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ダムインタビュー(88)
門松 武氏に聞く
「組織力を育てられる能力は個人の資質にあるから, そこを鍛えないといけない」


 門松 武(かどまつ たけし)さんは,昭和42年東京大学理科U類に入学後すぐ野球部に入部(当時の野球部長は国分正胤土木工学教授と梅村魁建築構工学教授),昭和46年農学部林学科を卒業後,当時は東大紛争中だったことから,学士入学で土木工学科(当時,国分正胤教授・岡村甫助教授のコンクリート研究室に所属)に再入学されます。再入学後,野球部助監督(岡村第2次監督)に就任。昭和48年3月に東京大学工学部土木工学科と野球部を再び卒業,建設省に入省されます。その後は,近畿地方建設局淀川工事事務所を振り出しに河川関連の部署を歴任。全国各地へ転勤の連続という経験をされます。


この間,真名川ダムと温井ダムというアーチ式コンクリートダムの建設に従事し,2基のアーチダムを経験した数少ない技術者の仲間入りを果たされます。本省河川局開発課の直轄技術係長,課長補佐などを歴任するため東京に戻るも,わずか2年で近畿地方建設局姫路工事事務所長に転出。さらに2年後には(財)ダム技術センターの企画部長に出向されます。

 その後は,河川局を中心に多彩な職歴を重ねられ,ダムと河川土木の分野で数多くの成果を残されてきました。平成18年,国土交通省河川局長に就任された後,平成20年に国土交通省を退職されます。その後は(財)日本建設情報総合センター理事長に就任され,平成30年に辞任されるまでの10年間を財団トップとして勤められました。また,平成29年から(一社)ダム・堰施設技術協会会長をされておられます。

 今回は,2基のアーチダムを経験されたダム技術者として,さらには河川・土木に関する多彩な工事経験を有する技術者として,これからの国土開発を担う若手技術者にエールを贈って頂きます。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:事務局)

学生時代と野球について


湘南高校時代(オーバースローの浦和高校戦)

中野: まず初めには,高校野球の名門から東大を目指されたと,伺っておりますが,野球についてはいつ頃から熱中されておられたのですか?

門松: 僕が生まれたのは昭和22年,まさに団塊の世代です。世の中としては,戦後の復興期でいけいけ,どんどんという時代ですが何もない時代。小学生の頃は丸太を拾ってきてバット代わりにして田んぼで野球の真似事をするくらいしかなかったけれど,学校に行く前から庭先でボールをいじったりしていたと思います。

中野: 好きなことにはとにかく熱中するという,いわゆる子供らしい子供だったのですか?

門松: 人一倍負けず嫌いという側面があったと思います。ケンカをしても,野球でも勉強でも,とにかく一番にならないとダメという性格でした。それは今でも変らないと思います。中学に上がって野球部に入り,これで本格的に野球に打ち込めると思いとても喜びました。だから高校は昭和24年に甲子園で優勝したことのある湘南高校に行くと決めていました。この時初めて深紅の優勝旗が箱根の山を越えたのです。
中野: その後,東大へ行き土木へという進路はいつ頃から意識されたのですか?

門松: 進路としては,まずは野球がやりたかったので,当時その世界でやっていくにはプロになるしかないと思い込んでいました。そのためには人の倍は苦労しないとなれない厳しい世界だとも思っていました。そういう環境で人に負けずに勝ち抜いていくというところでは,勉強でも一番となればやはり東大かと,漠然と考えていたかも知れません。そうした思いがあった中,高校卒業という年にプロ野球のドラフト制度というのが始まり,当時甲子園にも出ていない山梨県の甲府商業高校の堀内投手が巨人から指名されました。その時思ったのは,なぜ湘南高校の門松ではないのか?ということ(笑)。なぜかがっくりしてしまった。


東京大学時代の神宮球場(アンダースローで初勝利の明大戦)
中野: 堀内さんとはご関係があったのですか?

門松: ないですが,自分としては何でも一番が良かったのでプロなら密かに巨人だと思って憧れていたので,なぜ無名の堀内なのだ,と。単にそれだけです(笑)。そこで,スポーツの世界でなくても他で一番になれる,世の中に出て総合力で一番になる道はというとやはり東大だと思ったのです。そこから巨人という道もあるからと…新治先輩や井手先輩のように…。でも実際に東大に入るには,一浪しました。

中野: 以前,岡村甫先生にインタビューした時に,門松さんのことを話され,神宮球場で活躍したすごいピッチャーが東大にいたと。

門松: 岡村先生から見たら,僕などはまだまだのレベルで。その後,農学部を卒業してから土木工学科に入り直した時に,野球部の部長だった国分正胤先生から一言がありました。

中野: 具体的に土木に行けというようなことですか?

