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ダムインタビュー(71)
濱口達男さんに聞く
「ダムにはまだ可能性があっていろんな利用ができる」

 濱口達男(はまぐちたつお)さんは、昭和46年東京大学を卒業後、建設省へ入省。その後34年に亘りダムをはじめとする様々な公共事業、土木行政に携わって来られました。
 新人時代には水系の治水利水計画、ダムの予備調査などを担当され、昭和56年からの3年間、建設アタッシェとして外務省在イラン日本国大使館に勤務。帰国されてからは、近畿地方建設局企画課長、また、土木研究所において総合治水研究室長を務められました。平成元年には岐阜県河川課長として、またその後平成6年には中部地方建設局の木曽川上流工事事務所長、河川部長として、長良川河口堰や徳山ダムに係わられた他、河川部長時代には徳山ダム等の計画見直しを行うダム等事業審議委員会の事務局を務められました。


その後、平成9年には、国土庁に移られて水資源開発基本計画フルプラン)の改定などを進められるとともに、世界水フォーラム京都大会の準備を担当される等、国際的な水関連施策の発展に尽力されました。平成18年からは、財団法人ダム技術センター理事長を、平成23年からは、(株)ニュージェック副社長執行役員を務められ、現在は(株)安藤ハザマに勤務されておられます。その他に日本大ダム会議副会長、日本水フォーラム理事としてもご活躍され、さらに、学会関係ではダム工学会で会長を務められ、他にもいくつもの国際会議議長、ゲストスピーカー等を務められました。

 今回は、国内外でのダム事業に関わる要職を歴任された濱口さんに、我が国のダムが抱える諸課題の解決の方向性やこれからのダム事業を担う若手技術者の育成についてご意見を伺って参ります。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)

大学では自然に近い土木へ

中野: 大学へ進学するにあたり、東大の工学部土木工学科を目指した理由からお聞かせ下さい。

濱口: 余り深く考えていたわけではないです。東大で理科一類(工学、理学系)に入学して当初は、天文学とか考古学に興味がありました。しかし、天文の話を聞いていると、どうも星を見るのではなくて、難しい計算ばっかりやっているようで、また余りにも浮き世離れしているので、少し世の中と関係するほうがいいと思い工学系を選びました。工学でも、機械工学はどっちかというと人間社会の中ですが、土木は自然に直接働きかけるというところがおもしろそうかなということで土木工学科に入ったということです。

中野: 進路を決める際に影響を受けた人はおられますか?

濱口: だれかに影響を受けたというのは余りなかったです。自然とのかかわりがあるので河川がおもしろそうということで、学部の3年、4年の時に高橋裕先生の河川研究室を希望しました。

中野: 河川工学ですね。実習ではどちらの現場に行かれたのかお聞かせ下さい。

濱口: 4年生のときに北海道に行ってみたいということで希望を出し、北海道開発局の十勝ダム調査事務所に行くことになりました。ちょうど中村靖治さんが所長でおられ、学生実習をやらせて頂きました。そのとき、課題でコンクリートダムの基本三角形の計算をやれといわれて、手回しタイガー計算機でがちゃがちゃ計算したのが、ダムとの最初の出会いでした。

十勝ダム(写真提供:帯広開発建設部)

中野: 中村靖治さんにはどんな印象をもたれましたか。

濱口: 非常に颯爽とした、若い所長さんでした。

中野: 十勝ダム調査事務所にはどれぐらい行っておられたのですか。最初にみた現場の印象というのはどうしたか。

濱口: 新得町に1ヵ月ぐらいいましたが、まだ調査事務所で、現場の工事はほとんど動いてないような感じでした。ダムをぜひやりたいということではなかったのですが、結果的に、建設省に入ってダムに関係する部署に配属されました。
就職は建設省へ

中野: 建設省のお話が出ましたが、卒業後、民間企業でなく役所を選ばれた理由をお聞かせ下さい。

濱口: 河川関係の仕事をしてみたいということがあったので、そうなると、治水計画とか利水計画という話になれば、国のほうがそういう仕事をやれるのではないかと思いました。

中野: 最初に配属された部署はどこですか?

濱口: 近畿地方建設局の河川計画課調査第二係で、前任者は青山俊樹さんでした。青山さんは異動される前に、淀川水系の流量改定、治水計画の見直しの中心的な担当者としてやっておられ、私が行ったときは、その後の治水計画のつくり方の1つの手本のような形になってきれいにでき上がっていました。私はそれができ上がった後に、淀川水系全体のダム妥当投資額の計算をやった覚えがあります。

中野: 工事現場ではなかったのですね。

濱口: 最初の1年、本局に行って、その次に淀川ダム統合管理事務所に行きました。そこは名前のとおりダムの管理をやっているところで、管理という意味では現場だったのです。昭和46年に局に入って、47年に淀川ダム統管に1年間いたのですが、その年に大きな洪水があって、琵琶湖の瀬田川洗堰を全開して洪水を流し放流能力が足りなくて、天ヶ瀬ダムがほとんど満杯になってあわや緊急放流かという大きな出水がありました。天ヶ瀬ダムのそばに宇治川の水を夜間にくみ上げて貯留、昼間に発電する喜撰山ダムという揚水発電のダムがあります。天ヶ瀬ダムが満杯になりかけたので、喜撰山ダムに緊急に水を吸い上げてもらって少し容量をかせぐ、そんなオペレーションもその出水でおこなっていました。

中野: その後、どのようなお仕事をされたのでしょうか?

