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ダムインタビュー(85)
甲村謙友さんに聞く
「技術者も法律をしっかり知らないといけない,専門分野に閉じこもってはいけない」

 甲村謙友(こうむら けんゆう)さんは,昭和49年東京大学工学部を卒業され建設省に入省。すぐに山梨県土木部へと出向されますが2年後,中部地方整備局木曽川上流工事事務所に赴任,河川行政の最前線に立たれます。その後,建設省河川局開発課勤務を経て,56年に北陸地方建設局へ赴任され,千曲川工事事務所,信濃川下流工事事務所等,大きな河川工事事務所で勤務されます。北陸地方整備局の課長を経験の後,61年に,建設省河川局河川室に戻られ,関東地方建設局荒川下流工事事務所長として現場に出られます。その後,関東地方整備局,建設省河川局治水課,珍しいことと思いますが建設省道路局を経て,徳島県土木部長となられ,建設省が国土交通省になってから本省河川局,土地・水資源局水資源部長,またこれも珍しいことと思いますが環境省水環境部長,中国地方整備局長,本省河川局長を歴任後平成21年に技監に就任,平成23年1月に退官,同年10月に独立行政法人水資源機構理事長に就任され2期6年半勤められました。


 甲村さんには,河川行政の第一線に立ち続けて来られた技術者として,最近立て続けに起きている豪雨被害の現状と問題点や今後の展望,或いはこうした時期における技術者の視点といった観点から若手技術者への期待を語って頂きます。また水資源機構時代にご経験された事業展開についてもお話を伺って参ります。

(インタビュー:中野 朱美 文・編集・写真:事務局)

土木に進んだわけ

中野: ご自身の土木のかかわりからお話しいただきたいと思います。東大から建設省へという進路選択ですが,いつ頃からダムや河川へのご興味があったのでしょうか。

甲村: 私は奈良の田舎育ちで,近くには川や溜池があり,そこで遊んだりしていましたので,川とか水には親しみがありました。それと高校生頃だったと思いますが,石原裕次郎と三船敏郎の映画「黒部の太陽」を見た記憶があります。トンネル工事がメインテーマでしたが男の仕事という感じで格好いいなと思いました。当時私が通学していた高校は,男子は理系,女子は文系という雰囲気が漂う高校だったので自然と進路は理系になりました。高校3年生は12クラスあって,理系が7クラスで,文系が5クラスだったと思います。理系クラスには1クラス50人程度のなかに女子が10人いるかいないかで,文系を選択したら良かったかなと思うこともありました。

中野: そうですか,建設省を選ばれたのは何か理由が?

甲村: 当時は就職の際に,第一志望がゼネコン,国鉄の人を除いて,残りは国家公務員試験を受験して,受かったら建設省なり運輸省に行き,不合格だったら大学院進学か別の就職先を紹介されるという感じで,幸い公務員試験に受かったので建設省に入りました。


建設省に入ったつもりが

中野: では,建設省に入ってからの経歴をお聞きしたていきたいと思います。入省後,すぐに山梨県に出向されますが,そういう人事は何か特別なコースなのですか。

甲村: 今からみると変わっていますが,当時は入省してすぐの2年・2年は,直轄事務所に行くか,県に行くかの人事でした。私は最初の2年に県へ行くことになりました。国での代々木新採合同研修で約1週間,その後建設大学校研修約1ヵ月を経て,恐らく5月の連休前には,山梨県土木部に赴任したと思います。辞令上では,建設省の官房人事課採用と同時に辞職になり,改めて山梨県土木部河川課の採用になりました。入ったばかりなのに辞表を書かされて意外な感がしました。

中野: その頃は,そうした人事だったのですね。

甲村: 山梨県土木部河川課に建設省から行ったのは,私が初代だったようで,県の人から「あっ、建設省から若い人が来た」と,いろいろ建設省のことを聞かれたのですが,そもそも建設省には勤務していないので何の説明も出来ませんし,かといって技術的な話も分からない。最初は直轄事務所で経験を積んだ方が良かったのではと思いました。

中野: 慣れない中,山梨県ではどういうお仕事をされたのですか。

甲村: 山梨県土木部河川課治水係として河川改修事業の担当になりました。開発係がダム担当で,あと管理係と災害係と庶務係。係長1人に係員2人の構成で,私が2人目の係員でした。当時の治水課への河川改修事業の予算要求の資料作成,本庁契約設計書の審査,それと防衛施設庁の障害防止事業がありました。山梨県には,北富士演習場という自衛隊の演習場があるのですが,演習で土地が荒れ,洪水や土砂の流出が早くなるので,防衛施設庁の予算で河川改修事業がありました。9割補助で非常に高率でした。

 本庁契約設計書の審査に関しては,入ってすぐの私に設計書審査をしろといわれてもまず設計書の見方が分からない。

中野: そうですね。

甲村: 設計書を審査するにも,設計書には単価表や一位代価表,総括表とかいろいろあって,そうした事に慣れるのになかなかしんどかったです。

不等流計算ならできます

中野: 大学で学んだこととは違っていたのですね。記憶に残るエピソードはありますか。

甲村: そうですね。1つは,山梨県の河川です。県の管理河川は急流で勾配が50分の1ぐらいあれば川として勾配は緩い方で,ところによっては,河床勾配が1桁,5分の1とかがあります。そういう急峻な所でも当たり前に河川改修事業をやっていました。ある時,私が「この川は50分の1の勾配の緩い川で…」という説明したら,治水課の人から「何だ、こいつ何を言っているのか」という目でみられてしまいました。

 もう1つ,甲府市内からずっと南へ流れ笛吹川に合流する濁川があります。笛吹川は急流なので,濁川の合流点をどんどん下流へ移動させたので山梨県内の河川としては珍しく河床勾配が500分の1ぐらいにまでなっています。濁川の河道改修の断面を変更することになり,本省から不等流計算でという指示があって,上司が「電算はコンサルに頼むか」と聞いてきたので「僕、電算出来ます」と言って,県庁の大型電算機で計算したら,びっくりされてしまいました。

中野: 大学時代の電算のプログラム知識が役に立ったというのは良かったですね。次に,山梨県から木曽川上流工事事務所に行かれてどういう経験をされたのでしょうか。

ダムに関わる仕事は予備調査から

甲村: 木曽川上流工事事務所では,開発調査課の仕事に就きました。開発調査課はダムの予備調査と,水資源開発公団事業の窓口という業務があり,河川事業は調査課,工務課がやって,あと流水調整課もありました。この部署は今もあります。他の水系ではダム統合管理事務所がダムの統合管理をやるのですが,木曽川だけは流水調整課で管理をしています。工事事務所と一緒じゃないと実効性のある洪水・低水管理ができないのではないかということで大先輩の青山俊樹さんが初代の課長になられました。私は隣の開発調査課でダムの予備調査等をやっていました。ちょうどティートンダムの崩壊があった時で,水資源開発公団の阿木川ダムはフィルダムの計画でしたから実施計画認可に際して細かく調べました。
(参考:「理の塔、技の塔」〜私説・戦後日本ダム建設の理論と実践〜(9)現地探訪 大惨事から30年〜アメリカ・ティートンダム崩壊〜

