これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
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◇ 1. 飛騨川を辿る
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飛騨川の源は、乗鞍岳の東南麓野麦峠(標高1,672m)に発し、南西に流れ、わが国の耕作居住限界といわれる大野郡高根村野麦に入る。そして下流の阿多野郷を過ぎて、御岳連山の北峰継子岳の水を集めて、南東からの布川と合する。飛騨川はこの合流点から流れを北西に変えて、約1.5qで高根第一ダムに達する。野麦峠から高根第一ダムまでの間は、標高1,000mを越える高山地帯で、険しい古生層の山腹が連なっている。流路には巨岩転石が点在し、急流が段流となって渓谷美をなしている。高根第一ダム地点付近はかつては、人跡稀な渓谷であったが、今日では湛水によってその姿を没してしまった。しかし高さ133mのアーチダムの天端から直下流を見下ろすと、両岸の絶壁に目がくらんで、思わず体が引き込まれる思いがする。高根第一発電所は、この渓谷の左岸髭多山の山中に設けられた最上流の地下式揚水発電所で、ダムとともに飛騨川一貫開発計画の基となっている。
このダムで堰上げられた高根乗鞍湖は、満水位1,080mの深い山あいにある人造湖で、周囲の山々との調和もよく、新しい景勝地として、春から秋にかけての行楽も年毎に盛んになってきた。
高根第一ダムを過ぎると、村の中心地上ケ洞付近にて流れは西に転じ、高根第二ダムに到達する。 この間約3q、昔は両岸とも切り立った古生層の岩壁も多かったが、現在は第二ダムの湛水池となり、常に満々と水を蓄えている。
飛騨川は高根第二ダムから9.5q下ると、朝日ダムに至る。高さ87mの朝日ダムは、秋神川の高さ74mの秋神ダムとともに、飛騨川における近代的ハイダムの始まりで、飛騨川の水力開発に新風を吹き込み、さらに下流の既設発電所の増強を誘発して、飛騨川一貫開発計画の糸口になった。 この両ダムの建設によって、秋神川の小瀬ヶ洞では66戸が移転した。
朝日ダムからの水は約2.5q下流にある久々野ダムの湛水池に直接流入し、ダムをへて黒川に至る。さらに下り高山線と国道41号線に挟まれながら流れ、引下ダムに達する。このダムは昭和5年、当時の関西電力が下流の瀬戸発電所に引き続いて開発した小坂発電所の取水ダムである。
飛騨川は引下ダムから川幅を再び狭めて、幾度かの紆余曲折を重ねながら、ほぼ南下すること約28q、途中大野・益田郡界を経て小坂町の街中に入り、御岳山に連なる山々から流れ出る濁河・大洞の各渓流を集めて、小坂川と合流する。さらに南西に流れ約1.5qで東上田ダムに達する。そして広い洪積地帯の萩原町を縦断し、下呂町に入る。この間に瀬戸第一ダムを経由するが、このダムは大正13年、当時の日本電力によって、飛騨川筋に初めて設けられた発電用のダムである。
下呂町に入った飛騨川は温泉街を縦断し、帯雲橋を通過して大渕に至る。この地は飛騨川で有数な景勝地である中山七里といわれている。中山七里の中程よりやや下流よりのところに益田・加茂の郡界があって飛騨川はここから美濃地方に入る。昭和14年の電力国家管理以前は、日本電力と東邦電力の水利権の境界はここであった。この郡界の直下流には、東邦電力が築造した下原ダムがあり、また馬瀬川合流点の直下流には、東邦電力系岐阜電力の大船渡ダムがある。
金山町金山の東端で馬瀬村を縦断して南下してくる支流馬瀬川を合流し、本来の飛騨川となる。というのは、昭和39年に施行された河川法で源流部から下流までを一貫して飛騨川と呼ぶようになったことによる。それまでは馬瀬川合流点までの上流部を益田川、下流木曽川の合流点までを飛騨川と区別していた。後述するが、馬瀬川には、昭和51年多目的ハイダム岩屋ダムが築造された。
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飛騨川は馬瀬川の合流点から約2q流下して七宗ダムに達する。この七宗ダムは先の瀬戸第一ダムに遅れること一年、大正14年に当時の東邦電力系の岐阜電力が飛騨川で初めて手がけたダムである。七宗ダムを流下し、河岐に至って東から流入する白川を併合し、途中新津にて東邦電力の名倉ダムを見ることができる。さらに白川を合わせた飛騨川は、約2qで上麻生ダムに達する。このダムは七宗ダムに引き続いて、大正15年に岐阜電力が築造した。流路は上麻生ダムから約1q左岸に白塔が見えてくる。これは天心白菊之塔で、昭和43年8月18日未明の、飛騨川バス転落事故の犠牲者104名の霊を悼む慰霊碑である。そして天然記念物として名高い甌穴地帯を過ぎて、上麻生発電所を左にしてくる神渕川を合流し、やがて川辺ダムに流入する。昭和12年このダムが湛水の際、22戸が移転したが、これが飛騨川最初の水没移転であった。川辺ダムを越えた飛騨川は、副堰堤を経て今渡ダムの貯水池に流入し、約4qにして、木曽川本流と合流点に達する。野麦峠に源を発した飛騨川は、136.8qに及ぶ行程を終え、木曽川の流れに変わって伊勢湾に注ぐ。その流域面積は2,167.1km2に及ぶ。
