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ダムインタビュー(69)
魚本健人さんに聞く
「若い人に問題解決のチャンスを与えてあげることが大事」

 魚本健人(うおもと たけと)さんは、1971年東京大学を卒業後、大成建設へ入社され、本州四国連絡橋整備事業等に従事された後、1978年に母校の東京大学生産技術研究所に戻られます。その後、1998年に東京大学国際産学共同研究センター教授に就かれ、2001年には東京大学生産技術研究所都市基盤安全工学国際研究センター長に就任。さらに2007年には、芝浦工業大学教授に就任され学生の指導にあたられる他、コンクリート分野の第一線で研究・開発に取り組んで来られました。
 2010年からは、独立行政法人土木研究所の理事長に就任されておられますが、その他に土木学会コンクリート委員会委員長、日本プレストレストコンクリート工学会(JPCI)会長、日本コンクリート工学会(JCI)会長等の要職を務められ、我が国のコンクリート工学の進歩発展をけん引して来られました。また、多数の国際会議で議長を務められる他、ゲストスピーカーを務められる等、世界のコンクリート工学の発展にも大きな貢献をなされました。


 今回は、土木研究所理事長、ダム工学会会長という我が国のダム技術を担う組織のトップとして我が国のダムが抱える諸課題にどう向き合うべきかを伺ってまいります。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)

小学生時代は海外の学校で過ごす

中野: 小さい頃は海外での生活だったと伺っておりますので、まず生い立ちからお話をお聞きかせください。お父様のお仕事のご都合で海外に行かれたということですか。

魚本: 生まれたのは日本ですが、父親が外交官でしたので小学校から中学校の2年生ぐらいまで海外におりましたので、日本の小学校は出ていません。これは後々、自分自身の考え方に影響してくるのだと思います。

中野: 具体的にはどちらの国にいらしたのですか?各地を移動されたのですか?

魚本: ヨーロッパとアジアでいくつかの国に行きました。

中野: なるほど小学校に入る頃からインターナショナルな環境だったのですね。

魚本: というよりもただ普通に現地の学校に通学していましたので、インターナショナルスクールで、いろんな国の人がいるというような洗練された環境ではありませんでした。

中野: 学校では日本語で勉強されていたのですか。

魚本: いいえ、現地の学校ですから日本語は一切通じませんでした。(笑)

中野: では、日本に戻られた時に日本語の読み書きに不自由されたということもありましたか?

魚本: 多少は。中学生になってから日本に戻りましたが、日常的なことで、日本語を読んだり書いたりというのがすんなり出来ず、なかなか難しかったような気がします。小学生の初めから海外で勉強し始めたという関係からか、日本らしい勉強のやり方をやっていなかったので、ごく普通の日本的な感覚が身についておらず、ギャップを感じていたのかも知れません。

中野: 海外と日本では、教育方針が違っていたということですか。

魚本: それもあります。それから、遊ぶスポーツも違いました。日本では小学生がやり始めるのは主に野球ですが、向こうではだいたいサッカーでした。

工学部を選んだ理由は

中野: 中学生で日本に戻って、その後、東大の工学部に進学しようと思われたのは、どのような理由からでしょうか?

魚本: いくつかの国で、日本とは違う暮らしの実情を見て来ましたので、事務系の仕事に就くよりも、何か技術を身につけている方が良いと思ったのです。例えば、タイに居た時に、井戸を掘る日本の技術者がおられたのですが、地元では神様みたいに言われて、大変尊敬されていました。そうやって技術で役立っている姿を見ていると、自然に土木のように具体的に人の役に立つ仕事が良いのではないかと。そういう仕事は言葉が通じなくてもコミュニケーションが出来るというのがよく判る訳です。それ以上に、人々の尊敬を集めるのは、何か技術を持っているのが良いと思ったのが一番強かったと思います。

中野: 進路を決めるに当たって、影響を受けられたのはお父様や、海外のご経験ということですか。

魚本: それは、直接父から受けた影響というより、むしろ祖父からの影響だと思います。祖父は漁業、つまり漁師で若い衆の面倒も見ていましたが、彼らは漁から帰ってくると大抵は家に居て、何もすることがないと賭け事でお金を無駄に使ってしまうというような状況でした。祖父はそれを半ば強制的に貯金させたりしていました。それと、漁のない時、陸で何もしないでいると、ろくなことにならないと言うことで、副業として大工仕事の手伝いをさせて、建物を丸太に乗せて移動する「曳家」という技術を身につけさせることをやっていました。そういう生き方をみていたので、海外の経験とも相まって、身体を動かして働く建設分野に行くことに余り抵抗がなかったのです。

