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ダムインタビュー(27)
虫明功臣先生に聞く
「八ッ場ダムは利根川の治水・利水上必要不可欠」

 虫明功臣先生(むしあけかつみ、東京大学名誉教授)は、本体着工寸前でストップしてしまった八ツ場ダムの建設問題では、これまで群馬県議会をはじめ、衆議院の委員会に招かれて意見を述べ、さまざまなデータを示してダム建設の有意性を説明して来られました。

 先生は、東京大学工学部の学生時代には高橋裕ゼミに学び、全国の河川を調査し、治水や利水のあり方について研究してこられたとのことです。その後、数多くの業績を積み重ねて来られ、現在では水文学、水資源工学の分野において我が国を代表する学者の一人としてよく知られています。

 今回は、その虫明先生に、学生時代からの河川研究について語って頂くとともに、ダムや河川が抱える問題ついて、また今注目されている八ツ場ダム問題も含め、幅広くお話を頂きました。

(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)



河川研究への取り組みは、思わぬきっかけから

中野: まずどういうきっかけで河川研究の道に入られたのかから伺います。
川については、何か特別に思い入れがおありになったのでしょうか。

虫明: 僕は生まれが岡山市ですが、空襲の直前に倉敷に疎開して高校まで倉敷の外れの田んぼの中で育ちました。川といえば、家は高梁川の旧東派川のすぐそばで、大きな農業用水路がいくつか流れているところでしたが、その用水路や川で泳いだり、うなぎ籠を仕掛けたり、ハヤや川エビを釣ったり、水と親しんだことが知恵をつけてくれたと思っています。また、倉敷は大原美術館があることから、写生大会など絵画が盛んでしたが、僕も絵が好きで写生大会でもよく入賞していましたが、小学6年の時、読書週間のポスターで県知事賞を貰いました。そんなこともあり、高校の頃は、建築の方に行きたいと思っていたのです。

 東大の理科一類に受かり駒場寮に入りました。中学3年間はサッカー部で3年の時に県大会で優勝したこともあったので、サッカー部に入りました。練習は確か週3日、駒場から本郷の御殿下グランドに通いました。また、田んぼの中の田舎から東京へ出てきて、すべてが珍しい、あちこち歩き回っていました。そして、駒場寮というのは、いろんな猛者が集まる所だったので、しょっちゅうコンパをやったり、飲みに出かけたり、徹夜マージャンなどをやっていました。正直言って、授業にはあまり出ず、成績は芳しいものではありませんでした。東大は、2年生の半ばで、進学先を振り分けますが、前年まではそんなに成績が良よくなくても行けたのですが、高度成長期の急激な建築ブームで、建築が工学系のトップクラスに上がり、僕の成績ではとても無理でした。いまさら物理や化学というのもやる気がなかったので、建築に似たような土木に行こうと、それくらいの軽い気持ちからだったのです(笑)

高橋先生をカッコよく感じた

中野: 高橋先生のインタビューの時、講義でお話をされる際には難しい話をしても学生は聞いてくれないから落語のように話すと良いとおっしゃっていましたが…。実際どうだったのでしょうか。

虫明: 3年になって高橋先生の河川工学の講義を受けました。数式などの話はほとんどなく、古市公威、沖野忠雄、青山士、デレーケなどお雇い外国人の話、また当時、先生は筑後川の下筌ダム裁判の原告側の鑑定人をやっておられて、裁判にまつわる話など、河川と技術者や人との係わりについて、社会批判や行政批判を含めて面白く話されました。土木工学科で土木の歴史や河川と社会とのかかわりなど、人文社会的な講義はほとんどなかったので、大変新鮮に、またカッコよく感じて、卒論、そして大学院も先生の研究室に進みました。こちらも若かったので後で思い返せば、上手く感化されたというか…。僕の進路に大きな影響を受けたのは確かです。(笑)

 大学院で修士、博士課程まで進んだのは、自分でもはっきりとした志があったのかどうか、よく解らないまま進んだのではないかと思います。今の学生がよく就職の猶予のため、モラトリアムでなんて言うけど、僕の場合もそんな感じだったかもしれませんね。

中野: つまり河川研究へ進まれたのは、建築に行こうとして途中から土木になったからという訳ですか。

虫明: 卒論の頃から、テーマとして水文学をやろうと思っていました。これは、水の循環を扱う学問で、現在では、流域規模から地球規模まで治水、利水、水環境を考える上で基礎的な情報を与える重要な分野に発展していますが、当時は、記述的、概念的、経験的な部分が多かったので、水理学の先生からは「みずぶんがく」なんて言われてちょっと馬鹿にされていた存在でした。(笑)

 修論は、土木研究所で初めて水文研究室を開いた竹内俊雄先生の指導を受けて、融雪流出解析をやりましたが、博士課程に進んでからは、流出解析で世界的にも有名なタンクモデルを考案された菅原正巳先生に憧れて、流出解析をさらに深めようと思っていました。

 僕は博士課程に入った昭和42年の7月にポストが空いたので、中退して、工学部の教務職員(助手の前のポスト)として高橋先生の研究室に就職しました。水文学は記述的で文学的だと言われることが頭に来ていたので実験的手法を取り入れた実験水文学を始めようと考えて、人工降雨装置を設計し発注していたのですが、その装置が納入され実験を始めようとしていた時、昭和43年に全共闘運動、学生運動が激しくなり、11月には土木のある工学部一号館が封鎖されてしまいました。実験装置は、結構高価な銅や真鍮でできていましたが、翌年封鎖が解除された時には、その装置は無くなっていた。運動の資金源になったのか、その辺はよく分かりませんが、とにかくどこにも見当たらなかった。無くなったことが、僕にとっては良かったのではないかと、今では思っています。

 当時、高橋研究室では、後に関東学院に行かれた宮村忠さんが研究生として、新潟大学へ行かれた大熊孝さんが修士の大学院生として一緒でした。封鎖中に、宮村さんから東京農大の小出博先生を紹介され、先生が委託された信濃川下流部の調査に同行しました。現地を見ながら、小出先生が発する議論が、僕にはちんぷんかんぷんで、まるっきり分かりません。なぜこの川はここで曲がっているのか、なぜここに水路があるのか、なぜここに集落があるのか、それまで考えたこともないような質問が次々飛んできます。また、その時の調査法というのは、土地利用別に色塗りした5万分の1の地図をもって現地を見る、もちろんお役所から資料や説明は受けますが、土地改良区の古老からいろいろ話を聞くというものでした。新潟平野の水利用や水害は、それに苦労してきた農民が一番よく知っているからだ、というわけです。こうした調査法も初めての経験で、この調査旅行は、僕にとって大きなカルチャーショックでした。

 小出先生はもともと地質学者なんですが、日本の地滑り研究の大家であるとともに、われわれが出会った晩年は河川の研究に専念しておられました。流域の地形・地質学的特徴と土地利用や災害や河川開発との関係を歴史的に体系付けるという視点で、当時は「日本の河川‐自然史と社会史」、「日本の河川研究‐地域性と個別性」、「日本の国土‐自然と開発」(いずれも東大出版会)の三部作を順次纏め始めておられる頃でした。信濃川調査の後も、度々河川視察に連れて行ってもらい、川と流域、それらと人間との関係の見方を教わり、実際の川を知ることの大切さと面白さを知らされました。そうした中で、実験水文学をやる気は失せてしまいました。


日本全国の川を歩いて調査

中野: あちこち河川の現場も見て回られたのですか。

虫明: 高橋先生が資源調査会に関係しておられて、宮村さんとともに資源調査会の専門委員にしていただきました。そこから現地調査の旅費が出たというのがいろんな川に行けた大きな理由です。資源調査会というのは、GHQ時代に経済安定本部というのがあり、GHQが大蔵省の政策に対して助言を与えるような立場として作らせたものだと聞いています。資源調査会には高橋裕先生、小出博先生、新沢嘉芽統先生、菅原正巳先生、それから国土開発史の栗原東洋先生もいらして、どちらかというと体制には批判的な人が多く集まっていたようです。

