地として著名である。江戸時代の絵地図をみると、両岸から水刎(荒籠)と呼ばれる長い水制が突き出している状況をみることができる。筑後川は藩境でもあり、舟運路の維持と対岸への水刎のために設けられたといわれている。

F 日田は水郷地帯であり、1953(昭和28)年6月の大洪水は、破堤、決壊、崩壊、護岸決壊が起こり被災者約54万名、死者147名の大災害となった。この水害に対応するため、当時の建設省は、多目的ダムの松原ダム、下筌ダムを建設し、洪水調節を行なうこととした。この公共事業の進め方に対して、反対運動が起こり大きな社会問題となった。「蜂の巣城紛争」である。1957(昭和32)年より、ダム建設は計画されたが、翌年には室原知幸(1900〜1970)を中心とした地域住民による「絶対反対決議」がなされ、建設省に対する徹底抗戦の意思表示として下筌ダムサイト地点に「蜂の巣城」が建設された。強制執行、建設差し止めの行政訴訟、公共事業と財産権の侵害という問題を行政に突きつけた。1964(昭和39)年に蜂の巣城は取り壊されたが、室原氏が亡くなる1970(昭和45)年まで抵抗が続いた。(この紛争を題材とした小説に松下竜一の『砦に拠る』がある)。この紛争後「水源地域対策特別措置法水特法)」の施行、河川法、土地収用法、特定多目的ダム法の改正が行なわれ、水没地域対策が大きく変わっていった。室原氏の「公共事業は理にかない、法にかない、情にかなわなければならない」という言葉は、現在でも公共事業のあり方を問い続けている。

G 1973(昭和48)年3月に洪水調節と発電を目的とした松原ダムが完成した。松原ダム直下に1913(大正2)年に完成している大山川ダム(筑後川のことをこの地元では大山川と呼んでいる)から右岸からは女子畑発電所へ、左岸からは柳又発電所へ導水しているため維持流量は極端に少なくなり枯れ川となった。1983(昭和58)年松原・下筌ダムの発電容量の変更により大山川ダム直下では毎秒1.5m3の維持流量が確保された。しかしながらダム建設前と比べると流量は著しく少なく、大山川の名物であった「尺アユ」が取れなくなった。昔の清流を取り戻したいという地元の熱意により、現在では3月21日から9月30日までは毎秒4.5m3、10月1日から3月20日までは毎秒1.8m3の維持流量が確保されるようになった。流量増加により、付着藻類による基礎生産量が一時的に増加することが報告されている。

◆ 3. 筑後川の水資源開発史

 上記のように、筑後川の一つの特徴をあげれば、日田天領、黒田藩、有馬藩、立花藩、鍋島藩の藩境の河川であるため、それぞれ藩の利益と損失での争いが長く続き、統一的な治水、利水政策はなかなか進捗しなかった。昔から、大雨が降り続けると頻繁に水害が起こり、筑後川流域には人的、物的な被害を及ぼしてきた。水害はその反面肥沃な土地を作り出した。明治以降、筑後川三大水害とよばれる災害が、明治22年7月、大正10年6月、昭和28年6月と梅雨前線による集中豪雨で起こった。水害防除のための河川改修、さらに水力発電ダム建設、その後の治水ダム、利水ダムの建設に係わる筑後川の水資源開発の歴史を追ってみる。

(1) 明治期

明治17年 第一期改修工事着手・河身改修工事
  22年 筑後川の大水害(瀬ノ下水位8.62m)
  23年 筑後川最下流デ・レーケ導流堤竣工
  27年 有馬藩旧藩士青木牛之助、水害に遭った久留米の農民を久住高原千町牟田へ移住
  29年 治水目的の河川法制定
     第二期改修工事着手・高水防禦工事
  34年 筑後川の初電力・石井発電所竣工
     田手川・さき水門竣工
  36年 明治政府・筑後川改修竣工
  39年 久留米長門石村周囲築堤工事竣工
  40年 ・$4016・珠川・麻生三代右田井路開削

(2) 大正期

大正2年 女子畑第1調整池第2号及び第3号完成
     大山川ダム完成
     女子畑発電所完成
     宮入慶之助博士・日本住血吸虫病が宮入貝を中間宿主と発見
  9年 筑後川左岸久留米市安武村から農業用水取水竣工
  10年 筑後川大水害(瀬ノ下水位7.11m)
  11年 地蔵原ダム(地蔵原川・九重町)完成
  12年 第三期改修工事着手

(3) 昭和前期

昭和初期 千年分水路竣工
昭和元年 筑後川掘削及び築堤工事
  2年 天建寺捷水路工事着手
     坂口捷水路工事着手
  5年 久留米市水道・筑後川取水開始
  6年 女子畑第2調整池完成
  7年 金島捷水路工事
  10年 昇開橋佐賀線開通(昭和62年廃止)
     塚島護岸工事着手
     坂口床固工事着手
  12年 筑後川下流浚渫工事
  13年 日田・小ヶ瀬井路(サイフォン方式に)改修
     天建寺水門新設工事
  14年 太刀洗水門新設工事
  16年 矢幡水門新設工事
  19年 桂川水門新設工事

