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長瀧重義(ながたきしげよし)先生は、我が国を代表するコンクリート工学の権威でいらっしゃいます。その業績は多岐にわたりますが、最大の功績はコンクリートの普及を規格化という面から支えてこられたこと。日本工業標準調査会委員、そして土木技術専門委員会委員長として、コンクリートのJIS規格化を指導され、さらには世界基準であるISO規格との統合についても指導的役割を果たされました。自らは研究開発者として先駆的な素材を生み出しつつ、そうした技術がより多くの人に使ってもらえる環境になれば良いという思いから、煩雑な規格化の実現に率先して取り組まれて来られました。おかげでコンクリートという素材とその応用技術がたいへん世の中に行き渡るようになりました。 また、ダムとの関わりにおいては、台形CSGダムや巡航RCD工法等の技術開発を指導され、新たなダム技術の普及にも大きく寄与されました。 今回は、コンクリートと先生の馴れ初めのお話やダムとの関わりについて、長瀧先生ならではの視点から様々なご意見をお伺いしたいと思います。 (インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)
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造船からダムへの進路変更
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中野: 最初にご経歴から伺います。先生は東大の土木工学科をご卒業後、大学院へと進まれた訳ですが、なぜ企業への就職ではなく研究者への道を選ばれたのでしょうか?そもそも大学進学時から学者になろうとお考えだったのでしょうか?
長瀧: 僕は、結果として学者になったのであり、実は子供の頃は造船技術者になりたいと思っていました。それは少年時代に読んだ一冊の本の影響です。それは世界の大型客船を紹介した本で、載っていたのは初代のクイーンエリザベス号、クイーンメリー号で、排水量が8万トンほど、戦艦大和等と同じクラスですが当時は世界最大級でしたので、こんなものが造れるなら船舶工学科に行きたいと思っていたのです。しかし、大学1年の時に佐久間ダムの工事記録映画を見る機会があって、それを見たら土木の方が良いなと思ったのです。
中野: つまり興味の対象がより大きなものに変わったということでしょうか?
長瀧: 佐久間ダムは、昭和28年に電源開発株式会社が最初に取り組んだダムです。その時に見たダイナミックなダム工事に魅かれて、土木を目指したことが今につながっています。 実は、佐久間ダムの記録映画を見た、そのずっと後にわかったのですが、当時の佐久間ダム工事事務所の所長さんは、永田 年(ながたすすむ)さんでした。大変厳しい方で、夜、現場を見回って職員がさぼっているのを見つけると大声で怒鳴りつけたという逸話があるそうですが、この方とは稀有なご縁がありました。土木学会で最初の吉田賞を頂いた時、土木学会の会長だったのが永田さんで、僕は映画に出ていたご本人から表彰状を頂いたのです。 記録映画がきっかけでダムに興味を持ったのですが、大学3年の5月の連休に友人と会津若松に 旅行に行き、泊まった宿のご主人が「この川の上流でダムを造っている」と言うので翌日見学に行ったのが田子倉ダムでした。山奥で建設中のダムですから交通手段がありません。そこでなんとかセメント輸送車の助手席に乗せてもらって現場まで行きました。 着いたよといって降ろされたのがバッチャープラントで、事務所らしきもののドアを開けて「こんにちは」と言って入って行ったのですが、その時、対応してくれたのがコンクリート試験室の穂積室長でした。何もない山奥まで東大の学生がダムを見に来たというので突然の来訪にもかかわらず歓待してくれました。後にフライアッシュの研究をする時、穂積さんも電源開発の立場でフライアッシュに携われたこともあって、仕事でご一緒することが出来ました。それ以来30年の付き合いになります。 次いで、実習では大鳥ダムに行き、ここでは測量のお手伝いをしました。4年の時には、奥只見ダムに約1ヶ月コンクリート実験の手伝いに派遣され、ダム現地で試験データをとりました。こんな感じでつくづく只見川水系とは縁があったようです。だから、今もダムを見ると僕にとっての土木の原点に返ったような気になります。
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師に恵まれて進路が開かれる
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中野: 人の縁というものは本当に不思議なものですね。その後、修士を終えて博士課程に進まれたのですが中退して専任講師として東大にお勤めになられたのはなぜでしょうか?
長瀧: これもまた縁というか師に恵まれていたのでしょうね。その頃は、良いところに就職するなら、大学院くらいまでは出ておいた方が良いというような父親や兄のアドバイスもあり、修士課程までは行こうと思って進学したのですが…。やりたいと思っていたダムは、土木の中ではちょっと盛りを過ぎた感じで、これからは道路だというような雰囲気がありました。公務員試験の成績もまあまあという感じだったので、道路公団入社しようかとも考えていたところだったのです。 ところが、父親がある時、國分正胤(こくぶまさたね)先生から呼び出しを受け、「将来、博士課程に進ませた場合、経済的な余裕はどうか?」と聞かれたので思わず父親は「あります」と言ってしまったというのです。父親は医者でしたので医学の世界では、指導教官からお誘いがあるというのは稀で、むしろ希望者が多いので断わるのが普通だったのでたいそう驚いて、勝手に約束してしまったので僕は博士課程に進めたのです。
中野: 恩師に見込まれてということは将来有望ということですね。
長瀧: 大学院にはそういう流れで進みましたが、実は博士課程に入って2年経った時、急に父が亡くなってしまった。そうなると経済的にも困るし、どうしようかと悩んでいたら、今度は國分先生が専任講師になれば良いとおっしゃって、それで博士課程を中退することになりました。最初から研究者を目指してきたのではなく、國分先生始め皆様のお陰でそうなれたという訳です。
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コンクリートの研究はシンプルゆえに面白い
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中野: コンクリートをご専門に研究しようと思われたのはどうしてですか?そのきっかけは何でしょうか?