中野: なるほど。海外で言葉が通じなくても出来る技術の仕事と、身近におじいさまのお手本があったということですね。

魚本: 実際には高校生の頃、東京オリンピックが済んだ後の高揚した状況の際に、各地に新幹線を通すという計画も出始めており、先々には本州四国連絡橋が出来るという大きな話題もあったので、海に関わる仕事とは言えないかもしれないが、何かしらそういう規模の大きな仕事に携りたいという思いがありました。


入試で苦労した国語

中野: それで手に職をもてるような工学部を選ばれたのですね。

魚本: そうですね。しかし、大学を受けるに当たって一番困ったのは、国語が全然出来ないこと。とにかく国語のテストでは、良い点が全く取れなかったということです。国立大学を受けるには、英・数・国・理・社と5教科の試験を受けねばならず、特に東大はほとんど100点満点でないと受からない。私の場合は、国語のテストで答案用紙に全部答えを書いても零点というのがあるので、国語が5段階評価でいつも3ぐらいでした。(笑)

中野: それは日本語の読み書きが難しかったということですか?

魚本: 日本語というか、国語のテストで一番難しいところは、言葉で書いてあること以外にも読み取らなければならないところ。例えば、「この文章を読んで、なぜ著者はそう言ったのか説明しなさい」という問題があったら、他の国では、自分で理解した自由な考えを、自分なりの言葉で書くのが普通で、発想が自己中心型なのです。つまり、自分の頭で発想して物事を理解し、自分の考えを発表して、人を説得するというやり方をします。日本の場合はそうではなくて、周りの人がどう感じるかを考えることが重要で、自分には、そこでどういう意見が周囲に受け入れられ易いかが、まるで判らなかったのです。だから答案が書けない。東大を受けるに当たり、それが最大の課題でした。その代わりに、古文とか漢文というのは、日本文化が判らなくても、語学と同じ要領で解答出来るので、現代国語よりもそちらで点数を稼ぐしかないと思いました。

中野: そう言われてみれば、筆者はどういうふうに思っているか、深い意味の解釈を求められますね。

魚本: そういう勉強のやり方はやっていないので、古文、漢文はなるべく満点を取れるように勉強して、現代文については半分取れれば良いというスタンスで何とか受かることが出来ました。

卒業後はゼネコンへ

中野: 卒業後はそのままゼネコンに就職されたというのは現場志向だったということですか。

魚本: 先程、少し話しましたが、当時、本州四国連絡橋の計画が持ち上がっていたので、ぜひそれをやりたかった。高校生の自分には、そういう大きな夢のある仕事に思えたのが一番の理由です。それと、私が大学生の間はずっと学園紛争があった時で、東大の安田講堂でもいろいろな事件があり、ほとんど授業らしいものはなく沈滞したムードでしたので、とにかく身体を動かして仕事をしたいと思うようになっていました。

中野: 大成建設に入社されて最初からどこか現場に出られたのですか?
魚本: 本州四国連絡橋の計画が具体化する前の入社でしたので、それに向けての準備、例えば明石海峡大橋の橋脚を造るために、大手ゼネコンから各社1人ずつ若手を出して、施工計画を作るという話がありました。その時、本四架橋公団の吉田巌さんがチーフでしたが、そのプロジェクトに私も入れて頂き、いろんな勉強をさせてもらいました。明石海峡大橋は橋と言っても、とんでもなく大きいし、海の中で陸上の造り方とは全然違う造り方をします。橋脚は、設置ケーソン方式といって、鉄で組んだ枠を海の上を運んでいって沈め、その中にコンクリート打設して立ち上げるというやり方で、途方もない量のコンクリートを扱うのです。おそらくダム1個分以上の量を使うのです。そういう特別なやり方で橋の工事をやるのでいろんな経験ができると思いました。

橋を架ける仕事がやりたかった

中野: 実際に、現場には行かれたのですか。

魚本: 橋の工事は、山口県の柳井市と周防大島町に架かる大島大橋の現場を経験しました。これは日本道路公団の発注で、当時、海での工事をやっているのはマリコンだけでしたから、本州四国連絡橋関連の工事で、大手ゼネコンが関わったのが初めてだと思います。そういう意味では非常に面白かった。コンピュータで計算が出来るとか、新しいツールを使えるという事で、現場に自分より良く知っている人がそんなに居ないというのは、若い技術者にとってはすごく良かった。これがトンネルになると、もの凄い先輩たちがいるので若手は出る幕がないのです。いろんな分野に主みたいな人がおられるので、なかなか若手の言うことは通らないのですが、海の工事では、誰も経験していないので、若いながら、いろいろ言ったことが通りやすいのが魅力でしたね。

中野: なるほど。でも結果的に大成建設にいらした時間はそう長くなかったのですね。

魚本: トータルで7年ですね。

中野: その間に本四架橋の工事は進んだのですか?

