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ダムインタビュー(89)
佐藤直良氏に聞く
「失敗も多かったけどそこから学んだことも多かった」
佐藤直良(さとう なおよし)さんは,昭和50年東京工業大学工学部土木工学科を卒業された後大学院へ進まれ,昭和52年東京工業大学大学院理工学研究科土木工学専攻修士課程を修了。建設省に入省されます。地方の現場事務所等を経て,昭和61年中部地方建設局河川計画課長に就任。平成2年には,関東地方建設局荒川上流工事事務所長に就かれ,後に佐賀県佐賀市助役に出向されますが,平成9年には,本省に戻り河川局河川計画課河川計画調整官,平成11年建設省四国地方建設局河川部長に就任。平成14年に水資源開発公団企画部長に出向された後,平成17年には,国土交通省に戻られ,大臣官房技術調査課長に就任。
翌平成18年に大臣官房技術審議官を経て,平成20年に国土交通省中部地方整備局長,平成21年には本省河川局長を歴任。平成23年に技監,平成24年には国土交通事務次官に就任されます。平成25年に退官後,国土交通省顧問に就かれます。その後,平成26年に一般財団法人日本建設情報総合センター顧問となられた後,平成29年からは,一般財団法人先端建設技術センター理事長を務めておられます。
佐藤さんには,今回,我が国の建設,土木の行政トップから見た国土保全への取組みについて,土木エンジニアが成すべきこと,これからの若手技術者に取り組んで貰いたいこと,世界との関わり,先端技術への挑戦等々,これからの土木の可能性についてご意見を伺って参ります。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:事務局)
土木の世界に入るきっかけ
中野:
土木の世界については子供の頃から興味をお持ちでしたか。
佐藤:
子供の頃はとくに興味はありませんでした。野球好きなだけでとりたてて特徴ある少年ではありませんでした。ただ足は速かったですね。当時は少年野球チームもないので,とりあえず中学へ行って野球をやりたいと思ってました。ただ公立中学だと坊主刈りが当たり前で,子供心に坊主頭を強制されるのが嫌で,中高一貫の私立に進んで野球部に入りました。生涯打率2割2分ぐらいかな。ずば抜けて上手いという訳じゃなくたいしたことありません。
中野:
東工大への進学はどのようにして決められたのですか?また,この時土木工学を選ばれたのはどういう理由でしょうか?
佐藤:
高校2年生までは経済をやろうと思っていたのですが,高3で理系,文系にコースが分かれ,友人がみんな理系だったので自分もつられて理系を選び,大学受験は全部建築を選びました。東工大にしたのには2つの理由があります。1つは,高校の担任の先生が,東大より東工大の方が良いと勧めてくれたこと。加えて当時の私の高校では,東大を受ける人より東工大を受ける人が多かったことです。東工大と早稲田に受かりましたが,唯一誇れるのは同級生の中で私一人だけ早稲田の建築に受かったことでした。どちらに行くか迷いましたが,家が横浜だったので通学に近い東工大にしました。大学を選ぶ時は流されやすい性格で練りに練ったという感じはなかったです。成り行き任せに近いですね。そして入学後一年生の時,図学の講義がついていけず,専門は建築でなく土木を選びました。
中野:
なるほど,先生から勧められたことに素直に応じたという感じですね。東工大に入ってみて,校風はどうでしたか。
佐藤:
私は土木の8期生ですが,東大を出て来た先生が多かったせいなのか,学科全体にどこか東大には負けるなといった風潮がありました。卒業して東工大で良かったのは,当時,東工大では実験にすごく力を入れていて,
コンクリート
や土や水の実験をイヤという程やりました。その時は,余り価値がわからなかったのですが,社会に出た時,それらの実験を経験したことがとても役に立ちました。頭でっかちにならず実践的だったということでしょうね。
中野:
東工大では土木の実験をする機会が多かったのですね。
佐藤:
後で思うと,理論的なことはよくわからないにしても,現象を見る力が大事だということを自然と学んだ気がします。
中野:
例えば,どういう実験ですか。
佐藤:
コンクリートの供試体の破壊実験などです。当時,何で造ったものを壊さなくてはならないのか,深く理解していなかったのですが,実際にやってみるとモノがどういう壊れ方をするのかとかがよく解ります。水の流れの実験も同じだと思います。数式だけ理解していても,そこは頭に入らないので実験してみてどうなるか見てみる,そういうことの積み重ねが大事です。
中野:
なるほど。大学院に行かれた理由をお聞かせ下さい。就職するかどうかを迷われたのですか?
佐藤:
大学は良い意味でも悪い意味でも狭い社会だと感じていたので,4年で卒論をやって卒業しようと思っていました。4年のときに恩師の先生から,4年生以上は全員公務員試験を受けなさいと言われました。これは人生の汚点ですが同期で1次試験で落ちたのは私だけでした。
中野:
早稲田に受かったのは一人だけで,公務員試験は落ちてしまったのですか?
佐藤:
そうですね。水工の研究室にいましたが本当はゼネコンに行きたくて先生に話したら,一言,「公務員試験を落ちるような人間は社会に出せない。大学院に行け」と。本当にそう言われました。
中野:
なるほど,実際に大学院に進まれてどうでしたか?