中野: 敏感な時期だったのですね。

甲村: そうですね。当時,水資源開発公団は,実施方針指示を主務省から受け,それに基づいて実施計画を作って,認可を得て事業をやる形になっていましたので,味噌川ダムの実施方針指示の細かい利水計算とか治水計算もやりました。ここでも計算でした(笑)。そうしているうちに,本省開発課から中部地建はひとつもダムの新規実調をしてこない,けしからんと怒られ,局から木曽川上流工事事務所で1つ新規実調要求を出せといわれたので,直営で新丸山ダムの実施計画要求書をほぼ1ヵ月で作って出しました。私のダム関係の仕事と言えばそれくらいなのですが,一番思い出に残るというのは,昭和51年9月の長良川破堤ですね。


昭和51年9月長良川墨俣水位観測所のハイドログラフ
近年の災害に学ぶ|中部防災アーカイブス より
http://www.cck-chubusaigai.jp/kinnen_saigai/19760912.html
カツ丼で思い出す長良川破堤

中野: 大変な思いをされたのですか?

甲村: たまたま超勤して夜食にカツ丼食べていたら,段々と雨が強く降ってきて,今夜は職場に残れということになって,洪水対策室へ行ってみたら,流域の雨量計の表示がすごいことになっていました。当時の表示板だから今みたいなLEDじゃなく,ニシキー管という細い電線でいろんな数字を出すもので30mm,40mmの数字ばかりで,これはえらいことになるなと思った矢先に,流水調整課の洪水予報係の人が研修で不在だったので課長から「おまえ、洪水予測やれ」と言われたのです。流出計算は味噌川ダムや阿木川ダムでもやってきたので,「じゃ、やります」と答えたのですが,さすがに4山洪水だと厳しかった。約1週間にわたってピークが4回来たのですが,初日が一番大きなピークで,次にちょっと小さいピークが来て,一旦ぐっと下がってまた次が来ました。多分,2山目が終わった時に1回寮へ帰ったと思うのですが,その時はもう岐阜市内は浸水していて,寮の1階フロアは完全に水没していました。もう終わったかなと思ったらまた来るの繰り返しで,3山目,4山目となり,やっとピークを過ぎたと思った時に安八で破堤という情報が入ってきました。それから,また復旧作業に突入して,心身共にしんどかったという記憶があります。今でもカツ丼を食べると時々当時のことを思い出します。

中野: 大規模水害の現場にいらしたのですね。そこで洪水予測計算がうまく出来たのでしょうか?

甲村: 貯留関数法で洪水予測計算を行っていたのですが,予測と実測が合わなくなると,飽和雨量やK,pといったパラメーターを変化させてみるのです。1山洪水だと大体合わせられるのですが,大きなピークが何山も来る洪水は,多分別の計算手法が必要だと思うのですが,まだ開発されていないのが残念なところです。

学校と職場

中野: そうなんですか。入省後の2年・2年を県と直轄事務所,新人からの4年間でここまでやって来られたのですね。結局,大学で学んだことより現場で経験すること,苦労の連続で身につけていくような感じですか。

甲村: そうですね。だいたい大学での勉強は,いざ仕事となると役に立ちません。私の学年は東大紛争の後に入学し,最初の2年間のうちの半年ぐらいはまだ余波が残っていて,ストライキ等もあり授業がなかったのです。

中野: 封鎖というか,授業自体がないという時代でしたか。

甲村: そうです。だから,教養学部を2年やるのですが,その中で半年ぐらいストだったので土木工学科に進むのが4月ではなく夏頃になっていました。本来,土木の専門課程は丸2年間ですが,昭和49年卒の学生は半年足らない。

 先ほど言ったように,工事の設計書なんて大学では見たこともないし教えてくれない。水理学とか構造力学とかは教えて貰いましたが,流量を実際どう計算するか,数値計算手法は教えて貰えなかった。役に立ったのは,教養時代と後に学部でもやったFortranプログラム演習でした。最近はほとんど使う人がいなくなりましたが,当時,科学技術計算と言えばFortran一辺倒でした。それが出来たおかげで,不等流計算とか利水計算,治水計算をするのに役に立ちました。

中野: あっ,そうなんですね。そういう具体的な勉強は役に立ったと。

甲村: そこを強調すると大学の先生に怒られますが(笑)。

技術者は考えたことを 具体化していく仕事

中野: 事前に頂いた資料に,霞ヶ関の雰囲気についてのお言葉が書いてありしたが,国交省は昔と今ではちょっと違う省庁になっていると感じられておられるのですか。

甲村: 私は,本省の係長時代,開発課にいました。先輩には,堀和夫,廣瀬利雄,山口甚郎,山住有巧,中村靖治等蒼々たるメンバーがおられ,夕方になるとビール持って来い,ウイスキー持って来いで,私らは側に座って先輩方の大激論を聞かされていた時代がありました。今はもうそういう風習もなくなって,誰もが皆机にかじりついて,まじめにパソコンを打っているようですが,隣の人が何をやっているか分からない。技術者として考えたことを具体化する,そのために現場に出ていく仕事のやり方が減ってしまい,どちらかというと考えをこねくり回して,抽象的なことや文章作成的な職能ばっかりになってきたという印象があります。

中野: なるほど。

甲村: エンジニアは,計画,設計したものを具体化していく物造りと,実際にできた物をどう操作するかという仕事が大事と思いますが,そのような部分が少なくなってしまった。読んでも分からない基準,規則をつくり,あとは現場でやって下さいと,そんなことが出来るわけないと私は思います。昔,建設省は英語で「Ministry of Construction」と言っていたのだけど,今ではこれが,Constructionじゃなくて,「Ministry of Abstraction」つまり抽象省になってしまったのではないか,国交省になってますますそういう傾向になっていると強く感じます。

中野: 物づくりは違うような感じがしますね。法律のための文章,指示するための文書さえ書ければいい,そんな感じになっているのではないかと思います。ところで甲村さんは入省された頃に先輩に熱い人がおられていろいろ話して貰って良かったこと思われたことはありますか?

