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ダムインタビュー(75)
柴田 功さんに聞く
「技術者の理想像は“Cool Head Warm Heart”であれ」

 柴田功(しばたいさお)さんは,昭和33年,早稲田大学理工学部を卒業後,建設省に入省。すぐに関東地方建設局に配属となり,川俣ダムの調査事務所に赴き,基礎岩盤の解析やアーチダムの構造設計に携わられます。この時代は,戦後の高度経済成長期の始まりに当たり,新幹線や高速道路の建設など土木界を代表するビッグプロジェクトが多々推進されており,ダムも全国各地で建設が進められている状況でした。

 柴田さんは,川俣ダムの本体コンクリート打設中の昭和39年に現場を離れ,土木研究所ダム構造研究室に移られます。その後,矢作ダムの計画では,放物線形フラットアーチを応用したダムの構造設計法を取り入れ,我が国のアーチダム設計の基礎技術を確立されました。また,土木学会岩盤力学委員会の創設に当たっては幹事として参加された他,初版『岩盤力学』の編纂に携わられ,岩盤力学の黎明期を支えて来られました。昭和47年には,同委員会による『ダム基礎岩盤グラウチングの施工指針』を編纂,中央内挿法の導入に尽力されました。


さらに堆積軟岩基礎に対するセメントグラウチングの研究では,限界圧力があることを見い出し,それに準拠した施工法を開発,普及に努めて来られました。昭和57年に建設省を退官し,(財)ダム技術センター勤務となり,その後アイドールエンジニヤリング鰍フ顧問になられましたが,常にダム建設の第一線に足を置き,難しいとされる基礎岩盤上のダムの構造設計に携わって来られました。

 今回は,我が国のダム事業のまさに礎となる岩盤解析をご専門とされて来られた柴田さんに,ダム造りの難しさとご苦労を振り返って頂き,これからダム事業を支える若手技術者のヒントとなるお言葉を伺います。

(編集部注釈):このインタビューは,平成29年6月28日に行われたものですが,編集作業中の平成29年9月24日,突然,柴田さんが帰らぬ人となってしまわれました。衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。本原稿はご本人による校正を経ておりませんがご遺族のご了承のもとご遺稿として掲載させて頂くものです。インタビューの現場でお聞きした一言ひとことの重みを噛み締めつつ,柴田さんのダム事業及び土木技術に携わる方々へのメッセージとさせて頂きます。

(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)

ポッポ屋の父と同じ 国鉄に入りたかった

中野: まず初めにどうして土木の世界に進まれたのかを伺います。学生時代はどのような進路をお考えでしたか?

柴田: どうして土木に進んだかと言われても,私自身よく分かっていません。なんとなくそうなっていたと…。

中野: 気がついたらそうなっていたと言う方も,大学の先生の専門だったからその方面に進んだ方も割といらっしゃるようですが,柴田さんの場合はどうでしょうか。

柴田: 正直なところよく覚えてないのです(笑)。ただ受験の時,地学の成績がすごく良かったそうです。それでおまえは入学できたと青木楠男先生には言われましたね。

中野: そうですか。では,もともとダムとか土木に興味があった訳じゃないのですね。

柴田: 父親がいわゆるポッポ屋でして,蒸気機関車に乗っていました。だから国鉄の特殊設計室にはいれたら親父も喜ぶだろうなと思ったことは覚えています。土木を目指そうとしたのは恐らく,そういうことが関係していたと思いますね。

中野: なるほど。鉄道だと橋もトンネルもありますしね。

柴田: 父親は蒸気機関車の機関手で,戦争中には機銃掃射を受けたりしながら走ってきたそうです。地元の秋田では羽越線が身近な存在でした。山の中を走りますので,線路を通すのに切り盛りをするのですが,土の量を同じようにするために,線路はくにゃくにゃ曲がっている状態でした。戦後,それではスピードが出ないということで真っすぐになるように敷き直して,今はカーブが非常に少なくなったということは知っています。

中野: 国鉄志望でどうして公務員試験を?

柴田: 昔は,国鉄の試験を受ける前に公務員試験があったのです。

中野: 国鉄も公務員でしたものね。

柴田: 今の状況は分かりませんが,昔の学生の進路は,土木だと公務員とか国鉄,後は民間の建設会社というのが殆どでした。民間会社に行く場合は,先生と先方の間で大体の人数枠が決まっていて推薦して貰うような感じでした。

中野: なるほど,先に建設省が決まったということですね。

大学の先生に言われるまま, 公務員試験を受けて建設省に

柴田: とにかく青木先生に公務員試験を受けろと言われたのですが,先生の推薦があると必ずどこかに入れるというのが定説になっていて,官庁にも早稲田大学から行って偉くなる人がおられ,それはいいなと思いました。それで公務員試験を受けたら受かってしまい,おまえは建設省に行けと。もう国鉄は推薦しないと言われてしまいました。

中野: そうですか。それで建設省に入られて,最初の配属が川俣ダムですね。

柴田: 関東地方建設局の企画部で新人研修を受けたのですが,それが終わった6月に川俣ダムの調査事務所に配属され,翌年に工事事務所となりました。標高が1 100mぐらいの山の中で,まだ自家用車なんか普及してない時代で,事務所には通勤用のマイクロバスが2台ありました。

中野: 調査事務所は,何人ぐらいが行かれたのですか。

柴田: 建設省からは110人位行っていました。工事を請けている民間の建設会社の人が300人位です。

中野: 調査事務所でもすごい人数ですね。そこにどれだけの間いらしたのですか?

柴田: 約6年行っていました。後半は全職員合宿生活という環境下で,ダムというものがどのように構成されているのかをしっかりと観察できたのは自分にとっては幸運だったのかも知れません。以後,そこで学んだ事を基礎に,乏しい知識を切り売りしてこれまでやって来られたのですから。

川俣ダムでは,四六時中構造計算

中野: 川俣ダムというのは,すごく薄いアーチダムというイメージがありますが,設計に当たって難しかったのはどういうところですか?

