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ダムインタビュー(38)
山内 彪さんに聞く
「若い人は、ダムを糧として立派な総合技術者として育っていって欲しい」

 
 山内 彪(やまうち たけし)さんは、昭和36年に建設省に入省されて以降、河川局等で活躍された後、国土庁や水資源開発公団等で要職を歴任され、その間四国の早明浦(さめうら)ダムをはじめいくつものダムや水資源の計画に携わってこられました。その後、平成6年から平成18年まで12年間にわたり、財団法人日本ダム協会の運営に携わってこられました。

 今回は、山内さんに、これまでの長いダム経験について詳しくお話を伺うとともに、ダムを取り巻く厳しい環境の中、難しい課題も多い現況を踏まえ、今後の方向などについてご提言いただこうと思います。

(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)


ダムよりも都市計画を希望

中野: 建設省に入ろうと思われたのは、どういう理由からですか?なぜ土木を選ばれたのでしょうか?

山内: 学生時代に土木学科を選んだ時点で、やるからには大規模な開発計画に携わりたいという気持ちがありました。学生時代の実習でダムに行ったことがあり、当時は黒四ダムとか佐久間ダムのことが話題になっていた時代なので、卒業したらそういったことができるようなところを志望しようと思っていました。

中野: 高度成長期で土木、とくにダムは発展すると思われたのですね?

山内: 自分ではそう思っていたのですが、実習に行った先で先輩からはもうダムの時代じゃないぞと言われたりしました。当時のダム計画はほとんどが発電ダムで、建設省ではあまり多くは手がけていませんでした。水力発電の大きなダムはもう殆ど手がけられていましたし、建設に適した場所も残り少ないので、ダムづくりも今がピークであと10数年だなどと言われていたように思います。

中野: 当時、水力発電ダムの計画があったのですか?

山内: 政策的な優先順位はわかりませんが、ダムができそうな場所については殆ど全部計画が作られていたという感じでした。先輩の言葉を聞いて自分もダムから目標を変更し、ちょうどブラジルで新首都都市ブラジリアが建設しようとされていましたし、日本国内でも名古屋市の大規模な戦災復興の都市計画などが話題になっていましたので、それでは都市計画をやってみてはと思って建設省を志望したのです。現実に建設省から内定をもらった際には、希望通り都市計画部門への配属を内示されていたのですが、3月になって突然呼び出され、都合により急遽四国の地方建設局に行けということになりました。

中野: 入省早々から地方に飛ばされてしまったということですか?

山内: 人事のやりくりで急にその必要がでてきたのでしょう。地方建設局に行けば当然ながら仕事の中心は河川か道路ということになりますので、都市計画をやりたいという夢はここで消えてしまいました。かなり急な人事だったので地建でも最初は河川か道路か具体的な配属先も決まっていませんでした。行ってみると、四国はこれからダムが増えるので河川部を強化したいのでおまえは河川部に行けと言われて、6月から河川計画課の調査担当という事になりました。


吉野川総合開発の計画作り

中野: そこから本格的にダムに関わりができたということですね。

山内: 河川計画課での担当業務の大半がダムの予備調査ということで、仁淀川とかと土器川といったところのダム計画を主にやっていました。その二年後に早明浦ダムの実施計画調査が始まる事になり、いよいよダム現場に配属ということになったのです。しかし、早明浦ダムはまだ計画の初期段階で、いわゆる水配分やアロケーションも決まっていないので、これらを早急に決めていかないとダム事業も推進できないということで私は計画担当となりました。結果として大規模な開発計画に携わりたいという元の希望が叶えられた形でした。

中野: 早明浦ダムが工事に入る前を担当されていたのですね?

山内: そうです。いわゆる吉野川総合開発の計画策定の始まりでした。当時の現場の所長は相原さんでした。調査課長は糸林さんでしたがダムの設計や現地調査は課長が直接やっておられ、私は相原所長の下でもっぱら計画策定の方をやらせていただいていたと記憶しています。それが3年続いて、その後、四国地方建設局の企画室に戻り早明浦ダムの最終の計画策定に当たったのですが、それから池田ダムとか新宮ダムとかの計画を引き続き担当し、結局「吉野川総合開発計画」の策定の終わりまで5年3ヶ月間この業務をやっていました。


吉野川総合開発計画概要図
四国三郎の別名を持つ暴れ川

中野: 早明浦ダムの具体的なお話を聞かせていただけますか?早明浦というと、どうも渇水のイメージが先行するのですが。

山内: 早明浦ダムは、高知県に源を発し険しい四国山脈の中ほどを貫き紀伊水道に注いでいる四国最大の河川である吉野川の河口からおよそ160キロのところにあります。この吉野川というのは元来とても治水の難しい川とされており、我が国の三大河川を、太郎、次郎、三郎と荒くれ三兄弟に例えて名前をあげると、一つ目が「関東の坂東太郎」。これは利根川のことです。二番目が「筑紫次郎」で九州の筑後川。そして「四国三郎」ということで、吉野川の名前があがります。