佐藤:
少しまじめに取り組んで運よく公務員試験に受かり建設省に入れました。当時,建設省は各大学から何人ぐらいというのが過去の採用数から類推できたようです。後で知ったのですが,私より成績がいい人が,面接で,転勤は嫌ですと言った為,私が繰り上がったということらしいです。
中野:
そういうこともあるのですね。建設省で転勤が嫌だといったらまず務まらないですね。
佐藤:
そう。私は逆に面接で,どこでも行きますと胸を張って答えた記憶があります。
建設省から三重県へ出向
中野:
それはわかりやすくていいですね。建設省に入られて最初に配属されたのはどこでしたか?
佐藤:
三重県の河川課でした。以前,甲村さんのお話にもありましたが,採用されて,その日に辞職願を書けと言われ,全く理解できませんでした。理由は「一身上の都合により」なのです。自分の都合ではなく役所の都合で行かされるのに。今では官の命によりという表現になっているのですが,物すごく理不尽な世界だとショックを受けた覚えがあります。
中野:
それはそうですね。甲村さんも同じようなことをいっておられましたね。新人時代に印象に残っていることをお聞かせください。
佐藤:
県庁の上司といきつけの焼き鳥屋でほぼ毎日お酒を飲んでいました。そこでいろんなことを教えて貰いました。日中は死に物狂いで実務をやりました。三重県へ行ってすぐの時,県庁の中で「49歳の女性がどうした…」と大声で話しているのが聞こえてきました。県庁の役人って不真面目だな,仕事中に女性の話をして,と思っていたら,「昭和49年発生の災害復旧助成事業」のことを「49災の助成」と言っていたのです。
中野:
ジョセイって,そっちの助成ですか。
佐藤:
そういうことからして言葉が理解できなかったし,技術的な専門用語や業界用語も全くわかりませんでした。
中野:
現実の仕事に触れていないからわからないですね。
計算だけでは通らなかった失敗
佐藤:
それと,今でも思い出すのが恥ずかしい件があります。本省治水課の認可を得る案件のなかに,あるポンプ場の整備計画がありました。中心の課題であるポンプの容量の決定の際,コンサルタントへの委託成果を基に,計算はもとより図面の作成を含めて書類を作り,上司と2人,金曜日の朝一番の列車に乗って東京へ行ったのです。そうしたら,本省の補佐か専門官だったか忘れましたが,ものの10分もしないうちに罵倒され,「ダメだ。帰れ」と言われました。というのも,費用便益分析,つまりB/Cが1を切っていたのです。1以上ないと投入した費用以上の効果が得られないという判断になるので,差し戻しとなりました。大きな失敗を取り戻そうと,翌日からの土日で,原点に戻り,図面拾い,計算を死にもの狂いで行ったことがあります。
中野:
失敗は失敗ですが,良い経験になったのですね。
佐藤:
当時は,予算が厳しいこともあり,極力自分たちの力でやろうという雰囲気でしたね。
中野:
県では,河川やダムに関わられたことはありますか?
佐藤:
県では河川の改修計画の立案もいろいろやりました。例えば,流出計算を自ら実施し,川をどれだけ広げ,どういう法線で水を流したらいいか,自在定規,雲形定規を使って書く,という実務をたくさんやらせてもらって経験を積むことができました。
いろいろ学んだ新人時代
中野:
三重県から次に行かれたところは。
佐藤:
三重県から関東の京浜工事事務所に行きました。そこではその後の人生に大きな影響を受けた,鶴見川の総合治水という政策が推進されていました。その一環で新横浜駅前の鶴見川多目的遊水地計画立案に従事しました。このプロジェクトは河川側の論理だけではうまくいかないので,区画整理法,
再開発
法といったものも勉強しました。治水はいろんな手段を通じて住んでいる人の安全を確保することが重要だと,実際に関わってみてすごく勉強になりました。
中野:
当時は河川の仕事をされていたのですね。
佐藤:
職名は調査課洪水予報係長でした。課の旅行会がある日に小さな台風が来たので職務上夜一人残っていたら,所長がやって来て私に怒ったのです。「台風が来ているのに旅行会とは何だ」と。一人頑張っている私が何で怒られなくてはいけないのか。それも理不尽だと思いました。それで家に帰ったら,官舎の屋根が台風で飛ばされてなくなっていました。
国会答弁も法律も同じ
中野:
新人時代,いろんなことがありましたね。それから本省都市局都市政策課に行かれるのですね。
佐藤:
この時,思い出になっているのは当時の法律を全部見たことです。全省庁の法律が載っている加除法令というのが50冊くらいあるのですが,これを全部見ました。国会待機中では何もやることがなくても待機していなくてはならないので法律でも見てみようかと思いました。恐らくこの時が人生で一番勉強したと思います。
中野:
今,三本木先生の対談シリーズで「川とダムにまつわる法令の回顧と展望」についてお話を伺っているのですが,法令は文章にするのがすごく難しい。言葉を大事に考えていかないと。
佐藤:
そうですね。都市局の係長の時,徹底的に鍛えられましたね。国会答弁を書く時も,普段の起案文書も真っ赤に修正されました。これが法律になったと思ってごらん,これで意味が通るかと。「,」と「・」の違いも含めて,徹底的にやらされました。
中野:
そういうことが後々文章を書く力になっていくのですね。
佐藤:
それは世の中に対する責任として,しっかり正しい文章を書くという事につながります。役所の仕事としてとても鍛えられました。失敗も多かったけどそこから学んだことも多かった。都市局は事務系の人が多く勉強になりました。
中野:
確かに,読む方もいろんな取り方がありますから誤解を招かないようにしないと。そういった積み重ねがあって役所のトップになっていかれるということがお話を伺っていてわかります。河川に関わられたのは河川局にいらっしゃったからですね。
佐藤:
そうですね。私は本省時代に4文字の名前の課にしか行っていません。河川計画課,都市河川課とか。昔からあった開発課とか治水課には行ったことがないのです。当時頑迷固陋の2文字課と新進気鋭の4文字課,という言い方もされていたと記憶しています。
中野:
確かにダムに関するのは2文字ですね。
佐藤:
物を造ってしっかりそれを管理していく。そういう部署はすごく大変です。私がいたのはそういうこととは無縁の課が多かったので,そういう仕事の大変さは年をとってから実感しました。
現場で働くということ
中野:
本省以外で地方整備局でも仕事をされておられますが。いかがでしたか。
佐藤:
地方で,一番中核の仕事をするのは工事事務所です。ここの仕事が直接地域と関わっているので,地元のニーズを理解し形にしていく。そこで河川部長も所長もやりました。今でいう整備局は,事務所をどれだけサポート出来るかが大事で,本省は地方にある様々な課題をどうやって整理できるかという視点が大事で,現場の事務所が生き生き仕事が出来るということが重要なのです。私が荒川上流の所長だった時,記憶に残るトピックが2つありました。1つは,荒川での船の航行ルール等を決めたことです。荒川上流管内の最下流辺りに,不法に船着き場が作られていました。これがある時,洪水で流され荒川下流の管内の橋に残骸が絡んでしまいました。船着き場があったのは荒川上流管内だったので,事務所の職員が船着き場を不法に作って利用していた人の家に行って,残骸を取り除く費用を請求したり,様々な調整をしました。本省から何も言ってこないので船着き場の設置要件も含めた川の中での船の運航ルールを1年先輩の荒川下流事務所長の甲村さんと2人で,学識経験者や県の担当者も入れて話し合って全国で初めて河川舟運の運航ルールを決めたのです。それ以降,事務所主体でそういうことをやったというのは余り聞かないです。
荒川第一調節池(撮影:吉井 久美子)
中野:
そういうご関係だったのですね。もう1つのトピックを教えてください。
佐藤:
もう1つは,台風対応です。季節外れの11月30日に台風が来たことがあるのですが,その時,荒川の河川敷で問題が起きたのです。台風の直前まで荒川は
渇水
状態でした。事務所は渇水対策本部になっていましたが11月30日に洪水対策本部に変わりました。当時の開発課の仕事で,荒川の高水敷に第一調節池というのがあるのですが,非出水期だから高水敷のところに池を掘っていたのです。夜中に現場から大変なことが起こっていると連絡が来ました。朝,すぐに私も現場へ飛んでいったら,水位が上がり工事をしている池の方に水が流れ込み,どんどん池の縁が削り取られていたのです。すぐ上流には東電の鉄塔があって,さらに上流側には武蔵野線が走っている。このままだと東電の鉄塔のところまで削られていくように思えました。すぐ事務所に連絡して,東電の鉄塔と武蔵野線の橋脚の根入れはどうなっているかと問い合わせましたが,すぐには図面が出てこなくて,どうも浅いらしいと誰かが言ってるとしか伝わってこない。
中野:
それは怖いですね。
佐藤:
もしも東電の鉄塔を倒したら大変なことになるし,武蔵野線はもう電車が走っている時間帯です。これは恐ろしい。局の工事課長から,河川部長の指示で既設の周囲堤を切って,早く池の水位を上げれば削れていかないという指示が来ました。この方法では池の水位上昇には相当の時間を要すると考えました。そこで現場の施工業者さんに覆工板を敷いてブルで土を巻き出しして小堤を築いてくれと依頼しました。契約上は,現場の保全は施工業者の責任なので役所が指示してはいけないはずなのですが,そんなことは言ってられない状況でした。業者さんに事故とか何かあったら辞表を出す覚悟でした。
中野:
ギリギリのところまでいったのですね。
佐藤:
そう。土木の現場で働く人は,所長だけじゃなく,事務所職員,施工業者の方々誰もがそれぐらいの気概を持っていた。それが私にとっては一番勉強になりました。
ダムに関わる仕事で思うこと
中野:
現場を知るということはそういうことなのですね。ダムに関われた現場はどのようなものがありますか。
佐藤:
一番苦労したのは四国地方建設局の河川部長の時です。ここでは徳島県の那賀川の細川内ダム,吉野川第十堰,香川県の土器川の前の川ダムの計画がありましたが,この3つは着任早々から苦労しました。水資源開発公団の富郷ダムも最後に揉めました。それから,肱川の山鳥坂ダム。ダムに絡んで四万十川の発電
水利権
の更新問題もあり,河川部長でしたが,ほとんどがダム絡みの話で四国管内を飛び回っていました。
中野:
四国は本当に大変ですね。
富郷ダム(撮影:安河内 孝)
長安口ダム(撮影:安部 塁)
佐藤:
細川内ダムは,中止までの道のりが大変でした。それから土器川の前の川ダムも平成10年に中止になりました。代案について整理しましたが,その後にうまく伝わっていなかったようです。また第十堰では住民投票になりました。その時,甲村さんが徳島県の土木部長でした。余り話すと差し障りがあるかも知れませんが,今,施工している那賀川の長安口ダムは,私の構想だった早明浦ダムの
再開発
と抱き合わせでやろうと思っていました。当時,そういう話を含め甲村さんに御指導を頂いた覚えがあります。私が思うにダム自体は悪いものではないのですが,人間関係のしがらみ,もつれみたいなものが底辺にあると,ダムだろうが,どんな政策でもなかなか解きほぐせないものです。
中野:
一度こじれてしまうと前に進んでいかないことが多々ありますね。
佐藤:
かといって,きれいごとで合意を整えればいいというものでもなくて,大事なのは,発案者の役所側が,ダムを造りたいために仕事をしているのではなく,地域の安全を守る,地域の発展を支える為に,手段として一番有効な施設を計画するのだ,という当たり前のことです。何のためにこの仕事をしているのかというのをきちんと説明することです。そういう目的をしっかり自分の中に刻んでおかないといけません。
中野:
そうですね。話す時にも論点がずれてしまうので,しっかりしたものをもってないと。
佐藤:
そういう意味では地域の工事事務所は,国交省の出先機関だけど,現場は,地域のためにある組織だから,中央を向いて仕事をするのではなく,地元のために仕事をするという意識を持っていないと。
東日本大震災が起きた時のリスク管理
中野:
技監から事務次官になられた時に東日本大震災が起きましたが,阪田先生が土木学会会長の時,佐藤技監の東日本大震災の時の現場対応がすごかったと言っておられました。その辺のお話を伺ってもよろしいでしょうか。
佐藤:
あの時は民主党政権でしたが,阪神淡路の震災の経験も風化していませんでした。ただ住民合意が大事だという時代背景もあり,特に復興に当たっては,そこに住む人たちの意見を踏まえることが重要だといわれていました。国交省は被災者支援と行方不明者の方の捜索支援のため,道路啓開を中心とした早期の復旧を一義として,出先機関を核に全力で対応しました。現場は被災された方々に寄り添いながら昼夜を問わずがんばりました。一方被災者に寄り添い,その気持ちを先取りしながら被災地域の合意形成を踏まえつつ復興のビジョンを示すことも喫緊の課題だと認識していました。学識者の方々,とりわけ,土木学会が,阪田会長を先頭に調査団を組んですぐに動いて頂けるということが大変有難かったのです。市町村から国の職員まで,被災者支援,復旧等当面の対応に一生懸命で,阪田先生を始めとする学識者の方々が現地の状況を踏まえた先の話を担って頂ければ,復旧から復興が速やかに展開されると思いました。その後土木学会を含めて様々な学会等から貴重な提言を頂き,大変助けられました。
