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ダムインタビュー(79)
藤野陽三先生に聞く
「無駄と余裕は紙一重,必要な無駄を持つことで,社会として余裕が生まれると思います」


 藤野陽三(ふじの ようぞう)先生は,主に長大橋梁分野をご専門とされ,土木工学とくに橋梁に関する研究で我が国を代表する研究者です。1972年東京大学工学部土木工学科を卒業後,同大学院へ進学。修士課程の中途でカナダのオンタリオ州にあるウォータールー大学大学院の博士課程に留学してPh.Dを取得されています。その後,博士研究員として半年間勤められてから帰国。東京大学地震研究所助手を振り出しに筑波大学構造工学系助手,同講師とキャリアアップされました。1982年には東京大学工学部土木工学科の助教授となり,1990年には教授に就任されています。その後は,2014年に退官されるまで東京大学土木工学科において多くの学生の指導にあたって来られました。


その間には,文部科学省科学官,日本学術会議連携会員,日本学術振興会主任研究員等も歴任。我が国の工学全般について詳しい専門家としてもご活躍されてきました。2013年からは内閣府の政策統括官付の政策参与として総合科学技術会議,戦略的イノベーションプログラム(SIP)「インフラの維持管理・更新・マネジメント技術」プログラムディレクターを務められておられます。また2014年からは横浜国立大学先端科学高等研究院上席特別教授に着任されており,現在も学生や院生を指導されています。

 今回は,およそ850兆円とされる我が国のインフラ資産をいかに維持管理していくか,今後の展望を伺うと共に,これからの土木の担い手である若手技術者の進路を照らすヒントとなるお言葉を伺います。

(インタビュー:中野 朱美 文・編集:事務局 写真:廣池  透)

土木の世界へ進んだきっかけ

中野: ご経歴から伺ってまいります。土木工学を目指されたのはどういう理由からでしょうか?

藤野: 僕自身は地球物理学をやろうと思っていて,エンジニアだった兄に話したら,親父が理学出身,物理だから食えない,おまえは将来食えるところに行けというので,それで一番地球物理学に近い工学は何かと考えたら,私には土木工学でした。

中野: やりたかった地球物理学というのは,どういうものなのでしょうか。

藤野: 地球内部やまわりで起こる物理現象を勉強するのです。結果的には,土木工学科に進学したのですが,勉強としては地震のことをやりたかった。東大に入学してすぐに,1968年十勝沖地震があって津波が来て,鉄筋コンクリートの建物に大きな被害が出ました。そういうことも影響しているかと思います。

中野: それで地震に興味をもたれたのですね。

地球物理学に近い研究室へ

藤野: 東大地震研究所長も務めた有名な地球物理学の坪井忠二先生が,1967年に岩波新書から「新・地震の話」を刊行されておられますが,その本を読むと,地震のからくりが非常にクリアに書いてあって,それで地震のことをやりたいと思ったわけです。私の父が寺田寅彦の末弟子であったこともあり,先生の書き物を読んで何となく地震や防災に関心もありました。4年生で卒業論文の研究室を選ぶことになった時,ダム研究室はありませんでしたが,交通とかコンクリートとか橋梁とかの研究室はありました。


坪井忠二著「新・地震の話」

ただ,そういう研究室に行くと一生,橋梁とか,河川をやることになり固定されるようで嫌だったので,それなら,先生も非常に魅力的で,少し横に広く,地震と災害を研究できればと思って地震研究所地震工学部門伯野研究室に進みました。卒論だけでなく修士にも進みましたので地球物理学に近い伯野研究室で過ごすという僕の夢は叶いました。

中野: なるほど,土木では新しい分野ですね。当時は大学紛争があって,余り学校には行けなかったのでは。

藤野: そうそう。地震研究室が紛争で大学の中に入れなくて,論文を書き上げるまでに,伯野先生とは喫茶店で5回ぐらいしか会わなかったのです。

中野: そんなに厳しい状況だったのですね。

藤野: 紛争で東大地震研がつぶれるかもしれないという話も出ていたころ,伊藤學先生から「誰かカナダに留学したい人はいませんか?」という話があったので,修士2年の時に,修士論文の研究を早めに仕上げて,1973年8月にカナダに留学したのです。
海外留学で得たもの

中野: カナダのウォータールー大学に留学されて博士号を受けられたのはどういう経緯でしたか?

藤野: MITとかUCバークレーなど他に有名な大学もありますが,ウォータールー大学は奨学金をくれるというので選んだわけです。特に有名大学に行きたいわけではなく外国で何か違うものを身につけたかった。ただ良い先生にはつきたいとは思いましたね。ウォータールー大学の名前としては日本では余り知られていませんが,指導教官の先生は業績のある先生だと聞いていました。

中野: 海外の大学生活というのはどうでしたか。環境面とか?