濱口: 三重県に出向した後、近畿地方建設局で河川計画課調査第二係長ということで3年ほどいました。そこでは淀川、紀ノ川、九頭竜川などの水系全体の治水利水計画(流量改定)や個別ダムの予備調査を担当しました。予備調査というのは、今ではほとんどやられていないですが、事業に上げる前の段階の調査やいろんな調整をするのです。具体的に事業として仕上がったのは、大阪への利水も含めた事業で紀の川河口堰の事業で、大阪府、和歌山県との調整をやっていました。そのほか、流域単位の下水道計画との調整や、水の再利用の調査なども記憶に残っています。

長良川河口堰への対応

中野: プロフィールを拝見すると、岐阜県土木部の河川課長に出向されたということですがお話しいただいてよろしいですか。

濱口: 岐阜県には2年半いましたが、当時、長良川河口堰への対応が一番大変でした。長良川河口堰事業は非常に歴史が長くて、伊勢湾台風の大災害から構想され、長良川に洪水をもっと流すのにその河道を大規模に浚渫しないといけないということでした。それは治水上の効果はありますが、浚渫とセットで河口堰を造ることによって、上流側が淡水化されて水利用もできる。しかも22.5m3/secという非常に大きな量の水利用ができるということで計画されたわけです。当時は、人口や経済の伸びで、各自治体とも、水の確保に躍起になっていた時代でした。
 ところが、長良川は鮎を初めとして水産の非常に盛んなところだったので、岐阜県と三重県の漁業関係者は大反対でした。ずっと膠着していたところで昭和51年に安八水害で長良川の本堤が決壊し大被害が発生しました。この水害を契機に、岐阜県側では浚渫と河口堰が必要ではないかということになって、当時の知事も最終的に必要という決断をされて、水資源開発公団(現在:水資源機構)の事業として、昭和63年に本体工事に着工したわけです。地元では一応納得してもらい本体工事を着工したということですが、漁業補償の交渉はずっと継続していたわけです。そのころから、地元とあまり関係の薄い、いわゆる自然保護グループの天野礼子さんを中心とする市民団体の反対運動が始まり、霞が関の政治も巻き込んだ非常に大きな動きになったのです。

 当時、私は岐阜県で河川課長をしており、河口堰事業の受益地域の立場で対応に追われました。岐阜県の海津町(現在の海津市の一部)は昔から水との闘いを繰り返しているゼロメートル地域で高須輪中があることで有名ですが、そこに既に亡くなられておりますが伊藤光好さんという名物町長さんがおられました。伊藤町長は、長良川の治水対策をやらなくてはいけない。そのためには河口堰は当然必要で、反対派が外部から来て反対運動を先導するのはけしからんという、河口堰を推進する立場でした。
 その後岐阜県から、建設省河川局に異動しましたが、平成6年にもう一度木曽川上流工事事務所長をやれと言われ、また中部管内に戻ってきたのですが、長良川河口堰の問題はまだ続いていました。木曽川上流の後、中部地方建設局の河川部長に赴きました。前任が竹村公太郎さんで、ずっと長良川河口堰でいろんな対応をされており、私が河川部長で行った時は、長良川河口堰は水をためながら試験運用をやるということで、水質の問題等なく安定的に運用するのが大きな課題でした。


長良川河口堰(撮影:ToNo)
中野: 長良川河口堰事業の効果はどうだったのですか。

濱口: 実際に堰が出来て運用に入ってすぐ、建設省は本来の目的である長良川の浚渫工事を完了させました。その後、平成16年10月に長良川で過去最大の出水が発生しています。その時、上流部は随分と被害を受けたのですが、下流部は、この浚渫工事が終わっていたので特に問題なく済んだ。昭和51年の安八水害の再来ということにはならなかったのです。こうした事実は、国交省でもPRはしているのですが、なかなか一般の方には知られていないということです。その時だけじゃなく、もう少し系統立てて、こうした成果をきちんと広報していかないともったいない気がします。本当にもうしつこいくらいにやっていかないといけないと思いますね。

中野: 地元の方はわかっていると思うんですけど、周りに役割がなかなか伝わってこない気がします。SNSで管理所の人が発信していただくとか、きちんと1つずつやっていくというのが今大事なのかもしれないですね。


