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ダムインタビュー(34)
阪田憲次先生に聞く
「技術者には"想定外を想定する想像力"が求められている」
阪田憲次(さかた けんじ)先生は、岡山大学を退職後、
ダム工学会
会長、土木学会会長などの要職を歴任されました。その土木学会会長としての任期があとわずかとなった平成23年3月11日、日本人留学生が被災した「クライストチャーチ地震」(平成23年2月22日発生)についての土木学会、地盤工学会の合同調査報告会が東京大学生産技術研究所にて行われていたその時です。午後2時46分、阪田先生が開会の挨拶をされてからわずか1時間あまり、マグニチュード9.0の巨大地震が東北地方沖で発生しました。東日本大震災です。東京も震度5弱の強い揺れを感じ、報告会はすぐに中止となりました。その後、全線にわたり翌朝までストップしたJRほか大混乱した交通機関の影響によって、多数の帰宅困難者が発生したのは周知の事です。
その後3月23日に土木学会、地盤工学会、日本都市計画学会の連名で発表された共同緊急声明の中に記された「我々が想定外という言葉を使うとき、専門家としての言い訳や弁解であってはならない」という文言が世論で高く評価されたことは、記憶に新しいことです。
今回は、「想定外」を言い訳に出来ないダムの役割、今後について、大震災の被害調査を踏まえつつ阪田先生のご意見を伺いたいと思います。
なお、インタビューは、5月26日に(財)日本ダム協会で行われました。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)
震災の当日、感じたことは
中野:
3月11日、先生は駒場東大前の生産技術研究所にいらしたのですね?
阪田:
そうです。クライストチャーチ地震の調査報告会に来ていました。直接の被害はありませんでしたが会場も大きな揺れで非常に心配しました。報告会が中止になって文字通り、僕自身も帰宅難民になってしまい、街を歩いている時に考えたのですが、今回はとにかく一刻も早く調査をして、おそらく1ヶ月以内には結論を出さなくていけないと強く思いました。それで土木学会が3月27日〜4月6日に派遣した第一次総合調査団の団長として被災地に入ったのです。
中野:
現地への交通手段はどのようにされたのですか?
阪田:
まず国交省にお願いしてヘリコプターで空から入り、その後は船で海を見て、そして徒歩で各被災地を踏査しました。その概要を4月8日に報告したわけです。
1000年に一度の巨大地震が襲う
中野:
現地で巨大地震と大津波の被害を目の当たりにされてどのように感じられましたか。
阪田:
今回の震災は、今までのものとは全く性質が異なるように感じました。その特徴は、非常に被害が広域であり、大規模で、しかも壊滅的な被害を受けた地域がたくさん存在していることです。とくに津波による被害は甚大で、町ごと何もかも全くなくなってしまった。市街地の木造建築はすべて流出し、わずかに鉄筋
コンクリート
の建築物がその形骸をとどめているだけで、一面瓦礫に覆われていました。人影を見ることもありません。
そこで感じたのはまさに地獄でした。鉄道の線路は飴のように折れ曲がり、重い機関車が10mほどの小高い墓地の上に持ち上げられており、客車は真ん中から折れ曲がっていました。おびただしい数の漁船が陸地に打ち上げられ、3階建てのビルの上に乗っているものもありました。瓦礫の中には直前までの人々の生活があり、家族の団らんがあったことを想わせる品々が混じっていました。アルバム、位牌、ピアノ、泥にまみれた赤いランドセル、家具、家電製品、押しつぶされた車などがありました。まさに世界の終わり、黙示録の世界が目の前に拡がっているというように感じました。
RC造建物がわずかに残る南三陸町の市街地
女川町の被災状況
日頃から、土木の専門家は国民の安全、安心を守る存在であるべきと言っておりましたが、これだけの多くの方が亡くなったところを目の当たりにして、守るべき、確保すべき「安全」とは一体何なのであろうかと改めて考えさせられました。我々は、本当に、人々が安心して生活できる社会を構築してきたであろうかということです。人影のない、瓦礫だけが累々と積もった町の跡を間近に見て、深い悲しみと悔恨が湧き上がると同時に、これは「想定外」という言葉を安易に使ってならないぞ、と思いました。なぜなら今回の震災はまさに規模としては想定外ですが、それまでの枠組みを想定したのは一体誰なのかということになりますから。それが現地での第一印象でした。
そして原子力発電所の事故があります。そうした点で阪神淡路大震災の時とは全く様相が違っていると言えます。
阪神淡路大震災の経験
中野:
阪神淡路大震災の経験が生かされたとか、教訓となったということはありましたか。
阪田:
一つは、構造物の耐震設計です。阪神淡路大震災の時には多くの鉄筋
コンクリート
造の構造物、ビルや橋梁などが壊れてしまいました。その後、教訓を生かして耐震設計の考え方を変えたのです。今回の地震ではそれが見事に功を奏したと思います。仙台市太白区の長町には、東北新幹線と在来線の東北本線が並んで走っていますが、新しく造られた在来線の高架にはひび一つ入っていませんでした。しかし、新幹線の耐震補修されてなかった橋脚部分には曲げ破壊が生じていました。でも、そこは耐震補強をして震災後4日間で修復できましたが、架線電柱が全部倒れていたので鉄道としての復旧は、4月の半ばまでかかりました。
中野:
あれだけの大地震でありながら、東北新幹線は本震が来る前に緊急停止装置が働いて一両も脱線するなどの被害を受けていないそうですね。
阪田:
東北新幹線は3.11のあの時間、僕が調べただけでも、あの区間には30数本の列車が走っていました。しかし、全てピタっと止まって、ただの一両も脱線していません。在来線では列車がひっくり返ったものもありますが、幸いにも死者は出なかった。列車に乗っていた人の命は助かっています。これは、鉄道技術におけるフェイルセーフ化の結果だと思います。構造物については、耐震設計や耐震補強等の面で、阪神淡路の教訓が生かされていました。阪神淡路の時には津波は起きませんでしたから、今回の大津波の被害についていうと、チリ地震(1960年)まで溯ることになります。
津波の遡上で堤防が決壊
中野:
構造物では、橋脚が落ちたとか、がけ崩れなどで道路が著しく被害を受けたという例はありましたか?