藤野: 僕は生まれも育ちも東京で,家を離れて暮らすのは初めての経験でしたが,あまりホームシックにもならず済みました。数ヵ月で慣れましたが,一人で暮らすというのはいろんなことを全部自分で片づけなきゃいけないから大変でした。お金がないので自炊して,洗濯も掃除も自分で…3年半の留学生活は非常にいい経験だったと思います。


フラットな研究室を

中野: そうなんですね。日本の大学との違いはありましたか。

藤野: カナダに行って感じたことは,日本の大学の研究室は縦割り社会で,学生は自分の先生をみて育つのですが,逆に言うとその先生しかみてないという感じがあります。序列がはっきりしていて,他の研究室の学生ともつき合わないし,フラットさがないという雰囲気です。僕は昔からフラットさが好きだったから,カナダの方が性に合っていると思いました。最もいろいろなことを教えていただいて,議論をしたのは指導教員ではない先生でした。

中野: なるほど,海外の自由な雰囲気の方が良いということですね。

藤野: 自分の研究室を作るのもフラットな感じでやりたいと思っていました。オープンな感じでね。縦割り社会というのは日本の良い面でもありますが,やはり悪い面も大きいのです。

中野: 縦割りの度合いが大きくて,そこだけの社会になってしまうより,もっとグローバルにいろんな分野の人と交流するということですね。

藤野: そうですね。いろんな人と議論して,いろんな考えを取り入れてやった方が,自分自身も成長するのではないかと思いました。

中野: そういう考え方は昔から持っておられたのですね。

藤野: 留学して特にそういう考え方が強まったのですが,昔から自分の中の気持ちとしてはあったかも知れませんね。卒論研究を選ぶ時から,このまま縦社会に入るのかと思ったら,何か気が進まないと。河川研究室やコンクリート研究室だと,どうやら一生,国分先生を崇め奉って育っていかなければというのは嫌だったからですね。もちろん,国分先生は立派な先生であることは間違いないことではありますが。

中野: コンクリートといえば国分先生という風潮もありますからね。それで,ウォータールー大学で博士号を取得されて,東大に戻られたのですか。

藤野: 東大地震研究所で助手を勤めましたが,1年で出て,それから新設の筑波大学構造工学系へ4年間行って,その後,自分の出身研究室ではないけど,結果的に東大橋梁研究室に行くことになったのです。

大学人としての使命について

中野: およそ30年,東大で学生の指導にあたられたのですね。

藤野: 東大には助教授で入ったのです。今でいう准教授ですね。

中野: 着任された時に留学生特別コースというのが始まったということですが,その特別コースというのは,東大特有のものだったのですか。

藤野: 当時,応用力学が専門の西野文雄先生が,「中をオープンに」ということで,優秀な留学生を大学院で受け入れ教育して世界へ送り出す,東大土木教室の国際化を考えておられました。それは,1. 事前に書類選考(日本での筆記試験を免除),2. 文部省から奨学金が給付(中曽根内閣の留学生10万人計画),3. 英語による教育研究指導,という3つの国際基準でした。昔から留学生はいましたが,日本語で授業をするのでほとんど中国か韓国から来ている人ばかりでした。英語で講義をすれば,英語が母国語のイギリスだけでなくフランスなどからも留学生が来るだろうと,優秀な学生に来て欲しいという留学生特別コースが始まったのが,ちょうど僕が東大に着任した1982年でした。


講義はすべて英語で

中野: 助教授として着任されて留学生の授業を持つようになったということですね。留学生は日本語が出来ない状態で来日するわけですが,日本語対策はありましたか?

藤野: 日本語が出来ないから英語で教育する。もちろん日常使う日本語も教えますよ。だけど講義は基本的に全部英語でやります。

中野: その中に日本の学生も入って一緒に講義を受けるのですか?土木系の学生に対して,指導者としては,こういう学生になって欲しいというような理想像を描いておられましたか?

藤野: そうですね。だから,日本人の学生にとってはちょっと辛い訳です。日本の大学でありながら,講義の始まりから終わりまで全部英語ですから,日本人学生にとっては確かに辛いと言えば辛いけれど,これからの時代はむしろそうあるべきということです。英語でのコミュニケーションを苦にしていたら,とても国際的な展開は出来ない。今は,企業でも皆さん,そう言っていますが,それを30年前から僕らは先取りしてやっていたのです。国際化というと,普通は日本からどこか海外に出かけて行って何かをやるみたいな,そういう感覚がありましたが,それは日本の感覚を持ち出しているだけで,真のグローバルな解決法ではないなと思っています。

中野: 確かにそうですね。

藤野: 企業だと国際部門の中だけがグローバル。そうではなくて,会社の中を全部国際化するということが大事なので,大学の中でも講義を全て英語にしました。結果として,本当に優秀な留学生が来てくれました。

中野: 日本人学生もお互い刺激があるから伸びますね。

藤野: それに1980年代は,日本はいい時代で土木の分野でも非常にいいプロジェクトが多かった。


中野: 好景気を背景に,盛りだくさんの大型のプロジェクトがありましたね。


○は藤野先生の奥様(篤子氏)。日本語を教えていた
藤野: 海外でも日本が「ジャパン・イズ・ナンバーワン」と言われた頃です。世界的にも日本が特に輝いて見えていた時期で,そこへ行って勉強するというのは留学生にとってはビッグチャンスだと思えたのでしょう。

留学生が学び易い環境の研究室

中野: 留学生はかなりいらっしゃったのですか。

藤野: 僕の研究室で学んだ留学生は30年間で100名近くはいると思います。

中野: それはすごいですね。留学生が来やすい環境にするのは日本語教室とか宿舎の手配とか,細かいこともお世話する人が必要ですが,それを先生の奥様方がされていたのですか?

