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ダムインタビュー(50)
山口温朗さんに聞く
「徳山ダムの仕事はまさに地図にも、私の記憶にも残る仕事となりました」

 山口 温朗(やまぐち よしあき)さんは、名古屋大学大学院工学研究科修士課程修了後、水資源開発公団に。その後、39年間にわたり我が国のダム事業に携わって来られたダム技術のスペシャリストで、当協会のダム工事総括管理技術者(CMED)認定事業審査委員長も務められました。とくにRCD工法については、ダムコンクリートの配合設計に関する試験研究に精力的に取り組み、世界に誇るダムコンクリートの品質確保と打設速度の向上の両立に努めて来られました。その技術は、海外でも評価され、国際貢献の一助となっています。

 今回は、長年にわたる山口さんのダム建設の歩みを振り返って頂きつつ、ダムの存在意義、インフラとして果たすべき責任という側面から今後のダム事業のあり方を探っていきたいと思います。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)



進路を決めた伊勢湾台風

中野: 山口さんがダムに関するお仕事をされるようになったきっかけからお聞きしたいと思います。

山口: 実家の父が岐阜で土建業を営んでおりましたから、自然に土木分野を目指したということでしょうか。それと昭和34年、伊勢湾台風を経験したことです。この台風は本州最南端の和歌山県潮岬付近に上陸した後、超大型台風の勢力を保ったまま伊勢湾の西側に沿って北上する最悪のコースをとりました。台風の東側にあたる東海地方一帯は秒速30〜40mの猛烈な強風にさらされ、観測史上最大となる驚異的な高潮が海岸堤防を襲ったこと、さらに短時間に集中して大雨が降った結果、死者・行方不明者が5,000人を超える記録的な大災害になりました。父親が「自宅の屋根が吹き飛ぶから、トラックの運転台にいた方がよい」と言って、家族でトラックの中に避難しました。実家はなんとか被害は免れましたが、友人のなかには亡くなった者もいて、本当に水も風も怖いと感じた小学3年生の経験を忘れることはありません。そんな状況を体験し、将来台風や大地震による自然災害にあった時に役に立てる仕事に就こうと思ったのです。

中野: 大学で土木を選ばれたということですが、具体的にどのようなことを研究されたのでしょうか。

山口: 卒論と修論では、3年生の夏期実習以降4年間にわたって南アルプスの赤石岳を訪れました。この地域は、屈指の土砂崩落地帯で、大量の土砂が小渋川を通じて天竜川へ流入していました。とくに、昭和36年6月の「三六災害」では、梅雨前線の停滞と台風6号の接近に伴い、中央構造線の地質の脆弱な場所から多くの土砂が天竜川に流出、また、伊那谷の各所で土石流が起こり、堤防が決壊して深刻な土砂災害をもたらしました。修士論文のタイトルは「天竜川上流域の土砂流出に関する研究」で、土砂災害をどうしたら防げるかをテーマに研究しました。

中野: 天竜川水系の土砂被害について調べられたことで、川に関してさらに興味をもたれたということですね。その後、中央官庁ではなく水資源開発公団に入られますが、どうしてこちらを選ばれたのでしょうか。

山口: 大自然の猛威の前に人間の力は小さいかもしれませんが、なんとかそれをうまくコントロールすることが必要だと考えて、『土木』を選択して公務員試験を受けました。研究室が河川でしたので、先生の薦めもあり水資源開発公団に決めました。現場の仕事への憧れもありました。

 大学の研究室でのテーマの舞台であった天竜川水系最大の土砂流出河川の小渋川をせき止めた小渋(こしぶ)ダム(堤高105m、堤頂長293.3m、堤体積311,000m3のアーチ式コンクリートダム)が完成した昭和44年に名大に入学しました。このダムとご縁があったのですね。当時は、ダムの事は何も知らなかったのですが、その真っ白なコンクリートの堤体を見た時、その形状の美しさに感動したのを覚えています。


小渋ダム(撮影:だい)

最初のダム現場でダム技術の基礎を叩き込まれた

中野: 初めての現場となったダムは、どこですか?そこで印象に残っていることは何でしょうか?

山口: 入社して2年間の本社勤務を経て、昭和52年に初めての現場となる一庫(ひとくら)ダム建設所に配属され、昭和56年までおりました。着任時はちょうどダム本体工事の発注直後で、転流工であるバイパストンネル工事を本体JVが施工中でした。なので、コンクリートダム工事の準備段階からコンクリート打設の最盛期まで一貫して参画できたこと、さらに、ダム現場で3つのセクションを経験し、ダム工事や付帯工事の流れを肌で感ずることができました。これはその後、ダムプロジェクトの調査・設計や施工計画を立てる上でも、大いに勉強になりましたね。

中野: 3つのセクションとはどういう部署ですか。

山口: 最初は、工務課で橋梁やトンネルを含む付替道路の設計・積算の仕事でした。その後、調査設計課で基礎掘削完了後の本体変更図面の作成、温度規制計画とクーリング計画を作成する仕事を、さらに、コンクリート打設開始後の2年間はダム出張所で本体工事の施工監理に携わりました。職員が自ら直営作業で変更図面を描き、数量計算をして、その図面を持って現場の監督に立つのですから、「設計思想を満足させる構造物を設計図通りに現地に施工できるかどうか」を躰で覚えることになるのです。また、工務課や調査設計課は、本体工事だけでなく、プロジェクトとしてのダム建設事業全体を眺めるセクションですから「ダム事業の進め方」を学ぶことになります。ダム出張所では鉄筋、パイプクーリング・ジョイントグラウチング設備、止水板、観測計器等の埋設物の検査や打設監督のために毎日ダムサイトに足を運びました。そして、徐々に堤体が打上がり、変貌していくコンクリートダムの姿を眼に焼き付けることができ、大変貴重な経験ができまました。

1つの現場でダム造りの全てを経験する

中野: ダム本体工事の「転流」「基礎掘削」「コンクリート打設」というダム工事の核心部分を全部経験されたのですね。一庫ダムの特徴は?

