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ダムインタビュー(64)
工藤睦信さんに聞く
「ダム現場の経験は経営にも随分と役立ったと思います」

 工藤睦信(くどうむつのぶ)さんは、昭和44年、熊本大学工学部土木工学科卒業後、日本国土開発株式会社に入社。その後、椎田ダム、並石ダム、寺内ダム、小川ダム、御調ダム、東金ダムなど、数々のダム現場でエンジニアとして活躍されました。その後、平成4年に同社土木本部施工指導部長、平成10年には東関東支店長、平成11年経営企画室長、平成16年専務取締役営業管理本部長、そして平成19年からは代表取締役社長として会社を引っ張って来られました。
 その他、社外においても土木エンジニアとして多彩に活動して来られ、ダム技術の第一線で数多くのエンジニアを育成するとともに最新技術の普及に尽くして来られました。
 今回は、工藤さんのダム工事にまつわる様々なご経験を伺いながら技術者として会社運営に携わった秘訣、さらにこれからのダムや土木技術のあり方、将来像について、また若手技術者への期待などについてお伺いしました。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)


伝統の土木工学科へ

中野: 土木の道に進もうと思われたのはいつ頃ですか?それと熊本大学に行かれたのは何か理由があるのですか。

工藤: 特に理由がある訳ではありません。ただ土木という事ではなく工学部へ進む事は早くから自分の中で決めていました。土木を選んだ一番の理由は、自然の中で働ける、外の仕事であるということが一番の決定打でありました。

中野: 熊本大学は前身が旧制五高ですね。

工藤: そうです。土木工学科は明治30(1897)年に開設され、東大、京大に続いて3番目に古い伝統ある学科で、平成9(1997)年には土木工学科設立100周年を迎えていますが、その間の卒業生は4700名を越えました。
 その伝統ある土木工学科の名称も残念ながら平成8(1996)年には環境システム工学科となり土木という文字がなくなってしまいました。

バンカラな校風で人間力を磨けた

中野: 大学の雰囲気はどのような感じでしたか。

工藤: まさにバンカラという学校でした。お酒もそこで覚えました。入学した当初は五高時代の木造の校舎が一部残っていましたが、その剛毅木訥(ごうきぼくとつ)の校風も色濃く残っていて、特に土木工学科などは粗野と思える程奔放でした。

中野: その土木工学科で、工藤さんはどういう学生でしたか?勉学に励むタイプ?

工藤: 残念ながら勉学にはあまり熱が入らず酒を飲んでは議論ばかりしておりました。後になって何を議論していたのか覚えていないけれど、そうした学生生活の中で周辺に対する物事の見方が変化したというか、少なからず視野が広がったように思います。
 ただ今でも反省していますが、やはりもう少し勉強すればよかったと卒業してから切に思ったものです。

中野: 土木を目指すところは似ているので話も盛り上がったのでしょうね。工藤さんの卒論テーマは何ですか?

工藤: 卒論は橋梁でしたが希望はゼネコンの現場志向でしたので、卒論は可も否もなく乗り切るのみという感じでしたが、先生から凡学生に「他の事は忘れてもこれだけは覚えておけ」と言われた応力計算の基本式がありました。
  σ=M/I・y (M:曲げモーメント、I:断面二次モーメント、Y:中立軸からの距離)
 フックの法則σ=E・εから導かれる式ですが、この式が仮設の橋梁や型枠の設計、その他現場で遭遇する構造的な問題解決に対する物事の考え方として随分役に立ちました。これだけは先生の言うことを聞いておいて良かったと思います。

大学の実習現場は日出生ダムで

中野: ダムをやりたいと思ったきっかけというのは、どういうところでしょうか。

工藤: 初めて身近でダムに接したのは、大学3年の夏休みの会社研修で行ったダム現場でした。現場研修は40日間程で、大分県の玖珠町(くすちょう)に農林省が発注して鹿島建設さんが施工していた日出生(ひじゅう)ダムの建設現場です。 日出生ダムはロックフィルダムで、堤高48m、堤体積55万m3、貯水量800万トンの灌漑用ダムで、現場は盛立の真最中でした。

中野: 初めてのダムの現場で山奥の40日間は苦にならなかったですか。


日出生ダム(撮影:泉造)
工藤: 山間部にある豊後森という小さな町から砂利舗装のガタガタ道で1時間ぐらい山奥へ入ったところに建設現場がありましたが、むしろ山奥の方が楽しいような感覚でしたので最初からダム現場とは相性が良かったのかも知れません。