長瀧: まず一つ、コンクリートは、単純にセメント、水、砂(細骨材)、粗骨材という組合せだけですから非常にシンプルです。ただ、なぜそんな簡単なものに一生かけるのかという声もあります。事実、尊敬する國分先生に近しい土質の研究者で最上武雄先生という有名な方がおられましたが、最上先生が國分先生のことを「ブーチャン」というあだ名で呼んでいまして、「ブーチャンは、セメントと砂と石を混ぜるだけのことに、なんであんなに一生懸命になっているのか」と言われていました。しかし、その後に必ず「ブーチャンは一生懸命やるから俺は大好きだよ」と言われてました。たった4つの材料を混ぜるだけなので確かに簡単なことかもしれませんが、僕にしてみればそこが面白いのです。個々の材料物性の変化で出来上がりの性能が変わる、組合せを変えることでいろいろな個性が出てくるところにコンクリートの面白さがあるのだと、今でも思っています。簡単なモノほど奥が深いのだとも言えます。 また、コンクリートは材料としての性能アップの度合いが著しく、私が学生時代に常識としていた強度の10倍にもなっています。わずか半世紀で、コンクリートの強度が10倍になった。研究者がやればやるほど結果が出てくるので面白いのです。
中野: コンクリートの材料が変わってきたということですか?
長瀧: 他の建設材料、例えば鉄ですが、昔に比べて今の方が一段と強くなりました。しかし強度10倍とまではいきません。よくても2〜3倍。それに比べコンクリートは10倍です。それ程の性能上昇は、土木で扱う他の材料には全く見られないのです。
中野: つまり、コンクリートにはすごく伸びしろ、可能性があるのですね?
長瀧: 私たちはそこを追求してきました。かつては1平方センチあたり500kgfがせいぜいだった。それが2000kgfになり、2500kgfに、今では3000kgfを目指しています。そういう材料物性の向上という歴史の中に自分が居られたことは幸せだったと思います。(現在の表記では50N/mm2から300N/mm2を意味する)
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膨張材が生まれた理由
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中野: 次に、コンクリートそのものについてより詳しくお聞きします。先生のご功績のうち、とくにコンクリートの膨張材に関するご研究が、初期の研究として注目すべきものと伺っております。どうして膨張材というものに着目されたのでしょうか?
長瀧: その質問は、お話ししたいところなので、取り上げてもらってありがとうございます。 僕のコンクリートの研究では、実は学部生の時の論文が「コンクリートの容積変化についての研究」というもので、コンクリートが固まる過程の容積変化をみていく研究です。コンクリートは、固まる時に水和収縮というのがありますが、これに起因する自己収縮というのをテーマにしたものです。修士の時にも「コンクリートの乾燥収縮」というタイトルで論文を書いています。 また、「コンクリート、特に舗装用コンクリートの乾燥収縮に関する研究」という論文は、工学博士を頂いた時のものですが、この乾燥収縮という現象は、コンクリートにとって絶対に避けて通れないもので、しかも最も大きな欠点の一つです。収縮ひび割れというのは、自己収縮や乾燥収縮が原因で出来ますが、コンクリートが収縮してひび割れるのであれば、何かを混ぜて膨張させれば、そうしたひび割れもなくなるのではと考えたのです。
中野: コンクリートが固まる時に収縮して、どうしてもひび割れが起きるから膨張させようということですか。
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長瀧: なかなか面白いでしょう。実は博士論文を書いている頃から、こうした膨張材の研究をやりたくてたまらなかったのですが、國分先生からきちんと学位論文が仕上がるまでは、そういう研究に手を出すなと言われていたので我慢していたのです。 実際に学位論文を仕上げたときは東工大に移っていたので、自分なりの研究テーマを持てる立場でしたから、もう書いても良いかなと思い集中的に膨張材を研究対象としたのです。 膨張材そのものは、僕自身が開発したのではありません。開発したのは大成建設の田澤博士(広島大学名誉教授)と電気化学工業の小野博士の共同研究で、製品として開発されました。セメントの国際シンポジウム(第5回)が東京であった時に、小野さんがプロモートして、いくつかの大学の先生方と共著で何編かの報告をしています。
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中野: そこでも、人との縁があったのですね。
長瀧: この研究成果は、日本国内のことですが、世界的にみると当時は膨張セメントが開発・使用されていました。膨張材をあらかじめセメントに混ぜておく(プレミックス)製品で、海外ではこういう研究が先行していましたが、小野さんが目指していたのは膨張材としての存在。つまり膨張する成分だけを独自に製造するというプロセスにトライして成功したのです。 もう少し細かく話しますと、膨張セメントには、まずKタイプというのが有り、これはアメリカ人のKlein博士が開発したものです。次に、Mタイプ、ソ連のMikhilov博士が開発しました。さらに、Sタイプというのが、アメリカのセメント協会研究所の人達によって開発され、当時世界的にはこれらの3タイプの膨張セメントがありました。しかし、膨張セメントにすると最初からボリュームが増すのでその分、輸送費がかかる。だから日本では、扱いやすい膨張材を作ってコンクリートプラントで市販のセメントに現場で混ぜてもらって使えるようにしたのです。この方が扱いやすい。 僕も当初はこの膨張材を舗装の乾燥収縮を取り除くために入れて、コンクリート舗装を合理的に設計施工出来るようにした。それが表彰された理由の一つです。