中野:
被害に遭われた方々に寄り添うことが大切ですね。
佐藤:
将来の町づくりについては,学識者の方々に地元に張りついてもらおうという話まで出ました。そのフォローの為にも都市局が中心になって各局と調整を取る連絡会をつくりました。偉い人ばっかり集まっても具体の実務の調整にならないから,実務の責任者の課長クラスでという指示だけは出しました。私自身はどちらかというと原発問題対応を中心にやっていた覚えがあります。
中野:
そうでしたか。大変な時に判断し行動するのが早かったのですね。
佐藤:
現場の為に皆が全力を尽くそう,という大臣のお考えが全体に浸透していました。その為土木学会の方々の熱い使命感に触れ,国交省も協力しますとお約束しました。
どう対応していくかを考える
中野:
あの震災以降,考え方が変わったということはありますか。
佐藤:
ありますね。阪田先生とも意見が一致したのは,こういう大災害に際して,技術屋が想定外だったとか,ある事象が起こったら想定外だと言うのは単なる言い訳じゃないかということ。だから「想定外はナシ」というのが1つ。2つ目には,三陸沿岸は明治以降に3回にわたって大津波に襲われています。それで今回は4回目。当時,私が言ったのは,災害対策を一線防御から多重防御の考え方に変えるということ。あるラインを突破されたら,もう終わりみたいな話はおかしいということです。次の守りのラインがなければだめだということです。
中野:
複数の防御が必要だということですか。
佐藤:
この多重防御の考え方というのは,どんなインフラでも,例えば公園だろうが,極論すると村の公民館だろうが,市役所の建物だろうが,防災機能としていろんな災害に対する機能をもってないといけません。そういう新しい防災・減災マネジメントシステムがこれから必要だろうと思ったのです。3つ目は,東日本大震災を超える災害がいつどこに起きるかも知れない。それに対して,長期的視野に立った津波危険区域から高台への住まい方の転換と不幸にも災害に見舞われた際,速やかな復興のための事前の準備,例えば,復興の街づくりの場所を予め用意しておくなどの必要があります。今,紀伊半島の高速道路整備に合わせて役場などの中枢機能を道路周辺の高台に持っていく構想も進んでいると聞いています。
中野:
拠点を上に持っていけば,当然そこに地域の人が集まってきますね。
佐藤:
今までよりも少し長いスパンで町づくりを考える。社会資本整備もそろそろそういう風に考えていかなくてはいけないのではないかと。この3つのポイントが今でも教訓として残ってます。
今後のインフラについて
中野:
大津波で,鉄道も道路も家も一斉に壊されていくというのは衝撃的でした。震災後の復興にもつながるのですが,日本のインフラは高度成長期にかけて一斉に造られたので,全部が一度に耐久年数を超えて来ます。そういった問題はどういうふうにお考えでしょうか。
佐藤:
ある意味,政策の岐路だと思っています。例えば,住宅は骨組み,骨格だけは200年持つようにしようと。橋梁も100年橋梁と,こういう方向に考える時代になってきました。サスティナブルな社会に向けて,物を造る段階から長寿命化を考えて計画するべきです。それには少し初期コストがかかってもいい。そういう機運がやっと生まれてきたのではないかと思います。
中野:
そうですね。良い物を造って,長く持たせるという考え方にシフトしていっているのですね。
佐藤:
安普請ではいけない。言い方は良くないでしょうが,何でも安く,経済的に造ろうというより,もう少し評価するスパンを長くして考えることが大切です。ただ例えばいずれ財産の減価償却みたいな話をどう連動させるかとか,いろいろ難しい問題がでてきますが,技術的な課題としてより長期間持つ物を造っていくということです。
国土の保全を考えると
中野:
国交省を退官されてから,JACIC,ACTECに行かれますが,事業として取り組んでおられるのはどういうものがありますか。
佐藤:
ACTECではロボット,AI等の研究開発も大きな柱として実施していますが,大事なのは,技術はどんどん開発されて進歩しますが,その技術が独り歩きしたらいけないとは思います。人間がどう技術を使いこなせるのか。これが,東日本大震災の原発事故が我々に問いかけた1つの課題です。また,余り技術が細分化され専門化し過ぎているのは良いことではないと思います。
中野:
技術者がそれぞれ得意分野だけに特化しないで,使いこなしてやっていかないといけないですね。
佐藤:
工学分野の細分化は土木学会初代会長・古市公威氏が一番懸念していたことです。さらに技術がより高度化すると,中身がだんだんブラックボックス化してしまう。すると,いざという時に,何かうまくいかない事が起きた時に,人間がどうやって回復していけばいいかわからなくなる。知恵も出てこなくなる可能性がある。技術の進展とともに,プリミティブな技術あるいは知恵みたいなものも同時に育てておかないといけないと思います。
中野:
そうですね。ダムも今は現場が少なくなってきているし,そういった技術の継承も難しいので,そういうのを残して行くのも大事ですね。
佐藤:
ダムで一番懸念されるのは,今おっしゃった,ダムの新設現場がだんだん少なくなっている。そうすると,技術の伝承とともに,いろんな意味で技術をより高めていく機会がなくなっていくことが問題。現場で様々な知恵だとか,工夫が生まれてくる事が多いはずなのに,それが少なくなってくると技術が陳腐化する。それはもうこの国の宿命みたいなもので,本四架橋,明石大橋だという位の長大橋の場合では,現在日本では施工現場はありません。
中野:
そうですね。長大橋の現場もないですね。
佐藤:
今,韓国,中国では一生懸命長大橋を造っています。すると日本は,これまでその分野では一番進んでいたはずだったけど,現場が少なくなってくると日本の技術がいずれ時代遅れになることもあります。
中野:
逆転していってしまうということですね。
佐藤:
トンネルを掘るシールドマシンも,中国は今ものすごい勢いで生産しています。年間幾つでしょうか,相当数のシールドマシンを造っています。
中野:
日本が海外に出ていく時期を逃したのではないでしょうか。中国がどんどん海外市場で商談を進めています。
佐藤:
現場が少なくなったら,今までと同じ枠組みで技術を守ったり,高めたりすることが出来るのか。我が国の国力維持という意味も含めそろそろ考えないといけない時期に来ていると思います。
中野:
土木技術もちゃんと伝承されないと