山口: 一庫ダムは、水資源開発公団および水資源機構が現在までに建設した重力式コンクリートダムの中で、従来工法であるブロック柱状工法で施工した最後のダムです。現場では、予めコンクリート中に埋め込んだパイプに冷水を流して、コンクリートを冷却する作業であるパイプクーリング収縮継目セメントミルクを加圧注入して、ブロックで打設したダム堤体を一体化させるジョイントグラウチング作業を経験しました。注入圧力により、あの巨大なコンクリートブロックがわずかですが、グッグッと動くことやマスコンクリートの温度応力との闘いを実感することができました。


工事中の一庫ダム
コンクリート運搬はトレッスルガーターと13.5トン吊ジブクレーン
 先輩からは、品質確保のための心得を徹底的に叩き込まれましたが、その後、RCD工法拡張レヤ工法(ELCM)を検討するにあたって、この従来工法を経験できたことは、幸せだったと思っています。つまり、ブロック柱状工法がコンクリートダムの基本的な『物指』なんですね。ぶれない中心軸をきちんと自分のものとして持っていることが重要です。

中野: 山口さんにとって、ダムの基本を習得したダムということですね。



山口: そうですね。その当時は、建設省河川局開発課監修の「コンクリートの細部技術」の初版が発刊される前で、参考にするマニュアルのなかった時代です。なので、先輩の指導や同僚との議論を経て、ひとつづつ、継目の構造、クーリングやジョイントグラウチングの詳細を決めていったのです。マニュアルがあると、多くの現場で採用された方法を安易に使いがちになります。でもそれは、最頻値に過ぎません。ベストを求めるプロセスがあると、大いに「考える」習慣が身に着くのですね。私にとっては、幸運なスタートだったと感謝しています。
 その後、四国の池田総合管理所へ転任となり、公団のなかでも降雨量が多く、洪水流量の大きい3ダム(早明浦(さめうら)、新宮(しんぐう)、池田(いけだ))において、洪水や渇水のリスクの高いダムの管理運用を経験しました。ですから、私は一庫でダム建設をやり、その後の吉野川でダムの運用管理に当たることで、ダム建設とダム管理の両方を若い時代に続けて経験することができました。
4基連続してダムの発注に関わる

中野: ダム現場での経験を経てから後の10年間は、水資源開発公団の試験所、(財)ダム技術センター、第一工務部設計課(現在のダム事業部設計事業課)に在籍され、現場からは離れられたということですか。

山口: 昭和59年4月から昭和63年3月まで、試験所構造材料試験室長を務めました。そこでは、ダム構造及びダムコンクリートに関する試験・解析の仕事に精力的に取り組みました。


布目ダム(提供:水資源機構)

 この時携わった布目(ぬのめ)ダムは、堤体積約33万m3の中規模の重力式コンクリートダムで、当時、公団としてはコンクリートダムの合理化施工に関する技術の修得を大きな目標に掲げており、布目ダムはその第1号として期待されていました。昭和61年春、公団は、布目ダムの施工法として、レヤ長の長い下位標高部にはRCD工法を、上位標高部にはELCMを採用することを決めました。 堤体の下位約20m区間はダンプ直送によるRCD工法で、さらにその上位約40m区間にジブクライミングクレーンを用いたELCMで施工しました。布目ダムはELCMを本格的に適用した初めてのダムでしたが、一庫ダムでの経験が役にたちました。試験所において、布目ダムのRCDコンクリート有スランプコンクリートの示方配合を決定、提示しました。このように、私は公団人生の前半にダム技術に関して幅広い経験をすることができました。
 その後、第一工務部設計課では、浦山(うらやま)ダム、日吉(ひよし)ダム、比奈知(ひなち)ダム、富郷(とみさと)ダムという4つの重力式コンクリートダムの本体工事を短期間に連続して発注する担当補佐を命ぜられました。この時代はまさに日本のダム建設のピークで、公団予算だけでは間に合わず、市中銀行から民間資金を借りる「ダム建設調整費」を活用し、工期の遵守と早期の機能発揮を目指したのです。

中野: 短期間での4ダム発注ということですが、大変な作業だったのではないかと。

山口: 所属していた水公団の第一工務部のなかで、大きなウエイトを占めているダムを任されました。発注手続きを着実に行うことはもちろん、発注した4つのダムそれぞれにダム施工法に関する技術的価値を付加し、それを次代のダム建設技術に如何に貢献させるかということも大きな課題でした。一方、公団にとっては長良川河口堰の運用開始や琵琶湖開発事業が終盤の時期になっており、我々は寝る時間を惜しんでの仕事になりましたが、職員一人ひとりが大きな責任を背負いつつも、遣り甲斐のある毎日でした。
 そして、成し遂げた達成感と歓びは忘れることができません。当時の上司、同僚にあらためて感謝の思いで一杯です。

中野: 発注された4ダムで採用された工法を具体的に教えてください。

山口: 浦山ダムは、堤高156m、堤体積約175万m3の我が国屈指の大規模ダムで、決められた工期の中で完成させるために、運搬システム全体について、つまり原石山から採取された原石および骨材の輸送から練混ぜられたコンクリートの運搬まで、一貫してベルトコンベアシステムを用いたRCD工法を採用しました。特に練混ぜたコンクリートをベルトコンベアによって、連続的かつ大量に運搬する本格的な方式は我が国でも初めての試みでした。
 日吉ダムは、堤高67.4mでさほど大きくないのですが、岩盤が良好でないサイトに造らざるを得ないということで、ダムの断面が正三角形に近い形状になりました。コンクリートの主運搬は比較的緩やかな右岸側下流からのダンプトラック直送により、RCD工法で施工をしました。また、低品質骨材の有効利用と細骨材中の微粒分を積極的に増やして、コンクリートの品質を高めることにトライをしたダムです。  
 比奈知ダムは、堤高70.5m、堤体積が約43万m3と中規模ダムですが、その割に常用洪水吐きが大規模であり、内部コンクリートの比率が小さい堤体の特性を考慮して、堤体全体の打設工法としてELCMを採用しました。また、機動性に富んだ自走式一次破砕設備を採用し、骨材製造の合理化に努めました。
 富郷ダムは、堤高106mのダムで、コンクリートの主運搬は急峻な地形と大型放流設備の据付を考慮して両端移動式ケーブルクレーンにより、RCD工法で建設したダムです。さらに、セメントフライアッシュの現場混合により、季節に応じたフライアッシュ置換率を選定して、コンクリートの品質を向上させました。

浦山ダム(提供:水資源機構)

日吉ダム(提供:水資源機構)
比奈知ダム(提供:水資源機構)

富郷ダム(提供:水資源機構)
中国へのダム技術移転、RCDを試す

中野: RCD工法の海外への普及ということで中国にも行かれたそうですが、どういうことをされたのですか?