早明浦ダム(撮影:さんちゃん)
中野: よく聞く三大暴れ川の名前ですね。

山内: 吉野川は、流域が四国四県にまたがる大きな川ですが、高知県や愛媛県などの山間部を通って徳島県を経て海に流れます。水不足に悩む瀬戸内海側の愛媛県や香川県から見ると、明治よりもはるか昔の時代からぜひこの吉野川水系から水を引きたいと思っていましたが、それを実現させるとなると、機械力のない時代ではあまりに大規模な土木工事になるため、とても実現しようもない夢物語だったということです。それくらいこのあたりでは強く吉野川の水が求められていました。

根深い四国の水問題

中野: 水問題は住民の生命に関わることとして相当に根深いですね。

山内: ご承知のように四国は四県が背中合わせになっています。険しい四国山脈がありますから生活圏は、それぞれが独自に形成しています。経済圏ではどうかというと、松山や高松は、広島とか岡山といった山陽にも近いのですが、ほとんどの船の便は大阪に直結していました。高知も徳島もそれぞれ直接に大阪と。ということで、結局、四国四県がそれぞれに直接大阪と結ばれていた訳です。或る意味ではライバル同士なので、四県が一緒になって何かをやるということもあまりない。愛媛県や香川県が水を欲しいと思っても、上流で降った雨が流れてきて下流の徳島県だけがいつも洪水になって被害を受けるのに、上流にダムを作って水をくれといわれても、そう簡単にやれるものではないという感覚になります。他県からみれば、まさに四国は四県がバラバラにみえてしまう構造になっていました。

中野: 高知や愛媛の山間地で降った雨が流れてきて、雨の降っていない徳島で洪水になるのですね。難しい暴れ川というのはそういう問題を抱えていたのですね。そういう中、早明浦ダムはいつ頃から計画されたのでしょうか?

山内: 戦後まもなくの頃、これから戦災の復興だという時に、内閣の下に経済安定本部という役所が組織されていました。後の経済企画庁にあたるものですが、ここで復興のための各種の計画を立てていました。当時の最大の課題の一つは電力の確保でしたが水の豊富な吉野川は当然着目され、水力発電の視点から早明浦ダムを中心とした大規模な水力開発計画が昭和23、24年頃に安本案(あんぽんあん)として発表されたのです。

中野: 経済政策としてのインフラ整備という感じなのでしょうか?

山内: そういう事です。ただ河川の総合開発計画ですから、河川担当の建設省に、灌漑事業にあたる農林省、水道所管の厚生省、工業用水や発電の所管の通産省などの他に電力事業者である電源開発や四国電力、それに地元の四県が関わる大規模な計画でした。ですからあちこちから工業用水、農業用水、水道用水が欲しいなど数多くの要望があって、当然その調整が必要という声が出るのと同時に建設省では吉野川の洪水問題をこの際なんとかしなくてはと考えていました。そうこうするうちに昭和29年に吉野川で大洪水があり大きな被害が出たこともあって、治水の必要性が急に高まり、昭和29年に洪水調節を含めた最終的な調整案が示されました。これがいわゆる今の吉野川総合開発計画の原案です。

 ところが、さきにお話したように四県ともまだまだバラバラな感じでなかなか同じ土俵に上がれませんでした。3、4年ほど停滞ムードだったのですが、おりから全国的に高度成長期が始まり、四国地方でも地元経済界より経済の活性化を促進して欲しいという声が高まり、中央のほうでも全国的に地方での総合開発を促進すべきだと言うことになり地方開発促進法が制定されるなどその環境が整備されてきました。一方、建設省では当時中国と四国が一緒であった地方建設局を昭和33年に分離させ、四国地方建設局を新設しました。新設の局で取り組むべき大きな仕事の一つは当然、吉野川の総合開発ということになり、これに最大重点を置くべく局挙げての体制作りをとっていました。
 四国にとっては漸く活動的な時代を迎えたと言え、四国四県が何とか一つになってというムードが徐々に生まれてきました。昭和35年に入ると関連する審議会や部会も設けられて四県が集まってなんとかしようとなったのです。計画そのものは水配分とか費用分担をどうするかとかいろんな問題がありましたが、取りあえず中核となる早明浦ダムだけは調査を始めようということになり、今後計画そのものは現地の事務所で作業しそれを地方レベルでの協議、更には中央ベースでの協議へと進めていくことが了承されたわけです。

地形に隔てられていた水源を分かちあえる気持ち

中野: 昔から四国は四県が独立独歩という感じだったのでしょうか?