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『飛騨川−流域の文化と電力』 |
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このように飛騨川を追ってみると、急峻な流れは、水力発電用ダムの築造には、最適なところであったために、大正期から多くダムが建設されてきたことが分かる。以上、飛騨川の流れについては、中部電力(株)編・発行『飛騨川−流域の文化と電力』(昭和54年)に拠った。
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◇ 2. 飛騨川ダムの歌
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飛騨川を逆に下流から上流に向かって、流路延長136.8qを遡ってダムの足跡を見てみたい。前述のダムと重複するが、服部勇次著『ダムと水の歌102曲集−ダム湖碑を訪ねて−』(服部勇次音楽研究所・昭和62年)から、次のように、「飛騨川ダムの歌」を紹介してみる。それは飛騨川流域におけるダムと歴史と文化を垣間見ることができるからだ。
飛騨川ダムの歌 作詞・作曲 服部勇次
1. 木曽川水系 飛騨川は 急流続いて 清く澄み 堤は高く 空にのび 高く見えるよ 川辺ダム
2. 観光バスを のみこんだ 飛騨川渓谷 緑濃く 白菊の塔 美しく 上麻生ダムは 流れ止め
3. 茶畑続く 一面に 桜のつぼみ ふくらんで しぶきは飛ぶよ 空高く 虹を描くは 名倉ダム
4. ちょっと寄り道 山奥へ 高蔵神社の 舞い踊り 町は総出の 春祭り 佐見川ダムは 滝のよう
5. 四十一号 七曲がり 山が迫るよ 七宗町 高山本線 川向こう 七宗ダムは 歴史あり
6. 飛騨の宿場と 栄え来て 活気あふれる 金山町 名所旧跡 数多い 大船渡ダム 水豊か
7. 桜祭りの その中で みこしを担ぐ 子供たち 流れは清く すみわたり 下原ダムは 花吹雪
8. 川は流れて 南北に 水路の水は むだもなく 馬瀬川第一 第二とも トンネルくぐって 飛騨川へ
9. 愛知三重県 岐阜県に 豊かな水を 送り込む 忘れてはならぬ 慰霊塔 岩屋ダム湖に 立っている
10. 遠方制御 役目あり 昼夜を問わず コントロール 故障だそれ行け 出動だ 東上田の ダム高し
11. 水冷式の 新採用 建物小粒で コンパクト 岩屋ダムへは トンネルで 中呂は発電 ダムは無し
12. 春でも雪に 見舞われて 氷つくような ダムサイト 御岳山に ほど近い 小坂川ダム 雪景色
13. 国道沿いに 見えるのは 桜並木の 丘の上 アマゴにアユが よく釣れる 毎日発電 小坂ダム
14. 管理事務所は 川向こう 大声出しても とどかない それもそのはず 人は無し 久々野ダムは 制御受け
15. トンネル出ると えん堤で 現場に散った 二十七名 忘れてならぬ 殉職者 光り輝く 朝日ダム
16. 飛騨川それて 奥地へと 進む道幅 狭くなり うぐいす鳴いて 雪解けて 秋神ダムに 春来たる
17. 奥飛騨漂う 山の道 ダム湖に氷 張りつめて 水没記念碑 境内に 高根第二の ダム静か
18. 乗鞍岳と 背くらべ 高いよ高い アーチ式 滝のごとくに しぶき飛ぶ 高根第一 ダム見事
この歌のように、飛騨川のダム群を辿ってみると、四季おりおりの風景美や祭り、そしてダム建設時点における状況が見えてくる。ダムもまた人間と同様に、喜怒哀楽の感情を持っているようだ。
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(1) 明治・大正期
明治43年 台風による飛騨川・馬瀬川洪水 第一次治水計画策定 第一次水力調査開始 大正3年 台風により飛騨川洪水 飛騨川筋初の小坂発電所運用開始 6年 大渕発電所運用開始 7年 加子母発電所運用開始 第二次水力調査開始 8年 久野川発電所運用開始 日本電力設立 9年 飛騨川洪水 神渕川発電所運用開始 和良川発電所運用開始 関西電力設立 10年 大同電力設立 12年 黒川発電所運用開始 14年 七宗ダム(飛騨川)の完成(中部電力) G P 6.6m 119万m3 15年 上麻生ダム(飛騨川)の完成(中部電力) G P 13.1m 23万m3 細尾谷ダム(細尾谷)の完成(中部電力) G P 22.4m 7.1万m3
(2) 昭和初期(昭和元年〜20年)
昭和4年 大船渡ダム(飛騨川)の完成(中部電力) G P 13m 166万m3 5年 小坂発電所運用開始 7年 飛騨川洪水 9年 高山線全線開通 11年 名倉ダム(飛騨川)の完成(中部電力) G P 13.5m − 川辺ダム(飛騨川)の完成(中部電力) G P 27m 1,429.2万m3 12年 第三次水力調査開始 13年 電力管理法公布 下原ダム(飛騨川)の完成(中部電力) G P 23.9m 293.6万m3 西村ダム(馬瀬川)のダム(中部電力) G P 19.5m 27.6万m3 14年 今渡ダム(飛騨川・木曽川)の完成(関西電力) G P 34m 947万m3 日本発送電設立 20年 太平洋戦争終結
