[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]


ダムインタビュー(32)
土屋信行さんに聞く
「きちんとやるべきことと、そうでないことの本当の仕分けが今こそ必要ではないか」

 土屋信行(つちや のぶゆき)さんは、江戸川区の現職の土木部長で、水害から区民を守るために何をしたらいいか、その対策に日頃取り組んでいる方です。また、幅広い実践的知見を持つことがよく知られており、講演や意見を述べる機会も多いようです。
 平成21年12月には、八ツ場ダム問題をとりあげた群馬県議会では参考人として利根川の下流域の住民を代表する形で、洪水調整のためには上流部にダムは必要との意見を述べられました。また、平成20年12月、タワーホール船堀(江戸川区)で開催された「世界海抜ゼロメートル都市サミット」では、ホストシティを代表して「スーパー堤防事業による街づくり」をプレゼンテーションされました。この「スーパー堤防事業」は、政府の仕分けでは廃止とされたことは記憶に新しいところですが、一方では、治水事業を国是とするオランダからは高く評価され、平成22年11月には大臣クラスを団長とする視察団が来日しています。


 今回のインタビューは、区内のおよそ7割が海抜ゼロメートルという江戸川区において、低平地に多くの人口集積を抱えるという難題のもと、区民の安全安心をどう考えるかについてお話をうかがいたいと思います。

(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)

洪水との縁が、今の仕事につながっている?

中野: 土屋さんは土木部長として治水に取り組んでおられますが、もともと大学で河川のことを学ばれたのですか?

土屋: 僕の大学時代の卒論は構造力学で、河川工学ではありませんでした。でも、生まれが埼玉県の栗橋で、カスリーン台風による堤防決壊の現場です。誕生日は昭和25年なので、堤防は改修された後でしたが、改修工事の飯場で生まれました。父親が当時の内務省におり、俗にいう河川屋です。伯父もそうでした。家族親戚に河川屋が多く、僕自身も河川の工事現場で育ちましたので、将来はこんな所つらいところには住みたくないと思ってて、河川にはまったく興味がなかったのです。

中野: まさに利根川の堤防の工事現場でお生まれになったということですか?

土屋: 偶然ですが。実は荒川放水路を掘った、初代土木学会会長の青山士(あきら)が、信濃川の大河津分水の自在堰が壊れてしまったのでその復旧工事に携わった、うちの母方の祖父が青山さんの部下だったそうです。工事中、台風が来て大雨が降ったそうで、祖父はその時、三日三晩土のうを積んで作業員といっしょに働いたのですが、現場で倒れてしまい、あげくの果てにに腸チフスにかかって35歳の若さで亡くなってしまったというのを聞かされていました。

中野: ずいぶん歴史を遡りますが、やはり台風による洪水ですか。

土屋: はい。大河津分水の工事現場には碑が建てられており、そこに殉職者の名前が彫られているのですが、うちの爺さんは畳の上というか病気で亡くなったので、そこに名前を刻んで貰えなかった。我が家では、それがずっと語り継がれておりまして、どうせ死ぬなら、現場で死ねと言われてきました。どれほど頑張っても最後が病院のベットではダメだぞというのです。なぜかというと、爺さんがみぎわの際、家族を呼んで、新潟の方では地域のことを「郷」と呼ぶのですが「我、郷の為に死す、我が子孫に伝えよ、汝誰が為に死すか」というのを遺言で残したということです。ホントかウソかわかりませんが相当に青山さんに心酔していたようで、思い半ばで死ぬ無念さを語ったのだと思います。自分としては随分と重い荷物を背負っているなと思っていました。生まれたのもカスリーン台風で壊れた堤防の現場ですから。

都庁に就職し、道路を造る

中野: 相当に強い縁があったけれども、それでも河川には進まれなかったのですね。

土屋: 子供の頃の工事現場での生活が影響していたのでしょう。大学では構造力学を学んで、卒業後は、東京都庁に就職しました。構造屋だったものですから、環状七号線の陸橋や橋梁設計とかをやっていましたが、ある時江戸川区に出向の辞令が出て課長で行きました。東京都に戻りその後も部長として行きました。普通2年ほど、長くても3年でもとの部署に戻るのですが、僕にはなんの話もないまま江戸川区長が都庁に行き、局長に直談判をして、土屋を俺に預けてくれと頼んだそうです。

中野: なるほど、今でいうヘッドハンティングですね。

土屋: そんな格好良いものではありませんが、区長室に呼ばれまして「君の事は頼んできたから」と言うのです。その時に、川とともに死んだ爺さんの思いが巡り巡って今の自分に声をかけていると思いました。首都でありながらいちばん日本で危ないとされている海抜0メートル地帯で、荒川放水路を掘った青山士さんのこともあり、なおかつ区長が居てくれということに「天命」を感じて、「わかりました」と返事をして今に至る訳です。


高橋ゼミに学ぶ

中野: 不思議な巡り合わせ、そういう縁があるのですね。高橋裕先生(東京大学名誉教授)のゼミで学ばれたとお聞きしましたが、それも河川ということだったのですか?

土屋: あの頃は、大学にはいろんな人が出入りしてフリーに勉強できたというか、そういう時代でした。また先生は、僕の母校にも講座をもっておられたのでそれに出ていました。当時、総合治水というのを提唱され始めたのですが、自宅を改造して地下に雨水貯留池を造ったりされていました。先生の言葉で記憶にあるのは、「降った雨はすぐに川に流してはいけない」というものです。

中野: 高橋先生は、土屋さんには優をつけたとおっしゃっていましたが。

土屋: はい、私の河川工学は高橋先生の優をいただきました。

中野: 都庁から区へ出向され、その後、区長さんに引き留められたということですが、具体的にはどういうお仕事に携わられたのですか?

土屋: 最初は、都庁で道路から始め、その後は多摩ニュータウンの区画整理事業をやりました。いちばん多かったのは環状七号線の仕事で、当時、都内でいちばん長い陸橋、約1キロの京葉陸橋、水戸街道の陸橋とか、河川橋梁では飯塚橋とか、環状8号線そういう仕事をしてきました。下水道では大規模な蔵前処理場や熊の木ポンプ所に携わりました。区画整理では、みなさん御存知の汐留の区画整理、それから秋葉原、常磐新線などの工事にも携わりました。


海抜ゼロメートル地帯ならではの工夫、貯留管

中野: 江戸川区は、区の面積の7割が海抜ゼロメートルと伺いましたが、最近のようなゲリラ豪雨があっても、区内で浸水したというニュースはあまり聞いていないのですが、現在はどんな状況なのでしょうか?

土屋: たしかにゲリラ豪雨の水害はありません。端的に言って、低平地での洪水と武蔵野台地での洪水とはまったく違う状況です。武蔵野台地の方は、富士山や箱根の火山灰が降り積もった層、関東ローム層があり、そこに降った雨が低く弱い場所にV字谷を造っていき、そこに一気に水が集まる地形です。兵庫県神戸市の都賀川の水難事故のときのように、そこでゲリラ豪雨が降ると一気に水位が上がって一時間後には引いてしまうというような、これが都市型ゲリラ豪雨のパターンです。しかし、東部の低平地、江東区、墨田区から東側では、道路冠水程度はあると思いますが、次第に雨水が、薄く広く溜まるので、命を失うような急激に水位が上がるというような洪水パターンではないのです。

中野: 一気に水が流れ込んでくるという地形ではないということなんですね。

土屋: 以前に、下水道管の中で工事をやっていた人が、急激な水かさの上昇で亡くなったケースがありますが、V字型の谷で工事をやっている場合は非常に危ないということです。区内ではそれほど大きな標高差はないのですが、雨水が集まるそういう危険箇所、道路冠水や床下浸水する所はあります。ただ、あまり目立たないのです。
しかし、ゼロメートル地帯ならではの対策があります。これは、ピークカットということに留意して、貯留管をあちこちに造っています。実は江戸川区にはもともと総延長440キロという非常に長い、中小水路が網の目のように張り巡らされていたのです。

中野: そんなに長いのですか?

