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ダムインタビュー(43)
本庄正史さんに聞く
「ダムの海外展開は、現地社会に貢献するという、貢献がキーワードだと思います」

 本庄正史(ほんじょう まさし)さんは、昭和44(1969)年、京都大学大学院工学研究科を修了後、株式会社大林組に入社。その後、同社が建設した数々のダム現場でエンジニアとして活躍し、大林組の土木部門を率いる本部長などの要職を歴任した後、平成19(2007)年、代表取締役副社長に就任されました。翌年には、大林組は世界一の高さを誇る電波塔・東京スカイツリーを着工。平成24年、無事に竣工し内外の話題を集めたことは周知のことです。平成23(2011)年に顧問となり、現在では第一線のエンジニア生活を離れておられます。

 本庄さんは、社外でも多く活動して来られ、これまでダム工事総括管理技術者会(CMED会)会長やダム工学会会長を歴任し、常にダムに関わる人たちを引っ張って来られました。

 ダム建設では、国内のみならず米国オレゴン州のエルククリークダムの建設工事を担当。日本企業による初の米国でのダム現場を経験されました。しかし、残念ながらエルククリークダムは、着工後、環境保護団体が起こした訴訟により工事中止命令が出されたため完工することはありませんでしたが、高さ76mの重力式コンクリートダムをわずか半年で施工するという驚異的なスピード工事に取り組まれた経験を持っておられます。

 今回は、本庄さんの豊富なダム工事にまつわる様々なご経験と、後のダム撤去につながったエルククリークダムなどについてお伺いしました。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)




土木へのきっかけは、黒四ダム

中野: まず、ダム技術に携わるようになったきっかけは、どういう理由でしょうか?もともと学生時代に土木やダムという将来の方向性があったから大学院へも進学されたのですか?

本庄: 小学校の友人の兄が関西電力に勤務されており、黒四ダムについての話をよく聞かされていた経験があり、それが頭の片隅にあったのだと思います。今から考えるとおそらくそのことで、土木やダムという方面に興味が出て、京都大学の土木を選んだのだと思います。
 その後、大学院に進みましたが、学部時代準硬式野球部に所属し野球に熱中しほとんど勉強していなかったので、少しは腰を据えて勉強しなければと思い進学しました。

中野: 大林組への就職についてはいかがでしょうか?どんなところに会社の魅力を感じられたのですか?

本庄: 先ほども言いましたように黒四ダムの話を聞き、確たる信念もなく土木を選びましたが、就職する頃になり、ダムのような大規模工事に携わってみたいという思いが大きくなり、施工会社を志望しました。私は、生まれも育ちも神戸であり、また大林組も大阪に本店を置く会社であり、先輩も多く名前だけは知っていました。しかし、会社の内容もよく調査せず、就職先を選んだのは恥ずかしい限りです。

苦情の来る地下鉄工事は苦手

中野: 就職後の配属は?初めて現場に出られたのは、どこのダムですか。

本庄: 入社一年目は、大阪本店土木設計課に配属され、その後、大阪市内の地下鉄工事等いわゆる都市土木の現場に従事しました。それなりにやりがいはあったのですが、都市土木工事は交通規制等の理由により夜の工事も多く、そのため近隣住民からの苦情を受ける機会も多く、それが度重なるにつれ何か仕事に違和感を持ってしまい、ダムのような大規模工事に携わりたいというもともとの願望が頭から離れず、配属希望を出しました。入社後7年目の昭和51年でした。タイミングよく昭和51年末に、当時の水資源開発公団の一庫(ひとくら)ダムが発注され、配属されることになりました。当時、私は32歳で工事課長という肩書きでしたが、初めてのダムの経験でした。工事課長という役職がつき部下もいましたので、ダムについて必死に勉強したことを覚えています。


筆者による一庫ダムの最終コンクリート締固め
 着任の際、「私はダム初経験であり、ダム現場のことを知りません」と挨拶したら、そんな工事課長がいるのかとあきられましたが、水資源開発公団の皆様方が本当に親身になってダムのことをいろいろ教えて下さいました。良い発注者、先輩方に囲まれていたと、今も深く感謝しています。
 一庫ダムには、現場の乗り込みからコンクリートの最終打設まで5年間所属し、その間にダムについての技術、コスト等みっちり勉強しました。この一庫ダムが私のダム施工の原点になっています。

ダム造りは常に工夫が求められる

中野: いろいろなダムに行かれた中で、ダム技術者としてやりがいのあったダムというのはどこですか?