「四国のいのち」の碑(撮影:さんちゃん)

山内: 四国の四県がバラバラに見えるというのは、水問題だけでなく他のところでもなかなか根が深いものがあって足並みが揃わないからでしょう。それを象徴しているのが早明浦ダムの記念碑かも知れません。ダムの傍らにダムの完成にあたっての石碑が立てられていますが、石碑に彫る文言で揉めとか言われています。真偽の程は定かではありませんが最初「四国はひとつ」と揮毫しようとしたら、当時の県知事さんの間で「ダムが出来て水の問題は解決したかも知れないが、ほかの問題はまだ解決していない」となって、結局は大切な水の事のみを表現して「四国のいのち」と彫ったという経緯の話もあり、まさに複雑な四県の心持ちを表しているかのようです。

中野: これは地元の人に聞いてみないとわからないことでしょうね。
山内: あの時期、早明浦ダムが出来たことで、一時期だけ「四国はひとつ」という感情が出たのかも知れません。何年か後再び、本州四国連絡橋の問題で意見が分かれはじめ、最終的には三本も橋が出来ました。

中野: 問題の根っこには上流と下流の利害や受益の分担という面があるのでしょうか?

山内: 徳島は洪水で悩まされているので、洪水から守ってもらうのはありがたいが、災害は受けず自分達のところから良い水だけを持って行かれるというのは納得しかねると吉野川からの分水には反対していました。香川や愛媛としては、ひたすら水が欲しいということです。高知としては、ダムを造れば犠牲になるのは水没地であるから何らかのメリットが欲しいということでした。そのような状況下で計画の細部検討が進められて行きました。


 早明浦ダムは、もともとは発電がメインだったので、当初は発電容量としてはかなり大きなものが想定されていました。しかし計画が具体化して行く中で発電専用容量としてそんなに大きな容量は要らないという時代的な傾向もあり、電発さんは相当量の容量を減らしたいということになりました。一方で洪水調節は原案の容量では不安なのでもっと増やしたらどうかという意見が出る一方、用水の方はもっとできるだけ沢山欲しいということで何回も計画をやり直し、ダムの高さも、内容もくるくる変わっていました。こういうことが続いて昭和41年になって漸く最終案がまとまったのです。

上下流で異なるダムのメリット

中野: 一時期、反対運動も起きたそうですが地元ではすごく期待されたダムだったのですね。

山内: 香川にとっては待望の水が来る。愛媛にとっては支川の銅山川から取っていた分水の水を増やす事ができる。徳島にとっては洪水を防いでくれるし用水も安定してとれる。高知も水没の犠牲はあるが分水でそれなりの用水確保や発電もできると言うことでそれぞれのメリットは十分意識されていました。とくに徳島では河口から池田というところまで80kmほどの長さがあるのですが、その中の上流の半分は無堤防地区で洪水が来るとそこを遊水池にして洪水を溢れさせて下流を守っていました。早明浦ダムが出来たら、その区間に堤防を造る事が出来る、それが徳島の最大のメリットだったのです。

中野: ダムに溜まった濁水を流すと環境に悪いとか、そういう反対の声があったそうですが、それはどうなったのでしょう?

山内: 当時からダムを造ると川の水が濁ると心配されてはいました。ただ一般には或る程度時が立つと濁りも減って来るのですが早明浦の場合ダムが出来たすぐ後に大洪水が起きてしまい貯水池周辺が荒れてしまった事から濁水が長期化してしまい、環境問題の元凶のように言われています。

中野: 貯水の上の方のきれい水を流せばそうならないのですが、下や真ん中から流すから濁流が続くということですか。

山内: そのようなことで通常の水の取り方ではまずいというので、表面の澄んだいい水をとろうということになり、完成直前に表面取水方式に変更し、さらに工事を延長して選択取水設備をつけたのです。ただそれだけでは十分な対応できず、あとあとまで濁水の象徴のように言われてきました。



早明浦ダム(撮影:灰エース)

中野: ダムが出来たのに洪水が起きたと批難されたのではないですか?

山内: 完成直後の大洪水も含めて何回か大洪水があり、中小洪水にも度々見舞われていますが早明浦ダムの洪水調節によって徳島では大規模な災害は殆ど起きていません。ダムが出来てもう35年以上になりますが徳島にとっては大きな価値があったのではないでしょうか。それから用水の方でみますと、香川では多くの地域が吉野川の水に頼っており、早明浦が干上がったら大変だというので県民の方々も熱心に早明浦ダムの状況を見ています。地元に四国新聞というのがありますが、その第一面には必ず毎日、早明浦ダムの貯水池の状況が情報として載っていますし、タクシーの運転手さんまでが今年はダムに水が十分にあるようですなどと話題にするほどです。
地元ではダムの恩恵を小学生も学んでいる

中野: やはり地元にとっては大事なダムなのですね。地域の人はダムには理解はあるのですか?

山内: 香川県など各県で小学生の頃からダムに連れて行ったりして勉強していますのでそれなりに理解されていると思います。今になっても早明浦ダムについて批判的に言われるのは濁水問題くらいで、香川にも徳島にも水を送っているし洪水も防いでいるので、頼られています。全国的には渇水が話題として時々取り上げられるだけですが、四国では早明浦ダムはプラスの面は多いと受け取られていると思います。マイナス面としては濁水と、上流の水没地域の周辺が非常に過疎化しているので、それが問題になっています。過疎化はダムができたからということだけではなくて、上流の鉱山の廃坑や林業の斜陽化で、地域から人が出てしまった影響があったのかも知れません。現地では、過疎化問題で何らかの手助けが欲しいといっています。今話題になっている早明浦ダムの再開発などにもそういった観点から地元としては関心があるようです。


早明浦ダムの今後は

中野: 早明浦ダムは今後どういうふうにしていくか、四国で話題になっていますか?