柴田: 川俣アーチダムの構造設計は土研の飯田隆一(当時)主任研究員の監督指導の下で,新米の私は計算助手のようなことをしていました。

中野: よく話に聞く,タイガー計算機というのを使っておられたのですね。

柴田: そうです。対数表や指数関数とかの表を見て計算していました。多元の連立方程式を解くのですが,どう解くのか飯田さんの指導を受けながら懸命にやっていました。ど素人がアーチダム構造設計の応力解析を,有効数字8桁を目標として,手計算で実施しました。連立方程式を解くのに有効数字8桁を合わせないと答えがご破算になりますが,それを合わせるがとても大変で,全部を手回し計算機でやるのですからさらに大変でした。その後は,電動計算機を買って貰いました。ドイツ製のマダスという機械でしたが,四六時中,計算をやっていました。そのうちにダムの形がこういうふうに変形しているということがなぜなのか,その答えになる過程を見ているので数字を眺めていると解るようになってくるのです。

中野: そうでしたか。


川俣ダムと瀬戸合峡(撮影:山岳遊歩人)
第9回日本ダム協会写真コンテスト応募作品
柴田: 今はコンピュータに数値を入れていくだけで,答えだけ出ちゃう訳です。だからダムの形が途中でねじれてこうなっているという理屈の部分がなかなかつかめないのです。

中野: 細かいところまで考えなくて済みますからね。

柴田: 新人で,そういう経験を積めたというのは,ダム屋としては非常にいい勉強になりました。精度を確保するため,休み休みの手計算だから,アーチダムのメカニズムを知ることができ,面白い構造だと,約2年間,夢中になっての作業でした。

突貫作業で,ダムを伸ばす

中野: ダム造りは自然が相手なので,いろんな条件があって簡単には数字を出して,すぐ答えにはならない。いろんな解析が必要になるのですね。

柴田: そうですね。川俣ダムの形の話ですが,確か昭和36年だったと思いますけど,発注していたケーブルクレーンが出来上がり,ダムサイト基礎掘削が始まりました。それで現場を見に行ったら右岸の方に山がない。地質調査は全部やったはずなのに,途中で出て来た左岸側の問題で,そっちにばっかり目が行っていて,右岸側の調査が結果的に不十分でダムが宙に浮いちゃうことになって。

中野: どういうことですか?

柴田: 宙に浮くというのはダムを受けるちゃんとした岩盤がない。そういうことが山の上から見て解ったのです。もうびっくりしました。右岸側の地質調査が不十分で,アーチアバットメントを奥に追い込む必要が出てしまった。そのためには,アーチのスパンを約25m大きくした形状にする再設計を短時間にしなければならず,飯田さんの指導を受けながら手計算をして,僅か12日間で仕上げることができました。

中野: 一人で,ですか。

柴田: 掘削作業は始まっていましたから,半徹作業を12日間続けました。

中野: ぐずぐずしていたら間に合わない?

柴田: そうです。さっき言いました,マダスの計算機でガチャガチャとやりました。

中野: 驚きですね。


川俣ダム(撮影:安河内 孝)

柴田: 今だと,パソコンを使えば一日で出来ます。

中野: 当時は,手計算でそんな苦労をされたわけですね。

柴田: その時に勉強したダム本体の挙動と言いますか,ダムが変形するというようなことが解っていますから,すぐ設計し直したのです。現在の川俣ダムの形状は,そのような経過で決められたものです。

中野: そういったご苦労を新人時代からされていたとは。

柴田: いえ,それも良かったと思います。当時は,岩盤に問題があるとか,岩盤がどうなるかとか誰も考えない時代だった。川俣ダムの仕事を始めて設計図が出来上がってきた頃,フランスとペルーでアーチダムの事故があり,それで皆,アッと気付いたのです。当時,黒部ダムの工事が一歩先に進んでいましたが,世界銀行からボードエンジニアという方たちが急遽,岩盤の調査に来ました。そうした話が少しずつ私たちの耳にも入ってくるようになった頃,川俣ダムも始まったのです。川俣ダムは岩盤の中身が良ければ,アーチダムに最高の場所です。
軟弱な岩盤に日夜うなされる

中野: なるほど。川俣ダムはダムサイトの地質の課題があって,様々な検討がされたということですが,岩盤改良についてお聞かせ下さい。

柴田: 調べてみたら,左岸基礎岩盤が岩の板を立ててたくさん並べたような構造で,その板が川に対して斜めになっている。一部がツルっと滑り落ちるような格好になっているということが解って,板状の地質構造でそのままでアーチダムを造ると,容易に崩壊する危険があることが判ってきた。それで困ってしまったのですが,すでに工事が進んでいるダム本体の設計はそのままにして,このサイトにアーチダムを造る方法を勉強したのです。

中野: 岩盤を改良してアーチダムを造るということですか。

柴田: 実は今でもあんな事はすべきではなかったのではという,忸怩たる思いはあります。というのも,当時の合宿所生活の時,どういう訳か崩れ始めた川俣ダムを右手の小指で支えているという悪夢をみてうなされ,同室の人に何度もゆすり起こされたことがありました。あの時の恐怖心と寝汗で冷えた身体の感覚は,半世紀を過ぎた今でも鮮明に覚えています。駒井勲所長,飯田隆一主任研究員と協議を重ねているうちに,アーチアバットメント近傍の弱層にかかる力をずっと離れた弱層までの多数の弱層に安全である大きさまでに分散できる基礎杭のような工作物で対処することになり,その構造設計を今のようにコンピュータがないので飯田さんが模型実験をやり,これならいけるということで,省内の了承が得られ,施工に移したのです。


岩盤改良にPS工を初めて用いる

中野: そうですか。岩盤改良に工事でPS(プレストレス)工を用いるのは川俣ダムが初めてということですが,どのようにして安定性を確保したのかお聞かせ下さい。先ほど,板というお話があったのですが岩盤の中に入れる訳ですね。

柴田: そうですね。板状の岩盤の中に杭を打ちました。アーチダムからの巨大な荷重を基礎杭の作用をする工作物(応力伝達壁)によって応力分散の働きをさせることにしたのですが,岩盤と工作物が一体としての変形の挙動をすることを保証してやる必要がありました。それに対しては工作物と岩盤を締め付けて,つまり,常時,圧縮応力がかかった状態に保てる,プレストレスを与えるのがよいということで,日本でも昭和20年代の終わりぐらいから橋梁をプレストレスコンクリート(PC)でやるようになっていましたので,この杭にもプレストレスをかければ良いのではと思いました。実は,私は川俣ダムで最初にやった仕事が付替道路なのです。道路の標準規格は3m40か60で正確な数字は覚えていないのですが,標準規格に対して少し狭いところがあった。道路を広げるための仕事として橋の設計をやったのですが,そこでプレストレスコンクリートを使ったのです。予算も安く造りましたが,上司に「コンクリートの橋を造ったのでは、ダムが終わったら持って帰れない。やり直せ」と叱られました。そういう時代でした。


山を締め上げることで岩盤を強化

中野: え,持って帰るのですか。

柴田: 上司がそう言っていた時代でした。プレストレスというものに対しては幾分か知恵があり,大まかにプレストレスのかけ方があるのかが解っていましたので,駒井所長,飯田さんと話していて,そうしようということになったのです。それで,いろいろ調べたら,フランスでドーム型のダムの岩盤に大きな押さえの壁を造り,それにプレストレスをかけるということをやっていました。2つぐらい実例があったのです。フレッシェンという細い鋼線を入れて,1本当たり1 000tの荷重をかけて押さえていました。

中野: 日本では初めてですよね。

柴田: そうですね。全体をじわっと締めてやるというのは初めてです。

中野: でも,コンクリートと一緒に鉄,金属を入れると,劣化することは余り問題にならなかったのですか?

