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ダムインタビュー(92)
渡辺和足氏に聞く
「気象の凶暴化に対応して,既設ダムの有効活用, 再開発と合わせて新規ダムの議論も恐れずに」

 渡辺 和足(わたなべ わたる)さんは,大学卒業後,建設省に入省されます。昭和47年に中部地方建設局河川計画課を振り出しに河川関連の部署を歴任されます。51年に関東地方建設局企画課へ従事されてからは,建設専門官,河川調整課長,河川計画課長,という経験をされます。60年本省河川局開発課長補佐として戻られ,63年には(財)ダム水源地環境整備センターの調査二部次長として出向されます。その後,京浜工事事務所長を経て,本省に戻られ,さらに利根川上流工事事務所長,常陸工事事務所長を歴任され,本省や関東地方の河川土木の分野で数多くの成果を残されてきました。平成17年に国土交通省河川局長に就任された後,平成18(2008)年に国土交通省を退職されますが,その後は(財)ダム水源地環境整備センターの理事長に就任され,平成27年に辞任されるまでの10年を財団トップとして勤められ,現在,株式会社奧村組の副社長をされておられます。


 今回は,八ッ場ダムをはじめとする関東地方の河川業務を統括されてこられた土木技術者として,さらには河川・土木に関する多彩な経験から,国土開発を担う若手技術者にエールを贈って頂きます。
(インタビュー:中野、写真・文・編集:事務局)

学生時代は

中野: 土木の世界に入ろうと思われたきっかけは何ですか?子供の頃から何か大きな構造物を造りたいとか思われていたのですか?

渡辺: 土木というよりもまず理系の勉強が好きというのが最初だと思います。小さい時から理系人間でした。だから,大学にしても理系に進むだろうと思っていました。ただよく考えてみると文系の方の素養があったかもしれません。というのは,文章を書くのは割と苦ではないし,推敲したりするのが実は好きです。一度書いては直す。仕事でも,読みにくい文章を見せられたりすると自分で直していますね(笑)。

中野: そうですか。

渡辺: 小さい頃は,漠然と社会の役にたつ仕事をしたいと思っていました。当然理系で,しかも白衣を着て実験をしている研究職というようなのに憧れていまして,身体を動かして働くよりはどっちか言うと頭を使って研究をする方が良いと思い込んでいたのですね。

中野: なるほど,研究をされたくて東大に入られたということでしょうか。

渡辺: 実はあまり東大,東大とは思ってなかったのですが。生まれが東京で,小,中,高と東京。だから大学も卒業まで全部,自宅から通ったということです。

中野: 渡辺さんは柔道二段でいらしゃるのですね。

渡辺: 高校3年生で二段,その後昇段して三段になりました。でも大学では柔道部に入らず,水道橋の講道館に通って練習をしていました。国立大学の場合,入学して初めて柔道をやるというようなメンバーも多くいるので,私学の強豪校に勝てるようになるには,寝技に持ち込むのが有利という考えで,当時は東大柔道の方針としては徹底して寝技を仕込む部だったのです。私は,どちらかというと立ち技中心でやりたかったので,入部は諦めて講道館に行って柔道を練習するということにしたのです。

中野: 自分のやりたい柔道と部の練習方針が違ったのですね。

渡辺: 最初,柔道部に見学に行って体験練習をしたらまず寝転ぶので,これは自分には合わないなと思ってしまったのです。寝技中心だと,自分の性格や特徴が生かせないと思い,立ち技中心でやりたかったのです。

中野: 華麗に投げる本格派の柔道ですね。

渡辺: そういうつもりではありませんが,若かったので格好を付けていただけだと思います。でも学外でやってみて良かった事は,ものすごい達人とも一緒に練習ができたということですね。本当に強いという人の技を体験したというのが一番良かった。東京オリンピックで中量級の80kgで金メダルを取った岡野功さんという方がおられます。この方は,100kg以上の選手がごろごろいる無差別級で日本一を決める全日本柔道選手権大会で2度チャンピオンになっている実力派です。私は,彼がまだ20代半ばの最も強い時期に講道館で教えて頂くことが出来ました。他の全日本クラスの選手と組んだ場合,私が相手を投げることはほとんどなくて1分間に1度は投げられる感じです。でも岡野さんだと,まったく立っていられない。組むとすぐに投げられるという,その連続でした。そういう達人の技を体験出来たということは,自分のその後の人生において大変な糧になるということをこの時に身をもって体験しました。

中野: 講道館には毎日通われたのですか?