藤野: 西野先生の奥様がやっておられて,僕の妻も日本語の教師の免許を持っていたのでちょっと参加してやらせて貰いました。部屋探しもしたし,日常会話に困るといけないから日本語教室もしました。そういったケアも含めて日本の研究室の良さはアットホームなところです。縦割りという悪い面もありますが,実際は,研究室が家族的な雰囲気もあるわけです。海外には研究室という概念がないのです。どういう事かと言うと,指導教員はいますが,それはビジネスの研究をする上での先輩であって,生活のことまで面倒みるという考え方はないのです。海外は,そういう意味では考え方もやっていることもドライです。それをするというのは日本の良さでもあるので,両方の良さを持ちたいというのが僕の希望でした。

中野: 東大土木が土木工学分野で世界大学ランキングで2位だったというのはすごいですね。そういう輝かしい時代を作って来られたのですね。

藤野: 今は少し落ちてしまいましたが,西野文雄先生の偉いところは,世界のトップになるためとにかく土木だけでもやろうという意志があったことです。ある意味では大学の中で浮いていたかもしれない。他の先生はそんなことをやろうと思わなかったので,考え方としては非常に先鋭的でした。コンクリートの岡村甫先生も熱心でしたね。

今後の留学生について

中野: 土木,インフラというものを学生にどのように教え,指導されて来られたのですか?教えていく中で,一番の肝になっていることは,どういうことでしょうか?今後どのようなことが問題になってきますか。

藤野: 日本が輝いて見えていた時代でしたからそんなに問題はなかったですが,むしろ今の方が問題はありますね。当時は,中国の清華大学やタイのチュラロンコーン大学の優秀な学生がたくさん来ました。彼らには日本が輝いて見えたし,英語で教育するから言葉のバリアもなかった。しかし時が経つに連れて,だんだん日本のプレゼンスが弱くなってきて,これからもっと日本の魅力度を上げて行かないと,優秀な留学生は他の国に取られてしまいます。

中野: 留学生にとっては今の日本は輝いて見えないのでしょうか。

藤野: むしろ,どうすればもっと輝いて見えるか,そういうことを考えて欲しいという気はあります。今や,タイやシンガポールでも海外から留学生を迎えようという時代です。いろんな国が,積極的に海外から留学生を受け入れるようになって,日本の競争相手が増えてきました。中国,韓国,他のアジアの国に追いつかれて来たのでしょう。もともとアメリカにはどんどん留学生が行く。アジアで余り受け入れていなかったから,日本はかつて土木に関しては非常に良かったけれど,他の競争相手が出てきたことに対して,我々が新しい手を打って来なかったということが問題ですね。

研究の展開について

中野: 土木工学科から離れ,総合試験所勤務時代のことをお聞きしたいのですが。

藤野: それは,僕が37歳の時ですね。東大工学部には総合試験所というところがあります。場所は本郷キャンパスの外の弥生キャンパスというところにあり,助教授だけの若い人が六,七人いて,いろいろな試験装置がある研究所みたいなところです。教授がいないので,割と自由で,それぞれ1つの研究室を任されます。一人ですべてのことをやるので,いろいろ苦労もします。しかし,自由というのはありがたくて,そういう意味では,自分自身の研究テーマもこのまま続けていって良いのか悪いのかいろいろ考える機会になります。結果的に,少し方向転換してみるよい機会になりました。

中野: いろんな分野の方々と関わり合ったというのが良い方向になりましたか。

藤野: 3年間いましたが,電気子,機械,原子力,計測,化学の先生ほか,いろんな人との交流は,学問のアプローチも違うし,手段・手法も違うので,彼らのやり方を学ぶよい機会となり,また,非常に参考になりました。例えば,機械には制御という分野があるのです。

中野: 物を制御する。コントロールすることですか?

藤野: そう。土木においてもそういう分野がこれからは大事だと思い始めて,それで構造制御という分野を確立しようと考えたのです。僕は振動が専門ですが,その振動をどうやって制御するかということは,新しい分野でしたので,それを一生懸命やって結果的に沢山の論文を書き,私の業績の1つになりました。

中野: 日本語での学会論文集での論文がおよそ200編,英文国際誌の論文がおよそ170編とのことですが,こうした数多くの論文は,他の研究者にも大きな影響を及ぼしており,マイクロソフト社が提供しているスカラーランキング(論文がどれだけ他の研究者に引用されたかをポイントにしてランク付けしたもの)によると,土木工学の分野で世界16位,アジア圏ではトップに位置付けられておられます。ご自身ではどのような思いで,論文を書き続けておられるのでしょうか?