柴田: それは非常に問題でした。

中野: そうですよね,水が…。

柴田: 鉄は硫化鉄か酸化鉄で地盤の中に鉱石としてあってその時のFeという元素が一番安定しているのです。それが酸化して,FeO(酸化鉄)になろうとする。それで錆びる訳ですが,それを防ぐには水が入らないようにしなければならない。もう1つは,普通の鋼材だけだと強さが足りないので,PC鋼材としてカーボンの量が多い,硬い鋼材を使うのですが,力をかけっ放しにしておくとどうも壊れるらしい。今は常識になっていますが,当時はドイツ語の文献しかありませんでした。

たまたま貰ったドイツ語の資料に 解答があった

中野: そうなんですね。

柴田: 駒井所長の先生に当たる阪西徳太郎さんから青焼き湿式コピーで写した本を頂いて,その中の文献を一生懸命読んでいたら,参考になることが書いてありました。それをみつけなかったらうまくいかなかったかもしれません。鉄の錆びを防ぐにはアルカリで防護するのが一番良いというのです。それで鋼材をアルカリ,つまり,セメントで全部包んでやる,ということを基本にして設計をしたのです。その後,長大橋梁がアメリカで落ちていたことが,シビルエンジニアリング誌に出ていました。長い橋を引っ張って締めて,曲げに対して大丈夫なように押しつけていますが,鋼材をセメントで詰める作業(グラウチング)が不十分で空洞があって,そこから水が入って,鋼材が傷んで落ちたのです。100%近くそれが原因です。省内の検討会では,PC鋼材の寿命は30〜40年位ということで終わりましたが,一番よさそうだと考えた設計施工で,半世紀を保つことができました。最近,更新の工事が始まったようで安堵しています。

中野: 当時,そういったことが出来たというのは,すごいことですね。

柴田: 幸運でした。いろんな分野の方たちに教えを乞い,数少ない文献をあさって読み,可能な限りの試験をして,細部にわたって決めました。その文献をみつけなかったら,工事をやらなかったです。

日本最大のコンジットゲートを創る

中野: 川俣ダムができたのは,岩盤の基礎処理がきちんとできたからですね。次に当時,日本最大のコンジットゲートを備え付けたそうですがどのような苦労がありましたか。

柴田: 当時,コンジットゲートで一番大きかったのは二瀬ダム。荷重が250tぐらいで,水深は30mぐらい。川俣ダムでは水深60m,荷重が500tをちょっと超える位になります。川俣ダムの水理設計は,土研の中川博次ダム水理研究室長がされました。こうしたコンジットゲートを以前はテンターゲートという名前で呼んでいましたが,基本的にはラジアルゲートという円弧状のゲートを使います。凹面の曲線の中心線を軸に回転する構造ですが,薄いアーチダムには不向きなので,どうしても平たいリフトゲートという形式にする必要がありました。それに水深が大きいので水が高速で流れますから,水路底面の不陸部から空気が持って行かれて,時々真空になるのです。真空になると,それに向かってものすごく水がぶつかり,大きな振動が起きる。キャビテーションと言いますが,この振動はいくつも問題を起こしますので,そうならないよう配慮するのがすごく難しかったです。

中野: なるほど,大きな力がかかるのでとても難しそうですね。


川俣ダムのコンジットゲート
(撮影:福田 功)第9回日本ダム協会写真コンテスト応募作品
柴田: ゲートでもう一つ大変なのが溶接技術。厚い鉄板を溶接すると,かさぶたみたいな感じで傷が残ります。表面が引きつるのです。それをどのようになますかという難しい工程があるのですが,こういうのは大型の船を造っている造船メーカーでないと,上手なかさぶたの取り方が出来ないのです。そこで造船メーカーにゲートを作って貰うのには幾ら位費用がかかるのか設計図を書いて提案してくれますかと尋ねると5社が応じてくれました。初めての試みで結構な額の予算を用意したのです。川俣ダムは117mのダムですが発注した本体工事の予算はおよそ80億円です。それに対して,このゲートの予算は1つ2億円でした。

中野: そんなに高いのですか。

柴田: なんだかんだありましたが,駒井所長はメーカーさんのいうとおりにお金を払った訳です。

中野: 予算案がよく通りましたね。

柴田: 日本では初めてのコンジットゲートで,おそらく世界でも当時余り例が多くはなかったと思います。その提案を5社に依頼したら設計の仕方が全部異なっていました。それらを並べて見ると,入省して4年目の私ごとき素人でも良い悪いが解ったのです。そこで,これはこうなりませんかと相談しているうちに,どれもブラッシュアップされてきてすごく良い案になった。

アイデアの良い所取りはダメ

中野: 5社の設計コンペですね。

柴田: いろいろとこちら要望を入れて作成してもらったのですが,皆さん本当によくやってくださいました。結局どうなったかというと,お金が一番安いところに決まりました。



それぞれ時間をかけて頭を使って設計図を書いて貰ったので,採用されなかった会社にも1社300万円ずつ払いたいと本省に2度掛け合いに行きましたが,全く取り合って貰えずダメでした。この時は帰り道,駒井所長と2人で肩を落としながら,日比谷の映画館に寄ってハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマン主演の「カサブランカ」を観たことを覚えています。今も,業界ではいろんな技術提案をさせていますね。
でも,役所の人はいいところだけ全部使って,ちゃんと対価を払っていないのではないかと心配しています。アイデアだけ貰って対価を払わないのは姑息なやり方だと思います。駒井所長も,不必要な費用は払ってはいけないが,必要なものは認めなくてはならない。
絶対に官尊民卑にはなるなと,教えてくださいました。民間の人がお前の所に来て頭を下げて挨拶してくれるのは,おまえに対してではなく,椅子にお辞儀をしてくれていると,これは私の人生最大の教訓になりました。

柴田: 答えられなくて,「I feel itch in my ear」と呟きました。そうしたら,私の英語はまだ使えないと,E・S・ガードナーの『ペリー・メイスン』の原書2冊を渡され,これで覚えろといわれました。弁護士の法定闘争で,美女である秘書のデラ・ストリートとの掛け合いが面白かったのですが,英語を読むのは大変で,早川ミステリーの訳本を買ってきては読みました。私は毎晩,大体10時頃まで仕事をやって,その後2時位まで本を読んでいました。合宿所ではそういう生活をずっとやっていたのです。