(4) 昭和中期

昭和21年 金島捷水路床固工事
  24年 筑後川水害(瀬ノ下水位7.50m)
  25年 筑後川水害(瀬ノ下水位6.67m)
  28年 筑後川大水害(瀬ノ下水位9.02m)
  29年 九州電力・夜明ダム完成
  30年 日田市水道・三隈川から取水開始
  35年 下筌ダム・松原ダム建設開始 蜂の巣城紛争
  38年 筑後川水害(瀬ノ下水位6.68m)・恵利堰被災
  39年 河川法改正
  40年 筑後川一級河川に指定
  42年 九州全土大干ばつ
  43年 大石分水路竣工
  44年 巨瀬川梅雨前線による集中豪雨による水害
  48年 下筌ダム・松原ダム完成
     高瀬川ダム(高瀬川・日田市)完成
  49年 長門石橋開通

(5) 昭和後期

昭和50年 両筑平野用水事業・江川ダム(小石原川・朝倉市)完成
  51年 松木ダム(松木川・九重町)完成
  52年 寺内ダム(佐田川・朝倉市)完成
  53年 福岡大渇水(53.5.20〜54.3.24 287日間)
  54年 原鶴分水路完成
  55年 山神ダム(山口川・筑紫野市)完成
  56年 桂川水門本体竣工
  57年 古賀排水機場竣工
     池町川浄化対策事業竣工
  58年 福岡導水事業完成
  60年 筑後大堰完成
     蒲田津排水機場竣工
     下筌ダム・松原ダム再開発完成
     台風13号高潮被害

(6) 平成期

平成3年 筑後川流域台風19号
  5年 合所ダム(うきは市・隈上川)完成
  6年 平成の大渇水(6.7.7〜7.6.1 330日間)
  9年 河川法改正
  10年 筑後川下流用水事業完成
  11年 山口調整池(山口川・筑紫野市)完成
  12年 猪牟田ダム建設中止
     大山川・三隈川水量増量
  14年 竜門ダム(菊池川・山鹿市)完成
     渇水起こる(14.8.10〜15.5.1 264日間)
  22年 藤波ダム(巨瀬川・浮羽市)完成
  25年 大山ダム(赤石川・日田市)完成予定

 以上、筑後川のダム建設史をたどると、大正から昭和初期までは、筑後川上流に女子畑調整池に見られるように水力発電の目的のためのダムが施工された。このことについては、河津武俊著『日田・筑後川上流水力発電所物語 新・山中トンネル水路』(西日本新聞印刷・平成17年)に、15の水力発電所の建設を絵図と写真を取り入れて、分かりやすく詳細に表されていて、楽しい書でもあり、また、昭和28年6月の筑後川の大水害を契機として、筑後川上流に大型ダム下筌ダムと松原ダムが昭和48年に完成し、主に治水の役割を果たしてきた。この2つのダムのことも述べられている。

 さらに江川ダム、寺内ダムの完成、平成期には筑後川中流、うきは市を流れる隈上川に合所ダム、巨瀬川に藤波ダムが完成した。平成22年3月に完成した藤波ダムの建設をみてみる。


『日田・筑後川上流水力発電所物語 新・山中トンネル水路』
◆ 4. 藤波ダムの必要性

 藤波ダムの建設に関する書として、福岡県・八千代エンジニヤリング編『藤波ダム工事誌』(福岡県・平成22年)、同『藤波ダム図面集』(福岡県・平成22年)があり、これらの書からひも解いてみたい。

 藤波ダムは、筑後川水系巨瀬川の右岸福岡県うきは市浮羽町小塩地先、左岸同妹川地先に治水ダムとして建設された。巨瀬川は、耳み納のう山系鷹取山標高802mに源を発し、うきは市浮羽町・吉井町、久留米市田主丸町を貫流して、筑後川に合流する流路延長27q、流域面積84.7km2を有する河川である。上流部、浮羽町付近までは急流河川であるが、中、下流部は筑後平野に連なるため緩流河川になっており、これに耳納山麓より流下する深迫川、延寿寺川など、21もの河川が巨瀬川左岸に合流している。また、巨瀬川周辺は田畑が広く分布し、特に果樹と植木の産地でもある。近くを国道210号、JR久大線が並行しており、住宅や事業所も密集して、うきは市地域の産業文化の中心地を形成している。