藤野: 論文については自然発生的というか,多くの留学生がいましたから,一緒にやっていると英語で論文を書き国際誌に投稿します。彼らのキャリアにとっても論文を書くのは大事ですから。それらの論文が,沢山引用されたということです。

橋と風の実験室

中野: 留学生を指導された結果ですね。先生の橋梁研究室についてお聞かせ下さい。

藤野: 長い橋というのは風に弱いので,どれ位の風なら大丈夫かを考えるために実験をする訳です。東大には全径間風洞実験室という設備があったのでそこで長大橋の風洞実験をやっていました。本州四国連絡橋公団や首都高速道路公団から委託研究を頼まれ,いろんな橋と風の実験をしました。長大橋の全体挙動を知る上で大事な実務的研究ですが,これで世界の最前線の研究に伍してやっていけるかという不安がありました。もっと新しいことをやらなくてはいけないと思っていました。総合試験所の時にも刺激を受けてもっと自分は変わらなくてはいけないと。それがさきほど話しました構造制御という分野です。




中野: 留学経験と総合試験所は先生のターニングポイントになった訳ですね。

藤野: 新しいことに挑戦する価値は大きなものです。既存の分野のことだけをやっていると,自分の前に先輩はたくさんいますし,その後ろをただ追いかけてくっついていくということになりがちなのです。何か自分で新しい分野を切り開かなきゃいけないと思って,少し方向を変えました。大学の時に留学を経験して,世界から見ると日本はどうかということも知っていましたので,世界で闘える人間になりたかったので方向を変えたのです。そう思ったことは結果的に僕自身にとっては良かったのだと思います。
テーマは自分で見つけて 研究は自分でする

中野: これまで,いろんな人が先生の研究室に入ってこられたということですが,例えば,どんな人がいらっしゃったのですか。

藤野: 私の前の橋梁研究室の教授である伊藤學先生が定年で辞められる少し前に教室の先生方と相談して来ていただいたのが佐々木葉さん(現:早稲田大学教授)で,景観が専門でした。2年後に伊藤先生が辞められたあとに来ていただいたのが野村卓史先生でした。私は景観のことは素人でしたし,またどちらかというと実物の構造を扱う方なので,数学や物理を駆使して基礎的な風の流れを解く東京工大(当時)の野村卓史先生(現:日本大学教授)に来てもらって,その人たちとバラエティに富んだ研究室を始めたかったのです。そうしたら,景観に関心のある学生がたくさん来てくれました。流体に関心のある学生も来てくれました。新しい先生が来て新しい分野にチャレンジして新しい人を輩出していくのが一つの理想だと思いました。景観を希望してきた西村浩君は大学院も橋梁研究室に残りましたが,彼は「私は先生がやっている振動はやりたくありません、建築家になりたいので建築の講義と演習をとりたいです」と言ってきました。僕の研究なんかは手伝わないし修士論文も全然関係ないことをやった。それでも良いと思いました。彼には「おまえ、その道のトップになれよな」と言いました。そして,彼は今や若手の有望な建築家として名前を成しています。好きなことをやらせてやるというのも大学は非常に大事なところですね。東大の景観研究室の教授をしている中井祐君も卒論のときは橋梁研究室に来てくれました。

中野: 土木から建築へということですか。

藤野: 分野としては建築ですが,もともと土木だから橋梁設計もデザインもやります。今後,橋梁でもデザインは非常に大事です。学生にとって研究は何か魅力的に映るものがないと,そしてテーマは自分で見つけて研究は自分ですることが肝心なんです。

ダムについて思うこと

中野: 他と違うことをやっているところには魅力を感じますね。ダムのRCDとかCSGとか,新しい技術に若い人には注目してもらいたいです。ダムについてお聞きしたいと思います。先生はダムについてどうお考えですか?

藤野: 今から50年近く前になりますが学部生の時,東大の五月祭で,クラスで何かするということになり土木構造物の美しさをみんなに知ってもらおうというテーマになりました。そこでまず対象に考えたのは,橋でした。きれいな橋,これは町の中にありますよね。橋は単体として見られる構造物ですが,もう1つはダムだというので,私の母の遠戚にあたるダム一筋の阪西徳太郎さんのところに行って,どういうダムがいいかを相談し,いろいろなパネル写真やスライドを集めて橋梁とダムのパネル写真展とスライドショーをやりました。

中野: どこのダムの写真ですか。例えば黒部ダムとかですか。

藤野: それがいろいろあってあまり覚えていないのですが,黒部はもちろん佐久間ダムや小河内ダムなど我が国を代表するダムだったと思います。それから30年以上経ってからですが,中川博次先生のお誘いでダム技術センターでのゲートなどの鋼構造物に関与することがあり,先生に連れられて,大滝ダム,温井ダム,もちろん黒部ダムにも行きました。東北だと,胆沢ダム。ダムは幾つか行っていますね。