土屋: だいたいは、農業用水路のなれの果てのような水路で、それが蓋掛けカルバート等になっていました。これらを利用して親水公園や親水緑道に作り替えるときに、せっかくある水路なので、ピークカット用の貯留管に作り替えました。また、新しい公園が出来るときには、公園の下に最低でも500トンくらいの雨水貯留池というか、地中のダムのような働きをするものを造っています。ゲリラ豪雨は、溜まる場所というのは決まっていますので、あの場所は危ないぞというのがありますから、その近辺には、こういう貯留法式を取り入れて制御しているので、あまり大きな被害にはなっていないのです。

利根川による江戸川区の成り立ち

中野: なるほど、地下ダムというか雨水貯留池で工夫されているのですね。話は大きくなると思いますが、利根川の治水というのはすごく難しいと宮村先生(宮村忠、関東学院大学名誉教授)もおっしゃっていましたが江戸川区の方ではどういうふうにお考えでしょうが?

土屋: いきなり大きな話ですね。しかし、これは決定的に難しいと思います。江戸川の歴史は、江戸時代、西の方に中川、東に太日川(ふといがわ)があり、これらを昔は利根川と言っていました。この利根川の東遷事業さらに荒川の西遷事業が行われたことに遠縁があると思っています。江戸川区にも東遷事業の名残があります。江戸時代に幕府が手を入れて水路を開削して、新川という新しい川ができたのですが、この開削事業による舟運が江戸川区の地域では唯一の産業みたいなことであったという経緯があります。

中野: 地域をあげて河川を改修してきた歴史があるのですね。

土屋: 少し前にやっていた大河ドラマで、直江兼続のことをやっていましたが、クライマックスで、いわゆる直江状という書状を徳川家康に突き付け、それに家康が激怒して会津攻めを決意したと。それで7万の軍勢を率いて会津の小山まで行き、そこで石田三成が兵を上げたことを知り、このまま会津を攻めるか、取って返して三成と対峙するかという決定的な決心を迫られます。有名な小山評定ですね。結果、取って返して新川を通って江戸城に戻るわけです。この時、新川は船堀川といっていましたが、細くてくねくねしてて非常に浅く、家康ら甲冑武者の乗る船が底を擦ってしまって、ほかの侍たちが降りて家康だけにしたのだけれどそれでも船底を擦る。それで仕方なく、水路をあきらめて農耕馬を調達してきて、なんとか江戸城に戻って体制を建て直して、関ヶ原、三成の方に向かって決戦に行くということがありました。

 その時に江戸川区内にあった船堀川(後の新川)というのが余りに不十分なので、関ヶ原の合戦が終わってから、家康が川を改修して水路をきちんとしろと言って、新しい舟運路を開削した。これが新しい川なので「新川」それまであった川を「古川」と呼んで舟運路を整備した。一方、関宿あたりから降りてきた多くの資材、米など農産物も結局は、船で新川を横切って小名木川に入って、道三掘りを通って江戸城に運んでいた。それに行徳の塩田でとれた塩もそのルートを通って江戸に運ぶので、新川〜小名木川のルートのことを塩の道と呼ぶようになったとされています。新川の話は小さな地域での話ですが、関東地方全体でみると、こうして家康が水運をもっぱら考えてやったのが東遷事業と言われていますし、治水もその効果の一つだったとされているようです。現実は様々な取り組み、紆余曲折がありどうも単純なものではないと思っています。

狭窄部があると、川は溢れる

中野: 宮村先生には家康の東遷事業はフィクションだと言われて、ちょっとショックでしたが。



土屋: そうなのかもしれません。でも利根川が難しいのは変わりません。昔、小貝川の決壊の時、テレビ中継がありました。多摩川の決壊もそうですが、あのあと現場に行って、見るとわかりますが、小貝川の決壊地などはどうしようもない狭窄部なんです。よくよく考えてみると、今の利根川は日本最大の流域面積を持っていますが、自然河川としてできたときは、銚子へ落ちる川としてあんなでかい流域の川としては形成されていないのです。流域が広がったのは、人間の都合で、川の付け替えででっかくなっただけで、古来、本来の自然河川としてできた時は、鬼怒川を上流とした細い河川でした。逆に言えば、旧来の渡良瀬川、思川という利根川の上流部の水量まで背負わされているので、華奢な川なのに上流のでかい流域をポンと背負わされているので苦しいのです。
行政として、具体的に治水を考えるということ

中野: なるほど流域面積が大きくてたくさんの人が住んでいる、そういうことで難しいのですね。明治以降も何度か水害がありました。

土屋: 私は、江戸川区の治水の責任者として川のことを預かっているのでお話したいのですが、決定的に難しいというか、大きな要素となるのは、明治の頃の東京大水害の後に掘られた荒川放水路が、都心を守るための構造として掘られているという事実です。

 これが荒川放水路の東側のぜい弱性を形作っています。都心を守るための堤防の方が厚く、当然、反対側は低い。しかし、この事実を否定する人もいて、あまりに悔しいので僕が全部実測しました。ものの見事に低いです。いちばん低いところでは2メートル40センチくらい、厚さも10メートルくらい薄い。その実測値を誰もが認めなければならないと思っています。


 でも、当時は仕方のなかった事です。昔の江戸川区側は、田園風景豊かな農村地域でしたから。それで都心部を守るという考えは良かったのです。本来、自然の構造物の河川として成り立っている時代は良かったのですが、人工構造物として水路を掘った以上安全性は確保するというのが、人工的に造った構造物の責務だと思います。道路を造ったら、道路が安全であることを当然期待するのですが、自然発生的にできた獣道を歩いていて、転んだといっても、自分で失敗したなと思って、誰も道が悪いとは言いません。自然物が自然物として存在する間は誰もが我慢できるのですが、人工構造物として造ったのなら、安全性を守って欲しい。そうだとしたら、江戸川の東の方には住むなと言うべきで、住まわせたのなら守れと。逆に言えば守らなくちゃ行けないということです。

堤防は人を守るが、一方でリスクも生む

中野: 明治43年の大水害で荒川に放水路ができることになるわけですが、それから中川が出来て堤防に守られた形になってきて、区として水防についてどのようにお考えでしょうか?


荒川放水路計画
土屋: その前に、お話させてください。低平地がどのようにできるかについてはこだわりたいのです。
 明治43年の水害で荒川に高い堤防ができ、いわゆる囲われた地域ができた。陸地で言えば離れ小島のような場所ができたというのが一つ。それから昭和22年のカスリーン台風は、利根川水系に初めてダムを治水の中に位置付けるという考えのきっかけになった洪水ですので、この後は上流域ではダムによって洪水調節をしようとなった訳です。その間に、もう一つ大正6年の高潮台風というのがありますが、これは都市域において本格的に高潮堤防で守らなければならないという考え方が入ってくることになりました。その後、昭和24年のキティ台風があってこれも高潮台風でした。これで高潮堤防の高さを定めておこうとなったのです。その後、昭和34年の伊勢湾台風が来ました。これがもし東京湾を通っていたら大変だったということで、低平地の堤防の高さは洪水だけではなく、高潮のための堤防の高さも考慮して決めることになったのです。


 言ってみれば、既往災害という言い方をしますが、誰もが心情としては同じ規模の台風が来たときに、もう大丈夫だというところまでの高さで補強しましょうというのをみんなが認めるということで、いわゆる洪水の歴史が堤防を丈夫に高くしてきたと言えます。耐震補強もそれと同じようなことです。関東大震災があって、耐震性ということが確立してきて、いちばん最近では阪神淡路大震災があって、より強化されたということです。ですからみんなが体験することで進んできている。事実の積み重ねというのか、二度と同じような規模の災害で命を落とすことがないようにという考えがあって、結局はそれで我々が今住んでいる、低平地が形作られてきたと思います。

中野: カスリーン台風では、どんな被害があったのですか?