『藤波ダム工事誌』
 藤波ダムの必要性は、巨瀬川における洪水を防ぐことにあった。

 巨瀬川は古くからしばしば洪水による災害に見舞われ、流域住民に多くの被害を与えてきた。特に、昭和28年6月の梅雨前線による大洪水(6月25日、日雨量398o、最大時間雨量32.3o)は、過去最大の規模の被害をもたらし、死者7名、流失家屋162戸、床上浸水2,748戸、冠水耕地2,000haにも及び、その被害総額は130億円に達した。そのため、田主丸町中央橋上流4,300mの区間について、河川改修に着手し、築堤500mを完成したが、再び44年6月30日の梅雨前線による集中豪雨(日雨量222.5o、最大時間雨量57o)により破堤し、家屋の浸水、倒壊など総額22億円に及ぶ被害を生じた。河川計画の見直しが必要になった。

 しかし、流域の開発が進み、大幅な引堤等の河川改修は困難なため、上流部にダムを建設し、豪雨時の洪水を一時溜めて下流の洪水量を調節し、これによって50年確率程度以下の洪水を防止し、流域の安全を図る。



◆ 5. 藤波ダムの建設

 藤波ダムは、筑後川水系巨瀬川の上流福岡県うきは市浮羽町に、昭和45年実施計画調査に着手し、平成22年3月治水ダムとして、福岡県が建設した。その諸元は、堤高52.0m、堤頂長295.0m、堤頂幅10.0m、ダム天端標高141.0m、ダム基礎標高89.0m、堤体積105.6万m3、堤体勾配上流1:2.9、下流1:2.1、流域面積21.7km2、湛水面積0.2km2、総貯水容量295万m3、有効貯水容量245万m3、不特定利水容量45万m3、洪水調節容量200万m3、計画堆砂容量50万m3、サーチャージ水位標高135.5m、常時満水位標高123.0m、最低水位標高118.5m、型式は中央コアロックフィルダムである。

 なお、取水・放流設備諸元は、計画高水流量440m3/s、計画最大流量170m3/s、ダム設計洪水流量940m3/s、常用洪水吐 型式自然調節方式、非常用洪水吐 型式自由越流方式、減勢工 型式 跳水式平水叩き式、取水設備 型式斜樋多孔式、放流設備 型式ジェットフローゲートとなっている。施工者は大林組・東急建設・才田組で事業費は322.5億円を要した。主なる補償関係は土地取得面積58.5ha、家屋移転24戸、特殊補償として採石権の補償、補償工事として、県道1.9q、町道4.1qが施工された。



 藤波ダムの建設過程は次のとおりである。

 昭和44年6月の水害直後に予備調査を開始。45年度に実施計画調査に着手し、51年度に建設事業の採択を受け建設工事を開始した。平成元年8月藤波ダム建設事務所に組織を改正し、2年3月損失補償基準の調印がなされ、4年1月に付替県道・八女香春線の工事に着工、5年〜8年にかけて藤波区、上流地区、下流地区の建設同意協定書調印がなされた。8年5月巨瀬の大橋が開通し、12年1月に付替県道八女香春線が供用を開始し、続いて13年3月付替町道落合栗木野線供用を開始した。14年3月ダム本体工事着工、翌年15年5月仮排水路トンネルが貫通し、16年4月転流を開始。18年12月ダム本体盛立工事を着手、20年8月に盛立完了、21年2月〜22年3月試験湛水を終え、22年3月27日藤波ダムの竣功式が行なわれた。昭和44年の予備調査以来、40年の長きに亘っての完成である。


◆ 6. 藤波ダムの目的

 藤波ダムは、洪水調節と流水の正常な機能の維持の2つ目的のために建設された。

(1) 洪水調節
 ダム地点の基本高水流量440m3/sのうち、270m3/sの洪水調節を行い、うきは市浮羽町、同吉井町、久留米市田主丸町などの洪水被害の軽減を図る。

(2) 流水の正常な機能の維持
 藤波ダム地点下流の巨瀬川沿川の既得用水の補給を行うなど、流水の正常な機能の維持と増進を図るため、正常流量は、利水基準点の樋の口橋地点において、潅漑期最大0.230m3/s、非潅漑期0.332m3/sを確保する。また、藤波ダム地点においては、潅漑期最大0.575m3/s、非潅漑期0.150m3/sを確保することになっている。

◆ 7. 藤波ダムの技術的な問題点とその対応策

 財団法人ダム技術センターの小合澤辰雄主席参事役は、『藤波ダム工事誌』のあとがきのなかで、次のように藤波ダム施工についての苦労を述べている。

(1) 至近距離にある合所ダムからの被圧地下水の対応の他、ダム右岸部のダムサイトは低〜中固結の泥質砂礫層(Mg類)が厚く分布しており、ダム基礎はこれを避けてはできない。Mg類の透水性は極端に小さいが巨大な転石が混入しており、転石除去により周辺の地盤を緩めること。よって監査廊を無くしグラウトによる遮水工も施工しない構造とする。