黒部ダム(撮影:安河内 孝)
中野: 先生は東京のご出身ですから宮ヶ瀬ダムが近いのですが,行かれましたか。

藤野: 残念ながら宮ヶ瀬ダムには行ってないです。小河内ダムは行きましたよ,小学生の時に遠足では絶対行くところでした。

中野: 宮ヶ瀬ダムは神奈川の水がめで,神奈川県の小学生は社会科見学で宮ヶ瀬ダムに行きます。そういう経験をすると大人になっても覚えていますね。


温井ダム(ダム日本2003.2)


藤野: 今は八ッ場ダムの現場に学生がたくさん行っているのでは?僕はまだ行ってないので,今度行こうと思っています。

中野: ぜひ見学して下さい。今,八ッ場ダムでは,国交省もインフラツーリズムで熱心ですし,跡見学園の女子大生が案内する企画もやっています。学生を現場に連れて行くとみんな感激します。図面を見て勉強しているだけじゃなくて,実際に現場に出てみるとすごく伝わるものがありますね。

藤野: そうですね。学生はとくにそう思いますね。
ダムの数は必要なだけある

中野: 話は変わりますが,ダムが日本で多くつくられていることについて,どのようにお考えでしょうか。

藤野: 沖大幹さんのダム日本のインタビュー(参考:ダムインタビュー(33)沖大幹先生に聞く)を読んでいたら,日本のダムは造り過ぎということはないというデータを出していましたね。あれは良いですね。僕も彼の言っているのを読む前に,日本はダムが多いというのは,どうなのかと思っていました。そういう視点を持ってちゃんと考えないといけないですね。

中野: 海外と違って,日本の河川は急峻で,雨が降っても貯めることができないので水を貯めるダムは必要ですね。

藤野: ダムと同じで,高速道路も日本では橋やトンネルなどの構造物がたくさんあるんですよ。なぜかというと地形に凸凹が激しく,谷のところへ橋をかけて,山のところはトンネル掘って,道路を通していくわけですから,同じ島国でも地形がイギリスとは全く違います。

中野: そうなんですね。

藤野: 日本は山有り谷有りの地形ですから,必然的に構造物がどうしても多くなる訳です。もちろん河川もダムを造らないと洪水の危険があります。だけど,一般の人までは,その部分が伝わっていないのでしょうね。もしダムがなかったら,この前の大雨の時にどうなったかということを考えれば,ダムがあったおかげで洪水が起きてないということをもっと一般の人にも知ってもらわないといけないですね。安全というのは,何も起こらずにもっていると全然気がつかないですからね。

中野: 安全が当たり前だと思っているところがあるので,そこが難しいところですね。

無駄の大事さとは



藤野: ダムに直接関係する話ではないのですが,2005年のハリケーン・カトリーナは,アメリカのルイジアナ州のニューオリンズに上陸し,海岸部の高潮と高波による洪水の被害をもたらしました。

中野: 甚大な被害がでましたね。2012年のハリケーン・サンディもニューヨーク市が大被害を受けました。

藤野: ハリケーン・サンディの洪水では,発電所が燃え,ウォール街が何日か停電しました。あれで8 000億円のロスが出たと言われています。その時にワシントン・ポスト紙にある記事が出ました。日本の地下に水を溜める施設がありますよね。

中野: 100年に一度の洪水に対応するために造られた東京の巨大地下タンク(首都圏外郭放水路)でしょうか。

藤野: そう。あれも一種のダムみたいなものです。あの写真を載せて日本ではこうやって万が一の洪水に備えている。そういうものをアメリカは持ってないという記事でした。ダムは安全のためという役割もあるでしょう。普段は何か役に立っているのというと,実は役に立ってないように見えるのですが,この外郭放水路も工費が2 300億円かかったそうです。無駄と余裕は紙一重,必要な無駄を持つことで,社会として余裕が生まれると思います。

インフラの投資について

中野: 以前に高橋先生が,公共施設を惜しむようでは国が滅びるということをインタビューでお話しされていました。

藤野: 読みましたよ。塩野七生さんもインフラほど国民の資質をあらわすものはないと書いています。要するにインフラはみんながお金を出し合って造るパブリックなものです。自分のことだけを考えていてはそういうお金を出さない訳ですよ。みんなが快適に暮らすために,あるいは安全に暮らすためには,お金を出し合ってインフラなどのパブリックなものを何かしなきゃいけないという概念が共有されていること。それは非常に高いレベルの国民性だと思います。そういうことが出来ない国民というのは,要するに自分のためのことしかやらないというのは貧相ですね。税金を上げると言えば,反射的に反対する人がいる。わずか2%上げるのでも大問題になるのは悲しいですね。

中野: 結局,税が公共の事に関して使われているという確かなイメージがないのですね。

藤野: アメリカの経済学者の本に,もしも一番いい車を買うとしたら,例えばフェラーリだと3 000万円はする。ポルシェだと1 500万円。そういうふうに,お金持ちは高い車を買う。だけど,道路が凸凹道だったら,幾ら高級車を買っても運転は楽しめない。道路の費用は,みんなが払うものだから。1 500万円の差額を税金として出して道路の路面の整備に使うとか,インフラに投資してみんなが豊かになる生活を考えなきゃいけないというのが,その経済学者が言っていることです。そういう幅広い分担の思想を僕らはもうちょっと持つべきでしょうね。我々,大学の人間も税金を使う方だから,やはり大事に使わなければいけない。とくに土木の人は,皆さんから預かっている社会のためのお金を使うのですから。