中野: その資源調査会で、いろんな河川の調査をされたのですか。

虫明: ええ、川はたくさん見て歩きました。昭和46年から約3年かけて宮村さんと一緒に全国の一級河川のほとんどを見て歩きました。また、水害があると現地調査をして報告書を書くことをやっていました。このころは年に3カ月以上、河川視察のための国内出張で出かけていた。小出流の川の見方を我々なりに具体化するのが、目的だったと思います。その見方の基本は、河川とその流域の自然史は主に流域の地質と地質構造によって決まる、つまり、山地の地滑りや土石流、平野の微地形の特徴は地質と地質構造によって異なるというものです。そして、そうした自然史を与えられた条件として、河川の利用、流域の土地利用や水害などの社会史があるという見方です。川には個性があるとよく言われます。実際同じ川は全くありません。その個性が何によってできているか、また、共通の特性とはなにかについて、この間に私なりに川を見る目ができたと思っています。

 大学が封鎖されたのが、河川の現場研究のきっかけと言いましたが、それには別の意味があって、当時の僕らにとって全共闘運動は、今までの価値観を否定するような、いわば文化大革命だった訳です。スローガンとして、「造反有理」、叛乱を起こすにも合理的な意味があるとか、「原点に帰れ」とかが掲げられていましたが、そういう考え方の影響を受けたのは事実です。

 それともう一つ、学者は象牙の塔の中に閉じこもっているという「タコ壺」批判もありました。現実をちゃんと見て研究するというのが必要だという訳で、河川研究は現地から始めるべきということで、小出先生を中心に宮村さんたちと「利根川研究会」を作りました。

利根川研究会の目的は…

中野: なるほど、利根川研究になって、そこから八ツ場ダム問題へとつながっていくのですね。

虫明: この利根川研究会は、東大の河川研究室だけじゃなく、農学部の農業工学科、小出先生の東京農大、C川先生の早稲田大、西谷先生の法政大などの教職員や学生が参加していました。
 なぜ利根川か。それには、小出河川学から二つの意味付けがありました。

 一つは、自然史的に見て、利根川流域は日本の地質構造のすべての要素を含んでいるので、これを研究すれば、日本の川のほとんどの自然特性が理解できるということ。少し専門的になりますが、日本の地質構造というのは、フォッサマグナを境にして西南日本と東北日本に、中央構造線の南側と北側で外帯(がいたい)と内帯(ないたい)に大きく区分されます。だいたい東北日本で火山が多く分布する新しい地質、西南日本の方が花崗岩や中古生層でできた古い地質、西南日本の外帯は変成岩を含む中古生層でできています。こうした地質あるいは地質構造は、山地の地形、土砂流出、河相、平野の微地形などと密接な関係を持っていますが、二つの地質構造線が交わる利根川流域では、すべての地質要素を持っているということです。

 二つ目は、社会史的な視点で、特に、江戸時代に利根川を銚子へ向けて付け替えた目的とそれが流域のその後の水害や水利用に与えた影響を明らかにしようということです。なぜ徳川家康は、分派して東京湾に流れていた利根川を一本にまとめて、人工的に銚子まで繋なぎ、治水上難しい川にしてしまったか、というのも利根川研究の大きなテーマとしてあったわけです。


中野: なぜ家康は当時としてはとてつもない規模の工事をしてまで利根川の流れを変えたのでしょうか?

虫明: 当時建設省河川局では、徳川家康による利根川東遷事業の目的は、関東平野の洪水を太平洋に分派して水害を軽減し、新田開発を進めるのが主な目的であったと説明していました。しかし、開削された水路は洪水を流すにはあまりにも狭いものでした。小出先生と利根川河川研究会の結論は、江戸を中心とする舟運、つまり運輸・交通体系を作る目的であったということです。自動車や鉄道がない当時は、舟が最も効率的な物資の輸送手段で、舟の喫水が得られるように分派した川の流量をまとめ、関東平野の物資を江戸に集めるとともに、東北地方の物資を房総沖の難所を避けて運ぶために銚子に繋いだという訳です。


中野: 利根川研究会はいつまで続いたのですか。

虫明: 利根川研究を全国の川の研究に繋げようということで、利根川研究会を発展的に解消し、昭和48年に「日本河川開発調査会」というのを安芸皎一先生に会長になってもらい始めていました。これを主導したのは、宮村さんですが、当初は、有力な相談相手であった栗原東洋先生の考えで、日本の河川の開発の歴史を纏めておくことが大切なので、「日本河川開発史調査会」とするというのが、原案だった。しかし、設立発起人になっていただいた山本三郎さんが、「歴史は重要だが、歴史だけでは視野が狭すぎる。<史>を取って「日本河川開発調査会」にしたほうがよいのではないか」と提案され、その名前になりました。

 私自身は、生産技術研究所に移って、研究費が取れ論文が書ける大学院生の研究テーマを作る必要があったので、都市化による水循環の変化とそれに対応するための雨水浸透技術な開発、物理的水循環モデルの開発、衛星リモセンによる土壌水分情報の抽出、モンスーンアジアの水文・水資源特性の比較など研究テーマを変えていき、調査会の活動とは疎遠になっていきました。が、今でも宮村さんが会長となって、毎年、利根川研修旅行を続けるとともに、河川の歴史・文化研究を続けています。

人間の川に対する活動から川の特性を見る

中野: 川を見て回るというのは、人との関わりも含めて見て回ることで、そうすればもっとよく川が解るということなんですね。

虫明: 河川工学の人のほとんどは、川の中の水や土砂の流れ、それと堤防やダムなどの構造物との関係から川を見ている。一方、水文学は、水循環の場である流域から川を見る、そして川が流域の社会にどう影響するか、あるいは逆に流域社会が川にどういう影響を及ぼすかという視点で見るところに大きな違いがあります。

 僕の学位論文のテーマは小出先生からいただいたのですが、山地河川の雨が降らない時の安定した流量の大小を支配しているのは何かということです。言い換えれば、川の水資源的な特性を決める自然要因は何かというテーマです。それをはっきりさせるには、山間部でかなり密度の高い流量の観測データが必要です。しかし、山間部で水力開発のための流量観測点が明治の終わり頃からあるものの、分析に必要な十分なデータは得られません。一方、明治から昭和初期にかけて貯留・調整施設を持たない流れ込み発電所が数多く作られました。この発電所の使用水量は、安定した電力供給のために、雨が降らなくても安定して流れる流量を基準にしています。この使用水量を、流量観測所データの不足を補うデータとして利用すれば、かなり小さい流域に至るまでデータが得られます。人間活動が自然を知るトレーサーになるという好例です。
 流れ込み式発電所は、流量と落差の面で有利なところに見事に立地しています。

中野: 発電所は、作りやすい所にダムを造るのではなく、ダムに適した所を探すということですか。

虫明: ここで対象としているのは、ダムのような貯留施設を持たず、堰で自然の流量を取水して発電する流れ込み式発電所というものです。ダム式発電が登場する以前に日本のエネルギー供給を支えてきたものです。こうした発電所では、安定した流量つまり渇水期の流量が大きいことと落差が取れることが、立地の重要な要件になります。流れ込み式の発電所の分布をみると、火山地帯、花こう岩真砂の山地、破砕地帯山地に集中的に開発されているのがわかります。

 学位論文では、「山間部の流量観測データを流れ込み発電所の常時使用水量データで補うことによって、気候条件、つまり雨や雪の降り方が似た条件の地域での渇水期流量の多少は、流域の地質によって異なる。具体的には、渇水期流量は、第四紀火山岩類流域で最も大きく、花崗岩類流域と第三紀火山岩流域がこれに次ぎ、中世層流域、古生層流域の順で少ない。ただし、中・古生層の破砕帯流域では流量の多いところがある。」ということを明らかにしました。