渡辺: 週に2,3回です。教養学部は駒場ですが,私は足立区に住んでいたので渋谷経由で,山手線を使っていたのですが,お茶の水経由で定期を買って水道橋でおりられるような工夫をしました。結局,講道館に通っているうちに昇段試験を受けて三段を頂くことができました。柔道にのめり込んでクラブ活動ではなく講道館に通っていたので,結果として土木進学という希望の学科に進級できたのは正解だったのかも知れません。

中野: なるほど,東大は教養学部の終わりに進級コースに振り分けられるそうですが,そこで土木に進まれたのですね。以前インタビューで門松さんも高校時代から野球にのめり込んで農学部から学部3年の時に土木に入り直されて野球を続けられたとお聞きしました。高校時代からされていて大学でも続けられたことは,熱中型ということですね。ところで,土木のどういうところに魅力を感じられたのでしょうか。

渡辺: 格好良く言えば,自然を相手に人の暮らしを豊かにしたり便利にしたりする仕事だということ,そういう土木の仕事の目的に魅力を感じました。大きな橋やトンネルのようにダイナミックな構造物というものにも惹かれました。ただ,そういう土木の世界に入る前に,役所に入ろうと,つまり建設省に行って役人になるつもりで土木学科を選びました。そういうと何か動機が不純なようであまり言いたくなかったのですが…(笑)。


土木技術を生かせる建設省へ

中野: 就職先に建設省を選ばれた理由をお聞かせください。

渡辺: 土木構造物を造る仕事というのは,まず発注者と施工者という分け方があります。別の言い方をすると計画サイドと施工サイド。その発注者の計画サイドの仕事をしたかったのです。そういう関係では,建設省のほかにも,地方自治体や国鉄,道路公団等がありますが,一番の大もとは建設省と思って,それで建設省に行こうと思ったのです。最近の若い人は商社などに就職する方も多いと聞いていますが,出来るだけ土木技術を生かせる仕事についてもらいたいと思っています。

最初の現場の経験は

中野: 最初,どういう部署に配属されたのですか?

渡辺: 先程言いましたが私は小学校から大学まで東京でしたから,できれば関東に配属をと希望したのですが,なかなか希望通りにはいきませんで最初の勤務地は中部地建でした。

中野: なるほど,それで名古屋に行かれたのですね。現場の庄内川の工事事務所に行かれて,そこではどのようなお仕事をされたのですか?

渡辺: 庄内川は昭和44年に1級水系になりました。私が建設省に入ったのが昭和47年ですから,その時点でまだ3年ぐらいしか経っていなくて工事基本計画が出来ていませんでした。基本高水や計画流量を幾らにするということも決まってない状態でした。そのためいろいろな検討をしていた最中です。私は調査課に入ったので,この計画高水流量や洪水処理施設を検討する計算を行いました。

中野: そうなんですね。

渡辺: それと,この時代,流域の都市化で流出がふえるという話があり,庄内川では流出試験地というのを行なっていました。田んぼのあるような地域が都市化してくるとどう変わるかというようなことを調べていたのですが,庄内川だけは,都市化した流域と,都市化途上の流域,まだ未開発の流域,この3つの地域に対して,それぞれ流出量を測って比較をやっていた覚えがあります。当時,計算機にかけるプログラムが紙のカードで,データは紙テープ。紙テープが破れると,それを張り直しながら,穴がつぶれないようにきれいに直さなくてはいけなくて管理が大変だったという思い出があります。

中野: 新人時代にそういうお仕事をされていた訳ですね。

渡辺: 今の人には全く想像もつかないような時代でしょうが。

印象に残る上司は

中野: 庄内川の工事事務所で,最初の上司はどういう方でしたか?

渡辺: 最初の上司は和里田義雄さんで,真面目な紳士な方でした。3ヵ月くらいしか一緒にいませんでしたが,名古屋で初めて独り暮らしになったので,自宅にご招待頂いたり,大変お世話になりました。その後,転勤先で何度も一緒になり,思い出深い上司だと思います。

中野: 庄内川の後は京浜工事事務所に行かれるのですね。

渡辺: 京浜工事事務所の時に私は調査課長になったのですが,この時が役所に入って6年目でしたが,普通,課長になるのは8年目くらいのなのですごく早かったですね。その時の上司である所長が,岩井國臣さんでした。後に参議院議員になられますが,その岩井さんが本省の局長になったときに,私はその下で治水課の沿川整備対策官という管理職になったので,そういう意味も含めていろいろお世話になりました。さらにお世話になったのは近藤徹さんです。仕事はもちろん,生活面だとかの事もありますが,近藤徹さんが最も印象深い上司と言っても良いと思います。