山口: RCD工法については、当時はまだ施工法が完全に確立していた時期ではなかったので、室内試験やフィールドでの試験施工を積み重ねることがとても重要でした。そこでRCDコンクリート試験のため、私を始め、公団職員自ら試行錯誤しながら配合試験のノウハウを蓄積している最中に、(財)ダム技術センターの飯田隆一理事が試験所を視察されました。細骨材表面水率を一定・均一状態に管理する試験技術や試験データの再現性等試験精度の高いことに着目し、水資源開発公団試験所が中国観音閣(かんのんかく)ダムのRCD用コンクリート試験を我が国で専門的に実施する機関になってはどうかとのご提案を頂きました。
 一方、昭和60年4月に、中国政府水利電力部の銭正英部長が当時の木部(きべ)建設大臣を訪問し、中国遼寧省水利電力庁が建設する観音閣ダムに日本で開発されたRCD工法の技術移転と円借款の申し入れがあり、それを受けて当時の建設省河川局開発課が奔走され、JICAによる観音閣ダム建設計画調査(F/S)が決定しました。そして、RCD工法に関する技術移転部分を(財)ダム技術センターが担当することになり、昭和62年8月に公団試験所が「観音閣ダムRCD工法適用検討大型供試体試験業務」を受託したのです。
 私は、その後のダム技術センター在任中に、この時の試験結果を持って観音閣ダム現地へ6度にわたって出張し、試験施工の手法について、海外への技術移転を行う機会に恵まれたのです。

中野: その結果として、日本でも大規模ダムの施工法に採用されていくことにつながっていくのですね。

山口: この実績は、水資源開発公団の富郷ダム・浦山ダム・滝沢(たきざわ)ダム等の大規模ダムの施工法の確立に繋がったのは間違いありません。

中野: 中国での技術指導、品質管理などで日本とは違う点などがあれば教えて下さい。

山口: 中国側は、観音閣ダムにRCD工法を採用して、一日でも早く完成させたいという要請をしてきましたが、我々としては日本で開発したRCD工法の品質を技術移転のために落とすことは許されません。日本で行ってきたこと、守ってきたルールはきちんと説明しました。私自身は、平成元年5月から3回にわたって、試験施工に立ち会うために訪中し、技術的アドバイスを行いました。しかし、当初、試験施工ヤードから採取されたコアは、満足できる状態ではありませんでした。原因は、使用材料や配合設計にあるのではなく、練混ぜ・撒き出し・打継面処理・品質管理等の一連の施工が適切ではなかったのです。この問題を解決するには、RCD工法に必要な施工品質の確保とそれを支える現場の監督体制の充実と指示系統の確立が必要でした。

中野: 品質確保のために施工管理を重視する我が国のやり方と、どちらかというとおおざっぱな大陸的なやり方では、相当なご苦労があったのですね。

山口: 観音閣ダムは、遼東湾に注ぐ遼河の左支川である太子河の観音閣地先に建設される重力式コンクリートダムで、堤高82m、堤頂長1,040m、堤体積約220万m3、総貯水容量21億6,800万m3の大規模な多目的ダム(洪水調節・発電・各種用水)で、平成7年9月に、観音閣ダムは竣工を迎えることができました。この経験は水資源開発公団のコンクリートダム建設技術の向上、人材育成への寄与はもちろん、私にとっても貴重な経験となりました。

韓国にもRCD工法を伝える

中野: 海外では、もう一つ水資源機構のダム技術監時代に韓国漢灘江(ハンタンガン)ダムのRCD工法の現地技術指導に訪韓されましたが、ここでは、どのような印象をもたれましたか。

山口: 韓国では、RCD工法の採用は漢灘江ダムが最初でした。この技術指導に当たっては、中国の観音閣ダムでの経験が役立つとともに、日本のRCD工法が長年の蓄積を経て確立していましたので、RCD工法の基本原則は守りつつ、韓国の技術レベルに合った技術指導が出来ました。私の訪韓に際して、大変お世話になった韓国水資源公社(K−Water)臨津江(イムジンガン)建設団の漢灘江工事チーム部長のジョン・サン・インさんは、ダム建設の技術的なハード面ばかりではなく、ソフトとしての水資源開発も学びたいということで1年間、水資源機構の経営企画部に長期研修で来日した経験をもつ日本通です。そして、急峻な地形と河川を克服して、日本が水資源の確保をどうしているのかについて、利根川流域などを精力的に歩き回り、ダムや堰、水路の管理運用について、水源から下流まで詳細に勉強した努力家です。


中野: 私も漢灘江ダムに見学に行きましたが、その際もジョン・サン・インさんにお会いしたのですが、日本には大変感謝されておられました。

山口: 大変有り難いことです。工事の施工技術という観点だけでしたらゼネコンの技術者の指導が良かったのかもしれませんが、水資源機構に要請があったのは、施工技術のみではなく、試験湛水を含むダムの機能発揮や管理運用など、ダム建設プロジェクトのトータルマネジメントについて学びたかったのではないかと思います。

中野: このダムは、空き地の利用方法や周辺整備にも配慮されたダムですね。


漢灘江ダム完成予想図・ダムサイト上流から望む

山口: 漢灘江ダムは、臨津江の第一支流である漢灘江本流に、建設中の重力式コンクリートダムです。流域は流域面積1,279km2、総貯水容量2.7億m3、水没面積14.8km2、ダムは堤高83.5m、堤頂長690m、堤体積70.2万m3です。もともと多目的ダムの計画だったのですが、環境問題もあって、治水専用の「流水型ダム」にして中央ブロックを中心に洪水吐や生態通路等の構造物が数多く配置されています。必ずしもRCD工法ELCMといった面状工法の適用性が高いとは言えませんが、韓国側としては、韓国のダム技術力の向上を目指して、漢灘江ダムをRCD工法採用の第1号ダムとして、国を挙げてその進捗に努力しています。事業主体は、韓国水資源公社(K−Water)で、ダム本体工事を大林(デリム)産業株式会社(DAELIM)・新東亜(シンドンア)総合建設JVが受注しました。
工事期間は、2007年2月から2014年6月の予定ですが、工程の遅延が生じているようです。私が向こうで技術指導して感じたことは、日本の場合はステップバイステップで確実に一歩ずつ技術力を向上させていきますが、韓国では一度経験すれば、それだけでもうマスターしたという思いが非常に強く、今度はそれで得た技術を「韓国の技術」として輸出するというぐらいの貪欲さがあります。

