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ダムインタビュー(90)
小池俊雄氏に聞く
「夢のようなダム操作をずっと研究してきました」

 小池 俊雄(こいけ としお)さんは,1985年に東京大学大学院工学系研究科博士課程を修了。東京大学工学部助手を経て,1986年に専任講師となられます。その後,1988年から1999年までは,長岡技術科学大学工学部において助教授,教授とキャリアを積まれ数多くの学生の指導に当たって来られました。

 その後,東京大学に戻られて,2017年に退官されるまで東京大学大学院工学系研究科の教授を務められました。その間,2006年から2010年までは,EDITORIA地球観測データ統融合連携研究機構で機構長を兼任され,さらに2014年からは,現職でもある国立研究開発法人土木研究所水災害・リスクマネジメント国際センターでセンター長をなさっておられ,河川流域規模から地球規模の水循環の観測や予測研究を進める傍ら,環境評価や行動に関する心理プロセスの研究を基に河川事業に関わる合意形成の実務に貢献されておられます。


 今回は,東京大学で20年,長岡技術科学大学で11年の研究者,教育者としての足跡を振り返りつつ,ご専門である水文学研究とダムとの関わり,若い人へのメッセージを伺って参ります。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:事務局)

橋に興味があった

中野: 小池先生はずっと研究職として水文学の研究をされて来られた訳ですが,どうして土木に関わろうと思われたのか,そのきっかけからお話を伺って参りたいと思います。学生時代に土木に興味を持たれたきっかけは何でしょうか?

小池: 私はもともと橋を造りたいと思っていたのです。それもアマゾンに橋をかけたいと思って大学に入った。だから最初から土木を目指していて,大きな橋をやりたいと思っていました。

中野: 土木の中でも橋が希望だったということですが,ご自身では,どういう学生だったと思うかをお聞かせ下さい。

小池: もともと山登りが好きで高校時代に山岳部に入ろうと思ったら,家族会議でダメ出しを食らい,大学に入ったら山岳部には入らないという条件で許してもらいました。でも,大学でも山に行きたいので困ったなと思っていたら,渓流釣りのクラブがあったので,そこに入部して渓流釣りに行くという理由をつけて山登りをしていました。ですから,大学時代は半分は渓流釣りで,あとの半分は学生運動をやっていました。というのも僕は工学部の自治会の副委員長だったから。もともとポリティカルな事には余り関心がなく,関わりませんでしたが,駒場祭や五月祭等,東大の学祭に関わることで,当時の工学部自治会の人たちに目をつけられて,学祭が済んだら委員長をやれと言われ,大分抵抗したのですが,結局は副委員長を引き受けざるを得なくなってしまい,それで学部時代は渓流釣りと学生運動が半々という生活になったのです。


福岡大渇水と河川研究室

中野: そこからは,どういう理由で大学院へ進学されたのですか?

小池: なぜ大学院に行ったかというと,1978年の福岡大渇水を五月祭のテーマとして取り上げ,高橋裕先生にご講演をお願いしたのがきっかけとなって河川研究室に入ったことが影響していると言えます。私は1980年の卒業なので1978年は3年生ですが,この年に生まれ故郷の福岡で大渇水がありました。親戚,叔父叔母等が沢山いるのですが,皆大変な思いをしました。その時,渇水が事前に予測出来れば,予めダムの貯留量を増やしておけばある程度は対応出来るだろうという考えがあり,それで渇水を予測する研究をやりたいと思ったのが1つのきっかけです。

 叔父や叔母は福岡の高台に住んでいたので一日中水が出ない訳です。この時は10ヵ月もの間,渇水状態が続きました。戦後最大の日本の大渇水ですが,そういう時でも結構皆さん元気でアクティブなんですね。これだけの逆境にありながらよく動けるものだと思って,人間の心理プロセスの研究をやりたいと思いました(笑)。とんでもない大災害に遭った時,どうやって人間はそれを克服していくのだろう,復旧・復興していくのだろうと。そういう思いを持った覚えがあります。

中野: 福岡の渇水が動機だったのですね。高橋裕先生の河川研究室はどうでしたか。

小池: 高橋裕先生に「渇水について五月祭でシンポジウムをやりたいので講演をして頂けませんか」とお願いしたら,「いいよ」と言われ,それから高橋裕先生の部屋によく通うようになって,研究室振り分けでは河川研究室を選んだのです。

中野: 水について勉強しようと。

小池: この時初めて,自分から本格的に勉強しようと思いました。きっかけが渇水ですから,まず日本にはどれだけの水資源があるかというところから始めようと思って,水資源の賦存量の計算を正確に行うために,蒸発散量をちゃんとはじき出そうと思ってやり始めたのです。いざやってみたら,なかなか難しいというのがすぐ分かった(笑)。

ダムとの出会いは

中野: どういうところが難しいのですか?