土屋: これは荒川放水路が出来てから起こった本格的な台風被害です。想定としては、もし洪水があっても桜土手という葛飾区にある小合溜という溜池のところにある堤防のところで、誰もが止められると思っていたのです。この桜土手というのは実は江戸幕府が直轄工事で造って守っていた堤防で、その下部が、葛西郷という郷になっていて、その郷の周りが輪中堤のようになっています。そのいちばん北側が桜土手というのになっていて、みんなその堤防は切れないと思っていたのですが、それが切れてしまい、一気に下流に洪水が来たのです。しかし、その前に荒川堤防が完成していたので堤内地側に水が溜まってしまいました。荒川の東側と江戸川にはさまれたところに水が溜まってしまったのです。自然河川としての中川だけだったら、もう少し氾濫域は広がりますが、浸水深はもっと浅くて済んだのではないかと言えます。

 実は、どこでもそうですが、堤防を造ればそこが一つのガードラインになりますが、囲まれた土地は安全なのかどうか。逆に堤防が切れれば、その囲まれた範囲だけが水没する。ブロック化といいますか、一方で荒川がそのブロック化の防御ラインになった。最下流で考えれば、カスリーン台風では、江東区、墨田区までは水は来ていませんから、そこが判断の難しいところです。でも、都心を守る荒川放水路という目的で考えれば、見事に役割は果たしたと言えます。

江戸川区民として八ツ場ダムは必要

中野: また八ツ場ダムの問題に話が変わりますが、以前、群馬県議会でお話されたとのことですが、その内容を伺えますか?

土屋: 明治の洪水、カスリーン台風、いろいろな災害にあって洪水の危険を感じている私たち下流域のために地元の方には得心していただいて、ダムを受け入れるとなったことについて、とにかく有り難うございますということを群馬県の皆さんにお伝えしたくて話しました。そして下流の人が洪水と戦ってきた歴史を話させていただき、八ツ場ダムの計画は50年もかかったけれど、ここまでの決心をいただいたので、ぜひダムを作っていただきたい。私たちもいっしょに頑張っていきたいと話しました。

中野: 緑のダムについても触れられたのですか?

土屋: 洪水の歴史を中心に話しまして、その中には、緑の森が豊かになればダムに匹敵できる水が保水できるというのはとんでもない話ですよと、そういう話もさせていただいた。どちらかというと技術的な話ではなく、僕自身が山に登るものですから、山に入っていて雨が降ればもう10分くらいすれば登山道なんかはもうドロドロになって水が流れていきます。もし、山に多くの保水機能があるというならば、30分くらい雨が降ったとしても、山道が川のような状態になる訳がないのです、そういうことを話しました。砂山にじょうろで水をかけて表面が川みたいになって水が流れるようになるのですが、実は砂を掘ってみると、中はパサパサした状態になっている。あれと同じようなことが山の中でも起こっているのです。山は急に降る雨にはあまり期待できないし、長く降り続いた後の雨にも保水力は無い。そういう話を自分の体験も含めて話をさせていただきました。

八ツ場ダムの代替案を考えると2兆円

中野: 利根川というのは、山の上の方で止めないととても危険であると宮村先生もお話になっていましたが。

土屋: そうですね。中条堤をやめてしまったのですから。宮村先生に教わって現地に行ったのでわかりますが、昔の中条堤はだいたい広さが50平方キロくらい、江戸川区とほぼ同じくらいの面積がありました。江戸川区が2メートル沈むとすると、中条堤一つで十分に下流域の洪水調節機能が足りてしまう。もちろんそこでは水に浸かる被害を受けるし、迷惑がかかる人がでます。そういうことから、総合治水といして上流はダムで、中流は遊水池で、下流は河道でというようにいろいろと機能を分担をしないといけないのではないか。しかし役割分担をどこかで放棄されてしまうと、必ず別なところにしわ寄せが来ます。

 八ツ場ダムがないと、江戸川区あたりでは60メートル川幅を広げなくてはいけない。実は、江戸川区で独自に計算したのですが、用地買収、移転補償費で試算すると江戸川改修で7000億円。利根川改修で1兆3000億円かかる。下流の安全を図るとなると2兆円かかるということになります。これは、あちこちでお話ししています。政府にも試算を提出しています。だから、今ダムをやめて節約しようとなっている今後の予算は八ッ場ダム一個分で約1000億円ですから、八ツ場ダムをやめて将来2兆円かけ続けてて洪水対策をするという考え方は、これはもう全くナンセンスですよね。

中野: 長い時間がかかったけど、50年の間洪水がなかったからもういいだろうという話になりかけていますが、果たしてそれで良いのかということですね。住んでいる人にとってみれば、何も安心できないと。事業仕分けでもスーパー堤防がムダだとされてしまいました。そのあたりは土屋さんがいちばん心を痛めておられるのではないかと?



土屋: 仕分け委員の方がニコニコしながら"スーパームダ使いですね"、とおっしゃっていたのですが、あんなふうに笑われた時にぞくっとしました。その事自体が、人間の"命の仕分け"になっているのが判らないのですから。国民1億2千万人の命のうちのどれだけか分を仕分けたことになるのが判っているのか?果たして疑問です。低平地ゼロメートル地帯では頼みの綱なんです。少なくとも洪水が来たときに、逃げるだけの高台があるかどうか。洪水がきて破堤すれば、もちろん水浸しになるので堤防の必要性はあります。また、海抜ゼロメートル地帯は、海からも水が来ます。これまで何度も、大正6年や昭和13年、24年と水害を経験していますが、海から来る高潮に対しても堤防が守ってくれている。それとゲリラ豪雨のような局地的な豪雨。さらに決定的なのは、ゼロメートル地帯で恐ろしいのは地震洪水です。こういう言葉はないので、私の造語ですができれば広めていきたいと思っています。
海抜ゼロメートルだからこそ危険な、地震洪水

中野: 地震洪水とは、どういう種類の洪水ですか?

土屋: これは、阪神淡路大震災の時に淀川の堤防が壊れたので大変心配なのですが、あの時は一月で洪水の時期じゃなかったので幸いでした。ゼロメートル地帯では一月だろうと何月だろうと、もしも堤防が切れてしまえば直ちに海水が入って来るので大水害となってしまう。それを地震洪水と呼びました。
 どういう危険かというと、地震で堤防にひびが入ったり、少し壊れただけでも、ただちに無尽蔵な海水が入ってくるのです。大雨が降って起こる洪水と違って、無尽蔵な海の水が供給され続けますから、ダムとか遊水池で防ごうというようなボリュームではないのです。もし満潮であれば、その水位に達するまで海水が入ります。つまり、一年365日洪水の危険性がある訳です。だから堤防を壊してはいけない。もし壊れたら即座に人の命に関わる堤防です。だから我々は、スーパー堤防が欲しいと言っているのです。


阪神淡路大震災で壊れた淀川の堤防
中野: 江戸川区が考えるスーパー堤防は、八ツ場ダムの代替案だけではないと?