阪田:
海岸近くを走る在来線は、ほとんどが盛土でその上に線路がありますが、これは津波でやられています。それから、河川の堤防も河口付近は津波で全部なくなっています。土木の世界で構造物を設計するときには、いろんな荷重を考えるのですが、大規模な流水は考慮していませんでした。今回の津波の被害は、その流水にあたる訳で、橋梁も地震ではやられていませんが、津波にやられました。石巻市の北上川では津波の遡上で堤防が決壊しました。こうした津波による堤防の流出については国交省の調べで2,115か所もあり、被害規模がとてつもなく大きい。それに、青森県から神奈川県まで広範囲にわたり液状化現象が確認されたということです。
新北上大橋でトラス橋流出および堤防の流亡
空港の液状化現象
中野:
液状化現象のお話がありましたが、仙台空港の被害はどうでしたか。
阪田:
仙台空港は津波をかぶって孤立したわけですが、被災後わずか3日後に米軍のヘリコプターが降りて、滑走路で活動できたということは、空港が液状化対策を施していたということです。幸いにも滑走路に流れてきた瓦礫のたぐいを取り除けばすぐに使用することができました。しかし港湾部では、防波堤の裏側(エプロン)が全部液状化を起こしていて、これはかなり大変でした。
中野:
千葉県では浦安地域でかなりの液状化現象が見られましたが、成田空港は大丈夫だったみたいですね。羽田空港も液状化対策をやっていて大丈夫だったようですが。
阪田:
成田や羽田空港は大丈夫でした。仙台空港も液状化対策はきちんとやっていたので、滑走路の陥没等の被害はありませんでしたが、空港付近全体が地盤沈下して一時は海のようになっていましたから瓦礫をどけてそこまでいくのが大変でした。
仙台空港
中野:
被害の全容は未だはっきりしていないようですが、土木学会として着目すべきはどういう点でしょうか?今現在、進められている調査活動などについて、国への提言とかはあるのでしょうか。
阪田:
国に提言するとかそんなおこがましいことではなく、まず考えたことは、できるだけ国交省等とコラボレートするということです。だから国交省にヘリコプターを出してもらいました。
ネットでスピーディな情報発信が可能に
中野:
土木学会のHPを見ると、阪田先生が現地に行かれた後、日を追って報告が急速にアップされていますが、どのように組織を立ち上げられたのですか。
阪田:
学会の活動経緯をいいますと、震災がおきてすぐに特別委員会を立ち上げましたが、すでにその時にはいろんな人が現地に入って調査を始めていました。後からそれを全部コントロールすることはできないので、各研究委員の人たちに連絡して、各々どういう調査をやっているのかをまず土木学会に届けてくださいとメールしました。そして情報を届けてもらうためのサイトを土木学会のホームページ上に二つ作りました。一つは、一般の人でも入れるサイト、もう一つは、情報を届けてくれる人だけが入れるサイトです。そこにデータを入れていただいて、それを学会の皆が共有できるようにするためです。また、それとは別に土木学会としても可能な限り早く現地に調査団を出すことにし、なるべく広く俯瞰的にものを見ていくようにして、私が団長で行きました。
第一次調査団の報告は4月8日に、その他の委員会のものは11日にまとめて発表しました。ちょうど震災から1ヶ月後ということです。その間、特別委員会は1回しか開いていません。各委員が集まって会議を開催する時間がないということで、すべてメールでやりとりをしました。
中野:
だから日を追ってHPが書き換えられていったのですね。
阪田:
調査報告会は、阪神淡路の時は1,500人の会場を取ってやったのですが、実際は3,000人も来て入れない方もおられたので、今回は会場を取らず全部ネット上でやりました。ユーストリームで動画を流したのです。これには、およそ28,000人からアクセスがあり、同時中継を見ることが出来ました。
中野:
すごいことですね。多くの方が見られていたのですね。
阪田:
これは本当にすごい、まさにインターネットのおかげですね。
中野:
早いスピードでの発表が注目を集めたのでしょうね。土木の底力を感じました。こうした非常時には、そういった強いリーダシップも大事ですね。
阪田:
そうでもありません。(笑)土木学会は非常に人材が多いということですね。若い人がとくに頑張った。報告会の資料作りを帰りのバスのなかでやっていましたよ。
安心・安全のために大事なことは何か
中野:
当初は、復興関連の組織、会議も乱立していて情報も錯綜していましたね。
阪田:
何が大事かというと、復興計画はクリティカルなところを絞っていかないとね。それからもうひとつ重要な点は、絶対に人の命を失わないということです。土木の世界ではこれが基本です。国民の安心・安全は何かといったら、まず命を落とさないことです。しかし、今回はそれが出来なかった。それで、5月に基本方針を出しましたが、町を全部、防波堤で守るということは不可能だということがわかりました。今回のケースを下敷きにすれば、海岸に30mの防潮堤を作らなくてはならないので、景観からみても住民の生活から見ても許されるものではありませんから、ある程度の津波は構造物で防ぎましょう。しかし、今回のような、それ以上の高さの津波がきたら、まず逃げて命を守るということを大事にするということです。
逃げるための避難所を整備し、どう逃げるかの教育とか、また実際に訓練とかをやっているのに、なぜ多くの人が死んだかというと、そこに行く手段が車だったからです。みんなが一斉に車で逃げるけれど道が狭いから渋滞する、そこで一人が車を捨てれば、あとは全部ダメということになってしまう。なぜ避難するのに車を使うのかというと、この地域はかなり高齢化が進んだ所で、一人では歩けない人や病気の人がたくさんいる訳です。東北の人達は家族をとても大切にしますから、避難する時にまずそうした人を車に乗せて逃げたのです。悲しいことに、今回はそれで被害に遭われた方が非常に多かった。現地に行ってそういったことがよくわかりました。
大災害は人生に二度はあってはならない
中野:
なるほど津波が来るのに車で逃げようにも、渋滞したらそこから先へは行けなかったということですか。それは辛いですね。
阪田:
今、土木学会で考えていることは、数十年から百年くらいに一回おきる規模の津波には防波堤を造るという、ハードでやりましょう。それを越える津波については、ダメということを決めました。なぜそう決めたかというと、南三陸町の町長さんが「私は二回、津波で家を潰されました」と言うのです。人の一生のうちに二回も、そういう目にあうのは、気の毒だと思いました。一度はあるかもしれないが、二度あってはいけないと。それくらいの規模で考えたらどうかということです。
自分で自分の命を守るということ
中野:
古くから三陸には、「津波てんでんこ」という言い伝えがあって、津波から身を守るためには、例え親子であっても人に構うな。一人ひとりが、てんでばらばらになっても、とにかく一刻も早く高台へ行けという教えだということをお聞きしたことがありますが。
阪田:
たしかにそういう言い伝え、津波についての教えが残っています。南三陸町の志津川という所でもたくさんの方が亡くなっていますが、今回なぜ、それができなかったかというと、その津波対策というのが1960年のチリ地震津波のことを考えていたからだというのです。その時は、あまり高くない津波だった。だから、みんな家の2階に逃げれば助かると思っていたので、それより高い所へは逃げなかったという訳です。
避難場所(気仙沼市)
南三陸町志津川における津波水位の表示
土木技術で領地を守った伊達政宗
中野:
チリ地震津波で、家は流されなかったというところが、逆に安心感を持ってしまったということでしょうか。でも千年に一度という貞観地震の大津波の跡が、地層から発見されたという話もあります。
阪田:
最近それが解ってきましたが、仙台から南、福島にかけては、貞観地震(896年)以降は、一度も津波にあっていないのです。それが、仙台にもその地層があると解ってきて何とかしようとしたのですが、今回は津波対策の見直しが間に合わなかったということを今村文彦先生が日経コンストラクョンに書いておられます。
仙台には、名藩主として名高い伊達正宗がいましたが、彼はちゃんとそういう対策をしていました。それは、砂浜に松林を整備し、その中に運河を造っているという点です。それが貞山堀と呼ばれる運河。これはすごく長い。塩釜から阿武隈川の河口くらいまで総延長49qにおよぶものです。この堤防で領地、田畑を守った。さらに古い家は周りに木を植えて屋敷林にして、少し高台になっています。こういうところは今回、全部助かっています。さすが伊達政宗、歴史に名を残す武将です。現代に置き換えたら、ものすごい政治家です。領民の生活に迫る大災害のことを考えて対策をしているのです。
中野:
昔の武将は、土木に関しては領地を守ることが第一という考えがあったのですね。松島は被害が少なかったそうですが、海に島がたくさんあって津波を減速させる効果があったとか?防潮堤のような一枚岩よりもバラバラのほうが良かったのですか。
屋敷林(いぐね)
阪田:
あそこは、島が何重にもなっていたのが良かった。砂浜があって松林があって運河があってそこで津波を止まった。仙台あたりではそういう例が多い。例えば松島だったら、たくさんの島があった。気仙沼だったら大島がありました。
中野:
そういうのが土木でできないのでしょうか?