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新しい材料を使いやすくする研究から吉田賞を受賞
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中野: その論文が、昭和47年に膨張セメントコンクリートの研究で、土木学会の永田会長に頂いたという吉田賞ですね。
長瀧: 膨張材を研究対象にしたのは、もう一つ理由があります。当時、僕が勤務した東工大の土木工学科は新設で、研究設備が全くない状況でした。だから誰よりも先に新しい研究テーマや実験に飛びついて、一秒でも早く論文を出せば、それだけ価値がありました。新設学校の教官としては新しい研究をしていることが優位にみてもらえるので、そこにかけていたのです。その後土木学会でも研究者中心に議論をしたり、続いて膨張コンクリートの指針を作成することになり、私が責任者になって委員会をまとめたという経緯があります。土木の社会ではコンクリートの使用者が役所であることが多いので、単に新しい材料を開発してもなかなか理解と現実の採用までいかない。そこでこの種の材料の効果を学会で認め、使用指針まで準備しないと実用に至らないという特殊性があります。他の新しい材料や工法についても同じですが、僕にはその推進役という役目があったのだと思っています。
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中野: コンクリートのひび割れは完全になくすことは出来ないのでしょうが、やればやるほど興味が尽きないものでしょうね。
長瀧: 膨張材を使うと、かなりのひび割れは防げると提言しましたが、ただ膨張材を使うと、コンクリート1m3あたり2,000〜3,000円のコストアップになります。業界のコンクリートに対する価値観が問題で、1m3あたり3,000円出す余力がありません。それだけのコストアップは耐えられないということで、なかなか僕の言うことを聞いてくれませんでした。 当時の膨張材は、電化、小野田、日本、住友各セメント会社から市販されていましたが、1m3あたり2,000〜3,000円アップは厳しいということでなかなか世に広がらなかった。 しかし、ひび割れだらけのコンクリートは誰が見てもみっともないと思います。40年前から僕は言っていますが、最近ひび割れに関する関心が高まっているので期待しています。
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コンクリートの高度化を加速した混和剤
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中野: 次に、コンクリートの高強度化、高耐久化、高流動化に取り組まれたそうですが、どういうふうにそれを実現していこうと思われたのですか?
長瀧: 電化の小野博士が膨張材を開発されたのと同じくらい、1960年代、当時、花王石鹸の研究所にいらした服部博士が、新しいタイプの混和剤を開発されました。 従来あったものはリグニン系といい、これの欠点はある程度まで加えると、コンクリートが固まらなくなるという性質がありました。そのため添加量に限界がありましたが、服部さんが開発したナフタリン系のものは、入れれば入れるほど減水効果がありました。
中野: コンクリートを柔らかくし流動性を増すには水を多くするというのが普通ですが、混和剤を使うことで水を足さなくても柔らかくなる。つまり、水を減らせる効果があるということでしょうか。
長瀧: その通り。この製品は、日本独自のものですが、当時は海外でも盛んに研究されていました。例えば、ドイツではメラミン系というのが出てきました。これはAignesberger博士が開発しました。その結果、ドイツではコンクリートの配合はそのままにしておいて、この薬品を加えると流動性が高まるというのを利用し、混ぜるだけで柔らかくなる高流動コンクリートというものを製品化しました。一方、日本では同じ柔らかさにしておいて水を少なくすることに利用しました。その結果、日本では高強度コンクリートの製造が可能になり、製品としてはコンクリートパイル、基礎くいの製作に利用しました。 その後、高流動、高強度のいずれもが可能になり、コンクリートの高性能化につながりました。水中不分離性コンクリートの出現もこの薬剤により可能になりました。要するに、これらは全部つながっているのです。水セメント比を小さくすればコンクリートの強度は高くなるし、耐久性も上がる。流動性は水を減らさずに薬を入れていけば柔らかくなる。基本は、高性能減水剤というものが世の中に開発されて出てきたことで、これは天然物でなくて合成品です。今はナフタリン系、メラミン系、それからポリカルボン酸系というものが出てきています。さらに最近ではこれらの成分の分子量や結合を工夫して高性能かつ使いやすいものが開発されています。
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吉田賞の吉田徳次郎先生と関係
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中野: 吉田賞のもととなった吉田徳次郎先生も、かつて高性能コンクリートを考えられていたということですが。長瀧先生が企画・監修された「日本のコンクリート技術を支えた100人」という書籍で吉田先生について紹介されておられますが、これはどういう本でしょうか?