中野: その現場へはお一人で行かれたのでしょうか。

工藤: 熊大からは私一人でしたが、もう一人他大学から来ていた実習生がいましたので、何かとお互いの話相手になってストレス解消をしていたように思います。

ダム現場での実習とは

中野: 現場ではどういうことをされていたのですか。

工藤: ダムは小さい頃から見ていたコンクリートのダムがイメージとしてありましたので、堤体の中心部に遮水壁を盛立て、周りをロックで固めていくというロックフィルダムに遭遇した時は大変驚きました。
 研修で現場の所長から指示されたのは、新しい運搬道路を造成するための測量助手というか手元作業でした。 仮設計画に従って木が茂っている山を伐採しながら測量をして丁張を出していくのですが、もちろん測量の仕方も丁張の出し方などもさっぱりわかりません。

中野: 測量のやり方は現場で結構たたき込まれましたか。

工藤: 測量は大学で測量学の単位を取得するために少しばかり実習しただけですから、トランシットやレベルの取扱いは元より丁張出しなどできるはずもありません。始めはただ言われるままにスタッフやらポールを持って飛び跳ねていましたが、指導してくれた方が大変親切な土木屋さんで初歩から丁寧に教えてくれました。
 計画路線に従ってセンター杭を設置し横断測量をしながら等高線を書き加えた平面図を元に、地形の変化点などを考慮しながら運搬道路の路線を決定し丁張を出していくのですが、その時に威力を発揮したのがスタジア測量というものでした。精度は10pですから余り良くありませんが、仮設道路の地形図を書いたり横断測量をしたりするには威力を発揮するものでした。
 こうした手元をしながら測量の仕方を一ヶ月教えて貰ったのですが、土木現場で構造物を作り上げていく具体的手段を始めて経験したことによって、その後の方向性などに何となく覚醒したような気がします。

研修成果の測量技術を発表

中野: 実体験ですからね、それはどう役に立ちましたか?

工藤: 夏休みの実習が終わって大学に戻ると皆なで実習成果を教室で発表するのですが、そうした発表を聞きながら、俺はこんなことをやってきたんだ、多分自分が一番上手く実習の成果を得ることができたとその時密かに思いました。

中野: それはどういう発表の仕方をされたのですか。

工藤: その時は教室で簡単に発表しただけでしたが、その後グループ別の課題発表をする機会があった時、スタジア測量の技術を使って学校裏にあった小峰墓地という広さが5〜6ヘクタールある墓地公園の地形図を作成して教室に展示したのですが、なかなか評判がよくて自慢出来ました。


測量、図面は土木の基本

中野: 習った事が実際に役立ったわけですね。

工藤: 測量は進歩が著しく現在はGPSやドローンを使うなど当時のやり方と全く変わってしまいましたので何とも言い難いのですが、当時ゼネコンの現場土木技術者にとって測量業務は絶対に必要でした。施工は図面に書いた絵を地上に実現していく訳ですから測量ができないと仕事になりません。測量が出来るということは図面が読めるということで、図面が読めないと測量や墨出しが出来るはずもないのです。私は土木の仕事は測量が基本だと思っているので新入社員には測量を正確に速くできるよう努力する事を説いてきました。

中野: 先日、鹿島の田代さんにインタビューさせて頂いた時も、入社して最初に現場に行った時に、山の稜線を見てここにダムが出来るのが頭に描けるかと。それが出来たら一人前のダム屋だと先輩に言われたという話をされていましたが、多分、測量図面が解って、そこにイメージ出来るという事でしょうね。

工藤: 新入社員では無理だとしても経験を重ねていくと、建築でも土木でも、そうだと思いますが、自分が担当する構造物の図面を見た時に出来上がった姿がイメージ出来るようになるはずです。図面が理解できなければ仕事の段取りができるはずもなくスケジュール管理もうまくいかない。測量が出来るということは図面を理解しているということですから、測量が大事というのはそういう意味があるのです。

出来上がりが想像できないと指示が出せない

中野: なるほど、大事なことですね。

工藤: 仕上がりのイメージが具体的に出来ると、その構造物の重要なところとか余り重要ではないところなど軽重の判断が出来るし、工程を組むときに箇所ごとのクリティカルパスなどの判断できるようになります。