門松: その頃,東大野球部の部長は歴代,野球に縁のある教授がついておられ,前半4年間は国分正胤土木工学教授,後の2年は梅村魁建築構工学教授,両方とも技術系で物すごく幸せだったですよ。土木と建築の大家ですね。それで農学部にいて野球をやっていた先輩が民間に就職するとなるとゼネコンへ行く人が多く,大成建設に何人かいました。湘南高校の先輩もおられたので,自分としては何となく就職も決まっていた感じでした。それが部長の国分先生の耳にも入ったのでしょう。神宮球場での最後の試合が終わった時に「あなたは卒業したら民間に行くと決めているようだが、農学部出では社長にはなれない」と一言。何でも一番がいいという思いがある自分としては,そうかダメかと。国分先生いわくゼネコンでも社長になろうと思ったら土木を出てないとダメだと。そうはっきり言われました。その一言で,もう一回学士で入って,土木の勉強をあと2年やろうと決めたのです。これからまだ2年も大学に行くと,お袋に言ったら泣きましたね。親としてはそうですよね。浪人している上にさらに2年ですからね。寮生活をしていたので仕送りをして貰っていましたから,当時は相当に苦労をかけたと思います。

中野: 土木の2年間で助監督になられたのですね。

門松: 監督が岡村先生で,僕は助監督ですから,野球部のほうのデータ整理と現場の指導ばかりでしたね。キャプテンが国分先生のご長男でした。

土木との関わりについて

中野: 農学部からゼネコンという進路があったのですか?

門松: 山地土木というか,砂防がテーマになりますが,林学でも実は土木に関係しています。もう1つ平野部では農業土木の分野があるのです。だから自分でもそこら辺を意識して,ダムという名前がついた砂防ダムを専門にやってきました。でも,それだと社長にはなれないと言われたので,改めて普通のダムをやるために土木工学をやろうと思ったのです。

中野: 東大に入り直したのには,そういうきっかけもあったのですね。

門松: 何がどう影響するか,それは自分ではわかりません。昭和40年代,当時の時代の流れがそうだったのでしょう。世の中的には我が国が戦後からようやく立ち直って,インフラの整備をして,先進諸国に追い付くぞと勢い込んでいた頃ですね。もともと自分ではモノ作りということについては興味を持っていたので土木構造物を造ることはもちろん,野菜を作ったりするのも好きでした(笑)。

中野: その後,建設省に入省されますが,最初からダムに行かれたのですか?

門松: 初めての職場は近畿地方建設局・淀川工事事務所に配属されました。入省前にすでに結婚していたので所帯持ちでの赴任でした。昭和49年に長男が生まれ,その後,真名川ダム工事事務所に転勤しました。2mもの雪が積もる中,プレハブの宿舎に生まれたばかりの長男と妻と3人で赴任しました。この時のプレハブがもう朽ち果てようとしていますが,google earthで見てみるとまだあるようです(笑)。ここでは家内には辛い思いをさせたと思っています。周囲には買い物が出来る店すらなく,ましてや宿舎にも知り合いもいない中,乳飲み子を抱えて毎日遅くまで帰って来ない夫を待つだけというひどい時期でしたから。

昭和52年完成 真名川ダム

真名川ダム10万m3打設記念祝賀会(左端)
中野: 真名川ダムの現場では,どういう経験をされたのですか?

門松: 真名川ダムは,アーチダム打設現場で,前田建設が毎日コンクリートを流し続けていて,打設10万m3達成記念を経験しました。本体工事の最盛期の現場に行けたというのは,自分にとってすごく良い経験になっていると思います。当時,確か所長は上林さんで,キャリアの先輩としては,山口甚郎さん,豊田さん,それに竹林さんがおられました。

土木技術者としての仕事

中野: ダムに関わる仕事で,技術屋として思い出に残るものはありますか?