小池: 現実は想像通りじゃないこと。まず,横軸が降水量で縦軸が流出量だとすると,45度の線を引くと,蒸発散の分だけ45度よりも下に点が来るはずで,地域によってその分布がどのようになっているかというところからスタートしてみたのです。当時,いろんなところを探してみましたが系統的にまとめられた降水量と流出量のデータというものがありませんでした。そこで,東大の土木図書館にあった多目的ダム管理年報をたまたま見つけました。私とダムとの出会いはそこから始まりました。

 当時,パソコンというものは存在せず,電子計算機といえばパンチカード式。それで管理年報からデータをコピーして,カードに打ち込んで大型計算機センターへ行ってデータを登録しました。当時,136ぐらいのダムがあったのですが,そのダムのデータを全部入れて計算しました。これで上手く解析出来るだろうと思ったのです。確かに半分は45度の線の下に来るのですが半分は上に来てしまう。つまり降った雨の量よりも川に出てくる水の量が多い訳です。最初は南の地方ほど沢山蒸発し,北の方は少ないだろうと考えて,日照とか気温のデータも入れて蒸発散量をだして,降った雨から引けば水資源賦存量が出てきて,どこでも使えるものが出来ると踏んでやってみたが,どうしても線よりも上にきてしまうのです。最初は訳が分からなくて,これは何だと…(笑)。

中野: 想像通りにはいかなかったのですか。

小池: 流入量については,ダムは水位の差を用いて算出するので,時間単位とか日単位では誤差が入ります。それでも年間の総量とか,3ヵ月の季節量は大体求まるはずです。しかし計算するとそれが合わないので困りました。そこでダム地点の降水量とダムへの流入量の10年分をグラフ用紙に落としていったのです。

中野: 聞いているだけでも大変そうな作業量ですね。

小池: パソコンのなかった時代は,全部そういうものです(笑)。それで,データを一つ一つ落とし込んでいくうちにハッと気がついた。線の上に来るのは全部雪が多いところ,積雪地帯だと。実際にちゃんと気候区分で分けてみると,確かに積雪地帯のダムは線の上に来て,非積雪地帯は線の下に来ているのです。このようにして,降雪量が正確に測れていないということが初めて分かった。それが私の卒業論文になりました。日本の降雪量が分からないというのが卒業論文。それは私にとっては実は大ショックで,渇水などの議論をするどころか,水資源の元となる降水量も測れていないのかと愕然としました。

雪について調べる

中野: 卒業論文でそれだけ大きな課題を書かれたのですか?

小池: ただのきっかけです。始まりはね。それで今度は,水資源賦存量を算出するのに一番分からないのは降雪だから,雪について勉強しようと思ったのです。渓流釣りをやっていましたから,雪山を歩くのもへっちゃらでした。そこで最初に行ってみたのが白神山地です。秋田と青森の県境,日本で最初に世界自然遺産になったのは13年後の1993年です。当時は青秋林道という林道工事が大問題になっていました。自然を破壊すると言ってね。私は大学1年生の頃からずっとそこに通ってイワナを釣っていました。41cmという記録があります。白神だったら5月の連休に行けば雪が十分あるので,そこで計測しようと思ったのです。

中野: 計測はどうでしたか。

小池: 修士1年の時に行って測ってみた。そうしたら,きれいに融雪量が出てきた。これでちゃんと結果が出せるなと思ってはみたものの,実は流量の観測が結構大変で,48時間毎時観測というのをやってみたのですが,流量を自分で測っていたら到底研究はできないなと思いました。現地観測は私一人では出来ませんから,渓流班のクラブで後輩に全部サポートして貰ってやりました。みんなで担いで機材を運び,私だけ観測をやって彼らは釣っているのです。そこから私の雪の研究が始まりました。

卒業論文を土木学会で発表する

中野: 論文にまとめる時に苦労されたことはありましたか。

小池: 大学院に進んでも修士の期間に融雪の観測研究をする機会は1回しかありません。つまり,修士1年生の終わり近くの2月ぐらいから修士2年生の初めの5月ぐらいまでが鍵となります。そこで,修士1年の5月に白神で雪の観測をして感覚をつかんで,その秋に北大であった土木学会で卒業論文を発表しようと私は準備していたのです。とはいえ,白神でやったように,48時間も毎時自分で観測していたらとても研究にならないので,ちゃんとした流量観測施設があるところを高橋先生に紹介して頂いた。それが森林総研宝川森林理水試験地です。当時は,林業試験場と呼ばれていました。利根川の最上流,水上の奥にあり,流域面積は20km2ぐらいでちょうど手ごろでした。標高が800mから1 800mぐらいまであり,雪がものすごく降る。理水試験地ですから精度よく流量が測れます。高橋先生のおかげでそこで研究をやらせて頂くことになっていました。そう言う準備をして,土木学会で卒業論文の成果,つまり水資源を評価するにはまず雪をやらないとだめだ,という発表を行ったのです。
宝川での積雪調査

中野: 論文を発表されて反応はどうでしたか。

小池: 当時,土木研究所を退官され,防衛大学に移られていた日本の水文学の基礎を作られた竹内俊雄先生という大先生がおられました。私の発表を受けて,座長の先生が竹内先生に「東大の若い学生さんが雪は大事だといっているが、先生はどう思いますか」と聞かれたのです。当時,竹内先生は利根川上流域の雪の研究をされていたのです。そうしたら,竹内先生が立ち上がられ「雪はやり始めると泥沼になるからやめた方がいい」と言われた。逆に僕は,あの大先生が泥沼という程に面白いものだと思って,はまってしまった(笑)。