中野: 生きた英語なんですね。

柴田: 後で知りましたが,建設省ではこの『ペリー・メイスン』で英語を勉強した方はたくさんおられるのです。『ペリー・メイスン』の英語は非常に判り良いのです。

中野: そうですか。

柴田: 日本語版の訳本は30冊ほど買い込みまして,今でも何冊か残っています。

頭は冷静に,心は熱く

中野: 幅広い知識があって尚かつ人間的な魅力にも富んでいる方だったのですね。

柴田: 駒井所長は熱狂的と言っても良いぐらいマリア・カラスの大ファンでした。そういうことも含めて,温かい人でした。まさに“Cool Head Warm Heart”な人,そういう印象ですね。

中野: ダムだけじゃなくて知識が広い方だから,人が集まるのでしょうね。

柴田: 相手の立場がきちんと判るので,先程話したようにゲートの設計費用を払おうとか,ここは冷静に考えたらタダではいけないというような判断の出来る人。こちらがやってほしいことに対してはお金を払うのが人の社会の基本だ,というのが駒井所長の考えです。3年半ほど駒井所長の下で働きましたが,私の人生では誰よりも先生です。“Cool Head”と“Warm Heart”という言葉は,後日,アルフレッド・マーシャルのNoblesse Obligeを育てるケンブリッジ大学の経済学教授就任(1885)の演説にあったことを読んで知ったのです。このことは,人生最大のしあわせでした。


川俣ダムの維持

中野: 川俣ダムで,一番苦労されたところはどんなことですか?

柴田: 難しい話はいっぱいありました。とにかく,ダムのコンクリートから始まって,何から何までいろいろ大変でしたが,全部,駒井所長があれこれ指揮をして,上手にまとめていました。私は設計の担当でしたがそれなりに頑張っていました。

中野: 国立公園だったから他のダムにはない制約もあったとか。


瀬戸合峡 渡らっしゃい吊橋
(撮影:kazu_ma)

柴田: それは,すごくありました。厚生省も時々チェックに来ました。当時は,自動車はまだ普及していなかった時代で知名度は低かったのですが,ダム直下流は,瀬戸合峡という風光明媚な峡谷で,半永久的に存在することになる人工工作物が景観を阻害しないように,ひっそりとしたダムを造るべく努力しました。

中野: 材料を運べないというのもありますよね。

柴田: そうです。国立公園内だから岩盤を削って骨材に利用することが出来ず,やむなく貯水池内の河床砂利を骨材に転用したので悪いものを使わざるを得なくて,そういうトラブルの連続で,今も私はコンクリートの劣化が気になっていますが,建設時には最大限の長寿命化を図るように努力して造りました。しかし,交換,修復を要する寿命に近づいているか,いつまで補修を延ばせるかを科学的に計測し,科学的に判定する技術の開発が遅れているため,喫緊の課題になっていることは間違いないのです。

中野: 川俣ダムに関わったことを振り返ってみてどのように思われますか。
柴田: 川俣ダムの近くの片品川に同時期に造った薗原ダムが約2千万立米の貯水量で,旧河床砂礫層の止水などの困難もあって2百数十億円以上かかったのに対して,川俣ダムは約8千7百万立米の貯水量があるのに,本体の倍近い工費の基礎岩盤改良をしても約80億円で造れました。すべてが知らないことだらけで夢中でやっていたから,ほとんどのことに不安を感じていました。それなのに,わが青春の標(しるべ)である川俣ダムが,維持操作するために努力してくださった方たちのおかげもあって,半世紀を超えて水をたたえ,大洪水にも効果を発揮してきたのは,致命的な失敗がなかったことで嬉しく思っています。川俣ダムから転任になってからもダムの仕事に関われたのは,幸運なことだったと感謝しています。

中野: 川俣ダムでの6年間に学んだことは,柴田さんにとって原点なのですね。

断層とダム,急がば回れを実践

中野: 話は変わりますが,鶴田ダムの断層処理がすごく難しいとのことで,先日,再開発の現場を見せて頂きました。柴田さんが関わっておられたとのことですが。


鶴田ダムの再開発(撮影:田中 創)
柴田: あれは私が言い出したことで,結果的に工期が1年も延びるなど,現場の方には大変なご迷惑をおかけしてしまいました。川俣ダム時代に休暇を取って鶴田ダムの工事を見に行ったことがありましたが,その時にダム下流部の河床を横切る30mにも及ぶ断層があるというのを知りました。次は,土研に行ってすぐですが,昭和39年の春,後輩の結婚式に出るというプライベートな予定の日に突然,鶴田ダムに行ってこいと出張を命じられて見に行ったのが始まりです。その時,ダム本体はほぼ天端まで打ち上がっており,断層部はすでにコンクリートで覆われていたので,施工出来高図面から推察するしかありませんでした。工事については一日量のコンクリートの打設記録を出せたとかいろいろ所長さんは自慢しておられましたが,ちょっと耳にした安全率の値が引っ掛かりました。それで,夜,自分でダム底の剪断摩擦安全率について計算してみたのです。そうしたら何度計算してみても少ない。本来4程度なければいけない安全率の値が,どう計算しても2ぐらいになるのです。それで出張から帰った後,本省でその話をしたら大騒動になってしまったのです。

中野: ということは。

柴田: 川俣ダムで岩盤については一生懸命勉強していたので,幾らか知恵もついていたのです。余計な事だったかも知れませんが,安全率が低いのではないかと指摘したのです。ダムは,ほとんど出来上がっており,何万kWの発電所が運転を始める寸前になっていたのですが,省内で喧々囂々の議論の末,土研のダム構造研究室が二次元模型実験をして応力・変形解析をすることになり,どうしてもダメだということになりました。その結果,下流側で立坑を掘らせて,横に作業坑を掘って行き,打ち上がったダム底下の断層を相当な深さまでコンクリートで置き換えることになったのです。おかげで工期は1年も伸び,大混乱になってしまいました。

鶴田ダムは再開発で強くなった

中野: 鶴田ダムは現在,再開発工事をやっていますが,昔そんなことがあったという話をお聞きしました。結果として断層の置き換え工事が出来て良かったですね。

柴田: 完成後,何度も見に行っていますが,監査廊を見るとたくさんクラックが生じていました。幸いクラックは増えてきていないのでダムは安定しています。気になるのは,クラックの向きが考えられるものと逆向きなのがあったこと。上流向きの剪断力を受けたのではないかと思え,あれほど大きな重力式のコンクリートダムだが,もしかしたらアーチアクションが生じているかも知れないと感じさせるものがある。下流面ではそのぐらい基礎が悪かった。今からして思うには,多分ぎりぎりの置き替えの深さだったのではないかと。本当にぎりぎりで助かったような気がします。だから,今度の再開発で強くなってくれて,とても良かったと思いました。