中野: 工藤さんは学生時代に鍛えられたということですね。

工藤: 学生時代ではありませんが測量が基本として大事だということを夏休の研修で学びました。ご指導いただいた鹿島建設の方には大感謝ですね。

中野: 卒業後は、日本国土開発に入社されるのですが希望されて行かれたのですか。

工藤: 昭和44(1969)年当時の就職事情は学生の売り手市場でした。1クラス35〜36人いたと思いますが、求人はその2倍も3倍も来るので、誰でも行きたいところに行ける雰囲気でした。私は成績が余り良くなかったので皆が決まってから行き先を考えよう思っていましたら、就職担当の先生が日本国土開発に誰かいくかと聞かれて、周りを見回したら誰も手を挙げていなかったので私が手を挙げたという訳です。

中野: 役所やコンサルでなく、最初からゼネコン志望ということだったからですか。

工藤: とにかく現場に出たかったのでゼネコンに行くことだけは決めていました。

入社後、ダム現場に行きたいと

中野: 当時、日本国土開発はどちらかというと新しい会社ですよね。

工藤: そういうことも知らずに入ったのですが、実際、本当に若い会社で平均年齢が25〜26歳だったと思います。30歳前ですでに現場所長になっている人も結構いて若い会社でした。私は入社した時22歳でしたから、高卒社員より4歳上だった事もあり現場に配属させられると何も出来ないのにすぐに担当区を与えられました。

中野: 最初の配属は、どちらに行かれたのですか。


椎田(上ノ河内)ダム (撮影:だい)

工藤: 福岡の九州支店に配属されました。挨拶が済むと土木課長が「どこか行きたいところがあるか?」と聞くので、「私はダムの現場に行きたいです」と言いましたら、ちょうど福岡県耕地課が発注した10万m3のアースダム(椎田ダム)の現場を受注した直後で、そこの配属社員を探していたのです。それでそこに行けという事で直ぐに決まりました。

中野: それはラッキーでしたね。

工藤: そうですね。小さなアースダムでしたがダムとしての形式は全部そろっているし、最初の現場として不足のないものでした。

中野: その最初のダムというのはどこですか?
工藤: 福岡県の椎田町というところで、周防灘の海岸に農林省が椎田干拓という大規模な干拓事業をしていたのですが、その干拓地に送る水を貯水するダムでした。

アースフィルダムの現場で

中野: 県発注の農業用のアースフィルダムということだったのですね。

工藤: そうです。現場に配属されてばかりの何も分からない新入社員でしたから重要な仕事を与えられる訳もないと思っていましたら、国道から現場まで続く幅3mの町道2kmを資材運搬用道路として拡幅する工事の担当責任者になってしまいました。いくら若い会社だといっても何も分からない新入社員を担当に据えるなど、今考えるとそんなことよく出来たなと思います。

中野: 学生時代の研修では測量をされたとは今お聞きしましたが、まだ研修も何も受けていない時期ですよね。

工藤: いくら学生研修で僅かばかりの測量実習をしたからといっても現場実務では全然だめであります。だいいち僅かばかりのスタジア測量知識だけで現場の対応などできるはずがないのです。町道の拡幅工事は場所によっては田畑を埋めたり山を削るところもあります。そこに丁張りをかけていくのですが、施工に合わせた速度と正確さをもった丁張り出しなど自分だけの力でできるはずもなく、先輩や周囲の人たちに教えてもらい助けてもらいながら、何とか町道拡幅工事担当者をはずされずに仕上げることができました。
 失敗も沢山あったし現場にも迷惑をかけたんだろうと思いますが、失敗もいわば受忍限度内ということで所長とか工務主任が認めてくれたのだと思います。その結果まがりなりにも担当工区を最後まで仕上げ切ったということが、周りの評価とその後の自信に繋がっていったんだろうと思っています。「ちゃんとできたじゃないか」といって褒めてくれた当時の所長や上司、先輩の皆様に感謝です。

中野: 新入社員といっても、会社を背負って来ているから責任はあるし、泣き言も言えない訳ですね。

工藤: それに当時、用地交渉が難航していた頃でしたので、少しでも用地から丁張が出過ぎていたら壊されるし、住民の生活道路でしたから一般の交通も確保しなければいけないし結構大変でしたが、その時はそうした事が大変だと分からずにやっていました。「盲蛇に怖じず」ってやつですね。拡幅工事は半年ぐらいで終わりその後堤体の盛土工事担当になりました。

中野: そうですか。ダムの反対運動があり、用地交渉もなかなか進まないとあって、相当にご苦労されたと思いますが、現場でしか経験できないことですね。

工藤: 当時自分ではそう大変とは思っていませんでしたが、ダムが小さく大人数の世帯を置けない現場でしたので、一人でいろいろなことをやらなければならなかった。そういう意味では、スタートからいろいろなことを経験できて自分の栄養になったと思っています。