中野: 言われた通りに,泥沼にはまり込んでしまったのですね。

小池: もう完全にのめり込んで,修士,博士と続けて,雪の研究をやることになったのです。

中野: 以前に高橋先生にお話をお聞きした時,雪が降らなくなってくると,日本の水資源は危ないと言われていました。それと先生のお話もつながっているのですね。

小池: 当時は,まだ気候の変化なんて全然言われていない頃です。まずは日本の水資源の量が分からないという段階でした。

中野: ダムで調べても水資源賦存量が分からないままだったので,雪を調べてみたかったということですね。

なんとしても観測を実現したかった

小池: 当初は,修士課程を終えると勤める予定にしていましたから,修士論文として観測をまとめて,私の大学院生活は終わる予定でした。そこで,修士1年の3月はじめに現地に泊まり込んで観測機器を全部セットして,3月14日に東京に戻ってきて,15日に「高橋先生、これから宝川に入ってずっと観測続けますのでしばらく戻ってきません」と言って,河川研の部屋に戻ったとたんに電話が鳴り,父親が危篤だと連絡が来ました。すぐに広島へ戻ったところ,医者が言うには3週間,いや2週間もつかどうか分からないと。当時,河川研は予算もなく,すごく貧乏でしたので,観測機器は気象庁とかいろんなところから全て借りていたのです。その機材を山の中に設置したままですから,1日だけ現地に戻り,設置していた機材を全部外しに行ってまた広島に戻って,親父の看病をしました。結局,親父が亡くなったのは3月30日。父は広島である程度の職務についておりましたので,いろいろ行事をこなさなくてはならず,母も一人になりますから広島の家をたたんで東京に連れてこないといけないし,いろいろ走り回ってやっと大学に戻ったのが5月末。その頃にはもう雪は全部融けていました。さすがにこれではちゃんとした論文になりそうにないので,最後までやりたいと思いました。

 そこで母親にもう少し大学院に残って論文を仕上げたいと言うと「えっ、あなた、まだ学生続けるの」といって。「うん、続けたいけど」「それじゃあ、やっていけないわよ」と言れましたが,よくよく調べてみたら親父のお金が少しはあったので,なんとか3年間ぐらいはやれそうだと母親を説得して博士課程に進むことになりました。

中野: いろいろ大変だったのですね。

衛星のデータで雪を観測

小池: いろいろありましたが,自分の進路を考えるにはよい機会でした。話も長くなりましたね。

中野: いえいえ,大丈夫です。そうした思いがつながって,雪の研究を最後までやり遂げないといけないと思われたのですね。

小池: 修士課程の1年生の終わりから2年生の初めの唯一の雪観測の機会を逃してしまったので,雪の研究はもう修士では出来ないだろうと思っていたら,ちょうどその時に,ランドサットという人工衛星の観測データがあるというのを聞いたのです。当時,科学技術庁におられた武田要さんという方が,ランドサットを使った雪の研究で博士論文を出したいということで,高橋先生に指導して貰っていたのです。ランドサットの衛星データを日本で初めて受信した直後で,画像をディジタルに処理をするミニコンピューターが,当時まだ日本に1台しかありませんでした。今のJAXAの調布航空宇宙センター,当時は航空宇宙技術研究所(NAL)という名でしたが,そこにあったのです。そこで高橋先生に「小池君、これ使う?」と言われて,観測が出来なくてどうしようかと思ったところだったので「ぜひ使いたいです」と。

 それでデータを頂き,NALに通って,利根川辺りの積雪状況を解析して,理論を組み立ててみたのです。面的な衛星のデータから雪のボリュームを出すという研究をやって,修士論文は仕上げることが出来ました。まさに捨てる神あれば拾う神がある。もしもそのデータと解析システムがなかったら,私のリモートセンシングの研究はなかったと思います。今,国際的にもそういう研究活動をリードさせて頂いていますが,実は現地観測ができずに,衛星ランドサットを使って何とかまとめたという,まさに衛星リモートセンシングの原点を体験させて頂いたのです。
NALのシステムで解析したランドサットデータ(1981年)

東大大型計算機センターで独自に構築した衛星画像処理システム(1981年)
大学で教える立場になって思うこと

中野: そうですか。雪の研究は,渓流釣りから衛星データまで繋がっているのですね。

小池: そうですね。私が雪をやり始めたことで,その後も幾つかの大学からお誘いがありました。当時は土木系で雪の研究をやっている人は皆無でしたから。日野幹雄先生が長谷部正彦先生と一緒にごく一部をやっておられたのですけど,本格的にフィールドを持って研究されているというのはどなたもいらっしゃらなかった。北大の低温研とも一緒に研究をしていたので,助手に来ないかとお誘いを受けたこともありましたが,私にとっては本当に憧れの研究機関で,当時は雲の上過ぎて,「理学系の中に入ってやれる自信がありません」と高橋先生に申し上げたら,「じゃあ東大に来なさい」と言われて,東大で助手になってまた雪の研究をやった。そうしたら,長岡科学技術大学から雪の研究者が欲しいと言われたので,行くことになったのです。

研究をのびのびとできた 長岡科学技術大学

中野: 雪にまつわる強い縁があったのでしょうか。長岡技術科学大学は,新潟でまた雪つながりですね。

小池: 長岡技術科学大学は東京から離れているので雑用からは解き放たれ,本当にフィールドの環境は良いし,学生も優秀で素晴らしい。研究面では申し分ない。私は防災工学特論という講義を持たされていて,どういうことをやっても良いと言われていたので,電磁波を取り上げました。これはマイクロ波を使って雪とか雨を定量的に測ると,予測が出来て防災に役立つだろうと。土木だけど,気象学も知っていると,気象は災害につながりますから,防災工学に役立つ。ということで電磁気学や気象学を教えながら自分でも勉強できて,教育面でも研究面でも非常に良かったと思います。雪の研究から始まり,最後にはチベットの研究が出来たのも長岡科学技術大学に行ったおかげです。

中野: きっかけを上手く育てて発展させることが出来たというのが良かったのですね。

小池: 今の話とは直接関係ありませんが,もう1つ,この時に私が出したプロポーザルが学長の目に留まり,後に環境システム工学科の立ち上げにつながりました。まぁ,いろんな経緯があった中,「小池君、次の概算要求はこれでいくからな」と言われて,それで概算要求書をまとめて出したら,それがそのままその年に通ったのです。結果的に定員50人の新しい学科が学部と大学院に学年進行で出来上がりました。だから大学の行政的なことも本格的にやらせて頂いたし,教育も,研究ももちろん,きちんとすることが出来た。長岡技術科学大学でのこの11年間がなかったら,今の私はいないと思います。非常にいい経験をさせて頂いたと感謝しています。

英語の特別セミナーにも熱心な学生

中野: 長岡技術科学大学は今でもいろんなことを,先進的に取り組んでおられるすごく良い大学だと思います。教えておられてどういうところが特徴的だと言えますか?