再開発
も難しいことになりますし。本当に日本が危ないという感じがします。
佐藤:
さらに大事なのは,人の志というものを重視しないといけません。長年,技術を培ってきた技術者なり,いろんな人たちが汗水垂らして現在の日本を形づくってきた背景には土木の志といったものがあったはずです。その志を絶やしてはいけないと思う訳です。今後現場が少なくなると,その志がどうも少し萎えてくるのではないか,ものすごく心配なんです。
現場取材を通して伝えていきたいこと
中野:
建設通信等のメディアに現在連載されているのは,そういうことが心配という思いで書かれているのですか。
佐藤:
建設通信への投稿は,やはり現場が一番大事なんだよという思いですね。まだまだ日本の建設現場は創意工夫も志も萎えてないと言いたいですね。
中野:
現場で感じたことをお聞かせください。
佐藤:
取り上げた話題の中で,私が感銘を受けた一つに,橋梁の現場で機械を担当する若い職員が,毎日,朝早く来て,朝と昼と夜も労働安全衛生法を勉強している。法律だけじゃなく規則もたくさんある。それは本来自分の仕事でなく,安全管理をやっている人の仕事ですが,その若者が昔いた現場で,下請の方が死亡事故に遭われ,奥さんやお子さんが,「お父さんを返してくれ」と言って泣かれたそうです。それ以降自分の仕事じゃないけど,自分がいる現場で二度と死亡事故を起こしたくない,との強い思いから,一生懸命勉強しているとの事でした。これは本当に現場の痛みがわかる人,まさに志ある人だなと思いました。
中野:
人の上に立つ人は,現場でも下の人のことを考えられる人ですね。
佐藤:
年齢に関係なく,思い入れをもって勉強しようという志が大事です。
若い人へのメッセージ
中野:
これからの土木,ダムの将来など若い人に望みたいことも含めてご意見を伺えますか。
佐藤:
1つは,職場で若い人が自ら手を動かして,いろんな体験ができる機会を作ってあげられるように,我々が心掛けないといけないということです。そのためにも,失敗を許容してあげられる組織でないといけない。本田宗一郎氏は,失敗のない人間なんてつまらないと言っています。チャレンジしなければ失敗はない。失敗があってこそ,その失敗を二度と繰り返さないようになれる。また私の好きな畑村洋太郎さんの『失敗学のすすめ』にも学ぶところは沢山あります。今は,失敗そのものを許容しない社会になってきているのが心配です。
中野:
先程,言われた志について,先人から学ぶことがあると。
佐藤:
日本の土木工学の礎を築いた一人と言われる,琵琶湖疎水に従事した田辺朔郎は大学出てすぐの若さで,現場を全部取り仕切っていました。その彼も,多くの失敗を教訓にして皆の力を借り事業を完遂させました。私が思うに,繰り返しになりますが,若い人を育てるには,いくつかのポイントがあると考えます。例えば,若くして志を持っていても,許容できる範囲の失敗を経験し,そこで考えないとモノにならないので人に迷惑をかけない常識的な範囲内でどんどんトライさせる。これが1点。失敗を恐れないこと。
2つ目は,技術の進歩ばかりを追いかけない。先ばっかり見ていて後ろを振り返らないというのはいけない。後ろを振り返ることによって様々な知恵が出てくるから。これは技術の話だけじゃなくて,昔はどうやってダムを造ってきたということに思いをはせることが大切です。当時の社会にはどういう制約があってそれをクリアしてきたか。もしかすると,その中に今に生かせる知恵があるかもしれません。何でも先端の技術ばかりに頼るというのではなく,どう考えたかを突き詰めること。それが,いざというときのために役立つはずです。
3つ目は,若い人たちこそ,自分の生き様の根っこになる部分を持たないといけない。私自身の生き様としての根っこは,土と水と空気と太陽。これを大事にしていること。
中野:
みんな必要なものばかりですね。
佐藤:
30代ぐらいの頃に,哲学書を読んでそう思ったのですが,ギリシャの哲学者のタレスは万物の根源は水と言った。ピタゴラスは数だと…。エンペドクレスは土と水と空気と火だと。それで,私は火ではなく太陽だと思いました。この4つがそろえば生物は生きられる。つまり万物の根源は4つあると思いました。
中野:
それぞれ大事なものですね。
佐藤:
解説書を読むと,この4つを調和させるのは人間の愛だというのです。そして,これらをバラバラにするのは憎しみの感情だと。万物の根源があったとしても,最後は人間がそれをどう取り扱うかに掛かってくる。人間同士が憎しみ合っているような社会だったら,こういうものも生かされない。私はこうした思いを得て仕事に生かそうと思ったのです。
中野:
それが土木への志という訳ですね。ぜひこれから土木の世界を目指そうと思う若い人にも,大事にするものを持って頂ければと思います。
本日は,大変貴重なお話を有難うございました。
佐藤 直良氏 プロフィール
昭和27年9月15日生(神奈川県出身)
昭和52年4月
建設省採用
61年4月
建設省 中部地方建設局 河川計画課長
平成2年6月
建設省 関東地方建設局 荒川上流工事事務所長
4年4月
佐賀市助役
9年4月
建設省 河川局 河川計画課 河川計画調整官
11年4月
建設省 四国地方建設局 河川部長
14年7月
水資源開発公団 企画部長
17年10月
国土交通省 大臣官房 技術調査課長
18年7月
国土交通省 大臣官房 技術審議官
20年7月
国土交通省 中部地方整備局長
21年7月
国土交通省 河川局長
23年1月
国土交通省 技監
24年9月
国土交通省 国土交通事務次官
25年8月
国土交通省 顧問
26年3月
一般財団法人 日本建設情報総合センター顧問
29年6月
一般財団法人 先端建設技術センター理事長
公益社団法人 雨水貯留浸透技術協会 会長
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(2023年5月作成)
ご意見、ご感想、情報提供などがございましたら、 までお願いします。
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ダムインタビュー(13)江守敦史さんに聞く「ダムについて何時間も語れる萩原さん。彼と本質を突き詰めたからこそ、面白い本になりました」
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ダムインタビュー(14)藤野浩一さんに聞く「欧米では水力を含む再生可能エネルギーの開発に重点を置いています」
