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ダムインタビュー(67)
長谷川高士先生に聞く
『「保全工学」で、現在あるダム工学の体系をまとめ直したいと思っています』

 長谷川高士(はせがわ たかし)先生は、昭和35年3月に京都大学農業工学科を卒業され、その後大学院に進まれました。そして「ダムの沢田研」として名高い、沢田敏夫教授の講座で助手、助教授を務められ、後に沢田教授が京大総長に就任されるにあたり、京都大学農業土木系の第一講座である農業施設工学講座を引き継がれました。日頃は学生の指導にあたられるとともに農業系のアースダムロックフィルダムの構造に関わる研究に携わられ、農水省幹部職員や農業土木系コンサル、ゼネコン等の一線で活躍する人材を多数輩出。また数多くの卒業生の仲人を務められたことでも有名です。

 今回は、主に農水省所管の農業土木系のダムや水利用のあり方、今後の我が国の農業についての展望等、農業土木の最前線について、お話を伺います。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)



山と探検と学問を結びつけた先生

中野: まず先生が京大を受けようと思われたきっかけは何ですか?

長谷川: これは、まじめにお聞きいただくと困るような話で恐縮ですが…。私はもともと高等学校の時から山登りをしていましたが、高い山に登るよりは深い山をさまよい歩く感じでした。京都には北山といって、丹波高原に続く広い山岳地帯、標高は最高で930m程で高い山はないのですが、そういう所をさまよい歩くようなことをやっていました。高等学校に入るとすぐに山岳部に入り、勉強そっちのけで過ごしていましたが、高等学校の授業は毎日出ないといけないので、土曜日の朝リュックを担いで学校へ行き、終わるとすぐ山へ入り、土日を山で過ごして月曜の朝に帰ってきて直接学校に行きそのまま授業に出ていました。京都では旧制の一中から第三高等学校(後の京大)、京大と進み山と探検と学問を結びつけておられる先生方がおられました。私は高等学校の時から、そうした先生のご自宅にお邪魔するようなお付き合いをしておりましたので、高等学校の山岳部の延長で、たまたま京大に入ったようなものです。

京大では山岳部へ入ろうと

中野: すると山登りの人間関係がきっかけで京大に進学されたことですか。

長谷川: そうです。自然の植物とか山奥の村の人たちの生活とか、民俗学的な、或いは文化人類学的な研究を造り出されておられる先生が多かったのです。私は特に何をやろうと決めていた訳ではなく、京都大学へ行って、その先生方と一緒に仕事ができたらいいと思っていました。高等学校の時に、京都大学カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊が活躍され、映画にもなって随分世の中で喧伝され、物すごく刺激になりました。前出の先生方は我々学生たちと隔たりを感じさせず、お付き合いいただいていたので、私は勉強しないと大学へ入れないなんてことも全然頭になくて、とにかく京大に進学出来るものだと、勝手に決めていました。

中野: 京都大学にそういう先生方がいらっしゃったわけですね。

長谷川: ええ。もうみんな亡くなりましたが、今西錦司さんとか、梅棹忠夫さんが有名です。植物学とか文化人類学とか、そういう学問です。他にもたくさんおられます。山歩きに夢中の私は高等学校の2年生ぐらいまで、主要科目の成績がTとかUとかでしたが、何とも思ってなかったのです。

中野: そうですか(笑い)。

長谷川: そして3年生になって気がついたら、友達はみんな大学に行くといって勉強に没頭しているのですが、私はなぜ大学に行くのに必死で勉強しなくてはならないのか、くらいにしか思っていなかったので見事に滑り、一年間浪人して京大に入りました。

中野: 大学で農業工学についてもともと関心がおありだったのですか?