(2) 輝石安山岩塊状部は、割れ目性の高透水岩盤であるため、順ステージ工法(ステージ方式)では注入セメントが当該ステージに止まらず、拡散してグラウトを終了できない。この対処方法として、Ap1下部の相対的に透水性の低い凝灰角礫岩あるいはAp1自破砕部を受け盤として、下部ステージより注入しながら上がって行く逆ステージ工法(パッカー方式)により、確実に当該ステージにセメントを注入する工法を採用する。

(3) ダム下流右岸は難透水のMg類が厚く分布して、下部のAp1の被圧地下水が封じ込められているが、ダム湛水時に被圧地下水の流れがダム軸下流に向う可能性がある。対策工としては、押さえ盛土工法を採用し、対策工上部は土捨場として利用する。
 そして、小合澤氏は、「平成14年3月には、本体建設工事が着工されたが、その後も施工評価業務として藤波ダムに関係することになり、本体工事中においても左岸洪水吐法面変状対策工、堤体盛立途上において均一型のロックゾーンを原石山での材料不足から、上下流面勾配を当初設計から変えずに堤体の安全性を満足するゾーニングに変更を行なうなど懐かしく思いだされる」と結んでいる。

◆ 8. 終わりに

 以上、藤波ダムの建設について、主に述べてきたが、筑後川のダム開発を振り返る。

 明治・大正期・昭和初期までは、筑後川上流大山川及び・$4016・珠川に水路式を含めた発電用のダムが築造された。この電力は主に北九州工業地帯に送電された。昭和28年6月の筑後川の大水害を契機として、建設省は昭和35年に筑後川上流に下筌ダムと松原ダムの治水ダムを着手するが、地権者の一人室原知幸氏がダム建設事業に対し抵抗を重ねた。蜂の巣城闘争である。彼の死によって、室原家の家族と補償の和解が成立し、昭和48年に両ダムが完成した。

 高度経済成長期に、福岡都市圏は水需要が増大し、その対応のため、筑後川中流域の朝倉市を流れる小石原川に昭和50年江川ダム、佐田川に昭和52年寺内ダムが水資源開発公団(現・水資源機構)によって建設された。現在、久留米市小森野地区において福岡導水取水施設が竣工し、約2m3/sが福岡都市圏の水道水として送られている。平成期にはいり、うきは市を流れる隈上川に合所ダムが農水省によって完成、現在福岡県が管理している。平成22年には既に述べてきたように藤波ダムが福岡県によって完成した。さらに、筑後川上流赤石川に、大山ダムが平成25年3月水資源機構によって完成の予定で、既にダム本体のコンクリート打設が完了した。

 このように筑後川は、昭和28年6月の大水害を機にさまざまな河川改修が施工され、また、治水、利水に係わる水資源開発施設が建設され、変容をとげたことが理解できる。

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(2013年1月作成)
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(39)〜青森県のダム〔上〕(目屋、久吉、早瀬野、二庄内)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(40)〜青森県のダム〔中〕(浅瀬石川、浪岡、小泊、下湯)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(41)〜青森県のダム〔下〕(浅虫、川内、天間、世増)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(42)〜山形県のダム〔上〕(白川、長井、前川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(43)〜山形県のダム〔中〕(蔵王、寒河江、白水川、新鶴子、神室、田沢川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(44)〜山形県のダム〔下〕(月光川、荒沢、月山、温海川、横川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(45)〜千葉県のダム〔上〕(山倉、高滝、亀山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(46)〜千葉県のダム〔中〕(片倉、郡、矢那川、保台、山内)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(47)〜千葉県のダム〔下〕(印旛沼開発、利根川河口堰、東金、長柄)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(48)〜ダムの事典、ダムの紀行〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(49)〜ダムの切手、ダムの話、緑のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(50)〜ダムの景観〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(51)〜ダム湖の生態〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(52)〜ダムの堆砂〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(53)〜茨城県のダム(飯田・花貫・小山・緒川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(54)〜矢作川のダム(矢作・雨山・木瀬)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(55)〜埼玉県荒川のダム (上)(二瀬・有間)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(56)〜埼玉県荒川のダム (下)(浦山・合角・滝沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(57)〜長崎県のダム (上)(本河内高部/低部・土師野尾・萱瀬再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(58)〜長崎県のダム (下)(相当・川谷・下の原再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(59)〜熊本県のダム (上)(竜門ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(60)〜熊本県のダム (下)(石打・上津浦・緑川・市房)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(61)〜鬼怒川のダム (上)(五十里・川俣)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(62)〜鬼怒川のダム (下)(川治・鬼怒川上流ダム群連携・三河沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(65)〜長野県・味噌川ダム 〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(66)〜飛騨川のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(68)〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
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 (古賀 邦雄)
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