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ダムインタビュー(83)
岡村 甫先生に聞く
「教育は,人を育てるのではなく,人が育つことを助けることである」

 岡村甫(おかむら はじめ)先生は,昭和32年に私立土佐高等学校から東京大学工学部土木工学科へ入学,後に同大学院工学系研究科修士および博士課程を経て,コンクリートをご専門とされる学究の道に進まれます。岡村先生を語る時忘れてはならないのは,野球とのかかわりです。学生時代は公式野球部の投手として東京六大学公式戦71試合に登板し,通算17勝という東大野球部最多勝利記録の保持者としても名を馳せておられる事。また高校2年生までに東大に合格するだけの受験勉強を済ませ,3年生になってから野球部に入り直して県大会に出場したというエピソードをお持ちだという事は,六大学の関係者か相当に野球好きな方以外には余り知られていないのではないでしょうか。
 今回は,およそ東京大学で40年,高知工科大学で10年の研究者,教育者としての足跡を振り返りつつ,ご専門であるコンクリート研究とダムとの関わり,若い人へのメッセージを伺って参ります。



(インタビュー:中野 朱美 文・編集:事務局 写真:廣池  透)

野球好きの少年だった

中野: 東大で岡村先生と言えば野球だと,いろんな方にお伺いしていたものですから,まずはいつ頃から野球がお好きになったのか伺えますか?


中学3年夏 小川潔捕手と


岡村: 私が小学校1年生,当時は国民学校という名前でしたが,春に入学してその夏には終戦となって,その後はそれまでの教育現場で教えられていた内容とは180度変わってしまった時代です。ですから,信じられるものがなくなった喪失感みたいなものを学校で感じた世代です。遊びと言っても何もない。スポーツなんて下級生の頃は,走るぐらいしか出来ない。4年生になった頃ようやく野球が出来るようになり,みんな夢中でやりました。今の人はご存じないかもしれませんが,三角ベースという簡易版の野球。ベースの数も少なく,4,5人いればちょっとした空き地で野球が出来るので,毎日のように楽しんでいました。

中野: 小学生時代から,野球が好きになられたのですね。

岡村: 男の子は野球しかやることがなかった時代でしたね。

中野: そのまま中学,高校と野球を続けて,だんだん本格的になったのですか?

岡村: 中学に進み,野球部に入ろうとしたら母親が反対でした。野球より勉学が大切だというのが母親の持論で,相当な教育ママでした。反対を押し切って野球部に入ったのでグローブ等も,自分の小遣いで買いました。当時は学業成績優秀な生徒には授業料免除のついた特待生となる制度があり,その分は私の小遣いとなる約束でした。そのため,成績を良くする工夫をせざるを得ませんでした。

中学の夏大会で優勝した

中野: では中学から部活として始められたのですね,その頃のポジションは?

岡村: セカンドで,守備は下手ではなかったのですが打てないので,試合には出して貰えませんでした。当時,土佐中学は強くて,私が三年の時,春の大会でチームは五年連続優勝を果たしました。そのチームの補欠でした。大会が終わった直後の紅白戦で,二軍のピッチャーで好投しました。セカンドにいても役に立たないので,ピッチャーに転向し,幸いにも二番手の投手として使って貰えるようになりました。最も重要な夏の大会直前に,エースが怪我をしたために,私が全試合を投げ,四連覇を達成することができました。

中野: それはすごい。

岡村: バックが強いからで。とにかく守備がしっかりしており,夏の大会でも決勝戦までノーエラー。盗塁された覚えはありません。四球を出さなければ点を取られないのです。点を取られなければ負けません。点を取れば必ず勝つチームだったのです。

中野: その勢いで高校でも野球部に入部されたのですか。

岡村: いえ,高校では野球部に入りませんでした。土佐高校は野球が強かったのです。それに監督も怖い人で,その人の下で野球をするのは私には無理だと思っていました。その頃,身長が150cmくらいしかなく,体力的にも技術的にも高校のレベルではないと思っていました。しかし,私の父と監督とは仲が良く,監督から父に「1週間だけ練習に参加させくれないか」という話があって,1週間練習に参加し,約束通り一週間でやめました。