門松: 技術屋としてダムに関わってきた思い出というのは,余り記憶に残っていなくて,むしろ人と関わること,地元関係者間の調整の方が仕事としては多かったように思います。本省でも予算等の財源や利水者を管轄する省庁,部署との調整を行なう仕事が多く,やはり人との付き合いというものが大事だという事を感じました。

中野: その後は,福島県の土木課へ出向されますね。

門松: この頃,福島県庁に行っていた土木技師は,道路系で3年先輩の佐藤信秋さん,河川系では私なのですが,彼は後に事務次官になり,私は河川局長になりました。当時はそんな事は思いもよらなかったと思います。福島県庁の後,本省河川局開発課に戻り,次男が生まれていますが,本省に戻ってすぐに3歳の時,肝臓がんで亡くしたのは,私の人生において最も辛い経験となってしまいました。

ダムとの関わり

中野: それは辛い思いをされましたね。ダムに関わる人で,印象深い先輩はおられますか?

門松: すぐ思い出せるのは,宮崎明,佐々木才郎,堀和夫,広瀬利雄,飯田隆一,山住有功,他にもたくさんおられます。昭和53年頃,ダムは治水だけではなく,電力開発,工業,農業,水道水の供給と利水目的のダムが,すごく多かった建設省河川局開発課の最盛期でした。

中野: ダムを造るということについて,どういうところが一番難しいのでしょうか?

門松: ダムの場合,技術的にというよりも,もっと根源的に難しいのが関係者間の利害調整です。ダムが出来ることで得られるメリットを享受する地域(主に下流域)が,ダム建設によるデメリット,つまり不利益を被る地域(ダム建設の地元)が異なっているのです。これは,国防等の分野においても同じ構図です。国民の安全を確保するという面では,行政に携わる人間としては,ある意味大きな覚悟が必要です。

中野: 最初にこじれると,解決するにはとても長い年月が掛かってしまいますからね。

門松: ダムが建設される地元の人は,長年住み慣れた土地から代替地に移転することを余儀なくされたり,また周辺の自然環境が損なわれたり,騒音等により生活環境が悪くなりますので,当然ながら否定的な意見に傾きがちです。一方,国民の意識としては,日々の生活に関心の大半が寄せられてしまうので,いつ起こるとも分からない,例えば災害や戦争といった事柄には,ほとんど注意が向かないので「美しい自然の景観や貴重な珊瑚礁を壊してまで、ダムや国防基地を造らねばならないのか?」という気持ちに傾きがちです。しかし,政府や国民を代表する政治家は毅然とした判断で,計画を遂行するべく行動することが求められます。国民の安全確保といった目的に対して,認識が甘くなったり,国民やマスコミの批判的な意見に対して迎合したりすることがあってはならないのです。なぜなら,その結果,損をするのは,結局のところ国民自身なので,政府や政治家には,相当の覚悟を持って仕事に臨んで頂きたいです。

中野: 1つのダム計画にしてもすごく沢山の人が関わってくるので,その調整が難しいということですね。

門松: ダムと言っても,建設省だけが扱ってきた訳ではなく,関連する役所だけでも農水省も通産省も資源エネルギー庁,あるいは厚生省とか。様々な役所が絡んでいます。それと地元流域の住民はもちろん,県庁,市や村役場,ダムを造る側にもたくさんの関連する企業があります。

中野: その後,ダムを造り過ぎたというマイナス面も多く出て来て,ダム事業が後退するのですね。ダムへの逆風が強くなり,組織改編により開発課という名前もなくなりましたが,どう思われましたか。

門松: 丁度,私が開発課長になれそうな時期に,開発課がなくなりました。自分としては,前々から開発課長にはなりたいと思っていましたから,ショックでしたね。その代わり,治水課の課長に私が就いた時は,ダム屋を自負する技術屋達のなんとも割り切れない気持ちを少しは汲んでくれたのではないかと思ったりしました。

アーチダムでの経験

中野: 真名川,温井とアーチダムを2基経験されてみて,面白いと思ったこと,また,ここが一番難しいと思ったことは何ですか?

門松: 自分では,たまたまそういう時期に重なったというところで,アーチ式に特別な思い入れはないのですが,技術的には高さに比して薄いコンクリート構造物なので,もしも壊れたらどうしようという思いが強く緊張感がすごくありました。

中野: 本省勤務からダム現場へ,温井ダムに行かれたのですね。どのくらい行かれていたのですか?