 「緑のダム」でいわれる森林の効果が気になるところですが、学位論文を纏め始めている頃、森林水文学の中野秀章博士が、全国の林業試験場・森林理水試験地の長年の観測データを分析して、森林伐採をしたほうが、雨が降らない時期の河川流量が増える、つまり、森林の水源涵養機能という概念とは異なる結果を報告しておられた。以前から、それに類する議論はこれまでもあったが、森林水文学の大家が、長年の観測データの科学的分析から、これまでの林野行政の主張に反する結論を出されたことに、敬意を感じました。森林は枝や葉っぱが雨をトラップしてこれは大地に達することなく蒸発する、また木の葉っぱは吸い上げた水分を蒸散作用によって大気に放出することによって水を消費するという水循環のプロセスから考えて、これは極めて妥当な結論です。学位論文の段階では、森林の効果については、中野博士の成果を引用するに止めています。


利根川については、くまなく歩いた

中野: 利根川の川上から川下まで、宮村さんや大熊さんと三人で利根川の実地研究、フィールドワークをされたんですね。



虫明: 僕がこの前「正論11月号」に書いた論評の原点は、利根川研究会以来の現地調査に基づく研究にあります。上流水源地帯から中・下流の平野まで三人一緒、初めの頃は小出先生が同行されましたが、3万円で買った私のポンコツの車でしょっちゅう出かけていました。しかし、研究テーマは、それぞれ違っていました。宮村さんは“江戸時代以前から今日まで利根川の治水体系がどのように作られてきたか”をテーマに、大熊さんは“天明3年の浅間山大噴火がその後の利根川にどのような影響を与えたか”をテーマに、そして、僕は“利根川水源山地の渇水期流量がどんな要因によって決まっているか”という、先に述べた学位論文に繋がったテーマを扱っていました。テーマは違っても、現地調査に一緒に行くことが多く、お互いの研究内容についてはよく議論し、理解し合っていたと思います。それぞれの研究成果は、アーバンクボタ19号、利根川特集、昭和56年4月に発表しています。
 正論の前段に書いた利根川治水の難しさを作った二つの要因、つまり、江戸時代の東遷事業と中条堤上流の遊水機能の廃止の下りは、アーバンクボタの宮村論文の要点を引用したものです。

高橋先生には、迷惑をかけた

中野: 話は変わりますが、高橋先生から伺いましたが、当時河川行政に関わる方々から、批難を受けたというお話しもありましたが。

虫明: 高橋先生にどんなクレームがついたか、具体的にはわかりませが、河川研究室の若い三人が勝手なことをし、勝手なことを言っているという風に受け取られていたと思います。

 一つ思い当たるのは、昭和55年の利根川の流量改定の時に、三人で河川局に説明を求めに行ったことがあります。河川局では、カスリーン台風の後昭和24年にダムを含む改修計画をたてた頃から、30年以上が経って、流域開発も進んだということで、基本高水と改修計画の改訂をやりました。その中で基本高水を17000m3/sから22000m3/sに上げましたが、これは過大ではないかという点、そしてもう一つ、利根川下流への負担を減らすために江戸川への分派量をもっと増やすべきではないかという点について、質問というか物申しに行きました。当時の心境はどうだったか、思い出せませんが、我々も利根川について地道な研究をしているという自負がそうさせたのだろうと思います。相手をしてくれた河川局の人は、いずれも東大同窓の人でしたが、河川局がチャンとした調査と解析で決めたことに部外者が何を言うかという態度で、噛み合う議論にはなりませんでした。



中野: とすると、高橋ゼミの三人でやったということですね。世間ではきっと高橋先生のお考えだろうと思われてしまったという事でしょうね。

虫明: 高橋先生は、お忙しくて利根川研究会にも出て来られなかった。先生ご自身も、下筌ダムの裁判で原告側の鑑定人になったり、河川行政に批判的な言動を取っておられたので、おっしゃる通り、世間では先生がやらせていると思われていたかもしれません。先生は、温厚な性格なので、ああしろ、こうしろとは一切おっしゃいませんでしたが、僕らのことを困ったものだと思っておられたでしょう。(笑)

 一時、我々の名前はブラックリストに載っているぞと言われたことがありました。僕らは長良川河口堰問題の頃には危険人物だと思われていたようです。当時は河川局も、国民の生命財産は我々が守るというような、高い志のもとに仕事をしていた訳で、そういう意気込みというか、そういう風潮もあったのかも知れません。
中野: 河川局も最近はだいぶ変わったのでは。

虫明: 確かにここ20年くらいの間に、大変な様変わりをしました。特に、平成7年の河川法の大改定以降、環境問題も視野に入ってきてガラッと変わりました。昔は、河川事務所に案内をしてもらうと、河川の話しかしませんでしたが、今では、鳥や魚や希少植物の話、遺跡や文化、地域との連携の話など、非常に広がりを持っています。まさに、地域のための川づくりという方向で進んでいると実感します。
 ダム反対運動なども、昔の強権的な対応への怨念やしこりを引きずっていると思います。

利根川治水への見方が変わった

中野: 利根川の治水の問題は、昔は江戸の八百八町を、今では東京の繁栄を守るというねらいがある。それだけに本当に難しいもので、ちゃんと守らなくてはいけないんですね。

虫明: 昭和55年改訂の話に戻りますが、基本高水が過大であるという点は、八ツ場ダム反対派が現在も指摘していることです。大熊さんは、今でもその立場を変えていません。
 では、僕が今、どういう見解になっているかということですが、利根川上流・江戸川筋の洪水氾濫区域では、カスリーン台風の水害後、浸水区域内人口が4倍、想定被害額が4,900倍に増えています。その治水上の安全度を確保するためには、基本高水は決して過大ではない、むしろ1,000年に一度の洪水にも耐える計画を目指すべきだと考えています。また、人口資産が密集する江戸川筋を守ることを考えると、江戸川への分派量を抑えるのはやむを得ない選択だと思っています。

中野: なぜ見解が変わったのですか。

虫明: 利根川研究会の頃は、川と流域の理解を深めようという、いわば学問的な立場でした。ここ約10年の間、社会資本整備審議会委員として河川分科会の河川基本方針検討小委員会で、各川の治水計画はいかにあるべきかということに焦点を絞って川を見て、委員会の議論に参加してきましたが、若い頃川を見て歩いた視点と、住民の生命と財産を守るという治水当事者としての視点とでは、一段レベルが違うと痛感しました。研究者の立場からは自由な評論ができますが、当事者は責任を伴う選択をしなければならないという大きな違いがあるということです。

治水・利水計画にかかわった研究者として、きちんと言っておきたいという思い

中野: 「正論」誌で、「八ツ場ダムは本当に無駄なのか −治水と水資源の観点から考える」と題した論評を書かれましたね。インパクトが大きかったと思いますが、どういう動機でお書きになったのですか。

虫明: これまで、長年、政府の審議会に関係し、当事者意識を持って、治水計画や水資源計画の討議に参加してきました。この間に、利根川の治水・利水についてもかなり勉強し、その背景や現状と課題を理解しているつもりです。専門的な立場から見て、八ツ場ダム中止という政治決定は、極めて理不尽だと感じました。OBを含めて行政関係者が政権に批判めいた公言ができない中、研究者として科学技術的立場から発言する責務があるとの思いに駆られました。

中野: 具体的にどんな審議会に関わってこられたのですか。

虫明: 約10年河川分科会の委員として、河川整備基本方針の議論に加わってきました。基本方針検討小委員会では、近藤徹さんが委員長として会議をリードされましたが、本当に自由闊達な議論がなされました。問題がある川では、反対派から質問書や意見書が出されましたが、委員長は事務局に資料を整えさせ、意見に対する解答を出して応えましたし、事務局案を差し戻したことも度々あります。審議会というのは、多くの場合、事務局が出した原案を多少の質疑をして承認することが多いと思われていますが、河川分科会では、いわば何でもありで、河川管理や治水の本質論ができたと思っています。河川以外の分野の委員もこの会議は面白いと楽しんでいた雰囲気がありました。川辺川ダムのある球磨川は確か11回、利根川は5,6回審議したと思います。