高校で甲子園を目指す

中野: なるほど,三年生になってから野球部に再入部されますが,何かきっかけがあったのでしょうか。

岡村: 二年が終わった時に校長に呼ばれ,何事かと思って校長室に行くと,「野球部の溝渕監督から、打撃は良いが投手は今ひとつなので、岡村に入部を勧めてくれないかと頼まれた」と言われました。身長も170cm位になっており,数か月であれば,体力も持つだろうと思い,直ちに入部することにしました。中学で一緒にプレーした連中が,下級生を含め全員がチームの仲間として歓迎してくれました(私と一緒にプレーしていなかったのは2・3人)。このことは本当に嬉しいことでした。

中野: そうですか。また一緒に野球が出来るということですね。

岡村: 夏の大会は,元からいる同級生と私の二人で一試合を投げました。第一試合は,彼が先発で私はリリーフ。次は私が先発で彼がリリーフです。高知商業との準決勝まで進み,これに勝つと南四国大会に出場できます。監督はさんざん悩んで,同級生の方を先発させました。初回に四点取られ,二回から私が投げましたが,四対二で負け,甲子園の夢は消えました。たまたま,東大野球部元監督の竹田晃さんが所用で高知に来られた時に,土佐高の投手で東大を受験する生徒がいることを耳にし,溝渕監督に会われたそうです。

中野: 野球を通じて情報が伝わっていったのですね。

岡村: 運動部の情報というのはなかなか伝搬力がありますね。

東大でも野球が続けられると


中野: 東大を目指しているということも含めて情報が伝わっていたということは,相当に注目されていたということですね。

岡村: 高校に入った時点で,高校では通じないと野球は諦めていました。三年の夏の大会で好投しましたが,大学でも野球が出来るとは思わなかったのです。その時点で,東大理Tを受験することを決め,大学野球部ではやっていけないと思っていました。ところが,夏休みに私の家に突然,東大野球部の鈴木武春さんと坪田宏さんが訪ねて来られたのです。竹田さんの発案であったと思います。鈴木さんは希望ヶ丘高校で甲子園に行き,一年生からレギュラーで活躍していた方で,大学では機械工学科の学生でした。工学部でも十分野球は出来ることを自身の経験から説明されました。

中野: ご自身が実践されているので,説得力がありますよね。


神宮野球場にて(大学3年)
岡村: 理系でも野球は出来ることを説明するためにわざわざ高知にまで来ていただいたことに感激し,東大に入学すれば,野球部に入部することを直ちに決心し,その旨を伝えました。鈴木さんは「勉強をしっかりやれよ」と言って帰られました。入学試験当日には,その日の私の出来をその都度電話で鈴木さんに報告しました。合格発表の翌日上京し,大学での練習を開始しました。


東大構内にて(大学4年)左端
土木へ進んだきっかけは

中野: 東大で理系,それも理Tでは勉強の方も相当に大変ではないですか?

岡村: それは大変ですね。毎日授業に出ていないと卒業出来るかどうか分かりません。野球部は,毎日午後1時から全員が練習していました。誰も午後の授業には出ないのです。文系ではそれでも卒業が可能でした。私は不安なので,キャプテンにお願いして,午後一時からの数学の講義にだけ出席することの許可を得ました。一週間に一度,午後の講義を聞き,一人だけ遅れて練習に出ていました。しかし,3度ほど授業に出席し,以後欠席することにしました。授業を聞いても全く理解できなかったのです。出席する意味がないと判断したからです。試験を受けた時,皆分かっているように答案を書いていましたが,私は良く分かっていないことを思い知らされ,こと勉学に関しては劣等感に悩まされました。進学先を決める際,理学部に行くつもりはなく,進学可能なのは,土木,船舶,資源(鉱山)の三工学科でした。消去法で土木を選択しました。工学部の授業は,教養学部よりも私に向いていました。

中野: そうですか。

岡村: 専門科目については,心機一転,駒場まで往復2時間かけて通うことにし,試験も私なりに準備をして臨みました。満足できる結果を得ることができ,やれば出来ると,勉学に対する劣等感をぬぐうことができたと思えました。

國分先生との出会い

中野: 卒論はコンクリートをテーマにされたと伺いましたが,コンクリートを専門に選んだのは何か理由があるのですか?