中野: 日本のダム技術をマスターすれば、逆に海外にその技術を自分たちのものとして売り込むことができるという考えなのですね。

山口: 彼らの海外志向はとても高くて、相手側のニーズを把握する必要性からも外国語の習得、英語はもちろんのことアラビア語やヒンズー語等を学ぶことが盛んです。それが親にとっても名誉なことになりますから、積極的に海外に出ることを応援します。日本では、例えば豆腐屋をやっている親は息子に「大学へ行って哲学を勉強してもいいが、卒業したらここに戻って豆腐を作れ」と言うでしょう。矜持をもって家業を継ぐのが職人気質です。しかし、韓国の豆腐職人はそんなことは言いません。「俺は豆腐を作っているが、おまえは勉強をして出世しなければならない。」と言います。ですから韓国に100年の伝統を持つ豆腐屋はありません。みんな親より偉くなれ、どんどん外に出て行きなさいという考え方をするようです。この辺りは日本人とは全く考え方が異なりますね。


再び日本のダム現場に

中野: 時代が昭和から平成になり、国内のダム建設がピークを過ぎたあたりですが、鳥取県の殿(との)ダム工事事務所長に就かれたのですね。再び国内のダム現場に出てどのような取り組みをされましたか。

山口: 平成6年4月から平成9年3月まで、私は水資源開発公団を退職、建設省の中国地方建設局殿ダム工事事務所の第2代目事務所長として勤務しました。基本計画策定直後から損失補償基準協定調印までの殿ダム事業の運営を任されました。このダムでは、「殿ダム建設対策同盟会」と「殿ダム対策残存地権者同盟」という2つの地元組織が別々に立ち上がっており、それぞれに生活再建のための補償と地域振興対策をどのようにするかが大きな課題でした。ダム建設により36世帯が移転されることになり、ダムサイト周辺は一気に寂しくなることが懸念されていました。また残存集落の人々にとっては、地元の国府町地域の歴史・文化を保存しつつ、殿ダムで生まれる新たな湖や道路を活かしながら地域振興を進めていくことが地元の悲願となっていたのです。


殿ダム(撮影:神馬シン)
中野: 殿ダムは地域の人々と協力しあって完成したダムと聞いていますが、後年、最終的に決定した水源地域ビジョンについて教えて下さい。

山口: 殿ダムの水源地域には、日本の滝百選の「雨滝」や河合谷高原、山陰海岸ジオパーク扇ノ山エリアに含まれるなど、豊かな自然環境があり、水源地域となる鳥取市国府町は、その昔、因幡の国府が置かれ、政治・経済・文化の中心として栄えてきた地域で、万葉集の大伴家持(おおとものやかもち)に因んだ歌碑等、往時の文化を伝える遺跡も残されています。
 そうした背景のもと、纏められた「殿ダム水源地域ビジョン」の行動計画としては、「自然や歴史・文化の活用」、「地域活動の促進」、「地域情報の発信」の3つの柱(視点)を掲げ、それぞれに具体的な施策を設定して、ダム湖の周辺整備の進捗状況に合わせて、実施時期を短期(1年~3年)、中期(4年~6年)、長期(7年~10年)の大きく3つの時期を目安に段階的に取り組むというものです。
 私は元所長として、ビジョンの目標である「万葉の歴史と自然の恵みに誘われる因幡のふるさと文化圏づくり」の着実な進展を心から祈念しています。私の母、妻、長男、長女、次男の家族6人が3年間過ごした思い出深い土地です。

中野: 3年で現場を離れられたとのことですが、その後ダムには行かれましたか?

山口: 平成22年には、ダム工事総括管理技術者認定事業の審査のモデルダムになりましたので、数度、訪れることができました。さらに完成式典にも参列しました。式典は、平成23年11月27日に鳥取市国府町の国府町中央公民館において、鳥取県知事をはじめ、地元選出国会議員や地元自治体関係者、地権者、工事関係者等250名余りが出席し、盛大に挙行されました。またダム湖の『因幡万葉湖』を刻んだ記念石碑の除幕も行われました。殿ダムは、中国地方整備局で初めてのロックフィルダムです。ダムの完成はプロジェクトにとっての終結点ではありますが、地元としては新しい町づくりがスタートする日となりました。私は殿ダム建設に携わってそう感じています。

土地収用法の対応を迫られた、徳山(とくやま)ダム


徳山ダム(撮影:土屋任史)

中野: 殿ダムの後は、出身地の岐阜県に戻り、さらに徳山ダムの工事事務所に勤務されたとのことですが、こちらではどういう取り組みをされたのでしょうか?

山口: 徳山ダムには、平成10年1月から平成14年9月までの4年9ヵ月間は水資開発公団徳山ダム建設所長として、そして平成14年10月から平成16年9月までの2年間は水資源開発公団および水資源機構中部支社副支社長として、さらに平成16年10月から平成20年10月までの4年間は水資源機構ダム事業部長として、それぞれ立場は変わりましたが連続して10年以上にわたり関わることになりました。これは、私にとってそれまでのダム建設の経験からしても得がたいもので、生涯忘れられないダムになりました。
中野: 徳山ダムは、下流域の住民らが中心となって集団訴訟を起こしたことで大変な工事になりましたが、現場の責任者としてはどのように対応されたのでしょうか?