徳山ダムは一番思い出がある

中野: 中部管内の現場で徳山ダムはどのような印象をもっておられますか。

濱口: 私は建設中のダム現場は経験していません。計画段階や或いは関係者間の調整といった事業の上流側でダムに関わってきた訳ですが、施工については経験してないのです。一番長く関わったということでいうと、徳山ダムでの経験は一番思い出があります。
 当時苦労されていた方も、もう時間が随分経ったので亡くなられた方も多いです。水資源開発公団の現場所長の橘さん、ダム審をやっていた当時の所長ですが現役で亡くなられました。アユの人工養殖や魚道でお世話になった岐阜大学の和田吉弘先生、また地元でダムの応援と言いますか、ぜひダムを造ってくれという要望が強かった首長さん、先程お名前の出た伊藤光好さんとか、大垣市の小倉市長さんなど。おかげでダムそのものは非常に立派に出来て、これは本当に水機構の方が随分苦労したと思います。建設そのものに携わられた方も苦労したと思います。全村水没で地域外に出られた方も苦労されたと思います。
 その後、揖斐川も随分大きな洪水を何度も受けましたが、徳山ダムは非常に効果を発揮しています。


徳山湖と徳山ダム

中野: 徳山ダムは日本一の貯水量を誇っているダムですね。

濱口: そうですね、徳山ダムというのは、徳山村を一村丸々つぶして全村移転させるということで、岐阜県にとっても非常に大変な事業でした。徳山ダムは、今立派にできていますが、特に良かったのは、山林を公有化するというアイデアが途中から出てきて、付け替え道路の補償費用を使って岐阜県が山林をもつことによって、湖岸沿いの道路も減らせるということで、自然の山林が多く残った水際になっています。
中野: 貯水池の周りの自然が残されているダムという感じがします。ダムや河口堰が河川の自然を破壊する元凶のようなイメージを持たれることがありますが、海外ではダムとか河口堰をつくるときには反対があるのでしょうか。

濱口: むしろ日本より早くそういう動きが起きました。アメリカで1960年代から当時のヒッピー文化とか、ベトナム反戦、公民権運動と被る部分があるのですが、自然保護の動きが非常に盛んになって、1969年に国家環境政策法(NEPA)という法律ができ、環境を大事にする手続として環境影響評価をきちんとやるようになりました。そういう動きがだんだん日本にも伝わってきたということだろうと思います。
 アメリカもダム大国で、内務省開拓局と陸軍工兵隊がダム建設の主役としてやってきたのですが、1977年にカーター大統領が就任した時、カーターのヒットリストといわれますが、17の各種事業の停止を求めました。その標的の一つが内務省の水資源開発事業で、アメリカはダム事業を大きく減らすことになりました。その後10年ぐらいして日本に影響があったのです。

ダム事業等審議委員会の運営に関わる

中野: 木曽川水系には何度も係わってこられましたが、徳山ダムで計画見直しをされたというお話をお聞かせ下さい。

濱口: 徳山ダムは岐阜県の河川課長のときから係わっていましたし、その後も木曽川上流工事事務所の時も管内のダムということで関わりました。徳山ダムの計画見直しの話は、私が中部地方建設局河川部長の時でした。長良川河口堰で自然保護団体からいろんな疑問を提起されたこともあり、建設省でも説明責任をはっきりさせるとともに、事業の見直しを進めることになり、その仕組みとしてダム等事業審議委員会の制度を立ち上げて、全国の主要ダムや河口堰の計画の見直しをすることになりました。
 見直しをするに当たっては、外部の有識者、地元の首長さんに委員として入って頂き、公開で議論を行い、建設省側は事務局として参画するということで、委員会そのものは有識者が中心で運営してもらうということになりました。その審議会をダム審と呼んでいますが、徳山ダムについては、利水開発の容量を減らして、その部分、渇水対策容量を新設して、異常渇水のための容量をつくるということで、全体の容量は変えずに事業を継続することが適当であるという結論が出ました。ダム審の委員長は、岐阜大学の学長もされた舘正知先生で、大変お世話になりました。舘先生も既にお亡くなりになっています。
 徳山ダムというのは水資源開発公団の事業ですから、水資源開発公団が渇水対策容量をもって仕事をするためには、木曽川水系の水資源開発基本計画、いわゆるフルプランというものを変更しないとできないのです。そのフルプランを担当するのが国土庁の水資源計画課です(現在は、国土交通省水管理・国土保全局水資源部水資源計画課)。そこで、今度は国土庁の水資源計画課長として行けといわれて、最初1年間は、中部地方建設局で担当した徳山ダムの見直しを、フルプランという法定計画の形にすることにかかりきりでした。

国土庁でフルプラン見直しを



中野: ダム審、フルプランと最初から最後までかかわったということですね。

濱口: フルプランというのは閣議決定をするので、関係する全省庁の合意がないとできないのです。中部地方建設局のダム審議会の時は有識者に判断して頂くので、各省からいろいろ言われることはなかったのですが、国土庁水資源計画課は各省の調整をしないといけないところだったので、それに約1年丸々かかりました。