土を握れば、水分量が解る

中野: コンパクトな現場だからこそ一人何役もこなさなければいけない、結果としてそれで鍛えられたということですね。それ以外他に学べたことはありますか。例えば堤体の盛り土とか。

工藤: その後ダム本体の丁張出しと土質試験の担当になりましたが、その時はもう少し学校で土質工学の勉強をしておけばよかったとつくづく思いました。土取山は湛水池内にあって自然含水比が高く盛土材は常に最適含水比よりウエット側にありましたので、土の締まり具合と重機のトラフィカビリティとかをいつも気にしていました。しばらく雨が降らずに乾燥が続いたりすると最適含水比近辺で盛立てることが出来ましたが、最適含水比で盛立てた盛土強度の頑丈さに驚いたものです。そのうち盛土材料を手で握っただけで大体の含水比が解るようなになりました。


中野: 自分の手の感触で湿り具合が解るのですか。

工藤: 誰でもある程度の期間経験していると、この土の含水比はこのぐらいだなと感触でわかるようになると思います。

厳しい現場の仕事は後になって役立った

中野: そうなんですね。

工藤: 当時、朝7時から夕方6時までは現場に詰めていないと怒られてしまうわけです。とりあえず昼飯に帰ってきて、すぐ行かないと「いつまで何をやっている」というふうに叱られる。朝7時過ぎに事務所にいると「現場に出ろ」と怒られてしまいます。

中野: 今では、ちょっと考えられませんよね。

工藤: 朝7時から夕方6時までが定時で内業をするのはその後です。休みは月1回とれたらいいぐらいでとれない月も多かったと思います。労基法違反ですね(笑)。

中野: 工期だとか、締め付けが厳しかった?

工藤: 当然、工期もあっただろうと思いますが、まあしかしそうした勤務の厳しさを含め現場で色々経験したことは、その後非常に役に立っています。

一人で見回りに行き、大怪我をする

中野: そういう中で失敗はありましたか?先輩から怒られたこととか?

工藤: 先輩に怒られた記憶というのは、沢山あったと思うのですがはっきり記憶に残ることは怪我をした時です。入社後まだ1年目ぐらいの時だったと思いますが、現場の周辺を一人で見回りしていて道から飛びおりた時に竹の切り口が長靴を突き通して足裏から深く刺さってしまいました。靴底から血は出ているし一人でいたので助けも呼べない。なんとか事務所まで這いずりながら戻りましたら、同情されるどころか所長からこっぴどく怒られてしまいました。
 確かに所長からは「下に何があるかわからないからどういう場所でも飛び降りてはだめだ」、と言われていました。それを飛び下りて竹を足に刺してしまった。傷は痛いし怒られるし、その後しばらく傷が治るまで内勤をしていましたが、その間言われたことは守らないといけない、現場を甘く見てはいけないのだと、ずっと後悔していました。

中野: 何が起こるか解らないから気をつけろということですね。

工藤: そうですね。何も知らない若造がいきなり仕事を任されるのですから、いろいろ失敗しているはずですが怒られたという自覚が余り思い出せないということは、多分受忍限度内の失敗だったのでしょう。文字通り失敗で痛い目にあった後は、つくづく一人で見回りには行っちゃいけないと思いました。本当に何が起こるか解らないから。その後、自分が現場の所長になってからも見回り行くときは必ず二人で行くように指示していました。

中野: その現場で2年近く勤務して、その後違う現場に行かれたのですか。

工藤: 次の現場は大分県国東半島の真ん中にある並石ダムでした。県発注で30万m3ぐらいのロックフィルダムでしたが、新入社員時代に何も分からず言われたことをやっていた前のダムより、経験を積んだ分だけ広角に現場を見られるようになり、工事を進めるにあたっての軽重が多少解るようになっていたような気がします。


並石ダム時代

並石ダム
中野: それが経験ですね。他に思い出のある現場はどこですか?

工藤: 思い出あるといいますか、椎田ダムと、並石ダム、小川ダム、東金ダムです。特に椎田ダムと並石ダムは最初から最後の一人になって事務所を閉じるまで残務整理をしたことが貴重な経験となりました。東金ダムは乗り込みから定礎式がを経て工期の半分ぐらい迄在籍しましたが、自分にとって最後の現場となり思いで深いものとなりました。

中野: コンクリートでなくフィルダムの経験が多かったという感じですね。コンクリートダムは1つですか。

工藤: 広島の御調(みつぎ)ダムですね。

中野: 御調ダムにはどのくらい行かれたのですか?