長谷川: そこは偶然です。(笑)とにかく山岳部へ入ろうと思って京大へ行ったようなものですから。

山に深く入りたくて探検部を結成する

中野: そうですか。

長谷川: 京大山岳部は戦前(第二次世界大戦前)、旅行部と称していて、中央アジアの崑崙山脈とか、秘境へ行った方が沢山おられましたが、戦争に敗れて海外へ行けなくなってしまい、そういった気風が消えてしまっていました。

 国内の山にしか登れなくなると、高い山や岩登りを目的とするスポーツアルピニズムが主流になってきていました。私が憧れていたのは、スポーツアルピニズムではなくて、何を求めているかもはっきりしないままではありますが、深い山に分け入って何かを感じたい、何かを得たい、と云う気持ちを満たすことでしたので、山岳部の雰囲気はどこかが違っていました。私以外にもそのように感じた人々もいました。


山奥の一軒家で主人と談笑(学生時代)

中野: 一緒に活動する人は何人ぐらいいらしたのですか。

長谷川: 結局10人ぐらいでした。年齢もバラバラで、当時の山岳部に満足できず、自分たちで新しい部を造って活動しようという話になり、京大探検部を結成しました。新しい部はできたのですが、探検部と山岳部との違いは何かと、我々の探検とは何だというようなことを随分議論しました。もともと探検は地理学的探検といって、イギリスから始まり、地図の空白地帯へ分け行って現地を見てくることだったのですが、資源開発という背景があります。未開の地へ行くと、人々の生活様式、どんな人が住んでいるか、気候がどうか、自然環境がどうなのかが初めてわかるのです。そういう時代は新知見として学問と直結することになり、見てきたことを記述するだけで論文にもなったのです。また、探検学というものもあったようです。
カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊が目標

中野: 探検が学問だったのですか?

長谷川: そうです。昔で言えば探検ですが、京都大学では、カラコラム・ヒンズークシ、パキスタンに拡がる学術的空白地帯へ人類学とか民俗学とか地質学を調べようと最初から学術調査目的で行かれているのです。我々の目標もそこに行きつくのですが、学生なので深く専門の勉強をしていませんから、もともと未知を求めたり、秘境に行きたいだけの話です。どのように実現させるかも含めて、我々の目的をどう設定したらいいのか議論して、探検部を立ち上げてみたのです。

中野: 諸先輩方の時代は探検が学問だったのですね。

長谷川: 山登りは単なる手段で、登山技術を利用して、普通の人では行けないような所へ入っていくので、スポーツとしての技術も目的を達成するための手段として使わなければないので、トレーニングとしての登山もしました。時代が進めば必ずしもフィールド活動だけでなく、活動分野も広がる可能性もありまた、それぞれの活動を拘束すべきでなく、自分の考える思想や行動を探検と考えればよい、などと生意気に考え、新しい部は体育系ではなくて、文化系のクラブにしたのです。まさに現代では宇宙に行く、海底に到達するなど、何をとっても探検的な行為が行われています。今では、学問することが探検だと考えています。つまり、研究するとは教科書や技術書のページの片隅にある、知識の空白地帯を埋める行為だと。学生時代はそんなことをしていたので勉強どころではなかったです。

中野: 探検は、頻繁に行かれているのですか。

長谷川: 当時は1ドルが360円で、海外に持ち出せる外貨に制限もあり、多額の費用を要する探検活動は一流の先生方にとっても大変なことだったのです。テレビ会社、新聞社などマスコミに働きかけ、経済界から援助を受けるという大変な作業を必要としました。従って現代の海外旅行の感覚とは全く違い、頻繁に行けるようなものではありませんでした。私たちは先ず先生方を動かし、先輩方に援助を頼み、実現に向かうと物資の集積、運搬積み出し、出発後は留守本部と、行く人もロジスティックも掛りきりとなり、とにかく専門の勉強は何もしてなかったし、ほとんど学部へは行かずに過ごしてきたのです。当時、農学部は1年生では学科に分けず3年生になって専門に分かれました。そうすると、人気の高い学科は希望者が集中するので試験がありましたが、私は分属を決める時期にも学校の方はそっちのけで、部の活動ばかりやっていたので、人から遅れてしまい、気がついた時には人気の学科や、定員の少ないところはすでに満席でした。

農学部は学問領域が広い

中野: 農学部工学科は、どういうことを学ぶところですか?