様々なテーマで指導頂いた

中野: 近藤さんとの仕事の印象をお聞かせ下さい。

渡辺: 当時,近藤さんは河川局の政策をリードされていて,鶴見川の総合治水対策,多摩川の環境管理計画,スーパー堤防,流水保全水路といって,上流のきれいな水を下流に直接もってきて,水道にいい水をもってくるなど,近藤さんのアイデアでした。具体的な個別のテーマとしては,首都圏外郭放水路。これはつい最近,大活躍してその存在が海外のメディアにも知られるようになりました。それから,鶴見川の大規模浚渫。住宅公団から資金を借りて,ポンプ浚渫をして大黒埠頭まで持っていってというような浚渫を行いました。これも近藤さんの時です。長良川河口堰問題の対処とか,多摩川の水害訴訟。私も各テーマで実践部隊として近藤さんにご指導頂きました。これらの案件にかなり関わらせて頂きました。

中野: 以前,近藤さんのインタビューで伺った地名が全部出てきましたね。

渡辺: 近藤さんはいろいろな人と関っているから,直接私の名前は出て来なかったかもしれませんが,私から言うと,やっぱり近藤さんの名前が一番に出て来るのです。

記憶に残る現場は

中野: なるほど,ご苦労もあったと思いますが,大きな成果もありましたね。記憶に残る現場をお聞かせ下さい。

渡辺: 私は,最初の4年間こそ,名古屋と広島と地方に行ったのですが,それ以外はほとんど関東地建と本省を行ったり来たりで,関東の仕事をいろいろな場面で同じ仕事に何度も関わりました。まず鶴見川の総合治水対策は京浜事務所の時に調査課長として,鶴見川水防災計画委員会の報告書の刊行時に関わりました。その後,関東地建の本局で鶴見川,中川,新河岸川の総合治水整備計画の策定に関与しました。事業として印象深いのが,鶴見川の多目的遊水地事業です。鶴見川の工事実施基本計画では,2 300m3/sのうち500m3/sを放水路または遊水地で処理するという計画になっていたのですが,新横浜駅に近い,市街化調整区域で120haぐらいの農地が残っていました。そこが適地として選ばれたのですが,放っておくと公共施設を中心に土地利用が進みそうでしたから,早目に計画を立てようということで,岩井事務所長のご指導の下500m3/sのうち300m3/sの処理を遊水地で確保するという計画を作成しました。

鶴見川の多目的遊水地事業の地図(提供:国土交通省 関東地方整備局 京浜河川事務所)
中野: そうですね,都市化すれば遊水池に適した土地がなくなってしまう。

渡辺: 地図をみると,ここに白くなっているところがあります。本来,ここは遊水地にしようと思っていたところですが,先行して横浜市が買い上げて労災病院を建設しました。先に買っているので遊水地にならなかった例ですが,他のところもそうなる可能性があるというので,残された土地で遊水地を計画しました。

中野: なるほど,それは大変なことですね。最初から計画しておかないと,適地がなくなってしまいますからね。先に都市化が進んでしまうと治水計画が滞ることになり,水害の危険性が高くなってしまう。

渡辺: そうですね。当時,日本でサッカーのワールドカップを開くことがまだ決まってなかったタイミングでしたが,横浜市は将来的にワールドカップを誘致できるような競技場を造りたいと思っていました。実は遊水地の中に競技場があるのです。下がピロティーになっていて駐車場として使用していますが,そこはスタジアム周辺が浸水すると水に浸かるのです。多目的遊水地として,スタジアム開発と一緒に鶴見川の遊水地事業と共同事業として実施しました。

中野: 全然知らなかったです。

渡辺: 私が調査課長の時に,そういう計画を立てたのですが,後に所長として戻って来た時にもまだ用地が買えない状態でした。将来の土地利用に期待があったからだと思います。そういう状態で用地買収をやってもなかなか買収できないので,少しだけ予算を積み上げました。バブルがはじけ始めたこともあり結果として用地買収が出来て,計画が進みました。もしそのまま放っておいたらどうなっただろうと思いますね。まだ出来ていなかったかも知れません。

中野: 結果として,横浜でサッカーのワールドカップの試合が出来た。

渡辺: そうですね。横浜国際総合競技場は平成9年に完成して,平成14年のワールドカップの決勝会場として使用されました。治水施設としての遊水地は,私が関東地方整備局長の時に運用開始になりました。調査課長として何もないところから計画をして,用地買収にかかわって,最後は完成を迎え竣工式まで携わることが出来ました。これは,同じ地域にずっと居ないと,そういう仕事を出来ません。調査課長から始まり,所長で関わって,最後に局長で締めくくれたということだからです,その間,全部計画に絡むことができ,技術者として素直に嬉しい経験です。

首都圏外郭放水路事業に


首都圏外郭放水路 調圧水槽(提供:国土交通省 江戸川河川事務所)
中野: まさに記憶に残る現場ですね。そういう経験が出来る人は多くないですから。次に地下神殿と言われている,首都圏外郭放水路のお話をぜひお聞きしたいと思います。これは平成の時代ですね。