中野: 国土庁ではどのようなことをされたのですか。
濱口: 国土庁には、3年8ヵ月いて、結果的には省庁再編成前の国土庁としては最後の課長だったのですが、歴代の課長の中で一番長くいろんなことに携わることができました。水資源計画課の主な業務は、大都市圏を抱える主要水系の水資源開発基本計画フルプラン)と、全国の水需給の調査です。近年は、これに国際的な水問題への対応が加わっています。また、『健全な水循環系』についての各省との議論も面白いものでした。
 水資源開発基本計画というのは将来の水需要の伸びを想定して事業の必要性を確認するわけですが、既に水事業の伸びが鈍化、あるいは横ばいになっている時代で、先ほども話しましたが、徳山ダムを含む木曽川水系のフルプランの見直しが当時、大きな課題になっていました。
 木曽川水系は水利権量でいくとかなり水は足りていることになるのですが、実際は渇水がよく起きるという状況がありました。ダムを計画するときはそれ以前の河川の流量データを用いて、その流量データに対して、このぐらいのダムの容量があれば流況を安定化することができて、水を何トン(m3/sec)安定的にとることができるという計算をするのですが、例えばダムで毎秒5トン安定供給できます、下流で5トン取水できますといっても、前提になっている流況が、雨が少なくなって河川の流量が減るような状況になってくれば、本来の水利権量の5トンが安定的に供給できなくなるのです。
 河川の流況が計画当時と変わって、流況の厳しい年で評価すれば、毎秒5トン安定供給できるというのが実は3トンぐらいしか供給できないということを、きちんと評価すると、ダムの役割、必要性をもう一度評価できるわけです。このような利水の安全度の概念を入れた見直しをするために、水資源開発審議会の中に調査企画部会という組織をつくって、建設省からは流況のデータを出してもらって議論をしました。利水関係の省庁にも理解をいただき、結果的には実を結んで、比較的最近の流況、つまり計画当時より渇水の厳しい状況も対象にした水資源開発基本計画というものがその後つくられるようになっていったわけです。

世界水フォーラムの日本開催準備をする

中野: 国土庁のときにそういう見直しをされたわけですね。大事なことですね。

濱口: もう一つ、国土庁の時に、国際的な水関係で、フランスのマルセイユに本部があるWWC(World Water Council)による「世界水フォーラム」という動きが出てきました。WWCというのはNPOです。国際的な組織ではありますが、国連の機関ではありません。国連機関にUNDP(国連開発計画)がありますが、なかなか水のことが対応できないこともあって、NPOが非常に大きな役割を果たし、NPO主催で閣僚級を集めて国際会議をするようになってきました。この会議を日本でもやろうという動きになって、京都で第3回の世界水フォーラムを開催することになりました。その準備を当時、水資源計画課で担当しました。

中野: 国土庁の水資源計画課長でいらっしゃったときにされていたことですね。

濱口: そうですね、2003年に第3回世界水フォーラムを京都でやることになって、政府はその支援を行い、その一環として閣僚級国際会議を開催しました。事務局で中心になるのは国土庁水資源計画課ということで、現在もそういう流れはずっと続いています。

中野: 日本を世界から俯瞰してみるのはとてもいいことだと思います。

濱口: そういうことを通じて、日本の経験をPRする。欧米では、例えば洪水を防ぐために河川改修するとか、洪水調整するダムをつくるとか、そういう意識は比較的少ない。防災対策というと、災害が起きたときの緊急的な援助とか、洪水警報とかにかなり力を入れるのですが、洪水が起きた後にもう一度災害復旧ということで新しくインフラをきちんとするということには彼らは余り意識がないのです。それに対して日本は、災害が起きた後、インフラをもっとレベルアップすることが必要だということでずっとやってきたわけで、実際に成果も上げてきたわけです。そういうこともきちんと国際社会の中で発言していこうということです。

中野: 世界水フォーラムというのは、今何回目になるのですか。

濱口: 3年に1回開催するのですが、7回目を2015年に韓国でやりました。第8回は、来年、ブラジルで開催予定です。ダムに関する組織で国際大ダム会議がありますが、この組織も、水フォーラムに出かけていって発信したりしています。

中野: 国際会議で発言できるということは、ダムの重要性、水の役割、日本のダム技術も紹介できいろんな意味で重要なことですね。世界レベルで水のことを考えていかなくてはいけないなということが本当によくわかります。

濱口: 私は、ダムの現場に勤務したことはなく、ダム屋というわけではありません。河川の計画とかダムの計画、洪水とか渇水、環境を含めた広い意味の水資源管理の仕事をしてきたということかと思います。

中野: 今後、日本も国際、海外進出も考えていかなくてはならない時代になると思いますので、濱口さんのように国際的にいろいろ経験をされておられ、知識もたくさんおもちの方のお話はとても重要だと思います。

日本のダムの現状について

中野: 日本でもダムに対していろんな問題が出てきますが、50年経過する構造物は老朽化など問題が出てくるといわれていますが、今まさにそんな時期になって、日本のダムの現状についてどういうふうに思われていますか。今後どういったことが問題になってくるのでしょうか。