(3) 昭和中期(21年〜40年)
昭和26年 九配電解散、九電力設立 中部電力設立 瀬戸第一、第二、小坂発電所、関西電力より中部電力へ帰属 28年 朝日ダム(飛騨川)の完成(中部電力) G P 87m 2,551.3万m3 秋神ダム(秋神川)の完成(中部電力) G P 74m 1,758.4万m3 29年 東上田ダム(飛騨川)の完成(中部電力) G P 18m 106.5万m3 30年 森山、米田、川辺用水の竣工 31年 第四次水力調査開始 34年 伊勢湾台風 37年 久々野ダム(飛騨川)の完成(中部電力) G P 26.7m 124.7万m3 水資源開発公団発足 39年 河川法公布
(4) 昭和後期(昭和41年〜63年)
昭和43年 飛騨川観光バス転落事故104名死亡 高根第二ダム(飛騨川)の完成(中部電力) HG P 69m 1,192.7万m3 44年 高根第一ダム(飛騨川)の完成(中部電力) A P 133m 4,356.8万m3 木曽川総合用水事業、水資源開発公団に承継 47年 白川導水路竣工 49年 白川取水口竣工 50年 久々野防災ダム(無数河川)の完成(岐阜県) E F 28m 146.2万m3 加子母防災ダム(加子母川)の完成(岐阜県) G F 35.6m 73.3万m3 51年 岩屋ダム(馬瀬川)の完成(中部電力・水資源機構) R FAIWP 127.5m 17,350万m3 馬瀬川第2ダム(馬瀬川)の完成(中部電力) G P 44.5m 973.6万m3 53年 蜂屋ダム(木曽川用水)の完成(水資源機構) E A 30m 63.1万m3 55年 第五次水力調査開始 57年 新七宗発電所運用開始 58年 長野西部地震 木曽川総合用水事業の完了 62年 新上麻生発電所運用開始
(5) 平成期
平成10年 大ヶ洞ダム(大ヶ洞川)の完成(岐阜県) G FNW 42.5m 45万m3
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◇ 4. 水力発電ダム群・七宗ダムなど
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飛騨川におけるダムは、発電用ダムの建設の歴史であるといっても過言ではない。大正期の大容量発電の開発に七宗ダム、上麻生ダムの建設、昭和元年〜昭和15年の不況と電力統合下における水力開発に大船渡ダム、名倉ダム、川辺ダム、瀬戸第二ダム、下原ダムの建設、昭和16年〜昭和30年の戦時体制化、戦後復興期に朝日ダム、東上田ダムの建設、昭和31年〜昭和45年の大規模貯水池式発電所の開発に小坂ダム、高根第一ダム、高根第二ダムの建設、昭和46年〜昭和60年の揚水発電所を主体とした水力開発に中呂ダム、岩屋ダム、馬瀬川第二ダム、新七宗ダム、新上麻生ダムの建設がなされた。
入江士編『飛騨川水力開発史』(東邦電力(株)・昭和14年)をひらくと、昭和15年までに建設された下原発電所、金山発電所、七宗発電所、名倉発電所、上麻生発電所、川辺発電所、今渡発電所の経過が写真とダム図で記載されている。その中から、七宗ダムをとりあげてみたい。
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七宗ダムの型式は可動堤を有する溢流型直線式重力堰堤で、高さ8.6m、堤頂長109.85m、可動堤ローリングゲート2門、角落とし12門、可動堤捲揚場主働25馬力電動捲場機2台、予備ガソリンエンジン25馬力1台からなり、ダム水路式で最大出力6,150kW、使用水量50m3/s、有効落差15.57mである。
この書で東邦電力(株)社長松永安左衛門は、飛騨川における水力開発について、次のように述べている。 「大正10年末予が名古屋に来りたる時、最も痛感せるは此電源開発なり。幸いに我社重役の一名たる岡本太右衛門の尽力に依り、当時藤原銀次郎氏一派の所握にかかる飛騨川筋水利権を当時洋行中の藤原氏と交渉し、百難を排して交渉を成立せしめ、此水利権は遂に東邦の手中に入るに至れり。」また、「然るに飛騨川は木曽川に比し落差甚だ少なく、採算上幾多の難関ありしのみならず、着工せし七宗発電所は工事中導水管の破裂等あり、士気振るわざる感ありしも、此第一期の失敗は却って後を戒め、計画陣容を新たにして、更に前進するの気魄を育成し、遂に今日の成功を見るに至れり。」とある。飛騨川の水力開発における黎明期の一端を知ることができる。
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『飛騨川水力開発史』 |
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◇ 5. 岩屋ダム(馬瀬川)の建設