中野: 水資源の関係では、いかがですか。

虫明: 同じく約10年の間、国土審議会の委員として水資源開発分科会で、利根川・荒川水系、豊川水系、木曽川水系、淀川水系、吉野川水系、筑後川水系の水資源開発基本計画の策定に参加してきました。ここでも、研究者の立場から自由な意見や注文を付けましたが、直近の基本計画の変更では、分科会長を務め、当事者意識を持って検討に当たったつもりです。

 そして、水資源部は、この開発基本計画の変更が最後である、水資源開発から水資源管理へ方向転換すべきとの認識のもとに、水量と水質を一体化した流域総合水管理へ向けての中間とりまとめを出そうとしていました。しかし、新政権に代わって、この動きは頓挫しているのは大変残念です。

町内会でも大学院生でも、反応は乏しい

中野: 私も読ませて頂きましたが、皆さんお立場的にはあまり言われないことが多いのに、あの論文はズバリと言っておられて衝撃的でした。それから、土木学会のトークサロンでもお話しされておられますが、反響はどうでしたか。

虫明: 土木学会の前に、町内会で、話しました。僕が住んでいるところは流山で15年ほど前にできた新しい住宅団地ですが、町内会がいろいろな催しを通じてコミュニティ意識を作るために熱心な活動をしています。論評を書きあげた頃ですが、町内会長さんから、「あなたは水の専門家と聞いているが、何か身近な水問題を町内会で話してもらえないか」という話がありました。僕は、何を話すか、迷ったのですが、丁度利根川と八ツ場ダム問題を書いた直後で、マスコミにも盛んに八ツ場ダムが取り上げられて、無駄な公共事業、無駄なダムという論調で報道されていたので、治水や利水の問題を正しく理解してもらう良い機会だと思い、この問題を話すことにしました。ただ、正論では、地名や専門用語が多くて、利根川についての土地勘や専門知識がなければわかりませんので、書いた内容を80枚くらいの絵入りのパワーポイントにして、できるだけ分かりやすくすることに努めました。


中野: 反応はどうでしたか。

虫明: 町内会で日曜日の午後1時から2時間ほど話をしたのですが、聞きにこられたのは、会社を定年退職されたシニアの方たちと奥様方が大部分でした。50人ほどです。初めの利根川の東遷事業からの歴史や近くにある利根運河の話までは、皆さんかなり興味をもって聞かれていたようですが、それ以降の度重なる水害、カスリーン台風の話や治水対策の話、そして首都圏の水資源開発の現状や水不足の話に入ると、もうほとんどの人が関心がないようでした。後で家内から聞きましたが、隣に座っていた奥さんは、「そろそろ洗濯物を入れなきゃ」とそわそわしていたそうです。数人の会社役員を経験された方々から、「これは危機管理の話だね」とか「非常時の備えは大切だ」などの感想を貰ったのが救いでしたが、治水対策や水資源対策の話は、一般の人には、全く身近な問題ではない、関心を持ってもらうこが極めて難しいことを肌で感じました。

中野: 自分たちの身に直接関わりがないから、あまり関心がないのでしょうね。

虫明: それからもうひとつ、法政大学の大学院で客員教授をやっているのですが、大学院の1、2年生に「正論」誌が出版された11月初めに3日間の集中講義をやることになっていました。ここでは、土木のことをやっている大学院生だから一般的なことは十分知っているはずなのに、「八ツ場ダムのことをどう考えるか?」と聞いたら、ほとんど関心がない。関心がないというより、ダムはムダ、もっと福祉に回せというようなマスコミの受け売り、世間の風潮そのままなんですよ。ここではシラバスに書いた講義内容をこなさなければならないため、八ツ場ダム問題を詳しい説明する時間が取れない。まずは「正論」誌を読んでもらって、感想を聞くことにしました。

中野: 出てきた感想は、いかがでしたか。

虫明: そうですね。論評を読ませても学生はピンとこないというか、水害や水飢饉の異常事態に対してはほとんど関心をもっていないことが分かりました。大学では、そういったことを教えていないのか、教えていたとしても、学生にとっては実感がもてないのだと思います。そこでショックを受けて最後の講義で、パワーポイントを使って詳しく説明し、こちらから質問し、学生から質問を受けました。後でよく理解できましたという反応はありましたが、いずれにせよ、土木の授業を取っている大学院生でさえ、治水・利水の異常時対策に問題意識を持っていない、ほとんど関心がないというのに驚きました。

 大学の同窓会でも、公共事業より年金のほうが大切だという同級生もいて、災害に対しての危機感を受け入れてくれるのは少数派でした。この間のチリ地震の時も、津波警報を聞いて実際に避難したのはたった3%だったそうです。危機管理に無関心、平和ボケです。こうした風潮の中で、ダムはムダ、公共事業はムダという世論が風靡しているのは、本当に困ったことです。

中野: 土木学会のトークサロンはどうでしたか。

虫明: ほとんどが土木学会会員で、八ツ場ダムの必要性を考えておられる方々が参加されたので、時間を超過しても熱心に聞いていただき、大変気持ちよく喋れました。古木専務からは、八ツ場ダム問題を系統的によく整理していただいたと褒めてもらいました。絵入りの資料が土木学会のホームページにありますので、興味がある方はご覧下さい。

群馬県議会、国会での反響について

中野: 八ツ場ダムは中止という話になっていますが、先生は、これまで昨年12月に群馬県議会八ツ場ダム対策特別委員会で、今年3月に国会の衆議院国土交通委員会でお話しされていますが、それぞれ反響はいかがでしたか。

虫明: 群馬県議会では、議会の多数派をダム推進派が占めていることもあって、私の話に対して足らずを補足するような質問が出て、大多数に理解が得られたと思います。反対派の若い議員が、いろいろ通説を並べてダム不要論を述べられました。聞いているうちに、イライラしてきて、もっと勉強してくださいなどと言ってしまいましたが、通説を言うだけで、ダムに代わる具体的な代替案の話は全くありませんでした。

中野: 国会はどうでしたか。

虫明: 国会の意見陳述では、15分という短い陳述時間で、実際は26分喋らせていただいて有難かったのですが、予め決められた五つの党の議員からの質問に答えるが、質問がないのに発言はできないことになっています。意見陳述をする参考人は、川原湯温泉旅館組合長の豊田さん、水資源開発問題全国連絡会の嶋津さん、東洋大の松浦さん、京都大の奥西さんと私の5名でした。私に対しては、平成10年洪水と基本高水規模の出水時の八ツ場ダムの洪水調節効果、昭和55年計画改訂の基本高水の評価、江戸川区のスーパー堤防の意義、地球温暖化と治水適応策、それに緑のダムについて質問があった。それらに対しては、私なりの見解を答えることができたと思っていますが、反対派の嶋津さんに特に質問が集中し、いろいろ反対の理由を述べる機会が多く、直接反論できないのをもどかしく思いながら、聞いていました。賛成の党からも強力な推進論に繋がる議論はあまり出ず、公共事業たたき、ダムたたきの方が票になると思っておられる議員さんに治水・利水の科学技術論をご理解いただくのは大変なことだと痛感しました。

水害の恐ろしさを伝えることの大切さ

中野: ダムはムダという、イメージ付けの部分だけがクローズアップされて、肝心な事はあまり知らされていないんですね。

虫明: 日本では、水害や水不足など、滅多に起こらない異常な現象について、極めて関心が低いのが問題だと思います。ダムなどの水インフラの整備が進んで、災害にあう頻度が減ったのが原因ですが、現在の施設能力を超える洪水や渇水は必ず起こるのですから、そうした異常現象の恐ろしさを伝えることがまずもって大切です。