濱口: 日本は現在、2,700基ぐらいのハイダムがあるといわれています。ご質問にあったように戦後の高度成長の時期につくられたものが多いです。戦前から戦後にかけても水力発電は大きな役割を果たしたわけで、発電ダムが一大ブームだった時代です。その発電ダムの最盛期で1つダム建設の山があり、その後、もう1つ、建設省系の多目的ダムの山があった。発電ダムについては相当年月のたったダムがありますし、建設省系のダムについてももう数十年たったダムが結構できているということです。
 ダムの場合は、堤体そのものはほとんど永久構造物といってもいいと思います。コンクリートもそんなに劣化するわけではありませんし、一部のダムでアルカリ骨材反応があるところは別ですけども、50年ぐらいたったコンクリートを検査してもほとんど問題ないということです。ただ、堆砂の問題があります。


それから機械はどうしても劣化が激しくて、建設当時の計測機器も実際かなり使えなくなってしまっているものもあるので、更新しなくてはいけないということになります。長期的にみれば堆砂対策が一番大事で既にいろんなダムで行われています。最終的に大変時間がかかることだと思いますが、上から流れてくる土砂を下流までうまく流してあげられるような『平衡堆砂』をできるだけ実現していくことが、長期的にみればダムの課題という気がします。

これからの百年を支えるダムの課題

中野: 今後、人口減少とか気象変動など、様々な問題が出てくる中で、水力発電の見直しが出てくると思いますが、濱口さんがダム工学会で「これからの百年を支えるダムの課題」としてまとめられた報告書についてお聞かせください。きっかけになったことはどういうことでしょうか。

濱口: ダム工学会の『これからの成熟社会を支えるダム貯水池の課題検討委員会』のことですね。
 現在、国交省によるダム検証もかなり進んで、足踏みをしていたダム事業の本体発注がだんだん出てきました。今、手がけているダムはほとんど計画をされた時点が30年前とか、八ッ場ダムはもっと前ですが、いわば、昔の計画のストックを使っているという形です。長い目でみた場合、再開発を含めて新規のプロジェクトも当然必要になってくるのでは、という問題意識がありました。また、現在の国交省のダムの進め方でいきますと、全く新規のプロジェクトに取り組む体制になかなかなっていないということもあったので、新規のプロジェクトは本当に必要ないのかということも含めて調べてみました。
 本来の治水計画は100年に一遍の洪水、利根川とか淀川については200年に一遍の洪水を対象にして計画をつくっています。これは、河川整備基本方針というものですが、国交省が公表している資料をいろいろ拝見して、この調査委員会の中でもまとめてみました。そうすると今後、まだまだ治水のための容量が必要だという整理ができました。現在でき上がっている治水のための容量、国交省の109水系全体で41億m3という数字が整理できますが、現在動いているプロジェクトでできるものが9億m3です。合計50億m3は、目処がたっている容量ですが、それに対して、水系の治水計画である河川整備基本方針で必要だとされているのが、水系によっては数字がないところもあるので、全体の正しい数字かどうかわからないですが、現在、目処がついているものの約半分ぐらい、少なくとも26億m3位は必要だということがわかりました。治水面でみた場合、それを実現しようとすると、既設のダムの再開発、嵩上げができる河川というのも当然あります。新規ダムの構想としてはあるけれども、まだ具体の検討がされていないものもあります。そういうものをこれから実際に検討していくことが必要ではないかということです。



 あと、発電という面でいきますと、再生可能エネルギーが大事ですが、大型の案件はそれほど多くはないのかもしれませんが、開発し残した部分がある可能性があります。もう1つの要素として、最近、太陽光発電は随分政策的なインセンティブがあって増えてきていますが、太陽光発電というのは当然天候によって左右されて使い勝手が悪い。なおかつ、電力系統につなぐと、その電力変動のためにいろんな悪影響もあり得るということです。その変動をうまく調整する役割を水力発電が担うことができるということで、水力発電、揚水発電をうまく利用できるのではないかということを委員会で整理をしています。ダムにはまだ可能性があって、いろんな利用ができるということがわかります。
海外への進出で

中野: 日本のダム技術をずっとみておられて、海外のダム技術と比べてどんな違いがありますか、どういう評価を受けているのでしょうか、お感じになっておられることをお聞かせ下さい。

濱口: 日本の場合は、非常にきめ細かく、品質の高いものを追求する、あるいは、施工方法についても非常に工夫して高度なものをつくる。発注者側から要求をする部分もありますし、施工側の建設会社のほうも一生懸命やる。ある意味、非常にハイレベルなものを指向して、つくり上げてきました。海外の場合は、発注者側も必ずしもそういうことは求めてなくて、一定のレベルのものを早くつくりたいということです。
 特に発電用ダムは、できるだけ早くつくって、運用を開始して収益を上げることが大事になるわけです。そういう意味で、当然お金も高くなる。日本流の非常にきめ細かく、高度なものが必ずしも評価されない。そこはなかなか難しいところですね。
 それから、海外の場合は契約できめ細かく物事は決められていて、受注者側は、想定以外のことが出てくれば、きちんと発注者側と話をして、契約にのっとって別の契約内容に変えてお金をもらうとか、きちんとした契約ベースで仕事が進んでいきます。自分がいいだろうと思って先にやっておいて、後から精算してくれるということはまずないのです。コンサルタントの役割も日本と海外でかなり違っています。海外の場合はコンサルタントが発注者側の立場を代弁する形で、発注者側の仕事をしています。コンサルタントと話をして、クレームをきちんと処理してもらうということです。そういうことが大事になってきますね。日本の『甲乙協議して…』という世界はなかなかないということです。