岡村: 野球生活にどっぷり浸かっており,卒業論文の所属研究室を決めるということは余り気にしていませんでした。春のリーグ戦が終わり,大学に行くと,他の学生は所属研究室が決まっており,空きがある「コンクリート研究室」を選ぶことになりました。

中野: コンクリートを研究し始めて面白いと思ったことはありますか。

岡村: コンクリートに関する実験を行って,卒業論文を作成しましたが,興味があったからではなく,卒業するための要件を満たすため,義務感でやったにすぎません。コンクリートが面白くなったのは修士課程に進学してからです。

中野: コンクリート研究室で指導されておられた國分先生との出会いをお聞かせください。

岡村: 「コンクリート・マニュアル」というのをご存じですか。アメリカの陸軍工兵隊が作成した英語の本ですが,ぽんと渡してこれを読めというのです。それが,國分先生に研究室でお会いした最初です。

中野: 工兵隊のダムの作り方を記したものと伺っていますが。

岡村: コンクリートについてのA〜Zが解るものですね。次に,コンクリートの含有空気量を測る「エアメーター」について検討するよう要請されました。先生が考案されたものの適否を判定せよとの話をいただきました。凍結融解試験に使う供試体の空気量を直接測る方法です。その方法の「適否を判定せよ」という問題です。私は,いろいろやってみたのですが「これは使い物になりません」と理由を挙げて先生に報告しました。

中野: 國分先生に言われたのですか。

岡村: はい。そう言いました(笑)。

中野: コンクリート界では大御所の國分先生におっしゃった訳ですね。國分先生とは,どういった方なのですか。

岡村: 國分先生を知っている方は,皆さん怖い先生だと言います。でも,私にとってはすごく優しい先生でした。例えば,土曜日に野球の試合があり,「試合なので先生の試験、受けられません」と言いましたら,「追試をしてやる」と。それは三年の時でしたね。一人だけ追試をしてくれると。追試に行ったら,もう一人ヨット部所属の学生がいて,結局二人で受けました。

中野: 面倒見が良い先生なのですね。

コンクリートを専門にした訳

岡村: 國分先生に対して恩義に感じたことは幾つもありますが,その1つは,土木学会コンクリート委員会のPC指針作成小委員会に,私と長瀧重義さん,池田尚治さんの三人を幹事として連れて行き,指針作成がどのように行われるかの実際に見せてくれました。二泊三日の予定で,箱根に泊まり込み,朝から晩まで,指針の一条ごとに文章を推敲して完成させる作業でした。最後の夜の懇親会で,野口功幹事や猪股俊司博士が私に対して,東大でもコンクリート構造に関連した研究をするべきであると熱心に説かれました。その影響を受け,修士論文はコンクリート構造を対象としました。一介の学生にもそういう機会を与えてくださったのが,すごく役に立ちました。もう一つ同じような経験をさせて頂いたのはJISの委員会です。鉄筋のJIS改定委員会を傍聴させて頂きました。國分先生から,「付いて来い」と言われ,JIS改訂作業の様子を目の当たりにしました。博士論文の対象が高強度異形鉄筋でしたので,内容が参考となるだけではなく,日本最高レベルの方々が何を問題としているかも感じることができました。いきなり来いと言われたものですから,私はネクタイをしていませんでした。先生はどうしたと思いますか?

中野: 國分先生だったら,誰かから借りてくれるか,買ってくれるとか?

岡村: あっ,すごい。

中野: 先生が買ってくれたのですか。

岡村: 途中で大丸に寄って,「ネクタイ、これでどうだ。これをしていきなさい」と買ってくださいました。院生に対してこういうことができますか?教授がですよ。ネクタイないから行けませんと一度は断ったのですが,それでも「いいから来い」と。まあいいかなと思ってついていったら,そういうことだったのです。

中野: そういうところが本当にお優しいのですね。

岡村: 博士号を取って半年後,アメリカの大学に行く時に,紹介状を書いてくれました。この男は,常識はないが,根はいいやつだと,書いてありました。その後,ホテルに行って一緒に食事をしようというのです。「おまえはテーブルマナーを知っているか、スープは音を立てて飲んじゃいかんと。アメリカに行ったら、こういうことに気をつけろ」と,私が恥をかかないように実地に教えてくださったのです。

中野: すごいですね。勉強だけではなくて,人とのつき合い方も全部含めて指導して下さったのですね。


自分の進む道を決めた

岡村: 私とは正反対の性格の先生なので,すごく勉強になりました。似ていると反発心が出たりしますけれどね。

中野: 一緒にいても気を使わない方なのですね。

岡村: 私は,人とのつき合い方に自信がなくて,人にどう見られているかを気にしていました。人の評価を気にしていたのです。修士課程を終えてドクターコースに進学する時,コンクリートを一生の専門にすることを決心し,私を解ってくれる人にだけ評価して貰えれば良いと思ったのです。一流の人は,皆解ってくれるのではないかと,國分先生を見て思ったのです。その後は,思うことを率直に話せるようになりました。