長瀧: この本は、笠井芳夫先生からのお話で、コンクリートの進歩発展を支えられた方々を100人あげて、二人で編集し業績をまとめようじゃないかということになったものです。編集会議を何回も開きセメント、建築、土木の3分野から100名の方を選定してこの方たちをご存じの方に書いて頂きました。 吉田先生には、僕自身は実際にお会いしたことはありません。東大を卒業した時はご存命だったのですが、大学院一年生になった9月1日にお亡くなりになりました。今でもよく覚えていますが、初めて土木学会の委員会に出た日でした。その時、僕は國分先生から推薦されて委員(幹事)になりましたが、最初の会議の日に吉田先生が亡くなり、当然、國分先生は葬儀に行かれてしまい、国鉄研究所の三浦博士が急遽、委員会の座長をされました。吉田先生は、当時、全体の委員会の委員長で國分先生が小委員会の長でいらっしゃった。小委員会の研究テーマは「フライアッシュを混和したコンクリートの中性化と鉄筋の発錆に関する長期試験」というものです。フライアッシュは混和材としてダムなどに使われていましたが、これを用いるとコンクリートの中性化が早く、内部の鉄筋の発錆が早まるということで建築分野では全く使われなかった。このことで建築の浜田先生と吉田先生の間で激論が交わされたと聞いています。 そこで、吉田先生のご意向もあり、どれくらい影響があるのか長期試験で調べようじゃないかということになり、鉄筋コンクリート供試体を屋外に出しておいて20年経過を調べるという試験をやることになりました。その時の委員会では、若いのを委員に入れておかないと、20年後には今のメンバーは誰も現役でなくなるからというので入れられたのが、日本セメントの塚山氏、小野田セメントの土岐氏と僕で、皆さんも初めてその委員会に出られたのですが、その当日に吉田先生が亡くなられてしまったのです。吉田先生は昔の府立一中に在学されたり、東大柔道部に在籍されたりで、僕の先輩であるところから敢えて吉田先生を担当執筆させて頂きました。
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コンクリートの長期試験
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中野: 昔、小樽港ではテストピースを作って耐久性試験をしたということですが、長瀧先生は、「コンクリートの長期耐久性(小樽港百年耐久性試験に学ぶ)」という本もまとめられておられますね。
長瀧: 北海道開発局の試験所の大田部長(当時)に、コンクリート舗装の試験をするので見に来ないかというお誘いを受けて行ったのです。その時、珍しいものがあるから、と連れて行かれたのが、広井 勇博士の提案で実現した長期試験のコンクリート(実際はモルタルのブリケット試験体)が置かれていた場所でした。「記録はどうしているのですか?」と聞くと、分厚いノートを出してきて、「ただ毎年記入しているだけです」というので、私が東工大の学生にデータ整理をさせてみたいと頼み、それが縁になり、開発局で予算を付けて頂き、委員会を作って大々的に調査して、その結果をまとめた報告書が完成しました。しかし報告書では広く読んで頂くことが出来ないので、また開発局に特別にお願いして本になった。なぜ北大の先生でなくて僕が編者になっているかというと、本当にたまたま行った場所で、そういうデータを見たからという訳です。
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中野: これをまとめなければ…と閃きがあったのでしょうね。
長瀧: そうですね。他の先生がそういうことを申し出ていれば、僕が関係する本にもならなかった。
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再生骨材研究の基礎となったコンクリート
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中野: 今は、再生骨材コンクリートというのもありますが、これは将来、震災ガレキの利用にもつながると期待されていますが。
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長瀧: 再生骨材の有効利用は、震災とは関係なくもともと研究対象にしていたものです。というのも、今あるコンクリート構造物も時間が経てば当然古くなるので、当然壊して建て替えるのですが、以前に試算したところ、だいたい2040年代になると、壊したコンクリートガラ全てを、再生骨材として使ってコンクリート構造物を造らない限りは、ガラで日本中が埋まってしまう計算になりました。 当時は、道路舗装に使えばという意見もありましたが、新規の道路建設は将来減少するので、やはりコンクリート用骨材として再利用しないといけないということがわかりました。ちょうど学術振興会の76委員会の委員長をしている時、日本で100件の研究に対して助成するという企画があり、大型プロジェクト申請に採用され、大掛かりな実験研究が出来ました。
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新潟大学だけでなく関連する大学の先生にも大々的に協力して頂いて取りまとめ、その成果は、76委員会のシンポジウムとして、また新潟大学でも国際会議を開催したりしました。それが今の再生骨材研究の基礎を作ることにつながっていると思います。
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コンクリートの規格化について
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中野: 先生はJISの基準、コンクリートの規格化についてもご尽力されたそうですが。
長瀧: 規格(JIS)がなぜ必要かというと、全体のレベルを高めるためのツールになるからです。日本の場合はまずJISが規格の代表のように言われますが,これは任意規格であって強制ではありません。一方、建築基準法というのは、法律で決まっている強制規格で誰もが守らないといけないものです。言い換えると、JISは任意規格なので守らなくても罰則はない。ただ参考にしてやりなさいという考えですが、JISに則って取引することで誰もが互い信用出来るので、我が国ではJISが非常に尊重されていると思います。
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規格がなぜ重要か?