中野: 外国ではどうなのでしょうか。

虫明: 6月にフランスに旅行したときの話ですが、パリから西へ約70km離れたセーヌ川沿いのジベルニーという村に水蓮で有名な画家モネのアトリエがあります。彼は日本びいきで沢山の浮世絵のコレクションもそこに展示されています。アトリエの前にいろんな花を植えた大きな庭園があり、その庭園からを一段下がったところに、水蓮が浮かぶ池が造られていて、池の周囲には日本から取り寄せられたという真竹が配されています。その池の水はセーヌ川の支川からひいたものです。その池が、1910年のセーヌ川大洪水で約2カ月間浸かったままになったと、フランス人ガイドが説明していました。

 1910年は明治43年ですが、この年は日本でも大水害が起きた年です。特に、利根川の中条堤防などが切れて、濁流が東京まで流れてきた年です。荒川も破堤氾濫し、東京は大水害に見舞われました。

中野: 大水害が、同じ年におこったのですね。

虫明: 今年はそれから100年目に当たります。この時のパリの水害とそれまでのパリとセーヌ川の水害の経緯を克明に調べて、「パリが沈んだ日」(白水社、2009年)という本を佐川美加さんが書いておられます。ここでは、内容には、触れませんが、面白いので是非一読を勧めます。ここで言いたいのは、パリでは、100年目を記念して、当時の写真や状況などを展示する催しが、数カ月にわたって行われ、多くの市民が詰めかけたということです。観光ガイドが、外国の観光客に100年前の洪水を紹介するまで、一般の人の関心を引いているのに驚きました。日本でも、過去の水害とその恐ろしさをもっと一般の人に伝える努力をしなければ、と強く感じました。

中野: 日本では、今や災害が起こらなくて当たり前と思われている感じがします。最近はゲリラ豪雨とかが心配だということがありますけど、あまり危機と隣り合わせという感覚はない。フランスも地理と歴史の教育は、小学生の頃からちゃんと教えていると言いますね。学生に土木を教える中で大切なポイントは何でしょうか。

虫明: 学生に土木を教えるという以前に、なぜ日本では地理教育が貧弱かというのを考えるべきです。高校の地理の教科書を見ると、盛り沢山にいろんなことが載せられているのですが、地球温暖化や環境問題をチャンと説明しているものは稀です。また、水循環や水害や水資源などについて説明している教科書はほとんどありません。もっと、我々の身近な地理に関わる問題をもっと入れなければ、と思います。

中野: そうはいっても、地理の教科書が改善されるのを待ってはいられないのでは。

虫明: 僕のいる河川環境管理財団では、川や水に関わる環境学習の環境教育の教材を作る支援をしたり、川を学習させるインストラクターを養成する講習会や安全に川遊びする体験活動などに力を入れています。また、水害の恐ろしさを伝承する教材の作成にも取り掛かっていると聞いています。おっしゃる通り、地理の教科書がよくなるのを待ってはいられませんから、我々自らが、子供の教育に関与してゆくことが大切でしょう。気長な話ですが、次の世代に我々の仕事を理解してもらうには、大切な活動です。

なぜ日本で「緑のダム」説が出てくるのか

中野: 「緑のダム」の話を少し詳しく聞かせてください。昔から、「緑のダム」というような概念はあったのでしょうか。

虫明: 古くから、「治山治水」という言葉があります。山の森林を健全にすることが、水を安定させるという意味です。岡山藩に仕えた儒学者・熊沢蕃山は、山林の伐採禁止の法令を定め、治山治水を唱えた元祖だといわれています。ここで、「治水:水を安定させる」としていますが、水の量を安定させるといいう意味ではありません。岡山周辺の山地は、花崗岩の真砂(マサ)でできていて、森林を伐採すると植生が回復し難いという特徴を持っていますので、雨によって土砂流出が激しくなり、下流河川の河床が上がって、洪水の氾濫を激しくさせます。また、川からの取水を難しくします。当時、岡山藩では森林伐採による水田や畑地の開発等が盛んで実害が出ていたようですが、蕃山は山地での農地開発を強く戒めています。治山治水の始まりは、花崗岩真砂地帯の土砂流出防止だったのです。

 その後それが全国に普及し、意味も「山を治めれば、水も治まる」という風に拡大解釈されて、明治以降、林野行政のなかで森林の水源涵養機能、洪水流出抑制機能という概念に結びついたのだろうと考えています。
 緑のダムは、その延長線上にあると思います。

「緑のダム」はダムの代替案にはならない

中野: 森林の水源涵養機能については過去にどんな議論があったのでしょうか。

虫明: 森林の水源涵養機能の正否については、昭和9年に岡山県の林業技師・山本徳三郎と農林省林業試験場の平田徳太郎との間でこの分野では有名な論争がありました。岡山県では、花崗岩真砂のはげ山からの土砂流出抑制対策として大正年代から赤松の植林を進めてきたのですが、これが生育すると、溜池に水が溜まらなくなった。山本技師は、この原因が植林にあるとして、森林の水源涵養機能はない、赤松林は伐採すべきと主張。しかし、平田はその説を否定した。当時はしっかりとした測定データもなかったからでしょう、その論争には決着は付かなかった。それを明らかにするため、岡山市郊外に竜の口山森林理水試験地が設けられたと言われています。

中野: 最近ではどうなっているのでしょう。

虫明: 前にも紹介しましたが、それから40年近く経って、中野秀章博士が、全国の森林理水試験地で蓄積された観測データを分析して、森林を伐採した方が雨が降らない時期の流量が増えるという、山本説を裏付ける結果を出したわけです。

 その後、塚本良則先生を編著者として、太田猛彦さん、鈴木雅一さん達が、平成4年に「森林水文学(文永堂出版)」を出版され、その中で、測定データと理論的解析によって系統的に、森林は水を消失させるので、森林流域は森林がない流域よりも渇水期流量が少なくなると結論付けています。
科学的には、もう20年近く前に決着しているのに、未だに「緑のダム」という迷信が、繰り返し主張され、マスコミなどでは常識のように報道されます。

中野: それはどうしてなのでしょうか。

虫明: 鬱蒼とした森林の中は、地面にも空気にも湿り気があって、直観的に水を貯えるというイメージに結びつくのかもしれません。

中野: 洪水についてはどうですか。

虫明: 森林理水試験地では、洪水も観測しています。観測できる範囲、つまり中小の洪水では、森林がある方が、流量が少なくなる。つまり、洪水流出抑制効果があることが明らかになっています。

中野: 観測できる範囲、中小洪水とは、どんなことですか。

虫明: 試験地では、山間の渓谷のようなところに堰を設けて流量を測っています。その堰が壊れずに流量が観測できることをここでは観測できる範囲と言っているのです。河川の治水計画の対象となる、50年に一回、100年に一回、200年に一回といった異常な豪雨の時は、山崩れや土石流が起こり、大量の土砂や礫、場所によっては岩塊が流れてきます。倒れた樹木も流れてきます。そうした異常洪水の場合には、堰などの観測施設が壊れたり、堰が土砂や流木で埋まって流量が測れなくなります。平野部でもそうですが、山間部の河川で、洪水流量を測るのは非常に難しいのです。

中野: 森林の効果を見るための基礎となる流量が測れないのでは、どのようにして異常洪水に対する効果を判断するのですか。

虫明: 森林を形作っている三つの要素、つまり、樹木そのもの、土壌、そしてその下にある母岩、これらの三要素の中で、雨が次第に多くなってゆく時、どんなことが起こっているか、水文学的に言うと、森林斜面の水循環過程を追跡することによって、豪雨時の効果を知ることができます。

 言葉で話してもイメージがわかないと思いますので、「異常豪雨に対する森林の効果」の図を見ながら聞いてください。

【図1、図2】
 降り始めの雨は、葉っぱや枝に付着し地面に到達しません。これを樹冠遮断と言っています。その量は、木の種類によって違いますが、最大1〜3mmです。言い換えると、1〜3mmが樹冠で雨を貯留できる最大量だということです。