中野: 人間が一番ストレスを感じるのは,人間関係だとか。人がどう思っているかを気にすれば,自分を出すことがなかなかできないですから,自分が一生懸命やっていれば,必ず解るというところがありますよね。


塚山隆一先生と黒部ダムへ
岡村: 一生懸命だけではなくて,誠実にやっているというのがポイントです。とにかく國分先生の真似なんてできっこないですから。

中野: 偉大すぎて。

國分先生とダム現場へ


國分先生(中央)と現場へ


岡村: 本当にすごい方で,後になって,少しだけ話してくれたことの1つに,先生の軍隊経験があります。ノモンハン事件でのことです。分かりますか?ノモンハンて。

中野: 太平洋戦争が始まる前の事件ですね。

岡村: 満州国とモンゴルの国境で日本軍とロシア軍との間で起きた戦闘です。國分先生はその時に部下10人の小隊長でした。激しい戦いで,國分先生ご自身,敵の戦車に向かって手榴弾を投げ入れたそうですが,隊員は一人も死ななかったそうです。先生ならそうできると納得できます。

中野: そういう経験をされていたとは。
岡村: 先生は卒業後に召集されて将校の訓練所に入ったそうですが,朝起きるのが早いけれど寝るのも早い。辛くはなく,むしろそれまでより楽であったとの感想を聞きました。厳しい環境に置かれても,それを乗り越えるだけの体力と知力を持っておられたのでしょう。小説にもなった『高熱隧道』の現場にお供した時に,先生はまだ50歳前でとてもお元気で,私の方が疲れ果てたことを想い出します。


中野: 現場で勉強するということですね。

岡村: 修士一年(1961年)のとき,先生のお供で,新黒部川第三水力発電所への高熱水路トンネルのコンクリートライニング打込み現場に行き,強烈な刺激を受けました。岩盤が140度ですから,中も相当熱い。その中で工事していました。実際にコンクリート打ちする人は30分交代です。30分間後ろから水をかけて,冷やしながら作業をして30分たつと交代。そこに,私と先生も裸でカッパを着て入って行きました。恐らくもう二度と出来ない。そういう所に私に勉強をさせるために連れて行ってくれました。そこでいろいろなものを見て学べということでしょう。直接見れば解りますからね。岩盤の温度が140度で,そこにコンクリートを内巻する。140度ある熱い岩盤にコンクリートを打って施工が出来るかどうかという問題です。國分先生は出来ると踏んでおられました。理論的に求めた温度勾配を検証し,硫黄分が多い環境に対して最適のセメントを実験で明らかにする研究を先生指導のもとでやっていました。先生の指導を目の当たりにすることが最大の学びでした。後に名工大で学長になられた吉田弥智先輩が研究し,それを現場で検証していたのです。


トロッコと徒歩で光熱地帯の現場へ
中野: 机上の事ではなくて,そういう経験を積むということはすごく大きいですね。

岡村: それは大きいです。現実にその場に行かないと,140度の岩盤にコンクリート打つということは解らないですよ。

中野: 貴重な経験ですね。黒部ダムは,そういう厳しい現場を克服して造られたのですね。

岡村: 宇奈月から高熱地帯をトロッコと徒歩で現場に行きましたが,昔の人が歩いていた所を通りました。落石防止のためにトンネルになっており,内部は狭く,天井が160cmぐらいしかない道です。國分先生は背が高いから,かがまないと歩けない。私もちょっとかがまないと歩けないので,現場に行くだけでも大変でした。この機会を逃してはいけないということで私にも経験させてくれたのです。その場所で多くの方々が亡くなられたことを聞きました。完成直前の黒部ダムには,当時日本セメントにおられた塚山隆一先輩に連れていってもらい,渡部威先輩には監査廊を案内していただき,最初に岩盤試験をした話などを伺いました。

自己充填コンクリートの研究

中野: 次ぎに,岡村先生ご自身の研究について,お話を伺いたいと思いますが,自己充填コンクリートは,世界ではよく使われるようになりましたが,日本で広まらなかったのはどういう所が難しかったのでしょうか。