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中野: つまり共通ルールということですね。
長瀧: JISに定められた規格を守るという意味は、国内のどこでも、誰もが同じ品質・性能のコンクリートを使うことが出来るということです。従来のJIS規格の内容は、材料規格、製品規格、試験法規格でしたが、近年はISO 9000とか14000といった、システム規格が増えています。英語でいうサービス、つまり物品およびサービスの標準化をはかるということでISOに定められた規格をJISに取り込んだのです。
中野: JISと ISO規格との整合調整について教えてください。
長瀧: 平成7年から9年までの3年間でJIS規格の中身をISOに整合させなさいという命令が経産省管轄のJISの標準部から出て、その作業をしました。日本の方が進んでいるのに、遅れている方に合わせないといけないのかということで、そんな馬鹿な話はないだろうと思っていましたが、日本企業が海外に出たとき仕事がやりにくくなるからということでした。土木分野はそれに対応が非常に遅れていたので非常に危機感を持ちました。建築の方はかなり前から団体を作ってISO規格化に対応していましたが、土木はやっていなかったのです。 それで平成8年に土木学会にISO対応調査委員会というのを作って、議論しました。本来、土木学会ではなく別の団体を作るのが良いだろうと思いましたが、その時はもう新しい関連団体は作らないというのが国の方針だったので、平成9年に土木学会の中にISO対応特別委員会を設立して頂いてから、今も継続して活動しています。当初は、建設省、運輸省、農水省などの役所から資金援助をもらいました。今もそうですが、なかなか資金が集まらず難しいという話です。 ISOについては、土木全般の問題はこの委員会で対応していますが、いろいろと分担が出来て、コンクリートについては日本コンクリート工学会、地盤関係は地盤工学会でと対応するところが出来て、建設機械なども建設機械化協会が中心になって、ISOの良いところは取り上げていくということなっていきました。しかし、欧州ではISOはISOで、ENはEN(欧州共通規格)というようになっていまして、新しいEN規格が出来るとすぐISOにしてしまう。投票でそうなるのです。勝手にルールを変えられると我が国は困ることになるから、そういう動きも見張っていて、日本に不利なことにならないように注意していますが、なかなか早く対応出来ずに、相当に苦労させられました。
中野: 具体的にはJISとISOではどのように違いがあるのですか?
長瀧: 例えば、最も簡単な話は、ふるいの規格です。コンクリートの細骨材は日本では5ミリの目のふるいを使うことになっていますが、ISOでは4ミリを使えという。こうした細かいことが現場では実に困るのです。
中野: 海外と国内で微妙に違うのは確かに困りますね。
長瀧: また、s/a(エスバイエー)といって、細骨材と骨材全体の容積比率を表すものもありますが、これの境界が5mmと4mmでは全然違う値になります。表現は同じでも中身が違うとなれば、これも困ります。
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コンクリートのイメージについて
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中野: コンクリートの原料は、セメント、砂、砂利、水とどれもが国産で自然素材だということが一般の人には理解されていない面があるように思われます。「脱ダム宣言」のように、コンクリートを使うこと自体が良くないというイメージが拡散され、何か誤解されています。コンクリートのこうした現状について、先生はどのようにお感じになりますか?
長瀧: これは、頂いた質問の中で一番答えにくい部分です。 コンクリートというものは、固いものです。イメージもそうですがコンクリートで作ったものも固い。例えば、一生懸命に木に似せて作ったもので、コンクリートの偽木がありますが、木材については先祖代々、我々は木材の中で生活をしてきたから、敏感に感じるものがあるのでしょう。それと違い、コンクリートというものは、歴史上古いとは言いますが石よりは新しい。石も我々の身の回りにいくらでもある。川原にいけばごろごろしています。だが、コンクリートというのは新しく世に出た製品ということで、どうしても生活の中でそぐわない感じがするのでしょう。 また、非常に残念なのは、古くなったコンクリートはあまりきれいじゃないこと。やはりコンクリートはきれいであって欲しいと思います。コンクリートをいつもきれいに保つ研究がまだなされていないのが残念です。今は造ったらおしまいでそのままです。 木材の場合、無垢で使うような素材の良さを見せる場合もあるが、耐久性や美観を上げるために表面にニスを塗ったり、塗装したりします。ニスは、人工的に木材を美しくするし、耐久性も上げるものです。コンクリートではそういう努力が今までされてこなかった。 抗菌コンクリートという研究も進むと思いますが、ぜひ頑張って欲しい。最近、鉄筋コンクリートの中の鉄筋がさびるからと言って塗装する例が増えていますが、あれ僕は嫌いです。塗装は良いけれどコンクリートの良さを残し、きれいに見せるための塗装であって欲しい。
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樹脂含浸のようなものもありますが、高いからといわれ、とにかくコンクリートには一銭もかけたくないという価値観がよくない。そういうところが誤解される理由ではないかと思っています。
中野: なるほど、コンクリートをきれいに保つということでイメージも変えられるのでは?ということですね。
長瀧: ダムも水カビがいっぱいで表面が汚いです。 以前、Hoover Damを見に行った時、ダムを飛行機から見ると、真っ白なダムに見えました。実際に降りていって現場で見ても水カビがないからきれいですよ。しかし、日本の場合は、高温多湿という気候があるから、どうしてもカビが出てしまいます。このようなこともコンクリート技術者が対処を考えなければいけないと思います。
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フーバーダム(撮影:HAL) |
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台形CSGダムが開発された理由
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中野: 本日のインタビューの趣旨として一番伺いたい、ダムに関わることです。先生は、台形CSGダムや巡航RCD工法といったダム技術にも深く関わっておられるとの事ですが、それらについてお聞かせ下さい。
長瀧: 台形CSGダムは、技術的な面でサポートさせてもらいましたが、残念ながら僕の発案ではありません。なぜ、あの考えが出てきたかというと、今は原石山となる山が少なく、良質の骨材がとれない。廃棄岩が多くなる。だったら骨材の品質があまり良くない場合でも、なんとかして使えるようにならないかという発想です。あるいは、地耐力が少ないから、コンクリートダムにし難い場所、そこをフィルダムとして設計するのではなく、ちょうどその中間にあるようなダムにならないかということで、構造、材料を考えて台形にした。 台形CSGダムはフィルダムの勾配から、もう少し立っている形。それから材料的にも土の材料とコンクリート材料の中間になるようにという部分にターゲットをあてて考えてみたのです。ねらいは、それで安くなるだろうということです。
中野: ねらい通り、コストは安くなったのでしょうか?