阪田:
有史以来、そういう人工島を造るなんて例がありません。いくらお金がかかると思いますか?
中野:
では、堤防を二重にするとかは?
阪田:
方法論は判っているのですが、実際に造ろうとなったらお金がいる。たまたま自然にあるから良いのであって、堤防なり防潮堤でやるしかないのです。現実にそれだけの災害を目の前にしたら、そんなに巨大なものはできないから、まず逃げるというソフトと、
コンクリート
構造物のハードを組み合わせて守りましょうということになるのです。
米国はハリケーン・カトリーナの被害を受けた後、大防潮堤を造りました。去年、私も見に行きましたが、L字型のよう壁をずらりと並べた立派なものですが、あれはみっともない。それでも地元が守りましょうという合意ができればよいのですが、三陸地方というのは漁業で生きている街ですからそういうものは日本ではまず造れないのです。
海のそばに住むのが漁師
中野:
明治三陸の津波でも、被害の後、津波を避けて高台に家を作り直してもだんだん海のそばに戻ってきてしまったそうですが。
阪田:
宮古市がそうですね。高台にあがった方が良いのは当たり前の話ですが、それでいけるところとそうでないところがあります。三陸町の町長ともお話してきましたけれど、やはり海のそばに住むと言われる。これだけ痛めつけられても、住むのですかと聞いたら、そこに生活があるから、それが漁師ですと言われてしまいました。
中野:
日本は四方を海に囲まれた島国で漁港もたくさんあるのですが、今回の震災で相当被害を受けてしまったので港を統合したりするというのですが、なかなか進まないそうですね。どういう問題があるのでしょうか?
阪田:
港の統合については話し合いが進められているみたいですが、各港一つひとつでは成り立たないことがあるかも知れません。近海漁業用の小さい船すらないのですから漁船から揃えていくとなると小さな漁港ではできないことも多い。
次の大地震に備えるには
中野:
当初の調査活動に次いで、今はどういうことをおやりになっていますか?
阪田:
今やっているのは、第一次調査でわかった問題点について詰めることです。例えば、液状化と、津波についてはいちばん大きい問題だからこれも継続して議論します。瓦礫の処理については、どういうふうにするのがいちばん良いかと考えようということです。それから津波によって堤防が壊れたのですが、今まで堤防を造るとき津波のことはまったく考えなかった。今後は考えていくべきじゃないかということが基本にあります。そして大事なのが、この次に予想されている、東海・東南海・南海地震にどう備えるかということ。これをいま調査し議論し始めています。我々としては今回の地震で何が起こったのか、何がわからないのか、そういうことを学術的に、技術的にきちっと検証して残していくということが、学会の務めだと思っていますから。
フェイルセーフの考え方を土木にも
中野:
被害だけじゃなく、安全であったという検証も大事ですね。
阪田:
もちろんです。その辺もこれからやることになります。津波に関しては5月10日に第一次の報告会をやりました。一ヶ月に一度、会合をやり、三ヵ月後、半年後、一年後というようにやります。次にもし津波が来たとしてもこんなに甚大な被害にならないようにという思いが強いです。原発とかいろんなことが起こって、安全というのはいったい何かと、徹底的に議論をして詰めたいと思います。
言葉で言えば、フェイルセーフというのがあります。フェイルとは失敗のことですが、失敗してもセーフというふうになるように考えることです。この言葉がどこから出てきたかというと鉄道です。例えば地震が起き、万が一、列車が脱線しても、人命が失われないようにするにはどうするかと考えるのがフェイルセーフというものです。今回はJR関連では誰も地震で亡くなっていません。
原子力でいうと、残余のリスクという言葉がありますが、言い訳するための言葉だとか言っている人がいまいしたがそうではなくて、残余のリスクがあるというのは、こういう最悪のことがあるというのを考慮して考えなさいということです。
福島原発でできていなかったこと
中野:
難しい言葉が独り歩きしているような印象をうけますね。
阪田:
原発の言葉としては、もう一つ、過酷事故対策というのがあります。シビアアクシデントマネジメントです。これはいわゆる想定外の事故が起こったときでもちゃんとしていないといけないというものです。今回は、具体的にどうすべきかというのが遅れていた。福島の第一原発では、対策をやろうとしていたのですが間に合わなかった。一部に報道されているようないい加減なことばかりやっていたのではありません。そういうのを判ってもらいたいと思います。
東京は大丈夫か?