SIPの精神は 古市公威先生の言葉から学んだ

中野: 先生が携わっておられるSIP(内閣府総合科学技術・イノベーション会議,戦略的イノベーション創造プログラム)「インフラの維持管理更新マネジメント」は,官民学の人たちが集まって社会をより良くしていこうというプロジェクトだと思いますが,先生がトップになられてご苦労とかありますか。

藤野: 一人でまとめているというのでなく,僕は,古市公威先生の教えを実行しようとしているだけなのです。古市先生は,「土木技術者は将の将であれ」と,すなわち全体のまとめ役になれと言っているのですが,それに加えて,「土木の研究者は縦横に研究の範囲を広げて自由にやれ」とも言っています。つまり,「社会に必要なものなら何でもやっていいが、土木のためにやってくれ」というのが,古市先生の教えの2つ目の大事なところです。SIPの精神は,我々土木の人間は,最新技術をやっている人と一緒になってその技術のとりまとめ役をやって,社会を良くすることに貢献しようということです。土木は道路,河川や港湾ばっかり見てないで,自分の研究範囲を広げろ,新しい技術をそこに入れろ,という教えをベースにやっているつもりです。それが戦略的イノベーション創造プログラムの思想です。

中野: なるほど,古市公威先生の教えは現代にも繋がっているのですね。土木学会の初代会長として廣井勇を帝大に呼んで,多くの土木技術者が育ちましたね。

藤野: そうです。古市先生の考えを文字通り実行したのが廣井でした。廣井と私の祖父の兄,すなわち大伯父との関係を最近知ったのですが,祖父の兄が廣井の帝大での最初の弟子だったそうです。卒業後,廣井に勧められたのでしょう,彼と同じようにアメリカに留学し,帰国後,鐡道省に勤めましたが,早く亡くなりました。それに大伯父は仲人までして貰ったそうです。


祖父は,廣井の弟子の青山士とは一高時代に2級先輩で帝大の土木でも在籍が重なっていますから,青山士とも土木について話していたのではないかと想像してしまいます(笑)。だから僕は,土木とは無縁の世界から来たと思ってましたが,土木の世界に入ってみたら実は結構いろいろと縁があるものだなと感じました。

土木と建築は 協力していくべき

中野: 建築と土木は基本的に違いがあったのでしょうか。

藤野: 東大で社会基盤学,すなわち土木と建築と都市工学の3学科をまとめるプロジェクトをやったことがあります。グローバルCOEという大学院の大規模な教育プログラムです。メンター(優れた指導者)は,土木,建築,都市という概念ではなくお互いを理解して尊敬してやる。それには,まずは人同士が仲良くならなくてはいけない。だから,土木,建築,都市の若い人が一緒になってプロジェクトをやってもらう場所を提供して,人を育てていかないといけないと思ってやりました。

中野: そうですね。やっぱり垣根を越えていくこと。そうすると知恵がいろんなところから集まってきて,それで進んでいくのでしょうね。

藤野: お互い,みんな専門を持っているから。結局,合わせれば良いものが出来るはずですよ。

若い人に伝えたい Tプラス+土木

中野: まとめ役としてご苦労されている部分があると思っていましたが,先生は,明るいからご苦労されていないような気がしますが。

藤野: 苦労していない訳じゃないけれど,こういうプロジェクトをすることが好きなのですね。それをやっている時に,僕らの合い言葉にしているキーワードがあるんです。工学部だからテクノロジーの頭文字から「T」を取って。中身はというと,「自分の専門を持ちなさい、それを深く掘りなさい。横にも広げて俯瞰できる人になりなさい」と。それに加えて,これからは,目の前にある現実の問題を解かなくてはいけないというので,「T+」と書いて,「Tプラス」というのです。僕らは,これを実践力と称しています。大事なのは,研究力,横断力と実践力。今まで,専門家は「T」になるのが良いと言われてきたけれど,これからは「T」だけではなくて,社会の問題を解かなくてはならないので,「T」に「I」を加えて「Tプラス」でいこうという意味です(図−1参照)。
(図−1)

中野: 若い人には,専門を持ち,横に広げられる力をつけ,現実の問題を解決できる人間になれということですね。

藤野: そうそう。「Tプラス」研究室で勉強だけをしていてもだめ,社会の問題を解ける人になれ。特に国土とか都市などの空間にかかわる土木と建築はそうあるべきですね。

中野: 人とのつながりは大事ですね。今の若い人は,コミュニケーションがなかなか出来ていない,自分の世界に閉じこもってしまう人が多いようで,ちょっと問題がありますね。