工藤: 期間は短かったのですが、ずっとフィルダムばかりだったので、コンクリートダムの現場は新鮮でした。規模は12万m3弱であったと思いますが、原石山から骨材プラント、クーリング設備まで大ダム並の仮設備が揃っていたダムでしたので、そういう意味ではいろいろ勉強することができました。


御調ダム
社命で、CMED資格をとる

中野: アース、ロック、コンクリートと、主要なダム現場に行かれて経験された訳ですが、その後、本社に戻られてからCMEDをとられたきっかけというのは、どういうことでしたか?

工藤: CMED資格を会社から取れと言われたからです。(笑)私が受験したのはCMED資格が試験制度になって2回目の7期です。最初の5期までは試験がなくて研修を受けるだけだったと思います。
 当時、会社もダム工事の受注に力を入れていましたし、実際ダム現場も多くやっていましたが、そこにダム工事にはCMEDの資格が要求されることになるだろうという事で会社も資格取得にプレッシャーをかけてくる訳です。仕事上でいろいろな資格試験を受けましたが、あれほど会社からプレッシャーかけられて受ける試験はもう金輪際嫌だと思いました。落ちたら大変なことになるなと思ったので一生懸命勉強しました。

中野: 試験の感想はどうでしたか。口頭試験もあり、技術だけでなくマネジメントの問題もあり、むしろ経営者になるための試験だとしても通じるようなところもあるのかも知れませんね。

工藤: 普通の技術資格の試験とは一線を画す独特の試験ですね。一般的な土木知識と共に背後にある設計思想や現場の運営管理に関する個人の総合力が問われるもので相当に厄介なものでした。

中野: 社内では初めてのCMED資格者ですか。

工藤: 初めてではなく試験制度になる前の人達を含め3〜4人おりました。私はCMEDをとった後で水資源開発公団が千葉県で発注した東金ダムの現場所長になったのですが、赴任した時に監督官から「君はCMEDもっているのか大したものだ」と一目おかれるようになり、資格をとっておいて良かったとその時実感しました。


東金ダム所長時代

東金ダム
土木屋として一目置かれるように

中野: ダム工事の造る面白さとか、醍醐味はどういうところにありますか?

工藤: ダムは、土木屋として憧れの工事だと思います。私はたまたまラッキーでダム現場に行けたのでしょうが誰でもダム現場に行けるものではないのです。ダム工事の魅力は先ず規模が大きいことと、またいわゆる総合土木でトンネルや橋など色々な工種が集合されているということと、そして出来上がった構造物が湖という大きな新しい景観をつくるということも魅力の一つだと思います。

中野: 景観まで設計してやるというところは、やはりダム工事の醍醐味でしょうね。

工藤: そうですね。現場の苦労はどんな現場でもそれなりにあるしどこも大変なのですが、出来上がった成果品の見映えということであればダムはピカイチだと思います。
 下水道工事だって随分苦労しますが、出来上がったときに見えるのはマンホールが一個あるだけですし、トンネルも車で通ればあっという間に通り過ぎてしまう。ダムはそこに新しい湖を現出させ市民の憩いの場にもなったりします。

大きなダムこそ細心の注意が必要

中野: なるほど、ダム技術者としての誇りというか、ダムを造る時に心がけてきたということはありますか。

工藤: 総合的な土木技術でダムを造るということは、現場のマネジメントが大事ではないでしょうか。ダム本体以外にトンネルもあるし、洪水吐みたいな水路もあるし、仮橋、付替道路、それをトータルして、工程上からも、品質上からも、うまくコンバインして造っていくというところに、醍醐味があるのかもしれません。特にダムは何か事有れば社会に重大な影響を及ぼす重要な構造物なので最大限の注意を払ってやらなければいけない重さというものがあると感じます。

現場から経営の中枢へ

中野: その後、ダム現場を離れて、本社の企画に入られたのですか?

工藤: 今でも当時を思い出すと心苦しくなりますが、18年前私どもの会社が更正会社になり社会に大変な迷惑をかけてしまいました。その時管財人から東関東支店長やっていた私が管財人室長に任命され、その後経営企画室長ということになりました。