中野:
これまで東京の湾岸部の高層マンションは非常に人気があったのですが、今回の震災でかなり様変わりしました。電気が止まると水道も出なくなるし、一度外出すると上がれないから住めないとか。
阪田:
それが都市の脆弱性というものです。東北地方で大揺れしたのですが東京も相当に大パニックになってしまった。
コンクリートは人のため
中野:
話は変わりますが、
コンクリート
から人へという言葉が出てきたとき、先生は「コンクリートは人のため」と反論されたとか。その辺りのことをお聞かせいただけますか?
阪田:
最初聞いたときは、とんでもない話だと思いました。日本のインフラの多くはだいたい1960年代から70年代にかけて整備されたもので、およそ40〜50年経っています。例えば、橋梁の
耐用年数
はだいたい50年とされています。アメリカの場合で説明しますと、1930年代のニューディール政策で大々的にインフラ整備をした。それが1980年代になって「荒廃するアメリカ」といわれる程インフラが荒廃して大問題になりました。その頃アメリカはベトナム戦争にお金を使いすぎてインフラへの投資をしなかった時期があったのです。それが一斉に古くなってきたのです。
これとまったく同じようなことが、日本でもこの10年くらいで起こりうる可能性があるわけです。今のインフラの状況というのは、非常にたいへんな時期を迎えていることについて警鐘を鳴らしたいという意味から「コンクリートは人のため」と言ったのです。少ない予算の中、今どうやり繰りして、整備していくかの方針を出さないと急には取り組めません。耐用年数の壁が確実に迫りつつあるのに、社会保障費の増大という課題があるにしても今なぜコンクリートから人へなのでしょうか?
荒廃する日本にしてはいけない
中野:
もろにアメリカの前例と重なってくるわけですね。
阪田:
我が国には、一般道の橋梁だけでも14万もあります。これが築50年を迎えて一斉に傷んで来る時期が迫っています。それと温暖化の影響で、雨の降り幅がすごく大きくなっています。トータルに降る雨の量というのはあまり変わっていないのですが、短時間にたくさん雨が降る
ゲリラ豪雨
が増えると、ダムは一気に流入してくる水を受け止めなくてはならなくなるので、入る量が多過ぎればそのまま流さざるを得ません。これがダムの「
ただし書き操作
」というものですが、元来、特殊なときにだけやるものですが、ゲリラ豪雨が多発すると常態化してきます。ダムについてはすぐ対処できないので、中長期的にはダムの
嵩上げ
をして容量を増やすなど、ダムの
再開発
をしないといけないかも知れません。今回の震災の教訓とするならば、ダムなら何年に一回の大台風に備えて、どれだけの時間単位の雨に耐えるようにするかということをきちんと詰めていかないといけないのです。
もう一つの要因は少子高齢化で税収も減ることになりますから、今のうちに社会基盤をきちんとやらないと、補修すらもままならず日本は荒廃してとんでもないことになりますというのが「
コンクリート
は人のため」という主張だったのです。大災害が起こって、ますますその必要性がわかったのです。インフラの性質は、一度できてしまうと、空気のように当たり前になりますから、なかなかそのありがたみがわからない。ダムの例で話しますと、平成21年の18号台風の時、刻々と迫る大雨の水に対して名張川上流の3つのダムが連携して、限界ギリギリまで放流を我慢するという水量調節を行い、名張市を洪水から守ることができました。
ダムの働きを知る良いケース
中野:
後に表彰を受けた3ダム連携による
洪水調節
ですね。
阪田:
実は、この台風18号は50年前の伊勢湾台風とほとんど同じ進路をとりました。伊勢湾台風では、高潮と洪水で5,090人の方が亡くなっています。一方、台風18号では9人の方が亡くなっていますが、洪水が原因ばかりではありません。
台風の被害における、この差は何かというと、これがダムのおかげなのです。しかし、誰もそれがダムを造ったことで防げたということは言わないから、世間には伝わっていかない。インフラというのは国民の安全・安心、いのちとくらしを守るということが基本になっていますが、それが目的通りにしっかり働いていても、そのおかげというのは伝わりにくいものなのです。我が国のインフラ整備は、戦後営々と続けられてきて、今50年経って初めて大更新の時期を迎えているのです。そこをうまくやらないと、全国の街づくりの基礎が危なくなる。それを
コンクリート
から人へというスローガン通りにすると、どれだけ危ういことになるのか考えてみれば、おのずとわかるというものです。
ハードの限界を知り、ソフトで守る
中野:
インフラの場合は、災害で何事もなく安全だったら当たり前。何かあると大騒ぎになります。今回の震災で、大津波によって破壊された堤防、防波堤とかありますが、力で抑え込んでいくやり方は変えるという方針が出てきたとか、その辺りのお話を伺えますか?