藤野: うちの子は3人とも大学時代運動部に関連していて,男の子はアメフトと応援部,女の子は陸上ホッケー。お兄ちゃんたちが運動部に入ったから,娘も進んで運動部に入りました。運動部という自分たちのコミュニティーがあっていいですね。部活は,いい意味で団体生活です。若い人はそういう場をもっと持って欲しい。家に帰っても部屋にこもってパソコンばっかりやっているようではいけないと思います。

中野: そうですね。現場に連れていくと若い人がものすごく輝いてくるので,そういう機会をもっと作り出さないといけないですね。

藤野: 全て親に掛かる問題で,こうしなさい,ああしなさいというよりは,子供に対して様々な機会があるように仕向けないといけない。そういう環境を創り出すことが重要です。そのためにも,いろんな人とつき合う事は大事です。

日本の技術のノウハウを持って 海外進出へ

中野: 海外はインフラ投資を増加させていますが,我が国のインフラと海外では,何か考え方の違いというものがありますか?日本の長所と短所についてはどうお考えですか?

藤野: 日本は,安全に対して非常に気を使うので安全のための投資,支出が出てくるので,どうしてもコストが上がるのは解ります。クオリティーは大事ですが,クオリティーだけではだめで,コストをもっと下げる努力をしなくてはいけない。日本は業界が縦割りで,私は何業界,私は何業界と言って,その代表になると,例えば,鉄の人はコンクリートを使わない。だから,縦割でまとまっているというのは全ての面で,ことを悪くしているのではないかと僕は思いますね。余りいい答えにならないけれど。

中野: 大きなヒントだと思います。コンクリートの世界も縦割をなくして,横に広がってみんながわかるような世界にしていかないと前に進んでいかない。それぞれの世界で閉じこもったりすると,良いところも悪いところも解らない。情報化社会なのに,何でこんなことになってしまうのかなと思います。

藤野: そういう方が楽ですからね。ダムの人も,ダムで培った技術をもっと他に展開するような方向でも考えると良いと思います。ダムというと閉じられたイメージでクローズしたようにみえるところもあります,ダムで使った技術を転用すれば,ダムのプレゼンスもより上がるし他のところに影響を与える可能性が高まると思います。



中野: 今ダムでは,CSG工法というダム技術を使って堤防を少ない予算で造っています。

藤野: それは,不勉強で知りませんでしたが面白い試みですね。

中野: 高規格のコンクリートを使わなくても可能な限り材料を合理化していこうと。

藤野: ダムを造るための技術で,それを他に転用すると。それは非常にいいことですね。
中野: 日本は災害が多い国なので,そういう技術をもっと広げれば,海外でも生かすことが出来るのではないかと,ダムに限らずいろんなところで出来るはずだと思います。

藤野: 日本のキーは,新しい技術を持っていることですね。

土木社会にイノベーションを

中野: そうですね。古くなったインフラが壊れていくような時代で,時代に適応した新しい技術が出てこないと心配です。今と昔,そして未来へ。インフラを整備するということは,人々の生活にとってどういう意味を持つでしょうか?

藤野: その新しい技術は,他で使っている技術かもしれない。全くブランド・ニューじゃなくて,あっちこっちで開発しているのをうまく使うとより良いことが起こるのです。それが僕はイノベーションだと思います。全く何もないものから生み出すというのは非常に難しいことなので,価値観や常識がリニューアルされ,いろんなところで使っている技術を見てみてそれをダムに転用すると,あるいは橋に転用すると,もっといろんなものが合理的に出来るはずだと。つまり,外を見ないと,中は良くなっていかないと思います。

中野: なるほど,すごく勉強になりました。

藤野: というつもりで,僕も日々勉強しています。

SIPは天職だと

中野: なるほど。先程,お話に出たSIPのことが天職だとおっしゃっておられますが,どのぐらいの頻度でやっておられるのですか?

藤野: 今は,半分以上の時間を使うことができてラッキーです。グローバルCOEという,土木,建築,都市をまとめる役を5年間やらせてもらって,それが終った頃,すなわちちょうど東大をやめた頃にこの話が起こり始めました。現役だったら,とても忙しくて出来ない。東大を退官して,僕もかなり自由な時間になって横浜国大に行っていますが,そういう時にこの案件が来たのです。この10年は,私の仕上げの時期に,いいテーマ,プロジェクトに当たったというのが実感ですね。

中野: すごく嬉しそうにお話しされますね。

藤野: みんなが仲よくなるというのは僕の希望です。人は誰かと一緒にやる時,お互いに尊敬する気持ちがないとだめです。上から目線でやったら絶対に下の人はついて来ない。お互いを尊敬して,持ち味を生かすというやり方を考えるのが大事。結局,1+1は5にもなるのです。

中野: そうですね。お互いに尊敬し合って,それぞれの考え方を聞くことが大事ですね。

藤野: それは夫婦関係と同じですよ。

風景画教室の開催

中野: 本当にそうですね。最後に,先生の絵についてお聞きしたいのですが。この間,先生が退官される時に,岩淵水門と聖橋の2つの絵を頂いたと東大の石田哲也先生にお聞きしました。描かれているのは主に橋の絵ですね。