山内: 香川ではまだまだ用水が欲しい。県内で大きな調整池をつくって、計画の取水量の範囲の水に余裕のある時はそこに溜め込んでおくという事業も進めましたが基本的にはもっと水事情を安定させたいと思っているわけです。自分が利水計画をやった手前あまり言ってはいけないのですが、当時、10年に一度はダムが空になると想定されました。当時の気象状況と今ではだいぶ違ってきていて降水量も減っていますので、今の気象状況ではおそらく10年に2,3度は空になるのではないかと思います。これを避けるために早めに取水制限をして水利用の調整をしていますので、2、3年に一度は渇水騒ぎが起きるのも不思議ではないと考えます。それを少しでも安定させておきたいという希望があるのでしょう。
 それともう一つ、洪水調節の問題もあります。早明浦ダムには堤体に洪水調節用の穴が開けていませんのでクレストから下の水位では放流ができない形になっています。つまりクレストからのオーバーフローだけで対応していますのでもう少し洪水調整機能を増やしたいと考えています。これまでも今の洪水調節容量だけでは足りなかったのですがたまたま利水容量の空きがあったのでそこに貯めこむことで洪水調節の機能が果たせたという事で助かったということです。そういう事で洪水調節容量やその機能をもう一度見直したいという考えがあります。

新設ダムは難しいので大規模改築で乗り切る

中野: 早明浦ダムのほかに四国で特徴的なダムではどのようなものがありますか?

山内: 四国の河川の中ではたまたま吉野川では早明浦が有名ですが、那賀川に長安口(ながやすぐち)ダムというのがあります。これは、以前、近くに細川内(ほそごうち)ダムを造ろうと計画したのですがいろんな問題でやめてしまったので、今はこの長安口ダムの大改築をやろうということになっています。もう一つ、愛媛松山市周辺は今でも水が不足気味です。その隣の流域に肱川というのがあります。最初は高知からそこに水を引いて更に松山地域に分水する計画もあったのですがそれが出来なかったので、結局肱川水系に山鳥坂(やまとざか)ダムを造り既設の鹿野川(かのがわ)ダムの改築と合わせてこの問題に対応しようとしています。そのほか、香川では長柄(ながら)ダムの再開発計画などもあります。

中野: やはり四国の水の問題というのは大変なのですね。



渇水で姿を現した大川村の旧庁舎(撮影:安部塁)

山内: 河川総合開発計画というのは全国あちこちの地域でやっていますが、あまり規模は大きくありません。四国のように四県にまたがって大規模な開発をやっているのは少ないのではないかと思います。例えば琵琶湖総合開発とか霞ヶ浦総合開発とか、湖沼を軸にした大規模な開発計画はありましたが、河川のダムを中心にした大規模なものは吉野川を除いてはあまり例を見ません。担当者であった我々から言えば、一応この計画は成功したと思っていますが、四国そのものが全国版じゃないのでそう宣伝して回るわけにもいきません。
 ですから四国で渇水という事態が起きても、全国版では早明浦ダムの水没地にある大川村の旧庁舎が浮かびあがってくる景色の方だけが話題になり、その写真ばかり出ています。おかげであの難しい「早明浦」という文字をみなさんが読んでくれるようになったのだけは四国としては良かったのではないかと。笑い話ではすまないのですが。
ダムを中核にして地域の発展をはかる



中野: 四国の総合開発計画は、早明浦ダムを中心に四国全部にわたる壮大な計画だったのですね。

山内: 規模や内容から見ても、洪水調節、分水、それから発電もやっているし、各地で水道用水から農業、工業用水の供給などいろんなことをやっていますからその影響力は大きいと思います。工業用水に関しては一般的には昭和50年後半からだんだん減っていますが、現実に工業用水をフルに利用しているのは愛媛の東予、今の四国中央市というところです。この前、ちょっとしたことで有名になった製紙会社もありますが、あの辺は紙パルプ産業で水をたくさん使っています。ほかには香川でいえば水道用水のほとんどが吉野川に頼っていますが、"うどん県"なので渇水になると大変です。(笑)
中野: ダムの働きがうまく理解されないときは、吉野川の総合開発を詳しく話せばわかるのではないでしょうか?

山内: あのような大きな計画を立てるというのは、正直いって今の我が国の状況では難しいでしょう。あの当時だから出来たのではないでしょうか?ダムの恩恵を受けているところでは、香川や徳島でも子供たちにはきちんと教えているようです。また水源地を守るということでも今も徳島県ではNPOの人達が色々な活動をしてくれています。ただ愛媛や高知では受益地域も限られておりまたダムの建設場所を提供しているという感じもありそこまで教育しているかはよく判りません。地元といってもかなり温度差はあるようです。

発電ダムには治水機能がない

中野: 話題は変わりますが、昨年の熊野川の洪水に、「発電ダムには治水機能がない」ということが一般には知られておらず、誤って報道されるということがありました。こういう問題についてはどのように思われますか?