中野: 白羽の矢が立ってしまったということですか。

工藤: 自分がなぜ選ばれたかは解りません。管財人に呼び出され「あなたがやりなさい」といことになりましたが、それ以降自分の仕事内容が全く変わってしまいました。

中野: ダムを志してダム現場に行って、これから先もっと出来るかと思ったタイミングで本社に呼ばれて行ったということですか。

工藤: もともと土木技術屋ですから、現場で育って仕事をこなして利益を出してやるということが本分でやってきた訳です。もちろん安全もありますが仕事をこなして、利益を出してという極当たり前の世界が自分の育ちですから、ひょんなことから管財人室に入って、今まで全く縁のなかった世界に入ってしまいました。
 いわゆるバランスシートの世界、それまでの私は損益計算書の世界に生きていたと言えるのですが、会社をバランスシートの世界でみた時に考え方がひっくり返ってしまいました。会社の利益を稼ぐ前線である営業や現場に人や資材や資金を送り込むはずの兵站部門が全く体を成していなかったのです。自分のいた会社の実情がこんなにひどかったのか、これでは戦えないなというのが正直な感想で、そういう状況を見てしまったのです。

会社の見方が変わった

中野: そこからなんとかしようとお考えになった?

工藤: その前に非常にショックで、それまで現場育ちの陽気だった性格が陰気になってしまいました。(笑)

中野: 急にやれというように言われたら、やらざるを得ないし。最初どう思われたのですか?

工藤: 損益計算書と、バランスシートいわゆる貸借対照表というのは、会社にとっては両方とも大事なものです。前線部隊とそれを支える兵站の関係、現業部門と管理部門が両方とも機能していないと戦さに負けますね。しかしその頃、ほとんどの現場の人間、技術畑の人間は経営に無頓着でした。自分たちはきちんとやっているのだと、どちらかというと一方的で傲慢な考え方でした。経営の中枢に入ってみると、それではいけないと思いました。損益計算書と貸借対照表は両方大事で、両輪ですから、どっちかが大きくなりすぎても、小さくなってもだめで、このバランスをうまくとっていくというのがすごく大事なことだと痛感したことです。

中野: 厳しい現場を経験されていると、本社のほうに戻られても両方がわかるので、それはそれで会社では両方が解る人だということだったのですか。

工藤: 技術系の会社ですから人数も事務屋の数より技術屋のほうが多い訳です。しかし技術屋が経営に対して無知でいるのは良くないし、大多数の技術屋のモチベーションをうまくコントロールしていくためには彼らの気持ちも解らないといけない。そういう意味では、ダムの現場をやった経験は経営にも随分と役に立ったと思います。

中野: 最初は多分ご苦労されたと思うのですが、管理部門に入ってからの期間がすでに現場より長くなりましたね。


工藤: 東金ダムの現場から本社の土木部長を4〜5年やってそれから支店長になりました。土木部長の間は当然技術屋の意識が強かったわけですが、支店長になると今度は営業色が強くなってくる。ダム現場をやっていると専門工種をやっている人に比べて、総合土木として全体を見る目があってバランス感覚が育ったように思います。

技術を継承するには

中野: 話は変わって、ダムの技術の継承についてお聞きしたいのですが、今はダム現場が少なくなってきているし、ダム技術の継承をどうお考えになっておられますか。

工藤: ダムに限らず、技術者はその知識と現場の経験から噛み合って生まれてくる感性がないとだめだと思います。野球やサッカーでも只打つことや蹴ることかが上手でもセンスがないと一流にはなれません。感性というものが土木屋の世界でも必要なのです。感性を磨くためには、知識と経験を踏まえながら実戦をこなしていくことが絶対必要だと思っています。そういうことからも、ダム現場が少なくなってしまって本当に残念です。

技術屋はもっと経営を目指すべき

中野: 一番学べる場所であるダムがだんだん少なくなってきているのは大きな問題ですが、視点を変えてこれからの時代は、技術者も経営センスを磨いていずれは経営者を目指すということとはありますか?

工藤: それは良いことだと思います。もともと建設業は道路とか建築、研究部門も含めて社員が技術、営業、事務とかに分けるとすれば技術社員の数のほうが圧倒的に多いと思います。とすれば、圧倒的に技術出身の社長が多くてもおかしくはありません。

中野: 確かにそうですね。上司にアピールするのが下手とか、現場に出ているのが多くて、昇進するチャンスが少ないとか。

工藤: そんなことはないと思いますが時代の変化に対応することが不得手なのかも知れません。景気の良い時は勢いで行くことができますが、景気が悪くなって財政上の引き締めに取り組まざるを得なくなると、やはり数字から読み取る経営的なセンスというのは技術屋より経理、財務、事務屋さんが強いようにも思えます。


中野: 技術者も経営者を目指すということは、何か新しい気がします。やはりいいことですね。

工藤: いいことだと思いますよ。例えば経理や営業等の事務屋さんが現場所長を経験するということは殆どありませんが、技術屋が現業から管理部門へ行くということはたくさんあります。経理とか財務までは行かないかもしれないけれども、技術屋が営業部門に行くケースはたくさんあって別におかしくないわけです。何より会社経営が社長一人でできる訳がなく、各部門の専門知識を上手く引き出して使う事にある訳ですから、そうした素養のある人であれば職種に関係ないポジションであると思います。

築土構木という土木の意味

中野: そうですね。工藤さんは最初から土木を目指された訳ですが、土木というものについては、ダムも含めてですけれども、どういうものだとお考えでしょうか?