魚本: いえ、本州四国連絡橋の本体工事は、実はやっていないのです。本体工事に取りかかる前、1974年にオイルショックがあった影響で、一時期工事がストップしてしまいました。現場の仕事としては、本四架橋に関連した工事もやりましたが、ストップしている間は、宅地造成とか全く縁遠いところに行かされるので、1978年に会社を辞めて、大学へ戻ってしまったのです。辞めた年の4月から工事が再開されました。それで、高校生の頃からやりたかった本州四国連絡橋は、事前の施工準備はやったのですが、肝心の本体工事には携わっていないのです。ただ未経験の分野を知るという意味では大変良い勉強になりました。あの頃は、いつまでたっても工事が始まらないので、多少投げやりな気持ちにもなっていたのでしょうね。

中野: 念願だった本州四国連絡橋の工事が始まらないと、モチベーションが保てないですね。

魚本: ちょうど、30歳を過ぎるくらいでしたから、なんとなくこのままだと嫌だなという気がありました。

研究機関へ戻った理由は

中野: 生産技術研究所に行かれた理由をお聞かせ下さい。

魚本: 小林一輔先生が当時教授をされておられ、「魚本君、来ないかね」という話を頂いたのです。「大学院は行っていないのです…」と言ったら、まあ何とかなるだろうということで…。コンクリートの分野ならゼネコンでやっていた時の技術とそんなに違うと思わなかったので、自分にもやれるかなと思って生産技術研究所へ入ったのです。

中野: ゼネコンでの現場経験があったからですね。

魚本: そうですね。コンクリートに専門的に取り組んだのはそこからで、それまでは、設計もやっていましたが、主に施工中心でしたので。



中野: 生産技術研究所で扱っておられたテーマは、コンクリートのどういうことを対象にされたのでしょうか。

魚本: 当時、小林先生がおやりになっておられたのは、1つは省エネ、省資源ということで、高炉スラグとか、廃棄されるものももっと建築材料として使いましょうという研究とか。それから、ファイバーコンクリートといって鋼繊維を入れたコンクリート、その有効利用というようなものをやりました。これは、ちょうど日本坂トンネルの火災事故が起こった時に、修復材として吹き付けで使ったので、それなりに役立ちました。それ以外には、鉄筋が腐食してコンクリートが劣化するので、エポキシ樹脂塗装鉄筋という、鉄筋にエポキシ樹脂を被覆した鉄筋を新たに開発して使おうとか、もう1つはFRP、今、航空機とか何かに使っているあれをコンクリートの補強剤として利用しようという、そういう分野の研究をしました。
コンクリートの魅力

中野: そこでコンクリートについて、ご自身で研究を始められた訳ですが、どういうところが面白いと思われますか。

魚本: 私は、コンクリートは料理によく似ていると思います。例えばAという材料と、Bという材料を同時に入れるか、それとも前後に分けて、Aを入れてBを入れるか、Bを入れてAを入れるかということによって、特性が全然違ったものが出来るのです。コンクリートを追求して行く時に一番面白いのは、素材は水と粉だけですが、水を先に入れておいて粉を入れるか、粉があるところに水を入れるかだけでも違うのに、その入れ方を変えて、少しずつ入れながら、練ったりするとかいうことによっても全く特性の違ったものが出来ます。そういうところが非常に面白いのです。

中野: なるほど、素材の扱い方で変わるということですね。

魚本: まさに素材の妙味。一方で、ダムに使うようなコンクリートは、ほとんど微粒分のないようなもので、これはまた、こんなものが本当に締め固まるのかというものが実際にやってみると結構締め固まるのです。材料的にみるとすごくシンプルなのですが、コンクリートはいろんな意味で興味深い材料です。

コンクリート構造診断士制度のスタートは

中野: 話は変わりますがJCI(日本コンクリート工学会)でコンクリート診断士という新しい資格制度の創設をされたとお聞きしたのですが、どのような資格でしょうか。

魚本: 1990年代以降、我が国では劣化し始めるコンクリート構造物がたくさん出てくるということは解っていました。そして、海でも山の構造物でも、環境の厳しいところがより早く劣化するのにどう対処するかということについて、今現場にいる誰も全く習っていないのが現状です。これからものすごい数の構造物でコンクリートの劣化が出てくる時にメンテナンスの数も多く出てきて面倒みきれない。それを理解してやれるようにした方が良いのでは、という話を私からさせてもらいました。
 コンクリート診断士というのは、実際に出来上がったものが今どういうレベルにあるのか、今後どうしなければいけないかということをやるのです。その部分がなかったので、資格制度を創って、将来必要になるから、資格として確立させてはどうかと提案させて頂きました。

中野: それは先生がJCIで会長をされていた時でしょうか?