山口: 徳山ダム建設計画中止と旧徳山村の山林の保全と再生を図る目的で結成された「徳山ダム建設中止を求める会」のメンバー2名(いずれも旧徳山村出身ではない人)が事業認定申請後の平成10年7月に水没予定地である共有地の一筆(面積4,955m2の1/88の持分)を取得。その後、同年8月には北海道から熊本県まで19都道府県にまたがる118名が、前述の2名からそれぞれの持分の一部を取得して、「水没地共有化運動」と称するダム建設中止の反対運動が展開されました。
 地元の方からは、自分たちが反対している時には何の手助けもせず、地元が納得していざ工事が始まってから反対を叫び出すのはどういうことなのか。我々は覚悟を決めて国のため、地域のために土地を提供するということを決めたのに、自然環境だけをたてにとってダム反対を唱える部外者は困るというご意見も頂きましたので、水資源開発公団としては土地収用法の規定に基づき手続きを進めざるを得ないと判断し、平成11年11月には任意交渉で契約した2名を除く116名を名宛人(なあてにん)として岐阜県収用委員会に裁決申請を行いました。
 私は代表して収用委員会に出席しました。収用委員会では、5回の収用審理と1回の現地調査を経て、平成13年5月に権利取得・明渡裁決があり、事業実施に必要な土地の権利を取得することができました。これがなかったら本体工事に進めないわけですから大きな転機になりました。

事業認定取消訴訟に徳山ダム所長として対応

中野: 地元の方はダム建設を受け入れるという苦渋の決断をしたのですから、そこから反対されては困りますね。その後も裁判の当事者として対応されたのですね。

山口: 一方、平成11年3月には、反対派118名のうちの57名が原告になり、建設大臣を被告として事業認定の取消を求める訴訟を岐阜地方裁判所に提起していました。原告側は、事業認定は公共性、公益性がなく違法というものでした。これに対して、被告の建設大臣は事業により得られる利益と失われる利益を比較衡量の結果、事業により得られる利益が事業により失われる利益に優先しているので、事業認定は何ら違法性はないとして、原告請求の棄却を求めました。なお、水資源開発公団は行政事件訴訟法の規定に基づき訴訟参加の申立を行い認められたものです。争点は、治水、流水の正常な機能の維持、利水、環境と多岐にわたり、問題は複雑でした。

中野: 裁判の争点を詳しく教えてください。

山口: 最大の争点は、徳山ダムの利水上の必要性、特に事業認定申請時に提出した供給予定地域別・用途別の公団作成水需要推計の信頼性、合理性でした。
 裁判の結果は、平成15年12月26日に第一審判決が下され、被告側の主張が全面的に認められました。その内容は、@関係県知事、徳山ダム建設事業審議委員会、各供給予定地域の市町村等は本件事業による都市用水の確保が必要と認識していること、A水資源開発施設の計画を進めるにあたっては、長期的、先行的な観点から整備を行う必要があり、予測と実際が異なったときにも支障を生じないだけの余裕を見込む必要もあること、B公団の水需要予測が不合理なものとは断言できないこと、C地盤沈下対策の必要があることから、公団の水需要推計を是認した建設大臣の判断に裁量の範囲の逸脱または裁量権の乱用はない、というものでした。

中野: 現場のお仕事もあり、大変なご苦労だったのではないでしょうか。

山口: その後の記者会見も含めて激務が続きましたが、私をバックアップしてくれた当時の建設所の職員をはじめとするチームの昼夜を問わない頑張りに感謝の気持ちで一杯です。
 多くの高いハードルがあったものの、関係者の徳山ダム建設にかける強い熱意と不断の努力によって、乗り越えていくことができました。

希少猛禽類を守るための環境保全型ダム

中野: もう一つ、徳山ダムでは建設予定地に希少猛禽類であるクマタカの営巣地が見つかったことで、環境問題としても大きくとりあげられましたね。

山口: ダムは環境問題に対しても厳しい目で見られます。徳山ダムでは本体着工にあたって、環境保全に関する事業者の姿勢をきちんと公表していくことが大事でした。またダム湖の湛水面積が諏訪湖と同規模の13km2にも及ぶだけに、一つの村が廃村になるとともに、ダム事業関連区域にあるクマタカの営巣地が発見されたことから生態系への影響など社会問題、環境問題がクローズアップされました。

中野: 徳山ダムの猛禽類生息調査はどのように行われたのでしょうか。

山口: 調査は、平成8年5月から平成10年9月にかけての約2年間、徳山ダム集水域と隣接する下流域をほぼ包含した範囲内における希少猛禽類の生息分布および生息つがい数の把握や行動圏調査を綿密にやりました。調査結果は3,000近い確認記録として整理されていましたので、自然保護NGO等から希少猛禽類保護の観点から公開してほしいとの要望がありました。学術的に貴重な資料として専門家の間で活用されることが望ましいとして情報公開を検討しましたが、希少猛禽類ですから生息場所を明らかにすると密漁の恐れもあるので、営巣地が特定できるような情報公開には十分な配慮が必要でした。そのため、保護を図りつつ適正な情報公開するように、平成11年9月に、(財)日本自然保護協会と協定を締結し、公開を差し控えるべき資料のチェックを依頼しました。


中野: 調査の実施だけでなく、その後も細かい配慮があったのですね。

山口: そして平成11年12月1日、協定に基づく「公開資料」(公開を差し控えるべき情報にマスキングする等の加工を行った情報公開用資料)と「添付文書」((財)日本自然保護協会が、調査資料に関する一定の評価を行い、独自の裁量によってとりまとめた資料)が、公団に提出され、12月7日に(財)日本自然保護協会と共同記者発表を行い、「公開資料」「添付資料」の閲覧・貸し出しを開始しました。「添付文書」に記載された意見の中には「一度全ての計画とスケジュールを見直し、自然環境調査のあり方を議論すべき」との公団にとって厳しい意見もあったので、共同記者発表後の12月10日、『(財)日本自然保護協会「添付文書」に対する公団の見解』を単独で記者発表することにしました。

中野: その時の公団の見解は、どのようなものだったのですか。

山口: 徳山ダムのような広範囲にわたる大規模な調査を時間的制約や専門調査員数などの資源的な制約の下で、事業遂行と環境保全の両立を目指すには、効率的に調査を行うと同時に的確に保全対策を実施していく必要があるということ。さらに、事業の完成工期に影響する指摘については、徳山ダムの治水・利水にわたる重要性・緊急性や地元自治体からの早期完成を求める強い要請があり、工期の遅延は関係県やユーザーの新たな負担額の増加や揖斐川中下流域のリスクの放置に繋がるということから、平成19年度の完成に向けて、環境保全には最大限配慮しながら事業を進めるとの見解を示しました。
 反対している人から合意をとるのはとても難しいことですが、情報公開をきちんとした上で、事業者として言うべきことを示し、本体工事を粛々と開始した当時の近藤徹公団総裁の揺るぎない姿勢を学んだことは、私の大きな財産になりました。