小池: 環境が良くて非常にすばらしい。また学生も私がいた時は,本当に粒ぞろいで良かった。真面目です。素朴で努力家,勉強に対して熱心さというところは東京の大学にも全然負けていないです。ただ英語が出来ないのが玉に傷でした。多くの学生が高専を卒業して大学の3年生に編入しますので,彼らは大学入試の英語を受けていない。私は赴任当初の4月から英語で水文やリモートセンシングを解説するセミナーをやっていました。みんな分かっていると思っていたのですが,夏休みに文献を学生に割り当てて,集中セミナーで学生自身に説明させてみたら,全然訳せていない。実は英語がみんな不得意だということが初めて分かって,すごいショックを受けました。そこで9月からは,毎朝6時から1時間の特別枠で英語のセミナーを始めました。

中野: 英語の特別セミナーですか。

小池: 朝6時から1時間は英語の文献を英語教育の観点から解説し,私は途中で一度家に帰って朝飯を食べて,また7時半から今度は普通の研究の観点からセミナーをやるというのを毎日繰り返したら,最終的に学生は全員英語が出来るようになり,英語の論文も平気になったのです。

中野: そうですか。そこまでやると厳しくてついて来れない学生もいたのではないですか?


小池: それが全員ついて来たのです。最初に英語をやり出した時は,7時からだったのですが,だんだん早まって,結局6時からになってしまったのです。

水文学とはどういうものか



中野: 大学でもそれだけ熱意をもってやると学生もついて来るというお手本ですね。では次に話題を変えて,水文学について教えて頂きたいと思います。水文学というのは一般の人にはなかなか馴染みのない学問ですが,社会に対してどう役に立っているのでしょうか。また,水文学を学ぶ学生はどういう目標を持って,どう取り組むべきでしょうか?
小池: 水文学という学問がきちんと定義付けされたのは1960年代です。だから比較的新しい学問です。実は,世界の水問題を解決するためにということで,1965年からユネスコで国際水文学10年計画というものがスタートするに当たって,水文学という学問の定義が話し合われたのです。当時の文献を読みますと,水の循環を地球規模で考えなければならないということが色濃く書かれています。かつ,そこには2つの問題点が書いてあり,「水の物理的、化学的、生物学的な応答」と「人間との応答」と書いてある。今でみると,気候というのは,そもそも水の循環で出来ていますので,地球の気候が変化して大雨が降るとか,渇水が厳しくなるということが分かるわけですが,そのような話がまだ全然見えていない時代に,水はグローバルな,地球規模の視点が大事という定義になっているのです。

中野: どこかの国で始まった学問というのではなく,国際的に水問題に取り組むために定義付けられた学問なのですね。

小池: ええ,水文学というのはそういう,国際的な背景を持つものだということ,そして気候変動を地球的な規模で捉えて,解明していこうというものだという定義になっています。水文学はまだまだ一般の方には馴染みがないと思いますけれど,最近になって気候が変化すると強い雨が多いとか,洪水とか渇水被害が増えるというのは,皆さんもだんだんと感じられるようになってこられたと思います。

 そうすると,水の循環の科学である水文学というものが,我々の周りの生活にどれだけ密接に関係してくるかというのも,もう少し分かり易くなると思います。例えば,飲み水にも関係するし,環境の水にも関係しますし,災害を引き起こすことにもつながります。

中野: 相当広い分野に影響がある学問ですね。

小池: 定義されて以来,水文学という言葉はまだ十分に市民権を得られていません。ただ今は,雨の降り方とか川の流れ方が昔に比べておかしくなっているのではと,多くの方が感じておられると思いますが,実はそれは地球の気候システムの中で水の役割を表しています。我々の身の回りに極めて密接な,環境要素でもあるし,災害要因でもあります。

気象学の中の水循環は水文学

中野: 確かに地球は水の星とか言いますしね。水がないと,あらゆる生き物の生命に関わりますね。水の循環が生命を育んでいる。だから水文学というのは,馴染みがない言葉ではあるけど,生き物全てに関わっているのだと。

小池: 水文学は,もともと地下水の学問として始まった関係もあるせいか,地べたの水という,陸地の水というふうに思いがちですけども,水は大気,海洋,陸域を循環していますので,例えば気象学の中の水循環の部分は水文学なのです。気象学を勉強しないといけないと思って,自分で勉強しながら講義もしたのですが,そのような機運が出来てきたのは1990年代からでしょう。その頃,気候が変化しているということが我々研究者は解り始めていて,そういうことをやろうとすると気象学と,いわゆる地べたの水文学を結びつけないとだめだというのが共通理解になっていったのです。

水害と気象について

中野: ここ数年,我が国は大雨が降って大きな水害が起きることが多く,皆さんもすごく心配されていているのですが,日本が抱える水問題,そういったことはどう先生はお考えでしょうか?

