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ダムインタビュー(63)
太田秀樹先生に聞く
「実際の現場の山や土がどう動いているのかが知りたい」
太田秀樹(おおた ひでき)先生は、昭和41(1966)年、京都大学工学部を卒業され同大学院に進まれた後、助手、講師、助教授、教授と教職のキャリアを重ねられ、京都大学をはじめ金沢大学、東京工業大学、中央大学において学生の指導に当たってこられました。また長きに渡り地盤工学及び土木施工学の研究をされておられます。現在の研究課題は、土の構成則、地盤の変形挙動、土の変形解析、岩盤斜面崩壊等で、さらにダム工学についても研究を続けておられます。ダム技術の発展については、
ダムサイト
の地質的特徴を踏まえてダム本体だけではなく周辺岩盤の監視やダム建設後の安全性確認なども含めて、計測データを適切に判断できる技術者の育成にご尽力され、常に土木技術の進歩を後押しされて来られました。
今回は、太田先生の数多くの学生を見てこられたご経験から若手技術者に育成についてのヒントやダムにかける想い、また東日本大震災以降、高まるクリーンエネルギーへの期待を担うことの出来る中小
水力発電
の可能性等についてお話をお伺いします。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)
黒部ダムの建設記録映画がきっかけ?
中野:
太田先生が土木の道を目指されたのは、どういうきっかけからでしょうか?以前に国交省OBの青山さんにお話を伺った際、高校生の時に黒部ダムの記録映画をご覧になったのがきっかけになったということでしたが、同じ高校のご出身とのことなので、やはりその映画をご覧になったからですか?
太田:
その通りです。青山さんは私の1つ下になりますが、中学から大学までずっと一緒です。おそらくその時に見たのは、関西電力がスポンサーになって製作した記録映画「地底の凱歌」だったと思います。黒部ダムの建設記録映画の第2作とか。私としては、山登りが好きだったこともあり、山でのトンネル掘りに面白みを感じたので土木も良いかなとは思いましたが、それがきっかけと言われると果たしてどうか…。
中野:
京都大学は工学部に行かれたのですね?
太田:
母親は私を医者にしたかったので同時に京都府立医大も受けていたのです。それで両方受かったのですが、私自身は工学部を選びました。
中野:
医学部を蹴ったのですか?
太田:
結果的にはそうですね。医学部はイメージ的に暗い感じがして、土木だと仕事をするには屋外に出ますから、いつも太陽の下で身体を動かしていて明るい感じがしました。高速道路の開通式などもくす玉を割ったりして賑やかだし…。母親はあきらめきれずに長い間、医学部の合格通知を捨てずに眺めていました。(笑)
中野:
そうですか。身体を動かすと言えば、学生時代にはホッケー部にもいらしたそうですが。
太田:
土木工学科の先輩からホッケー部に入れと言われ、私は山岳部に入りたかったので、お断りしますと言いましたら、俺が使った教科書を全部やるから入れと言うのです。当時は、教科書がすごく高かったので、貰えるのであればということでホッケー部に入部しました。見事に釣られてしまいました。(笑)
中野:
ホッケーとは相性が良かったのですか?
太田:
だいたい運動することは苦手な方でしたが、練習は一生懸命やりました。最高パーフォーマンスは全日本4位でしたから国立大学にしては結構良いところまで行っていました。チームメイトが強かったので、すごく面白かったですね。
恩師のおかげで一生の研究テーマに出会う
中野:
大学の恩師の方は有名な土木の先生だったのですか。
太田:
意外に思うかも知れませんが、大学もセクショナリズムがあって、講座制ですから他の先生と張り合う訳です。伝統があって名前の通っている先生のところが人気が高く、学生としてはそういう講座に惹かれます。私の頃は、土質力学が伝統的な講座でした。そういう所に、結局私は行けませんでした。入った講座の指導教官つまり私の恩師から、「太田君、君は簡単に土質力学に行っちゃいけない」と強く指導されました。では何を研究すれば良いですかと聞くと、土系、土質力学と施工の狭間みたいなところを考えてやれと言われました。恩師は当時とくに有名な先生ではなかったのですが、その指導のお陰で私の研究の方向が定まりました。
中野:
研究テーマを見つけるのは、なかなか難しいことですね。
太田:
そうですね。それで大学院の修士からドクターまで、全国のいろんな現場に1ヵ所に1ヵ月ぐらいずつ行って現場で土を見させて貰っていました。
中野:
どういう現場だったのですか。
奈川渡ダム(撮影:178TS)
太田:
ダムとトンネルが多かったです。覚えているのは、梓川の奈川渡ダムの現場で、私が行った時に落石事故があり11人くらい亡くなり、大変驚いた記憶があります。
中野:
大事故ですね。先生は危なくなかったのですか?