土屋: そうです。もちろん堤防が連続堤であればより望ましいのですが、仮に連続でなくても海抜ゼロメートル地帯では、水から逃れるために高い場所がいるのです。どうしてもゼロメートル地帯では逃げる高台がないのですから、堤防が結局一番高いところとなってしまうのです。これはもう切実に逃げる高台が欲しい。幅というか広さが50メートルでも100メートルでも、川沿いにバラバラでも、ピンポイントでも高台になる堤防があれば、住民はそこに逃げられる。連続堤である必要などなにもない。スーパー堤防が出来たところから直ちに効果が生み出されるのです。400年も待たずに投資がすぐに効果を生む、それがゼロメートル地帯のスーパー堤防です。まさに命を守る堤防なのです。ゼロメートル地帯では"逃げる"というソフト対策を支えるハードとしての高台が必要なのです。

ゼロメートル地帯では、堤防がいちばん高台に

中野: なるほど、区内では見回してもどこにも高台がない。いちばん高いのが堤防だと。

土屋: それが根本の考え方になっています。海抜ゼロメートルですから。普通、防災計画では4平米/人というのが避難基準になっていますが、江戸川区のハザードマップの場合は1平米/人。それだけ小さいスペースでも良いから、とにかく逃げて命をつなぎましょうということになっているのです。だから、1ヘクタールでもできれば一人1平米で1万人。昔の山手線のぎゅうぎゅう詰めを考えれば三万人程度は入ります。だから万が一の時、逃げられる高台になるスーパー堤防は、可能なところ、できるところからやってもらいたいと考えています。それ以外に、区民が現実に助かる場所がないのですから。

中野: 400年かかるからダメと言われても、その間、江戸川区民は危険にさらされて良いのかということですよね。ゼロメートル地帯なのですから切実ですね。

土屋: あれをやった人は、まさに命の仕分けになっている事に気付いていません。それが今の政治の現実なのです。

中野: 無駄の削減は大事ですが、国民の命を守る公共事業は、きちんと手をかけていかないと文明の進んだ国とは言えないのではないのでしょうか。

土屋: まさにそうです。400年かかると指摘されましたが、予算を注ぎ込まないから400年なので、地球温暖化も今後進む、海面の上昇も進む、いろんなことを考えたら、それだけのお金をかけていられませんから、止めてしまうというのは、ちょっと考えられないです。逆に400年もかかってはたいへんなので、200年にならないか、もっと早くできないか、お金のかからない方法はないかなら解りますね。そういうのが「国民の命を守りたい」と言った政権の目指すところだと思うのですが、時間がかかるから止めてしまうというのはちょっと乱暴過ぎではないでしょうか。

根拠なしに感覚的に切り捨てられると辛い



中野: これまで長期間洪水が起きなかったから止めろとかいうのは根拠が薄いですよね。

土屋: 議員さんの中には、スーパー堤防は宇宙人が攻めてくるのに備えるということと同じとおっしゃった方もおられますが、地震というのは誰もがいつか起こると思っています。関東地方は幸いかどうかわかりませんが、60年間水害が起きていない。カスリーン台風以来大きな洪水を経験していないのです。だから洪水は起こらないと思ってしまう。八ツ場ダム反対の方が、カスリーン台風がもう一度来たとしても八ツ場ダムは役に立たないと言われますが、果たして同じルートしか台風は通らないのでしょうか?台風がどこを通過するかわからないのに、もう大丈夫というのはあまりに根拠が薄いと思います。

中野: 何か感覚的に聞こえてしまいますね。
土屋: 僕は防災キャラバンというのをやっていまして、昨年は年間80回くらい地元の方に小学校などの体育館に集まってもらってお話をしています。皆さんにお話するとき、熱帯性低気圧というと台風というのをすぐに想像しますが、そういう熱帯性低気圧で洪水が起きる場所というのは地球上で3カ所しかないとお話しています。インド洋で起こるのがサイクロン、大西洋で起こるのがハリケーン、そして太平洋で起こるのがタイフーン。北緯5度から45度の間、東経100度から180度の間。この狭い範囲でしか台風というのは起こりません。絶対にここでしか発生しない。絶対にここしか通らない。これだけの範囲の中で発生し通過するという自然現象なのです。ここに日本があるのです。なのに、それは宇宙人が来ることに備えるようなものだと笑っておられる方がたは、なぜカスリーン台風のルートしか想定しないのか?、日本のどこでも台風は通る可能性があるのに、八ツ場ダムが役に立たないと言えるのか?例えば、共通一次試験の問題はこの範囲ですと言われているのに、この問題は試験に出ないと勝手に思いこんで勉強しないことと同じです。日本はは台風が通る場所だと言われているのに、備えないで良いというのはどうしてなのでしょうか?想定外のことは起こらないと高をくくっている、その感覚がよく解りません。


1951年以来の台風の発生と経路図(国立情報学研究所,デジタル台風台風画像と台風情報より土屋さんが作成)
中野: 日本は災害大国で、洪水も地震も多い。国土も狭く川は急流で、全国海に囲まれています。そうした中、区民の生活を守るために江戸川区では、どういう事に注力されているのでしょうか?

土屋: 僕は、危険を知ってもらうことが備えの第一歩だと思っています。医療現場の言葉でインフォームドコンセントといいますが、例えば医者がここが悪いですという説明をすることです。どういう病気か知らないで、ただこの薬を飲んでいれば良いと言ってては治らないように、ちゃんと説明したうえで患者にも理解してもらって治していきます。
ここは危ない地域ですといって、自助力、共助力というのが備わっていく。家の中にも地震用に例えば突っ張り棒とか、非常用の食料を用意しておくことかがありますが、水害の場合は備えの話が出たことがないのが現状です。

江戸川区で世界ゼロメートル都市サミットを開催

中野: もしもの備えというのは、どういうことかをきちんと考えることが大事なのですか?

土屋: 僕は水害によって街が被害を受けてきたこと、これだけの命が失われてきたことを徹底してお話しさせていただいています。一昔前なら、土地の値段が下がるからやめろと言われました。


2008年12月 海抜ゼロメートル世界都市サミット

 今からもう4、5年前になりますが、ハリケーンカトリーナの災害対策をアメリカがやっているときに、世界の海抜ゼロメートル都市に集まってくださいと呼びかけて、世界ゼロメートル都市サミットというのを江戸川区で開催しました。これにはニューオルリンズでいろいろ尽力された当時の米国土木学会の会長で工兵隊の隊長でもあったW・マキューソン氏をはじめ、イタリアのベネチア、タイのバンコク、オランダの南北ホランド州といった都市から代表をお招きして、それぞれの国での取り組み、アイデアを教え合おうということで、内容は、どの国でも住民に危険の度合いを説明して話し合っていますということでした。日本の場合、遅れていると指摘されたのは、地球温暖化の要素をまったく考慮せずに治水の対策を考えているのは、あまりにノー天気だと。どの川もまだ地球温暖化の影響を考慮した堤防の増強とか、沿岸部で海面上昇の影響を考えに入れた対策をとっていないということで、みんなからサプライズだと言われてしまいました。
中野: 実際、地球温暖化の影響で、海面上昇のために満潮になると水没して困っている都市もあるのですから。

土屋: この第二回目のサミットが昨年、オランダのアムステルダムで行われて、僕も行ってきましたが、その時は、ノルウェーとかデンマークとか欧州の国が来ていましたが、どの国も温暖化を要素に入れた治水対策を始めていました。河川洪水の計算も増強しているし、各シミュレーションには温暖化の影響を入れ込んでいるということです。オランダにはウォーターボード(水管理委員会)というのが出来ているのですが、オランダはもう以前からウォーターボード税という治水目的税というのがあって、税金で行われる治水対策に加えて、治水対策を行っている。もちろんこれらは話し合いの上連携をとって行われています。さらに最近ではデルタファンドという基金を起こすそうで、これは地球温暖化を見越したものだそうです。治水対策は国の重要な安全保障として位置づけられているのです。

 もうひとつ、オランダでは前回のサミットで日本から学んだ、ミスター土屋から教えてもらったとお世辞を言ってくれましたが、スーパー堤防にジャパンダイク(日本型堤防)という名をつけてくださって、その実現に取り組もうというのです。この間、大使館から連絡をいただいたのですが、治水の関係の大臣をはじめいくつかの治水や土木関係の人たちが来日されるのでアテンドしてもらえるかと尋ねられました。向こうは、一万年確率の大洪水に対応するというので、治水対策を国を挙げてやっておられます。国土の5割が海抜ゼロメートルで、七世紀頃から堤防を造ってきた国ですからね。

オランダはすでに地球温暖化を織り込んで備えている

中野: オランダの備えは一万年ですか、200年に一度というのも認めてもらえない我が国は寂しいですね。

土屋: ロンドンのテムズ川では、今度テムズバリアという要素でスーパー堤防のことを研究してくれています。ライン川では計画洪水量1万6000トンを2100年までに1万8000トンにするとして、どの国も地球温暖化による影響を考慮に入れて、お金がなければちゃんと税金として設定してくださいと、国民にその事実を突きつけて命を守るためには予算が必要ですが、どうしますか?という判断をあおぐということをやっています。

中野: 温暖化によって海面が上昇するとしたらいつ頃どれだけか、それに備えるにはどうするのかという議論をしているのですね。


土屋: この間来たオランダの代表には、スーパー堤防については5年単位で見直しをしていると説明したのですが、そうしたことを話したら、デルタ計画などは10年で見直しますが、見直しをして堤防が低くなったことはないとのことです。

リスク情報が伝わっていないのはなぜ?