甲村: ああしろ,こうしろと教えて貰ったことはありません。先輩や上司は,仕事を教えてくれません。

中野: とにかく与えられた仕事は自分で考えて工夫してやってみろと。

甲村: そうですね。まずは自分で考えろと。先ほど言った怖い人たちが夕方から飲む時の話を聞いていても,ほとんどが無駄話なのです。その中に1つか2つ,これは治水計画と一緒というと語弊がありますが,100分の1,200分の1の割合でいい話がありました。

中野: なるほど。そこにヒントがあるのですね。ダムとの関わりで現場ではお仕事をされたことがないということですが,何か思い出に残っていることがあればお聞きかせ下さい。

甲村: ダムに関して思い出に残っているのは,木曽川上流工事事務所で新丸山ダムの実施計画要求書を約1ヵ月で作成したことですね。

ダム計画を実現化するのは なかなか難しい

中野: さっきお話が出てきましたね。他にもありますか。

甲村: そうですね。北陸地方建設局千曲川工事の課長の時,犀川には大町ダムや発電用の奈川渡ダム,高瀬ダム等があり,ある程度洪水調節が出来ますが,千曲川本川に洪水調節用のダムがないので計画することになりました。千曲川は昭和40年代以降あまり大きな洪水はなかったのですが,昭和56年に大洪水があり支川の樽川が千曲川のバックウォーターで破堤しました。



昔,通産省が関東分水構想といって,千曲川の上流にダムを建設しそこから釜無川に分水して,更にそこから笛吹川に分水して,そこから多摩川に分水するプランがあったのですが,大反対にあいました。それから大分時間も経ったし,今度は分水ではなく千曲川流域の治水・利水のためだからそろそろいいのではないかというので,水没地域の人だけでなく周りの5町村にも参加して頂いてダムや地域振興について勉強会を行いました。皆で川治ダムを見学に行ったりしていたのですが,ある時,某新聞にダム計画をすっぱ抜かれて周辺の首長さん方にそっぽを向かれてしまい,ダム計画がまたもや中止になってしまいました。残念な記憶です。


 それから,北陸地建河川計画課長時代に,その後福島県事業で改築されたけど,猪苗代湖のもともとの水の出口にあたる阿賀野川で,十六橋水門という歴史的な構造物がありますが,それについての改築も直轄事業で新規要求しました。
中野: 十六橋水門は三本木さんのインタビューでもお話が出てきました。

甲村: そう,三本木さんの地元ですね。それを改築して,洪水調節とちょっとした利水をやろうということなのですが,その仕事を私が途中から引き継いで,河川計画課長になったのが7月,ちょうど予算要求の時期に重なっていました。そうしたら,前任の河川計画課長が「十六橋水門は、治水課と開発課と両方に頼んでおいた」と言うのです。私は「何、それ」と聞いてみたら,開発課には河川総合開発事業で頼んで,治水課には大規模構造物改築事業で頼んでいました。

中野: 両方に願い出ていたと。

甲村: それが分かり,両方から怒られて苦労しました。結局,開発課事業で採択されたのですが,途中でいろいろと問題があって直轄事業としては廃止され,その後平成10年の洪水を受けて福島県事業で歴史的構造物を活かしながら改築され,治水機能の増強が図られています。

ダム中止と地域

中野: なるほど。北陸地方建設局から建設省へさらに徳島県へ赴任されますが,ダムの状況はどうでしたか。

甲村: 平成10年に徳島県の土木部長に行っていた時に,第十堰改築の住民投票と細川内ダムの中止についても関わっています。細川内ダムは,阿南に製紙業を立地させるために,まだ那賀川が直轄管理になる前に,徳島県はダムが出来ることを見越して水利権を与えていました。

中野: ダムが出来るということが前提ですね。地域振興もありますしね。

甲村: ダムが中止と決定した時,直轄ダムでしたが,県の部長として「まず地元へ説明に行って来い」と言われ,私が地元の水没者の方々に謝罪に行きました。すると水没者の人は「わしらは別に反対してなかった。村長が反対していた。わしらこそ(ダム中止の)被害者だ」と言うのです。「昔だったら、木を売れば金が入ってきたのに、今では木を売っても大した金にもならん。それにダムが出来るのできちんとした道路も期待した。辺りは携帯電話の電波も通じない」と携帯電話の話について県では何も出来ないけれど,とりあえずNTTに頼んでみましょうという話をしていた記憶があります。結局,ダムが出来なくなってしまい,流域は今も渇水で困っている。洪水の心配も長安口ダムまで改造しないといけなくなってしまいました。

中野: 県に出向してそういうお仕事もやっておられたのですね。

前線と中央

中野: 地方の前線から本省に戻られた時,どのように感じられましたか?

甲村: 新人時代,最初の2年・2年,県と木曽川上流工事事務所にいて,最初に本省開発課で勤務した時は管理係でした。管理係はダムの操作規則,ダムの維持管理の堰堤維持費とか堰堤改良についてもやります。特に操作規則というものは,管理係に来て初めて見ました。いざ関わってみると技術者であってもちゃんと法律の事とか,他の規則等との関係についても知っておく必要を実感しました。建設省時代,土木系技術者は現場と本省を行ったり来たりしながら仕事の幅を広げていき,現場での問題を,本省の政策とか基準でどう解決していくかということと,そこで作られた基準なり規則が現場にどううまく合っているか,またもし合っていないとすればどこを直せばいいか,そういうフィードバックをしているのだと思ました。先程,言われた地方が前線という話,ある時本を読んでいたら,昔の日本陸軍は前線に行くと左遷だ,陸軍省とか参謀本部に勤めるのが栄進だというようなことが書いてあって,戦争に負けたのもなるほどと思いました。

要は,前線に重点を置いてないから。それは日本全体がそうで,特に役人は本省勤務に目が行ってしまっているのではないか。戦に勝つには,前線にこそ力を注がなければならないのに,後ろの方ばかり気にしていたら前線は士気も上がりません。どうせ奴らは前線の事も知ろうともしない,と。それでは強い組織にはなり得ないと思います。

中野: 中央が重要でそこにいくと栄進という風潮ですね。


甲村: 会社でも本社勤務が偉くて,工場勤務とか現場の勤務は軽んじているようなところがあると思いますが,それだと官も民も,国としても負けてしまうのではないかと思います。

技術者も技術だけでなく

中野: そうですね。本質の部分を見ていかないとだめだというのがありますよね。そういうお立場でご自身が両方とも見られた経験はよかったですね。

甲村: ある意味それは幸運でした。技術者は技術だけに固まっているのも困ります。法律関係等の知識も必要です。ある技術の専門官が河川法のここはどう解釈すればいいかを新任の事務官に尋ねたところ,「馬鹿じゃないの。僕は初めて河川の仕事をするんだよ。あの専門官、河川、何年やってるんだ」といって怒っていたこともありました。技術者も法律をしっかり知らないといけないし,専門分野にだけ閉じこもってはいけない。

中野: そうですね。三本木さんも自分は法律家だけど,技術者の知識も取り込んでやっていかないとうまくいかないと話しておられました。

甲村: それは,ある意味建設省なり国交省の良いところであって,ほかの省庁は,事務だったら事務ばかり。逆に技術だったら技術ばかりに偏るので,それではいけないと思います。

公団から機構へ

中野: 国土交通省を退官されて,甲村さんの職歴では一番長い期間,トップの水資源機構理事長を2期務められるのですが,水資源開発公団から水資源機構に組織が大きく変わったことなどについて教えて頂きたいと思います。