門松: 2年でしょうか。

平成13年完成 温井ダム

温井ダムサイトのイベント(左端)
中野: 温井は堤高が140m,最後のアーチダムですね。

門松: 温井ダムの調査設計課長としては,その高さのダムがしっかりと持ちこたえる岩盤の上に載るかどうかを判断するために地質調査を徹底して行ないました。構造解析は土木研究所の専門組織の力を借りてやりましたが,大変なのは地元交渉でした。用地課長だけじゃとても対応し切れない。ダム屋を自称する技術者であっても地元交渉に半分は力が割かれてしまいます。技術が半分,後の半分は対人間なのです。

中野: ダムが出来て役に立っているというのは,なかなか伝わらないものですよね。後になって初めて分かるという。

門松: ダムは普段は気にされない存在ですからね。特に何もなければ。あの時渇水がなければ,洪水がなければ,と気付かれない存在。土木というのは,そういう縁の下の力持ちというようなところがあります。

JACIC理事長として

中野: ずっとダムに関わって来られた訳ですが,河川局長として国土交通省を退官され,次に財団法人日本建設情報総合センター,JACICの理事長に就任されますが,そちらでのお仕事として印象に残った事をお聞かせ下さい。

門松: およそ10年いましたが,ダム現場とはまた違って,こちらも面白い仕事でした。平成20年に理事長就任して,21年に政権が自民党から民主党になり,民主党政権下では事業仕分け,23年には東日本大震災があり,24年に政権が民主党から自民党になったという時期でした。ここでの仕事は,土木や建設におけるIT化,情報化によって効率を上げようということがメインで,つまり調査に始まり,計画・設計・調達・施工と維持管理までを一体として,ICTの活用による建設生産システムの構築・普及を促進するという事業目的に沿った活動をやってきました。

中野: 理事長の在任中に政権交代や震災ということがあったのですね。JACICの事業ではどういうことが課題でしたか?現状の課題と今後の展望を伺えますか?

門松: 現場第一という建設や土木の世界で,情報化というのは,畑違いと思われることが多いというのが最大の課題で,乗り越えるべき山ですね。総務的な仕事は,IT化,AIの導入などで,そういう仕事から解放されるでしょう。それと,今は施工の自動化,ロボットの活用という目に見える改革が急速に進んで来ています。我が国の現状はまだまだ海外と比べて遅れていると言わざるを得ないと思うので,ますますの情報化は必須で,3次元設計,施工,管理,いわゆるCIMに関わる情報発信と受信の日本代表として,国際的な窓口になるよう,幅広い視点で技術的な課題を今後も継続的に検討することが必要です。

ダムの将来について



中野: 我が国のダム造りは,新規の事業計画はほとんどなくて,既存ダムの改修,再開発というところですが,課題とその解決のためにご意見を伺いたいと思いますがいかがでしょうか?

門松: 心配に思っているのは,近年の気象条件の変化に見合った治水,利水対策が急務となっていることです。また,ダムの堆砂対策について,より効果的な技術開発を行なうことです。ダムに砂が溜められてしまうことで,海岸線の様子が一変し,生態系の問題や,国土保全上の問題を惹起してしまったことは,これまでのダム行政の施策の反省点として,捉えなければならないと思います。
堆積土砂の対策

中野: そのためには,どういう事に留意するのが良いでしょうか?

門松: ダムの上流から流水とともに流れ込む土砂の大半をダムで貯めてしまいます。これはダムという構造物のサガとでも申しましょうか,ダムがなければ下流の河道や,海に流れる土砂を止めてしまう。そのため下流河道や海に生息する生物の生息環境に大きく影響しますし,河道の河床の低下や海岸線の後退と言った現象を引き起こします。

 現在,この課題はダム工学関係者の関心の高さの上位を占めていると言って過言ではないでしょう。京都大学の角先生を初めとして,官・学・民でその課題解決に向けて取り組んでいますが,残念ながら,現在のところ満足の行く解決方法が見つかっていません。私の残りの人生をこの解決に,できる限りの努力をしてゆきたいと思っています。



若い人へのメッセージ

中野: 日本のダム造り,ダムの維持管理,運用法等について,若い技術者にここに注意して,こういう工夫をして欲しいという,新しいダム時代を担う若手技術者に伝えておきたいことをお聞かせ下さい。