太田:
奈川渡ダムの元請けの所長さんに、ここに居る間は、お酒は好きなだけ飲んでいいけど、怪我だけは絶対してくれるなと言われました。他に、関西電力の現場の喜撰山ダムや、当時、長野ダムと呼ばれていましたが、現在の九頭竜ダムにも行きました。現場では土だけでなく、施工について、主に建設会社から見た工事費用のことも勉強しました。元請けではなく下請の人に、工事をするには何にどれだけ費用がかかるのか、一つひとつ施工の中身を細かく教えて貰いました。
中野:
施工費の積算をする感じですね。
太田:
お金のことがわからないと、何をどう研究したら実際の役に立つのかがわからないので調べてみろと、恩師から指示されたのです。
ダム現場を渡り歩くフィールドワーク
中野:
現場に行って具体的な事を学んで来いということですね。工事現場に通うのでなくずっと滞在するということですか。
太田:
1ヵ月くらい現場宿舎に泊まり込みました。勉強といっても、机にしがみついてするような感じではなく、毎日現場に出て仕事を与えられればそれをやって、夜、夕食が済んでから、私の目的の勉強、施工費の積算を教えて貰っていました。
中野:
現場には、どなたか一緒に行かれたのですか。それとも全く1人で行かれたのですか?
太田:
全部1人で行きました。現場で働いている人全てが先生みたいな感じで、どんなことでも勉強になりました。
工事現場での盛土実験
中野:
印象深いダムの現場はどこですか。
太田:
石垣島の底原ダムの現場に居候していた時のことですが、工事期間中、毎日、事務所にいるダム屋さんが集まりあれこれ議論していて、一緒に話を聞いていてとても勉強になりました。普通は、ダムを造っている最中は、余計な事をして事故でも起きると大変なので、まず許して貰えないのですが、現場所長の米谷さんから工事現場にある
ブルドーザ
ーとか大型機械を好きなように使っていいと言われて、盛土を造っていろいろ実験をさせてもらいました。米谷さんは私にダムの事を教えてくれた師匠とも言える人でした。
中野:
実験はダム工事にも役に立ったのですか。
底原ダム(撮影:だい)
太田:
それが全然役立たなかった。(笑)こうやったら上手くいくかと思ってやったことは全部失敗しました。結局は考えが足らなかったということになりますね。
山も生きている、動いている
中野:
そうでしたか。工事現場で実際に経験できたことはよかったですね。ダムやトンネルは自然のなかにありますが、普段と違う何かを感じましたか?
太田:
トンネルは山の中にあってその上に結構高い山があります。ダムも100mの高さのダムというと水深も100m、底の方ではもの凄く圧力がかかっています。トンネルもダムも底の部分は圧力が凄いので、自然に地盤が動くのです。その動きはよく見るとほんとうに目に見えるようになります。例えば、この写真を見てください。このために今日持ってきました。現場にいると、このように毎日毎日、山がどんどん押してくるのが目に見えるのです。
中野:
山が動くという言葉がありますが、それは現実なのですね。
太田:
実際に生きているみたいに動きます。それを目の当たりにして、「おお、すげえな」と思いました。大体の現場は山の中に水が流れていて、その流れが変化します。そうすると、山の動きも変わってくるということを教わりました。
地圧で直径が半分になってしまった上越新幹線中山トンネル
(熊谷組岩永茂治氏提供)
現場におられる様々な職業の方々は、それぞれの意見、持論を持っておられました。独自の理論で中身が複雑なため、よく理解できませんでしたが、いろんなお話を伺うことができて面白かったです。
山の水と破砕帯のトンネル工事
中野:
私は「
黒部の太陽
」で、山が動いて大変な難工事になったというのを観ましたが、実際に動くのですね。
太田:
私が大学生の時に所属していた土系の講座は、いくつもの講座のグループでした。そのなかで最長老の先生が村山先生といって、昔、国鉄におられた方でした。足立紀尚先生も同じことを言われていたと思いますが、その村山先生がトンネルの神様でいろんな逸話があるのです。その逸話の1つに、黒部の話があります。あの