阪田:
三陸海岸は、はっきりと判っているのが明治三陸地震(1896)、昭和三陸地震(1933)、チリ地震(1960)による三つの津波被害を受けています。その前は、貞観地震といって896年の平安時代に大きな地震があって大津波があったというのがわかっています。そういうのを総合して、既往の最大のもので備えるとなったら、極端な話ですが高さ50mの防潮堤を造ったら、ハードでは抑え込めるかも知れません。
塩釜の湾港の防波堤の高さは海の底から70mくらいありましたが、それだけのものをあの地域に全部作るなんていうのは不可能です。たいへんな予算がかかるし、防潮堤のようなものがあれば漁業に大きな影響があり弊害がある。ある程度の津波はハードで守り、それを超えるようなものについては、まず逃げて命を守りましょうと、それはソフトです。これからは、この二つを複合させて徹底してやっていくことでしょう。一度逃げたのに人を呼びに戻ったり、みんなが一斉に車で逃げて渋滞にならないようにという知恵をみんなに叩き込むことが大事です。
現地を調べてみてわかったのは、塩釜の大きな防潮堤があったおかげで津波の高さが低くなったし、町に押し寄せる時間が延びた、ほんのわずかに思えるかも知れませんが、確実にそれだけの効果があるわけです。松林も、島も、そうです。ある程度のものはハードで守りますが、それを超えたものはソフトで守るというふうに考えようというのが、今回の大震災を踏まえた土木学会としての巨大津波に対する考え方です。
ソフトの面では、道が狭かったとか、二階に逃げたら大丈夫だと思い込んでいたとか、いろんなことがわかった。仙台のように広い平野部では頑丈な高い建物がなかったので、途中に高さのある避難ビルを造るとか、それに単に避難所を決めたらよいという話ではなく、どう逃げ切るかというのを徹底する。それには、何年に一回とかいう規模を想定して、例えば一生のうちに一回くらいのリスクにするというように、いろんなことを含めて総合して決めていかないといけない。
想定外を想定内に
中野:
それが、想定内にするということですね。
阪田:
想定を超えたものは全部ソフトでやるとするならば、そのための基準を決めるときに、どれくらいの津波を想定するかという問題があるのです。今回の被害を参考にやるか、もっと大きなものを想定するか。自然のことですから程度がわかりません。もうこれ以上のものは来ませんというわけではないので、そこが困るのです。
中野:
いかに想定外にしないか、そこが困るのですね。
阪田:
今度、巨大地震が想定されるとしたら、東海、東南海、南海ですが、これがもしも重なったらとなると、非常に想像しにくい。
原発には二重、三重の安全策を
中野:
原発の耐震性については、どうでしょうか?今回事故を起こしたのは、もっとも古い施設だからということもありますね。それに津波の高さは想定外だったのでは?
阪田:
今回の原発事故の主な原因ですが、一つは津波で想定外に大きな波をかぶって全部の電源が喪失したということです。原発の電源が落ちたら終わりだということについては、かつて参議院の予算委員会で脇先生が質問をしています。その議事録を取り寄せて読みましたが、今から一年ほど前に菅総理自身が責任者となって、原発の全電源喪失という、まさに今回の事態を想定したような訓練をやっています。そのことを質問されたのですが総理はまったく覚えていませんでした。単に訓練だと思って重大に考えていなかったという例でしょう。
アメリカではスリーマイル事故のケースがありますから、ICEという組織があり過酷事故対策に取り込んでいます。日本の原子力発電所でも、これをやらなければいけなかった。日本語で言うと残余のリスクです。電源については二重、三重もの対策を始めからとっておくべきだった。今問題になっている、誰が言ったか言わないかや、ベントを止めた止めなかったという問題は、まさにそういうことをやらなかった結果なのです。
中野:
本来、情報は公開されてしかるべきですが、今は責任のなすりあいのようなことになっていて、避難せざるを得ない地元の人が聞いたらどう思うか。ひどいですね。
阪田:
メルトダウンについては、専門家から見ればああいう状況になったとき、何が起きるのかはすぐにわかるらしいです。原発には素人ですが土木屋から見たら、あれだけ水を入れてなぜ溜まらないか?というのが当初からの疑問でしたが、それは漏れているからですよ。土木の世界で言ったら、まずは水が漏れているに違いないと考えますが、なぜか訳のわからないことをしたというのが今回の対応の悪さです。
情報公開こそが信頼回復への道
中野:
やはり始めの対応がよろしくなかった?