門松: ダム技術ということで言えば,現場がないことには経験者が育たないということ。これが問題です。今なら八ッ場ダムとかの数少ない現場を活用して出来るだけ,若い人が現場を見られるようにするしかありません。それと私の場合,例えば自分では数式を使って3次元解析が出来る訳じゃないけれど,誰に聞けば良いかというのを知って,己が風呂敷になって,そこにどれだけ良い素材を入れられるかと考えてやって来ました。そういう風に課題に対して使える人の能力をたくさん持っておくというのが難局に当たって生きてくるのです。若い技術者にはそれを言っておきたいです。自分だけで完結するのではなく,人の言葉をよく聞くようにと。

中野: 良いリーダーになるにはどうすれば良いかということですね。

門松: そういうことは若いうちから訓練しないと身に付かないと思います。組織で,全体の中で指導的な役割に就くには,そういう力を身に付けて欲しい。東大卒や京大卒といった学歴のある者の中には,人の意見に耳を貸さず,やたらと自己主張の強い者が多い。どういう組織にしても,そういう人は大して役に立ちません。頭が良いというのは,要するに記憶力が良いから試験が出来る。世の中に必要となる能力の一部が他人より秀でているだけ,と理解すべきです。しかし人的対応力がないと,自己の能力が勝ち過ぎて人の話が聞けない。人を説得するどころかむしろ相手に不快感を与えてしまいます。例えば,ある事象について2人で100分議論したとしても90分は片方が話してばかりいるようになる。それでは果たして有意義な議論になるだろうか?と思いますね。

中野: 自己中心,マイワールドということですね。

門松: そう,何かにつけて1人でしゃべってしまう。人の話をよく聞くというのは,最終的に自分の意見を通す,相手を説得するために必要です。十分に相手の話を聞いて信頼を得ないと,こちらの意図するところを説いても分かって貰えないし,もちろん賛同も得られないから。まずは聞くことです。

現場主義に徹しろ!と

中野: そういう思いはダムの仕事で培われたのでしょうか?

門松: 特にそうだということではありませんが,そこに気付けたということは,たくさんの人と交わった結果だということでしょう。今の国交省の若い人に向けては,現場主義を大切にと言いたい,机上の計算,絵に描いた餅のような政策ではどうしようもないから。土木だけではなく,製造業ならそうでしょう。現場で問題が起こるから,現場でアイデアを出して解決する,そういうことが重要なのです。それに現場を見るという事でも,自分がずっと現場に張り付いていることが出来ない場合は,誰かに教えて貰わねばなりません。私の場合は建設省職員として,ゼネコンとかコンサルの人に現場の事を聞く訳ですから本当のところを言って貰わないといけない。門松か,こんな奴がと思われたら本音のところをしゃべってくれない。それじゃ困る訳です。だから日頃から信頼を得られるように人間関係を作っておかないと,何をやってもダメなのです。

中野: 人から教えて貰うことはとても大事ですよね。自分の力だけでやるというのも大事かも知れませんが。


河川局の幹部による送別会

門松: 要は個々人の力を組織としてまとめられるかというね,そういう組織力を育てられる能力というは個人の資質にあるから,そこを鍛えないといけないと思います。それと,何かを決断する場合は,常にこれで良いのか,国民のためになっているのかを自問自答しろということ。私はいつもそうしてきたが結果としては間違っていなかったと思う。国民がどう思うかというのではなく,国民という客観的な存在に対して良い作用をするかどうか,を考えていました。ただ,常にこれは独り善がりではないかという事も心の隅にあったという気もします。

中野: なるほど。ダムに関して若手技術者にとってはいろいろと参考になるお言葉をありがとうございました。とても勉強になりました。
門松 武氏 プロフィール
昭和41年3月 神奈川県立湘南高校卒業
46年3月 東京大学農学部林学科卒業
48年3月 東京大学工学部土木工学科卒業
4月 建設省近畿地方建設局 淀川工事事務所
49年4月 建設省近畿地方建設局 真名川ダム工事事務所
50年4月 福島県土木部河川課主査
52年4月 建設省河川局開発課企画係長
53年4月 建設省河川局開発課直轄技術係長
55年4月 建設省中国地方建設局 温井ダム工事事務所調査設計課長
57年4月 建設省中国地方建設局企画部企画課長補佐
12月 建設省中国地方建設局企画部企画課長
58年12月 国土庁水資源局水資源計画課長補佐
62年4月 建設省河川局開発課長補佐
平成1年4月 建設省近畿地方建設局 姫路工事事務所長
3年4月 (財)ダム技術センター 企画部長
6年4月 建設省河川局河川計画課水理調査官
8年5月 建設省河川局河川計画課計画調整官
9年4月 建設省中部地方建設局河川部長
12年8月 建設省中部地方建設局企画部長
13年1月 国土交通省河川局治水課長
14年7月 国土交通省大臣官房技術審議官
17年8月 国土交通省関東地方整備局長
18年7月 国土交通省河川局長
20年1月 国土交通省退職
2月 (財)日本建設情報総合センター 理事長
30年7月 日本振興(株) 顧問