甲村: 確かに私の経歴の中で水資源機構は6年半で一番長いので,水資源機構を退任するとき「人生の約10分の1過ごしました」と退任挨拶しました。水資源開発公団から水資源機構に変わる際には,変わる前の時期に河川計画課長,変わった後に水資源部長で関わりました。変わる前の時期には,世論は特殊法人改革一辺倒で特殊法人については無駄ばっかりやっているという論調でした。水資源開発公団については,ダムなら国交省がやればいい,水路だったら農水省あるいは土地改良区がやればいい,水資源開発公団はなぜ要るのか,というような議論がありました。その際に説明したのが,ダムと水路については一体的に管理し,かつ広域的な水系にまたがる水の管理をやることが,有効且つ効率的であり,それが可能なのは水資源開発公団しかないという理由でした。それで廃止・民営化とはならなかった訳ですが,組織として残すにはいろんな条件をつけられて,水の供給量を増大させるダム等の新築はだめということになりました。その時は,皆まじめに考えてしまい,もう先がないのかなとシュンとしていたように思います。

文章の表面だけに拘らない

中野: 新規のダム事業は出来ないということですか。

甲村: 条文の表面だけを読むとそうですが,そういう時には,文章を裏読みすべきです。つまり,だめと書いてあること以外は逆に出来るので,水の供給量を増大させないダム等の新築及び水の供給量を増大させるものであってもダム等の改築は可能という風に解釈すべきです。機構法では「水資源開発基本計画に基づいて、ダム等の新築(水の供給量を増大させるものは除く)又は改築を行う」と書いてあるので,水の供給量を増大させないダムを水資源開発基本計画でどう書くかという問題はあるにせよ,書き方によっては可能だというように解釈すべきです。改築については,水の供給量を増大させるものは除くとは書いてないのだから問題なく出来るはずだということで,水資源機構理事長になってから早明浦ダム再生事業を立ち上げました。最初,早明浦ダム再生事業をやろうといった時,それは治水目的のみであるから国交省直轄事業で事業化して機構は受託しか出来ないだろうと言われましたが,どうして治水利水一体として自らが管理している施設について,自らが事業化できず人のお金を受託しなきゃいけないのかと議論のすえ,水資源機構の事業で出来るようになりました。
 公団から機構になって変わったことがもう1つあります。公団から機構になる時,これは全部の独立行政法人に共通なのですが,毎年の実績評価と中期計画終了時の実績評価,これを受けて,その成績いかんでは組織改編,最悪の場合廃止ということもあるようになりました。

中野: それは厳しいですね,毎年,きちんとした取組みをしないと。

甲村: あと,これは逆に自主性を高めるという意味で,水資源開発公団の場合は主務省から実施方針,それから管理する場合は施設管理方針の指示があって,それに基づいて実施計画,施設管理規程を策定して,主務省の認可を得てやっていましたが,組織が変ってからは,実施方針,施設管理方針がなくなり,機構自らが関係者の合意を取って主務省の認可を得て実施計画,管理規程をやるようになりました。


早明浦ダム(撮影:Dam Master)
 もう一つ,総裁という役職名がなくなり理事長になりました。今,日本で総裁という名称が残っているのは,有名なところでは日銀総裁と自民党総裁の2つ位ではないですか,捜せば外にもあるかと思いますが。

中野: 総裁から理事長になった理由は?

甲村: 独法ごときが総裁という名前を使うのはおこがましいということではないでしょうか,他の旧特殊法人も殆ど総裁という名称が廃止されています。

始めはボコボコ

中野: 前の政権交代の時は,脱ダム論をはじめいろいろとダムに逆風が吹いていた時代でしたね。独法の改革について印象に残ったことをお聞かせ下さい。

甲村: 独法改革の最初の頃は辛かったですね。会議にいけば第三者の学識経験者から言いたい放題言われてボコボコにされました。平成23年,24年,私が理事長になったばっかりの時です。当時,利益剰余金があったら国庫に返せとか,何で支社局がいるのか,本社と現場の事務所さえあればいいじゃないか,それと浦和にあった総合試験場,今は技術センターに変っていますが,浦和市内にこんな広い土地があるから売ってそのお金を国庫に返せとか,そういう話がいろいろありました。

 とりあえずは色々な回答を繰り返していたのですが,最後に吉野川局を廃止し関西・吉野川支社吉野川本部に再編しました。浦和の総合技術センターは,ダムの建設が終わった時点で適切に処理することにしますとしましたが,ダムの建設は絶対終わらせるものかという思いがあって,早明浦再生事業を新規要求しました。総合技術センターなんて実際には売れない土地なのです。市街化調整区域に入っていて接道要件も満たしていないし,おまけに隣が葬儀場で,こんなところ誰が買うかというような土地でした。それでも売れと言って来たのです。

中野: ちょうどその時に理事長でいらっしゃった訳ですからね。悔しいですよね。


ダム工学会技術賞
平成25年台風18号出水における日吉ダム洪水調節操作
未来は自分たちで造っていくもの

甲村: 非常に厳しかったので,確か平成24年の年頭挨拶で「There is no fate but what we make for ourselves」と言いました。これは,映画「ターミネーター」に出て来る主人公の母,サラ・コナーのセリフですが「未来は決まったものではなく、自分たちで造っていくものだ」という意味です。つまり,一時の世論や定められた法律・規則・基準に縛られたままでいるのではなく,それらの不備なところをよく考えて改訂・策定していくという方向で考えてみろというのが主な狙いです。もう1つ「朝の来ない夜はない」とも言いました。まさに当時は,独法は良くないものと受け止められていましたし,ダムに対しても暗い夜が続いていました。

中野: なるほど,ただ従っているだけで嘆いていないで,良い方向に変えていけと。

甲村: 平成23,24年と辛かったのですが,平成25年に流れが変るような出来事がありました。大雨の時,日吉ダムと木津川ダム群に頑張って頂いて,最後には,ただし書き操作になったけれども京都の街全体が水に浸かるような事態から救ってくれたのです。最初はダムが放流したから洪水になったというような報道もありましたが,やがてダムが頑張ったという報道になった。

中野: そうですね。それまではダムが出て来るとネガティブな論調ばかりでしたが,その時に脚光を浴びましたね。頑張って洪水を防いでくれたと。

甲村: まさに流れが変った時で,そこから明るくなってきましたね。特に現場がよく頑張ってくれました。テレビ画面では今にも水没しそうな渡月橋と,周辺の水に浸かった土産物店ばかりを映していたのですが,本当はその下流の羽束師付近で堤防から越水し始めていました。日吉ダムもただし書き操作開始水位を超えていたけれど,本社の爲沢理事と関西支社の左近部長と日吉ダムの青山所長を始めとして職員がギリギリまでただし書き操作を遅らせて,ダムに洪水を貯留して下流の破堤を防いでくれました。