岡村: 私は,自己充填コンクリートが普及すれば,日本のコンクリートは良くなると単純に考えていたのです。日本の建設業界の仕組みが普及を阻んでいることに気が付きませんでした。土木建築の世界では,建設会社が元受けとなって一括で仕事を請け負う仕組みであることは承知していましたが,元請け会社にとって収益の上がる方法が,安い材料を使い,高い施工費とすることには気付きませんでした。良いものが安く出来ても,自分たちの収益につながらないものを敢えて採用しようとはしません。


平成20年度 ダム技術研究会
【平成20年7月17日(九州地方整備局 嘉瀬川ダム)】


中野: 日本の社会システム・マネジメントがそうなっているのですね。

岡村: ある時,運輸省の発注で,鋼コンクリート合成構造で沈埋トンネルを造るという工事がありました。ある建設会社が受注したのですが,設計変更をして,通常の鉄筋コンクリートにしたいというのです。材料の鋼とコンクリートが高く,施工費用が安い方法では,元受け会社の利益は減るのです。材料を提供する新日鐵が頑張り通して,その設計変更を食い止めました。発注元の運輸省としては,トータルコストが1%ほど下がったのですが。

中野: 自己充填コンクリートは世界で初めて成功した技術ですか。
岡村: そうですね。日本発のものであることは,世界的に良く知られています。海外では建設会社がコンクリートの製造会社を持っているケースも多く,トータルで利益が出れば,採用されやすいと思います。日本が生コン業者と建設会社が同じ会社であれば,急速に広まったのではないかと思います。

中野: 海外とは仕組みが違うのですね。

岡村: 日本では,建設業界は重層構造になっていますが,元請け会社の利益が優先される仕組みとなっています。自己充填コンクリートは,普通のコンクリートでは施工出来ないところにだけ使われています。この研究開発の中心は小沢一雅さんですが,彼は専門をコンクリートから建設マネジメントに変更しました。そのほうが,世の中に貢献できると考えたからです。コンクリート打設や締固めといった辛い仕事をなくし,楽しい仕事に変換できる時期に来ています。世界の中で最先端の土木社会を実現するのは,これからです。

ダム現場はいつも進歩している

中野: ダム技術センターで研究顧問をされておられますが,ダム技術研究会で,現場に見学に行く機会はどれくらいですが。

岡村: 一年に一度一泊二日の日程で,最新のダムや今行ったら良いというダム現場を選んで訪問する機会があります。ダム現場では新しい事を常に導入していることを感じています。進歩した点を必ず説明してくれます。詳しくは解らなくても前よりは良い,新しい技術になっている,そういうことを目の当たりに出来ますから。ダムがこんなに一歩一歩,進歩しているというのは非常に嬉しいことです。

中野: いろんなダムをご覧になってこられておりますが,お好きなダムはありますか,印象に残っているダムはとか。

岡村: 最初に訪れた黒部ダム。アーチダムは美しいですね。建設時の苦労を知っているので,やはり感慨深いものがあります。観光旅行を含め,10回近くいろんな人と行っています。

留学生が案内してくれた海外のダム

中野: 黒部にはいろんなルートがありますしね。海外のダムはどうでしょうか?


留学生とアスワンハイダムにて


岡村: 中国の四川省にある都江堰には感服しました。2000年以上前に建設され,今も現役で活躍しています。毎年の祭りを利用して,その維持を行っているのは素晴らしい考えです。エジプトのアスワンハイダム,中国の三峡ダム,米国のフーバーダムなどを,留学生を中心とした学生たちと一緒に訪れたことは強く印象に残っています。アスワンハイダムは,エジプトからの留学生が企画したもので,カイロでの国際会議の出席,カイロ大学との研究交流,アスワンハイダムの見学,など1週間ほどの行程でした。特別に許可を得て,アスワンハイダムでは普通は入れないところまで見せて貰ったので非常に印象が深かったです。
 その時に中国からの留学生の安さんがいて,アスワンハイダムよりも中国の三峡ダムの方が大きいと言って,いつか私を必ずそこへ連れて行くと約束してくれました。三峡ダムが建設された後に連れて行ってくれました。船に三日間乗りっぱなしで三峡下りをしましたが,外の景色を見ているだけなので,考える時間が多く,多くのことに気づきました。