破砕帯
のトンネル工事は、大出水で前に進めなくなった時に、関電が困って、東大の偉い先生に聞いたそうです。そうしたら、東大の先生は工事を進めるなら大きなポンプを買って排水しなさいとおっしゃったそうです。当時、それだけの水をポンプアップできる装置は、だいたい3億円と聞いています。
トンネルの神様村山先生は、破砕帯の水は止まると言われた
中野:
今ならもっと凄い額になりますね。
太田:
メーカーにとりあえず発注したそうですが、念のために関電が村山先生にも話を聞いたそうです。すると、村山先生は2ヵ月もしたら水は止まるから放っておけと言われたそうです。関電はポンプを発注していたので困ってしまった。結局、発注は取り消され、その後2ヵ月目に水がぴたっと止まった。そういう話を聞いております。
中野:
村山先生は解っておられたということですか。そんなお話は初めて聞きました。
太田:
我々も村山先生にどうしてそう答えたかを聞きました。すると、先生は、ほっほっほっと笑うだけで、凄い秘密主義で全然教えてくれませんでした。(笑)
中野:
自分で考えろということですか。
太田:
でも、ある時、お酒を飲んで機嫌が良さそうなときに上手に聞いたら話してくれました。土の
透水係数
を測る実験装置で、容器に水をいっぱい入れておいて、水がずっと土の中を通っていくスピードを測る変水位透水試験というのがありますが、トンネルから出てくる水の量を関電は毎日測っていました。そのデータで作成したグラフ等を見て、村山先生は、「あれは、変水位透水試験機と似ていると思った」と言われた。つまり、トンネルの中の
破砕帯
が大きな変水位透水試験機と同じで逆算するとおよそ2ヵ月で止まるという計算結果になったのです。実際に水は止まりました。これは村山神話ですよ。
事象を観察するトレーニングを受ける
中野:
計算して答えが出るというのは土木技術に携わる者として醍醐味というか、やり甲斐になるのでは?
太田:
そういう醍醐味は、私にとっては未知なものでした。それからこういうこともありました。羽越線の工事現場で、新潟から秋田に行く線路を複線化しているトンネル工事で落盤事故が起きたのです。切羽の手前、100mぐらいの地点で
天端
が落ちて、一番先端で掘っている人たちが閉じ込められてしまいました。その時、事故があったのですぐ見に来なさいと、国鉄から私のところへ電話がありました。こちらも勉強になりますからすぐに行きました。現場ではどうやって救出するか凄く揉めていましたので私は、とりあえず現場の土を見て帰ってきました。村山先生に、落盤事故のあったトンネルを見に行ってきましたと報告しましたら、「ああ、行ってきたか、何が解ったか」と聞かれるので、「よくは解りませんでしたが、多分、こういう理由で山が落ちたのだと思いました」と。すると、村山先生が「支保工が逆に傾いていただろう」と言われましたが、私はそのことに全く気付いていませんでした。
中野:
支保工は支えの鉄の枠ですね。
太田:
そうです。昔は支保工をちょっと傾けて立てていました。切羽の方から山が押してきた時に、クッと立って山を支えるというような発想でした。それで村山先生は、坑奥側に倒したはずの支保工が逆に坑口に向かって傾いていたのに気がついたかとおっしゃった。それはほんの少しだけで時計の針でいうと二、三分ぐらいですが、村山先生は現場でそういうところを見ておられるのです。私は何も気付かず、ただ歩いて行って、驚いて帰ってきただけで何も見ていなかったのです。村山先生は、支保工が逆に傾くにはそれなりの理由があるので、それを考えたかと言われたのです。観察力が大事だというトレーニングを受けて、次第に現場観察というものは大変難しいものだと思うようになりました。
金沢大学で2,000ヶ所の土砂崩れを調査
中野:
現場が生きた教材ですね。山が動くのも水が影響しているのでしょうか?