[関連ダム]  真名川ダム  温井ダム
(2023年5月作成)
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  [テ] ダムインタビュー(69)魚本健人さんに聞く「若い人に問題解決のチャンスを与えてあげることが大事」
  [テ] ダムインタビュー(70)陣内孝雄さんに聞く「ダムが出来たら首都圏の奥座敷として 訪れる温泉場に再びなって欲しい」
  [テ] ダムインタビュー(71)濱口達男さんに聞く「ダムにはまだ可能性があっていろんな利用ができる」
  [テ] ダムインタビュー(72)長門 明さんに聞く「ダム技術の伝承は計画的に行わないと、いざ必要となった時に困る」
  [テ] ダムインタビュー(73)横塚尚志さんに聞く「治水の中でダムがどんな役割を果たしているか きちんと踏まえないと議論ができない」
  [テ] ダムインタビュー(74)岡本政明さんに聞く「ダムの効用を一般の人々に理解頂けるようにしたい」
  [テ] ダムインタビュー(75)柴田 功さんに聞く「技術者の理想像は“Cool Head Warm Heart”であれ」
  [テ] ダムインタビュー(76)山岸俊之さんに聞く「構造令は,ダム技術と法律の関係を理解するのに大いに役に立ちました」
  [テ] ダムインタビュー(77)毛涯卓郎さんに聞く「ダムを造る人達はその地域を最も愛する人達」
  [テ] ダムインタビュー(78)橋本コ昭氏に聞く「水は土地への従属性が非常に強い,それを利用させていただくという立場にいないと成り立たない」
  [テ] ダムインタビュー(79)藤野陽三先生に聞く「無駄と余裕は紙一重,必要な無駄を持つことで,社会として余裕が生まれると思います」
  [テ] ダムインタビュー(80)三本木健治さんに聞く「国土が法令を作り,法令が国土を作る −法律職としてのダムとの関わり−」
  [テ] ダムインタビュー(81)堀 和夫さんに聞く「問題があれば一人でしまいこまずに,記録を共有してお互いに相談し合う社会になってほしい」
  [テ] ダムインタビュー(82)佐藤信秋さんに聞く「国土を守っていくために, 良い資産,景観をしっかり残していくことが大事」
  [テ] ダムインタビュー(83)岡村 甫先生に聞く「教育は,人を育てるのではなく,人が育つことを助けることである」
  [テ] ダムインタビュー(84)原田讓二さんに聞く「体験して失敗を克復し, 自分の言葉で語れる技術を身につけてほしい」
  [テ] ダムインタビュー(85)甲村謙友さんに聞く「技術者も法律をしっかり知らないといけない,専門分野に閉じこもってはいけない」
  [テ] ダムインタビュー(86)前田又兵衞さんに聞く「M-Yミキサ開発と社会実装 〜多くの方々に支えられ発想を実現〜」
  [テ] ダムインタビュー(87)足立敏之氏に聞く「土木の人間は全体のコーディネーターを目指すべき」
  [テ] ダムインタビュー(89)佐藤直良氏に聞く「失敗も多かったけどそこから学んだことも多かった」
  [テ] ダムインタビュー(90)小池俊雄氏に聞く「夢のようなダム操作をずっと研究してきました」
  [テ] ダムインタビュー(91)米谷 敏氏に聞く「土木の仕事の基本は 人との関係性を大事にすること」
  [テ] ダムインタビュー(92)渡辺和足氏に聞く「気象の凶暴化に対応して,既設ダムの有効活用, 再開発と合わせて新規ダムの議論も恐れずに」
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