長谷川: 良かったのは、農学部は非常に幅が広くて、農学部だけで1つの総合大学が出来ると言われるぐらいの学問領域があります。単に理系のことだけでなく、農業経済学という文系のもあります。農業、林業、水産という生物生産、生産活動、生産環境整備、農民や地域問題、生命科学などを対象として生物、化学、物理などのあらゆる基礎知識を利用して取り扱う分野がそろっています。大学進学目的もいい加減だった私がその中からどれかを選ぶことは結構大変でした。林学で山に行くことを仕事にするのもいやだし、化学は苦手だし、部屋の中だけの仕事もいや等と考えるうちに、嫌いでない物理系の農業工学が目につき選択しました。農業工学は農業機械と農業土木からなりますが外での仕事が多い農業土木を選びました。当時の農業土木は造構学講座と灌漑排水学講座がありました。沢田先生はまだ助教授で教授には高月先生という方がおられて、工学系では構造といいますが我々は構造物を造るのだから造構というべきだ、として講座の名を付けられたと聞き関心をもちました。造構学講座では農業の開発や生産性向上のための基幹施設の計画、設計施工技術、灌漑排水学講座では水田や圃場という農業生産場における水環境や土壌環境に係わる問題を取り扱っておられました。最近では4講座になり取り扱う範囲も広がり分野も多方面に亘っています。

中野: 探検の話のように、農学部の幅広い範囲でいろんなものを探して、面白いと興味とが重なって、そこから発展したのですね。

長谷川: もともと山奥に入るのが好きという意味では、そうですね。

中野: 農学部はすごく範囲が広くて、しかも人間の暮らしと密接に関わっているところがあるのですね。

長谷川: そうですね。今西錦司さんももともとは植物学を研究しておられたのですが、山の中に入っているうちに、山村の人々の生活を克明に観察して、農村社会、山の中の人の生活分析をされておられました。それを見て、漠然とそんなことができればとは思っていました。

3年生の実習で刀利ダムへ

中野: 農業施設もダムと関わってくると思いますが、大学で学んできた中で印象深いダム、あるいは昔のため池とか、何かありますか?例えば、古いもので豊稔池といったものがありますが、印象に残るものは?

長谷川: いろんな意味で印象深いものが沢山あります。お話の出た豊稔池も、後に改修計画の検討に参加し、独創性に満ちたこのダムも勉強しましたが、ここではそもそもの話を1つご紹介します。学部では3年生のときに学生実習があり、いろんな事業所や現地へ行き、一夏、お手伝いしながら勉強するのですが、事業所が受け入れられる人数に制限があります。北海道から九州までそういう候補地がありましたが、夏は皆北海道に遊びに行きたいから、北海道を希望する。私はそういう時も学部に殆ど出ませんので最後の残り物みたいなものになりがちでした。自分が何をやりたいのかにより、部活と見合って期間もちょうど都合がいい所として選びました。
 それが、その当時、農水省が計画していた第1号のアーチダムである刀利ダムの現地調査事務所でした。その刀利ダムの現場には、こき使われそうだ、と誰も行く人がいなくて、たまたま空いていたのでそこへ行くことになったのです。


刀利ダム(撮影:s_wind)
ダムの沢田先生のとの出会い

中野: 3年生のときにダムに実習で行ったのが、最初のダムの関わりですか。

長谷川: そうですね。そのかなり後になって助手になってからのことですが、刀利ダムの建設が始まりダム建設の委員会に出させて頂きました。沢田先生の鞄持ちとしてですが。学生時代に始まったダムとの何かの繋がりを感じ、嬉しく思いました。
 特にアーチダムは当時、農林省の技術者には経験がなかったので、各分野の先生方をお呼びして委員会を構成していました。京都大学ではその頃、土木工学で丹羽先生がダム研究室を担当しておられ参加していただいていたのですが、領域の違う方ばかりで、電源開発の地質の方とか、以前、インタビューされた吉越さんのお父様は、岩盤力学の本を翻訳出版しておられたのですが、そんな方々が委員でした。私もそういう方とお付合いが出来たのです。委員会は真剣でしたが当時は宴会も派手でしたから、皆さんと飲む機会もあって多くの貴重なお話を伺えました。

中野: 偉い先生とも、お酒を介してコミュニケーションがとれたとか。

長谷川: いろんなお話を伺いました。若いのが1人混じり込んでいるものですから。普通なら恥ずかしくて聞き難いことでもこちらもお聞きでき、また先生方も話にくい事でも、実はこれはこうだとか教えてもらえるお酒の席は、貴重な機会でした。このように、委員会は、ダムそのものもさることながら、いろんな課題についてのお話がけ聞けて非常に印象深く、ダムにも益々親しい感じを持ちました。