太田:
私が京大から金沢大に移ったのが、昭和60年、その年の梅雨時に能登に大雨が降り、山崩れが 2,000ヵ所で起きました。雨で地盤が緩んで土砂が滑ったのです。昔から「能登はやさしや土までも」という有名な言葉があるのですが、この能登という地域の性質を表わしています。竹林さん流にいうと風土ですね。
中野:
風土工学ですね。
太田:
そうですね。「能登はやさしや」については、人柄のことだろうと思いますが、「土までも」というのは、能登地方の山の土が軟らかいということ。この辺りは高い山がなくて標高300mくらいが最高です。大体、高い山というのは尖ったような形でそびえ立つのですが、土が軟らかいと崩れるから、自動的に緩やかな山にならざるを得なくなってしまう。当時、私は金沢大学に赴任したばかりでしたから、地元を知るためにも2,000ヵ所の土砂崩れ現場を調べて来いと言われました。
中野:
2,000ヵ所全部ですか?
太田:
そうです。1つずつ車で毎日走って行ってスケッチして来ました。結局、何も解らないのですが、能登の道はほとんど覚えましたよ。(笑)ただ、その時、やはり水だと思いました。山が崩れている所からは必ず水が出ていました。
中野:
水で山の斜面の土砂が滑って山崩れが起きるのですか?
太田:
実はもっと複雑です。北陸地方は山崩れとか地滑りが多いとされていますから、土を研究している者として、金沢に来て知らないという訳にはいかないので、金沢大学理学部の竃(かせの)先生から教えて頂きました。それから、当時、道路公団の中で斜面の神様と言われていた奥園さんとも一緒に山を歩いて随分教わりました。
川の水が地底に吸い込まれる?
中野:
山の水を先生はどういうふうにお感じになったのですか。
太田:
哲学的な質問でどう答えて良いか解らないです。(笑)こういう説明ではどうですか。私は、当時、イワナ釣りをよくしていました。山で釣りをするには、渓流を下流から上流へ釣り上がって行くのですが、注意深く歩くと川の水が川底に吸い込まれている場所があるのに気が付きました。それで私は事故が起きると、どこで水の量が減っているか見ながら、必ずその周辺の川を歩きました。
中野:
なるほど、そういうふうに観察するのですね。
太田:
川は、大体上から下へ流れますから水の量は上が少なくて下が多い。自然とそうなるのですが、そうでない川もあって実は流れる途中で地面の中に吸い込まれていることが多いのです。川にはそういう所があってその水がどこへ行くのかというのも私の興味の対象です。数年前に広島で大きな土石流の被害がありましたが、水が出て土砂崩れが起きたので、水の出口を調べに行きました。土石流の出発点はおよそ50ヵ所あって、下から登って行くにはとても危なくて行けないので、一度山に上がって、50回降りて現場を調べました。とてもしんどかったですが、ほとんどを見ることが出来ました。
中野:
土地や沢の名前に「蛇」の文字があると、そこは昔、土砂崩れを起こした場所だという話がありますね。
太田:
「蛇崩れ」という土地の名前のことはよく言われます。それと、出雲のヤマタノオロチの伝説。あれは斐伊川の土石流のことだと言われています。言い伝えの中に、そういう話はすごくたくさん例があります。
中野:
昔からよく水が出るような場所については注意喚起されていましたが、川の中で水が吸い込まれている場所があるという話を今日初めて聞きました。
【水はどこからきてどこへいくのか】
太田:
実際に、岩の重なりの中で、自然のトンネルに入って行ったり、斜面の隙間に入って行ったり、いろんなケースがありますが、水が吸い込まれている所はあります。ただ、その先はどうなっているのかは解りません。
中野:
河川の改修工事している時には解らないのでしょうか?工事をすると、よく水が出てくるとは言われますが。
太田:
工事の時は、だいたい水は出ます。出ると何かいろいろ細工して水を止めて工事をしますが、それで終わってしまってその後の事までは調べない。
山の伸び縮みと井戸の水位
中野:
山の上で川に水が吸い込まれるとしたら、どこかに水みちがあって出てくるとのでしょうか。
太田:
その話は、結構複雑です。ある実験から解ったのですが、京都から大津に行く途中に百人一首にも出てくる有名な逢坂山があります。逢坂山トンネルは、明治時代に掘られ、東海道線で使われていたトンネルです。上り勾配がきつくて、蒸気機関車の運転士が窒息死する事故が何回か続きました。急勾配を登るために勢いよく石炭をくべるのでものすごく煙が出てそれで窒息してしまった。結局トンネルは廃棄されて場所を変えて新しい東海道線が作られたのです。その廃棄されたトンネルを京大が借り受けて実験を行っていました。トンネルの中は年間を通して温度変化が少ないので、地殻変動が捉えられないかとそこにインバー線を張って山の伸び縮みを測っていたのです。それを教えてくださったのはホッケー部の古沢先輩でした。インバー線の伸び縮みの記録を調べたら、山裾の方のあるお宅の井戸水の水位が上下する変化と完全に連動していたという話を聞きました。
中野:
それは不思議ですね。どうして連動するのでしょうか?