工藤: そういう意味で言えば、今は多くの大学から土木工学科という名前が消えてしまい寂し限りですが、そのことについて私は非常に不服ですね。そもそも土木とは築土構木して社会資本を整備し人々の生活を豊かにしていくものとして、土木という言葉そのものに大きな意味が込められているわけですから、土木という言葉を大事にしなければいけないと思うのです。
 土木技術者はその技術の進歩とともに黒部の断崖に巨大なダムを構築し、津軽海峡の下をくぐるトンネルを掘り、瀬戸内海の島々を結ぶ橋を掛けて来ました。人々が生活の向上を願う限り、社会資本整備の必要がなくなって土木がなくなるという事はあり得ないと思っています。

中野: そうですよね。社会の基礎を支えている土木の役割が忘れられてしまうようにも思えてなりませんね。
工藤: 私の母校でも土木工学科が社会環境工学科とかになってしまっています。でも、やっていることは土質工学や構造力学だのと一緒なので、「土木と同じじゃないか」というと「土木ではありません」と言うのです。「土木」と呼ばれるのが嫌なのでしょうか。

中野: 中身は土木なのですが、土木について、何かいいPRの仕方、ヒントはありませんか。

工藤: 良い例えではないと思いますが、新聞記事で良く事件の犯人について土木作業員と書かれていますが、あれは絶対イメージが悪いですよ。建設現場で働いているのであれば建設作業員と書くべきで、なんでも一括りにして土木作業員とかくのは間違っています。

本来、土木には悪いイメージはない

中野: そう言われれば、よく見るかも知れません。書く側の思い込みということもあるのかも知れません。

工藤: 昔から、悪いイメージ、ある種のレッテルを貼られてしまうとなかなか剥がせない。私がけしからんと思ったのは、ダム現場の所長で単身赴任をしていた時、小学校の娘の先生から授業で、「ダムが出来ると川の水を止めてしまい下流の河川を汚すし、環境を破壊するのでダムは良くない」などと言われて、娘が「お母さん、お父さんはダムを造っているけど悪い事をしているの?」と聞いたというのです。ダムでも何でも現状を変えた時には、長所・短所の両面が出てくるのは当たり前のことですが、メリットの部分に触れずにデメリットばかりを強調するというのは本当に腹立たしい事です。

中野: メリット強調型と言えば、原発事故を経てクリーンエネルギーとして太陽光や風力が大きく取り上げられた訳ですが、もっと水力とかにも目を向けて貰えないかと、中小水力とかには低コストで安定的といった良い理由があるのではないかと思いますが。

工藤: 確かに中小水力には本当に目を向けてもらいたいですね。小さな自治体でも実現可能なところは結構あるみたいです。会社でも500KWとか1,000KWの中小水力の民間事業をターゲットに営業活動をしていますが、残念ながら計画をすると、いろいろな制約や壁がたくさんあるというのが実情です。
 太陽光発電は今のところ地主が決めれば割合にすぐに始められるのですが、いざ河川となると、水利権、漁業権や土地改良組合と、いろいろな問題が出てくるのです。そういう障害を一つずつ取り除いていく作業が、民間事業者にとっては太陽光に比べると面倒である上に先行投資額が高い事がネックになっているような気がします。許認可を含め事業者が採算ベースに乗せやすいかどうかというところに知恵を出さないといけないようです。

大好きなフーバーダムで

中野: ところで、工藤さんはお好きなダムってありますか。せっかくなのでお伺いしたいのですが。

工藤: 好きなダムというか、海外の印象深いダムとして昔ダム協会で行ったトルコのアタチュルクダム、当時は建設中でしたが、堤高169m、堤頂長1664m、盛立量8450万m3の大規模ロックフィルダムと、同じツアーで行ったイタリアのバイオントダムです。こちらは巨大な地滑りによってダム湖の水が大量にダムを越流して下流の町を飲み込み何千人かの犠牲者を出して廃棄されたダムです。世界一高い薄肉のアーチダム本体が大越流の衝撃に耐えて完全に残っていたことにすごく感動したことを覚えています。それから台湾の烏山頭ダム、フーバーダムもそうですけれども、大きなダム湖があって、美しいところが気に入っています。