中野: 沢田先生はダムでは有名な方ですが、ゼミをとられたのですか。

長谷川: 我々の頃は、今のようにきっちりと研究室が分かれているのではなく、卒論の時にどちらかの教授に指導を受けるのです。しかも、一応、区切りはあるのですが緩いものでした。研究テーマによって指導教授が違うような感じでした。卒論を書くときも例によって希望の提出がおくれたので沢田先生の指導生は満杯になってしまい、私はもう1つの灌漑排水学の研究室で卒論を書いたのです。大学院では丁度教授になられた沢田先生の部屋に入れて頂きました。

中野: 海外へも行かれたのですか。

長谷川: 若い頃は沢田先生が旅費を工面して下さり、大ダム会議の大会に出して頂いておりました。若造がいるということで買い物の交渉などもさせられましたが、買う方は良いのですが、高い買い物をしておいてそれを断ってきてくれということもあり、相手がインド人の商人でその時はまいりました。ホテルでは岡本舜三先生といった雲の上の先生方から貴重なお話を聞かせて頂き勉強になりました。会議での勉強は当然としても、こういった機会は大変貴重なものでした。教授になってからは東南アジアの留学生が多く、帰国後の彼らからの相談などもあって、もっぱらタイ、ミャンマー、ベトナムのダム問題に現在も係わっています

公共性が高い農業用ダム

中野: 農業用のダムは、昔はため池でその後多目的ダムになっていくのですが、発電用ダムや治水用のダム、その違いを先生はどういうふうにみておられますか?

長谷川: ダムとしての基本構造は、農業用でも治水用にしろ、発電用にしろ、特に変わりません。ただ規模と立地条件が違います。農業は、使う人と水との関係が古くから決まっていました。ある地域の比較的少ない農業者を単位として細かく分かれた水利権が存在したのです。治水用のダムは広い下流地域や大都会を守る目的ですから、受益者は不特定多数で国が河川本流に造り、ダムも巨大なものとなります。しかし、農業用は地域の限られた数の権利を持った農業者のためですから、その人たちの申請を受けて国がダム建造技術を提供するのです。今は少し変わってはいますが昔は農業者に建設費用の直接負担があるといった事情がありました。
 それから、もう1つは、ダムを造れる川が決まっていることです。水利権の関係から簡単に隣の川から水を持ってくるという訳にいかないので、地形的に不利で地質的にも条件の良くないところにも造らなければならない。そういうことから、土しか建設材料の無い時代から建造されてきており、基礎地盤に大きな期待をしないでよい、フィルダムのような構造体を造る技術が発達したのです。


卒論は排水問題を

中野: 水路とかポンプとか、附帯施設についてはどうでしょうか。

長谷川: 農業開発でも生産性向上でも樹立された計画を実現し、効果を発揮させるには施設がうまく機能することです。ダムから送られた水は水路や堰、分水工等を経て受益地に送られて役割を果たすのです。それぞれが期待されている機能を発揮して初めて目的が達成されます。また、送られた水を適当に排除することも必要となります。そのような排水状態が悪いと洪水時に水田や圃場だけでなく地域一体に湛水が起ります。水路、ポンプや排水樋門などの施設がそれをまもります。卒論では、灌漑排水学講座で指導を受けたことをお話しました。テーマは兵庫県の円山川の排水問題でした。必要排水量を決める水文学の手法が中心ですが、排水ポンプ場の規模、建物の構造設計まで入れて取り組みました。こう言った広い分野のことが勉強できるのは農業土木の一つの大きな特徴だと思います。水理学、構造力学は勿論ですが土壌学、水文学などの知識も持っている農業土木の卒業生はけっこう重宝されました。また使い勝手が良いとして海洋開発機構等で活躍している卒業生もいます。これもみな広い知識のおかげでしょう。大学院に行ったころからダムの基礎工学、基礎処理を研究しましたが、マスターコースの時、海外に探検に行っていたので専門の勉強はしませんでした。(笑)