中野: 水資源機構が管理されているダムが活躍したことが話題になりましたね。

甲村: 日吉ダムは太いダムだから,サーチャージ水位を越えたとしてもすぐ壊れるはずはない。かつ水資源機構の技術の粋を集めたダムが壊れるはずはないという思いで,溜められるところまで溜めていた。ただし書き操作を開始した時は流域の雨は止んでいたので,下流の水位には影響なかった。適切な判断でしっかり対応して頂いた,さすがだと思いました。

中野: それ程,緊迫した現場だったのですね。

一回の成功に酔わない, ダム計画の見直しも必要


日吉ダム(撮影:安河内 孝)

甲村: たまたま上手く出来たのですが,我々はそれに甘えていてはいけない。ただし書き操作をしなければならなかったのは何故か。もともとのダム計画の洪水調節容量が少な過ぎたのか検証が必要です。日吉ダムの場合,ダム放流量を下流の河道見合いで元々のダム計画の放流量よりも絞っていました。すると,ダムに溜まる量は多くなる。中小放流で済むならそれでも良いのですがデカい洪水が来たら,洪水調節をしていても,ただし書き操作をせざるを得なくなってしまう。今回は,ダム操作の名人というと変ですが,プロがいたから出来たのであって,何時までもそういうのに甘えてばかりではいけない。次には,ダム再生や,あるいは治水計画の見直しまで含めて考えていかないといけない。現場も,あの時にうまくいったから,次もやってねと言われても,簡単に出来るものじゃないと思いますね。
中野: 判断が非常に難しいですね。現場にいた人たちのいろんな知識とか,奇跡のようにタイミングがあったのだなと思います。

地域全体のために

甲村: 昭和27年には関東東北豪雨が起こり,鬼怒川が氾濫しました。その時,思川も溢れて小山市の浄水場が浸かってしまった。他にも幼稚園や田んぼが水に浸かったりしています。そこへ水機構の職員が自分で排水ポンプ車を運転して排水作業に行った。おまけに,途中で壊れてしまった土地改良区の排水ポンプも直してあげたりしながら。

中野: 職員の方は何でも出来るのですね。

甲村: 国交省の現場の職員もそうですが,水資源機構の職員,特に電気機械を扱う職員は自分で整備も出来ます。先程,言いました独法改革でもっと委託率を増やせと言われたので,数字上は増やしたことになっています。でも大事なのは,委託ばかりになると,いざという時に委託業者を呼んでも来てくれなければお手上げになってしまうので,やはり職員が自ら復旧作業が出来るように備えておくという考え方は,機構の伝統で,これは素晴らしいことだと思っています。

中野: 確かに。今お話を聞いていて自ら存在価値を証明しているというか,直営で排水ポンプ車を出すとか,すごいですね。

甲村: 熊本地震の時は,利根導水総合事業所に備えられている海水淡水化浄化装置を職員自ら運転して,現地まで運びました。

中野: 熊本までですか。

甲村: ええ,熊本で海水淡水化装置を動かして飲み水を確保する作業を行ないました。

中野: 自衛隊みたいですね。全部自前でやるなんてすごいですね。聞いていると,水資源機構になってからは以前とはちょっと違う組織,体制に変革されたのですね。

甲村: それは組織の存続が問われる改革を経験したのですから,自らの存在価値をちゃんとアピール出来るようにしておこうと。そうしないといつまた要らない組織だと指摘されかねないから。いつでも我々は社会に存在意義のある,必要な組織ですよ,というのを実践しておかないといけないと思いますね。

中野: 確かに。でも,その方向を打ち出せたのは良かったですね。

甲村: 昨年の九州北部豪雨でも地域支援を行いましたが,職員にはかなり負担かけているので,ちょっとその辺は心配です。車を運転していて途中で事故を起こしたらどうするかとか,そういう心配はあるのですが。

ダムのあるとないとでは

中野: 先日,私は小石原川ダムの定礎式に取材に行きましたが,九州北部豪雨で小石原川ダムも頑張ったと。

甲村: 九州北部豪雨の際は,小石原川ダムはほとんど基礎掘削が終わっていた状態でした。前の政権時代に始めたダム検証が今も続いていて,もし何もやってなかったら,上流からの洪水,土砂,流木等が下流の江川ダムにまともに流れ込んで大変なことになっていたかも知れません。小石原川ダムはダム検証で継続が認められ,発注が済み,基礎掘削も終わっていたので,基礎掘削したポケットに土砂と水と流木を溜めることが出来て下流を守った。工事施工している人たちには大迷惑ですが,まさにダムが出来上がる前から,その効果を発揮した貴重なケースだと思います。私は,そういうことはぜひ発表しろと言いましたが,水機構の職員はまじめだから,「現場が水に浸かってしまい済みません」としか言わないのです。「竣工前からダムの治水効果を発揮したのだからもっと自慢していいぞ」と,ね。

中野: 本当にそうですね。地元でもものすごく助かったと評価を頂いて,とても良い効果でしたね。

甲村: 寺内ダムがある佐田川と,今建設中の小石原川ダムと江川ダムのある小石原川,両方ともにダム下流部は全く被害がありませんでした。朝倉市は,旧甘木市と旧朝倉町と旧杷木町が合併して市になった。旧甘木市は佐田川と小石原川が流れていて,ダムから下流はほとんど被害がありません。ところが,旧杷木とか旧朝倉町は,報道にもあるように,流木と土砂の氾濫でぐちゃぐちゃになって,大変な状況になりました。つまりダムがある川と,ない川の差が如実に出ています。

 少し前の関西豪雨でも,名張市を流れる名張川には室生,青蓮寺,比奈知と3つダムがあるのですが,当時,伊賀市を流れる木津川の川上ダムは検証中で未着工でした。そこに大雨が降って,ダムによる洪水調節で名張市は被害がなかったが,伊賀市は木津川の県管理区間が破堤してしまい,地元の新聞が「明、暗」と書いていました。ダムは無駄だ,無駄だというけど,現実を見てみろと言いたい。ダムがある時とない時とは被害の状況が全く違っている。これについては,もっと声を大にして言わないといけないと思いますね。やれる時に工事をしておかないと,ダムは計画して実際に出来るまでにともかく時間がかかるので,出来るものならば,すぐに工事を始めた方が良い。

中野: こうした事は,今になって出てきたのですが,大雨の時にダムが大活躍したということを,ダム愛好家の人たちが一生懸命SNSで言ってくれていて,それはすごい力になったと思います。

甲村: 特に日吉ダムのケースは,テレビでは日吉ダムの放流のせいで渡月橋が水に浸かっていますとか,そんな言い方をしました。見ていてそれは違うだろと思わずいいたくなるくらい。それをダムマニアの方々がSNSでいろいろ情報発信してくれたので,無知な報道というのが減った。

中野: 確かにそうですね。ダム操作をしている時は一生懸命なので,情報を発信するということはちょっと難しいかも知れませんね。でも,よく分かっている人が正しく発信していくことは本当にありがたいなと思いますね。