魚本: 2000年ですから、生産技術研究所の副所長の時かと思います。

中野: ご提案はスムーズに受け入れられましたか。

魚本: 以前、理事会に諮った時、そういう資格は要らないと猛反対に合いました。それから、建築、土木でも例えば道路とか鉄道とか、いろんな方のご意見を伺ったのですが、メンテナンスのプロがいるので必要ないと言われなかなか認めて貰えませんでした。しかし勉強は必要だということを理事の方々に認めて頂けたので、とりあえず勉強するための教科書を先に作らせて頂きました。その教科書を使って講習会をやって、技術者の皆さんに試験を受けてもらうことで、2000年に一般公募したわけです。

反響がすごかった資格試験

中野: 試験はたくさんの方が受験されると思われましたか。

魚本: その時は、確か受ける人が恐らく約2,000人という話だったので、500人程度入る会場を4つ押さえましたが、申込み初日で予定数をオーバーしてしまいました。そこで急遽、幾つかの会場を押さえました。総数で5,000人近かったと思います。

中野: 需要があったということですね。試験が難しくてなかなか合格しないと。

魚本: 難度については、例えば、私でも大学の先生でも、事前に勉強せずに試験を受けに行って受かるようではだめで、きちんと試験勉強をしてようやく受かるという程度にして欲しいと要望して第1回目をやって貰いました。結構難しい試験になりましたが、資格試験というのは、ある程度以上の保有数がないと世の中では認めて貰えないので、最低でも1万人以上はいないと成り立たないものです。すると、日本全体でみると1つの県で200人ぐらいです。50県として計算して200人ぐらいずつ。その位いないと、ちゃんとした資格とはみられない。これを10年間で1万人にしましょうという計画になりました。年平均で1,000人ぐらい受かればいいかなと思いました。


ダムの維持管理について



中野: ダムとコンクリートについてお聞きしたいのですが、先程、コンクリートの維持管理に触れられましたが、ダムのメンテナンスについて何か考えられていることはありますか。

魚本: ダムにはコンクリートばかりではなくフィルダムもありますので、全部のダムに一律とは言えないのですが、ダムを取り巻く状況を考えると、現在あるダムが古くなったからといってそれをやめて、全然別な所にダムを造ればいいとはなりそうもないでしょう。

中野: そうですね。すでに良いダムサイトにはダムを造っていますから。
魚本: ということになると、今あるダムをもっと上手く使うことが必要です。そのためには、例えば、有効貯水量が堆積土砂で埋まって減少するのであれば、うまく土砂を排出することで維持するとか、地震に対して十分な耐震性を持たないものについては、今あるダムを補強するという形でずっと使えるような状態を維持しましょうという訳です。ダムそのものは、それほど短期間でダメになる構造物ではないのです。
 ダムは無筋コンクリートで、高さ100m、幅100mというスケールです。前半にお話しした橋やトンネルに比べても巨大なので、仮に劣化したとしても、それは表層部分がやられるだけで、例えば年間1cmずつ削られていくとしても、橋だったら元の寸法が30cmぐらいしかない。それが1cmずつ上下から削られると、結構早く小さくなってしまう訳です。ところが、ダムだと100mというようなスケールのものが年に1cmずつ削られるとしても、10年単位ではほとんど影響しないのです。むしろ堆積土砂で貯水量が減って使えなくなっていく方がはるかに早いのです。そういうことを何とかカバーすることを考えた方が良いですし、それによって下流の自然の確保もうまくできればという考え方がダムの維持管理の方針ということになるでしょう。

海外のダムについてのイメージ

中野: ダムは長く使っていくことが大事ですね。日本では脱ダムの影響で自然破壊の原因のようなイメージがありますが、海外でのダムのイメージはどうでしょうか。

魚本: イメージはよく判らないですが、ダムについての考え方は、日本のような島国と大陸にある国では違っていると思います。大陸を流れている川は、長さがあり流れている水量も多く、勾配がずっと緩やかで、とうとうと流れています。例えば中国の揚子江のどこかで流れを止めることになると、とんでもない量の水でそういう発想をしません。しかし、日本の川だと、急勾配のところを一気に流れてしまうので、それを流さず止めるダムを考えます。日本にはダムが2,700基以上あるのですが、その有効貯水量を全部足してもアメリカのフーバーダム1基の貯水量に届かない。それ位、スケール感が日本と大陸では違うのです。それは逆にいうとダムの使い方が違うと思います。長くて大きい河川のところに造るダムと、非常に細い川で水が一気に流れてしまうようなところに造るダムでは意味合いが違うと思います。