阪田:
国際的な原子力組織、IAEAのトップの天野さんは、事故のあと日本に来て総理にすぐに今回起こったことを全部検証して公開してくれと言われたそうです。それが今後の世界の原発の安全性の向上につながるのだから、隠さずに全部公開すべきだと。できれば五月にサミットがあるから日本が世界から信頼を回復する手段として情報発信をしたほうが良いと勧めたということです。しかし、そうはならなかったから、いまだに世界からの信頼は回復していません。
土木を理解してもらうために
中野:
ダムの場合は、洪水に対して一般の人がダムに対してなかなか理解してもらえないというのはどうですか?ダムの働きがわかってもらえない。大学でも土木工学という学部の名前がなくなり、学生も減っていると聞きます。そういう中でどうすればよいですか。
阪田:
教育ですか、それは僕にも責任があると考えています。前々から、小学校の社会科の教科書にダムのことも載せてもらえるように働きかけてきて、今ではかなり載るようになりました。次に、中学や高校では、先生自体が土木のことを知らない先生ばかりなので、学校で教えてもらうために土木学会では教材つくりをしました。中には土木の絵本を発行することだったり、時間がかかるけれど地道にしていかないといけないと思っています。
土木学会の百周年では、いろんなことをやりました。例えば、土工協でやった百万人の現場見学というのがありましたが、これは大成功でした。今度は二百万人、次に一千万人を目標にしようといっています。それで土木の現場を見せるだけじゃなくて、写生大会をし優秀な人に賞状をあげて、13点の絵を選んでカレンダーにしてあげた。これを全国的にやってみようと思っています。
もう一つ、震災のあとで企画が止まっているかも知れませんが、NHKと組んでやろうと思ったことがあります。前にも言った3ダム連携の
洪水調節
、名張川の件とかを番組にしてくれと言っても、なかなか進めてくれない。それで考えたのが、NHKにはカルチャーセンターがあって会員が30万人います。それに日本人は歴史が好きだし、旅が好きなので、土木遺跡をまわる旅を企画したら良いのではと思っていて、それを全国研修センターの緒方さんに頼もうと思っています。ダムももっとPRしないといけないと思います。それにはネットの活用がポイントだと思いますが、ダムマニアさんだって、そうでしょう。
既存ダムを生かすには
中野:
新規のダムはもうないので今後は既存ダムの改修、
嵩上げ
でしょうか?古いものは、造り直すことも必要ですか?
阪田:
日本は、ダムが2,700ほどありますが、これからはもう新しいものはそんなに造れないでしょう。一応、
ダムの耐用年数
は百年ですが、それを工夫してより永く、いかに有効に使うか。壊して新たに造るかというと難しいので、例えば、鬼怒川上流
ダム群連携事業
で川治ダムと五十里ダムをパイプでつないで有効利用する。あるいは天竜川の美和ダムの恒久的
堆砂
対策として長期効用するというのもあります。
こうしたダムのリニューアルの目的は、三つあります。機能の向上、長期化、回復です。機能の向上とは、
ゲリラ豪雨
が増えて
ただし書き操作
ばかりになるので容量を増やしたいということです。アメリカの例で既存ダムを36m嵩上げするというのがあり、そんなに大きなものはないのでぜひ見てこようと思って、先日サンディエゴに行ってきました。これはカリフォルニア州サンディエゴ市の水道用のダムですが、嵩上げで増える貯水量が1.9億m3になるとのことです。サンディエゴ市には120万の人がいますが、その一年分の水道水に相当するそうです。カリフォルニア州では、現在、温暖化の影響で今後必ず水不足になると考えているということで、ダムを嵩上げして
渇水
に備えるというわけです。想定としては、今より一年分くらい備蓄できるようにというのが基本だそうです。
サン・ビセンテダムの
嵩上げ
水力発電の見直しも
中野:
アメリカの場合は、スケールが大きいですね。日本では電力の問題もありますね。
阪田:
水利用をどうするかも大切ですが、今回の震災でわかったことは
水力発電
も大事だということです。これをやるためにはダムを
嵩上げ
しないといけません。また、今あるダムを下池にして、上池を新たに造って
揚水発電
する。こういうのをやれば原発に頼らなくても電気は足りてくるはずです。
中野:
もう一度見直して日本中のダムを利用すれば良いのでしょうが、原発がダメとなると、太陽光だとか風力だとか地熱とかの名前が出て、水力に可能性があるとは誰も言わないですね。メディアにはダムアレルギーでもあるのでしょうか?