中野: 現場では,当初,問題があったということは把握されておられ,再開発でもそこの処理をきちんとやらないとダメだという話があったそうです。

柴田: 置き替えはもう出来ませんしね。あの時は,とにかく大勢の人が大変だったのです。大きな貯水池が出来るはずなのに,それが1年も遅れた。丸1年かかりましたから,関係者の皆さんにはすごく迷惑をかけました。でも,置き替え出来たことで今まで無事に来れたと思います。

中野: 工事がそのまま進んでいて,もしも何か起きていたら,もっと大変なことになってしまう。

柴田: 放っておいたら多分,何か大きなトラブルがあったと思いますね。あくまでも私の想像ですが。

中野: 先程も言われましたが,今はコンピュータですばやく計算出来ますが,結果だけを見るのではなく,きちんとした計算結果を積み上げてプロセスを見ていくことがすごく大事なんですね。

柴田: おっしゃるとおりですね。

フラットなアーチダムにして 基礎の支持力とバランスをとる

中野: アーチダムの設計では,難しい構造力学を駆使しなければならないと聞いていますが,土木研究所でアーチダムの構造設計の研究をされたことが,次の矢作ダムで役立ったところはありますか。

柴田: 川俣ダムのころまでは,応力解析を手計算で行っていましたが,コンピュータが進歩するのに合わせて,当時土木研究所の主任研究員だった飯田さんが,IBMの数学屋さんの協力を得ながら,試算荷重法のプログラムを作り上げました。このこと自体がアーチダムの設計技術にとってすごく大きな成果でしたが,中でもアーチ形状については,放物線などの任意の二次元曲線アーチも解析できるようにするという素晴らしい内容でした。

矢作ダムで初導入された 放物線アーチダム

中野: 川俣ダムの円弧アーチに代わって基礎岩盤の安全性をさらに高めるために新アーチ式ダムの型式を開発され,矢作ダムで導入されたのですね。


矢作ダム(撮影:だい)
柴田: あそこは下が砂地なので注意が必要でした。砂岩に真っすぐ太い柱を打ち込むと,大きな力に耐えられるのですが,斜めにすると基礎はずるずる滑ってすぐに壊れてしまいます。アーチというのは水平の力が出ますから,その力をなるべく基礎に垂直に荷重がかかるようにしてやれば良いと思ったのです。川俣ダムで既に,アーチの応力が許容できる限度まで中心角を小さくすれば,スラストの向きを山腹に垂直な方向へ近づけられることを確かめ,基礎の支持力を増す設計をしていました。川俣ダムはフラットな造りというか,かなり扁平なものです。そういう意味では,矢作ダムはなるべく垂直な造りにしようと思って,結果的には基礎の強さと本体の強さのバランスのとれた設計が出来たと思います。

 この後の建設省所管のアーチダムは,同じ考え方で造られることになりました。

アーチが掛けられる ダムサイトは自然の恩恵

中野: 研究成果を矢作ダムで実施できたことについてどう思われますか?

柴田: 基礎岩盤についてはそれまでは誰もが頑丈だと思っていましたが,マルパッセダムやフライレーダムの事故以降,基礎岩盤の脆弱性も考慮することになりました。それ以前とは,岩盤の存在そのもののとらえ方が変わったということがあります。矢作ダムの左岸側の基礎岩盤は,川俣ダム左岸に似た,アーチスラストを受けると,川に抜けやすい弱層が多い構造でした。旧来の大きな中心角をとった設計のアーチダムを造るとすれば,川俣ダムほどではなくても,大掛かりな基礎岩盤の補強をしなければならなかったのですが,アーチダムの形状を工夫してスラストを弱面に垂直に近い方向に作用させて,すべりにくくすることができたので本当によかったです。

中野: 日本は,地震が多いので基礎岩盤には十分留意しないといけないですね。

柴田: 日本の山は相当に揉まれていますからね。世界どこでも皆同じようなものでしょうが,地殻変動というか,地盤にかかっている地球の内部の力は,日本では非常に強く影響を受けていて,地質はちょっと弱いところが多いです。



中野: 海外のダムは,下流側に何も影響がないような土地の広さがあるので造り方に余り細かいことは言わないようですね。アメリカは,ダムの技術はすごく進んでいるのですが,日本とは考え方が違うのでしょうか。

柴田: ダムは,自然の造形をダムサイトに利用させてもらっています。人間が自然の力を借りていると思うのですが,その借り方を間違えてしまうとダムが壊れるのだと思います。造りが大雑把すぎると大きなダムの事故こそありませんが,アメリカでもダムが壊れたりしています。
海外との考え方が違う

中野: そうですね。

柴田: ダムそのものの考え方の違いというのは明確です。例えば,沖縄の福地ダムなどは,アメリカ軍の設計図に,下流に大きな弊害を受けるものが少ないから,ほとんどないと表現されている。単語としては「a little」じゃなくて「little」と書いてありました。そう考えるから,工兵隊の報告書にダムの安全度はやや低くても良いのだと書いてある。当時,藤代専門官とそれを読んでいて,「なんだ、これは」と怒りを覚えたことがあります。

中野: 実際にそういう解釈ですね。

柴田: 日本だと,そういう言葉を使うことはあり得ませんので,よく覚えています。それと,アメリカではダムを管轄する役所が2系統あるのですが,内務省開拓局もダムを管轄しています。

ダム技術の継承について

中野: 柴田さんは,これまでに多くのダムに関わって来られましたが,ダム技術をどう伝えていったらいいか。新規のダム現場が少ないので,ダムを造る技術の伝承も難しいし,また再開発とかそういうことになると昔の図面が解る人でないと直せないというのが問題化しているそうですが,どのように思われますか。

柴田: 図面も,昭和50年ぐらいまでは手書きの図面でした。カラス口でインキングしてというふうなものです。そういう図面,資料の残り方が非常に悪いですね。紙の図面はまともに残ってないのが残念です。

中野: そうですね。

柴田: そういう資料の足りない分はちゃんと調査することが必要だと思いますが,どうも調査をしたがらない。出来れば,昔に担当した人を探し出して詳しい説明を求め,何を意図しそのためにどんなことを調べ,どう考えたか,どのような選択をしたのかのいきさつまで理解すれば,安心と経済性の追求には必ず役立つと思うのですが。