大学院では沢田先生の研究室で農業用ダムの研究を

中野: 勉強ではなくて探検に行っていたのですか。

長谷川: はい。私は家の方針で学生時代は海外まかりならないと言われていました。そこで、卒論を始める頃から、大学院に進学したら直ぐに行動しようと計画を進めました。しかし、すでに新聞社の援助などで3パーティほどの学生遠征隊をヒマラヤ中心に出していたので、山ではマスコミがあまり関心を示してくれませんでした。そこで、山でなければ海だということになり、当時民俗学、人類学領域で興味を持たれていたポリネシア文化に着目して、文化圏の西の端に近いトンガ王国学術調査隊を計画し、それが実現し半年間トンガにおりました。沢田先生には大変お世話になり、このようないい加減な学生を研究室に受け入れていただき、半年間の遠征参加を許して頂くだけでなく、資金援助の口利きまでして頂きました。これだけではありませんが頭が上がらない所以です。この話をするととんでもなく長くなるのでやめますが、1つだけ、トンガには大学院出の人は誰もいなかったので、大学院の学生ともなれば大変な待遇で、王様からトンガの農業政策について、といったご下問など受け、専門の勉強すらしていない私は大汗をかき、やっと本気で勉強しなければという気になりました。帰ってからはそんなことで猛勉強しました。


東南アジア・アフリカの留学生とパーティー
 おかげでドクターコースに進学しようとしていたところ、沢田先生から助手になれと言って頂きました。ということで研究室の一員となりました。研究室で仕事を始めた頃に、私の上におられた沢田先生の助教授が、当時、グラビティーダムを若く軟質な凝灰岩基礎に建造するための基礎処理の研究をしておられました。当時はまだFEMがありませんので、解析の方法は差分法しかないのです。そのお手伝いをしました。基本の方程式を離散化して、連立方程式として、コンピューターがまだ使えなかったので、手で解いていくのですが元数が20ぐらいになったら、2ヵ月ぐらいかかり大変でした。

 このように計算もやりましたが、石こうで模型を作り、実験をしました。アーチダムは当時電力関係で盛んにやっておられそれを参考にしました。石こうは珪藻土との配合で強度が変えられるので模型地盤強度を変えて実験しました。その後、実際に事業化されて施工される時に、現場で結果の実証のため計測して来いという話になりました。でも計測目的にあった機械の市販品がなかったものですから、計測機は考案しました。オシログラフのブラウン管をカメラで接写できるようにし、センサーは一応、他の目的に使われたものを改良小型化して、現場でコンソリデーショングラウト用の穴の中へ降ろして測りました。
 ダイナマイトで強い衝撃を与える訳にはいかないので、電気雷管だけをはじかせて、それで波形をとって、強度の改良度合いを知ろうとして一応の成果を上げました。

助手として行った大日川ダム

中野: 大学院では、研究に取り組まれたのですね。

長谷川: それまでは探検で遊んでいましたから。計測中はダム現場にずっと居なければならないので、1回出かけると2ヵ月ぐらい現場で支所の人たちと一緒に仕事をしていました。当時、助手でしたが本当に優遇されていまして、研究のためなら何をしていても干渉されないし、授業等は持たされてないので大学にいようといまいと全然関係ない。しかも、ちゃんと大学のお墨つきで、現地で計測して来いと言われてますから、もうやりたい放題。もっとも、上司が厳しさと豪胆さを持たれている沢田先生だからだったかもしれませんが。(笑)

中野: 現場で結果の実証をされたのですね。それはどこの現場ですか。

長谷川: 石川県の手取川の支流の大日川ダムですね。手取川本流にはその後電力関係の非常に大きなフィルダムが造られたのです。始めて本格的に係わったダムですし、現場の方と深いお付き合いがあったし、そこも委員会で普段お会い出来ない先生方とお話が出来、宴会の席でも話が聞けて、本当に想い出深いダムです。その頃は、北陸は農業土木事業の先進地帯だったのでダムをはじめとして農業関係の事業がどんどん行われていました。しかし北陸は決して地盤が良いとは言えません。したがって、施設の建造には常に新しい技術が求められていました。