情報はオープンにわかりやすく

甲村: 以前から国交省もやっていますが,水機構でも自分たちのホームページ,それもあちこち見なくても良いように,1ヵ所そこを見れば全ダムの現在のダム諸量が分かるようにしています。テレビはダムが放流しているところしか映さないので,洪水なのにダム貯水量を放流しているイメージにとられます。ダムは,普段は洪水吐きを開けておらず,下の利水放流管から水を出しているだけなのに大雨が降ると洪水吐きを開ますから,ダムから放流して洪水になっているかのように思える。

防災操作実施状況(速報版)の一例
https://www.water.go.jp/kansai/kansai/html/bousaisousa/bousaisousa.html より
中野: 一般の人から見れば,ダムが洪水を起こしているみたいな印象になりますね。

甲村: 役に立っているのですが,見た目では皆を困らせているのじゃないかと,そういうふうに思っている人たちが実際にいることも事実です。だから,それをもう少し分かるようにしたいと思います。ダムが放流している水量とダムに入ってきている水量。それにダムで溜めた水量,簡単なポンチ絵ですけれど,そういうのを描いて,それで下流の水位がどれだけ下がっているかというのを,ホームページで1時間ごとに出してくれと頼みました。優秀なところはダムコンからデータを引っ張ってきて,自動的に計算式の中に数字が入るようにしている事務所もあります。現場の管理所は忙しいからこういうのをいちいち対応してはいられないとは思いますが,出来るだけやってもらいたい。それだけ,ダムが悪者にされるケースが減るからです。

中野: そういうのを理事長時代にこういうふうにやってくれと現場に指示をされていたのですね。

甲村: ダムの放流量は目で見えますが,ダムの流入量は目に見えない。だから,なんとかイメージが掴めるように絵に描いて伝えたい。ダムマニアの方は,ハイドログラフを見て泣けと言ってくれますが,普通の人にはハイドログラフを見せても,何これというのが普通です。線がいろいろ描いてあるだけですからね。それを分かるようにして絵に描いて出せと現場には言いました。

中野: そうですね。確かにハイドログラフは素人には読み解くことがなかなか難しい。でも,資料として出てくるのはハイドログラフだけなので,そこから読み取れというのはやや無理があるかと。だから水機構がこういうことをして頂けると,すごく役に立つと思います。

甲村: 操作だけでも忙しいのに現場はすごく大変ですけどね。

水資源機構の新たな業務

中野: 水資源機構の新たな業務についてお聞かせ下さい。

甲村: 平成29年に,これは河川法の改正と絡んでというか,河川法の改正だけだとなかなか国会は通らないので,水資源機構法の改正は法律要件になるというので,指定水系の中だけですけども,自治体の長の要請に基づいて自治体所管のダム等の改築,災害復旧が出来るようになりました。実際の事業はこれからですが。

中野: つまり自治体からの要請があればダム事業,つまりダムの災害復旧や再開発が出来るようになったということですね。

甲村: そうですね。指定水系内のダムの改築等,自治体からぜひ水資源機構にお願いしますと言われれば,喜んでという話になります。それと,海外の社会資本事業に参入する我が国の事業者を支援する法律というのが出来まして,これについては水資源機構だけじゃなくて様々な独立行政法人等が,日本企業が海外展開する時のアシストを積極的にやっていくということになりました。従来,機構法でも,ひま受託という形で本来業務に支障のない範囲でそういう計画に参画出来る規定になっていたのですが,今後はまさに本来業務として海外の調査とかも出来るようになりました。

中野: 国交省でも海外展開をやろうということで始めているとい聞いています。水関連事業の今後の課題,展望について教えて頂ければ。

甲村: 今は,全世界的に水の供給が大問題になっています。SDG(Sustainable Development Goals),持続可能な開発目標のなかにも安全で衛生的な水に関する目標が設定されています。ただし,この「開発」という言葉の使い方が私は間違っていると思います。なぜかと言うと,日本の外務省が「デベロップメント」を「開発」と訳してしまったから,「持続可能な開発目標」となっていますが,普通の人にとっては開発って何?という疑問が沸きます。昔日本が,やって問題になったように,今更,途上国の山を切り開いてゴルフ場や団地を造るのかというような誤解を生じさせます。私は「デベロップメント」は「発展」と訳した方がよいと思います。持続可能な発展目標,更に付け加えれば,人類の或いは世界の持続可能な発展目標の中に安全で衛生的な水に関わる目標が位置づけられており,貧困,飢餓,教育,ジェンダー,安全等々の目標と併せて人類或いは世界を持続可能な形で発展させていくことが必要です。

 そういうことを国際貢献,人道支援的な意味でやるのか,或いは企業が儲けを得る,つまりビジネスとしてやるのかというのをきちんと区分して,どちらも成立するようにすれば良いのではと思っています。

国際貢献と国際ビジネス


中野: 日本人はビジネスを国際貢献のつもりで行ってよく失敗をしているのですね。

甲村: 特に日本の建設関係は,初めは儲けるつもりで海外進出して,損失が生じると担当した人は首切られたり左遷されたりして,しばらくしてそういう記憶が薄れると,また海外へ出ていこうかなと出ていって,また損する。そんな繰り返しの部分があるように感じます。もっとリスク管理をしっかりする必要があります。元世銀副総裁のカムデシュ氏から,安全な水を飲めない人を救うために民間企業ももっと頑張れ,そのためのリスク管理のレポートが出ているのですが,ぜひ参考にして頂きたい。特に水分野は初期投資が大きくて,資金回収に非常に長期間かかりますのでリスク管理が難しい。資金回収を早くしようとして水道料金を上げたら,現地で反乱が起きたというケースもあります。実際,ボリビアで外国の民間企業が,運営を委託されてやっている水道料金を上げたら,コチャバンバ大暴動が起きて結局その企業は撤退しました。そういうリスクがあるという前提でリスク管理をしっかりやっていかなきゃいけない。

 1つ参考になるのは,昔,世界銀行が愛知用水でやった方式ですね。水資源開発公団の前の組織である愛知用水公団が牧尾ダムの建設と幹線延長100km以上にわたる水路事業をやった。そのおかげで今の知多半島含め愛知県は大発展しています。あれは今の世界銀行,当時の国際復興開発銀行かな,それも多分,外国語の日本語訳が悪くて「開発」になっているのですが,の融資が入っています。

中野: 「発展」じゃなくて?