山内: ダムにはそれぞれに目的があって、多目的ダムでない限り、いろんな機能を併せ持つという事はあまりないというのがまず大前提なのです。発電ダムに治水機能がないのが当たり前のことでダムに関わっている人は当然知っていることなのですが、一般の人がそこまで理解されているかとなると、どうでしょうか。私たちダム関係者としては、その辺は反省しないといけないのかも知れません。発電ダムというのは通常は水力発電専門のダムで、日本では明治時代から造っていたわけで、ダムを造って川の水を溜めて発電することは、昔の旧河川法にもその関連の規定がなされています。むしろ洪水調節を河川でやろうという方が新しい概念で、大正時代にそういう提唱がなされ実際に洪水調節用のダムが出来たのは第二次大戦以降です。その意味で発電ダムというのは洪水調節とは別の世界があったわけです。従って発電ダムで洪水調節をするという考えがなかったのが実情ですが、今の時代では、それは如何なものかということなのでしょう。

ダムの放流で洪水は起きない

中野: その辺はきちんとした説明が無いので、ダムが放流したら洪水になって人が亡くなったというように言われてしまいます。

山内: 今回の熊野川での問題ですが、あの川には洪水調節用のダムが一つもなかったので余計に問題になったのですが、問題のポイントは二つあります。一つは、発電ダムでなぜ洪水調節できないのか。発電ダムでも台風の前に事前放流しておけば、ちゃんと空き容量がとれ洪水調節ができるのではないかという問題。もう一つは、台風の時に勢いよくダムから放流している状況を見て、そのためにかえって下流に洪水を起こしているのではないかと思われていることです。

 一つ目の問題について言えば発電ダムの場合、流れてくる水を貯める権利はあっても、貯めた水を発電使用以外の目的で勝手に流す権利はないし義務もない訳です。たまたま貯水容量が空いていれば、そこで自動的に洪水調節ができますけど、自らそういうことは出来ないのです。では河川管理者が命令したら出来るじゃないかと言われますけど、緊急時にそのような操作をするシステムもないし、発電所でもそれに対応できる状態ではありません。したがって、洪水の時はダムへの流入量イコールで下流に流しておくだけで、いわばそこにダムがない場合の状態にしておくしかないのです。それが大原則なのですが今でもそういうことがマスコミにもなかなか伝わっていないし、まして一般の人には広まってもいません。

中野: 熊野川は、なぜあれだけ雨が降る場所なのに洪水調整用のダムがないのですか?あるのは、みんな発電ダムですね。


山内: もともと熊野川というのは水の豊富な河川で急流ですから水力発電に最適な河川で古くから開発が続けられてきました。一方沿川にある集落は河口付近を除いては少なく下流の治水対策は堤防で対処するということでした。実際に今回の災害は周辺の山地からの土砂災害やその結果できた河川の堰止めによるものが多かったのではないでしょうか。

中野: 最近は、気象変動が大きくて予想できない、ゲリラ豪雨もそうですが、発電ダムではそういうのに対処して、柔軟な対応はできないということでしょうか?

山内: 先ほど言ったように応用動作を機敏にしてというのは、ちょっと難しいのですが、事前にダムの計画を変えてそのような機能を持たすということは考えています。かつて九州の川内川で大洪水が起きた時に、既存の多目的の鶴田ダムの発電容量を買い取って治水容量に振り替えた経緯があります。それと同じような発想で天竜川の佐久間ダムやその他のところでも既存の発電容量を買い取ってダムの容量の再編ができないかということで検討が進められていますが、吉野川にもそういう発想はあります。

的確な情報提供で誤解を解く努力を

中野: このまま放っておくと、ダムが悪いと誤解を生むようなことになりませんか?それが心配です。

山内: 誤解があるとしたら、大きいのは例えば洪水時に溜めている水を全部放流していて下流でかえって洪水を助長しているのではないかということでしょう。これについて言えばどんなことがあっても、洪水がはじまったらダムはそこへ流入してくる量を超えて下流に放流することは無いということです。下流での影響がなくなるまでは流入してくる以上の水は流せないのですが、激しい放流の状況や報道を見た印象からあれが洪水の原因ではないかと言いたくなるのでしょう。おそらく地元には事後にも担当者がよく説明しているので最終的には納得してもらっていると思いますが、第一報として新聞やTVに出たりしたものは後で訂正はしてくれませんので一般の人はどうしてもそう思ってしまうのでしょう。

中野: きちんと説明したほうが良いですよね。山内顧問が、協会にいらした時に「ダムの必要性と効果」をテーマに紙芝居的なものを作ったのはそういう意味からですか?