フーバーダム(撮影:HAL)

中野: 最近、アメリカのフーバーダムに行かれたということですが、ご覧になってどうでしたか。

工藤: プライベートで行ったのですが、前から一度はダムの聖地フーバーダムに行きたいと思っていました。現実に行って見ると、ダムも巨大ですが、ミード湖(ダム湖)は周囲が砂漠で、貯水量が琵琶湖の約 1.5倍だそうでが、素晴らしい景観を創り出していました。今日本でもダムサイトさえあればこうしたダムを造れると思いますが、80年以上前にこうした技術を確立して巨大ダムを造って、世界のダムのバイブルになったということは素晴らしいと思います。

中野: ダムの原点ですね。フーバーダムをみると、自分がダム技術者であることを誇りに思われるのではないかなと。
工藤: こんなダム現場があれば自分も絶対にやってみたいなと血が騒ぐ感じです。

現場だからこそ、人間力が磨かれる

中野: 今は、どこも人手不足が言われていて、積極的に人を採用しているそうですが、若手の技術者をどのように育てていかれるのでしょうか?やはりダムのように土木全体をみられるような社員に育てていくという感じですか。

工藤: ゼネコンの技術系の基本は現場からです。とにもかくにも現場をまず経験しなさいというのが私の基本的な考えです。実戦を踏むことで知識を消化することができますので、現場を経験している人間は、現場を経験していない人間よりも他人に対し説得力があるし、メンタルな面でも強くなると思うのです。

中野: なるほど、そういう意味では現場を知るということは、すごく重要なんだというのが良く解りました。土木は、自然が相手の外での仕事だけど、それを仕上げていくのは全て人間が成し遂げていくのだから、人、モノ、金の全てを効率よく動かすというのが経営にもつながっていると…。

工藤: 経験があれば、事ある時に自分自身で切り開いていける、そういう切り札があるからそれがあるだけでも強みですね。そういう開き直りの精神があるとないのでは大違いで、迫力が違ってきます。

若い技術者へ伝えたいこと

中野: 経験があるから物を言えるし、行動力ができるということですね。そこに行って出来るという自信、それが相手を納得させることが出来る強味なんですね。

工藤: 私がいつも言っているのは、会社に入ったらそれぞれがお金を稼げるプロになるのは当たり前ですが、先程も言いました物事の判断で大事なのは人の感性だということです。常日頃から意識して自分の感性を研ぎ澄ますということに意識を向けて欲しいということです。資格試験を受けるには集中して勉強すれば何とかなるかも知れませんが、感性を磨くというのは簡単にそうはいかないのです。

中野: 最後に若い人へ伝えたいメッセージは。

工藤: 特に若い人達は失敗してはいけないと、失敗をすごく怖がって消極的な気持ちになりがちです。私もたくさん失敗しましたが上司や同僚など周りが受けとめてくれました。ちょっとの失敗も許さない上司がいるかも知れないし、「そのぐらいはいいよ」と言ってくれる上司もいるので運もあると思いますが、やはり新人のうちは失敗を恐れずに何事にも取り組む姿勢が大切でしょう。一生懸命であれば周囲は必ず味方してくれるはずです。

中野: 本日は、貴重なお話をありがとうございました。



(参考)工藤睦信さん プロフィール

工藤 睦信 (くどう むつのぶ)
昭和21年5月13日生

昭和44年 3月 熊本大学土木工学科 卒業

昭和44年 4月 日本国土開発株式会社 入社
昭和44年 4月 同社 九州支店椎田ダム工事係
昭和46年 1月 同社 九州支店並石ダム工事係
昭和54年 1月 同社 九州支店小川ダム現場代理人
昭和58年12月 同社 広島支店御調ダム工事主任
昭和60年 4月 同社 土木本部技術部課長
平成 1年 4月 同社 東京支店東金ダム現場代理人
平成 4年 4月 同社 土木本部土木部長
平成 8年 7月 同社 東京支店副支店長
平成10年 4月 同社 東関東支店長
平成12年 9月 同社 執行役員経営企画室長
平成14年 8月 同社 取締役常務執行役員東京支店長
平成16年 8月 同社 専務取締役経営管理本部長
平成17年 8月 同社 代表取締役副社長
平成19年 8月 同社 代表取締役社長
平成25年 8月 同社 代表取締役会長
平成27年 8月 同社 相談役

(2016年6月作成)
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