【図3】
 雨が降り続くと地面に達して、腐葉土のようなフカフカした土壌中に浸透して行きます。表層の土壌には、非常に水が浸み込みやすく、一時間当たり300mm程度の雨を浸み込ませます。ですから、降り始めの雨は、ほとんど地中に浸透します。もし腐葉土状の土壌層の厚さが厚ければ、どんどん雨は浸み込んで、川に水は出てきません。しかし、実際には、そんなに厚くありません。母岩の種類、樹種、気候、森林としての時間的経緯などによって異なりますが、浸透しやすい土壌層の厚さは数cmから数10cmです。


【図4、図5】
 浸透しやすい層の下には、浸み込みにくい土層や岩層があります。雨が降り続く中、土壌中を鉛直に浸透した水は、浸み込みにくい層に達し斜面に沿って横方向に流れ(これを飽和側方流と呼んでいますが)、土壌のない低い所や渓流に流れ出てきます。ここで中小洪水と言っているのは、こうした状況の出水だと考えてください。



【図6、図7】
 さらに雨が降り続くと、土壌層中の流れの深さが深くなり、土壌層から溢れ出て、地表流となって渓谷や川に流出します。この時には、母岩に至るまで飽和状態になっているので、山崩れや土石流、それに伴う流木が発生することがある。これが、治水計画の対象となる異常豪雨の時の出水状況です。



 こうした異常豪雨の場合は、樹木や表層土壌と深層土壌すべてがほとんど飽和状態になっているので、森林とそれが作った森林土壌があるからと言って、洪水流量を抑える効果はありません。つまり、治水面からみても、「緑のダム」は効果がないということです。

中野: なるほどよく分かりました。

政府答弁書で鳩山前総理は、緑のダムを否定

中野: 一般にはほとんど知られていませんが、鳩山前総理は民主党の緑のダム構想を否定しています。政府として緑のダム構想を推進するかという質問趣意書に対して、政府としては答える立場にないと切り捨てていますし、森林涵養機能についても学術会議の答申通りで、大洪水への効果は認められないという内容の政府答弁書が、閣議決定されています。参議院のホームページに公明党の加藤修一参議院議員の質問趣意書に対する答弁書がありました。(第173回国会、参議院、平成21年12月8日付け答弁書)

虫明: ああ、ほんとだ。学術の世界で科学的に認められた定説が、政治の世界に届くのに20年近くかかったということですね。まるで、ガリレオの宗教裁判のようだ。

ダムに頼らない治水法というのは、現実にあるのか

中野: 田中元長野県知事の脱ダム論は実現せず、最後には穴開きダムになってしまった訳ですが、今後ダムに頼らない治水というのを考えていくとすれば、どう考えれば良いのでしょうか。

虫明: 有識者会議では、「“できるだけ”ダムに頼らない治水」に対する答申を求められています。
この“できるだけ”に深い意味があると思います。

 僕は、日本でダムが今までのような勢いで造られて行くような時代はもう去ったと考えています。高度成長期から多くの多目的ダムが作られましたが、それには二つの理由があったと思われます。一つは、急激な水需要に応じて水資源開発の必要があったことです。もう一つは、もともと河川の洪水氾濫原に集中していた人口と資産が戦後ますますその集中度を増す中で、河川の治水安全度を上げなければならなかったことです。この二つの要求が合わさって、治水目的と水資源開発目的とをもつ多目的ダムが、盛んに造られたわけです。ところが状況は変わりました。

中野: どう変わったのでしょうか。

虫明: 水需要の伸び方が下がって、需要と供給のバランスが取れる段階に入ったのです。現に、需要の伸びを想定して計画していた多目的ダムはかなり中止しています。多目的ダムのメリットは、治水と利水が建設費を共同で負担することによって、双方の経済的負担が軽くなるということです。治水単独のダムでは、従来より割高になるので、それを造るインセンティブは下がります。

中野: 治水ダムはできないのでしょうか。

虫明: そんなことはありません。
 洪水処理の方法には、“流す”か“貯めて調節する”しかありません。“流す”方法には、河道を大きくするのと放水路があります。“貯めて調節する”方法には、平野部の遊水地と山間部のダムがあります。河道の拡大と放水路と遊水地は、昔からある古典的な手法ですが、ダムは、主として戦後新たに取り入れられた方法です。これまでの治水も、各河川の整備の状況に応じてこれらを適切に組み合わせてやってきたわけです。

 有識者会議の中間報告では、ダムを含む複数の代替案を作って、経済性や実現可能性などの観点から適切な案を選ぶことになっていますから、治水ダムが採用される可能性は十分あると思います。
 また、この中間報告に照らしてみると、八ツ場ダムを中止する理由を僕には見つけられません。

ダムに頼らないとするなら、流域を含めた総合的な計画が必要

中野: つまりダムに頼らない治水を考えるというのは、いろんな目的や手段、治水や利水を合理的に考え併せてみて、妥当かどうかという視点を常に忘れないことから始めないといけないということですか。

虫明: その通りだと思います。まだ水資源開発が必要な河川水系では、やはりダムが必要です。利根川水系はこれに当たります。一方、治水についてはダムを含めていくつかの代替手段があります。前に挙げた“流す”方法と“貯めて調節する”方法は、河川区域、つまり、法律で河川区域と指定された区域で適用する方法ですが、流域に視野を向ければ、治水手段はさらに広がります。

中野: 具体的にはどんなことですか。

虫明: アイディアとしてはいろいろあると思います。そのひとつは、洪水が溢れても被害が少ない土地利用にして、そこには洪水時に氾濫させるというもの。被害が少ない土地利用とは、水田などの農地を想定しています。機能は遊水地と同じですが、違いは河川区域に指定しないで浸水させるという点です。つまり、土地の買収や地役権の設定をしないで氾濫させるということです。

中野: 人が住んでる土地に氾濫させるのですか?土地所有者がそんなことに納得しますか。

虫明: それだけではもちろん納得を得るのは不可能です。でもいくつかの条件があります。家屋は地盤を嵩上げしたり、高台に移して、浸水しないようにすること。農地の浸水頻度をこれまでより低くする、つまり条件を良くすること。農業被害が出たら補償すること。補償の一部は、感謝の気持ちを込めて下流の受益地が負担すること、などです。要は、これまでよりも居住環境や被災環境を良くし、腐れ地といったような差別感情に繋がらないことが大切です。

中野: それでもなお、実現は相当に難しいと思いますが。

虫明: 確かに難しいでしょう。これまで河川行政は左右岸、上下流を平等に守るというという方針でやってきたので、ある日からこの地域には溢れさせるというと、拒絶反応が起こるでしょう。

 ただ、実は、現在の治水事業にも、浸水を許容させるタイプのものがあります。土地利用一体型水防災事業と呼ばれるものです。狭窄部などで、堤防を造るとその敷地のために守るべき住居や農地を潰さなければならない。それなら何のために堤防を造るか、造る意味がなくなるわけです。そんな場合、住居を嵩上げしたり、集落を輪中堤で囲んだりして、計画洪水に対して浸水しないようにする。一方、農地には、建築基準法の災害危険区域を指定して土地利用の変更を規制する、というものです。災害危険区域の指定は、地元の市町村が定める条例によって行います。ということは、地元の合意がなければできないということです。

中野: どこかに実施例があるのでしょうか。

虫明: 確かな数字は、持ち合わせていませんが、狭窄部を中心に20件近くあると思います。
 それらの中には、狭窄部ではなく、下流の都市の洪水流量を増やさないために中流域でこの方式を適用している事例があります。

 それは青森県を流れる馬淵(まべち)川です。最下流に八戸市があり、下流の約10kmだけが国管理の直轄管理区間で、その上流は県管理区間となっています。下流部の人口・資産が集積する直轄区間は100分の1、農村地帯の県管理区間は10分の1の計画で河川改修が進められています。中流部県区間の南部町と三戸町は2,3年に一度は浸水する水害常襲地帯ですが、ここでの氾濫を止めると下流八戸市の安全度が下がる。そこで、二つの町で浸水する家屋、合計92戸に対しては、宅地の嵩上げあるいは輪中堤で浸水しないようにし、農地は、それぞれの町が定めた条例に基づいて、災害危険区域指定の土地利用規制を受けています。対象となる住民は、度々遭った水害被害から解放されることになり、家屋敷は立派になるので、歓迎しているということです。つまり、農地の土地利用規制を受けてでも、メリットの方が大きいから受け入れているのです。
 どこにでも適用できる事例ではありませんが、流域治水の一つのモデルになると思います。