大日川ダム(撮影:s_wind)
 現在では農業開発が一番遅れているのは九州と沖縄です。何故かというと、九州は特に南九州はシラス土壌で農業的にも土木工学的にも、土壌、地質が非常に難しく、水が得られないので農業開発は遅れました。また、沖縄は本島と石垣島以外はダムが出来るような河川が無く、地下ダム技術で初めて解決しました。いずれも地盤工学が係わりますが、大日川ダムでその大切さを学びました。

中野: なるほど、土壌が難しいからですね。

笹ヶ峰ダムで本格的にアースダムに係わる

中野: 北陸の笹ヶ峰ダムに思い出があるとか。

長谷川: そうですね。笹ヶ峰は2,000メートルぐらいのところですが、そこに京都大学の山岳部のヒュッテがあるのです。冬、始めて山登りをする新人はそこで合宿しトレーニングを行っていました。これがまた寒くて大変なところでした。杉野沢という村があり、そこを早朝に出発し、うまくいけば昼過ぎか3時ごろには着けます。ちょっと条件が悪くて雪が降ったりすると、夜中を越すような所でした。そのヒュッテから、300〜400m離れた場所に笹ヶ峰ダムが建造されました。もともと、電力用の小さなダムがあったのです。


笹ヶ峰ダム(撮影:田中創)
中野: 標高が高い位置にあるダムという印象があるのですが…。

長谷川: 2,000メートルですね。先程、申し上げたようにコンクリートダム基礎処理や、アーチダムの刀利ダムを経験していたのですが、アース系のダムで本格的に関わり、学生時代のなじみの場所に建造された笹ヶ峰ダムは、特に印象深いものです。このダムは農業土木学会が委員会を主催し、会議の纏めは学会の事務局が担当でしたが、専門家がいないので、テープに録ったものを書き起こして議事録を作成することを、私がアルバイトで一手に引き受けておりました。委員会の討論とテープ起しの経験が大変勉強になりました。この委員会の委員はフィルダムですから農業土木の方々でしたが、元気のよい方々で活発な議論をフォローするのに苦労しました。

難しい岩盤と基礎処理で施工業者にも苦労が

中野: そこは、ダムサイトが難しい岩盤だったのですか。

長谷川: そうですね、標高の非常に高いところで、妙高山の火山活動の影響を受けた場所です。もともと自然のせき止めダムがあったような地点で、基礎岩盤は妙高山の噴火で流れた溶岩が流れをせき止めて自然湖が出来、それが何時か決壊するといった事を繰返して出来た難しい地点でした。

中野: 湧水も多いことですか。

長谷川: ええ。今もいろいろと問題があるようです。建設中にはダムの左右両アバットの掘削面が滑りを起こし、切り直しや安定化に多大の労力が必要でした。時代によって環境が違う堆積層だったので、その基礎処理にも大変苦労がありました。

中野: 大変なご苦労をされたのですね。

長谷川: ええ。施工にあたられた方のご苦労は大変だったと思います。委員会も、現地が半日、会議が半日で、それの連続で3日間ぐらいの日程でした。

中野: 昭和45年ぐらいですか?米谷さんが笹ヶ峰ダムで先生の鞄持ちをされたお聞きしました。

長谷川: そうです。私は駆け出しで、米谷さんは新進気鋭の技術者でした。これもまた昔の話ですが、その頃、委員会の後でゴルフをやるのです。すると大物は前の組で回られて、最後の組は私と米谷さんですが、ゴルフもろくに出来ない私がうろちょろして、山猿みたいにあっち行ったりこっち行ったりしてやっていたという仲です。米谷さんとは、その後も石垣島の堤頂長が1300mある底原ダムでも一緒に仕事をしました。お世話になったのはこちらの方です。

中野: 米谷さんが、ダム功績者表彰を受けられた時に最初のダムがそこで、岩盤がすごく難しかったという話をお聞きしていました。

長谷川: そうですね。アバットの掘削後の両岸斜面が相次いで滑ったのです。その対策として、この頃はやらない工法ですが、カラム、コンクリートの柱みたいなものでアバットの両側の斜面を押さえたのです。今ですとギャラリーみたいな感じに見えますが、コンクリートの柱を斜面に沿って造りました。私たちよりも現場で施工された方達は相当に苦労されと思います。