中野: なるほど。海外ならではのアプローチというのはどういうことですか。

魚本: 海外の場合は日本と違い、川を利用するにも自国だけで事が済まないことがあります。例えば、メコン川にもすごい数のダムが建設されていますが、いろんな国に影響があります。欧州でも川は1つの国だけを流れているのではなくて、いろんな国を通って流れているので、川の途中で何かが起こったら、先々いくつもの国が影響を受けるので対応が難しいということがあります。だからこそ、川を利用するにも皆の合意を得るということが、単に地元の人たちの意見ということだけではなくて、その河川をどういうふうに位置付けるかというところまで考えるので、日本でやっているのとは意味が違うと思います。

中野: そういうところが大陸の国と島国の違いでしょうか。

魚本: そうですね。大分違いますね。

留学生との交流

中野: 海外との交流ということになるかも知れませんが、東大では積極的に留学生を受け入れているそうですが、どういうところから学生が来ているのですか?

魚本: 東大の土木の分野では、留学生を成績順に採用すると少数の国に偏る可能性が高いので、なるべくいろんな国から来てもらった方が良いということで、西野先生、岡村先生が中心になって、文部科学省に掛け合って頂き、毎年、奨学金の枠がある程度確保出来るようにして海外から学生さんを受け入れることにしました。途上国の学生は普通、日本で勉強したあとアメリカとかヨーロッパへ逃げてしまうケースが多いのですが、その国の将来に役に立つように、なるべく国に帰すようにしてあげる。そういう発想でやっていますので、かなりの部分の留学生は自国に戻って、学校や会社で働くようになっています。

中野: 留学生の、日本で学んだ感想はどうですか。

魚本: 学生から見て、日本の生活は自分たちが思っていたのとはかなり違うようです。日本は面白い国、変わった国という感想が多い。最大の理由は、日本人は皆真面目でよく働く、よく勉強する。それから、組織も上下関係があるようでないと言うと語弊があるかも知れませんが、大変に仲間意識が強いということを感じるようです。先輩が絶対偉くて後輩の面倒をみなければいけないということが自分の国にはないという感想を言っています。だから結構良いものを自国に持って帰ってくれているのではと思っています。

中野: 留学生が言う、日本では組織に上下関係がないというのは。

魚本: 実際には、上下関係はあるのですが、同じ構造物を分担して建設するような場合に、海外とは違ったような雰囲気だということですね。

日本と海外の違いについて

中野: 逆に、日本は海外で土木の仕事、ダムの仕事を受注しようと頑張っていますが、海外でうまくいくためにはどうしたら良のでしょうか。

魚本: 簡単にいうと、これはダムに限らず、海外で工事をする時には、そこの国の人たちの習慣などをある程度考慮してあげないとダメだということでしょう。それが1つ。
次にもう1つ、考慮するだけだと状況に流されますから、自分の考えていることを声にして出すということ。例えば、ここはこういうふうにやる、と具体的に言わなくてはいけません。
 海外に行った時によく判るのは、日本の先生方は、例えば、計算式を教えて学生が計算したら終わりというのではなく、それを使って実際の現場だとこうするという話まで、延々と説明して細かいところまで教えているということです。現場だと、普通は作業員がやるところまでエンジニアがやるので、技術や勉強が必要だということが全員に判ります。逆にいうと、海外でやる時でもいわゆる海外流の上から目線の上意下達で監督がこうやれといって、その通りに作業員が動かないのはだめだということではなく、やる人が納得するやり方を根気よく教えていくことが結果としては効果が大きいと私は思っています。

中野: 大陸と島国では何から何まで違うということですが、日本は、きめ細かくてダム技術もすごく丁寧にやりますが、海外でダムを造る時は、割と大ざっぱということでしょうか。

魚本: 細やかの意味が多少違うのかもしれませんが、別に欧米のやり方が大ざっぱだという訳ではありません。これは恐らく日本の文化が持っている1つの特性だと考えています。
例えば、同じ事を何度も繰り返す。極端な例ですが、ダムでコンクリートを打ち上げていく時は、ほとんど毎日全く同じことの繰り返しです。本当に成果が上がったのか、判らないまま同じ事を繰り返します。大事な事は、単純に同じ事を繰り返しているだけではなく、今までよりもっと良い方法はないだろうかと思いながらやっているのです。それが日本で技術を学んだ学生にはすごく新鮮なことのようです。コンクリートは料理と同じと言いましたが、AとBを混ぜるという事だけを教えると、それはそれで終わってしまいます。ですが、入れる順番をAとB、BとAと変えてみると出来るものの特性が違う。さらに、AとBの割合も変えたらこんなに違うというのを現場で見せると、すごく面白いと反応してくれます。