中野: 時間も予算もないのですね。とくに古くなったダムほど資料が少ないので,このままずっと行ってしまうと問題ですね。


柴田: ただ一つ言えるのは,恐らく昭和20年代から30年早々までに出来たダムサイトの岩盤は丈夫です。逆に言えば,そういう頑丈なところにしかダムを造らなかったと思うのです。そういう意味では,構造力学,材料力学の基本に従っていればまぁ安心とも言えるのですが。再開発で気をつけなければいけないのは,コンクリートというのは,表面のカルシウムが空気中の炭酸ガスでやられているのです。長寿命なダムでも表面は皆,空気中の炭酸ガスに曝されています。また新旧のコンクリートがくっつくという前提で設計をしている人が結構います。私が一生懸命に働いていた頃もそう思っている人がたくさんいました。最近はそういったことをご存じない方が多いのですが,コンクリートはなかなかうまくくっつかないという,そういう前提でする構造設計の仕方はたくさんあって,私のメモ帳の中にも幾つか載せています。必要なら後で説明しますが,そういうふうにコンクリートはちゃんとくっつかないという前提の設計の仕方を大昔からやっています。

 でも,いつの間にかくっつくという前提でやっている。例えば,腹付けのダムの中では幾つか例がありますけど,全部くっつくという前提なのですが実際に掘ってみたら全くくっついてなかったとか,ありますから。

若い人は自分で積算して 工事の手順を現場で見て欲しい

中野: 怖いですね。

柴田: 実はそういう話が結構あるのです。まず,古いコンクリートにはつかないということを前提にしてやることが肝要かと思います。通常でも打ち継ぎするところは密着させるためにより入念な施工を考えるべきです。若い人には,もっと材料については勉強して頂きたいと思います。

中野: そうですね。若い技術者には,こういうふうになっていって欲しい,そういう希望はありますか?

柴田: 役所の若手の人について言いますが,皆さんどうも積算が出来ないのではと思いますね。コンサルタントの方もほとんど積算が出来ないと思っています。私自身も川俣での経験でしか積算は余りやっていません。ちょっとの間だけ所長をやっていた時に,部下に積算させたものをみてチェックをしていましたが…。これで何が言いたいかというと,ものを造っていくのにはちゃんとした手順があるのですが,その手順が解っていないときちんとした積算が出来ないということ。仕事はこういう順序で組み立てていくということが頭に入っていないといけないのです。だから,若い人は,例え小さな修繕工事であっても自分で積算して,工事の手順もちゃんと現場をみて覚えて欲しい。

中野: 何でも段取りが解っていないと,途中でうまくいかないことがあると修正が効かないのでは?

柴田: 多分,そういうふうにして机上で積算したのと現場の両方を見ていれば,自分が思った手順と違うなということがすぐ解ると思うのです。もし自分がやったのと手順が違えば,自分の組み立て方は劣っているということです。そこが勉強になるのですよ。それに,やっぱり思った通りに出来て来たら嬉しいです。若い時にぜひこういう経験をして欲しい。

中野: 現場に行って,こういうふうに出来ていくのかと自分で見る機会が今は少ないのかもしれないですね。

柴田: そう思いますが,見に行こうと思えば行けるのです。


土木の仕事の楽しみは, 毎日出来上がっていくこと

中野: 机上だけではなく,現場に行って自分が造るものだという意識がないとだめでしょうね。

柴田: この頃は,大学に土木工学科という名前が少なくなりました。それでもコロンビア大学のホームページには土木工学への勧誘文が書いてあって,その中で,日々出来上がっていく構造物の姿を見ているのは,実に楽しいものだと書いてあります。

中野: それは,いいですね。

柴田: 時々,日本の大学の先生方と一杯やる時に,そういうのを参考にしてという話をしますが余り反応がない。教える側がもっと熱意を持って,土木の魅力を学生に語って欲しいと思います。

中野: 土木の魅力,物を造る仕事の素晴らしさというのは,まさにそういうところにあると思います。自分が設計したものが出来ていくのを確かめながら進んでいくという。

柴田: すると,ここはこうしておけば良かったと,自分が至らなかったところが解るので,それも良い勉強になります。

皆でダムを造っていた時代

柴田: この前,堀和夫さんが北海道から出て来られたのでご一緒して,お昼を食べながら,その時「俺たちがやったダムは今でも心配だよな。柴田君、どうだい?」と言われるので,「いやあ、そうですよね」と。「私たちは石橋を叩いて渡って、それで今でも心配しているっておかしいよね」という話をしたのです。昔から迷いに迷って仕事をやって来ました。私はある時,一緒に仕事をしていた人から「おまえは、考えを小出しにする」と抗議されたことがありました。いつも後になって直そうよと話をする。それがいけないと言うのです。でも,良い考えが出てくれば,より安心になると,私は思います。堀さんとはそういう話をしました。そういう意味では,あれだけ叩いて渡った石橋を今でも心配しているというのは,随分変な性の人生だったのですね。私たちはダムが上り坂の時で,今の人たちから見たら技術屋としては想像も出来ないぐらい幸せだったのです。私が川俣ダムで係長をやっている時,突然「小林だ」といって電話がかかってきたことがあります。「え?どちらの小林さんですか」と聞くと「俺だ」「え?」「俺だ」「どちらの?」「開発課の小林だ」と。当時の開発課長です。ちょっとした事ですが,あれはどうなったと心配してくださって。甲乙丙,恐らく丁まで,そうした重層構造の中で仕事をやっていましたが,皆がより良いものを造るのだという気持ちが一緒だったと思います。

中野: 気持ちが一緒。

柴田: あの難しいところはどうなった,と。なぜ顔を見せて報告しないのかというお叱りだったと,その時は思いました。駒井所長にその話をしたら,そうだなと言われて,2人で謝りに行きました。そんな時代ですよ。今ではそんなこと多分ない。昔のダム屋は上から下まで気持ちが一つだった。

中野: 皆で造り上げた時代だった。1つの仕事をやることに対して,皆同じ方向に向かっていたと。今もそうだと思いますが,風向きが変わってきた。

柴田: その原因は,どうも社会,世の中の風潮が,安く,より安くという時代になったということではないでしょうか。

中野: そうですね。コスト縮減が流行になって。何でも,安くあげなくてはと。

柴田: そう,事業仕分けで少しでも安く。ダムはムダとか。ちょっと違う。ちょっとでなく,うんと違うような気がしますね。

中野: インフラ整備は,維持管理も含めてきちんとしていかないと社会が危なくなるのはありますよね。

柴田: 社会全部がそれにもたれかかっているのです。ダムでも道路でも鉄道でも。もたれかかって使っている訳ですから,そういう意味では,きちんと造るということでやっていても,少しは傷が出来るし,その傷が見えても今は見えない振りをしているのではないかと心配しています。