ダム技術検討員会について

中野: 農業用のダムはここに欲しいと要請されて造るので、岩盤もすごく難しい場合があり、技術的にも相当に困難を極めるので大変でしょうね。



長谷川: 農業用ダムの特徴として、規模が比較的小さいといってもダムとして配慮すべきことは全部配慮しなければならないので、決して楽にはつながらないのです。基本的な構造は、どんなダムでも一緒だと申しましたが、細部は一つひとつ違います。それぞれ構造が異なりますから、違う施工をしなければならない。すると小さいだけに場所によっては丁場が重なったり影響しあったりして、設計、施工上難しいことがいろいろ出てきます。大きなダムは大きなダムとしての難しい問題があるが、中型から小型のダムも結構難しいところが出て来るのです。そういう点で最も難しかったのは、後に経験した沖縄県名護の真喜屋ダムというロックフィルダムでした。こういう小型のダムからも大変多くの事を学びました。

中野: なるほど。ダム建設の委員会はどのくらいおやりになってきたのですか?
長谷川: とにかく農林関係のダムは、戦後、食糧問題解決のため緊急に造らなければならないとのことで各地で開発が行われました。どんどん増えて行く中で、昭和50年頃までは沢田先生のご指導を受けつつ勉強し、その後はロックフィルダムを中心として仕事をしてきたました。丁度定年の頃に農水省は新設ダムの中止を決めたのですが、その後地震対策問題が起り短い期間に190基ある農水省関係のダムの検討が求められたので、最近はもっぱらそちらに没頭しています。最初の頃は学会の委員会が主体でしたが、その後農業土木総合研究所という組織が立ち上がり、その依頼を受けて農林関係の殆どのダムに係わってきました。農水省関係では9つの地方機関がありまして、それぞれの機関で地方毎のダム技術検討委員会があります。最初の頃はその殆どの委員長を申し付かっていましたが、いまではこれを3つに分けて私のほかに2人の方に委員長を分担していただいております。耐震の検討もほぼこの組織で進められています。

中野: 農業用のダムは、歴史的に大体がアースフィルですが、昔は耐震性、安全性に対してそれほどシビアではなく、むしろ壊れたら何度も造り直してきた所があるのですが、近年は地震とか、どういうふうに対応されているのですか。

長谷川: 近代的なダムの設計基準ができ上がってからのアースフィルダムは、損傷は受けても、決定的な被害を被ったことはありません。だいたい、ため池は昔から地震には弱くて、被害を受けて何度も造り替えられて来ています。それだけ歴史があることの証明ではあるのですが…。

中野: 歴史があるのは、まさにそうですね。

長谷川: ため池の被害をきちんと調査すれば何か耐震技術のヒントが得られるのではないかと、ダムをより安定的に造るために、地震被害調査はかなり昔からやられてきました。ところが、ため池は実に様々に造られて来ていて、普通にダムの安定に係わる要因とはどの場合でも相関がとれないのです。私自身も助手になった年に起った1964年新潟地震以来10回の地震被害調査に係わって被害原因分析をしてきましたが、ため池は決壊に至るが近代的なダムの被害がありません。近代的な施工をしたダムについては、ダム工学会で、2011年東北沖大地震の後に調査、集計されているものでも、ダムで中程度以上の被害を受けたものはありません。損傷はありますけれど、緊急性を要しない修復可能なものに留まっています。

熊本地震直後の大切畑ダムへ調査に行った

中野: 安全性の問題は重大ですが、地震で決壊した熊本県の大切畑ダムを調査に行かれたとのことですが、どうでしたか?

長谷川: あれは、調べてみましたが決壊ではありません。地震の影響で勝手に取水用の樋門が開いてしまったのです。

中野: 勝手に開いたのですか?

長谷川: 農業用のダムには、取水工として斜面に沿って異なる水位に取水孔をもち中は中空になっている管(斜樋)の施設があります。取水孔にはゲートとなる蓋があり、上からロッドで引っ張って、スライドさせて開けたり閉めたりするようになっているのです。そのロッドを操作する操作室がちょうどクレストの上にあったのですが、それがダムの貯水池と反対側に滑り落ちた。そのためロッドが全部上向きに引っ張られて開いてしまった。だから破堤でなくて、もともと水が出るようになっているところから出てしまったのです。