中野: 留学生に教えるのは大変ですか。

魚本: 統率するのは結構大変です。研究室にいても習慣も考え方もいろいろ違いがあって、何をするにも、必ず意見が分かれますから。土木構造物は、1人で造れる物は何一つないのでたくさんの人が協力しないと出来ないのです。そこで何が求められるかというと、まずは同じ考え方を持たないといけない。みんなが違う考え方だとバラバラになってうまくいかない。実験室でも今日はBさんの方法でやってみて、自分が言った方が良かったとか、こっちの方がもっと良かったとか意見の違いが出てくるのですが、そういう議論をすることで、自分たちの考え方がそれなりに修正されていく過程が体験出来るのです。それが学生には影響がすごく大きいと私は思っています。
 どちらかというと、経験則を1つのラインに乗せる技術だと思いますが、そういう手法も発想も、日本以外の国の人にはないものです。海外では、私は砂をふるう係だとか、私は砂利を混ぜる係だとか、細かく分かれているので、お互いがつながらないのです。日本はスケールが小さいなりに、1人で全部やらされるので、いやがおうにも身につくのです。

中野: つまりいろんな工程の全部が判るようになると。

魚本: それが判って、もっとこっちの方が良いのでは?という話が出くるのです。それが日本式と海外の違いだろうと私は思っています。

出て来た新しい芽をうまく育てたい

中野: 土木研究所は2015年から国立研究開発法人になりました。そこで理事長としてこれからの土木の世界に期待されることをお聞かせ下さい。

魚本: 私としては、土木研究所が世界の主たる土木分野の研究所に居続けられるようにしたいと、最初から思っています。そのためには、やっぱり新しいことを開発すると同時に、それを発信することもしないとだめですね。

中野: そうですね。

魚本: そこで新たなことを考えていくのに何が必要かというと、まず時間です。今年度から、プロジェクトの期間が今まで5年間だったのが6年間に延びました。1年だけですが、その分長く研究出来るので、その間に出て来た新しい芽をうまく育てたい。そのためには、なるべく挑戦的で、無難さを排除していかなければと考えています。短い期間で区切られると、やる前からこれなら出来るだろうというテーマばかりやってしまいますが、そうではなく、こんなの本当に出来る?というテーマを一緒にすることで、こちらとしてはその結果を楽しむというスタンスが持てる。それから、その結果に驚くという素直なリアクションを忘れないこと。テーマについては、自然と成果が見込めるものと、そうでないものも混ぜたような方法をとって新しいものを創り出していくアプローチが非常に大事だと思っています。
 ダムの分野でいうとCSGです。要するに従来のJISなどの規格外のものでも利用して有効利用するという考え方です。CSGに限らず、他の材料でも材料特性を考慮した設計を活用すればいろいろ造れるのではないかと思っています。


中野: コンクリートの応用範囲が広がる訳ですね。CSGはダム技術から発展して他のところにも利用出来るという例ですが、もっといろんな分野で発展させていくことができるといいですね。

魚本: そうですね。もっと違うものが造れるかもしれないと思っています。例えば施工で言えば、GPSを取り入れて機械に預けてしまうと、ほとんど完全自動に近い状態で造っていけるかもしれない。そういうやり方もありますが、そればかりやっているとちょっとした違いに気がつかなくなるのです。

中野: それは問題ですね。

魚本: だから、淡々と繰り返すというようなことでも、機械を当てにしてやっていると大きな間違い、というか人間の見落としが起こり得るので何とかして防がないといけないのです。先ほど言った新しい芽になりそうなものを創ってあげるということにもつながるので、そういうところからも考えていきたいと思います。

中野: いろんな見方が出来ると、例えばメンテナンスの時も応用が効くのでしょうね。

魚本: それは、ありますね。新しい芽が出て来ている中で、そういう応用力をさらに高めていけば、何かものになるようなことがあると思います。

好きなダムは

中野: 先生はお好きなダムってありますか?もしあれば、どういうところがお好きなのか伺っても良いですか?

魚本: 私は、最初に見たのが黒四ダムで、それが好きです。なぜかというと母親が大町の出身で、ダムといえば黒四ダム。それが当たり前でした。

中野: なるほど。

魚本: ごく普通の答えですみません。(笑)それから、学生の時に夏の研修で行って良かったのが、深山ダムです。すごく風光明媚というか、良い景色でした。そこで天皇陛下にお会いできたというので記憶に残っています。それから、米国のフーバーダム。実際に見ると、今まで関わってきたダムとは全然違う。まさに桁違い、オーダーが違うという感覚になります。技術屋なら1度で良いから、あんなヤツをやってみたいなと普通に思いますよ。

黒部ダム (撮影:小沢慎一)