小池: 今はどちらかというと雨の降り方,降水に焦点が当たってますね。昨年の西日本水害,その前は九州北部豪雨,その前は北海道・東北,その前は鬼怒川の堤防が切れました。その前は,広島の土砂災害,その前は伊豆大島,もうずっと雨による災害が続いているという印象です。本当に毎年です。非常に強い雨が降って洪水になる。去年の場合は,同じ地域に長時間,雨が降り続くという降雨のパターンでした。どうも雨の降り方が変わってきているということを我々は感じ始めています。

 私自身は,もともと渇水の研究が始まりですが,今も大渇水の懸念も持っています。だから早く大渇水に対する対応策を提言したいのです。今まで我々が経験したひどい渇水は1994年の列島渇水。その前は,先ほど申し上げた1978年の福岡大渇水です。さらにその前は東京オリンピックの直前まで続いた1964年の東京大渇水。過去には,こういう経験があります。気候の変化の考え方によると高圧性の気圧配置がちょっとずれる渇水になります。日本の場合は夏に太平洋に高気圧ができますから,これが西に少しずれただけで日本は渇水になる危険があります。

ダムの役割と水害

中野: 少しずれただけで大渇水になるなんて,すごく怖いですね。

小池: だから,私は渇水に対する対応策はいち早く立ち上げたほうがいいと言っております。それが何に関わるかというと,まずダムの水の利用の仕方です。地球の大循環の特徴から渇水がある程度懸念される時にはすぐに節水を始めていくとか,放流量を抑制するとか,そういうダムの操作に関するところと,地下水をいかにうまく使うかというところも,早目に法整備も含めて検討しないといけないと思います。土木研究所の中でも早くやるべきだとずっと言い続けてきて,ようやく研究がスタートしました。これから具体的にどうするかを考えていくことになります。

八ッ場ダムの検証分科会に

中野: それは良かったです。先ほど少し鬼怒川の話が出ましたが,ダムについての話を伺います。旧民主党政権の時に一時的に工事が中止になっていた八ッ場ダムですが,首都圏の水がめとしてすごく大事ということです。それを中止にしたということに対して,先生がいろいろ答申をされたということなのですが,そこを伺えますか?

小池: 誤解があるといけないので少し詳しく説明しますと,まず八ッ場ダムについては,利水ではなく,治水の方で問題になったものです。前原大臣が計画を白紙撤回された後,馬淵大臣の時に白紙撤回を再度撤回するという話になり,計画を再検討しましょうとなった。ただし利根川の基本高水2万2 000tという数値は大き過ぎるのではないかという疑問を呈されました。カスリーン台風の時に実際に流れていたであろうという値が1万7 000tという数字になって残っています。ただ,それは破堤した後なので,実際には安全性を考えるとその数字で良いかは判らないということで,その時の算定値が2万2 000tというのが出ていたのです。それがちゃんと検証されていないという問題を馬淵大臣が提起されました。そこで河川局長から日本学術会議に利根川の基本高水の算定方法に関する検証が依頼されたのです。

中野: それで先生が学術会議として関わられたのですね。


工事中の八ッ場ダム(撮影:ひこーき)

小池: 私は,日本学術会議に設置された検証分科会の委員長を仰せつかました。検討の結果,2万2 000tは妥当であるという答えが出ました。科学的にいろいろな根拠をもとに検討したのですが,一番の問題は国交省にかつて検討した資料が残っていなかった。それで,その時は貯留関数法で計算したのですが,その貯留関数法で計算したそのコードをみれば正しいかどうかが判るのですけれど,それも著作権の関係で出せないということになって,私は委員長だったのですが,すごく怒ってそんなことでは検証出来ないじゃないかと国交省に文句を言いました。
中野: 実際にはどういうふうに検証されたのですか?

小池: まずは可能なデータを用いて降雨分布をできるだけ合理的に求めました。次に,日本学術会議の方で指定した貯留関数法で新しく貯留関数を,コンサルタントに頼らずに国交省の技官に自ら作ってもらった。同時に,東大と京大に利根川のモデルがありましたので,この3つのモデルで検証することにしたのです。すると3つとも答えがほぼ2万2 000tになりました。3つのモデルには物理的な表現に違いがある中で,同じ結果が出ていることを根拠に妥当であると判断し,回答書を作成したのです。それを受けられたのが前田大臣で,2011年の12月に八ッ場ダムの計画を再開することを閣議決定されたのです。翌年の野田総理の所信表明演説では,八ッ場ダムの計画が一旦止まってしまったことについて陳謝の文言が入りました。

中野: 二転三転したことで着工がその分遅れたということですね。

八ッ場ダムの必要性について

小池: 私はこの件とは別に手持ちのモデルで八ッ場ダムがある時とない時で,予測を使ってダムを操作をしたら,どれぐらいの洪水を低減でき,水資源が効率的に使えるかという試算をしていました。もちろん論文にもせず公表もしてないのですが,その計算からは効果が高いことは分かっていました。夢のようなダム操作の実現が私の大きな研究テーマですが,当時,私が答申を出した時に,新聞記者から「答申が妥当であるということは判ります。けれど八ッ場ダムを造っても2万2 000tはカット出来ない。もっともっとダムを造らないといけない。そういうことを考えて答申を出されているのですか」と随分と突っ込まれたので「ダムをもっと造らなければならないとは、私は思っていません。科学技術の進歩によってカバー出来ることがあります。それはこれからの研究なので、その結果次第です」というふうに答えていました。ようやく科学的基盤が出来上がってきましたが,日の目をみるにはまだ少し時間がかかります。