事業計画変更と事業費増額変更

中野: 事業計画の変更についても相当なご苦労があったようですが、変更になった理由は、どういうことだったのでしょうか。

山口: 本体工事が進むなかで、それまでの2,540億円(昭和60年度単価)の事業費について、@環境・安全対策、A工事・補償関係の見直し、B社会経済的要因(物価の変化と消費税の導入)などで960億円増額して3,500億円(平成15年度単価)にするようにお願いしました。それと同時に、徳山ダム建設中止を目的とした「水没地共有化運動」や事業認定の取り消しを求める訴訟等が提起され、平成16年度には揖斐川流域の治水面の安全性向上を柱とした事業計画の変更と事業費の増額変更を行いました。
 このため徳山ダム建設事業は、世論やマスコミの注目度が極めて高いものとなり、本体工事着手後も随時、情報公開を実施しながらの事業運営となりました。

中野: 平成16年6月15日に閣議決定された木曽川水系水資源基本計画(フルプラン)の全部変更を受けて、同年7月15日に認可された徳山ダム事業実施計画の変更の基本的な考え方はどのようなものになったのでしょうか。

山口: 平成14年7月に岐阜県大垣市万石地点で、実際の水位が計画高水位を約30cm超えてしまい、破堤の危機に直面しました。従って、治水目的については、揖斐川は木曽三川の中で最も治水安全度が低いので、その向上は急務なので、徳山ダムの洪水調節計画を見直し、洪水調節容量を増加させるとともに横山ダムとの用途の振替によって洪水調節機能の向上を図ることになりました。その結果、今後建設を見込んでいた上流のダムが不要となり、早期にかつ経済的に揖斐川の治水安全度を現況の超過確率1/15から1/70まで向上させることが可能となりました。
 利水については、名古屋市等の水道利用者から新規の開発量を人口減も含めて安定的な水利用を可能にする将来の水需給の見通しの検討を踏まえて見直していきたいということがありました。
発電については、中部電力から近年の電力需要の伸びの低下、電力の自由化など経営環境が厳しいこともあり、経済性の観点から費用負担の増を抑えたいとの意向が示されました。

中野: 発電についてですが、福島第一原子力発電所の事故による電力事情の激変をうけて、中部電力は現在水力発電所を建設中とのことですが。

山口: 中部電力では徳山ダム直下に、同社の一般水力発電所では最大規模となる最大出力15万3,400kwの「徳山水力発電所」を建設中であり、2号機が平成26年5月に運転開始、1号機は平成27年の運転開始に向けて順調に工事が進んでいます。同社の発電構成で水力のシェアは8%程度ですが、水力は純国産の再生可能エネルギーであり、温室効果ガスもほとんど発生しませんから環境面では大きなメリットがあります。

中野: 計画変更の結果、事業費が増額になったようですが、自治体の反応はどうでしたか。


工事中の徳山ダム(撮影:さんちゃん)

山口: 岐阜県の梶原拓知事は、「徳山ダムは、揖斐川下流域47万人の生命にかかわる。流域市町村からも早く造ってほしいとの要請が強い。もしダム以外の方法で治水ができるというのであれば、早く代替案を出して流域住民の中で検討してほしい。利水は不確定要素が非常に強く、誰も確定的に見通すことはできない。地球規模の異常気象という要素もあり、弾力性をもって需給を考えないといけない。昨年も水害があり、早く造ってくれというなかで工事をストップさせることは考えられない。ストップしたら余分な経費もかかる。工事は一刻も早く進めなければならない。現事業費の積算は18年前だから変わっていくのは当然と思うが、5年くらいごとに水資源開発公団と関係自治体が互いに事業費のチェックをすべきであった。公団の計算を鵜呑みにせず、県でも増加の要因、内容を徹底的に分析する。コストダウン、圧縮をやるべきだ。情報公開の下でオープンに議論していくことだ。」ということを表明されました。
 自治体の毅然とした姿勢が事業の大きな推進力になったのです。

中野: 事業予算についても情報公開をされてきたのですね。
山口: 岐阜県知事の意見表明などを踏まえて、水資源機構は、事業管理の透明性を確保するために、事業費管理・工程管理状況について、三県一市と中部地方整備局、水資源機構で構成される「事業費管理検討会」や第三者の専門家で構成される「コスト縮減委員会」等を通じて、対ユーザー、対マスコミに情報を提供し、着実に事業を進めていきました。

忘れられない水没移転者代表の挨拶

中野: たいへんご苦労された徳山ダムの建設ですが、いちばん記憶に残っていることは何かありますか?

山口: 平成12年5月23日、徳山ダム建設工事起工式が挙行され、関係者600余名が集う中、移転者466世帯を代表して埴國隆(はにくにたか)氏が挨拶されました。少し長くなると思いますが、紹介させて頂きます。
 「私たちは、徳山ダムは治水、利水、発電の多目的ダムとして国家百年の大計に基づくものと受け止め、内心に不満はありましても誰一人として絶対反対をいうこともなく、素直に移転協力をしてきたのであります。

私たちは、住み慣れた故郷に痛切極まりない切なさをもって別れました。そして見知らぬ移転地において、必死になって生活再建に取り組んできたのであります。徳山村での美しく佳い風習や、堅い絆はそのまま持ち込んでまいりました。これからも、先祖代々から故郷徳山で培ってきた善良な習俗を糧にして、子々孫々のためにも生活基盤を固めながら、移転地近隣の方々とともに融和して、地域に貢献したいと、努力しているところでございます。国家が徳山ダム建設の計画を選択されたことも、私たちが苦渋のうちに協力移転を選択したことも、共に正しかったと思っております。この地に山のようなロックフィルダムが完成して、日本一といわれるダム湖に美しい徳山の水が満々と湛えられ、徳山ダムのすべてが機能した姿をイメージしながら、故郷徳山村のご先祖様へのご報告とします。」というものです。この言葉は大変に印象深いもので胸を打たれました。


慰霊碑(撮影:さんちゃん)
 徳山ダム建設事業では、尊い8名の殉職者がおられます。ダムサイト左岸には慰霊碑が建てられています。とくに私の大学の先輩でもあり前任の第10代所長であった橘 恒(たちばなひさし)さんと、用地職員としてご苦労された田村将洋(たむらまさひろ)さんのお二人の名前も刻まれています。ご冥福を祈ります。

通常とは異なる手順で、試験湛水を開始

中野: 徳山ダムでは、湛水開始時期を非洪水期から洪水期へ変更されたのは、どのような経緯があったのですか?