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ダムインタビュー(15)安河内孝さんに聞く「”碎啄同時(そったくどうじ)”という言葉があります。モノづくりの技術の継承は、教える側と教わる側の力が寄り添ってこなければ、うまくいかない」
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ダムインタビュー(16)石川順さんに聞く「ふと閃いたのがダムだったんです。」
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ダムインタビュー(17)杉野健一さんに聞く「経験を重ねるというのはダム技術者にとって大事な財産」
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ダムインタビュー(3)灰エースさんに聞く「ダムだから悪いという書き方はおかしい」
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ダムインタビュー(18)だいさんに聞く「ダムを見るいちばんのポイントは機能美だと思っています」
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ダムインタビュー(19)琉さんに聞く「時々 ""ダム王子"" とか呼ばれちゃってますけど」
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ダムインタビュー(20)西田博さんに聞く「一部分の経験しかない人が増えることで、ダム技術の継承が心配される」
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ダムインタビュー(21)緒方英樹さんに聞く「“土木リテラシー”の必要性を強く感じています」
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ダムインタビュー(22)吉越洋さんに聞く「電力のベストミックスといって、火力、水力、原子力などの最適な組み合わせを考えて、計画をたてています」
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ダムインタビュー(23)竹林征三さんに聞く「ダムによらない治水と言うが、堤防を強化して首都圏の大都市を守れるのか」
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ダムインタビュー(24)高橋裕先生に聞く「公共事業を軽んずる国の将来が危ない」
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ダムインタビュー(25)竹林征三さんに聞く(その2)「風土との調和・美の法則を追求して構築したのが『風土工学理論』です」
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ダムインタビュー(26)竹村公太郎さんに聞く「未来を見通したインフラ整備が大事で、ダムの役目はまだまだ大きいですよ」
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ダムインタビュー(27)虫明功臣先生に聞く「八ッ場ダムは利根川の治水・利水上必要不可欠」
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ダムインタビュー(28)水野光章さんに聞く「水と安全はタダといった安易な考えではいけないと、あらためてそう思います」
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ダムインタビュー(29)萃香さんに聞く「ダムの魅力を引き出せるような写真を撮って公開していきたい」
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ダムインタビュー(9)Dam masterさんに聞く「機能と造形と自然の組み合わせが面白い」
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ダムインタビュー(30)樋口明彦先生に聞く「ひっそりと自然の中に佇むようなダムが美しい、とスペインの名もないダムを見て気づいた」
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ダムインタビュー(31)宮村 忠先生に聞く「これからは‘線’ではなく‘点’で勝負すべきだ」
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ダムインタビュー(32)土屋信行さんに聞く「きちんとやるべきことと、そうでないことの本当の仕分けが今こそ必要ではないか」
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ダムインタビュー(33)沖大幹先生に聞く「ダムは造りすぎではなく最低限の備えが出来た段階だ」
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ダムインタビュー(34)阪田憲次先生に聞く「技術者には""想定外を想定する想像力""が求められている」
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ダムインタビュー(35)谷 茂さんに聞く「これからは少しゆっくりと環境に負荷を与えないかたちでダムを造る方法もあるのではないか」
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ダムインタビュー(36)大藪勝美さんに聞く「インフラの重要性をもっと多くの人に知ってもらいたい」
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ダムインタビュー(37)武田元秀さんに聞く「四十年来の思いが叶い、『ダムと鉄道』にまつわる話を出版することができました」
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ダムインタビュー(38)山内 彪さんに聞く「若い人は、ダムを糧として立派な総合技術者として育っていって欲しい」
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ダムインタビュー(39)角哲也先生に聞く「ダムのアセットマネジメントの話をするときに何か目標がいる、千年ではどうかと」