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岩屋ダム(東仙峡金山湖)は、木曽川の中流岐阜県美濃加茂市で、合流する飛騨川の上流支流、馬瀬川に建設された多目的ダムであり、木曽川河口から約140q上流に位置する。馬瀬川は、岩屋ダムがある岐阜県下呂市金山町卯野原及び乙原地点からおよそ50q上流の竜ヶ峰、川上岳を源とし、南流して弓掛川と合流後、岩屋ダムを過ぎ、和良川を合わせ、下呂市金山町で飛騨川に合流する流路延長約70qの一級河川である。
昭和51年に完成した岩屋ダムについては、水資源開発公団・中部電力(株)編・発行『岩屋ダム工事誌』(昭和53年)、中部地方建設局編・発行『岩屋ダム実施方針資料』(昭和46年)、水資源開発公団・中部電力(株)・政治経済研究所編・発行『岩屋ダム建設に伴う水没移住者の生活再建実態調査報告書』(昭和51年)が刊行されており、これらの書より岩屋ダムの建設に関し、次のように追ってみたい。
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『岩屋ダム工事誌』 |
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『岩屋ダム建設に伴う水没移住者の生活再建実態調査報告書』 |
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岩屋ダム事業は、木曽川水系の洪水調節の一翼を担うなど総合開発事業である。昭和44年12月に建設省(現・国土交通省)より水資源開発公団(現・水資源機構)が事業を承継、ダム工事は中部電力(株)に委託して施行し、昭和51年に完成、昭和52年度から水資源機構が管理を行っている。
岩屋ダムは、洪水調節、農業用水、水道用水、工業用水、発電の5つの目的をもっている。
@ 洪水調節 木曽川の洪水調節は、基準地点犬山における基本高水流量16,000m3/sのうち、3,500m3/sを岩屋ダム、阿木川ダム、味噌川ダムなどの上流ダム群により調節を行う。岩屋ダムでは、ダム地点において計画高水流量2,400m3/sのうち、2,100m3/sを行い、そのため、岩屋ダムでは、年間を通じてダム貯水位を満水位より13m下げておき、ダムの総貯水容量の約30%に相当する5,000万m3を洪水調節のために確保している。
A 新規利水の供給 岩屋ダムにより、最大45.69m3/sの水が新たに生み出された。その水は、農業用水として岐阜県に6.13m3/s、水道用水として愛知県に7.22m3/s、岐阜県に1.77m3、三重県に1.0m3/s、名古屋市に11.94m3/s、さらに工業用水として愛知県に6.30m3/s、岐阜県に4.33m3/s、三重県に7.0m3/sとそれぞれ供給されている。
B 発電 ダム右岸側の地下にある中部電力(株)馬瀬川第1発電所(揚水式最大使用水量335m3/s)及び岩屋ダム下流の馬瀬川第2発電所(最大使用水量113m3/s)において、それぞれ最大出力288,000kW及び66,400kWの発電を行う。
SyosiP0905m07A.jpg
岩屋ダムの諸元をみてみると、堤高127.5m、堤頂長366m、堤体積578万m3、総貯水容量17,350万m3、有効貯水容量15,000万m3、型式は傾斜土質遮水壁型ロックフィルダムで、起業者は水資源機構と中部電力(株)、施工者は熊谷組、事業費は361.01億円を要した。費用割振は治水31.56%、農業用水0.67%、水道用水12.42%、工業用水13.68%、発電41.67%である。主なる補償は土地取得面積442.6ha、水没世帯157、公共補償として教育施設、消防施設、対岸道路、漁業補償をおこなった。このような山積する幾多の困難な補償問題を乗り越えて着工となり、調査時から着工までに10ヵ年を要している。
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岩屋ダムの諸元をみてみると、堤高127.5m、堤頂長366m、堤体積578万m3、総貯水容量17,350万m3、有効貯水容量15,000万m3、型式は傾斜土質遮水壁型ロックフィルダムで、起業者は水資源機構と中部電力(株)、施工者は熊谷組、事業費は361.01億円を要した。費用割振は治水31.56%、農業用水0.67%、水道用水12.42%、工業用水13.68%、発電41.67%である。主なる補償は土地取得面積442.6ha、水没世帯157、公共補償として教育施設、消防施設、対岸道路、漁業補償をおこなった。このような山積する幾多の困難な補償問題を乗り越えて着工となり、調査時から着工までに10ヵ年を要している。