太田:
これという理由が解らないのです。私の推論では、山に向かって風が吹いていると、手前側の気圧は高くなって、反対側の気圧は低くなります。逆方向に風が吹くと、気圧の状態も逆になり、圧力が変化しますから、山の中にある水も流れる方向が変わるのではないかと思うのです。水も圧力の高い所から低い方へ流れる。それで井戸水の水位も上がったり下がったりしていると思うのです。
中野:
なるほど、山と井戸水が関係しているという訳ですね。
太田:
はっきりと確認されたことではありませんが、インバー線の伸び縮みで山自体の大きさが微妙に変化していることが解るし、山の中に含まれている水についても変化するらしい。それ以上の詳しいことは、実のところよく解っていないのです。この話は、この辺で許していただけばと思いますが。(笑)
海外のダム事情
中野:
話題を変えて、イランで開催された大ダム会議の時のことをお聞きします。日本から参加された方は。
太田:
米谷さんや竹村公太郎さんも一緒でした。竹村さんとはあまり話はしなかったと思いますが、すでに有名な方でしたから覚えています。
中野:
イランでダムをご覧になってどのような印象でしたか。
太田:
イランで驚いたことが二つありました。一つは、随分思い切った設計しているダムの設計者を見たら、私がアジア工科大学にいた時の同僚で2年間ずっと一緒に仕事をしていたピーター・ブレナーというスイス人でした。彼の会社はエレクトロワットという会社でイランのダムの設計を請け負っていたのです。私の知っている限りではピーター・ブレナーはダムのことをほとんど知らなかったと思いますが、スイスに帰って会社に勤めて勉強したのでしょう。自分はダムの専門家ということで、このダムの設計をしたのだと思います。イランの技術者もレベルが高いので、やろうとしていることは全部理解しているのだと思いますが、何か事故でもあれば、外国のコンサルタントに全部責任をとらせる形で依頼しているのではないかなと思いました。もう一つはイランの山には木が生えていない。大部分がハゲ山だということです。全く日本とは山の景観が異なっていました。
大ダム会議のツアーで米谷さんらと(米谷敏氏提供)
中野:
雨が降ったら、水はどうなるのでしょうか。
太田:
やはり、土の中に入り込むのでしょう。雨が少ないので日本のような土石流の心配は少ないのですが、ハゲ山ですから、歩いて行けば地層がよく見え、山の水があるところには線状にずっと草が生えていて山の中に水があるかどうか見て解かりました。あの水は一体どこから来ているのだろうとか、そんな事を考えながらバスに乗ってイランの山を観ていました。
中野:
他に海外のダムを見られたことは。
太田:
以前、オーストラリアに行ったときに、農家の人がすごく広い土地を所有していて、そこにリンゴの木を植えていました。そこでは当然水が要るので、自分たちでダムを造っていました。高さ30mぐらいのダムに雨水を溜めて、自分の農地に供給するようにしているのですが、そのダムから水が少しずつ漏れてきて、危ないので専門家に見て欲しいという話があって私も見に行きました。締固めが緩いので水が浸み出していて、これはそのうちに決壊する危険があるよと答えたら。どうしようかと言っていました。本当に怖いことをやるものだなと思いました。
石淵ダムは役目を終えてからも頑張った
中野:
補修しないと危ないですが、ダムは生活に密着していて、役に立っているのですね。いろいろダムを見てこられましたが最も印象に残っているダムはありますか。
石淵ダム(撮影:安河内孝)
太田:
海外の壊れそうなダムも印象に残っていますが、国内では、石淵ダムです。東日本大震災の前にも東北で大きな地震(岩手・宮城内陸地震)がありましたが、その時に建設中だった胆沢ダムの上流にあるのが石淵ダムです。すごく昔のダムだったので役目を終えて、胆沢ダムを建設する時に仮締め切り堤として使っていました。石淵ダムは、トロッコ列車で石を運んで行き、上から石を落として積み上げたダムで、あまり締固めていませんからそのままだと水が通ってしまうので
コンクリート
フェーシングがしてあります。岩手・宮城内陸地震の後、内部の石が表面に飛び出ているのがいっぱいありました。地震で相当揺れたと思いますが、コンクリートの層は壊れていませんでした。