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ダムインタビュー(40)唐澤一寛さんに聞く「人にものを頼もうとする時は、こちらも誠意をもって付き合わなければいけない」
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ダムインタビュー(41)糸林芳彦さんに聞く「今は新規のダム計画がなくとも、ダム技術は常に磨いておくべき。いずれ時代の要請に応える日が来るから。」
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ダムインタビュー(42)今村瑞穂さんに聞く「ダム操作の定式化と現場適用性の向上は車の両輪」
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ダムインタビュー(43)本庄正史さんに聞く「ダムの海外展開は、現地社会に貢献するという、貢献がキーワードだと思います」
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ダムインタビュー(44)石田哲也先生に聞く「何か起きたときのリスクのあるシナリオをきちんと一般の人に伝えていかないと」
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ダムインタビュー(45)古川勝三さんに聞く「今こそ、公に尽くす人間が尊敬される国づくり=教育が求められている」
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ダムインタビュー(46)入江洋樹さんに聞く「水を大切にするという日本人の心の原点を守り、継承していけば1000年先もダムは残っていく」
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ダムインタビュー(47)島谷幸宏先生に聞く「設計をする時に環境設計と治水設計を一体的にすることが一番重要なのです」
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ダムインタビュー(48)吉津洋一さんに聞く「先人から受け継いだ素晴らしい‘くろよん’をしっかり守り、引き継いでいきたい」
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ダムインタビュー(49)足立紀尚先生に聞く「ダムの基礎の大規模岩盤試験を実施したのは黒部ダムが最初でした」
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ダムインタビュー(50)山口温朗さんに聞く「徳山ダムの仕事はまさに地図にも、私の記憶にも残る仕事となりました」
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ダムインタビュー(51)安部塁さんに聞く「新しい情報を得たらレポートにまとめてダム便覧に寄稿しています」
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ダムインタビュー(52)長瀧重義先生に聞く「土木技術は地球の医学、土木技術者は地球の医者である」
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ダムインタビュー(53)大田弘さんに聞く「くろよんは、誇りをもって心がひとつになって、試練を克服した」
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ダムインタビュー(54)大町達夫先生に聞く「ダム技術は、国土強靱化にも大きく寄与できると思います」
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ダムインタビュー(55)廣瀬利雄さんに聞く「なんとしても突破しようと強く想うことが出発点になる」
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ダムインタビュー(56)近藤徹さんに聞く「受け入れる人、反対する人、あらゆる人と話し合うことでダム建設は進められる」
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ダムインタビュー(57)小原好一さんに聞く「ダムから全てを学び、それを経営に活かす」
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ダムインタビュー(58)坂本忠彦さんに聞く「長いダム生活一番の思い出はプレキャスト型枠を提案して標準工法になったこと」
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ダムインタビュー(59)青山俊樹さんに聞く「相手を説得するのではなく、相手がどう考えているのかを聞くことに徹すれば、自然に道は開けてくる」
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ダムインタビュー(60)中川博次先生に聞く「世の中にどれだけ自分が貢献できるかという志が大事」
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ダムインタビュー(61)田代民治さんに聞く「考える要素がたくさんあるのがダム工事の魅力」
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ダムインタビュー(62)ダムマンガ作者・井上よしひささんに聞く「ダム巡りのストーリーを現実に即して描いていきたい」
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ダムインタビュー(63)太田秀樹先生に聞く「実際の現場の山や土がどう動いているのかが知りたい」
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ダムインタビュー(64)工藤睦信さんに聞く「ダム現場の経験は経営にも随分と役立ったと思います」
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ダムインタビュー(65)羽賀翔一さんに聞く「『ダムの日』を通じてダムに興味をもってくれる人が増えたら嬉しい」