本庄: 一庫ダムの後、奈良県の初瀬ダム、その後米国に渡って米国陸軍工兵隊のエルククリークダム、国内にもどり当時建設省の宮ヶ瀬ダム、最後に当時水資源開発公団の富郷ダムに携わりました。やりがいはどのダムも同じようにありました。ダムの原点、最後の総仕上げが水資源開発公団のダムということで何か因縁めいたものを感じます。


富郷ダム

中野: 富郷ダムは、今まで習得した技術の総仕上げと言うことですが、どういうポイントがあるのでしょうか。

本庄: 近年ダム建設現場においては、他の建設現場と同様、労働者の高齢化、熟練労働者の不足が問題となってきていますが、このような状況下において、安全を最優先にし、しかも経済性を確保する事が要求され、様々な技術開発が進められてきました。富郷ダムにおいてもこのような重要課題解決のため技術開発を行いました。

中野: それを技術的に解決していくということで、具体的にはどういうことに取り組まれたのでしょうか?
本庄: 富郷ダムにおいては、安全性、経済性をより一層高めるための一方策としてコンクリート運搬設備の自動化に全力を注ぎ込みました。具体的には、バッチャープラントにおけるコンクリートの積込みから堤体上のグランドホッパーまたは打設位置でのコンクリート放出までの一連のサイクルを自動化しました。コンクリート主運搬設備としては両端移動式ケーブルクレーン(20t吊)を使用しました。

米国でダム工事を受注するには…

中野: 米国でダム事業にも携わったと言うことですが、どういうきっかけで手がけることになったのですか?

本庄: 昭和58年、初瀬ダムに従事していた時ですが、当時、国の予算がゼロシーリングで、県にまわってくる予算は通常の年間施工高の30〜40%程度と非常に少ない状況でした。そこで、現場における経費節減のため現場と本店の兼務になりました。それが米国のエルククリークダムにつながっていくのです。



中野: 国内の予算が厳しい時に海外に目を向けたということでしょうか?

本庄: 当時、国内の公共事業がゼロシーリングということで、将来を考え各社が海外に目を向け始めました。当社もたまたま米国のサンフランシスコ市から下水道工事(シールド工事)を受注しサンフランシスコに営業所を設置しました。そのような背景もあり米国においてダム工事受注を目指すことになりました。私も初瀬ダムと本店兼務の身であり暇をもてあましていると見られたのでしょう。見積要員として米国に出張いたしました。

中野: 大林組は本気で米国でのダム建設の仕事をとろうと?初めての入札はどうでしたか?
本庄: 米国における初めてのダム応札物件は、米国開拓局のアッパースティルウォーターダムでした。米国開拓局はフーバーダムの建設を契機に大きく発展し主として米国西部の水資源開発を行ってきました。アッパースティルウォーターダムは堤体積約110万m3のRCCダムでした。当時、サンフランシスコ営業所には、ダムに精通した米国人の職員はおらず、日本人主導で日本式見積を行いました。入札額は高く、入札結果は無惨なものでした。当然の結果でしたが、これで諦めることなく何としても受注に向け全力で取り組もうという会社の方針でした。

中野: 今度は、本当にアメリカでダム工事がとれるまでと、いわれたのですね。

本庄: ただ、出張ベースですと、時差により相当疲れるので、家族帯同で腰を据え、ダム受注に専念するよう会社に希望し、受け入れてもらいました。

仕事のやり方の違いを学ぶ

中野: それで1987年にエルククリークダムの建設を受注されたのですね。
 入札まではどれくらいの時間がかかりましたか?

本庄: まず米国に勤務し米国のダム施工に関するあらゆる情報収集に全力で取り組みました。もちろん施工中のダム現場の見学をし、現場所長からも話を聞き見積業務の参考にしました。
 その結果徐々に入札価格の精度も良好となってきましたが、なかなか受注には結びつきませんでした。数多くの入札に参加し、ようやく1986年末に待望の米国陸軍工兵隊発注のエルククリークダムを受注することができました。米国に渡って3年が経過していました。

中野: 受注のポイントは、何だったのですか?