阪田:
なぜだろうね、絶対に言わないね。不思議だ。
八ツ場ダム問題が尾を引いているのかな。
日本はダムで溜められる水はフーバーダム一つに及ばない
中野:
なんかイメージで言われることが多いですね。脱ダム宣言もそうですが、客観的な事実に基づいて語られることが少ない気がします。
阪田:
現在、日本にある2,700のダムで溜められる水の量は、アメリカのフーバーダム一つで溜められる水よりも少ないというのが事実です。2,700のダムがあってもフーバーの2/3しか溜められない。我が国では、それだけ特殊な河川事情だというのを知ってもらって、ちゃんと議論しないといけないと思っています。水を大きな電力に変換できるのはダムしかありませんが、もう新規にはその場所も少なくなってきた。温暖化の影響も織り込んだ形でどうするかを考えていくべきです。国として、エネルギー政策の方向性をみて、前を向いて議論しないといけないでしょう。決して、感情論に流されてはいけない。
オーダーメイドの復興へ
中野:
震災の話に戻りますが、復興策について、土木学会として考えることはどういうことですか。
阪田:
被災地では復興へ向けた動きが活発化しています。そこで政府、県、自治体、民間組織、学会等により様々な復興計画、提言が発出されていますが、まず、それらは被災者に寄り添うものでなくてはならないと思っていますが、どうも勝手な思い込みだとか、突飛もないアイデアとかが非常に多く、例えば世界一のエコタウンをつくりましょうとか、津波の来ない高台を作って住みましょうとか、アイデア自体は良いことなのでしょうが、被災地の多くにとっては、今はそれを造れない。アイデア倒れのようなものがあるのです。被災地の多くは非常に狭い土地です。そういう現実を踏まえないで、まるで夢のような提言するということは、かえって時間を無駄にしかねない。実にけしからんと思いますね。
中野:
あまりに夢のような復興プランが多いのではないかと?
阪田:
被災地の現状、それぞれの地域の状況を踏まえた、地に足の着いた案が求められているのであって、この先何十年もかかってやりましょうというのではないのです。実は、4月に入ってから国交省の三井副大臣の前でプレゼンをやらせていただきましたが、私は「オーダーメイド」の復興計画・防災計画を策定してください、ということを話しました。それぞれの地域にあった個々の地域特性を踏まえたものです。それには、まず基礎情報の整理と、多様な視点の導入による地域の実情に応じた、防災を考慮した復興計画が望まれますが、「オーダーメイド」が高望みなら、せめて「イージーオーダー」にしてくださいと、申しあげました。洋服だって、人それぞれ体型が違うから一律の寸法の服を着ろと言われても無理なことで、それと一緒でそういうことをやっていると復興のスピードがにぶるからです。だから急がば回れで、地元の風土、歴史、そういうことを考えたうえで、各市町村に見合った復興計画をつくらないとかえって復興そのものが遅れてしまう。その点が注目すべき重要なポイントだと思います。
中野:
最後にこれからの復興はどうすればよいですか。土木学会のトップとして思いを引き継いでもらいたいことは?
阪田:
土木にできること、やるべきことは多いです。その時に、間違っていけないのは、復興するのは被災地、被災民です。我々はあくまでも復興の下支えをするということを忘れてはいけない。そういう姿勢を認識しておかないと。
もう一つ、我々が守るのは安全、人の命。そのために学会で、やるべきことはいっぱいあります。建物などが例え地震で壊れたとしても、直接にそのことで多くの人の命が奪われないように、絶えず安全側にものを考えておくことがまずは重要だと思います。巨大地震が来たら、人が造るものですから建物や、構造物は被害を受けます。しかし、その時にこそ、これは相当にキザな言い方になりますが、技術者には「想定外を想定する想像力が求められている」のだと。私が技術者の一人として強調しておきたいのは、その点で知恵を絞って頑張って欲しいということ。専門家が想定外という言葉を言い訳に使うのはありえないと言いましたが、この数ヶ月、被災地の惨状を目の当たりにして感じたのはまさにそういうことなのです。
中野:
阪田先生には、現地をご覧になって来られたからこその、強く復興を望まれているその思いを伺うことが出来ました。この場をお借りして大震災で亡くなられた方々の御冥福をお祈りさせていただくとともに、被災された皆様が一刻も早く立ち直られ復興の途につかれることを願ってやみません。
本日は貴重なお話をありがとうございました。
(参考) 阪田憲次先生 プロフィール
阪田 憲次(さかた けんじ)
岡山大学名誉教授
昭和18年4月16日 生まれ
略歴:
昭和42年3月 京都大学工学部土木工学科卒業
昭和44年3月 京都大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了
昭和52年4月 岡山大学助教授(工学部土木工学科)
昭和63年4月 岡山大学教授(工学部土木工学科)
平成6年10月 岡山大学教授(環境理工学部)
平成8年10月 岡山大学評議員(平成10年9月まで、1期2年)
平成11年4月 環境理工学部長(平成15年年3月まで、2期4年間)
平成15年4月 大学院自然科学研究科長(平成17年3月まで、1期2年間)
平成21年4月 岡山大学名誉教授
その他学会活動等:
平成20年〜22年(社)日本
コンクリート
工学協会会長
平成21年〜22年
ダム工学会
会長
平成22年〜23年 土木学会会長
土木学会東日本大震災特別委員会委員長
(2011年8月作成)
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