中野: 利根川流域でこのタイプの方式を適用できるところはありますか。

虫明: ないでしょう。利根川では、すでに水害常襲地帯はありませんから、土地利用規制のデメリットを上回るメリットはなかなか見つかりません。

中野: 土地利用の規制といった手法を治水にもっと適用できないでしょうか。

虫明: 土地に対する私権を重んじる日本では、それは大変難しい。都市河川の総合治水対策の一つの項目に、氾濫するような所は遊水地区として土地利用を規制・誘導する、というのがありました。しかし、これには都市計画サイドからの協力が得られず、規制のための制度的な仕組みができなかったので、実現することはありませんでした。
 人口減少で土地価格の高騰が見込めないこれからは、可能性があると考えられるので、検討課題にはすべきだと思っています。

中野: ダムに頼らない治水といっても本当に難しいですね。

虫明: その通りです。頼らざるを得ない、必要なダムは造らなければなりません。“できるだけ”とついているところが救いです。

八ツ場ダムの代替案はあるのか

中野: 八ツ場ダムの問題に戻ります。まず、ダムの必要性について確認しておきたいと思います。

虫明: 利根川は、明治の改修からカスリーン台風による水害まで、改修計画を立ててはそれを上回る洪水で水害を受けるという繰り返しでした。治水担当者にとって苦悩の河川だったのです。
 他の大河川では、治水に決め手がある。例えば、北上川では北上川放水路、信濃川では大河津分水、木曽川では三川分離、淀川では琵琶湖と新淀川(放水路)、といった具合です。しかし、利根川は難しい川で、これといった決め手がないのです。

 カスリーン後の計画以前は、堤防の整備、中下流の遊水地、つまり、平野部での対策で対応せざるを得なかった。カスリーン後の計画で初めて、山元で洪水を貯留調整できるダムという手段を手に入れたのです。決め手のない利根川では、どうしても堤防の整備、中下流の遊水地、そして上流ダム群をうまく組み合わせてゆくしかないのです。

中野: 水資源から見ての必要性はどうですか。

虫明: 首都圏の水資源開発は、まだ後追いです。需要に供給が追い付いていない。特に、関東平野北部、渡良瀬川合流点周辺では、今でも地下水の過剰くみ上げのために、地盤沈下が進んでいます。栗橋町水準点では最近の25年間で1.4m以上も下がり、未だに沈下のスピードは落ちていません。
これは、利根川の治水、中川、綾瀬川の治水にとっても由々しき問題で、早急に河川水に転換しなければなりません。

 いろいろの議論はあるでしょうが、最大のポイントは、八ツ場ダムの必要性については治水面でも利水面でも、一都五県の議会で承認され、全知事が一致して建設推進に賛成している点です。日本は独裁国家ではないですから、代替案も示さないで、これを中止することはできないでしょう。

中野: もし八ツ場ダムをやめてしまう場合には、ダム建設を予定した地元以外にも、そういう洪水の被害が想定される場所への対策も、きちんと代替案として考えないといけない訳ですね。

虫明: 反対派もいろいろ代案を言っています。問題は、それらが現実的かどうかです。
 例えば、切れない堤防。もちろん堤防を強化し切れないようにすることは大切です。しかし、複雑な沖積地盤の上にあり、地震の影響も受ける、直轄区間延長500km近い堤防を切れないようにすることは、至難の業。技術の面でもコストの面でも現実的に不可能でしょう。

 水資源の点では、当初、民主党議員の何人かがテレビで緑のダムを言っているのを聞きましたが、最近は聞かなくなりました。嶋津さんは、水は余っていると盛んに宣伝していますが、何を根拠にそうした計算をしたのか分かりませんし、水道関係者はそれを認めていません。水利権制度の見直し、地下水に有効利用なども挙げています。僕も、これらはこれからの水資源管理で大変重要な課題だと考えています。しかし、研究課題であって、すぐに八ツ場ダムの代替になるものではありません。


中野: 代替案は、当然のことながら、実現性のあるものでなければならないということですね。そうすると、八ツ場ダム中止の代替案はあるのでしょうか。

虫明: 僕は思いつきません。
 発案から57年の苦難の折衝の上に地元が苦渋の決断をし、着工寸前の段階だった八ツ場ダムを突然中止した意味が、私にはどうしても分かりません。ここまで来たのに、もったいない。これが率直な気持ちです。
 無駄な公共事業スローガンの生贄として取り上げたのなら、とんだ見込み違いだったと思います。

未来を見据えて、粘り強い発信を

中野: 専門家が必要性を言っても、無駄な公共事業というレッテルを貼られて、ダムを初めとする公共事業が悪者にされています。こうした世間の風潮の中で、公共事業に携わる者はどうしたらいいのでしょうか。

虫明: 人口減少、少子高齢化の時代に入って、社会保障の財源を巡っての財政難、今までどおりにはできない、世の中の仕組みや予算の配分を変えなければならない。これは全くその通りだと思います。しかし、どう変えたらよいのか?政治家を含めて誰も明確な方向を示せない。新しい時代に向けて生みの苦しみに入っているのだと思います。政治の混乱は当分続くでしょう。
 これまでの日本は、インフラ整備に投資し、それを基に発展してきた。冷静に考えれば、それは衆目の一致するところだと思います。しかし、これからはそうはいかない、変えなければならない。そこで公共事業を、ダムを悪者にして、変化の起爆とする。そんな風潮だと思います。

中野: しっかりしたインフラが今の我々の生活を支えているのに、いきなり公共事業=ムダのレッテルを貼るのは困ったものですね。

虫明: 社会インフラの維持と整備は、これからも国力と国民生活の基盤であることに変わりはありません。30年先、50年先、100年先を考えると、土木分野でやらなければならないことは山ほどあります。

 水分野に限ると、まず深刻なのが、河川・水資源関連施設、つまり導水路、送水管、給水管、下水道、内水排水施設などの維持・更新の問題です。高度経済成長期から盛んに整備された施設が一斉に更新期を迎えます。これがうまくゆかなければ、我々が築いた文明は崩壊してしまいます。

 顕在化しつつある地球温暖化の影響への対処。特に豪雨の強度と頻度が大きくなることに加えて、海面上昇は徐々にですが、確実に進みます。このまま放置しておくと、戦後の大水害時代のような、あるいは人口・資産は当時に比べはるかに増えていますから、その時代よりはるかに悲惨な状態になるかもしれません。温暖化に対する治水対策は、長期的な展望のもとに、今から着実に進めなければなりません。

 土木界を挙げて、あらゆる機会をとらえて、我々の仕事の大切さを具体的に分かりやすく説明し、一般の人の、そして政治家の意識を変える粘り強い努力をすること、現在の逆風を変えるにはそれしかないと思います。

中野: 将来に向けて課題解決のための大きな道筋を示していただけたと思います。本日は、貴重なお話をありがとうございました。

 


(参考)虫明功臣先生 プロフィール

虫明功臣(Katumi MUSIAKE)
法政大学大学院 客員教授、工学博士
東京大学名誉教授、福島大学名誉教授

*専門分野
水文・水資源工学、特に最近は、流域総合水マネジメント、モンスーンアジア比較水文水資源学

*経歴
1965年3月 東京大学工学部土木工学科卒業
1967年7月 東京大学工学研究科博士(博士後期)課程中退
1967年7月 東京大学工学部教育職教務員
1969年1月 東京大学工学部助手
1974年11月 東京大学生産技術研究所講師
1977年6月 東京大学生産技術研究所助教授
1980年10月 横浜国立大学工学部講師を併任(1987年3月まで)
1985年6月 東京大学生産技術研究所教授(2003年3月任期満了退職)
2001年10月 福島大学行政社会学部教授を併任(2003年3月まで)
2003年4月 福島大学行政社会学部教授
2004年4月 福島大学理工学群共生システム理工学類教授(2009年3月退職)
2009年4月 法政大学大学院工学研究科客員教授
2009年4月 (財)河川環境管理財団総括研究顧問