中野: 具体的にお話を聞いたら、なんだか恐ろしくなってきました。ほんのちょっと議論しただけで、スーパー堤防はスーパー無駄使いだから廃止と。それでは区民の命はいらないというようなものですね。

土屋: 実は、内閣府がそういうリスク情報は出しているのです。東京湾、伊勢湾と、大阪湾で、ゼロメートル地帯がある。そこに国の中枢機関があり、経済の中心であり、440万人の人間が住んでいることになります。地球温暖化を前提に考えますと、この先1.5倍くらいの計算になりますから、対象となるのは600万人くらい。これはすでに発表されているのですが誰も見向きもしない。マスコミなどがちゃんと協力してくれないといけないと思います。こういう情報を世間に伝えるのがマスコミの公器としての役割だと思うのですが。

中野: そういうことを、マスコミももっと熱心に、正確に伝えてほしいですね。



土屋: 先週の金曜日ですか、ある新聞が第一面に「江戸川区は仕分けられたスーパー堤防に来年度予算10億円を計上」と報じました。ローカルな江戸川区が10億円の予算をつけたからといってそれが全国一面のトップ記事になるのでしょうか?一度仕分けられたスーパー堤防に10億円の予算をつけたという見事に否定的な記事です。僕はむしろありがたいと開き直りました。これはこれで注目されるかも知れませんから。我々は江戸川区の住民の命を守る責任があるわけです。その責任を放棄するわけに行きません。必要だったら10億円だろうが20億円だろうが予算をつけなければなりません。しかし、予算をつけたからといって否定的にたたく記事にすることはないじゃないと思います。むしろ、国がやらないといったスーパー堤防に江戸川区は10億円の予算をよくぞつけたと褒めてもらいたいくらいです。そんな地方自治体はないと持ち上げてもらいたかったですが、何か国に弓引くような区があるというふうに否定されてしまいました。
大事なことは、どう逃げて助かるか?

中野: これまで何度も河川について講演されていますね。都市災害について、区としては水害の被害者ゼロを目指すというテーマでお話されたと伺っていますが、その辺のことについて教えていただけますか?

土屋: 内閣府で3年半にわたって専門調査会を設置して、もし大規模水害が起こったらどんなことになるかというのシミュレーションを精緻に研究した最終報告が22年4月に出たのです。それによると、関東地方にカスリーン台風が再来して、同じくらいの水害が起きたら、2600人の命が失われるという数値が出ました。はっきりいって僕はこれは本当にそれくらいの数値ですむのですか?という疑問がありました。本当にそれくらいで済ませるには、何をどうしたらよいのか。区民の命を守るには、本当にそういう備え、行動を考えなければと思います。

中野: 堤防などを造るだけが治水ではないともおっしゃっているとお聞きしましたが?

土屋: 行政として、堤防や治水事業という備えだけではなく、もしも水害が起きたとしたら起こってしまった災害に対して、避難行動としてどう誘導していけばよいか、ハザードマップもつくって計画してきました。それによると、少なくとも8時間前に避難勧告を出して、人が避難行動を起こしたとき、どのくらいのスピードで歩いて、どこの橋をどのくらいの人間が渡りきれるかというのを計算しました。お年寄りもいるだろうし、乳母車を押して歩く女性も居るとしたら、誰もが秩序正しく割り込みもせず、整然と歩いたとして、避難行動をしたとしたら、一人が一時間に2キロしか歩けないと算出されました。

鉄道の線路を1万数千人が歩いて避難

中野: 相当にゆっくりしたペースになるのですね。

土屋: 実は、カスリーン台風の時、江戸川区には破堤後三日目に洪水が来ていますが、誰もが上流の堤防決壊の事実を知っていましたが、同時に昔からの言い伝えで桜土手は丈夫だと聞いていたので、区民は高をくくっていました。しかし、現実には堤防が切れて洪水が来てしまった。区民は高台を求めて総武線の土手に逃げましたが、土手も水没してしまった。これがその時の写真です。人々の目にさらに高台として見えたのがお隣、千葉県市川市の国府台の台地でした。土手は水没していますが、水の中を足で探りながらそこを目指してみんな歩いていったのです。その時は後ろも水、前も水、市川橋も流されていました。唯一渡れる橋が総武線の鉄橋だったのです。洪水の起こっている江戸川の上を、2〜30センチ幅の枕木をつたい歩いて、1万数千人が歩いて渡って逃げました。この時、ただの一人も犠牲者が出ていません。みんなが協力し合って、歩いたそうです。


昭和22年 カスリーン台風(写真 東京都)

中野: すごい事ですね。犠牲者がなく助かって良かったですね。

土屋: この話を講演でしたら、会場に「その時、俺は鉄橋を渡って逃げた」という人がいらっしゃいました。当時12歳の少年だったとか。どうやって渡ったのですかと聞きましたら、土手にすごい人が押し寄せて、黒山の人だかりになっていたそうです。おまわりさんが誘導していたそうです。その方は、お母さんと一緒だったそうですが、いざ自分の番が来たら怖くて足が出なかったそうです。踏み外したら命はないだろうと。そうしたら後ろから早く行けと大人の人に言われるし、なかなか進めないでいたら、お母さんが枕木を歩いて、自分にレールの真ん中の板の上を歩かせながら手を引いて渡ってくれたそうです。
助かるための高台を造る

中野: 水没した線路を歩いて避難する。それで助かるなら、そうした高台を造りたいということですね?

土屋: 江戸川区民は川を渡って避難しなければいけないのが現実です。歴史的事実から今、区として何をすべきなのかと考えました。東は江戸川を渡り、西の方は荒川を渡ってくださいということになります。ただ一つスーパー堤防が小松川のところにありますが、高台となる場所が今はそこしか出来てないのです。最新のハザードマップを作る時、忸怩たる思いでしたが、なんとか川を渡らずに済むのがそのスーパー堤防なのです。防災キャラバンで区民の皆さんにお話しするのは、こういうことを話します。

 群馬大学の片田先生に区民を対象にアンケートをしていただきました。いつどういうふうになったらあなたは避難しますか?という質問でしたが、テレビで放送したら逃げるとか、役所が非難しなさいといったら逃げるとかです。結果は、多くの人が高をくくってすばやく逃げないと出ました。こうしたアンケート通りに人々が行動すると、破堤してどれくらいの時間でどの程度の人が逃げられるかというシミュレーションを先生にしてもらったのですが驚くべき結果でした。先ほど言いました2600人なんていう数字でとても納まりません。すごい犠牲者被害になるとでました。


中野: 同じようなことをNHKで「首都水没」という番組をやりましたが?

土屋: 僕もあれには、少し出ていました。当時、番組をご覧になった人から大きな反響がありました。

中野: まだまだ危機感が足りないのでしょうか?

土屋: 犠牲者ゼロに近づけるには、どうするか、今の堤防と治水で、どうなのかを考えるようにしました。避難行動をちゃんとしたらどうかと考えて、シミュレーションと計画を先生に頼んでいるところですが、どうしてもゼロにはならない。現実には、逃げるための橋が江戸川には市川橋と今井橋の間8キロ架かっていないのですから。そこには橋を架けたいと思います。ハードウェアとしては必要です。その近辺にスーパー堤防の高台部分ができたら良いと思います。

中野: 迫り来る水害の危険について、地球温暖化の影響も考慮すればやはり大事だと?