山内: ダム協会は財団法人ですから、本省ではやりにくいところも協会ではPRしてもよいのではということでした。「ダムの必要性と効果」のような形で作れば何か説明したいということになった時にそれに関することを一、二枚の紙と文章で持っていけば、誰でも説明しやすいのではないかということで、あのような紙芝居的なものを造ってみました。例えば、水不足ならそれに関係する項目だけを解説する。洪水調節といえばその部分だけを解説する。治水と利水をわけて分野別に、いろいろなテーマでそれぞれに1枚の紙にまとめておくことと基本的にはわかりやすいこと、見た目がきれいなことが大事だと考えました。もう一つは、本にすることも考えられましたが、本にすると全体に興味がないとなかなか開けてもらえません。基本的には絵をつけてそれに説明する文章を考えて必要なものを持ち歩くと良いのではないかということです。以前に竹村開発課長さんが図面を使っての説明を盛んにやっていたのでそれを真似してみました。


「ダムの必要性と効果」を説明するための通称「紙芝居」
中野: 無料配布したので、広報活動としてはかなりお金がかかったのではないですか?

山内: 行政機関でもゼネコンでも広報活動として、これを持って行って、あちこちでみんなが説明してもらうときに使ってもらいたいという発想でした。そういう組織に一部ずつ進呈して利用していただけば広報活動として大いに役立つだろうという考えだったのですが沢山作れましたので一部あたりにすればそう高いという感じはありませんでした。

ダムを維持するにも技術が必要

中野: もう一つ、別の観点からお話を伺います。最近、ダム事業は中止、凍結ということでダム技術者が増えていません。若い人にエールを贈るとしたらどういうふうに声をおかけになりますか?

山内: ダムの現場の数も発注者や施工者のゼネコンの人も数が減っています。これをどうするかはこれからの問題です。ダム事業そのものは将来どうかというと、今はまだ例の検証結果が終わっていませんので、どうなるか不透明ですが、何れにせよ新規のダムを進めるにはなかなか難しいものがあります。一方で、ダムの再開発とか大規模改築の話しがあり、ダムについてのそれ相応の技術を継承していかないといけないということです。本省の治水課や各地方整備局でも、技術の継承のありかたについての研究会を全国レベルでやって勉強しているようですしゼネコンでもその対応策を検討しています。



中野: ダムをリニューアルしていくにも技術継承が大切ですね。

山内: ダムに限らず、公共事業投資が年々減少している我が国では、そういう土木技術の中でもその継承ができなくなる心配があるという問題は起きています。例えば、長大橋などもその一つでしょう。技術者がいなくなると、メンテナンスやリニューアルするにも技術者がいないとできない訳ですので、そういう危機感が十分にあります。従ってダムだけではなく土木技術全体の性格をよく理解してもらえる若い人にどんどん入ってきて欲しいと思います。今回の震災でもそうですが、土木的な発想をフルに使えば、対応ももっと違ってくるのではないかと思います。土木の中でもいちばん総合的な技術はダムだろうと思います。若い人は、ダムを糧として立派な総合技術者として育っていって欲しいと思います。
中野: ダムが総合土木と言われるのは?

山内: ダムを一つ造るには、いろんな工事があります。トンネルや橋もあり、道路もある、そしてダム本体もある。造るものもいろいろあるし、それぞれの工事について人と技術を使って最適な計画や施工を進めていく。それに現場の人達を指揮、統括していく役割があります。だからダムの所長を経験すると、土木だったらどういう現場でも対応できるようになるとも言われています。それがいちばん大事ではないかと思っています。会社経営でも役立ちますし。そういうのを若い人も目指して欲しいと思います。決してダム屋になれというのではないが、ダムを教材として、良い土木技術者に育って欲しいという感じです。

ダム好きさんは心強いサポーター

中野:水の週間」、「森と湖に親しむ旬間」などは、今、ダム好きさんが協力して下さっています。協会でも活動を応援するためにダムマイスターを始めました。

山内: 時々、イベントで見ます。彼らは熱心だし、良いですね。少なくともダムに対して嫌悪感を持たないでいてくれるのが嬉しいですね。ダムと聞いただけでムダだとか、いわゆる「コンクリートから人へ」だとか、始めからダムに違和感を持って対応される人が多い中でダムを理解してくれる人がおられるのは有難いと思います。それにいろんな見方でダムをとらえてくれるのが良いですね。ダムそのものが好きだという人もあれば、見て回るのが楽しいとか写真をとるのが好きだとか、それぞれ面白いと思います。

情報を発信して世論に訴えていく

中野: 一般の方々にもダムを理解して頂きたいですね。

山内: ダムを通して、いろんなことが見えてくるのですが、技術の継承でも人の問題でも、インフラに関して言えば、問題が表面化してくる前になんとか手を打っていける状況にする努力が大切なのではないでしょうか。そういう意味では正しく情報を発信して世論に訴えていくことはこつこつと地道に進めていかねばならないのでしょう。

中野: 本日は、貴重なお話をありがとうございました。

 