深山ダム(撮影:Dam master)
中野: そうですね。技術者の方は皆さんそういうふうおっしゃいますね。実際に目の前にするとすごいダムだと。

魚本: それはもう圧倒されますよ。あの時代に、あのダムが出来たからこそ、カリフォルニアというか、ロサンゼルスの街に何とか水が供給出来て、発展したのだろうと想像します。

日本のダムの将来について

中野: 現在、魚本さんはダム工学会会長、土木研究所理事長をされておられますが、日本のダムが抱える諸問題や展望などをお聞かせ下さい。

魚本: 急に大きな話になりますね。(笑)まず私が思っているのは、常に前に進んでいくスタンスが必要なこと、そしてそれを少しでもいい工夫はないかということを常に考えるということが必要です。
 そのためには、若い人たちの考え方をもっとうまく中に取り入れてあげて若い人に問題解決のチャンスを与えてあげることが大事でしょう。そのプロジェクトが終わった時、その人にとって大きな果実になりますから。自分でも、こんなうまくいったとか、やっぱりあそこはもう少しこういうふうに考えておけば良かったとか、いろいろと考えるところが出てくると思います。そういう事を経験することで、結果的に人を育てると同時に、その技術も新しいものに進めていけるということがものすごく大事です。
 今、土木研究所では新しい施工方法などいろいろな研究をしています。また、品質管理と品質チェックのような工程も同時に出来る方法はないだろうかとか、運搬するのにもっと容易に管理する方法はないだろうかということをどんどん追いかけてやるのが大事だと思います。日本が先に進んでそれをうまく途上国にフィードバックさせてあげると、それに皆さん付いて来ますから、すごくレベルも上がるし、すばらしいものになっていくだろうと思います。

with Dam night での開会挨拶

with Dam night
中野: 途上国でのインフラ整備の問題点は何ですか?

魚本: 例えば、バングラデシュでは、砂はあっても砂利がないのでコンクリートに入れる骨材がないのです。そこでコンクリートに入れる骨材としてレンガを使います。しかも天日干しで焼いていないので、コンクリートになってもグズグズです。ですから、コンクリートで建物を造ったとしても地震に弱い。この国では、結構大きな地震が起こりますが、以前にもコンクリートの建物が地震で崩壊して大きな被害が出たということが避けられなかった。その時に、こういうふうにすれば良いということを教えてあげると同時に、例を示してあげる。そうすると、やっている人たちにすれば、自分たちにも出来るのではないかと思うだろうと思います。

ダムを理解してもらうためには

中野: 3.11の震災の時、日本のコンクリート構造物はそんなには壊れなかったのは、世界に誇れますね。

魚本: まさに、そうですね。全体として、被害は確かに大きかったのですが、従来のコンクリートでも十分に耐えたということで、そこは技術者の自信になると思います。これからはダムを含めて、コンクリート構造物は今まで以上に長い期間使うことを想定したプランを作ることが必要ではないかと思います。例えば、それが100億円で出来るものが120億円かかるようになったとしても、それによって使える期間が2倍に増えるのであれば、十分割が合うのではないでしょうか。皆さんが納得出来るような形で出してあげられれば、より良いものになっていくのではないかと思います。普通は、なかなか長持ちするという話は出て来ないのですが。

中野: 耐震性の良さがクローズアップされるのですか。

魚本: そうですね。今まではどうしても強度中心で丈夫であること、建物が壊れないこと、それが第一前提で、市場のニーズもそればかりになっていて、後の事はうまくいかない部分があったのですが、全く別な視点、例えば航空路線で言えば、LCC(Low Cost Carrier)のような低コスト運営、安い運賃を提供することも評価基準にした時のビジネスモデルはこうなりますというケースがありますので、土木や建築分野でも、もう少し利用して貰えると良いのではという気がします。

中野: そうですね。日本の優秀な技術というのを海外にうまくフィードバックしていくような事ができればと。

魚本: ダム工学会のイベントで、with Dam nightがありますが、一般の方にダムという構造物の理解が深まってくれば、造る側の意識もさらに変わっていくのではないかと思います。理解して貰うというなら、こちらも逆に情報を発信していかないといけないし、それもただ発するだけじゃなくて、一般の人がダムをどういうふうに見ているのか?というのも気にする方が良いですね。そのためにもダムマニアさんから教わった方がいいのではないかと思います。

中野: ダム協会でも、ダムマイスター制度というのをやっているのですが、ダムに詳しい人に、一般の人にダムをアピールして貰うということで、一般目線で一般の人に話すので、判りやすいと思います。そういう機会をさらに増やすにはどうしたら良いでしょうか。