もし石淵ダムが壊れていたら堤体が崩壊して、下流で建設中の胆沢ダムは完全に流れ去ったし、相当な数の人が亡くなっていたと思います。そうならなかったので良かったと思うのですが、上から石を落として積んで造ったダムがよく何度も大地震に遭いながら壊れずに持ちこたえた。その印象が強く心に残っています。
中野:
そうですか。当時は壊れないようには計算をしていたというこうことですね。
日本には豊富なエネルギー源がある
中野:
イランでご一緒だった竹村さんのことですが、JAPICの委員会で「太陽の水力エネルギーによる未来の日本」という報告書を出されておられますね。
太田:
竹村さんは東日本大震災の前にエネルギー開発に関して言っておられるのですごいと思います。この報告書に書いてありますが、グラハム・ベルは明治31年に来日して、日本は、山があって地形が急峻で、川も多いので、エネルギー的にはすごく恵まれているという講演を帝国ホテルでしている。竹村さんは、グラハム・ベルが言ったというのをどうやって知ったのかと思いました。
中野:
確か「ナショナルジオグラフィック」の記事にそう書いてあったという…。
太田:
私も購読していますけれど、そんなこと書いてあったかな。(笑)
中野:
川の水はエネルギーに等しいという事を竹村さんは以前から話しておられ、それを有効に使うにはどうしたらいいかと考えて来られたのだと思います。
太田:
この報告書は本当に凄いです。一般の方々は、土木屋さんというのはトンネルや鉄橋を造ったり、
コンクリート
で何か大きな構造物を造ったりする、どちらかというとそういう固いイメージですが、昔から土木技術者は深い教養があって見識のある人が多いと思うのです。
「太陽の水力エネルギーによる未来の日本」
中野:
土木偉人と言われる人は皆、そういう感じです。自然が相手なので、いろんなことを知らないと、太刀打ちできないのかもしれませんね。
太田:
そういう所をぜひ今の学生に学んで欲しいのです。竹村さんの目線というのは自然を見ているだけではなく、そこに住んでいる人の生活を見ていると私は思うのです。そういう目線は、俯瞰的で戦国時代で言えば殿様目線というか戦国武将のような感じです。
中野:
日本史の謎を昔の地形から解くという著書からも土木のことを考えるのに、歴史から見るという切り口がすごく入り易いですね。江戸城の表玄関は半蔵門だとかいう説などいろいろあります。
太田:
相当に勉強していらっしゃるのでしょうね。
中野:
そういえばNHKの番組の「ブラタモリ」でも同じような切り口でお城を見たりしますね。日本の国土は、そういう意味では研究しがいのある面白い所かも知れませんね。
太田:
あの番組も土木的な視点で見れば面白いですね。日本の歴史は稲作の歴史なので、水絡みで考えると溜池やダムは本当に面白いと思います。近代では、先程出てきたグラハム・ベルの話ですが、川のエネルギーを考えれば日本は資源国だという考え方、既存のダムを少しずつ
嵩上げ
するだけで、得られる電力は原発10基分にも相当するとか。原発がなければ絶対困るという訳でもなく、本気でやろうと思えば、結構資源はあるということを竹村さんは書いておられます。
水力発電はまだまだ開発できる
中野:
東日本大震災の後、
水力発電
を
再開発
して有効利用するという考えが出てくるかと思っていたら、太陽光とか風力とかに焦点が当てられてしまったような感じがしています。
太田:
先ほども話ましたが、金沢にいた頃、イワナ釣りをして川を歩き回っていると、小さなダムに行き当たりました。そういう所にも小さな取水口があってトンネルに水が流れ込んで行きます。流れ込み式発電所だと思いますが、北陸電力にはそういう施設がたくさんあるそうです。戦前からいっぱい持っていて、今やそれがドル箱になっていると聞きました。既存のものを少し工夫すればこれからも使えると思います。流れている水を利用している小さな小水力発電はどれだけ使っても誰も困らないので消費者にとっても良いのです。太陽光発電の割合を増やせば、それだけ消費者負担も増えるのですが、水力発電は、幾らでも利用の仕方を考えられる訳です。
人々の暮らしを支える視点をもつこと
中野:
なるほど、他にも利用できる資源はありますか。
太田:
例えば大田区にはたくさん町工場がありますが、大手発注者が海外に出て町工場は経済的にピンチになったので、自分たちも外国に行って仕事をするというケースがあります。外国だと確かに人件費が安くて会社としては良いのですが、今は物を作るのは機械がやるので、製品の原価に対する労働賃金の割合は昔と全然違ってそれほど重要ではないのです。外国は、土地代が安くて工場を建てる費用も安いので、初期投資の費用が日本とは比べものにならない。少しお金を出したら、分けてくれるような安い土地は日本にもいっぱいありますが、その土地を工場にしていいかというと、法律で出来ないようになっている。そういう制度上の問題が部分的でも緩和されることになると、実際には使われてないような遊休農地、耕作放棄地も有効に使えるようになるのではないかと思います。今すぐには出来ないかもしれませんが何とかする方法はあるでしょう。それを使えなくしているのは我々自身であって我々自身が作っている法律なのです。
中野:
省庁ごとの壁や法律の縛りがあって難しいですね。
太田:
似たようなことは土木分野にもあります。例えば、補強土で造る擁壁の工法で補強土壁というものがあります。神戸の地震で擁壁はほとんど壊れましたが、補強土壁だけは微動だにしなかった。すごく強いので道路には使っているのですが、建物の壁の代わりに補強土壁を使うと、圧倒的に安上がりになります。両サイドを補強土壁にして軽い屋根を乗せると工場とか野菜工場なんかが簡単に出来ます。今、土木で使っている補強土壁の値段で計算しますと、オフィスビルは20分の1ぐらい、工場は10分の1ぐらいの値段で出来ます。もちろん今は法律違反だから無理ですが、将来、それを使えるようにできないかと思って、自宅で試しにミニ野菜工場を作っています。
中野:
先生の家で実験されているのですか?
太田:
失敗ばっかりしています。(笑)材料は安いのですが、広い面積の土地が要るので土地の価格が安い所でないとだめですね。イノシシが来ても作物を食べられないとか、猿がいたずらしないとか、そういう構造物に向いているのです。ハウス栽培の温室より建設費は高いかもしれないけれど、そのかわり冬に中は凍らないし夏も涼しいのです。そこを野菜工場に出来ないかと考えています。キャベツを1反の土地に植えると、多分何千個という感じになります。植えるのは良いのですが、それを1週間ぐらいで全部収穫して、農協の規格にして、スーパーマーケットが要求するような体裁に整えて出荷しなければならない。労力が集中するので、老夫婦だと不可能です。私は、その労力を平準化させたいと思っています。毎週キャベツが10個ずつ採れるようにすると、お年寄りでも農業の継続が可能だと思うのです。それを補強土壁のハウスでやってみたいと考えています。
中野:
なるほど、大掛かりになるけれど可能ではないかと少子高齢化社会への挑戦でもありますね。
計測データを適切に判断できる技術者の育成
中野:
先生は、若い人を指導されて来られたのですが、若い人に対して先生はどういうふうに思われますか。
太田:
私は土質力学の講義を何十年もやって来ました。毎年毎年繰り返して、丸暗記しているぐらいですが、自分の授業はあんまり好きになれない。
中野:
それはどうしてですか。
太田:
基礎を教えるのが私の仕事で、学生はそれを知っていなければ、入社試験だとか、普通の試験が通りません。ところがその内容が、私には面白くないのです。普通に教えられている土質力学というのは、基本的に設計の仕事をするのに、教科書に書いてある理論を使って計算しなさいとか、設計のための道具の使い方を教えるのが目的です。目的の構造物を造るのに想定し得ることは全部考えるでしょうが、解らないことにも対応しなければならないのです。例えば大地震が来たときどうすると言われても、どんな大地震が来るか解らない。それでも耐震設計しますが、どこかで割り切りがいります。私がずっとやってきた研究は、そういうことではなくて、実際の現場の山や土がどう動いているのだろうかが知りたい訳です。同じ力学現象ですが、設計をするための見方は、ぎりぎりでは困るのである程度の余裕を想定して造ります。しかし、土の中で何が起こっているか、その真実の瞬間を見たいという人は、ぎりぎりのところが知りたいのです。それを知るためのツールは違う見方なのです。それを知らなければ次のステップが踏めないので、それを何とか解明するのが私の仕事です。知るためのツールとして土質力学があるのですが、想定ではなくデータを適切に判断できように教えることが出来ればいいと思うのですが、入社試験などとの関連で大きな矛盾が生じるのです。