渡辺: 私が河川局治水課に着任した平成4年に事業費として予算がつきました。建設専門官として行った年に初年度90億円という大きな予算がつき,河川局あげて力を入れて,なんとかして,発注までこぎつける必要がありました。平成4年1月から進めて,平成5年3月末までに発注したい。そのために何をどうするかの手順から考えました。当時は,国道16号線の下を通すという案そのものは決まっていたのですが,実際,どれだけの深さで,どんなふうに通すのかということは全然決まっていなかったのです。それを具体化するにも,まずは道路局の理解がないと出来ません。それで道路局中心で案を練って貰おうと考え,道路局の方に委員長をお願いし,私が副委員長になり道路局と河川局の共同委員会を立ち上げました。

中野: そのおかげで今は無事完成して水害防止に役立っていますね。

渡辺: それは嬉しいです。以前に道路の下に放水路を建設した時のこと,結構浅く造ったので後から道路の下にライフラインを通そうとして苦労したことがあったそうです。ですから,今回の案としては,とにかく出来るだけ深い場所にという方針で考えました。実際50〜60mはあると思いますが,それだけ深くして電気ガス水道のライフラインはもちろん,将来の道路の様々な可能性に配慮しました。河川局としては中川流域の低地の浸水防御が待ったなしですので,道路サイドの協力に感謝しているところです。結局のところいろいろありましたが翌年の年度末までの発注にこぎつけました。

中野: なるほど。実現させるために頑張ったということですね。

渡辺: 実際問題としては,江戸川工事事務所の小川所長に,計画のオーソライズが必要だから都市計画決定をお願いしたのです。とにかく年度末までに発注したいのでその前にということで平成5年1月には都市計画の決定を貰え,年度末に着工することができました。

中野: それはすごいことですね。

渡辺: 実施計画を立てると共に環境整備をしながら,全てを1年ちょっとの間に実施しました。それが出来ていなければ,外郭放水路の完成は遅れていたかもしれません。

中野: 見学者もたくさんいて,実際に豪雨に対してちゃんと対応出来たという評価があったということは,本当に良かったですね。

渡辺: 今になって実際に役立っているのを見ると,鶴見川の遊水地と外郭放水路は,やって良かったという仕事だと自分でも思います。どちらも全く何もない状態から担当者の時に手掛けて,関東地建の局長になった平成14年時に部分供用出来て,そして本省の河川局長になった18年に全面供用になった。それこそ,影も形もないところから出来上がって供用するまで,多くの人と一緒になって自分でも関わることができたということです。

中野: いろいろな巡り合わせがあって,その時々の努力があったからこそ実現出来たのでしょうね。

渡辺: 関東地建でもこうした経緯を知っている人は数える程です。だからそういう人は本物の関東地建OBと言えると思います。

河川行政に関わって

中野: 確かにそうですね。そして河川との関わりがすごく長いということで,河川行政について思うことをお聞かせください。

渡辺: 道路の場合は,毎日毎日使うということで,私が関東地方整備局長の時には,地元の要望の8割ぐらいは道路の案件でした。河川の場合は,毎日毎日ではないので,いざというときは大変に重要な役割を果たすのですが,日常的でないところにはなかなか理解が得られにくいのです。そういう意味では,河川の役割が理解されにくいということを分かった上で,普段から住民の皆さんにどういうツールを使って,どのように情報提供をするのかを考える必要があるのではないかと思っていました。

中野: 情報提供するにはどうしたらいいのでしょうか。

渡辺: 河川は日常的な存在としては,都会における自然そのものだと思います。河川の魅力は何かといったら水と緑です。日本の三名園は全部に池と緑があります。偕楽園にしても,後楽園にしても,兼六園にしても,みんな真ん中に池がある。周辺の緑とあいまって非常に美しい景観をつくり出しています。河川は水と緑が自然にある訳ですから,そこをどううまく生かしていくかが大事です。それを踏まえて,洪水に対しても理解を得るということが大事ではないかと思いますね。

ダムとの関わりは


下久保ダム(撮影:琉)

中野: 確かに川の魅力というのは,そういうものですね。仕事に携われたなかでダムとの関わりについてお聞きしたいのですが。

渡辺: 私は,最初に中部地建で庄内川を担当しました。次に広島県庁に出向して1年間河川課にいたのですが,次の1年は現場に出させて欲しいとお願いしました。出向は2年だから,1年は河川課で1年は現場を希望したところ,魚切ダム建設事業所に出してくれたのです。ダムという名前がついているのですが,実際にはダム本体に関する仕事はほとんどなくて,付け替え道路の建設中でした。一応,現場としてはダムという名前のつく事業所でした。