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ダム工事の特徴について、ダムサイトに存在する破砕帯がダム中心線上を上下流に横切る方向にあるため、特に浸透水に対するグラウト等防止策に留意したこと、朝日ダムにおいて濁水問題が生じ、そのため選択取水設備を設置したこと。また、原石山、土質材料、半透水性材料、骨材における採取場として、膨大な盛立てのための土石量を要したこと、地震の安全率は1.2を確保していることなどが挙げられる。岩屋ダムでは完成後、貯水池保全事業として、平成2年に、馬瀬川貯砂ダム(高さ10m、堤頂長88.1m、貯砂容量17万m3)、平成9年に、弓掛川貯砂ダム(高さ9.5m、堤頂長82m、貯砂容量7.9万m3)が竣工した。
前述のように岩屋ダムの目的は、愛知、岐阜、三重、そして名古屋市の三県一市に農業用水、水道用水、工業用水を供給し、発電を行い、さらに木曽川水系の治水の役割を持っている。その意味で、岩屋ダムは飛騨川におけるカナメのダムである。
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◇ 6. 飛騨川のダムのまとめ
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平成21年3月現在、飛騨川におけるダム建設は、大正期以降21基に及ぶが、次のようにまとめてみた。
@ ダム完成時代区分は、大正期3基、昭和初期6基、昭和中期4基、昭和後期7基、平成期1基となっている。 A ダムの型式は、アースダム2基、アーチダム1基、重力式コンクリートダム16基、ロックフィルダム1基、中空重力式コンクリートダム1基である。 B ダムの用途では、洪水調節ダム2基、農業用ダム1基、水力発電ダム16基、多目的ダム2基であり、水力発電ダムが約80%を占める。 C ダム事業者は、岐阜県3基、水資源機構1基、水資源機構及び中部電力(株)1基、中部電力(株)15基、関西電力(株)1基である。 D ダムの堤高は、6.6m〜30m13基、31m〜50m3基、51m〜100m3基、101m〜150m2基となっている。 堤高ベスト3は、 1. 高根第一ダム 133m 2. 岩屋ダム 127.5m 3. 朝日ダム 87mである。 E ダムの総貯水容量は、7.1万m3〜100万m37基、101万m3〜500万m36基、501万m3〜1,000万m32基、1,001万m3〜3,000万m34基、3,001万m3〜5,000万m31基、5,001万m3以上1基となっている。 総貯水容量のベスト3は、 1. 岩屋ダム 17,350万m3 2. 高根第一ダム 4,356.8万m3 3. 朝日ダム 2,551.3万m3である。 F 飛騨川のダム建設については、大正期から高低差を利用して多くの水力発電のダムが建設されてきた。高度経済成長期には、高根第一ダム、高根第二ダムなどにみられる揚水式ダムが建設された。これらのダムとともに、さらに昭和51年岩屋ダムの完成によって、飛騨川総合開発事業がなされ、その治水と利水の運用は愛知県、岐阜県、三重県の広域における社会的、経済的、文化的な発展に寄与し続けている。
(参考文献) @ 水力技術百年史編纂委員会編『水力技術百年史』(電力土木技術協会・平成4年) A 工藤宏規編『日本の理論包蔵水力』(東洋経済新報社・昭和33年) B 日本動力協会編『日本の発電所(中部日本編)』(工業調査協会・昭和12年) C 水資源開発公団・愛知県・海部土地改良区編・発行『木曽川用水史』(昭和63年) D 木曽川文化研究会編『木曽川は語る−川と人の関係史』(風媒社・平成16年) E 吉村朝之著『源流をたずねてU−飛騨川水系、九頭竜川水系』(平成13年)
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[関連ダム]
岩屋ダム
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(2010年8月作成)
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[テ] ダムの書誌あれこれ(33)〜庄川・常願寺川・小矢部川のダム(庄川合口・小牧・御母衣・有峰・刀利)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(34)〜愛媛県のダム(大谷池・黒瀬・台・石手川・鹿野川・野村)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(35)〜宮崎県のダム〔上〕(轟・上椎葉・一ツ瀬・杉安)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(36)〜宮崎県のダム〔下〕(川原・沖田・田代八重・瓜田・広渡・日南)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(37)〜高知県のダム〔上〕(永瀬、大森川、穴内川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(38)〜高知県のダム〔下〕(鎌井谷、大渡、桐見、中筋川、坂本)