(参考)山内 彪さん プロフィール

山内 彪 (やまうち たけし)
(株)間組 顧問

昭和36年 4月  東京大学 工学部卒業
36年 4月  建設省入省 四国地方建設局河川部
38年 4月  四国地方建設局 早明浦ダム 計画係長 (吉野川総合開発計画担当)
41年 4月           企画室 企画係長
43年 7月      〃   徳島工事事務所工務一課長
47年 4月   〃 河川計画課長
49年 4月  建設省 河川局河川計画課課長補佐(水資源担当)
51年 5月  中部地方建設局 静岡河川工事事務所所長
52年 8月   〃 天竜川上流工事事務所所長
54年 2月   〃 河川調査官
56年 4月   〃 企画調査官
58年 7月  建設省 河川局開発調整官
60年 1月  会計検査院技術参事官
62年 4月  中部地方建設局 河川部長
63年 1月  建設省 河川局開発課長
平成元年 9月   四国地方建設 局長
2年 11月  国土庁長官官房水資源部長
4年 7月  国土庁辞職
4年 8月  水資源開発公団 理事
6年 11月  水資源開発公団 辞職
6年 11月  財団法人日本ダム協会 顧問
7年 3月   〃 常務理事
8年 7月   〃 専務理事
18年 8月   〃 辞任
18年 8月  (株)間組 顧問