中野:
先生がおっしゃる山が動くという現場の解明を学生に教えたいと。
太田:
教えるほどちゃんとしたものを持っていると良いのですが、私の年齢ですと時間的に手おくれですね。これまで私はたくさん学生を見てきました。多くは普通の学生ですが、ある時、急に何かに興味を持つと半年ぐらいで私の学問的なレベルをはるかに超えて行きます。その速さはすごいです。若い人はまるでロケットみたいに飛び出していく。ですから、私が教えて、彼らが了解いたしましたと言って賢くなっていくという世界ではないと思います。就職してからも、何かきっかけがあって、大きく飛び出す人は傍目で見ていてもたくさんいます。私のもとを卒業して社会に出てから大きな成果を出した人たちは、社会的には彼らのほうがずっと偉いのですが、こちらが先生ですから、先生と教え子という関係が平行移動します。そういう意味では、教えるということの醍醐味はありますね。
人は皆、自分で伸びる力を持っている
中野:
今の学生と昔の学生では、どこか違いはありますか?
太田:
はっきりした違いがあると私は思います。昔の学生の方がずっと生意気で、勉強は嫌いで、いい加減で、本当は何も解っていないのに俺は偉いと思っているような学生が多かったと思います。今は真面目で、授業もサボらない、試験も一生懸命受ける、どちらかというと今の学生の方が標準化されています。素直な子が多いという印象です。最近のことは解らないですが、辞める時までそういう学生はいました。いずれの側に属していたにせよ、若い学生の共通項は、自分で伸びていくということでしょう。こちらがお膳立てをするようなことがなくても、何か面白いと思ったことが見つかればそれを追求して自分で伸びていく。本来、学生にはそういう力が備わっていると思います。
中野:
最終的にはやはり個人の資質ですか。
太田:
これは私の想像ですが、学校の先生の教え方が一人ずつの個性を伸ばすやり方よりも、皆同じように成績が上がっていくことを重視してきた結果なのではと思います。つまり教室の中で生徒がやりたいように勉強するのではなく、先生が与える方向に向かって勉強する。生徒も、はみ出さないようにしておかないと何か不利益があるような気になっている。それでずっと小学校、中学校、高校と、いい子でいるのが一番安全な方法という訳です。先生も生徒も最大公約数的にそうなってきた。しかし伸びる子は自分で伸びていく力を持っていますから、その力をいつの時代でも信じてあげたいです。
中野:
本日は、貴重なお話を頂きありがとうございました。
(参考)太田秀樹先生 プロフィール
太田 秀樹 (おおた ひでき)
中央大学研究開発機構教授
昭和41年 3月 京都大学工学部土木工学科卒業
昭和43年 3月 京都大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了
昭和46年 3月 同上 博士課程満期退学
昭和46年 4月 京都大学工学部助手
昭和46年11月 京都大学工学部講師
昭和47年 8月 京都大学工学部助教授
昭和48年 8月 ケンブリッジ大学工学部ならびにチャーチルカレッジ
昭和55年 9月 アジア工科大学助教授
昭和59年 6月 金沢大学助教授
昭和60年11月 同上 教授
平成10年 3月 同上 名誉教授
平成10年 4月 東京工業大学大学院理工学研究科国際開発工学専攻教授
平成16年 5月 地盤工学会 会長(18年まで2年間)
平成21年 3月 東京工業大学名誉教授
平成21年 4月 中央大学研究開発機構教授
(受賞学術賞)
地盤工学会平成19年度地盤工学会技術開発賞(土/水連成弾(粘)塑性有限要素・飽和地盤静的解析パッケージDACSARの開発と実用化)(2008.5)
地盤工学会平成16年度「土と基礎」年間優秀賞(維持・管理および更新のための計測・解析(総説)(2005.5)
土木学会論文賞(2004.5)
土木学会論文賞 (2002.5)
地盤工学会功労章(1999.7)
土質工学会読者賞(1991.5)
土質工学会論文賞(1986.5)
土本学会論文奨励賞(1971.5)
(2016年5月作成)
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