中野: 電力がなくなったら生活はどうなるかということもあります。ダムは、貯水容量もあるし、使えるということをもっとアピールしていったほうがいいという感じがします。

ダム技術の継承

中野: 今後、伸ばして欲しい技術分野、あるいは期待する材料、有望な施工技術など、これからはこういうものが伸びる、大事にして欲しいという点についてはいかがでしょうか?RCDとかCSGのような日本のダム技術が海外に進出していくにはどうしたらよいのでしょうか。海外戦略というのがあればお聞かせ下さい。

濱口: これはなかなか難しくて、皆さん苦労されているので、特効薬はないと思いますが、日本のものを、少なくとも途上国にそのままもっていったのでは、まずお金の面で高いし、途上国の発注者側からすれば、そこまでしてもらわなくてもいいよという可能性がありますね。ですから、途上国向けにはある種スペックを落として、というと変ですけども、その国で一般的に行われているようなレベルのものでやるということが1つで、要になってくると思います。
 あともう1つ、これはすぐ解決する問題ではないのですけれども、特に途上国の場合は、発注者側の資質にいろいろ問題がある場合が多い。例えば世界銀行だとかアジア銀行のローンがついているような場合であれば、一応国際的な、標準的な契約方式でやれるのですけども、必ずしもそうでないような場合には、その国の発注者がある意味自分のやりたいことをやる。例としては、3、4年前にタイ政府が治水対策の国際コンペを企画して、日本、中国、韓国、あと欧米企業も参加していたのですが、最終的に日本は撤退してしまった。
 ゼネコン、コンサル、国交省関係含めてオールジャパンで受注を狙ったのですが、発注者側がとるべきリスクと受注者側が負うべきリスクの仕分けがきちんとできておらず、リスクは全部受注者側が持てという、端的にいえばそういう感じで、発注者側のあり方、スタンスがきちんとしていない。リスク管理について発注者もちゃんと勉強してもらう必要があるし、国際プロジェクトでそうした発注の仕方がないと結局、物事はできあがらないことになる。タイのコンペの場合、中国と韓国が勝ち残りましたが、その後、タイの政変があり、そのプロジェクトは結局動いていないと思います。タイの治水の安全度は実情ほとんど上がっていないままです。

中野: 技術はあってもすぐに日本が海外に打って出るには、もう少しやり方を学ばなければいけない、ということでしょうか。今後、伸ばして欲しい技術分野、あるいは期待する材料、有望な施工技術など、これからはこういうものが伸びる、大事にして欲しいという点についてはいかがでしょうか?

濱口: 先ほどの発注者側の話は、国交省とかJICAあたりから途上国の政府にきちんと話を通しておいてもらうことが大事なのかなという気がします。
 もう1つ、日本の仕事はきめ細かくて高度だという話をしましたが、そういう点が評価されるのは、どちらかというと途上国じゃなく、先進国側だと思います。だから、先進国の方に、改めて売り込むというのも1つの手なのかなと思います。途上国というのはもちろんマーケットは非常に大きい訳ですが、それとは別に、ゼネコンでもアメリカで結構いろんなことをやっている会社がありますので、特にダムだとか都市土木とか、非常に込み入ったところで仕事をするようなものは、日本のまさにきめ細かい仕事が出来るという特徴を出せば可能性はあるのではないかと思っています。

中野: そうですね。途上国だけでなく、先進国にも目を向けると、RCDCSGといった技術を持っていく意味があるという訳ですね。

濱口: そこそこお金があって、高度な技術に対しても正当な評価もしてくれるという意味ではですね。先進国であってもインフラのメンテナンスが出来ていないというところもありますから、工法と維持管理の技術を組み合わせて提案するとか、いろいろ工夫しても良いのではないかと思います。

ダム技術者へのメッセージ

中野: これまで我が国ではダムを造ってばかりという事に批判の目が向けられて来ましたが、高度経済成長の時期と同じくしてダムが造られ、生活が便利になるのを支えてきたというのも事実ですね。発電、治水、利水を目的にインフラ整備にしても、重要な役割をダムは持っていると思っていると思いますが、今の技術者についてどのようにお考えになりますか?どういう事を学んで将来、役立てて貰いたいですか?