かつてダムの良い時代があった

中野: どうしてそうなったか?うまく説明できないのですか。

柴田: 一番いけないのは,マスメディア,マスコミじゃないでしょうか。何でも針小棒大に騒いで,まるで鬼の首を取ったかのように。ダムは格好の標的になってしまいましたね。まさに八ッ場ダムがそうでしたけど,今は動き出して,ようやくという感じです。

中野: そうですね。

柴田: 私たちはダムの大変いい時代をやって来られた。

中野: 良い時期に苦労しながらダムを造られたと。

柴田: 苦労ではなかったと思いますよ。なんだか,よく分らないうちに土木に行って,よく分らないうちにダムへ行って,無我夢中のうちにダムができて,という感じですかね。そういう時代を過ごして来たというのが正直なところでしょうか。

中野: アーチダムも今は造る場所もないそうですが,最後のアーチは温井だと思いますが,先程伺ったような技術継承が大変ですね。

柴田: そうですね。今はコンピュータで計算して,パッと答えが出てきて,その通りやれと。請け負った人は言われた通りにやるものだと。やれるかどうかではなくて発注する側はやるものだと決めつけていて,受注した側は言われた通りに造ればいいと,責任を問われないように書類ばかり作っていて,偉い人は現場に行かない。

これからのダムについて

中野: 若手技術者の育成,ダム技術の継承はどうしたら良いのでしょうか。

柴田: エンジニアは各自が諸先輩の背中を追いながら育つものであり,他人が指図しても身につかないと思っています。私は,駒井所長のような仕事のやり方,“Cool Head”“Warm Heart”。それがチーフエンジニアとしては素晴らしいと思って,ああいうふうな人になりたいなと心から思って励んできました。

中野: 今は,なかなかそういった人が出て来ないというか。



柴田: 恐らくチーフエンジニアに仕事を仕切らせて,責任を持たせてやらないのでは。科学というのは誰が実験しても同じ結果が得られる原理を探求する学問だから,その研究成果は客観的です。それに対して,工学は,組み合わせる事柄,それぞれに対する構造物の科学に基づく予測と,経済性のチェックをした上で設計した工作物を組み上げていく。そのための選択・決定をどうするかという主観的な要素を含む学問と言えます。特にダムは,科学では明らかにしきれていないことが多いため,チーフエンジニアの主観が入った事業の進め方を決めていくことがあります。ダムの基礎については,まさにそうなのですが,最近は委員会方式により現場の技術屋ではなく,外部の専門家という人の言うことを聞く事ばかりが要求され,チーフエンジニアの存在が見えなくなっているきらいがあるので,どうにもその辺が最も危惧されることです。
中野: 今後のダム事業を進める上での課題についてお聞かせください。

柴田: 河川の流水が多すぎても足りな過ぎても困ることを軽減するために造るダムは,当然機能するものとして,社会が将来にわたって疑わずにもたれかかる工作物です。一旦造った巨大な土木工作物を改廃するのはきわめて困難で,Tetonダムのように壊れることがあると,周辺の社会に大きな損害を与え,巨額な投資を無駄にすることに繋がります。したがって,ダムは巨大な荷重がかかる怖いことがある工作物であることを肝に銘じつつ,安全で,最大限に長寿命となるように造ることが絶対的要件です。そのためには,安い費用で造ることはとても大切ではありますが,最重要課題にしてはならないのです。

コンクリートダムは片持ち梁

中野: ダム造りの現場改革が必要ということでしょうか。

柴田: 最近は,VEと称してなぜか設計図よりも浅い掘削をして,それでコンクリートダムを造るようなことがありますが,コンクリートダムというのは基礎岩盤に対して片持ち梁だと意識すべきです。今,なぜ掘削をVEと称してやっているかというと,重力ダムはミドルサードと言って,真ん中の3分の1に力を入れれば良いというふうなことだけが一人歩きしているのです。実は,3分の1というのは構造力学ではコアと言います。コアは核ですね。核の中に力が入っていると,表面に引張応力が出ない。そういう構造力学の事象。それをやればいいということで,根っこについては何も考えてないので,本体はたわまないのです。フィギュアスケートで,イナバウアーがありますが,反り返っている身体を元に戻します。あれはボディフォースと言って自分の力で戻しているのです。身体が硬くてのけぞれなくて額を押されたりしたら足が滑って転んでしまいます。ダムもたわまなくて,のけぞれないとしたら,岩盤の上をずるずる動くしかない。非可逆的,元に戻らない変形を起こしてしまう。すると基礎と岩盤の隙間に水が入り込んできますから,設計で使ったものとは異なる荷重がかかることになり,思わぬ事故が起きる可能性が高まります。地震が起きても同じです。

中野: なるほど。基礎岩盤に対して危険性が増すと。

柴田: 今は,ダムを設計する人,造る人,管理して守る人,それぞれ分業です。また,その分業の中にも,さらにいろいろな分業がある訳です。そういった重層構造で成り立っていますが,それをまとめるのがチーフエンジニアなのです。その下にはサブエンジニアというのがあって,その分野,チームをまとめて,その下にまたサブがあってという,そういうピラミッド構造でダムを造る体制になっているはずですが,今はなぜかバラバラに見えるのです。委員会主導の体制,ダムに関わる人全ての気持ちまでもまとめていく指導力のあるチーフエンジニア,そういうことを再認識して頂きたい。


技術屋として心配なことは

中野: ご心配なことはまだありますか?

柴田: この間,送っていただいた雑誌に,監査廊のプレキャスト型枠のことが載っていました。あれも実は心配の種です。英語でインスペクションギャラリー,日本語では監査廊と言われますが,インスペクションとは,観察する,視察するという意味ですね。堤体のコンクリートに穴を開けていろいろ調べるのです。だからインスペクションギャラリーです。でも,それにプレキャスト型枠をやると,壁に見えるクラックがどういう性状なものか,正確につかみにくいということになります。

中野: プレキャストも合理化施工を目指したのですが…

柴田: 施工時の型枠の省力化はいいことですが,監査廊まわりは,文字どおりにダム構造に変状の兆しがあるとき,それを予知し,そのメカニズムと対策を考察するのに欠かせない観察をするためのもので,監査廊まわりにプレキャスト型枠を使ってしまったため,予期せぬクラック発生時の考察が全くできない現場をいくつか見たことがあります。本来の目的から言えば,堤体内部でコンクリートの変化を観察出来なければいけない。万が一の時,修繕するためにボーリングしてグラウトするとかという事には役立ちますが,監査廊自体,あまり役に立たないという意見を持つ技術者もいます。私は,ダムのモニタリングについての技術委員をやっていて,国際会議によく出ていましたが,そこで私は集中砲火を浴びました。インスペクションギャラリーの設置を日本では義務化しているけれど,あれは撤廃しろ,テロリストにすればあれは格好の標的になると。日本のような国ではテロでダムを壊されたら大変だろうと。特にフランス人に言われました。1年に1回しか会議に行きませんでしたが,行くたびに「柴田、おまえはそういう提案をしたか」と何度も言われました。