[関連ダム]  早明浦ダム
(平成24年4月作成)
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  [テ] ダムインタビュー(14)藤野浩一さんに聞く「欧米では水力を含む再生可能エネルギーの開発に重点を置いています」
  [テ] ダムインタビュー(15)安河内孝さんに聞く「”碎啄同時(そったくどうじ)”という言葉があります。モノづくりの技術の継承は、教える側と教わる側の力が寄り添ってこなければ、うまくいかない」
  [テ] ダムインタビュー(16)石川順さんに聞く「ふと閃いたのがダムだったんです。」
  [テ] ダムインタビュー(17)杉野健一さんに聞く「経験を重ねるというのはダム技術者にとって大事な財産」
  [テ] ダムインタビュー(18)だいさんに聞く「ダムを見るいちばんのポイントは機能美だと思っています」
  [テ] ダムインタビュー(19)琉さんに聞く「時々 ""ダム王子"" とか呼ばれちゃってますけど」
  [テ] ダムインタビュー(20)西田博さんに聞く「一部分の経験しかない人が増えることで、ダム技術の継承が心配される」
  [テ] ダムインタビュー(21)緒方英樹さんに聞く「“土木リテラシー”の必要性を強く感じています」
  [テ] ダムインタビュー(22)吉越洋さんに聞く「電力のベストミックスといって、火力、水力、原子力などの最適な組み合わせを考えて、計画をたてています」
  [テ] ダムインタビュー(23)竹林征三さんに聞く「ダムによらない治水と言うが、堤防を強化して首都圏の大都市を守れるのか」
  [テ] ダムインタビュー(24)高橋裕先生に聞く「公共事業を軽んずる国の将来が危ない」
  [テ] ダムインタビュー(25)竹林征三さんに聞く(その2)「風土との調和・美の法則を追求して構築したのが『風土工学理論』です」
  [テ] ダムインタビュー(26)竹村公太郎さんに聞く「未来を見通したインフラ整備が大事で、ダムの役目はまだまだ大きいですよ」
  [テ] ダムインタビュー(27)虫明功臣先生に聞く「八ッ場ダムは利根川の治水・利水上必要不可欠」
  [テ] ダムインタビュー(28)水野光章さんに聞く「水と安全はタダといった安易な考えではいけないと、あらためてそう思います」
  [テ] ダムインタビュー(29)萃香さんに聞く「ダムの魅力を引き出せるような写真を撮って公開していきたい」
  [テ] ダムインタビュー(30)樋口明彦先生に聞く「ひっそりと自然の中に佇むようなダムが美しい、とスペインの名もないダムを見て気づいた」
  [テ] ダムインタビュー(31)宮村 忠先生に聞く「これからは‘線’ではなく‘点’で勝負すべきだ」
  [テ] ダムインタビュー(32)土屋信行さんに聞く「きちんとやるべきことと、そうでないことの本当の仕分けが今こそ必要ではないか」
  [テ] ダムインタビュー(33)沖大幹先生に聞く「ダムは造りすぎではなく最低限の備えが出来た段階だ」
  [テ] ダムインタビュー(34)阪田憲次先生に聞く「技術者には""想定外を想定する想像力""が求められている」
  [テ] ダムインタビュー(35)谷茂さんに聞く「これからは少しゆっくりと環境に負荷を与えないかたちでダムを造る方法もあるのではないか」
  [テ] ダムインタビュー(36)大藪勝美さんに聞く「インフラの重要性をもっと多くの人に知ってもらいたい」
  [テ] ダムインタビュー(37)武田元秀さんに聞く「四十年来の思いが叶い、『ダムと鉄道』にまつわる話を出版することができました」
  [テ] ダムインタビュー(39)角哲也先生に聞く「ダムのアセットマネジメントの話をするときに何か目標がいる、千年ではどうかと」
  [テ] ダムインタビュー(40)唐澤一寛さんに聞く「人にものを頼もうとする時は、こちらも誠意をもって付き合わなければいけない」
  [テ] ダムインタビュー(41)糸林芳彦さんに聞く「今は新規のダム計画がなくとも、ダム技術は常に磨いておくべき。いずれ時代の要請に応える日が来るから。」
  [テ] ダムインタビュー(42)今村瑞穂さんに聞く「ダム操作の定式化と現場適用性の向上は車の両輪」
  [テ] ダムインタビュー(43)本庄正史さんに聞く「ダムの海外展開は、現地社会に貢献するという、貢献がキーワードだと思います」
  [テ] ダムインタビュー(44)石田哲也先生に聞く「何か起きたときのリスクのあるシナリオをきちんと一般の人に伝えていかないと」
  [テ] ダムインタビュー(45)古川勝三さんに聞く「今こそ、公に尽くす人間が尊敬される国づくり=教育が求められている」
  [テ] ダムインタビュー(46)入江洋樹さんに聞く「水を大切にするという日本人の心の原点を守り、継承していけば1000年先もダムは残っていく」
  [テ] ダムインタビュー(47)島谷幸宏先生に聞く「設計をする時に環境設計と治水設計を一体的にすることが一番重要なのです」
  [テ] ダムインタビュー(48)吉津洋一さんに聞く「先人から受け継いだ素晴らしい‘くろよん’をしっかり守り、引き継いでいきたい」
  [テ] ダムインタビュー(49)足立紀尚先生に聞く「ダムの基礎の大規模岩盤試験を実施したのは黒部ダムが最初でした」
  [テ] ダムインタビュー(50)山口温朗さんに聞く「徳山ダムの仕事はまさに地図にも、私の記憶にも残る仕事となりました」
  [テ] ダムインタビュー(51)安部塁さんに聞く「新しい情報を得たらレポートにまとめてダム便覧に寄稿しています」
  [テ] ダムインタビュー(52)長瀧重義先生に聞く「土木技術は地球の医学、土木技術者は地球の医者である」
  [テ] ダムインタビュー(53)大田弘さんに聞く「くろよんは、誇りをもって心がひとつになって、試練を克服した」
  [テ] ダムインタビュー(54)大町達夫先生に聞く「ダム技術は、国土強靱化にも大きく寄与できると思います」
  [テ] ダムインタビュー(55)廣瀬利雄さんに聞く「なんとしても突破しようと強く想うことが出発点になる」
  [テ] ダムインタビュー(56)近藤徹さんに聞く「受け入れる人、反対する人、あらゆる人と話し合うことでダム建設は進められる」
  [テ] ダムインタビュー(57)小原好一さんに聞く「ダムから全てを学び、それを経営に活かす」
  [テ] ダムインタビュー(58)坂本忠彦さんに聞く「長いダム生活一番の思い出はプレキャスト型枠を提案して標準工法になったこと」
  [テ] ダムインタビュー(59)青山俊樹さんに聞く「相手を説得するのではなく、相手がどう考えているのかを聞くことに徹すれば、自然に道は開けてくる」
  [テ] ダムインタビュー(60)中川博次先生に聞く「世の中にどれだけ自分が貢献できるかという志が大事」
  [テ] ダムインタビュー(61)田代民治さんに聞く「考える要素がたくさんあるのがダム工事の魅力」
  [テ] ダムインタビュー(62)ダムマンガ作者・井上よしひささんに聞く「ダム巡りのストーリーを現実に即して描いていきたい」
  [テ] ダムインタビュー(63)太田秀樹先生に聞く「実際の現場の山や土がどう動いているのかが知りたい」
  [テ] ダムインタビュー(64)工藤睦信さんに聞く「ダム現場の経験は経営にも随分と役立ったと思います」
  [テ] ダムインタビュー(65)羽賀翔一さんに聞く「『ダムの日』を通じてダムに興味をもってくれる人が増えたら嬉しい」
  [テ] ダムインタビュー(67)長谷川高士先生に聞く『「保全工学」で、現在あるダム工学の体系をまとめ直したいと思っています』
  [テ] ダムインタビュー(66)神馬シンさんに聞く「Webサイト上ではいろんなダムを紹介する百科事典的な感じにしたい」
  [テ] ダムインタビュー(68)星野夕陽さんに聞く「正しい情報を流すと、反応してくれる人がいっぱいいる」
  [テ] ダムインタビュー(69)魚本健人さんに聞く「若い人に問題解決のチャンスを与えてあげることが大事」
  [テ] ダムインタビュー(70)陣内孝雄さんに聞く「ダムが出来たら首都圏の奥座敷として 訪れる温泉場に再びなって欲しい」
  [テ] ダムインタビュー(71)濱口達男さんに聞く「ダムにはまだ可能性があっていろんな利用ができる」
  [テ] ダムインタビュー(72)長門 明さんに聞く「ダム技術の伝承は計画的に行わないと、いざ必要となった時に困る」
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