濱口: 日本というのは他の国と比べると非常に特殊というか、変わっていて、明治からずっと近代化、工業化を進め、戦後急激な経済成長を経験して、人口の伸び、工業化、都市化、そういう発展が百何十年かずっと続いてきた訳ですが、それに伴う水の問題、量の確保の問題ですとか、いろいろな水環境の問題もその途上でかなり解決、改善してきたのです。非常に急激な人口の伸び、経済の発展をうまく支えてきた。そういう経験は、これから経済が伸びていく、人口が伸びていく発展途上国にとっては、非常に大きな研究材料、モデルケースになると思いますね。

中野: 良いお手本にもなりますね。

濱口: 手本と言っても、もちろん全部が全部成功したという訳ではないと思います。とくに地盤沈下問題なんかは、深刻な地盤沈下が進行してしまったという点で、ある意味失敗したとも言えます。その後、地盤沈下のこれ以上の進行を止めるために地下水を出来るだけ使わず、ダムをつくって川の水を供給するということをずっと続けてきたのです。ですから、日本は世界的に見ても、結構、地下水の利用率が低いのです。河川水の方が圧倒的に多いのです。そういうことなんかも、これから経済発展する国はいろいろと日本の経験から学び取るところがあると思いますし、我々もそう情報をきちんとまとめ直して、発信していく必要があるのかなと思っています。

中野: 我が国は、急激に経済発展したという正の側面と環境面などで大きな負荷をかけたという負の側面の両面を知っているのですから、それらをお手本となるようにして…。

濱口: 我が国では、今後はさらにその次の段階、高齢化を過ぎて人口減少というところの問題に直面しようとしていますので、それもまたお手本にされると思います。

ダムの広報について

中野: 日本国内でも、広く一般の方にまでダムの役割というか重要性がもっと浸透すれば、そういった面でも後押しすることが出来るのではないかと思いますが。一般の人への広報という面ではいかがでしょうか。当協会でもダムマイスターなどの制度を活用しダムマニアさんの力を借りて一般の方へ、ダムを知って貰える機会を増やそうと思っているのですが。

濱口: 最近、と言っても特にここ10年ぐらいの間で、ダムマニアというか、ダムのファンの方が随分と増えて、彼らが自らダムは面白いといろんな活動をしてくれているのは非常にありがたい事ですね。ダムの関係者が、自分たちでダムの良いところとしては洪水調節とかの働きがあると言って回っても、なかなか素直に聞いてもらえないところもあるのですが、一般人代表でダムのファンの方が、ダムは普段から頑張っているのだ、ということを言って頂ければ、普通の人でもすんなり耳に入っていくところもありますしね。

中野: そうですね。ダムマニアさんの活動では、ダム広報に関してはすごく力を貰っているというのが現状です。やはり好きから始まっているので、いろいろ自分で調べたことを判りやすく発信して頂けるというのが良い。一般の方の情報発進力というのはすごいなと思いますね。

濱口: そのためにも、ダムの側としてはもっと情報公開と言いますかね、日々の運用の実態を発信していく努力をすべきです。例えば、今では洪水時のダム操作についてもほとんどオープンにしてやっている訳ですし、リアルタイムでデータを見ながら応援してもらうということもありますので、ぜひもっと自信を持って情報を出して欲しい。こういうのは常日頃からやれば良いのであって、何か特別の機会に、意味を持たせてというのではなく、普段通りで良いと思うのです。


水力発電の可能性

中野: 今は、随分SNSが発達してきて、瞬時にいろんなことが伝わるようになっていて、ダムが洪水時にこんな働きをしているということもネットをみればわかるという時代です。そういう事も活用すべきですね。もう一点、見直して欲しいなというのが水力発電の問題があります。原発事故以降、クリーンエネルギーとして太陽光や風力などに焦点があたりましたが、実績のある水力に目が向けられないのはどうしてでしょうか。先程出て来た海外、途上国などでは需要はないのでしょうか?

濱口: 日本国内では今、古くからある水力発電というものには目が向きにくかったのかも知れませんが、海外で見れば需要は大きいと見ています。特に、アフリカではこれからまだまだ随分あると思います。最初の方でダムと環境の話が出ましたが、ここ20年、30年はほとんど自然保護中心で、大きなダムは造らせないという動きがかなり強く、世界銀行もそういう動きの中で、ダムのプロジェクトについては融資をしないという方針をとっていた時期もありました。しかし、この10年ぐらいで、かなり風向きも変わってきまして、特に貧困問題を解決するためには、やはり大型プロジェクトが必要なのではと見直されて来ました。水力発電で大規模な発電をして地域の発展につなげるとか、そういうコア的なプロジェクトが必要だということで、だいぶ認識が変わってきています。
 地域で言えば、アフリカもあるし、東南アジアでも経済発展するにつれて水力発電の需要が高まり、現にそういうプロジェクトは随分を立ち上がって来ています。現在、ラオスでも我が国が絡んだプロジェクトが進んでいると思います。

中野: ナムニアップ1ダムでしょうか。

濱口: そうですね。ラオスとタイの国境地帯を流れるメコン川の支流のナムニアップ川に高さ148m、堤頂長530mのダムを造り、出力27万kWの主発電所と2万kWの副発電所を造るプロジェクトです。関西電力や日本のゼネコンなどによる取り組みです。このプロジェクトの特徴は、主発電所の電力を全てタイに売ることになっていることで、地元が恩恵を受けるだけではなく、国として稼げるダムを目指しているところでしょう。