中野: ダム現場に関わるのはいつ頃ですか。

渡辺: 関東地建に戻ってからも直接ダムそのものには関わった仕事はなかったと思います。河川調整課長の時,当時の水公団の窓口になっていたので,水公団の思川開発で南摩ダムの計画がありました。大谷川から水を引いて南摩ダムに溜める予定だったので,今市市の方に理解してもらわなくてはならないということで,今市市にはよく行っていました。河川計画課長になってからは,ダム事業の中心は八ッ場ダムに移りました。当時はまだ地元の理解が得られていないため,八ッ場ダム事務所長さん,群馬県の水資源課長さんと打ち合わせをしながら地元の理解を得られるよう努力していました。

中野: 地元交渉が多かったのですね。次に本省の河川局開発課の補佐として本格的にダムに関わられたのでしょうか。

渡辺: ダムとの関わりでいうと鬼怒川の川治ダムがちょうど完成に近い時期でしたし,あと湯西川ダムも事業推進をしていた。川治ダムの完成式には計画課長の時に行っています。それから湯西川ダムも,地元の栗山村の村長さんとはしょっちゅうやりとりしていましたね。

中野: 計画案の作成とかでしょうか。

渡辺: 計画案の作成というか,ダム事業を進めるための方策として,いかに理解を得られるかということですね。湯西川ダムはまだこれから事業計画に入るという時で,地元の村長さんとやりとりしていました。

中野: 関東にはすでに沢山ダムがあるのでいらないとか言われますが,決してそういうことではないので,地元との関係も大切ですね。

渡辺: これは個人的な考えですが,利根川,まだ主要な支川にはそれぞれダムが必要だと思っています。鬼怒川は現在4つのダムがあります。神流川に下久保ダムがありますが烏川にないですね。この烏川という川はかなり大きい。だから烏川の流域をダムに限らず何らかの形でカバーすることが必要かという感じがしています。昔とは雨の降り方も変ってきていますからね。

ダムの二つの新しい制度に関わる

中野: 次に本省開発課の課長補佐時代に関わられた事業,渇水対策ダム事業のお話をお聞きかせ下さい。利水の安全度についてはいかがでしょうか。

渡辺: 利水の安全度というのは,大体5年に一度とか,10年に一度とかと言う計画安全度ですが,それはダムの容量を全部使い切った時に,5分の1や10分の1の安全度があるということを言います。だが,実際に全部使い切ってしまうと,それより大きな渇水が来た時にはダムが全く役に立たくなってしまうので,今現在の実際の運用としては,容量が半分ぐらいになったら1割カット,2割カットすることで渇水調整をするのです。それはどういうことかというと,1割カット,2割カットする時には,まだ1分の1とか2分の1しか安全度がないという状況なのです。5分の1,10分の1の安全度を保つためにどうしたらいいかというと,使い切った後に渇水調節する時の容量が別に要るのです。すると,5分の1,10分の1の安全度が確保出来る。要は,ダム計画の中で,利水の計画容量を全部使い切れるように,新たな渇水のための容量を確保したいという理由で,渇水対策ダムというものを計画していたのです。

中野: 渡辺さんが計画されたのですね。

渡辺: 私がしたというか,当時の専門官と一緒に考えました。もともと専門官からのアイデアだったのですが,私の方でどういう計画論にすればいいのかを考えて,関東のダムの実際の例を参考にしながら計算して,こういう計画論でいけばいいんじゃないかということをやりました。実際,最初のアイデアは荒井専門官です。

中野: 荒井治さんですね。

渡辺: 最初のアイデアは荒井さんです。それを具体的に計画論にしたのが課長補佐の時代です。それからもう1つ,地域生活防災ダムの事業があります。これは当時,あちこちで規模の小さいダムに対する要望が結構強くあったのです。ただ,ダムというのは1ダムごとに1事業というふうに決められていて,採択するのも何についても全部1事業ということなので,小さいダムをまとめて幾つも採択できれば良いのですが,それがなかなか出来ないという状況にありました。そこで,地域生活防災ダムという1つのダム名で,いろんなダムをまとめて一事業として計上したらどうかということで,当時の大蔵省に要求して認めてもらいました。

関東地方建設局で取り組んだこと

中野: なるほど,個別だと小さい規模だから,まとめて事業を1つにされたのですね。その後,関東地方建設局で京浜工事事務所長をされますが,多摩川と鶴見川と相模川の3河川,この辺のお仕事について,ご苦労されたこととかをお聞きしたいと思います。