土屋: 一つには、ハードとソフトの両方が必要なのですが、ハードについては行政、国の責任においてやっていただきたい。程度はありますが、今は国の根幹は小さい政府とかいろいろありますが、最低限やらなければいけないことはやるべきと。外敵というか自然災害も含めて国家間の敵対であれ、そういう中で国民の命を守ることを国が放棄したらもうそれは国家ではない。今まで起きなかったから災害が起こらないと豪語して、今は節約が必要だからダムをやめるというような思考はとんでもないと思います。それでは、もう国民を守る意識がないというのと同じだと思います。

コンクリートは、人を守るために

中野: 現場の第一線におられると、どうしてもそう考えますよね。

土屋: 専門家の意見も聞き、学者の意見も聞いて、現場の意見も聞いて最後に判断するのが政治ではないかと、それこそが政治主導だと言いたい。専門家の意見も聞きません、学者の意見も聞きません、現場の意見も聞きません、ですが全部私が考えてやりますというようなものは、それは政治主導でもなんでもない。児童会のようなものです。専門家の意見を聞かないで技術的判断なんてできないでしょう。お金がないというならば、だったらここは我慢しましょう。リスクの中で逃げる方法はこうです。そういうのが、インフォームドコンセントだし、アカウンタビリティです。そういう危機を隠したうえで安全だというのは、国民を愚弄しているとしか思えないです。

中野: ダムも堤防も何もないままでどうして国民を守れるのか?と。

土屋: 江戸時代からもっと遡って豊臣秀吉、さらに足利尊氏になっても、都を造るときは、山を背負って川辺に造りました。しかし、川は我々に水の恵みをもたらす一方で脅威でもある訳です。その脅威にどうたちむかうかというと、守るべきところを決めてあとは流す。お囲い堤という方法です。

 それが今は許されないほど濃密に我々は暮らしていますから、それを意識しておくべきです。現実的に、昭和40年代までは、ある一定の範囲は、遊水池であることで都市化がゆるされない緑地地域指定をしていました。新規に住宅を建てられない地域だったのです。だから、この地域は容積率が10パーセントです。農家の跡継ぎにだけ新しい家を建てることが許されていたのです。こちらの地域は洪水をうまく利用していた。洪水がきたら、そのまま海に流すのはもったいないから、あぜを切って田んぼに水を入れたのです。それで肥沃な水と土を田んぼにいれて翌年の耕作に備え、洪水をうまく利用していた地域です。船を常備して暮らしていました。洪水がいつも来るような地域だったにもかかわらず、今ではこの地域に人びとが住むことを許してしまったのですから、許した以上安全にしなければなりません。


埼玉県吉川 軒下に船が吊ってある
安物買いの銭失いにならないために

中野: 江戸川区あたりは、もとは洪水が溢れてくる遊水池で、そこに人が住むようになったということですか。

土屋: 国民の命を守るというのは国家の安全保障の仕事、治水も安全保障の一つといえるでしょう。ちなみに、ハリケーンカトリーナでは決壊する一年前に洪水リスクが指摘されていたそうです。ナショナルジオグラフィックという雑誌が、有名な「ゴーン ウィズ ザ ウォーター(Gone with the water)」(水とともに去りぬ)という警鐘記事を出した。ブッシュ政権は、当時ニューオルリンズ一帯の運河の堤防の補強の試算をしたら20億ドルかかるということになり、結局それを節約しようということで何もしなかった。結果、2500人の命が失われて1250億ドルが直接被害になり、その復興に既に900億ドルをつぎこんでいます。これからも掛かりそうだということです。20億ドルを節約しようとして、結局2000億ドル以上の支出になっています。

土木というのは国造りの根幹、継続性が大事

中野: 国づくりの基本であるインフラ整備だとか安全保障だとか、政権が変わっても継続性が大事な政策というものがありますね。そういう視点、発想は大切にしないと。政権が変わったからコロコロと変えられてはとても実現させることができないですからね。

土屋: 治水政策であるとかは、軽々、変えてよいものではありませんね。そういうことを講演で話しますと、おまえはどの政党を応援しているのだと叱られますが、僕はどの政党でもありませんとお答えします。そういう政治色、イデオロギーの違いで、変わってはいけないないものに取り組んでいるのですから。講演では皆さんは今日おうちに帰ったら、水道の蛇口をひねって水を飲めますか?とお聞きします。千人いれば千人全員が水道水を飲めますとこたえますね。飲めない水が出るとは考えていないはずです。それは、誰もが安全で清浄な水が出ると信じているからです。しかし政権が変わったといって、もしも濁った水が出るかもしれないと思ったら飲みますか?そういうことがないようにきちんと守るのが当たり前ではないですか?それが国家です。今まではベースが継承され守られてきた、信頼されて来たからこそ安心していられた。もしベースが守られないとしたらどうなるのですか?為政者が変わるたびに治水安全度が変わるとしたらどうしますか。今は、そういう選択を迫られているというのに気づいていただきたい。

問題を大きくつかむ大局観がいる

中野: 問題の全体をつかまえる想像力なさが問題なのでしょうか? マスコミも乗ってしまうところがあって困りますね。



土屋: 例えば、お母さんだったらこう考えるでしょう。食事前、子供が今チョコレートを食べたいと言い出したら、ちゃんとご飯を食べてからにしなさいといいます。子供の成長を考えて栄養バランスを考えて、ちゃんと食べましょうとなります。もし、それに無頓着だったら、食事もせずにアイスクリームがいい、ケーキがいいということになったらどうしますか?今、アンケートをとりましょう、住民の意見、国民の意見を聞いてみましょうと言いますが、そういうのを聞き出したら、みんな目先のおいしいものしか言いませんよ。お金も直接給付で配ってくれたらそれはありがたいです。しかし、次の世代はどうなるのですか?子供は育っていかなければならないのに、そのベースを失ったら日本という国はありえないじゃないですか。今は臥薪嘗胆、苦労しても我慢しても、次の世代が生きていける場所を引き継いでいく。それが今を生きている私たち人間の役割ではないですか?それを放棄して、今、一時、おいしいものが食べられたら、楽なら、みんなが良いということだけをやっていたら、それはもう政治ではないし、親でもないと思います。
中野: たしかに戦後復興してきて、私たちの親の世代は苦労してがむしゃらにやってきたと思いますが、それを次にどう引き継ぐかのことをうまくできていない感じがしますね。

土屋: 治水の話としても、明治政府が近代の機械化施工という技術を手に入れて、荒川放水路を掘ってから百年、掘り上がってからわずか80年しか経っていませんが、その間に世代交代してきましたが、東京の安全を守る治水を止めたことはないのです。首都東京を安全にしよう、発展させようと先輩たちが取り組んできたことを、今止めろというのは、どういう根拠があってのことかと考え込んでしまいます。治水に責任を持つ身としては、そんな無責任なことを要求されてはだまっていられません。その政策なしで、どうするのか代替案もないまま、ただ止める、やめる、というのであれば、どうやって安全に生きていく街を次の世代に残してあげられるのですか?大真面目に、真正面からそう聞きたいのです。

寡黙な土木屋のままではいけない

中野: 地道なことですが、マスコミにクローズアップされている問題だけでなく、身近な安全にかかわる問題点が横たわっているということをもっと発信しなければいけなかったですね。

土屋: 土木屋は下手でした。昔から縁の下の力持ちというか、人知れず社会の役に立つことを黙々とやっていれば良いというようなところがありましたから。知られずにやっていることが誇り、そういう美学だったのです。そういうことが今になって影響しているのかも知れません。土木学会の初代会長である青山士こそが、人知れずものを造る美学を生んだのです。荒川放水路ができたとき「共に苦労せし仲間に」とは彫ったけれど、大河津分水を造った時「万象に天意を悟るものは幸いなり」「人類のため、国のため」とは書いてあるけれど、どこにも青山の名前は出てこない。名を名乗って誇るなと、初代の会長が言ったものだから、土木学会の倫理規定には、人知れず一生懸命頑張れという精神が引き継がれてきて、今に至るのです。それは我々の誇りでもありますが、どうも反省しなければいけない部分もあります。


自分の満足のためにする仕事より、他者に喜んでもらえる仕事を

中野: これから土木をめざす学生など、若手に対して何かメッセージはありますか?