甲村: そうですね。で,その融資を受ける時に世界銀行が条件をつけたのです。まず,牧尾ダム,幹線延長100km以上の水路を5年で造れと。当時の日本の技術は重力式ダムだったら可能でしたがそれではだめだ,ロックフィルダムでやれというのです。更に,融資する以上,きちんと返済する制度を作れと言いました。また他の資金と混ぜてはいけないので専門の組織を作る必要があると。それで愛知用水公団が出来たという経緯です。

中野: そうなんですか。

甲村: それで,世銀の条件,5年でロックフィルダム・水路をやるとなると,当時の日本の技術力,機械力では出来ないので,外国から重機を購入して,かつ外国のコンサルタントを雇用せざるを得ませんでした。

 世銀は,17億5 000万円融資しました。これは全体事業費からしたら5%もいかないくらいに少ないが,当時の日本としては大事業をやるためには世銀のお墨付きが必要でした。世銀はこの17億5 000万円を利子付きで回収した上に,重機購入とコンサルタントで,16億円ぐらい海外企業が受注しています。当時の日本の技術では出来ない条件じゃないと融資しないと言って外国企業に儲けさせただけじゃないかという人もいると思いますが,日本も世銀の融資がないと事業が国会を通らないという状況でした。それで,日本は損したかというと,愛知用水が出来たおかげで今の愛知県の発展がある訳ですし,大規模な機械施工の技術が発達し,ロックフィルダムの施工技術も学べた,またコンサルタントを活用するということも出来たのです。つまり両方ともウィン・ウィンの関係に出来た。

 今までは海外の途上国が困っているから支援してあげましょう,損得は別です,そういう人道支援的な考えが多かったように思います。国際ビジネスとして考えた場合,最近は普通の工事だったらほとんど現地の会社で出来るので,現地の政府や企業がもっていない技術や制度を条件化するとともに,回収確実性を担保する方式を考えていかないといけない。単に海外の市場規模が大きいからそこに出ていけば儲かるという甘い考えじゃ,私はいけないと思います。そのためにも,今回できた法律に基づいて各独立行政法人が事業構想の初期段階から関わって,日本企業が儲かる仕組みを造る必要があります。

地球温暖化の影響は100年後?

中野: 最近は,台風が多くて川の氾濫とか大きな被害が生じています。予算も関係もあってなかなかうまくいかないところがあるのですが,短期的,中長期的にどういう対応をすればいいのかなとお聞きしたいです。

甲村: これの一番大きな要因は,地球温暖化です。地球温暖化に伴って雨の降り方が変わってきています。これは大分前から,私が河川計画課長の頃からなので平成13年ぐらいから,IPCCで話題になっています。IPCC報告書は1次から5次まで出ていますが,地球温暖化は疑いがないまでになっていて,それに対してどうするか,という段階になっています。よく誤解されているのは,地球温暖化というのは,100年後に温度が幾ら上がる,あるいは海面上昇が何センチでしょう,でもそれは,私たちにとって100年後はもう関係ないですよね,といった誤解です。そうじゃなくて,平均値でみると100年後にはそういうふうに上がっていくが,実際には毎年毎年の値は分散も大きくなっていくから,100年後の平均値を超える温度とか雨の量が直ぐにも起こるのだ,というふうに考えていかなくてはいけないのです。つまり,今直ぐにでも大きな変化に遭遇するので,今すぐにでも対策しなきゃいけないということです。実際,最近かって経験をしたことがない大雨が降っています。

中野: 直ぐにもかつて経験した事のない豪雨とかの可能性があると。では,それに対する対策方法は?

甲村: 中長期的には,温暖化による雨量の変化を反映した河川整備基本方針を立てて,必要な施設整備を行っていくというのが模範解答ですが,実は温暖化による雨量の変化を計画としてどう取り込むかがよく分からない。確率で処理できる問題なのか。平均値と分散が変わっていくという事象を,確率処理するのはちょっと私には出来ないです。頭のいい人が考えて,河川整備基本方針を立ててやっていけば良いのですが。

 短期的には,警戒避難だとか水防活動,先程出て来た日吉ダムとか寺内ダムのような施設操作で乗り切るしかないのですが,それを前面に出し過ぎると,それが全てになって頼り切るようになるのが恐いです。例えば,避難についても,これまで避難遅れがあったので,空振りになってでも早く避難しましょう,避難しましょうと号令をかけるようになりましたが,多くの人は避難しないのが現実だし,高齢者とか身障者の方は避難出来ない。運良く避難出来て命が助かったけれども,いざ帰ったら家がない。それでいいのか,という問題がある。逃げなくてもよい社会をどのようにして構築していくかも,考えなくてはならない。

中野: なるほど,災害を防ぐギリギリのラインをどこに置くかですね。

甲村: 地域で水防活動をやればいいじゃいかと言う人もいますが,今,水防団は高齢化と団員減少で,水防を担う人が大幅に減少しています。昔は,地域の人と言えば農民主体だったから,昼間にも男の人が住宅の近くに居られるからそういうことが出来た。今は皆,遠くまで出勤して会社勤めなので,それをやる人がいない。ダム,水門等の施設操作もうまくいった場合はいいけれど,うまくいかなかった場合の管理瑕疵,誰が責任をとるのかという問題もある。

中野: そうですね,なかなか頭の痛い問題ばかりですね。

甲村: 理想的には,温暖化による降雨量変化を反映した河川整備基本方針を立てて施設整備をやれば良いのでしょうが,そんな難しい事を考えてばかりいなくても,現在は河川整備計画の20分の1か30分の1のレベルでの施設整備を行っていますが,まずは本来の100分の1か200分の1の基本方針レベルで施設整備をやるべきです。地球温暖化による影響はそれを踏まえて,さらに毎年バージョンアップしていけばいいというぐらいでやっていかないと,検討ばかりではもう間に合わないと思います。

 最近,土木学会でも,治山・治水に対する緊急提言が出ました。緊急的に国債を発行してでも15年でやるべきと。予算がないとよく言われていますが,日銀の資金循環統計でみると,一般政府は赤字だが日本全体としては黒字なので可能だと思います。

ダムの将来について

中野: ダムの将来についてはどうお考えですか。

甲村: 先程出て来た地球温暖化に伴っての河川整備計画,基本方針を見直していく中で,今から大規模な水没をさせて新しいダムを造るというのは難しいけれど,嘗てダム計画があって,地元の合意もある程度出来ていて,いざやろうかという時に水需要が少ない等の理由で取りやめになったダムとか,あるいはダム検証で整備計画レベルでは不利として取りやめたダムとか,そういうのを復活させて,必要であれば新設もやっていけばいいと思います。もう1つは,嵩上げとか既設ダムの能力増強です。注意しなければいけないのが,洪水吐き増設の説明です。早明浦ダムでもそうですが,普通の人は,洪水吐きを増設したら,下流に流れてくる水が増えるのでは?と思います。洪水の時に,ますます住民を困らせるために放流するのじゃないかと。でも実際は違います。要は,溜めなくても良い時に放流しておき,実際に必要な時にはしっかり溜めるために,水位が低い時にもダムから水を早く出して,大雨の時にたくさん溜めるために洪水吐きを増設するのです。それをちゃんと説明しないといけない。

中野: それはそうですね。どうしても大雨になると洪水吐きから水を出しますから。

甲村: あとは,ダム操作に関しては洪水予測です。もう少し精度良く予測できる方法があるのではないかと思います。河川の技術者は,貯留関数法とか,最近だと分布型モデルとか,物理モデルにこだわりますが,物理モデルを離れて,もうちょっと漠としたつかみ方,雨が降れば水が出てくる,雨という入力が流域・河道で変換されて流量・水位の出力となる入出力変換系ととらえて,変換系の構造自体も時間とともに変化していく,その変換系の構造,例えばニューラルネットワークでもよいのですが,を実測流量・水位と予測流量・水位の差が少なくなるように変化させていくといった方法もあるのではと思います。