長瀧: 安くなりました。この工法は、もともとの発想がフィルダムにするような場所で、もう少し粘着性と強度のでる材料を混ぜて転圧すればコンクリートが利用出来るのではないかということ。最初に試行したのはダム本体ではなく、まず副ダムでした。 方法は、簡単に言うと河床砂礫をガサ〜っと取って、そこにセメントを入れてガシャガシャ混ぜて、ポンとあけてブルドーザでならしてローラーで締め固めれば固まる、というような発想です。 CSG(Cemented Sand and Gravel) は、単位セメント量を極端に小さくしたコンクリートをイメージしていたようですが、コンクリートの製造時のように十分に練り混ぜることをしないので、CSG指針の作成時には、CSGコンクリートでなくCSG材料という言葉を使って頂きました。
中野: 最初に使われた例というのは、どこのダムですか?
長瀧: 北海道の当別ダムと沖縄の億首ダム。ここの施工では通常のコンクリートダムを作る時と同様に、練り混ぜから打設まで厳しく管理をして、相当にきちんと施工されていました。 混合(敢えて練り混ぜと言わない)については、当別ダムでは連続練りミキサを採用しましたが、億首ダムでは普通の2軸強制練りミキサで混ぜていました。今のようなやり方をするならば、CSGコンクリートという言い方でも良いかと思ったりします。 最初、億首ダムの奥の大保ダムでも、試験工事をやった時に、上から材料を入れたら下から混ざって出てくる機械があり、それでダムコンクリートが出来るというのを試した。これにも立ち会いましたが、いずれそういう機械が活用出来ると良いですね。
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当別ダム(撮影:anami) |
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億首ダム(現名称金武ダム)(撮影:kuwa) |
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中野: 沖縄の億首ダムの方が先に建設し始めたのに、完成したのは当別ダムが先でしたが。
長瀧: 億首ダムでは、アンチモンを採掘する鉱山から廃水が出ていまして、そのアンチモンが湖底にかなりたくさんあったので、それを取ってから不溶化し、ダムの下流側に運んだので、その工事に時間がかかり、結果的に当別の方が先に完成しました。しかしこの2つのダムは平成24年度、25年度にそれぞれ土木学会技術賞を受賞しています。
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震災ガレキを活用する
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中野: 再度、震災ガレキの問題ですが、CSGの技術で東日本大震災の震災ガレキを利用して堤防を造ったり出来ると。そういう考え方について、先生はどのようにお考えですか?
長瀧: 僕は大賛成です。そうしたものに、ダム建設で開発された技術を利用するのはどんどんやってもらいたい。CSGは、堤防でも道路の盛り土でも利用可能です。堤防については、今はあちこちで講習会もかなり行われているように聞きます。堤防の断面は、普通は台形なんですがこの工法にすると、片側を切って土にして木を植えるとかいろいろ出来るのです。
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中野: 要は工夫次第で、幅が広がるのでしょうね。実際、いわき市の夏井地区海岸堤防では、日本初の取り組みとして、CSG施工で震災で発生したコンクリートガラを活用しているそうです。
長瀧: ガレキの有効利用で心配しているのは、今一つスピード感がない。東北大学の久田教授が立ち上げたコンソーシアムでも検討していますが、現場でいざ使おうとしたらもうガレキがないというのでは困る。一方、あるところで被災地の海岸堤防にはぜひガレキを使うべきだと意見を述べたら、いや高台移転の話が進めば、そこからもっと良い土が出てくるからそっちを使いたいと言われてしまいました。
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いわき市の夏井地区海岸堤防(工事中) |
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巡航という言葉になった訳
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中野: いろいろ難しいのですね。次に、巡航RCD工法というネーミングを考えられたのは、先生だということですが、このネーミングで一番訴求している点は、どういうところですか?