クラックを見分けること

中野: そうですか。

柴田: 海外では,監査廊はそういう位置付けですが,良いところは,観察すればクラックを見分けることが出来るというところです。クラックには3つ種類がありまして,イナバウアーの話でボディフォースと言いましたが,コンクリートが自分の中の熱応力で出来るクラックがまず1つです。これは普通にいっぱい出てくる。それから次が,引張応力で出来るもの。引っ張られて出来るクラックは,どういうふうになるかというと,ぐにゃぐにゃに見えるが尖っているもの。引っ張られて割れるから,いっぱい尖ったところが見えます。最後は,ぎゅーっと剪断されるクラック。剪断の場合はジグザグに出たりします。あるいは少し縞状に残ったり,すれた後が見えるのもあります。そういうクラックの状態を見て,このクラックはこういう性質だということを考えて,対策をしなくていいか,対策するとすれば何が一番有効かと考えるのです。プレキャストでやってしまうと,性質の違いがうまく見分けられないです。

 私自身は2つ目の引張応力で出来たクラックだけ知っています。1つ目の自分の熱応力で出たクラックはばくっと割れているらしいのですが,うまく見分けられません。もう1つの3つ目のクラックは,岩盤がずれて堤体を引っ張っているから出来ると思いますが,それがプレキャストのためにきちんと見えないので,設計の根本からすればインスペクションギャラリーにはプレキャスト型枠を使っちゃいけないと思います。これは年寄りの心配の種ですね。

技術者は,原理原則に従って行け

中野: そうですか。

柴田: コンクリート試験をやっている人たちと食事をした時に「こんなのはやめろよ」と言っても,「いやあ、柴田さん、そんなこと言ったって、そういう設計で俺たちはこのほうがやりやすいよ」と言っていました。

中野: 言われる通りにしておけば簡単ですから。

柴田: なぜそうなのか分からないからです。そうなると,ダムの安全度は極めて落ちると思います。今は,安全度4という数字が,かなりぎりぎりのものになっていると思うのですがどうでしょうか。先程,話題になった鶴田でもクラックが出ていまして,温度のクラックと剪断のクラックだと思いますが,簡単に剪断と言いますが,剪断って,鋏で切る時スパっと切れていると思うでしょう?

中野: ええ。

柴田: でも,あれは,切れているところのそばには物すごく引張の応力が出ているのです。青森で風力発電所のピアが風で折れた事故がありましたが,写真を見る限りでは,断面をみたら剪断の引張に対する鉄筋,スターラップと言うもの,それが入っていませんでした。

中野: そうなんですか。

柴田: この間,風力発電所事業をやろうとしているという人から,柴田さんどう思うかと言うので,それは結構だけども,剪断に注意して,スターラップがいるのですよというような話をしたら,それはすぐチェックするという話になりました。チェックした結果は聞いていませんが,ついこの間の話です。

中野: 簡単に風力発電所を始められても怖いですね。

柴田: ダムも怖いですよ。

中野: これからもそういった心配なところにお知恵をいただかないと。

柴田: もう,お知恵とは言えないのではないでしょうか?ただの老人のたわ言でしかないと…。

中野: いえいえ,とてもそんなふうには思いません。ぜひ宜しくお願いします。今日は,お忙しいところ貴重なお時間を頂戴し,本当にありがとうございました。

柴田: こちらこそ,私たちの良かった時代の話を聞いて下さり,どうもありがとうございました。

柴田 功さんプロフィール

昭和33年
 早稲田大学卒業・建設省関東地方建設局
 川俣アーチダム基礎岩盤と当時最高水圧を受ける高圧ゲートの構造設計に従事
昭和39年
 建設省土木研究所ダム構造研究室
 (昭和47年 研究室長)
 矢作ダムで我が国初めての放物線形フラットアーチの基礎岩盤の強さとの関連を考慮したアーチダム構造設計法を研究し,実施
 昭和40年以降の建設省所管のアーチダムの構造設計はすべてこれに準拠
 岩盤力学黎明期に土木学会岩盤力学委員会の創設・発展に幹事として貢献
 初版“岩盤力学”編集幹事3人(電研・鉄研・土研)の内のひとり
昭和47年
 同委員会“ダム基礎岩盤グラウチングの施工指針”編纂で中央内挿法導入に尽力(孔配置の過不足判断が容易になった)
 堆積軟岩基礎に対するセメントグラウチングについて研究し,限界圧力があることを見い出し,それに準拠した施工法を推挙(日本ではほとんどのダムで準用されている)
昭和57年
 建設省退官・(財)ダム技術センター
 土研在勤中も含めて,多数の難しい基礎岩盤上のダムの構造設計を指導
 美利河ダム(土木学会技術賞)もその一つ
 笹流バットレスダム,豊稔池マルチプルアーチダムの経年劣化補修の際,実施直前の予定されていた設計を歴史的な構造と景観を遵守したものに変更するように指導
 国際大ダム会議のダムと基礎のモニタリングに関する技術委員会委員など,多くの技術委員会の委員として,ダムと基礎岩盤・高圧ゲートの構造に関する技術向上に努力
平成4年
 基礎岩盤のグラウチングに関する研究により,早稲田大学より学位取得

※「ダムと基礎・メモ帳」の紹介
 この本は,柴田さんが,平成25年8月にまとめられ,国会図書館に登録された本です。
 コンクリートダムの構造設計に関わる専門家向けのメモで,「私が無知に苦しみながら生きてきたことだけはお読み願えれば幸いです」というメッセージを頂きました。
 以下,まえがきから抜粋いたしました。

“ ダム技術は日進月歩の発展を続けている。この拙文は,それに乗り遅れた馬鹿な者がいつまでも正しいと信じ込んだメモかもしれない。だが,真のダム技術者ならば考え続ける必要があると思われる,古典的ともいえる「失敗」やその防止策の科学的背景などについての基礎知識として,ダム技術者相互間では「打てば響くが如くに」出て欲しいとねがう事例と,筆者が乏しい知恵を絞ってダムと基礎の構造設計に従事した事例に対し考えた私見の一部を,取り上げた各ダム事例の後半も「メモ帳」として書きとめただけである。”

柴田 功

[関連ダム]  川俣ダム  鶴田ダム(再)  鶴田ダム(元)  矢作ダム(元)
(2018年3月作成)
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  [テ] ダムインタビュー(92)渡辺和足氏に聞く「気象の凶暴化に対応して,既設ダムの有効活用, 再開発と合わせて新規ダムの議論も恐れずに」
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