*社会活動
・国際水資源学会副会長(1995〜1997)
・国土庁水資源審議会専門委員(1987〜2001)
・水文・水資源学会会長(2000〜2001)
・国土交通省社会資本整備審議会委員(2001〜2010)
・内閣府総合科学技術会議専門委員(2001〜2009)
・科学技術振興機構・戦略的創造研究推進事業「水の循環系モデリングと利用システム」
研究総括(2001〜2009)
・国土交通省国土審議会委員(2001〜2009)
・アジア太平洋水文水資源協会事務局長(2002〜2008)
・世界水会議理事(2004〜2006)
・宇宙航空研究開発機構技術参与(2007〜2010)
・(社)日本河川協会会長(2008〜)

*論文
・Hydrology and Water Resources in Monsoon Asia - A Consideration of Necessity to Organize "Asian Association of Hydrology and Water Resources". 水文・水資源学会誌第15巻第4号、pp 428-433(2002.7)
・水量と水質を一体化した総合水資源マネジメントに向けて、河川第64巻第11号
pp3-6(2008.11)
・Time for a Change in Japanese Water Resources Policy, Part 1: Historical Review of Water Resources Management Policy and Challenges for the Future, Co-author : Toshio KOIKE, International Journal of Water Resources Development, Vol. 25, No. 4, pp555-564(2009.12),    など
ネジメントと水環境−原理・規制・事例研究、技報堂出版(2000.8).Neil S. Grigg著、浅野孝監訳、共訳:虫明功臣、池淵周一、山岸俊之
・流域圏プランニングの時代、技報堂出版(2005.3).石川幹子、岸由二、吉川勝秀編の第6章「流域圏・水循環再生」、pp117-148,    など

*受賞歴
・雨水貯留浸透技術協会 特別協会賞 「水循環に関する調査研究」(1996.12)
・水文・水資源学会 学術賞 「総合題目:能動型マイクロ波リモートセンシング
による表層土壌水分計測」(1998.8)
・土木学会 水工学論文賞 「グローバルな河川流量データセットの構築と年河川流量
の変動特性の解析」(2000.3)
・水文・水資源学会 功績賞(2004.8)

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(平成22年9月作成)
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  [テ] ダムインタビュー(35)谷茂さんに聞く「これからは少しゆっくりと環境に負荷を与えないかたちでダムを造る方法もあるのではないか」
  [テ] ダムインタビュー(36)大藪勝美さんに聞く「インフラの重要性をもっと多くの人に知ってもらいたい」
  [テ] ダムインタビュー(37)武田元秀さんに聞く「四十年来の思いが叶い、『ダムと鉄道』にまつわる話を出版することができました」
  [テ] ダムインタビュー(38)山内 彪さんに聞く「若い人は、ダムを糧として立派な総合技術者として育っていって欲しい」
  [テ] ダムインタビュー(39)角哲也先生に聞く「ダムのアセットマネジメントの話をするときに何か目標がいる、千年ではどうかと」
  [テ] ダムインタビュー(40)唐澤一寛さんに聞く「人にものを頼もうとする時は、こちらも誠意をもって付き合わなければいけない」
  [テ] ダムインタビュー(41)糸林芳彦さんに聞く「今は新規のダム計画がなくとも、ダム技術は常に磨いておくべき。いずれ時代の要請に応える日が来るから。」
  [テ] ダムインタビュー(42)今村瑞穂さんに聞く「ダム操作の定式化と現場適用性の向上は車の両輪」
  [テ] ダムインタビュー(43)本庄正史さんに聞く「ダムの海外展開は、現地社会に貢献するという、貢献がキーワードだと思います」
  [テ] ダムインタビュー(44)石田哲也先生に聞く「何か起きたときのリスクのあるシナリオをきちんと一般の人に伝えていかないと」
  [テ] ダムインタビュー(45)古川勝三さんに聞く「今こそ、公に尽くす人間が尊敬される国づくり=教育が求められている」
  [テ] ダムインタビュー(46)入江洋樹さんに聞く「水を大切にするという日本人の心の原点を守り、継承していけば1000年先もダムは残っていく」
  [テ] ダムインタビュー(47)島谷幸宏先生に聞く「設計をする時に環境設計と治水設計を一体的にすることが一番重要なのです」
  [テ] ダムインタビュー(48)吉津洋一さんに聞く「先人から受け継いだ素晴らしい‘くろよん’をしっかり守り、引き継いでいきたい」
  [テ] ダムインタビュー(49)足立紀尚先生に聞く「ダムの基礎の大規模岩盤試験を実施したのは黒部ダムが最初でした」
  [テ] ダムインタビュー(50)山口温朗さんに聞く「徳山ダムの仕事はまさに地図にも、私の記憶にも残る仕事となりました」
  [テ] ダムインタビュー(51)安部塁さんに聞く「新しい情報を得たらレポートにまとめてダム便覧に寄稿しています」
  [テ] ダムインタビュー(52)長瀧重義先生に聞く「土木技術は地球の医学、土木技術者は地球の医者である」
  [テ] ダムインタビュー(53)大田弘さんに聞く「くろよんは、誇りをもって心がひとつになって、試練を克服した」
  [テ] ダムインタビュー(54)大町達夫先生に聞く「ダム技術は、国土強靱化にも大きく寄与できると思います」
  [テ] ダムインタビュー(55)廣瀬利雄さんに聞く「なんとしても突破しようと強く想うことが出発点になる」
  [テ] ダムインタビュー(56)近藤徹さんに聞く「受け入れる人、反対する人、あらゆる人と話し合うことでダム建設は進められる」
  [テ] ダムインタビュー(57)小原好一さんに聞く「ダムから全てを学び、それを経営に活かす」
  [テ] ダムインタビュー(58)坂本忠彦さんに聞く「長いダム生活一番の思い出はプレキャスト型枠を提案して標準工法になったこと」
  [テ] ダムインタビュー(59)青山俊樹さんに聞く「相手を説得するのではなく、相手がどう考えているのかを聞くことに徹すれば、自然に道は開けてくる」
  [テ] ダムインタビュー(60)中川博次先生に聞く「世の中にどれだけ自分が貢献できるかという志が大事」
  [テ] ダムインタビュー(61)田代民治さんに聞く「考える要素がたくさんあるのがダム工事の魅力」
  [テ] ダムインタビュー(62)ダムマンガ作者・井上よしひささんに聞く「ダム巡りのストーリーを現実に即して描いていきたい」
  [テ] ダムインタビュー(63)太田秀樹先生に聞く「実際の現場の山や土がどう動いているのかが知りたい」
  [テ] ダムインタビュー(64)工藤睦信さんに聞く「ダム現場の経験は経営にも随分と役立ったと思います」
  [テ] ダムインタビュー(65)羽賀翔一さんに聞く「『ダムの日』を通じてダムに興味をもってくれる人が増えたら嬉しい」
  [テ] ダムインタビュー(67)長谷川高士先生に聞く『「保全工学」で、現在あるダム工学の体系をまとめ直したいと思っています』
  [テ] ダムインタビュー(66)神馬シンさんに聞く「Webサイト上ではいろんなダムを紹介する百科事典的な感じにしたい」
  [テ] ダムインタビュー(68)星野夕陽さんに聞く「正しい情報を流すと、反応してくれる人がいっぱいいる」
  [テ] ダムインタビュー(69)魚本健人さんに聞く「若い人に問題解決のチャンスを与えてあげることが大事」
  [テ] ダムインタビュー(70)陣内孝雄さんに聞く「ダムが出来たら首都圏の奥座敷として 訪れる温泉場に再びなって欲しい」
  [テ] ダムインタビュー(71)濱口達男さんに聞く「ダムにはまだ可能性があっていろんな利用ができる」
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