渡辺: 多摩川の場合は環境問題,鶴見川の場合は治水の問題,相模川の場合は堤外民地の問題と,いくつか解決すべき問題がありました。そのうちの1つ,相模川の堤外民地とはどういうことかをお話します。これは,平塚辺りの相模川の無堤部,つまり川の中に民有地があって,大雨の際にはとても危険なので,早急に何か手を打たないと問題だということがありました。それで平塚市と一緒になって考えました。実際には,河川区域の中にあった将来堤内地になる土地と,平塚市が手当てしてくれる堤防の中の土地を,等価で交換するという形で話がつきました。

中野: なるほど,幅広いお仕事をされていたのですね。

渡良瀬遊水地の問題に

中野: 関東建設局で,次に所長をされた利根川上流事務所ではどのようなことに携わられたのでしょか。

渡辺: 渡良瀬遊水地の問題に取り組みました。渡良瀬遊水地には2つ問題があって,1つは治水面で,河床低下してしまっているので,かなり大きな洪水でないと越流堤の高さから洪水が入らないという事。もう1つは,遊水地の水質悪化の問題が非常に大きくなっているという環境問題です。その辺をどうにか解決しなければいけないということで,治水面では渡良瀬遊水地の越流堤を切り欠いて,中規模の洪水でも水が入るようにする。その代わり大洪水の時に容量がパンクしてはいけないから,大きな洪水でも大丈夫なように切り欠くということを目標として,第1調整池で今まで出来ていた越流堤を部分的に切り欠いて高さを低くしたのです。それから第2調整池が施工中だったので,初めから2段越流堤にしました。要は,下流で溢れそうになっているのに,渡良瀬遊水池に水が全く入って来ないという状況になっていたから,それを是正したのです。




中野: 遊水池だから,水が入らないと意味がないのですね。

渡辺: 当時は排水門を開けて水を入れていました。でも,それではもともとの計画論と実態が違ってくるのではないかということで越流堤の切り欠きを行なったのです。

中野: それで結果的に問題点の改善が出来たということですね。それから次が常陸工事事務所長。
渡辺: 常陸では那珂川の堤防計画ですね。那珂川では将来,堤防が出来るところにホテルがあったのですが,最初は河川予定地にせずに,ホテルにお願いして,将来,堤防を造る時には土地を譲っていただく約束をしていたのですが,具体化するに当たり,実際にホテルに立ち退いてもらうような交渉をしなくてはならず,およそ1年の間でホテルの了解を取り付けました。こういう内容で,補償内容はこれでいいですかと細かく詰めました。

中野: 関東地方建設局の3事務所長時代は,短期間にいろいろな難題に挑戦されたのですね。

水源地センターの理事長として

中野: 国土交通省を退官されてから水源地センターの理事長になられますが,印象に残った事をお聞かせください。

渡辺: 私は,WECの発足当時,開発課長補佐から出向してWECの次長として勤務していた経験があったので,改めて理事長として行った時には昔と違い,仕事の取組みががらりと変っていたのです。

中野: その間に政権交代とかがありましたね。

渡辺: 昔は,公益法人といったら,公益的な仕事をするのだからいろんな意味で優遇をされていました。ところが公益法人という名前のもとに何か悪いことばっかりしているのではないかという話になって,公益法人に対するいろいろなバッシングが起きました。政権交代の後は,八ッ場ダムが事業中止に追い込まれ,この時八ッ場ダムの環境問題と検討していたWECも事業仕分けの対象になり,とても大変でした。最終的にはWECの存続が決まり胸をなでおろしたところです。

中野: 具体的にはどのように対応されたのですか?

渡辺: シンクタンクでは力仕事はやらないのです。力仕事になりそうなところは,基本的にはコンサルさんにお願いして,プロジェクトのマネジメントとか方向性を決める部分をWECでやるという方向だったはずなのですが,公益法人改革の中で,3分の1以上外注するということは丸投げではないか,自分でやらないで丸投げしているのが現状じゃないかというような話になって,外注率を3分の1以下に抑えなさいという話になりました。実際には,仕事のやり方からというと,そんなやり方をしたのではコンサルさんと一緒にやれないのですけどね。

中野: そうなんですね。

渡辺: そこをどう改革するかということ。1つには,JVを組むことによって,WECが頭になるけれども,実質的には3割でなくもっとコンサルさんの持ち分を多く出来るのではないかと考えました。つまりWECから発注する形式じゃなくて,JV形式にすることによって,お互いの持ち分比率を適正にしようという格好にしたのですね。