長瀧: いや、それは正確に言うと本当ではありません。以前にブラジルでRCCシンポジウムがあり、そこに招待されて行ったのですが、講演した論文は、藤澤侃彦さんと川崎秀明さんとの連名です。まず日本語で原稿を書いて、外部コンクリートと内部コンクリートの打設順序を逆にした施工法を紹介する「高速RCD工法」という言葉があり、これを最初「High speed- RCD Method」と表現していましたが、どうもハイスピードがしっくり来ないので、何かないかと思っていたら、クルージングという単語が出てきて、英語ではそちらの方が意味が通ると思ってそれが良いということで使用しました。それが、「巡航」つまり最適な速度でずっと走るというのがその意味です。一方に、コンクリートの製造能力があればそれに見合った最高速度でコンクリートを打設出来るという意味を英語で表現しました。それを再度、日本語に直す際に、巡航の用語にしたのは,多分嘉瀬川の現地検討委員会の席で皆さんと議論して決めたと記憶しています。自分から言うのもなんですが、非常にいい名前で、今では土木学会の標準示方書にも使われています。
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米国のRCCと日本のRCDの違い
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中野: 日本のRCDはアメリカのRCCと似ているようで似てないといわれますが。
長瀧: RCD工法は、設計そのものはコンクリートダムで、施工法だけが異なっている。つまり打設したコンクリートをローラーで締め固めるという方法を採用しただけです。従って外部コンクリートは従来のコンクリートを使う。当初のRCDは外郭の有スランプコンクリートを先に打設して、バイブレータで締め固めしておいてから内部のコンクリートを打設し、ローラーで締め固めるという方法を編み出しましたが、どうしても型枠際、とくに上下流の型枠際だけでなく左右のコンクリートの打ち止めのための型枠際のコンクリートも有スランプのコンクリートでやっているのです。すると量的にRCDで施工するコンクリート量と、有スランプで施工するコンクリート量がほとんど同じくらいになってくるのです。しかも打設の制約があるものだから速度がなかなかでない。今までの施工記録を整理してみましたが、コンクリートの製造能力に対する打設実績が、最高でも75から80%、そこまで行ったかな?というくらいでした。 そこで内部を先に打ったらどうかという考えが出てきて内部のコンクリートを先にローラーで締め固めて、あとで外側の方を有スランプのコンクリートで打設するというのをやった。これが巡航になるのです。つまり内部のコンクリートを先にやっておいて、後で外部のコンクリートが追い掛けていく。それで両方とも同じ速度で打設していける。だから巡航、クルージングという意味にぴったりとなるのです。 アメリカのRCCで、最初に施工したのはWillow Creek Damですが、この施工ではRCDで言うところの外部コンクリートはない。ローラーだけで締め固めて上まで行ってしまった。すると外側がボロボロ落ちてくるというのです。
中野: 本庄正史さんにインタビューで伺いましたが、確かにボロボロと落ちてきたとか。
長瀧: でも1〜2mくらい余分に打っておけば、ダムが破損して人が死ぬようなことにならなければ良いという考え方もあると聞きましたが、そういう考えは日本にはありません。もともとWillow Creek Damは、北部地方だから寒いので凍害もあり、表面がボロボロになって余りにみっともないので、その後に作ったものはRCCと言いつつも、外部コンクリートを少し使っています。少しと言ってもたとえばブラジルの施工例をお見せします。これがRCC部分ですけど、せいぜい高さが30〜40cm厚でバーと撒き出し振動ローラーで締め固めます(写真1)。型枠際はわずかな幅の有スランプのコンクリートを打設します(写真2)。コンクリートミキサー車であけてバイブレーターで締め固めます。普通のコンクリートでダムコンではないのですが、外面はきれいになります。また、打ち止めの型枠のところは有スランプを使わないでタンピング仕上げをしていました(写真3)。
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ブラジルのダム現場にて(中央が筆者) |
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(写真1)ブラジル施工例@ |
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(写真2)ブラジル施工例A |
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(写真3)ブラジル施工例B |
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中野: 日本の技術とは違いますね。日本で、巡航RCDだと津軽ダムとかがありますが。
長瀧: そうですね。嘉瀬川ダム、湯西川ダム、津軽ダムがあります。ちょうど津軽ダムのRCD部の打設が終わったところですが、今、五ヶ山ダムのRCD部の打設が始まりました。ここも巡航RCDを採用しています。この写真(写真4)は、津軽ダム内部コンクリートの締固めのところ、手前が断面。これが外部コンクリートのスペースです。これだけ外部コンクリートを打つ訳です。理由はこの斜面仕上げの際に、アームの腕が型枠にひっかかってしまうから、これだけのスペース、だいたい3mくらいになっています。この写真(写真5)は、ダムコンを打つ前にモルタルを敷いています。締め固めた斜面にモルタルを打つ。すごく丁寧な方法で施工しています。
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(写真4)津軽ダム@ |
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(写真5)津軽ダムA |
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土木は地球の医学、土木技術者は地球の医者である