中野: 川辺の様子が手に取るように分かるのですね。

岡村: 現地に行かないと気付かないのですが,重慶から喫水の小さな船で行き,途中で大きな船に乗り換えます。船長さんの話では,平らな船底の船を使い,川底に着いて座礁しないように,操船するのが船長の腕ということでした。三峡ダムの第一の目的は,水深を100m増やすことによる水運であると気付きました。当時,中国の自動車は,7割ぐらいが重慶で製造され,船で東海岸まで運んでいました。三峡ダムの電気も東海岸に大部分を送電する必要があったのです。相当大変ですよ。

中野: 遠くまで電力を運んでいるのですね。

岡村: 西安と重慶との間は,西部大開発計画が実施中でした。長江からもっと上流には水力発電に良い適地があります。そこで発電した電力を,東海岸まで運ぶよりは,西部で工場を建て,製品を船で運ぶ。それが三峡ダムの最大の使命だということに気付きました。

ダムを中心とした 都市づくりをした三峡ダム

中野: 三峡ダム建設では多くの移転者が出たそうですが。

岡村: 左岸には何カ所も石炭を掘っているところがあり,労働者用の汚い建物がありました。そこから100mほど上に,移住のための新しい住宅を建設していました。移住しなければならなかった100万人の内のかなりの人数はその人たちと思われました。農民は,農地が必要なので遠くに移転しなくてはいけないので,三峡ダムを建設するときに社長をしておられた陸先生は,移転した農民に電力料金の一定割合を支援するための基金を設ける等の仕掛けをされました。陸先生の下で三峡ダム建設に携わった方たちが,金沙江下流部に建設中の4ダムのそれぞれの所長として彼の精神を受け継いで活躍しています。これらのダムによる発電総量は4個を合わせると,東京電力の全発電量を超える規模と聞いています。


SSMSにて陸先生(右端)に名誉博士を授与
ダムを中心とした新たな都市づくりをしており,建設中に宿泊する宿舎も将来の使用を前提として立派な建物としていました。建設に従事している1万人が充実した暮らしができる配慮を感じられます。陸先生の人を思いやる精神がさらに発展しているように思いました。かつての留学生だった安先生も,今や立派な学者になってこうした活動を支えています。陸先生は三峡ダム建設会社の社長を終えられた後に,清華大学教授,院士となられ,高知工科大学が事務局を担当している国際会議(SSMS)を三峡ダムサイトで開催する労を取ってくださいました。先生の高知工科大学へのご貢献を感謝し,名誉博士の称号を授与させていただきました。


金沙江ダム職員宿舎
中野: 陸先生の意志がダム建設に携わる後輩にも受け継がれているのですね。

岡村: 三峡ダムは桁外れに大きいので,働く人が2万人とか3万人です。すると日本の飯場のようなものを一時的に造るのではなく,1つの都市を造るくらいのことでないといけないということです。ゴルフ場まであります。三峡ダムでは造っている最中に半分くらい水が溜まったら発電をしている。向こうはスピード感が違います。メリットになるならすぐに実現させようと。


金沙江下流部4ダム配置計画

中野: 八ッ場ダムは50年前に計画がスタートしてようやく建設が始まりました。マネジメントのスピードが違いますね。中国は,つくり始めて3年目でもう発電して舟運もプラスになっているのですね。

岡村: 中国は,ダム技術者の李鵬さんを初め他にも土木技術者が政府の中枢にいます。その人たちが国をどうするかを決める力を持っているので,大きな計画を実行できるように思います。日本とは大きく違います。
日本は戦後で意識が変わった

中野: ダムに反対する人が多くて,八ッ場ダムはようやくという感じですが。

岡村: 日本は,戦前と戦後で正反対に変わったと思います。戦前だと,国家優先で公益のために私益を抑えてきました。戦後は,私益のほうが公益よりも優先するという風潮になりました。公益と私益とのバランスを考えることに対して,マスコミを含めて皆で取り組んでいかなければならないと思います。

中野: 今のお話で,教育の影響が大きいと思います。学生を指導する中で,意識して来た事,最も心掛けてきた事はありますか?

岡村: 私の世代は国民学校1年生で終戦となりました。突然教科書が変わり,先生の教えることが180度変わったのです。子供の時にそういう経験をしたらどうなると思います?