山口: 試験湛水は、通常洪水期ではなく非洪水期に行いますが、徳山ダムでは、非洪水期に入る平成18年10月16日の開始から洪水期の9月25日へと変更しました。貯水池の容量も大きく、平成20年からダムの運用に入りたいという要請もありました。注目を浴びている試験湛水ですから完了率を高めるとともに、早期の洪水調節効果を狙ったものでした。

 実施にあたっては、湛水開始判断の条件の検討を始め、綿密な検討を行いました。洪水期に開始するため、台風が来たりして想定できないような出水のリスク、急激に水位上昇の恐れのある中、1号仮排水路トンネル呑口の締切りゲートの下流部において、仮プラグの施工を一刻も速やかに完了させる必要があり、呑口部のトンネル周辺地山の安定性もきちんと把握しておく必要がありました。場合によっては、トンネル覆工および地山の補強も考慮しなければなりませんでした。結果的に平成20年4月21日には最高水位であるサーチャージ水位に達し、その後10mの水位低下を行って平成20年5月5日に試験湛水を終えました。徳山ダムは1年7か月間の緊張の中で行われた「卒業試験」の結果、堤高161m、堤体積1,370万m3、日本第一位の貯水量6.6億m3を貯える中央遮水壁型ロックフィルダムの堤体および基礎岩盤そして貯水池周辺地山、さらに貯水圧による周辺の地震活動にも異常は発生することなく、安全性が確認されました。


徳山ダム(提供:水資源機構)
中野: 試験湛水完了時にはどのような思いがありましたか。

山口: 数年間にわたり巨大な水圧を初めて経験する試験湛水という、いわば「卒業試験」を受けなければならない土木構造物は、ダムだけかもしれません。ダムの計画・調査・設計・施工に携わった者全員が試験湛水により、大自然の裁きを受けるのです。私は、徳山ダムの試験湛水の開始から完了までを水資源機構ダム事業部長として見届けることができました。湛水開始時、揖斐川の流れが重量138トンの締切りゲートによって初めて遮断された瞬間には、それまでのさまざまなできごとと関係者の顔が脳裏を駆け巡り、熱い思いが込み上げてきました。湛水完了時には、この事業のために、苦渋の決断の末、父祖伝来の地を離れた466世帯の移転者の方々の思いと揖斐川流域住民の切実なる「徳山ダム早期完成」の要望にようやくお応えすることができたという、安堵の気持ちで一杯になりました。徳山ダムの仕事はまさに地図にも、私の記憶にも残る仕事となりました。

土木学会技術賞・環境賞のダブル受賞

中野: 徳山ダムは40数年の苦労を経て完成した訳ですが大きな賞を受けましたね。

山口: 徳山ダムは、平成20年度に「ロックフィルダム技術の集大成と新技術」に対して、土木学会技術賞を受賞しました。評価された内容は、@堤体盛立の大量かつ迅速施工(大型施工機械の導入による年間盛立量620万m3の国内記録樹立)、A既設ダム堆積砂礫の有効利用(横山ダム貯水池に堆積した砂礫84万m3をフィルター材料およびコンクリート骨材に利活用)、B新技術・新工法の導入(CFRD(コンクリート表面遮水壁型ロックフィルダム)による二次締切り堤の施工、上流一次締切り堤および下流締切り堤におけるCSG工法の採用)でした。

中野: 環境賞に選ばれたのも特筆されることですね。

山口: そうですね。徳山ダムは平成22年度に「自然と共生する環境保全型ダムの建設」に対して、土木学会環境賞を受賞しました。集水流域は多種多様な動植物が生息する豊かな生態系(植物:約1,800種、動物:約3,200種)を維持しており、自然と共生した環境保全型のダム建設ということは避けて通れない大きな課題でした。受賞理由となったのは、@希少猛禽類の保全、A地形改変の最小化、B山林公有地化事業(ダム流域全体規模での山林保全)C自然環境の復元(在来種の尊重)と環境保全活動というものでした。(独)水資源機構のダムが、この環境賞に選ばれたのは初めてで、土木学会の技術賞および環境賞の二つを受賞するダムは全国で初めてとなるものです。


徳山ダムのキャッチコピー 「揖斐の防人、濃尾の水瓶」

中野: 「揖斐の防人、濃尾の水瓶」としての役割はいかかがでしょうか。

山口: 徳山ダムが「揖斐の防人」と言われているのは運用開始後、平成23年度までに14回の洪水調節を実施しました。とくに、平成20年9月洪水では、下流のゼロメートル地帯の大垣市の堤防の水位を徳山ダムと横山ダムの連携操作により、1.21m下げることができました。地元でも、消防団等の出動を回避することができ治水については、ほぼ万全になったという評価があります。
 また「濃尾の水瓶」と言われるのは揖斐川への水補給に加え、現在、ダム検証中ですが、今後完成が望まれる木曽川水系連絡導水路により、愛知県と名古屋市に都市用水を補給することができ、また、異常渇水時においても木曽川や長良川で川枯れが解消され動植物の生育環境への影響を軽減することができるようになることからです。
ダムという社会インフラのとらえ方

中野: 多くの方の協力によって完成した徳山ダムですが、ダム現場のリーダーを経験されて、このような大きな構造物、社会インフラと言い換えても良いと思いますが、こうした土木事業のあり方をどのようにとらえておられますか?

山口: インフラというものを歴史の面から見ますと、塩野(しおの)七生(ななみ)さんが「ローマ人の物語」のなかで、紀元前三世紀は、地球の東と西で大規模な土木事業がはじまった時代と言えると…。つまり、東の「万里の長城」と、西の「ローマ街道網」です。長城は、紀元前三世紀の秦の始皇帝時代に建設が始められたものだけでなく、十六世紀の明の時代に建設されたものまで加えると、その全長は五千キロに及ぶとてつもないスケールです。一方、ローマ街道は、紀元前三世紀から二世紀までの五百年間に、ローマ人が敷設した道路の全長は、幹線だけでも八万キロ、支線まで加えれば十五万キロに達すると、書いています。
 この2つは、巨大構造物としては同列ですが、その建設目的はまるで正反対で、「長城」は外敵の侵入を防ぐために人の往来を断つものですが、「街道」は域外からの人の往来を促進するものです。狙いとしては、異民族との往来を断つことによって発展するか、自国内の人々の往来を促進することによって発展するかということだったのです。

中野: ローマが勢力を拡大するために道路を造ったとも言える反面、道路によって発展するということだったのですね。

山口: ローマ人にとって、道路は動脈の役割を持つものでそれをネットワークとして作っていくことが重要だった。財源を調達したのは国家だったのです。「すべての道はローマに通ず」という言葉の意味は、ローマ人にとっては「人間らしい生活をおくるためには必要なこと」と考えていたインフラを、きわめて重要な国家の責務、つまり「公」が担当すべき分野だと考えていたのです。

ダムの維持管理は、知恵の出しどころ

中野: ローマ人は国家基盤になるインフラの重要性がわかっていたのですね。一方、今我が国ではダム現場も少なくなり、インフラのあり方も変化しています。これからのダム事業を担う若手の技術者に対しては、どんな言葉をかけられますか?