土屋: やはり、自分のために仕事をして得られる満足感よりも、他者のために仕事をすることのほうが、はるかに大きな満足感が得られるということを知って欲しいと思います。今自分が腹減っているから美味しい料理を作って食べようというのよりも、誰かに美味しいといってもらえることのほうが大きな喜びがある。土木を志す人には、そういうことを語り継いでいって、自己実現のできる満足感と共に、それが社会に貢献できる仕事なんだというのを伝えられればいいなと思います。学生の方には机上の勉強だけでなく、いろんな現場をみてわかって欲しいと思います。

 土木学会では近代土木遺産指定というのがありますが、そういうのを見て多くの人たちが血と汗を流しながらみんなのためにこういうのをやったというのを知って欲しい。荒川放水路を造ったときの国民生活がどういうレベルだったかを知って欲しい、苦しい生活をしている中でもあれだけの税金をつぎ込んで、大河川を掘ったのですから。どういうことでそれを造ったのか、首都東京が水に浸からないために、安全な街にするためにということですよね。はるかに今よりみんながひもじい思いの中で、それを造ったのですから。我が事のために多くの税金を使うよりも、次の世代のために何かを残すことを考えるべきではないでしょうか?

中野: 今は公共事業が無駄の温床のように言われ、悪者にされてしまっています。こうした状況では、次の世代が安心して暮らせる都市になるとは思えないのですが?

土屋: 僕が東京都に入ったときの都知事は美濃部さんでした。彼の言葉で有名なのが「一人でも反対があれば工事はやりません」という趣旨のものがありますが、実はそのあとに続く言葉が省略されてしまっています。本当は、「一人でも反対があれば、工事はやらないという選択はある。ただし、そのことで不便になることがあれば皆でその不利益を共有しましょう」というものです。だから一人の反対者のために増えるリスク、不便さについて皆さんが許容できるならばやらないという選択もできる」という趣旨だったのに、その部分が切り取られてしまいました。

 それと美濃部さんの時にやったことであとあとまで尾を引いたのがシルバーパスの無料化の問題です。これは直接給付制度になるのですが、一度始めたら廃止するまでに20年もかかりました。なかなかやめられない制度というものは、政策として非常によくないものです。財政が厳しい状態であればなおさらじゃないですか。

 よく国家百年の計と言いますが、東京が水に浸かった明治の洪水から百年、なんとかして首都を水害から守るために荒川放水路を造ってくれた先人たちの思いを我々はちゃんと次の世代にも引き継いでいかなければいけないと思います。たとえ時間やお金がかかろうとも、いま出来ることをやらなくて、どうやったら海抜ゼロメートルの地域に暮らす人々の命が守れるのでしょうか?洪水や高潮が来ても、あるいは津波が来ても歩いていける程の距離に高台の土地がどこにもない土地に暮らすというリスクをどう考えるのですか?今の進捗度で400年かかる計画など無駄というなら、倍の予算を出して200年にするとか、ほんのごく一部だけでも高台にして避難ビルを建てるとか、民間の力を借りるやり方を考えるべきではないでしょうか?今のまま何もしないで、仕分けですべてをやめてしまってそれで良いと思っているのでしょうか?本質的に、きちんとやるべきことと、そうでないことの本当の仕分けが今こそ我々に必要なのではないでしょうか。

中野: 首都圏に来るかもしれない、水害の恐ろしさについて、あまりに私たちが無頓着過ぎて、すごく身につまされるようなことばかりでした。本日は、たいへん貴重なお話をありがとうございました。



(参考)土屋信行さん プロフィール

土屋信行(つちやのぶゆき)
技術士(建設部門・総合技術監理部門) 土地区画整理士

 1975年東京都入都。第四特定街路建設事務所、第五建設事務所、下水道局建設部土木設計課主査、多摩都市整備本部区画整理担当主査、江戸川区区画整理推進課長、東京都第三区画整理事務所換地課長、建設局区画整理部移転工事課長、建設局道路建設部街路課長などを歴任し、2003年より江戸川区土木部長を務める。2011年 江戸川区環境促進事業団理事。
 この間、環状七号線、環状八号線の建設・設計、つくばエクスプレス六町駅土地区画整理事業に従事。中でも、秋葉原及び汐留再開発事業のまちづくり設計を行った。
江戸川区では、放置自転車ゼロ対策に取り組み、日本一の葛西地下駐輪場を完成させ、日本土木学会賞を受賞した。特に災害対策では、ゼロメートル地帯の洪水の安全を図るため、平成20年度に、海抜ゼロメートル世界都市サミットを開催し、現在も幅広く災害対策に取り組んでいる。

[関連ダム]  八ッ場ダム
(平成23年6月作成)
ご意見、ご感想、情報提供などがございましたら、 までお願いします。
【 関連する 「このごろ」「テーマページ」】