本庄: 米国の入札は日本国内のように予定価格はありません。最低入札金額の会社が書類等に不備がない限り受注します。とにかく受注するためにコストを下げる事が重要なのです。そのためには、仮設備や施工法において徹底的な合理化を追求しコスト低減をはかる必要があります。ここに日本の技術が入り込む余地があります。海外進出を目指すためにはやはりコスト削減の技術開発が重要なのです。

中野: 値段だけではなく、このダムは施工スピードもとても早かったとか?

本庄: 堤高約76m、堤体積約73万m3のダムのコンクリートを6ヶ月で打ち上げることが要求されました。これは日本では到底考えられない早さです。

中野: 実際には、どういうふうに施工されたのですか?

本庄: 約73万m3のRCCを6ヶ月で施工するという急速施工のため、最大月打設量を20万m3と計画し仮設備計画を行いました。ポイントであるコンクリート運搬については32tダンプトラックによる直接打設とベルトコンベヤ+堤内32tダンプトラックによる施工法を比較検討した結果、経済性により後者を選定しました。また常用洪水吐き、堤内仮排水路非常用洪水吐きにより堤内ダンプトラックの走行が分断されるためベルトコンベアを2系列としました。(写真)


エリククリークダムの2系列ベルトコンベア
もの造りの思想が異なる

中野: ものすごいスピードでコンクリート打設したのですね。

本庄: 最速値として時間あたりにして760m3を記録しました。これは世界新記録で米国のENRという雑誌にも紹介されました。多分、日本国内の2倍以上のスピードであると思います。しかしこのような高速施工が可能になったのはいろいろな規制を緩めているからで、例えば、仕上げ面においては、堤体の上流面は型枠を使用しましたが、下流面は道路縁石施工用スリップフォームであるカーブマシンを使用し下流型枠のかわりをしました。仕上面は日本では認めてもらえないような仕上がりです。

カーブマシンを使用した下流型枠の施工
 横継目は日本ですと15mごとに設置していますが、当ダムでは15mではなく、岩盤の変化点に設置しており、最大70m間隔もありました。また、打設後ダンプ走行可能時間の制約も緩めています。高速施工をするためにいろいろな面で設備や施工の工夫をしていました。それともう一つ大きなことは、堤頂長が約800mでありRCCという急速施工に適していたことでした。米国のRCCのもともとの思想は、品質には少々目をつぶっても経済性を重視することだと私は思っています。

中野: そのほか、米国のRCCで気づかれた点はありますか。

本庄: エルククリークダムを受注する前に、ウィロークリークダムを見学しました。これは米国で最初にやったRCCダムでエルククリークダムと同様、発注者は米国陸軍工兵隊でした。河川堆積土砂を76mm以上をカットしただけで分級はせず、セメント47s/m3、フライアッシュ19s/m3のミキサーで混合しコンクリート打設したもので、下流面の仕上げ面は悪く、手で触れるとボロボロと落ちてくる状況でした。また漏水も見られました。これが米国のRCCの原点です。日本のRCDとは、両国における設計思想、国土、風俗、習慣、環境等の相違に起因するものであり両者の優劣を議論することはできないと思います。


訴訟大国での、やり方

中野: エルククリークダムは結局、建設途中で終わって、裁判所で工事停止命令が出たのですか?

本庄: エルククリークダムプロジェクトは、当初以来、環境保護団体は「ダム湛水後、下流に放流された水により、下流河川の汚染が広がり、魚の生命が危険にさらされる。」という理由で、米国陸軍工兵隊と争ってきました。1986年1月U.S.DISTRICT COURTは、「1980年陸軍工兵隊による環境調査は十分妥当なものであり、エルククリークダムを建設しても支障なし。」との判決を下し発注に踏み切りました。しかし環境保護団体は、この判決を不服とし、上級審である9TH U.S.DISTRICT COURT OF APPEAL に上訴していましたが、1987年6月、9TH U.S.DISTRICT COURT OF APPEALは、1980年以降についての調査が不十分であり、したがって、この調査ができるまで工事中止命令を出すように一審に差し戻しました。1987年8月、U.S.DISTRICT COURTはこれを受けて工事中止命令を出したのです。

中野: 工事をやり始めてから裁判で中止命令が出たということですが、そういう場合、工事費用は払ってもらえたのですか?

本庄: 当然、契約に従って精算しました。

中野: 途中まで造ったダムは、その後どうなったのでしょうか?インターネットで動画が出ているそうですが、最終的には爆破して壊したとか?