若い人へのメッセージ

中野: 最後に,若い人に対してのメッセージ,先ほどもターミネーターのサラ・コナーの言葉が出てきましたが,伝えていきたいということをお聞かせいただければと思います。


甲村: 若い人へのメッセージは嫌いなのですが。その理由は,治水課の沿川整備対策官の頃,当時の技監の話を河川局の官クラス以上が集まってお話を聞く会がありました。すると,他の人たちは技監の話を聞きながら,まさにうなずきトリオをやっている訳です。よいしょする訳です。私は余りうなずかなかった。自分ではしたように思っていますが…後に当時の河川計画課長に呼ばれて「技監から、今回集まった者で2人けしからんのがおる」と言われたと叱られました。

中野: 演壇から見ておられたのですね。


甲村: 「1人はおまえだ」と。「もう一人は誰ですか」と聞いたけれど教えてくれませんでした。「これからは態度を改めないと、俺は面倒みられないぞ」とか言われました。そういうこともあって,若い人へのメッセージは嫌いなのですが,あえて言えば,ロートルの言うことをありがたがって聞くのではなくて,自分で考えろ,そして,それを実行しろというのが1つのメッセージです。別にうなずかなくても良いのですが(笑)。国交省とか水資源機構の技術者というのは,法律,規則,基準を守るのが根本的な役目ではない,課題を解決するのに実態に合わない法律,規則,基準を改定して,改善していくのが重要な役目だと思います。先程言いました「There's no fate」じゃないが,「There's no rule」でもいいし,「There's no standard」でもいいし,それを「but what we make for ourselves」自分たちで基準,規則を作るのだと,それぐらいの気概をもってやっていかないといけない。規則に合ってないからこれはだめですとか,先程の早明浦ダムの再生でも,治水オンリーの事業は水資源機構ではできませんとかね,そういうのがヒントになるのではないかと。

中野: なるほど,受け継いだことだけを守るだけじゃなくて,将来の課題を解決するために法律や規則を変えていけと。

甲村: あと七分三分の理(かねあい)も大事だと思います。何かの本で読んで実際に自分でやってみて,やっぱりそうだなと思ったのですが,平成23年,24年の独法改革の時,かなり責められて,もうギブアップしようかという時もありました。日吉ダムの時ももっと早くからただし書き操作しようかと思った時がありました。でも,頑張りと励ましでなんとかいけた。七分三分の理の意味は,七割方ダメだと思った時が,実は,半々のいい勝負で,七割方大丈夫だと思った時が実は薄氷を踏んでいるギリギリの状態だということです。

中野: なるほど,分かり易い言葉ですね。

甲村: 七割方ダメだと思ったときが半々のいい勝負という理由は,当方の状況はよく分かるが相手方の状況,あるいは自然現象については,当方からは分からない部分がいっぱいある。するとついつい人間は,当方の状況,特に悪い状況は分るから,もうダメだ,相手はもっと強いだろうと思ってギブアップしたくなる。でも相手も困っている訳だから,どこかに落としどころがあるはずだ。七割ダメかと思ったときは,後からみたらそこが半々であって,そこで諦めてはいけないという教訓。まさにブルース・ウィリスの「Die Hard」,しぶといやっちゃなー,頑張れということ。逆に七割方上手く行った時にも,安心仕切ってはいけない。例えば,長良川の4山目のピークが終わった時にもう安心かと思った時に破堤した,洪水は平水位に戻るまで注意しておかなければならない。そういうものではないかと思います。時々,当方の状況も分からなくなる時や人もいますけど。

中野: そうですね。良いヒントになると思います。本日はありがとうございました。

(甲村謙友氏プロフィール)
昭和26年4月2日生
昭和49年3月 東京大学工学部卒業
4月 建設省入省
 山梨県土木部河川課治水係
51年4月 建設省中部地方建設局 木曽川上流工事事務所 開発調査課開発計画係長
53年10月 建設省河川局 開発課管理係長
54年4月 〃 計画調査係長
56年4月 建設省北陸地方建設局 千曲川工事事務所調査課長
58年4月 〃 信濃川下流工事事務所調査設計課長
59年10月 建設省北陸地方建設局 河川部河川管理課長
60年7月 〃 河川部河川計画課長
61年4月 建設省河川局 都市河川室課長補佐
63年10月 建設省関東地方建設局 荒川下流工事事務所長
平成4年4月 〃 企画部企画調査官
6年7月 建設省河川局治水課 沿川整備対策官
9年9月 建設省道路局地方道課 市町村道室長
10年11月 徳島県土木部長
13年4月 徳島県県土整備部長
8月 国土交通省河川局 河川計画課長
15年7月 〃 土地・水資源局 水資源部長
16年7月 環境省環境管理局水環境部長
17年8月 国土交通省中国地方整備局長
20年1月 〃 河川局長
21年7月 〃 技監
23年1月 辞職
2月 ADP研個人事業主
10月 独立行政法人水資源機構理事長
30年3月 任期満了退職
7月 一般財団法人ダム技術センター顧問

[関連ダム]  長安口ダム(再)  早明浦ダム  日吉ダム  小石原川ダム  江川ダム  寺内ダム  川上ダム  日吉ダム  牧尾ダム(再)
(2019年9月作成)
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  [テ] ダムインタビュー(76)山岸俊之さんに聞く「構造令は,ダム技術と法律の関係を理解するのに大いに役に立ちました」
  [テ] ダムインタビュー(77)毛涯卓郎さんに聞く「ダムを造る人達はその地域を最も愛する人達」
  [テ] ダムインタビュー(78)橋本コ昭氏に聞く「水は土地への従属性が非常に強い,それを利用させていただくという立場にいないと成り立たない」
  [テ] ダムインタビュー(79)藤野陽三先生に聞く「無駄と余裕は紙一重,必要な無駄を持つことで,社会として余裕が生まれると思います」
  [テ] ダムインタビュー(80)三本木健治さんに聞く「国土が法令を作り,法令が国土を作る −法律職としてのダムとの関わり−」
  [テ] ダムインタビュー(81)堀 和夫さんに聞く「問題があれば一人でしまいこまずに,記録を共有してお互いに相談し合う社会になってほしい」
  [テ] ダムインタビュー(82)佐藤信秋さんに聞く「国土を守っていくために, 良い資産,景観をしっかり残していくことが大事」
  [テ] ダムインタビュー(83)岡村 甫先生に聞く「教育は,人を育てるのではなく,人が育つことを助けることである」
  [テ] ダムインタビュー(84)原田讓二さんに聞く「体験して失敗を克復し, 自分の言葉で語れる技術を身につけてほしい」
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