中野: 何を信じていいか判らなくなってしまいます。

岡村: そうです。そうなるのです。だから,私たちと同じ学年の人たちはそうなってもおかしくない。何を信じていいかわからない世代が我々の世代です。戦前の教育が身についていた昭和ひと桁と言われる人たちは,戦前の教育を受けた上に,世の中が正反対になったのです。自分の価値観と違う価値観が世の中に広がっていったのです。戦前の教育に触れないで,戦後教育になった人たちが今やほとんどですが,戦後の教育は最初の頃,行き過ぎていたと思います。アメリカは理想的な民主主義を日本に根付かせようとし,戦後すぐの頃は行き過ぎた教育を受けたように思います。それがベースになって今に繋がってきているのではないでしょうか。

中野: 一時期はゆとり教育で,また脱ゆとり教育になったり,振り回されているような気がします。

岡村: 世の中が貧しい頃は,教育の柱には志や誠が大事ですが,世の中が豊かになるとそんなに大事ではなくなるのですね。ダムに関連して言えば,例えば漁業補償とか,いろんな補償をしますね。最初は良かったとは思うのですが,やがて補償のための補償というか。やり過ぎの部分も出て来たのではないでしょうか。影響を受ける人に対しては補償が必要なのですが,補償を高くするために要求している人たちのバックアップをマスコミがしているように思われます。住民がどうすれば本当によいかの合意形成をするという風土がなくなってしまったように思えます。高度経済成長期に急いで工事をするために,住民の我が儘を聞いて,無茶な補償もしていったつけが今になって,回ってきたような気がします。

國分先生の教えを受け継いでいく教育

中野: それは,おっしゃる通りだと思います。先生は東京大学,高知工科大学で学生を指導されますが,学生を指導する中で,意識して来た事,最も心掛けてきた事はありますか?

岡村: 教育というのは人を育てるのではなくて,人が育つことを助けることであるというのが,私の持論です。卒業論文のテーマを学生が自分でみつけるのは大変難しいことです。うまく見つけた人は良いのですが,そうでない人は相当苦労します。そこで,幾つかあるメニューを学生に提供し,その中から好きなのを選ぶようにするとスムーズに行きませんか。基本的に学生自身が選んで実行計画を自分で立てる。その実行計画に対して,良くない理由を幾つか言い,また持って来させる。それを繰り返すのです。そのやりとりを二日ぐらいやります。すると,自分で良い計画が出来るようになります。最後はオーケー,これでやりなさい。時間はかかるが,学生は自分で立てた計画を責任持ってやるようになる。もう一つ,準備をきちんとする。

 例えば,コンクリート研究室で二,三人が今やっていることを発表する。発表に対して,コメントする。そこはよくない,ここはいいと。それをやって積み上げていきます。そうして,卒業論文,修士論文の一ヵ月前ぐらいに二泊三日で研究室の学生全員でスキーに行きます。

中野: 論文の締め切り前にですか?

岡村: その時期までにはコンクリート打ちは終わっているという事です。帰ってきてから実験をし,締め切りの一週間前に論文を私に出すことを義務付けました。それから発表の準備をするために。



中野: 最後まで学生が全部,自分で出来るようにするということですか。

岡村: そうですね。論文発表をするには,準備が大切ですから。そして,国際会議に出ることを奨励しました。投稿が採用されれば,旅費は出す。留学生は積極的に投稿しますが,日本人はあまり投稿しない。残念なことです。

中野: 國分先生にしていただいたことを学生にするというのが,岡村先生の指導方法ですね。
岡村: そうそう。出来るだけ体験する機会を作るのが私の仕事です。

高知工科大学の特色

中野: 私は,高知工科大学に伺った事がありますが,自由な雰囲気でした。特徴としてはどうでしょうか。

岡村: 大学の最大の利点は人であるとの認識を持っていました。人材を育てるといわれますが,それはできません。人それぞれに独自の人生があるので,教育に携わる人間にできることは,人が育つ環境を作ることだけです。高知工科大学のホームページには,そのことが明瞭に書かれています。嬉しいことです。

中野: キャンパス内の研究教育棟はシンボル的でした。校舎の設計の時点で工夫されたのですか。

岡村: 高知工科大学の研究教育棟というのは世界に例がないと思います。一階が教室と実験室。二,三階が学生主体の研究室。四階は教員室。五階がセミナー室。横に移動すると同じ立場の人がおり,縦に動くと同じ専門の人がいる。教員は同じフロアに全員いるようになっています。そういう配置の大学は世界のどこにもないはずです。私が建設委員長だったので,随分議論しました。初代学長の末松先生の意見もたくさん反映しています。例えば,校舎の中は傘をささないでも全部行けるようになっています。