中野: なるほど,ご苦労されたのですね。仕事のやり方を変えていこうとして。それにダム水源地センターという名称も変更されましたね。


水源地生態技術研究会議の先生方と(提供:渡辺和足氏)
渡辺: ええ,もともとダム水源地環境整備センターという名称でした。英語の名称は,Water Resources Environment Technology Center。だからダムという言葉は含まれていないのです。Water Resourcesだから,水資源のようなニュアンスです。そこからWECという略称になりました。WECとしては新しい制度に変える時に名称から「ダム」を取り,「整備」というのも人工的な印象があるので,「水源地環境センター」と名前を変えました。英語名称は,Technologyを取ってWater Resources Environment Center。もともと略称のWECにはTが入ってないので,そのままWECを使えるということもあって,Water Resources Environment Centerに英語名称をした上で水源地環境センターに名前を変えたのです。

中野: なるほど,名称変更はそういう理由だったのですね。それから一般法人になり,今に続くと。今後,どのような活動をされるのでしょうか。

渡辺: 私はすでにWECを離れた人間ですので,事業展開やこれからの目標といったところに言及するのは遠慮したいと思います。ただ発注者側からもコンサル側からも必要とされる存在でいて欲しいとは願っています。発注を得るには民間のコンサルさんも含めて競争関係になるのは仕方がないにしても,出来うる限りJV方式を活用していくのが望ましいのではないかと考えます。新規のダム事業が出てこない中,今後ダムに求められるのは,既存のダムが有する能力を最大限に活かすための施策が重要だと思いますので,これを実現出来るようにいろいろな方と連携していって欲しいです。

我が国の河川行政について

中野: 我が国の河川行政について少しお聞きしたいと思います。最近は,全国で頻繁に豪雨被害があり,至る所で河川の氾濫や土砂崩れが起きてしまっています。すぐにも適切な対策を取りたいところですが,予算の関係もあって難しい状況だと思います。短期的,中長期的にはどのような対策を取るべきでしょうか?

渡辺: 短期的にはまずは当面すぐに取るべき対応があると思います。そして中長期的に取るべき対応については,さらにいろいろ考えられますが,当面は現在の施設を最大限に活用するということに尽きると思います。ダムでいうと流量調節機能をその時の気象状況にあわせて最大限に活用することです。相当な雨量が予想され異常洪水対応操作が必要となると見込まれる場合には,事前に予備放流をしたり,初期の放流量を増やしたりすれば,最大放流量を少なくすることが出来る可能性もあるからです。ただ豪雨時に人工的に調節出来るにしても,操作ミスによる災害が発生した場合は管理者の責任が問われることとなるので,そこはどうしても慎重な操作,規則通りの操作がなされる傾向にあります。そういう場合に,ダムの管理者が自信を持って操作できるように,異常洪水についての判断基準の明確化や,今以上に弾力的に異常洪水時操作法を行えるようにルール化されることが不可欠だと思います。

 もう一つ,河川堤防で言えば,被害の起きやすい場所の把握と被害を最小化する対応策が大切だと考えます。今回,多くの場所で被害が起きた支川の合流地点や本川バック区間の支川堤防といった部分の補強策などが重要だと。さらに,堤防天端から越流して水が溢れてしまっても,破堤につながらないようねばり強い堤防にするという工夫が求められます。

中野: ダムの操作については,どうしても一般の方からは理解し難いところですから,どうしても失敗するとダム管理者が非難されてしまいますね,そこをより明確なルールを設けることで,今より効果が目に見えやすいようになると良いですね。



渡辺: これまで,ダムが一番効果的な機能を発揮するにはどんな操作の仕方をすればいいのかというのは,洪水が終わった後に解ることが多くて,活用するところまで至っていないというのが現状です。

中野: 確かに。

渡辺: ですから,単体よりも水系によって広域連携が可能なように,機動的な運用の仕方を考えていくというようなことが大事です。まだまだ工夫しなければならないことがたくさんありますね。
ダムの将来について

中野: 我が国には数多くのダムがあるという事を踏まえて,考えていかないといけないですね。

渡辺: ダムの連携について言えば,発電ダムは結構水を貯めやすい場所に造られているケースが多いのです。だから,発電ダムとうまくタイアップして洪水調節の仕方を工夫するとかね。事前放流する際のルール作りも含めて,具体策を考えないといけないですね。本川で一番いいところを発電ダムが押さえているというケースは結構あると思いますよ。

中野: そうですね。発電容量が必要なので,かなり水を溜めますからね。

渡辺: だから,洪水に備えて発電ダムと有機的なタイアップを可能にすることは急務で,非常に大事ではないかなと思います。

中長期的な課題について

中野: そうですね。中長期の課題についてはいかがでしょうか?