中野: そういう面では途上国の事情の中で、水力発電の新たな可能性が出て来たとも言えますね。一方、我が国ではこれまでにいっぱい造ったダムをこれからも大事に使っていくというのが、基本だと思うのですが。

濱口: 日本には、現在約2 700基のダムがあり、貯水容量でいえばだいたい270億m3です。この貯水量は、よくフーバーダム1基よりも少ないと言われていますが、日本の地形上致し方ないところがあって、奥行きがある巨大な貯水池はなかなか出来にくいのです。仮に出来たとしても、ものすごい数の水没戸数が発生するのでなかなか難しい。逆に言えば、そういった地形上の不利な点を数で補ってきたというのが日本だと思うのです。

中野: 人口が減少すると、今度はインフラ整備にしても維持管理にしても、担い手がいなくなってしまうという問題も起こりますね。

濱口: ある意味、成熟社会であり、その超先進国になってしまったのですから。

若者へのメッセージ

中野: これまでダム工学会会長をはじめ大ダム関連の団体に関わって来られましたが、これからの若い人に関して、発注者の立場やコンサルでも経験されたことを踏まえて何かアドバイスすることはありますか。ダム現場が少ない中、技術の継承とかもありますが、魅力ある職場だということを伝えていかないと、土木を志す若者がますます少なくなるのではと心配されます。

濱口: 私は、直接それを言えるような経験は余りしていませんが、現状でいきますと、発注者の方も幅広いことに対応しないといけなくなってきていて、人を割いてそれぞれの現場をじっくりみるような体制はなかなか取りづらくなっています。それだけコンサルをはじめゼネコンの出番は多いと思いますが、如何せん土木建築の業界全体で人が手薄になってきていることもあって、技術の継承はおろか、若手が現場でいろいろな経験をする機会というのも少なくなってきています。ですから、国交省の方に申すならば、いろんなところで多様なプロジェクトを組んで頂き、絶やさないようにやって頂きたいという思いがあります。すぐにはなかなか難しいと思いますが、今以上に現場の数が少なくなってくれば、どこかの大型プロジェクトで集中して技術者を育てるようなことを業界全体としても考えていく必要があるのかなという気もします。
 現場が少ない中で、他所がどうしているかと言えば、例えばヨーロッパでは、フランスのコンサルは結構世界中で仕事をしているのですが、自国ではほとんどダムなんか造っていないのです。それでも世界的に活躍しているコンサルタントが大勢いるので、そういった海外での経験を生かすというのも強味になるのですから、日本も見習っていけばと思っています。

中野: 本日は貴重なお話を有難うございました。

(参考)濱口 達男 (はまぐち たつお)氏プロフィール

昭和23年10月17日生

(職歴)
昭和46年 7月建設省採用
 (近畿地方建設局河川部河川計画課)
昭和47年 4月建設省 近畿地方建設局
  淀川ダム統合管理事務所 管理課
昭和48年 4月三重県 土木部 河川課
昭和48年 6月三重県 津土木事務所 工務課
昭和50年 4月建設省 近畿地方建設局
 河川部 河川計画課 調査第二係長
昭和53年 4月建設省 近畿地方建設局
 淀川工事事務所 調査第一課長
昭和55年 4月 建設省 近畿地方建設局
 河川部 建設専門官
昭和55年10月外務事務官併任、 外務研修
昭和56年 3月外務省 在イラン日本国大使館一等書記官
昭和59年 4月建設省 近畿地方建設局
 企画部 企画課長
昭和60年10月建設省 土木研究所 河川部
 総合治水研究室長
昭和62年 4月 建設省 北陸地方建設局
  信濃川下流工事事務所長
平成元年 7月 岐阜県 土木部 河川課長
平成 4年 4月 建設省 河川局
  防災課 建設専門官
平成5年 6月 建設省 河川局 海岸課 海洋開発官
平成6年 7月 建設省 中部地方建設局
  木曽川上流工事事務所長
平成7年 7月 建設省 中部地方建設局 河川部長
平成9年 4月 国土庁官房 水資源部
  水資源計画課長
平成13年 1月 国土交通省
  東北地方整備局 副局長
平成14年 7月 国土交通省 東北地方整備局長
平成16年 1月 国土交通省
  国土技術政策総合研究所長
平成17年 8月 国土交通省 退職
平成17年 8月 (財)ダム水源地環境整備センター 審議役
平成18年 8月 (財)ダム技術センター 理事長
平成22年 6月 理事長 退任
平成22年 9月 (株)ニュージェック 顧問
平成23年 4月 (株)ニュージェック 副社長執行役員
平成29年 4月 (株)安藤・間 土木事業本部 顧問
現在に至る



(学会等)
公益社団法人土木学会 (フェロー)
一般社団法人ダム工学会 (H27年度 会長)
一般社団法人日本大ダム会議 (H22-24年度 副会長)
NPO法人 日本水フォーラム 理事 (H23-現在)
応用生態工学会  

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(2017年8月作成)
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