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ダムインタビュー(67)長谷川高士先生に聞く『「保全工学」で、現在あるダム工学の体系をまとめ直したいと思っています』
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ダムインタビュー(66)神馬シンさんに聞く「Webサイト上ではいろんなダムを紹介する百科事典的な感じにしたい」
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ダムインタビュー(68)星野夕陽さんに聞く「正しい情報を流すと、反応してくれる人がいっぱいいる」
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ダムインタビュー(69)魚本健人さんに聞く「若い人に問題解決のチャンスを与えてあげることが大事」
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ダムインタビュー(70)陣内孝雄さんに聞く「ダムが出来たら首都圏の奥座敷として 訪れる温泉場に再びなって欲しい」
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ダムインタビュー(71)濱口達男さんに聞く「ダムにはまだ可能性があっていろんな利用ができる」
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ダムインタビュー(72)長門 明さんに聞く「ダム技術の伝承は計画的に行わないと、いざ必要となった時に困る」
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ダムインタビュー(73)横塚尚志さんに聞く「治水の中でダムがどんな役割を果たしているか きちんと踏まえないと議論ができない」
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ダムインタビュー(74)岡本政明さんに聞く「ダムの効用を一般の人々に理解頂けるようにしたい」
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ダムインタビュー(75)柴田 功さんに聞く「技術者の理想像は“Cool Head Warm Heart”であれ」
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ダムインタビュー(76)山岸俊之さんに聞く「構造令は,ダム技術と法律の関係を理解するのに大いに役に立ちました」
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ダムインタビュー(77)毛涯卓郎さんに聞く「ダムを造る人達はその地域を最も愛する人達」
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ダムインタビュー(78)橋本コ昭氏に聞く「水は土地への従属性が非常に強い,それを利用させていただくという立場にいないと成り立たない」
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ダムインタビュー(79)藤野陽三先生に聞く「無駄と余裕は紙一重,必要な無駄を持つことで,社会として余裕が生まれると思います」
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ダムインタビュー(80)三本木健治さんに聞く「国土が法令を作り,法令が国土を作る −法律職としてのダムとの関わり−」
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ダムインタビュー(81)堀 和夫さんに聞く「問題があれば一人でしまいこまずに,記録を共有してお互いに相談し合う社会になってほしい」
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ダムインタビュー(82)佐藤信秋さんに聞く「国土を守っていくために, 良い資産,景観をしっかり残していくことが大事」
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ダムインタビュー(83)岡村 甫先生に聞く「教育は,人を育てるのではなく,人が育つことを助けることである」
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ダムインタビュー(84)原田讓二さんに聞く「体験して失敗を克復し, 自分の言葉で語れる技術を身につけてほしい」
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ダムインタビュー(85)甲村謙友さんに聞く「技術者も法律をしっかり知らないといけない,専門分野に閉じこもってはいけない」
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ダムインタビュー(86)前田又兵衞さんに聞く「M-Yミキサ開発と社会実装 〜多くの方々に支えられ発想を実現〜」
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ダムインタビュー(87)足立敏之氏に聞く「土木の人間は全体のコーディネーターを目指すべき」
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ダムインタビュー(88)門松 武氏に聞く「組織力を育てられる能力は個人の資質にあるから, そこを鍛えないといけない」
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ダムインタビュー(90)小池俊雄氏に聞く「夢のようなダム操作をずっと研究してきました」
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ダムインタビュー(91)米谷 敏氏に聞く「土木の仕事の基本は 人との関係性を大事にすること」
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ダムインタビュー(92)渡辺和足氏に聞く「気象の凶暴化に対応して,既設ダムの有効活用, 再開発と合わせて新規ダムの議論も恐れずに」
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