夢のようなダム操作を考えはじめる

中野: ダムの操作についてもう少し詳しくお聞かせ下さい。

小池: ダム操作の問題は,私のずっと長い研究テーマです。私は1972年に東京三鷹の中学を卒業して,父の転勤で広島の高校に入学しました。その年の7月に広島大水害がありました。その後,広島では1999年,2014年,そして昨年と4回大水害が起こっています。移り住むまでは,広島は瀬戸内式気候で雨は余り降らないという意識で行ったのですが,直後に豪雨災害に遭って驚きました。私の家は高台でしたが太田川が満杯になって流れている光景を目の当たりにしました。この時に中国電力のダムが放流していたのです。それが被害を大きくしたということで,その後に裁判になったのですが,私はダムの操作で何で洪水になるんだと当時は不思議に思いました。


 いわゆるダムの異常洪水時防災操作ですね。流入する分をそのまま放流するだけだから,ダムのない時と同じはずで,問題になる理由が当時は全く分かりませんでした。けれど,実は洪水がピークを迎えている時,ダムの下流は平穏です。しかし異常洪水時防災操作に移行すると,ダムの水上昇の速度と競争で放流量を増やさなくてはならない。万が一,水位がダムを超えることになったら破局的な事態になります。そこで放流量が急激に増加する訳です。ダム下流の皆さんにとっては,まるでダムが洪水を創り出しているように思われるのも無理はないとも思います。これは本当に大きな課題だと思って,私の心の中にずっと問題意識として残っていました。昨年,愛媛の肱川の野村ダム,鹿野川ダムを訪問し,所長さんともお話しさせて頂き,異常洪水時防災操作に移行せざるを得なかったときの心情をお聞きし,それを軽減させる可能性を追求する自身の研究の責任の重さを改めて感じました。

中野: それでダム操作については,ずっと昔からの研究テーマとおっしゃったのですね。

小池: 後になって,大学で高橋先生のところに来て,文献を読んでいたら,実は,1972年の広島大水害の時に,これは国の責任ではないかと国会で取り上げられ,高橋先生が参考人で呼ばれて考えを述べておられていたことを見つけて大変驚きました。その時,先生は「これはダムの操作規則通りにやっていて、別に河川管理の過失はない。それを超える大雨が降った。こういうことに対応するには、ダムの容量を増やさねばといかんということです」とお答えになっている訳です。私は違うぞと。ダムはなかなか増やせない。そうすると,ダムの操作法を変えなければいけないじゃないかというのが,私の1990年代半ばぐらいからの研究テーマで,夢のようなダム操作というのをずっと研究してきました。

中野: そうなんですね。

利根川の治水について

小池: まずは予測に必要な流出モデルを作成して,降雨予測の導入法を検討して,ダム操作システム,最適化システムを開発してというようにいろいろ経緯はありますが,論文自体は2009年から国際誌に出始めております。論文は高い評価を受けたが,実装出来ていないので,リアルタイムに動くシステムを作って,2013年には国交省でデモしたこともありました。当時の担当課長さんが「先生、ダムに穴を開けるようなことは絶対にないですね」と念を押された。大雨を予測し事前放流して,洪水を貯めて満水まで持っていくという操作ですので絶対ということはないのですが,予測の精度評価を最適関数に組み込みますので下流の災害は劇的に減らせるし,水資源も無効放流となることはあるが,期待値としてはプラスになると答えましたら,「それではだめです。ダムの所長の首が飛びます」というのです。結局,そのシステムは動かすことができませんでした。
藤原ダム(撮影:さんちゃん)

薗原ダム(撮影:かみさと)
中野: 利根川の3ダム連携の最適操作についての話ですか。

小池: そうです。利根川上流で藤原と相俣と薗原,3つのダムを連携操作して,下流の洪水ピーク流量を減らす操作法です。既存のダムの操作を変えることで対応しようということ。結局,実運用にまでは行かなかった。そういうシステムは,導入したらパッと使えるものではなくて,ダムの操作をオペレーターがちゃんと学習しないといけないので,トレーニングが必要です。だから,そういうことも含めたシュミレーターを作成して,このタイミングでゲートをこれだけ開けたら,下流はどれだけの水位になるということも表示し,オペレータ自身が選択して,最適操作方法を習得できるシステムにしておりました。

 このシステム開発は,文科省が進めていたデータ統合・解析システム,英語の頭文字をとってDIASという大きなプログラムの一環でやっておりました。1期5年を2期,計10年を終えて,2016年から始まる第3期の計画を立てる段になって,文科省から第3期は民間と共同でないと立ち上がらないと言われました。私は,第1期,第2期の代表者をやっていたのです。だから,第3期を立ち上げるのは私の義務だと思っていましたが,私はずっと公共との協力を進めてきていたので,「民間と協力なんてやったことがないので無理です」と言ったのですが「先生、それではDIASはもうないですよ」と言われてしまった。それはないだろうと思って目をつけたのが,電力会社のダムです。中部電力の畑薙第一,第二,井川と,あと東京電力の犀川沿いの発電ダムです。

中野: 民間協力だから電力会社ということですね。

小池: まず中部電力に話をしてみました。大井川のダムに関連し「こういうシステムがあるけど、使ってみない?」と。そうしたら先方も「やりたい」というので,じゃあ一緒にDIASでやろうということにして企画した。そうしたら東電もやりたいと仰ったので,2015年に申請して翌年から始まり,今ようやく出来上がってきました。

中野: やっと実現するのですね。

小池: 八ッ場ダムの計画時には,シミュレーション段階だったのですが,操作を工夫するとどれだけの価値が生まれるかが問われます。今の容量だけでは確かに2万2 000tは取れないけれど,高度に操作して事前放流も含めて複数のダムの連係操作をやっていくと,2万2 000tは実現可能だというのが,私の考えの基本です。実現にはまだまだやらなければならないことが多いのですが,着実に開発していきたいと思っております。