山口: 今の若い人に社会基盤整備のことをもっと知ってほしいですね。無駄な投資は避けなければいけませんが、インフラは造るだけではだめで、未来永劫、メンテナンスはもちろん、機能維持や向上のための改築や改造も必要なのです。ダムの再生、再開発については、既存のものを効果的に使うために流域間をトンネルで連結したり、ダムの嵩上げをして貯水量を増やしたり、あるいは堤体に穴を開けて放流能力を増大させたりするなどいろいろな工夫が計画され実施に移されています。これらは投資効果があると判断したから行われているので、こういった技術はゼロからダムを作るよりはるかに難しいものが多いと思います。まさに知恵の出しどころでしょう。

中野: 満濃池、豊稔池など、今でも維持管理されてその機能を果たしています。どう活用していけばいいのかは、ダム技術についてすべて知っていないとできませんね。

山口: 数は少ないかもしれませんが、これからますます知恵がいる仕事が必要になってきています。再開発の技術は、ダム機能を維持した状態での施工となります。そのため、制約された条件下での作業になるので新しい技術開発も必要になってくると思います。例えば水中作業は、人体への気圧の影響がありますから、飽和潜水技術の高度化や遠隔水中ロボットなどの開発が必要です。

中野: ダムは総合土木ともいわれますが、ダム現場を経験されたなかで、リーダーとしていろんな能力や任務が要求されてくると思いますがどのようなことが必要なのでしょうか。

山口: ダム現場のリーダーは部下の命を預けられた最高責任者です。ダム現場は三次元的に変化の激しい現場です。出水や地震に対する危機管理も大切です。前後左右上下への目配り、心配りが欠かせません。確実な「技術力」を有することは当然ですが、現場や職場環境を改善する「問題意識」、部下を育成しチーム力を向上させる「モチベーション」、関係者と堂々と渡り合える「コミュニケーション」などの能力が要求されると思います。
 現場の責任技術者として部下を督励して適正、円滑に工事を施工し、現場事業所経営も含む総括的管理業務ができるまさに「ダムサイトのプロジェクトリーダー」でなければなりません。

社会を支える誇りを持って

中野: 最後に、若手の技術者に対してエールを贈っていただけますか?

山口: 私は、谷沢(たにざわ)永一(えいいち)の「人間通」という本が好きで、今も時々読み返していますが、そこから得られたのは、チームを成り立たせるためには、「他人の心がわかること」が一番大事だということです。仕事をするにあたって人が嬉しいと感じるのは、「君がいたからここまで出来た」と、お客様や上司をはじめとする関係者から認められることで、それに勝るものはありません。本から抜粋しますと「人間は最終的にトコトンのところ、何を欲しているか。それは世に理解されることであり世に認められることで、理解され認められれば、誰もが勇躍して励む。それによって社会の活力が増進し誰もがその恵みにあずかる。世間とは具体的には自分に指示を与える人であり働きを共にする同僚である。この人たちから黙殺または軽侮されるのは死ぬより辛い。逆に自分が周囲から認められているという手応えを得た時の喜びは何物にも替え難い。他人の気持ちを的確に理解できる人を『人間通』という。『人間通』を身近に見出せることは幸福の最たるものであろう」と、書かれています。現場の所長くらい遣り甲斐のある面白い仕事はないでしょう。何事かを成し遂げるためには、何と言っても強固なチームつくりが必要です。若い皆さんには、将来、社会インフラの整備と維持を担うリーダーとして先頭に立ってほしいと願っています。頑張ってください。

 最後に一言。結局、これまで充実した人生がおくれたのも、頑健な躰を授けてくれるとともに天国に召されてからも見守り続けてくれた両親を始め、先輩・同僚・友人・そして家族、とくに妻のおかげと、心から感謝しております。

中野: 本日は貴重なお話を有り難うございました。



(参考) 山口温朗さん プロフィール

山口 温朗 (やまぐち よしあき)
大成建設株式会社土木本部理事 ダム総括部長

昭和25年9月22日 岐阜県生まれ
昭和44年 3月 岐阜県立岐阜高等学校卒業
  48年 3月 名古屋大学工学部土木工学科卒業
  50年 3月 名古屋大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了
  50年 4月 水資源開発公団職員 採用
  50年 4月 水資源開発公団計画部計画課
  52年 4月 水資源開発公団一庫ダム建設所工務課
  53年 7月 水資源開発公団一庫ダム建設所調査設計課
  54年 4月 水資源開発公団一庫ダム建設所ダム出張所 工事係長
  56年 7月 水資源開発公団池田総合管理所管理課 管理係長
  59年 4月 水資源開発公団試験所第一試験課構造材料試験室 室長
  63年 4月 財団法人ダム技術センター研究第一部 主任研究員
平成 2年 4月 水資源開発公団第一工務部設計課 課長補佐
   6年 4月 建設省中国地方建設局殿ダム工事事務所 所長
   9年 4月 水資源開発公団第一工務部設計課 課長
  10年 1月 水資源開発公団徳山ダム建設所 所長
  14年10月 水資源開発公団中部支社 副支社長
  15年10月 独立行政法人水資源機構中部支社 副支社長
  16年10月 独立行政法人水資源機構ダム事業部 部長
  20年 4月 独立行政法人水資源機構 技師長兼ダム事業部長
    11月 独立行政法人水資源機構 技師長
  21年 4月 独立行政法人水資源機構 ダム技術監
  23年 4月 独立行政法人水資源機構中部支社 上席審議役
  25年11月 独立行政法人水資源機構 退職
    12月 大成建設株式会社入社 土木本部理事 ダム総括部長

[関連ダム]  徳山ダム  殿ダム  一庫ダム
(平成26年8月作成)
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