本庄: エルククリークダムは工事中止命令が出されましたが、ダム堤高約25m、堤体積約23万m3と、原設計の1/3程度しか施工することができなかった事が残念でした。インターネットの動画でダム本体が爆破されるのを見ましたが、本当に悲しい、腹の立つ映像でした。

中野: 米国は、何でも裁判にするという訴訟大国ですから、反対派のやり方としても工事差し止めを裁判で争うのですね。

本庄: 良くも悪くも契約社会、訴訟大国です。米国は多民族国家であり、いろんな人種がいますから、いざとなると頼りになるのは契約書しかありません。契約にクレームがあるなら、裁判により解決しようという考え方だと思います。弁護士の数も日本の約30倍いると言われています。それに比べ日本の建設業においては契約に対する概念がまだまだ希薄であり、発注者と契約について争うような事は考えられない状況です。

ダムのことが知られていない

中野: 日本では、もうほとんどの川にダムを造ってきて、ダムサイトに適している場所がないということと、環境優先、ダム反対論のおかげで、原発停止で電力不足が叫ばれる中でもダムで水力発電をという声もあまり聞かれないというのが現状です。新規のダム事業が少なくなる中、ダム技術はどうやって継承していけば良いのでしょうか?

本庄: 実は、頭の痛いところです。ダムは治水とか利水を通じて、国民に安全安心を提供するための重要な社会資本であると思っていますが、現在、一般国民の誤解も含め厳しい局面に立たされています。ダムを推進するとなると、なかなか理解が得られないという状況にありますが、われわれダム技術者はダムの役割、効果等ダムに関する情報を「正確に」「分かりやすく」「地道に」発信し、今まで以上にダムに対する理解を深めてもらうべく努力する必要があります。


中野: 当協会でもダムマイスターさんに活動してもらってダムのPRに努めてもらっています。

本庄: すぐに理解が深まるというのは、難しいのかも知れませんが、地道に長い年月をかけてもやっていかねばいけないでしょう。
 最近、降雨のパターンは1時間あたりの雨量が130mmという今までにはなかったような集中豪雨です。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第4次評価報告でも、将来の降雨パターンは変化し、年間を通じて降雨量は減少するが、集中豪雨のような極端な大雨の頻度は増加すると予測されています。このような状況下でダムの重要性が必ず再認識されると思っています。

中野: ダムには洪水調節の機能がありますが、発電ダムのように利水目的では、もともと豪雨の際の洪水を止めることにはなっていないということを情報として発信していないという不備も考えられます。

本庄: 全く同感です。一般にダムというのは洪水調節をするものだと思っている人が多いと思います。ダム技術者はともかく一生懸命にダムを造っていれば、必ずダムに対する理解を得ることができると固く信じていました。そこに驕り、思い上がりがあったのではないでしょうか。反省すべき点は真摯に反省しなければならない。

技術屋も時代に合わせて、変わらなければ

中野: 大林組としては、スカイツリーの施工者ということで世の中から大きく注目され、これからもたくさんの若手技術者が入ってくると思われますが、ダム技術者の育成という面では、どのようにお考えでしょうか?

本庄: スカイツリーは建築部門で花形なので目立ちますが、土木部門は道路、橋、ダムにしろ、国にとって非常に重要な社会資本ですが、あまり人目を引くものではありません。しかし、国の重要な社会資本整備に従事するということは、われわれ技術者にとっては一つの誇りです。私が入社した頃は、大規模な公共工事であるダム、橋梁、トンネル等の工事に誇りをもって従事していましたが、今はそのような雰囲気が薄れてしまったと感じています。そこが問題なのだと思います。
 しかし、いくら問題だ問題だと危惧したところで問題解決にはなりません。やはり先輩達が若手技術者教育に真剣に、地道に取り組むことが重要であると思っています。形式上ではなく心からの教育が非常に重要です。

中野: ダムのイメージも悪いですよね、ムダの象徴のように言われて。水道もあって当たり前でとくに有り難味などを感じる環境にありません。そういう中にあって、CMED会、あるいはダム工学会として、若手技術者の育成という面でどういう事をしていくべきなのか。後輩の皆さんに対して何かアドバイスされることはありますか?