中野: なるほど。八ッ場ダムは,歴史的にもたくさんの反対意見があったのですが,ダムが出来た場合の効果はすごく大きなものだと思います。もう少しで完成ですが,そこに先生が関わっておられたというのが,すごく重要なことだと思いました。


地球環境の変化について

中野: 先生は今,ICHARMにおられるのですが,気候変動で日本以外でもいろいろな国で水害とかが起こり,災害もグローバル化している訳ですが,そこで日本は災害対策の技術を持っているので,世界レベルで防災活動に貢献されておられることについて,教えて頂ければと思いますが。

小池: まさに今おっしゃったように,日本はかなり高いレベルの災害対策のための科学技術力を持っています。実際,これだけ水害が多く発生し,その他に地震もあるし,火山の噴火もあるというところで,経済的にも繁栄をしているのは科学的な知見を基に投資を進め,非常に高い防災能力を培ってきたからです。だから,そういうものを各国に技術供与し,学んで頂くという狙いがあります。それには,2つの方法でやっておりまして,1つ目は,それぞれの国に行って,日本のやり方を当てはめた時にどんな水の管理,治水が出来るかを提案するということ。アジア中心に主に洪水についてやっています。渇水はブラジルから始まりました。アフリカも今年まず洪水から立ち上がります。

中野: 日本の技術を現地に持って行く方法ですね。

ICHARMの目標としていくこと

小池: 洪水は,雨の予測が出来ると予報が早くなりますので,その分,人の命を守ることも可能になるということで,まずは雨の予測,気象的な予測から,もちろん観測をした雨を使った洪水予測というのも,両方込みでそういうものがリアルタイムでそれぞれの国で利用出来るようなシステムを構築しています。スリランカでは現業的にリアルタイムで運用していますし,フィリピンでも試行的なデータを流し始めています。一方,渇水については,ブラジルの東北部で,渇水の季節予測まで含めた農業プロジェクトを手掛けています。渇水になって作物がとれなくなるのを防ぐためにモニタリングと予測をやっています。そういうふうに,ICHARMで作ったシステム,科学技術を各国に供与し,それが実装され始めています。

中野: もう1つの活動は,どういうことですか?

小池: 向こうから人に来て貰うという方法です。例としてはパキスタンのインダス川プロジェクト。パキスタンの人が日本に来てしっかり学んで,日本からも行ってトレーニングをして,まず最初,第1期はICHARMで作ったシステムを入れ,第2期は彼らが作って,彼ら自身で運用するというところまでもう来ています。要は人材を育成していく方法で,先方の国に役立つようにするというもの。ICHARMは政策研究大学院大学と協力して,修士課程と博士課程の教育を提供しております。1年間の修士教育では講義を3,4ヵ月。残りは研究論文でその国の水災害の課題を持ってきて貰い,ICHARMで課題を解決して,持ち帰って貰うというような論文研究をやっています。これも次第に成果が上がって来ています。

中野: なるほど,海外でも着実に成果が出ているということですね。

日本の水害について

中野: 一方,日本の現状としてはどうでしょうか?最大の問題は?

小池: 先程,少しお話したように雨については,気候の変化に伴って降り方が従来とは大きく変ってきているのが問題です。しかも,少子・高齢化で,例えば,先日大きな被害が出た岡山の真備町では,破堤で多くの住宅が浸水し,51人の方が亡くなられたのですが,その9割が65歳以上でした。我が国の少子高齢化の進行で,今は65歳以上の人口は1に対して15歳から64歳の人口が2程度です。が,これが50年後になると1.4に減っているのです。つまり,助けることの出来る人が減って,支えなければいけない人の比率が増える。今後は,こういう状況が進行していくだけなので,どれ程大きな問題か…。

中野: 日本の国力としては,本当に脆弱になりかけていて,何か対策を講じなければ,その時になって困っても遅い。そういうところに問題意識が向かわないというのは,恐いことなのですね。

小池: 真剣に議論すべき時です。2015年に鬼怒川の堤防が切れた時には,みんな逃げれなくて,結果的に約1 300人がヘリコプターで救助され,約3 000人がボートで救助されました。社会資本整備審議会では,逃げ遅れをいかに減らすかという視点で「水防災意識の再構築」という答申をまとめ,市町村長さんが避難勧告とか避難情報を出せるというのをメインにしました。これは国管理の河川を意識したものでしたが,翌2016年には北海道や岩手で災害が発生し都道府県管理の中小河川版が必要になり,2017年1月に答申しました。さらにこれら2つの答申をもとに水防法が改正されましたが,その施行の2週間後に九州北部豪雨災害が起こってしまいました。昨年は,広島,岡山,愛媛と西日本の水害が続いた。死者・行方不明で237人です。この数字は,私が学生の頃,1982年にあった長崎豪雨以来のものです。いかに被害が大きくなって来ているかが分かる。

中野: 近年は,情報が多くても土壇場まで逃げなくて,犠牲になる人が多いとも聞きますし。

小池: 気候が変化し,ハザードも激甚化しています。一方で社会も脆弱化していまして,日本は実はまだまだ学ばなきゃいけない。私は,途上国に行って申し上げるのは,みんなで一緒に学ぼうということです。近年の気象の変化に日本はまだついていけてない。いろんな対策をしているけれども,まだ追いついてないと感じています。