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中野: 発想の転換が必要ですね。土木の今後の展望についてですが、若い技術者にメッセージを頂きたいのですが。
長瀧: 大事なことは、日本にとって土木技術が不必要になったのではありません。しかし、日本ではこれから新規の大型構造物の建設が少なくなるというのは間違いありません。現に、英国や仏国をみると、国内ではそういう需要はない。しかし、英国や仏国で土木工学科を卒業した技術者はどうしているかというと海外で活躍している。日本もこれだけ新規工事が限られてくると海外に行ってでも働くと、それを目指すというような人を育てていかねばならない。もちろん国内ではメンテナンスを中心として、土木のアセットマネジメントをやらないといけないのでそれも大事ですが、それだけでは若者に魅力が少ないのかも知れません。 若い頃、「蛍雪時代」という受験雑誌の編集者に頼まれて原稿を書いた時に、「土木技術は地球の医学、土木技術者は地球の医者である」と言って、ちょっと自分ではいい気になった時期がありますが、この言葉が次の人にもつながり、今もそう言われているようですが、それを最初に言ったのは僕です。これは間違いない。 この言葉を、実際の医者の世界にあてはめて言うと、土木で物を作る時の作業に相当にするのは、産科の先生と小児科の先生しかいない。内科にしろ、外科にしろ、他の科目の先生は、ほぼみんな身体のメンテナンスの先生です。土木構造物を造る時だけでなく、メンテナンス分野で働くというのは、非常に立派な仕事だと思います。しかし、この分野は予算がつきにくい。なかなかそこにお金をかけるということが少ない。人間の場合は、老人を診るところの予算が多いという現象を招いています。 これから土木を目指す人は、大きな眼でもって地球を診る医者になるという気持ちで臨んで欲しいです。
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人との付き合いを大事に
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中野: なるほど、土木技術者は地球の医者だと。若い人はそういう目で将来像を考えればということでしょうか。
長瀧: 若い人は、人との関わりを大事にしてもらいたいと思います。お金を貯めようというよりは、人との繋がりが財産になるということを信じてほしい。私も先ほどから言っているように人に恵まれて、良い関係で人と付き合ってこれました。 いろんな人との付き合い、一度会った人とそこで終わりというのではなく、その後も関わりが持てるような、そういう付き合いを大事にしてもらいたい。 最近、家内と笑うのは、何でも一生モノだねということ。ちょっとしたことでも一生我々の記憶に残るねと。若い人の一生は長いのだから、その時の気持ちを大事にしてもらいたい。
中野: 本日は、貴重なお時間をいただき大変ありがとうございました。バラエティーに富んだお話でとても興味深いことばかりでした。このインタビューをぜひ多くの人に読んでいただければと思います。
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(参考)長瀧重義先生 プロフィール
長瀧 重義 (ながたき しげよし) 昭和12年 3月 7日生 東京大学大学院数物系研究科土木工学専攻博士課程(昭和38年11月中退) 工学博士、工学修士
職歴 昭和38年 12月 東京大学工学部専任講師 昭和40年 7月 東京工業大学工学部助教授 昭和55年 7月 東京工業大学 工学部教授 平成 8 年 4月 新潟大学工学部教授 平成 9 年 4月 東京工業大学名誉教授 平成14年 4月 愛知工業大学客員教授 平成16年 4月 愛知工業大学工学部教授 平成19年 4月 愛知工業大学工学部特任教授 平成24年 4月 愛知工業大学客員教授
学会関係 ISO対応特別委員会(土木学会)顧問 元委員長 日本学術振興会第76委員会委員 元委員長 コンクリート委員会(土木学会)元委員長 施設拡充委員会(土木学会)元委員長 JIS原案作成委員会委員長(コンクリート用スラグ骨材,他) 経済産業省JIS土木技術専門委員会委員長 土木学会元副会長、名誉会員 JCI(日本コンクリート学会)元会長 名誉会員 ACI(アメリカコンクリート学会)名誉会員 日本材料学会元副会長 名誉会員 プレストコンクリート工学会 名誉会員
その他の公職 全国生コンクリート品質管理監査会議議長 成田空港競争入札監視委員会委員長 国土交通省公正入札調査会議委員 前田工学賞選考委員会副委員長 藍綬褒章受賞(平成14年春) 専門分野 土木工学、コンクリート材料、鉄筋コンクリート構造
最近の研究分野 再生コンクリート骨材の有効利用 石炭灰の有効利用 重金属の溶出とその防止 台形CSGダム
学会での主な研究活動 放射性廃棄物の処理・貯蔵 レディーミクストコンクリートの品質管理監査
受賞歴 土木学会論文賞(平成2年、平成10年) 土木学会吉田賞(昭和47年、昭和61年、昭和63年、平成15年) セメント協会論文賞(昭和59年) CANMET/ACI賞(平成4年、平成9年) 通産省工業標準化功労賞(平成4年) 土木学会功績賞(平成18年) ダム工学会特別功績賞(平成20年) 最近の著書・論文 ・多相材料としてのコンクリート (コンクリート工学 Vol.51,No.1,pp4-7,2013年1月) ・RCD工法に至るダムコンクリート技術発展の歴史 (ダム技術 No.314,pp113-119,2012年1月) ・State of the Art Report on SCC in Japan (6th International LILEM Symposium on Self-Compacting Concrete, Vol.2,pp1-22) ・シリカフュームを用いたモルタルの微量成分溶出 (セメントコンクリート論文集、No.63,pp175-182,2010年2月) その他多数 参考著書 コンクリートの高性能化 技報堂出版 コンクリートの長期耐久性 技報堂出版 図解コンクリート用語辞典 山海堂 日本のコンクリート技術を支えた100人 セメント新聞社
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(2014年12月作成)
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