藤野: そうですね。あれは僕が東大で教授に昇任して,橋梁研究室を任された頃に風景画教室をスタートしたのが始まりです。僕は実際に橋の設計をしたことがないので橋のことをそんなに知ってる訳ではないという意識があって,どうしたら橋のことを勉強出来るかと思った時に,橋をじっくり見るのが大事ではないか。絵を描くということは橋をゆっくり見て知るには良いだろうと思いました。しかし,一人でやってもつまらないから,学生さんを巻き込んで,それに美術大学の先生に来てもらって,いろいろ教えていただいて絵を描こうという訳で,もう25年も経ちました。

中野: 作品もたくさんになりますね。個展とか開かれるのですか。

藤野: いや,そういうことはやりませんが,実はアメリカの土木学会からGeorge Winter Medalを貰いました。土木工学の業績に加えて他の一芸に秀でている人にあげるという賞でした(笑)。僕のアメリカの友達が推薦してやるよといってくれたのですが,まさかそんな賞が本当にあるのを知らなかった。

中野: すばらしい。まさに趣味とお仕事が一致したということですね。


岩淵水門
藤野: 趣味というか,趣味にしちゃったんですね。

中野: やはりよく見て描くと橋のことが解りますからね。文章もそうですけど,手を動かさないと何事もわからないですね。

藤野: そうですね。そう思って「橋の風景画教室」を始めた。でも,我ながら,あれは良い決断だったなと今でも思いますね。

中野: 学生も巻き込んでやろうというのがいいですね。

聖橋

レインボーブリッジ
藤野: ちょうど東大でその頃,土木工学演習といって,各先生が自分の好きなことを学生とやって,単位をつけていいというプログラムが始まったので,出来たのです。本当を言うと,実は橋を対象にするということになるまで,多少試行錯誤はありました。結論として,橋をよく見て絵に描こうということになって,結果として,長く続くことになって楽しい充実した教室になったと思います。

中野: 先生は元気で,声が大きく,いつもニコニコされておられ,学生さんも楽しく学べる環境があるのですね。本日は,貴重なお時間を頂き有難うございました。

(参考)藤野 陽三先生 プロフィール

藤野 陽三(ふじの ようぞう)

1949年9月27日生

学歴

1972年4月 東京大学工学部土木工学科卒業
1974年3月 同 大学院修士課程(土木工学)修了 工学修士
1976年9月 ウォータールー大学 博士課程修了 Doctor of Philosophy

職歴
1976年10月 ウォータールー大学博士研究員
1977年4月 東京大学地震研究所助手
1978年4月 筑波大学構造工学系助手
1979年7月 同 講師
1982年4月 東京大学工学部助教授
      (土木工学科)
1990年7月 同 教授(土木工学科)
2013年6月 東京大学名誉教授
2014年3月 東京大学 退職
   4月 横浜国立大学安心・安全の科学研究教育センター 特任教員(教授)
   10月 横浜国立大学先端科学高等研究院上席特別教授(特任)

現在に至る

受賞(国内)
土木学会 論文奨励賞,論文賞(2回)田中賞(論文部門)(9回),国際貢献賞(2013)
紫綬褒章(2007春)
日本風工学会 論文賞(2001),功績賞(2015)名誉会員(2018)
服部報公会 報公賞(2015)

(海外)
アメリカ土木学会(ASCE)Raymond C. Reese Research Prize(2007),R.H. Scanlan Medal(2011),George Winter Medal(2015)
Kwang-Hua Master Lecture光華大師講義(中国,台湾)(2011)
世界橋梁管理学会(IABMAS)T.Y. Lin Medal(2012)
東アジア構造工学会議(EASEC)Nishino Medal(2013)
国際構造工学会(IABSE)IABSE Award(2014),名誉会員(2016)
T.Y. Lin Lectore,IABMAS(2018)
F.R. Kahn Lecture,Lehigh大学(USA)(2018)
SHMII学会Aftab Mufti Life-Time Achievement Awards(2018) ほか

学会等の主な社会的活動

土木学会関係
 構造工学委員会委員長,論文集編集委員会委員長,田中賞選考委員会委員長,論文賞選考委員会委員長,100周年事業実行委員会委員長,国際貢献賞選考委員会委員長,論説委員会委員長 ほか

そのほか
 日本風工学会会長,日本鋼構造協会会長,鋼橋技術研究会会長,インフラストラクチャ研究会会長 ほか

国際的活動
 国際構造工学会IABSE副会長,世界構造制御モニタリング学会IASCM会長,東アジア構造工学会議EASEC議長,アジア太平洋先端構造工学会議ANCRiSST会長
 ミレニアムブリッジ振動制御アドバイサー,ヒースロー空港ターミナル7管制塔振動制御アドバイサー,香港ストーンカッターズ橋設計アドバイサー,パドマ橋(バングラデッシュ)専門会会議パネル
 韓国先端科学院評価委員,インド工科大学ハイデラバード校キャンパス設計支援プロジェクト代表,ケンブリッジ大学Smart Infrastructure and Construction研究アドバイサリー会議委員
 ほか

(2018年11月作成)
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