中野: 若い人に受け継いでいかないといけないですね。

小池: 本当にそう思います。

人とのつながりを大切に


中野: もう1つ,先生が取り組んでおられた雪ダムのことを伺いたいです。

小池: 雪ダムのアイデアは,山の斜面に積もっている雪を,人工雪崩を起こして谷に貯めたらどうだろうというもの。雪が融けるというのは主に雪の表面で,大気と接するところですので,その面積が小さくなれば融ける雪も少ないと…。斜面全体に雪があったら全体の面積は大きいです。そうすると日が当たってすぐに融けちゃうのですが,谷に貯めると表面積が小さいから,融けるのもゆっくりになります。すると8月になっても雪が残る,つまり雪渓です。高い山に登ると所々にみられる雪渓を場所を選んで人工的に造ろうというのがもとのアイデアです。実は,このアイデアは,去年亡くなられた名古屋大学の樋口敬二先生という,氷河の研究をやっておられた先生が出されたものです。その第1候補地として出されたのが関川の上流の妙高山地,そこに火打山というのがあるのですが,そこで雪崩を起こすと下の谷に貯まり,雪ダムになると樋口先生がおっしゃった。それを実証するために委員会を立ち上げ,そこに私が入ったのです。

中野: なるほど,自然任せだと春になれば雪は融けてしまうが,人工的に雪崩を起こして雪を谷に貯める工夫をすれば,より長く保てるということですね。


富士山八合目での融雪観測(1988〜1991年)



雪ダム構想で計測した雪渓(1991年)
小池: 発想は単純です。ダムも放っておけば流れてしまう水を貯めておくことで,後で利用出来る。それを雪でやってみようという事です。ところが,妙高の火打山は国立公園の特別指定地区で,実は石1個動かすことが出来ません。そこで,これでは実験が出来ないということになり,関川の下流に雪が結構降るところがあるので,そこで実験しようということになりました。人工雪崩を起こすには,スキー場での雪崩を防止するためのガス砲というのを使われていまして,それを利用させて頂きました。雪崩実験はスキー場でやれましたが,雪ダムそのものについては,自然に貯まった雪がどこまで持つかということしか実験が出来ていません。谷に落とすので表面積が小さくなりますから,表面部分の融雪は少なくなりますが,雪渓下面と下にある川の流れの表面の間での空気と熱のやりとりで融けていく量が結構あるということが分かりました。雪渓はご存じですよね。

中野: はい,分かります。

小池: 雪渓の下は川のように水が流れています。その影響が結構多く,よほど沢山雪を落とさないと夏まで残らないということになり,実証的にはなかなか難しいという結論になり,雪ダム構想は終わったはずです。

中野: なるほど,ちょっと残念ですが,ダムのように雪を貯めるということはなかなか難しいということなんですね。

小池: そうですね。実現するには標高が高く,気温が低い場所で,しかも雪が結構あるところで,深い谷に雪を効率的に落としていける場所があれば良いのですが,そういうところは,大体国立公園になっていますので実際には難しいのです。

中野: 良いアイデアだけど,実現する場所がないと。以前に吉津さんにインタビューした時,黒部ダムの運用で雪解けの頃に水を溜め込み夏場の電力需要逼迫時に使いたいということをお聞きしました。黒部でも取り組んでおられたのでしょうか。

小池: その吉津さんに依頼されて,黒部では,私のところで開発したシステムの適用実験を進めております。雪が降ってくる量の推定と雪が積もる量,それから融けて出てくる水の量,その全てのシミュレーションシステムです。この精度は,世界最高レベルといってよいでしょう。それを今,黒部ダムに当てはめて,雪を今のダムで最適利用するためのシステム作りを関電とやっているのです。関電と東大,ニュージェック,日本工営との共同です。

中野: 吉津さんはニュージェックの社長になられましたね。

小池: 彼は情熱を持っている方で,黒部の融雪水を無駄にはしたくないという共通意識から,基本システムを作ってきました。

中野: いろんなご縁があるのですね。

小池: そうですね。いろいろな人とつながって仕事が出来れば,成果も出て来るでしょう。これからもそうありたいと思っています。

中野: 本日はお忙しい中,お時間を割いて頂いてありがとうございました。とても楽しいお話を伺うことが出来ました。

小池俊雄先生 プロフィール
昭和31年11月25日生
専門分野 水文学 リモートセンシング
1985年3月 東京大学大学院工学系研究科博士課程修了東京大学工学部助手
1985年4月 東京大学工学部助手
1986年4月 東京大学工学部専任講師
1988年4月 長岡技術科学大学工学部助教授
1999年3月 長岡技術科学大学工学部教授
1999年8月 東京大学大学院工学系研究科教授(2017年3月退任)
2006年4月 東京大学地球観測データ統融合連携研究機構機構長兼任(2010年3月まで)
2014年10月 独立行政法人(国立研究開発法人に名称変更)土木研究所水災害・
リスクマネジメント国際センターセンター長(現在まで)
2015年2月 社会整備審議会委員,河川分科会分科会長(現在まで)
2017年6月 東京大学名誉教授(現在まで)
2017年10月 日本学術会議会員(現在まで)
2019年2月 科学技術・学術審議会委員,地球観測推進部会長(現在まで)

受賞歴
(1985年5月) 土木学会 論文奨励賞
(2000年10月) 気象学会「堀内賞」
(2001年3月) 土木学会水工学論文賞
(2003年10月) 米国航空宇宙局(NASA)グループ功績賞
(2008年3月) IPCC2007年ノーベル平和賞受賞貢献感謝状
(2009年8月) 水文・水資源学会国際賞
(2009年9月) 中国科学院アインシュタイン教授賞 
(2013年8月) ベトナム国自然資源環境大臣賞
(2015年9月) 水文・水資源学会学術賞
(2019年1月) 中国科学院国際協力賞

学会
土木学会,水文水資源学会

[関連ダム]  八ッ場ダム
(2023年5月作成)
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