魚本: 特にこれという案はないのですが、ダムを管理する人も、一般の人との交流が増えるように考えて貰えればと思います。

中野: 本日は、貴重なお時間を割いて頂き、ありがとうございました。




(参考) 魚本健人さん プロフィール

魚本 健人 (うおもと たけと)
国立研究開発法人土木研究所 理事長

1947年 3月5日生

1971年 東京大学工学部土木工学科卒業
1971年 大成建設株式会社入社
1978年 東京大学生産技術研究所助手
1981年 同研究所助教授
1992年 同研究所教授
1998年 国際産学共同研究センター教授
2000年 東京大学生産技術研究所副所長
2001年 都市基盤安全工学国際研究センター長
2007年 芝浦工業大学教授、東京大学名誉教授
2010年 独立行政法人(現国立研究開発法人)土木研究所理事長 現在に至る

(研究・開発経歴)
1978 年〜1998 年 東京大学生産技術研究所
1998 年〜2000 年 東京大学国際・産学共同研究センター教授
アルカリシリカ反応のモデル化、エーライトの水和反応に関する研究、
FRP 材のコンクリート構造物への適用、AE による非破壊検査技術等
T.Uomoto, H.Hodhod: Evaluation of Tensile Strength of FRP Rods with Aligned Continuous Fibers, Advanced Composite Materials in Bridges and Structures, 1992.
2001 年〜2007 年 東京大学生産技術研究所付属都市基盤安全工学国際研究センター長
災害安全社会実現学、国土環境安全情報学、成熟社会基盤適応学の3つの研究分野を所掌
T.Uomoto: Utilization of NDI to Inspect Internal Defects in Reinforced Concrete Structures, Non-Destructive Testing in Civil Engineering, 2003.
2007 年〜2010 年 芝浦工業大学工学部
コンクリートの劣化評価および補修・補強技術の研究, 連続繊維補強材の性能評価に関する研究等

T.Uomoto: Safety Problems Related to Deterioration of Concrete Structures, The Sixth International Symposium on NEW TECHNOLOGIES FOR URBAN SAFETY OF MEGACITIES IN ASIA, 2007.
2010 年〜現在 (独)土木研究所理事長
道路、河川・ダム、砂防・雪崩、環境、材料、防災、農業・水産に関わる調査、試験、研究の統括

主要研究分野:
コンクリート材料の耐久性、コンクリート構造物の維持管理技術、非破壊検査

主な学協会活動:
日本コンクリート工学会(JCI)元会長
ISO/TC71SC6 委員長
アジアコンクリート連盟(ACF)元会長 プレストレストコンクリート工学会(PC 工学会)元会長
全国特定法面保護協会 元会長
ダム工学会 会副会長(会長へ就任)
日本学術会議 連携委員

主な受賞:
土木学会吉田賞、日本コンクリート工学協会論文賞、セメント協会論文賞

(2017年3月作成)
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 (ダムインタビュー)
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  [テ] ダムインタビュー(22)吉越洋さんに聞く「電力のベストミックスといって、火力、水力、原子力などの最適な組み合わせを考えて、計画をたてています」
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  [テ] ダムインタビュー(50)山口温朗さんに聞く「徳山ダムの仕事はまさに地図にも、私の記憶にも残る仕事となりました」
  [テ] ダムインタビュー(51)安部塁さんに聞く「新しい情報を得たらレポートにまとめてダム便覧に寄稿しています」
  [テ] ダムインタビュー(52)長瀧重義先生に聞く「土木技術は地球の医学、土木技術者は地球の医者である」
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  [テ] ダムインタビュー(54)大町達夫先生に聞く「ダム技術は、国土強靱化にも大きく寄与できると思います」
  [テ] ダムインタビュー(55)廣瀬利雄さんに聞く「なんとしても突破しようと強く想うことが出発点になる」
  [テ] ダムインタビュー(56)近藤徹さんに聞く「受け入れる人、反対する人、あらゆる人と話し合うことでダム建設は進められる」
  [テ] ダムインタビュー(57)小原好一さんに聞く「ダムから全てを学び、それを経営に活かす」
  [テ] ダムインタビュー(58)坂本忠彦さんに聞く「長いダム生活一番の思い出はプレキャスト型枠を提案して標準工法になったこと」
  [テ] ダムインタビュー(59)青山俊樹さんに聞く「相手を説得するのではなく、相手がどう考えているのかを聞くことに徹すれば、自然に道は開けてくる」
  [テ] ダムインタビュー(60)中川博次先生に聞く「世の中にどれだけ自分が貢献できるかという志が大事」
  [テ] ダムインタビュー(61)田代民治さんに聞く「考える要素がたくさんあるのがダム工事の魅力」
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  [テ] ダムインタビュー(63)太田秀樹先生に聞く「実際の現場の山や土がどう動いているのかが知りたい」
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  [テ] ダムインタビュー(68)星野夕陽さんに聞く「正しい情報を流すと、反応してくれる人がいっぱいいる」
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