 (ダムインタビュー)
  [テ] ダムインタビュー(1)萩原雅紀さんに聞く「宮ヶ瀬ダムのインパクトがすべての始まり」
  [テ] ダムインタビュー(2)宮島咲さんに聞く「ダム好き仲間とOFF会に行くのが楽しい」
  [テ] ダムインタビュー(3)灰エースさんに聞く「ダムだから悪いという書き方はおかしい」
  [テ] ダムインタビュー(4)川崎秀明さんに聞く「ダムファンがいるからプロもやる気になる」
  [テ] ダムインタビュー(5)高田悦久さんに聞く「ダム現場では行動することが一番大事だ」
  [テ] ダムインタビュー(7)takaneさんに聞く「ダムの管理をしている人がブログを立ち上げてくれたら、僕読みますよ」
  [テ] ダムインタビュー(6)さんちゃんに聞く「ベストショットは川口ダムの夜景です」
  [テ] ダムインタビュー(8)土木写真家・西山芳一さんに聞く「いい写真は努力や熱意が伝わってくる」
  [テ] ダムインタビュー(9)Dam masterさんに聞く「機能と造形と自然の組み合わせが面白い」
  [テ] ダムインタビュー(10)水資源機構・金山明広さんに聞く「地元、ダムマニア、ダム管理事務所がコラボレーションできれば」
  [テ] ダムインタビュー(11)古賀河川図書館館長・古賀邦雄さんに聞く「将来は1万冊を目標にしようという気持ちでいます」
  [テ] ダムインタビュー(12)中村靖治さんに聞く「ダムづくりの基本は、""使いやすいダム""を設計するということです」
  [テ] ダムインタビュー(13)江守敦史さんに聞く「ダムについて何時間も語れる萩原さん。彼と本質を突き詰めたからこそ、面白い本になりました」
  [テ] ダムインタビュー(14)藤野浩一さんに聞く「欧米では水力を含む再生可能エネルギーの開発に重点を置いています」
  [テ] ダムインタビュー(15)安河内孝さんに聞く「”碎啄同時(そったくどうじ)”という言葉があります。モノづくりの技術の継承は、教える側と教わる側の力が寄り添ってこなければ、うまくいかない」
  [テ] ダムインタビュー(16)石川順さんに聞く「ふと閃いたのがダムだったんです。」
  [テ] ダムインタビュー(17)杉野健一さんに聞く「経験を重ねるというのはダム技術者にとって大事な財産」
  [テ] ダムインタビュー(18)だいさんに聞く「ダムを見るいちばんのポイントは機能美だと思っています」
  [テ] ダムインタビュー(19)琉さんに聞く「時々 ""ダム王子"" とか呼ばれちゃってますけど」
  [テ] ダムインタビュー(20)西田博さんに聞く「一部分の経験しかない人が増えることで、ダム技術の継承が心配される」
  [テ] ダムインタビュー(21)緒方英樹さんに聞く「“土木リテラシー”の必要性を強く感じています」
  [テ] ダムインタビュー(22)吉越洋さんに聞く「電力のベストミックスといって、火力、水力、原子力などの最適な組み合わせを考えて、計画をたてています」
  [テ] ダムインタビュー(23)竹林征三さんに聞く「ダムによらない治水と言うが、堤防を強化して首都圏の大都市を守れるのか」
  [テ] ダムインタビュー(24)高橋裕先生に聞く「公共事業を軽んずる国の将来が危ない」
  [テ] ダムインタビュー(25)竹林征三さんに聞く(その2)「風土との調和・美の法則を追求して構築したのが『風土工学理論』です」
  [テ] ダムインタビュー(26)竹村公太郎さんに聞く「未来を見通したインフラ整備が大事で、ダムの役目はまだまだ大きいですよ」
  [テ] ダムインタビュー(27)虫明功臣先生に聞く「八ッ場ダムは利根川の治水・利水上必要不可欠」
  [テ] ダムインタビュー(28)水野光章さんに聞く「水と安全はタダといった安易な考えではいけないと、あらためてそう思います」
  [テ] ダムインタビュー(29)萃香さんに聞く「ダムの魅力を引き出せるような写真を撮って公開していきたい」
  [テ] ダムインタビュー(30)樋口明彦先生に聞く「ひっそりと自然の中に佇むようなダムが美しい、とスペインの名もないダムを見て気づいた」
  [テ] ダムインタビュー(31)宮村 忠先生に聞く「これからは‘線’ではなく‘点’で勝負すべきだ」
  [テ] ダムインタビュー(33)沖大幹先生に聞く「ダムは造りすぎではなく最低限の備えが出来た段階だ」
  [テ] ダムインタビュー(34)阪田憲次先生に聞く「技術者には""想定外を想定する想像力""が求められている」
  [テ] ダムインタビュー(35)谷茂さんに聞く「これからは少しゆっくりと環境に負荷を与えないかたちでダムを造る方法もあるのではないか」
  [テ] ダムインタビュー(36)大藪勝美さんに聞く「インフラの重要性をもっと多くの人に知ってもらいたい」
  [テ] ダムインタビュー(37)武田元秀さんに聞く「四十年来の思いが叶い、『ダムと鉄道』にまつわる話を出版することができました」
  [テ] ダムインタビュー(38)山内 彪さんに聞く「若い人は、ダムを糧として立派な総合技術者として育っていって欲しい」
  [テ] ダムインタビュー(39)角哲也先生に聞く「ダムのアセットマネジメントの話をするときに何か目標がいる、千年ではどうかと」
  [テ] ダムインタビュー(40)唐澤一寛さんに聞く「人にものを頼もうとする時は、こちらも誠意をもって付き合わなければいけない」
  [テ] ダムインタビュー(41)糸林芳彦さんに聞く「今は新規のダム計画がなくとも、ダム技術は常に磨いておくべき。いずれ時代の要請に応える日が来るから。」
  [テ] ダムインタビュー(42)今村瑞穂さんに聞く「ダム操作の定式化と現場適用性の向上は車の両輪」
  [テ] ダムインタビュー(43)本庄正史さんに聞く「ダムの海外展開は、現地社会に貢献するという、貢献がキーワードだと思います」
  [テ] ダムインタビュー(44)石田哲也先生に聞く「何か起きたときのリスクのあるシナリオをきちんと一般の人に伝えていかないと」
  [テ] ダムインタビュー(45)古川勝三さんに聞く「今こそ、公に尽くす人間が尊敬される国づくり=教育が求められている」
  [テ] ダムインタビュー(46)入江洋樹さんに聞く「水を大切にするという日本人の心の原点を守り、継承していけば1000年先もダムは残っていく」
  [テ] ダムインタビュー(47)島谷幸宏先生に聞く「設計をする時に環境設計と治水設計を一体的にすることが一番重要なのです」
  [テ] ダムインタビュー(48)吉津洋一さんに聞く「先人から受け継いだ素晴らしい‘くろよん’をしっかり守り、引き継いでいきたい」
  [テ] ダムインタビュー(49)足立紀尚先生に聞く「ダムの基礎の大規模岩盤試験を実施したのは黒部ダムが最初でした」
  [テ] ダムインタビュー(50)山口温朗さんに聞く「徳山ダムの仕事はまさに地図にも、私の記憶にも残る仕事となりました」
  [テ] ダムインタビュー(51)安部塁さんに聞く「新しい情報を得たらレポートにまとめてダム便覧に寄稿しています」
  [テ] ダムインタビュー(52)長瀧重義先生に聞く「土木技術は地球の医学、土木技術者は地球の医者である」
  [テ] ダムインタビュー(53)大田弘さんに聞く「くろよんは、誇りをもって心がひとつになって、試練を克服した」
  [テ] ダムインタビュー(54)大町達夫先生に聞く「ダム技術は、国土強靱化にも大きく寄与できると思います」
  [テ] ダムインタビュー(55)廣瀬利雄さんに聞く「なんとしても突破しようと強く想うことが出発点になる」
  [テ] ダムインタビュー(56)近藤徹さんに聞く「受け入れる人、反対する人、あらゆる人と話し合うことでダム建設は進められる」
  [テ] ダムインタビュー(57)小原好一さんに聞く「ダムから全てを学び、それを経営に活かす」
  [テ] ダムインタビュー(58)坂本忠彦さんに聞く「長いダム生活一番の思い出はプレキャスト型枠を提案して標準工法になったこと」
  [テ] ダムインタビュー(59)青山俊樹さんに聞く「相手を説得するのではなく、相手がどう考えているのかを聞くことに徹すれば、自然に道は開けてくる」
  [テ] ダムインタビュー(60)中川博次先生に聞く「世の中にどれだけ自分が貢献できるかという志が大事」
  [テ] ダムインタビュー(61)田代民治さんに聞く「考える要素がたくさんあるのがダム工事の魅力」
  [テ] ダムインタビュー(62)ダムマンガ作者・井上よしひささんに聞く「ダム巡りのストーリーを現実に即して描いていきたい」
  [テ] ダムインタビュー(63)太田秀樹先生に聞く「実際の現場の山や土がどう動いているのかが知りたい」
  [テ] ダムインタビュー(64)工藤睦信さんに聞く「ダム現場の経験は経営にも随分と役立ったと思います」
  [テ] ダムインタビュー(65)羽賀翔一さんに聞く「『ダムの日』を通じてダムに興味をもってくれる人が増えたら嬉しい」
  [テ] ダムインタビュー(67)長谷川高士先生に聞く『「保全工学」で、現在あるダム工学の体系をまとめ直したいと思っています』
  [テ] ダムインタビュー(66)神馬シンさんに聞く「Webサイト上ではいろんなダムを紹介する百科事典的な感じにしたい」
  [テ] ダムインタビュー(68)星野夕陽さんに聞く「正しい情報を流すと、反応してくれる人がいっぱいいる」
  [テ] ダムインタビュー(69)魚本健人さんに聞く「若い人に問題解決のチャンスを与えてあげることが大事」
  [テ] ダムインタビュー(70)陣内孝雄さんに聞く「ダムが出来たら首都圏の奥座敷として 訪れる温泉場に再びなって欲しい」
  [テ] ダムインタビュー(71)濱口達男さんに聞く「ダムにはまだ可能性があっていろんな利用ができる」
  [テ] ダムインタビュー(72)長門 明さんに聞く「ダム技術の伝承は計画的に行わないと、いざ必要となった時に困る」
[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]