本庄: ダムの若手技術者の育成のためには、ダムの工事の最前線である現場に従事させることが一番近道であると思いますが、ダムの新規発注が減少しているため情報も集まらないし出てこないので、CMED会あるいはダム工学会が主導的な立場で開発技術あるいはダムに関する情報を発信する役割を担うことが重要なのです。すでにその役割を担っていますが、その育成効果をチェックし、大きな成果を得ることができる手段について常に検討を重ねていただきたいと思います。

これからのダム事業を考える

中野: これからの時代、ダムはどういう方向で考えていくのが良いと思われますか?

本庄: 先ほども言いましたが、経済的、社会的、環境的要因等により国内の新設ダムは減少していく傾向にありますので、既設ダムの嵩上げ、ダム施設強化、ダムのリニューアル等のダム再開発事業に軸足を移していかざるを得ないでしょう。もちろん海外進出を図ることも選択肢の一つです。

中野: 再開発でもダム技術の継承は可能ですか?

本庄: ダム技術継承は新設ダム建設によってのみ継承されるとは思っていません。ダム再開発事業においても技術を開発しダム技術を継承することは可能です。例えばダムの嵩上げ工事などは、コンクリート打設に関する技術は新設ダムの技術と同じで、嵩上げ工事を施工することにより技術は継承されると思います。

中野: ダム事業の海外展開についてのお考えを聞かせて下さい。


本庄: ダム事業の海外展開については、ただ単純に国内事業の減少を補うために海外展開を進めることは危険です。従来は、プロジェクトを受注すると多数の日本人を派遣し、日本主導で工事を進め、完成後は現地に留まることなくまた日本へ戻ってくる。今後は意識改革が必要で、やはりその地に長く住み、地元に溶け込み、現地企業と良きパートナーシップを築くことです。ダムの海外展開は、現地社会に貢献するという、貢献が一つのキーワードだと思います。

中野: 海外展開における技術的な課題は何でしょうか?

本庄: 日本企業の技術そのものは一流ですが、海外では特にコスト面において競争力がなく、通用しないことが多く見受けられます。早急に海外に通用するコスト削減のためのダム技術を確立することが重要課題です。コスト削減は施工面だけでは限度があり、エンジニアリング分野にまで踏み込み徹底的な合理化を追求しなければならない。今後われわれダム技術者はエンジニアリング能力を身につけるべく努力する必要があります。

若い技術者は目標を持ち大いにチャレンジして欲しい

中野: 若い技術者に対するアドバイスをお願いします。

本庄: 若い技術者に対し常に言っている事の一つは、この分野においては社内外を問わず第一人者、プロを目指しなさい。そのためには目標を設定しそれに向かって常に問題意識を持ち、日々地道な努力を積み重ねることが重要で、日常業務に追われて日々漫然と過ごす人と目標を持ち問題意識を常に持ち日々努力を重ねる人とは、5年、10年後比較すると大きな差がついているのです。二つ目は、大いにチャレンジしなさい。何もチャレンジしないで、失敗しない人と、熟慮した後チャレンジをしたが、失敗した人を比較したとき私は後者の方を評価します。
 ダム事業を取り巻く環境は厳しく閉塞感が漂っている状況ですが、若手ダム技術者はダム事業に従事することに誇りを感じ、プロのダム技術者を目指し、失敗を恐れず新たなチャレンジに踏み出して頂きたいと願っています。

中野: 若手の育成も常に問題意識を持って、日々継続していかなければならないということですね。本日は、貴重なお話をありがとうございました。



(参考) 本庄正史さん プロフィール

本庄 正史 (ほんじょう まさし)
昭和19年 7月29日生

学 歴  昭和42年 3月  京都大学工学部土木工学科卒業
     昭和44年 3月  京都大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了
    
職 歴  昭和44年 4月  株式会社大林組 入社
     昭和51年12月  この間、水資源開発公団一庫ダム、奈良県初瀬ダム
               米国陸軍工兵隊エリククリークダム、
               関東地方建設局宮ケ瀬ダム、
               水資源開発公団富郷ダム建設工事に従事
     平成 8年10月  東京本社土木本部本部長室部長
     平成11年 6月  東京本社土木事業本部本部長室室長
     平成13年 6月  本店取締役統括部長
     平成15年 6月  常務取締役
     平成17年 6月  専務執行役員
     平成19年 6月  代表取締役副社長
     平成23年 6月  顧問
     平成24年 6月  退職

(平成25年1月作成)
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