中野: そういえばそうですね。ずっとどこか屋根がありますね。あと,学生の表彰制度がたくさんあるというのを聞いています。どういった内容かお聞かせ下さい。

岡村: 開学時から学生への表彰を重視し,学長賞,学長褒賞,廣井勇賞,末松賞,岡村賞,佐久間賞などがあります。学長賞として,学業成績(最)優秀賞,アスリート(特別)優秀賞,文化(特別)優秀賞があっていずれも対象者には10万円あるいは30万円の奨学金が支給されます。

中野: 厳しい基準があるのですね。

岡村: 成績はある程度良くないとだめです。廣井勇賞というのは私が考えました。廣井勇賞は,学友を慈しみ熱き向上心を持ち,今後もリーダーとして卒業までの間活動する志を有する者として,同学年の学生−三年生ですが−彼らと教職員が投票して選んだ人に与える賞です。各学科一人ずつ,副賞として小樽へ行って,現地で廣井勇に関係する人の話を聞いて帰ってくることにしました。

中野: なるほど。で,岡村賞というのは?

岡村: スポーツが出来る。

中野: そういう賞があると,学生もすごく励みになりますね。

岡村: 末松先生は学術の方面の賞を,佐久間先生がスポーツに力を入れて,トータルで文武両道という表彰制度になったのです。土佐高校の伝統でもありますが,土佐の高知の風土として,やはり文武両道で行こうということになりました。

中野: すばらしいですね。

若い人へのメッセージ

中野: 最後に若い人へのメッセージを一言頂ければと思います。

岡村: 私は,かつて大学三年生を対象にしたセミナーを企画することを提唱しました。そのセミナーのテーマは何でもいいということで。私のセミナーは,スポーツと歴史と人間学を柱にしたセミナーです。事前に本を読んで来てもらって,それをもとにディスカッションをするのです。その結果,石田哲也君とか細田暁君がコンクリート研究室に来ることになりました。今や実力派の先生となった人たちがコンクリートの途に進んだのは,そのセミナーのおかげです。

コンクリートや土木という分野で,最先端のコンピューターソフトをやりたくて来たのではなく。土木は,技術を身につけるだけでは十分ではないのです。自然相手で,人が造る物の中で最大級の構造物を創造するのですから。人間とはどういうものかを学ばないといけないし,それには歴史を学ばなくてはいけないのです。一見,かけ離れているように思えますが,大事なことです。私はハードからソフトへの変換を勧めました。高知工科大学の創設に係わった時に,大学の工学部はハードからソフトに軸足を移すことを提案しました。土木では,空間情報やマネジメントを重視することを勧めています。


中野: 石田先生が「ローマ人の物語」のゼミをされておられたのは,岡村先生の影響だったのですね。コンクリートは古代ローマからあるので歴史も学ばなければいけないのですね。

岡村: コンクリートはもちろんですが,土木一般です。土木は人間社会を支えるための学問だと思います。したがって,人間と社会を学ぶことは不可欠で,そこに最大の面白みがあると思います。インフラは,人間の暮らしのためにあるものですから。善き人間となり,より良い暮らしをするためにあるものだと。より良い暮らしとは何かとか。人間が何を希望しているのか,そういうところが分からないと,土木の仕事は出来ません。それには歴史を勉強するのが一番ですね。

中野: 本日は貴重なお話を伺えてとても良い経験になりました。ありがとうございました。

(掲載写真は岡村先生に提供頂きました。)

(参考)岡村甫(おかむら はじめ)先生 プロフィール

1957年 私立土佐高等学校卒業

1961年 東京大学工学部土木工学科卒業

1966年 東京大学大学院博士課程修了
    工学博士
    東京大学工学部専任講師

1968年 助教授

1982年 教授

1986年 工学部長

1999年 高知工科大学副学長

2001年 学長

2008年 退任

2009年 高知工科大学理事長

2015年 退任 顧問

海外滞在

1966.8〜1968.3  米国テキサス大学
1978.5〜1979.3  英国リーズ大学
1989.9〜1989.12 米国ワシントン大学
1990.8〜1990.9  タイ国アジア工科大学

土木学会

1988.5〜1990.4  会誌編集委員長
1995.4〜1999.3  コンクリート委員会委員長
1999.6〜2000.5  会長(87代)

[関連ダム]  Sanxia[三峡ダム、Three Gorges ]  黒部ダム
(2019年8月作成)
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