渡辺: 一つには,最近目に見えて増えている,今までにない雨の降り方への対応です。線状降水帯という言葉もよく耳にするようになりましたが,かつてこのような雨の降り方は頻繁に起きるものじゃなかった。従って,こうした降雨の凶暴化への対応策を考えていくことが重要だと思います。全国の河川に対する整備の基本方針については一巡し,ほぼ全部の河川について整備計画が策定された訳ですが,すでにこの計画値を大幅に上回る降雨が何度も発生しています。なので,こうした現状に応じて計画を見直すことが急務ですが,さらに重要なのは,まだ起きていないけれども,これから起こりうる事象についての対応,危機管理対応が最も重要ではないかと考えます。あと堤防については,越流しても破堤まで至らないような工夫,何かコーティングするような策が必要かと。最近,大きな被害が起きたケースは,だいたいが破堤しているから。なので,水が溢れることがあっても,破堤さえしなければ壊滅的な被害には至りません。ぜひ早急に取り組むべき課題です。

中野: なるほど。危機管理として改めて河川計画を見直すということですね。

渡辺: 先程,触れた発電ダムについてもそうですが,昔に造ったダムは最適立地にありながら,規模が小さいと言えます。ですから新設のダム事業が難しくなる中で,既存ダムの再開発を行なって嵩上げや容量の振替えという活用策を出来るだけ早く具体化していくことが大切だと思います。今日のような気象の凶暴化に対応しては既設ダムの有効活用,再開発と合わせて,新規ダムの議論も恐れずにすべきではないかと思います。
若手技術者に望むこと

中野: 建設省やWECといった組織の中での経験を踏まえ,若手技術者に対してのメッセージがあればぜひお聞きかせ下さい。

渡辺: こうして欲しいというのではなくて,ぜひ一度考えてみて欲しいのは,土木のあり方についてです。土木はよく建築と並び称されるのですが,土木と建築の一番の違いは何かというと,建築の場合は個人が見えるのです。土木の場合は組織で,個人がなかなか見えてこない。昔,明石海峡大橋が完成した時に,テレビで流れた「日本の建築技術の粋をみる思いです」というアナウンサーの言葉は衝撃でした。要は,デザイン的なものをやるのが建築であって,土木にはそういうデザイン的なものはないみたいな感じで解説されていたので,愕然としました。昔の人でいうと,例えば,近代日本の土木技術の幕開けは,お雇い外国人のデ・レーケとかファン・ドールンとか,日本人でも青山士や八田與一であるとか個人が脚光を浴びる例があったのです。ところが,今はほとんど脚光を浴びることがないですよね。だから仕事の仕方として,土木は個人が脚光を浴びるようなやり方をしてもいいのではないかという感じはします。

中野: 確かに。最近になって八田さんの烏山頭ダムは再び脚光を浴びたりしていますしね。

渡辺: 建築の場合は,構造物としての強度等の設計論と意匠等のデザイン論を比較するとデザイン論に重きがあって一般の人にも目に見えて分かり易いと思います。土木の場合はやはり構造物の強度等の設計論に重きがあって,見え難いというところがなんと言うか,土木らしいとどうしても地震や洪水等の自然災害に備えるという土木の宿命としてはやむを得ないところでもあります。ただ,そういう中でもいわゆる機能美については,もっと追求しても良いのではないかと思いますね。これから土木を目指す若い人には,ぜひそうしたところにも挑戦して欲しいです。

中野: 今日はいろいろなお話をお聞かせ頂きありがとうございました。とても幅広くて土木の魅力がよく分かった感じです。ぜひこれからは土木の世界も名前が語られるようになると良いですね。

渡辺和足氏 プロフィール
昭和47年5月 中部地方建設局河川計画課 調査係
7月 庄内川工事事務所 調査課
49年4月 広島県土木建築部河川課 技師
50年4月 廿日市土木魚切ダム建設事業所
51年4月 関東地方建設局企画課 企画係長
52年8月 関東地方建設局京浜工事事務所 調査課長
55年4月 関東地方建設局河川計画課 建設専門官(調査担当)
57年7月 建設省河川調整課長
58年4月 建設省河川計画課長
60年4月 建設省河川局開発課課長補佐
63年1月 (財)ダム水源地環境整備センター 調査二部次長
平成2年4月 関東地方建設局 京浜工事事務所長
4年1月 建設省河川局治水課建設専門官
7月 同 沿川整備対策官
5年4月 官房政策企画官
7年4月 関東地方建設局利根川上流工事事務所長
8年4月 関東地方建設局常陸工事事務所長
9年4月 建設省大臣官房技術調査室長
11年4月 建設省河川局河川計画課長
13年7月 国土交通省水資源部長
14年7月 関東地方整備局長
17年8月 国土交通省河川局長
18年7月 退官
 (財)ダム水源地環境整備センター 審議役
10月 (財)ダム水源地環境整備センター 理事長
27年7月 (株)奥村組 副社長執行役員

(2023年5月作成)
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