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(39)〜青森県のダム〔上〕(目屋、久吉、早瀬野、二庄内)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(40)〜青森県のダム〔中〕(浅瀬石川、浪岡、小泊、下湯)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(41)〜青森県のダム〔下〕(浅虫、川内、天間、世増)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(42)〜山形県のダム〔上〕(白川、長井、前川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(43)〜山形県のダム〔中〕(蔵王、寒河江、白水川、新鶴子、神室、田沢川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(44)〜山形県のダム〔下〕(月光川、荒沢、月山、温海川、横川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(45)〜千葉県のダム〔上〕(山倉、高滝、亀山)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(46)〜千葉県のダム〔中〕(片倉、郡、矢那川、保台、山内)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(47)〜千葉県のダム〔下〕(印旛沼開発、利根川河口堰、東金、長柄)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(48)〜ダムの事典、ダムの紀行〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(49)〜ダムの切手、ダムの話、緑のダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(50)〜ダムの景観〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(51)〜ダム湖の生態〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(52)〜ダムの堆砂〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(53)〜茨城県のダム(飯田・花貫・小山・緒川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(54)〜矢作川のダム(矢作・雨山・木瀬)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(55)〜埼玉県荒川のダム (上)(二瀬・有間)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(56)〜埼玉県荒川のダム (下)(浦山・合角・滝沢)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(57)〜長崎県のダム (上)(本河内高部/低部・土師野尾・萱瀬再開発)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(58)〜長崎県のダム (下)(相当・川谷・下の原再開発)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(59)〜熊本県のダム (上)(竜門ダム)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(60)〜熊本県のダム (下)(石打・上津浦・緑川・市房)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(61)〜鬼怒川のダム (上)(五十里・川俣)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(62)〜鬼怒川のダム (下)(川治・鬼怒川上流ダム群連携・三河沢)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(65)〜長野県・味噌川ダム 〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(68)〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
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(古賀 邦雄)
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