中野: つまり、壊れたのではないことですか。

長谷川: 堤体には溢水を起こすような損傷はありません。取水工として樋管でとった水は地山をトンネルでぬけて、その出口のところで、水を各地域に分ける分水工があり、それが部分的に地震で損傷を受けそこから水が溢れて、下流の農地の一部が被害を受けたのです。

断層亀裂はダムに影響していない

中野: そういうことですか。

長谷川: 本体については、調査の段階ですから余り細かい事は言えませんが、堤体下の右岸側斜面部を斜めに断層が走っているのを確認しました。でも、それと溢水したこととは全く関係ありません。

中野: 最近は、ちょっと何かあるとすぐ大騒ぎされてしまうところがあるので、注意しなければいけませんが…。

長谷川: そうですね。1995年兵庫県南部地震でも、淡路島でため池ののり尻付近の斜面をダム軸方向に野島断層が横切っているところがありましたが、堤体はそれ以外は全く何でもありませんでした。地震とそれに伴う動きとは、震源になる断層のある部分が切れます。その結果、振動と一緒にズレの変位運動が伝わるのですが、岩盤を伝わる振動の速度と岩盤が切れる運動の伝播速度とはかなり異なり、切れる運動の伝播速度が遅い、遅いということはズレ運動そのものが遅く、慣性力をあまり感じさせないものだ、という風に見えるのですが。ただ、振動は動的解析できるので制御可能の方向で考えられるのですが、ズレ運動は人間の力では制御できないところに問題があります。
何れにしても、今回報道されたのは一部の畑が湛水し河川の水が増水したので下流の人々が心配されてのことでした。それで済んで本当に良かったと思います。


中野: 直接の原因ではないと。

長谷川: 最終報告がまだですから、詳しく言えないのですが、今回の場合断層きれつは堤体法先を斜めに走り、右岸下流地山に続いていて、堤体を横切る方向ではありませんでした。

農業用ダムを利用した中小水力発電の可能性は

中野: なるほど、そういう意味では、不幸中の幸いだったのですね。むしろ、今は、中小水力発電とか灌漑だけでなく、発電でも期待されているとか。以前、太田先生にお話を伺った際に、北陸電力が、普通に川が流れているところに水車とかを造れば良いと、農業用のダムもこれからドル箱になるという話をされたのですが、中小水力発電の可能性はどうですか?

長谷川: 私は余り関係しておりませんが、そういうポテンシャルをもったエネルギーの元でがあるし、水利権でトラブルになる可能性も少ないのですから、大いに利用したらいいと思います。ただ発電出来る量が限られますから、その辺りをどう改善し、採算に乗せられるかが課題かと思います。

中野: なるほど、発電量が少ないのがネックですね。

長谷川: 農業用水として一年間で必要な水の量はそれほど多くありませんが、水力発電では水を消費するのではないので、重複利用と言う形で水が利用できるでしょう。さほど規模は大きくないとしても、今は技術的にも非常に良い小型の水車がありますので、限られた地域になるでしょうが、それを使えば大いに可能性はあると私も思います。

ダムの長期供用について

中野: もともと日本人は農耕民族で、ため池からダムの方に必要に応じて発展してきた訳ですが、今、日本では余りダムを造れない状況になってきており技術の伝承が心配されていますが、そういう意味ではCMEDの認定試験といったものが行われておりますが、これに対して何かお考えのことはありますか?

長谷川: 私はその辺のことはよく知らないものですから、余計なことを申し上げられませんが、良い取組みだと思います。それに資格を取得した方が組織化されている点でも評価されます。組織化されていないとなかなか活動出来ません。個々人の活動だけでは絶対に技術を伝承することは難しいと思います。

中野: CMEDの方たちはかなり横のつながりが強く、ちゃんと交流の場を持っているところも良い点だと思いますが、どうでしょうか。

長谷川: それは良いと思いますね。本当にきちんとした技術を持っておられる方がその技術をどう繋いでいくかは大事です。今おっしゃったような話ですけれど、要するに新しく後継者を創出するには、資格にチャレンジする人を増やすことだと思いますが、それには組織や制度を知って貰うことも大切です。

中野: そうですよね。メリットを伝えていかないと…。

長谷川: 農業関係でいいますと特に農水省が新規ダムを凍結している現状ですが、凍結しているだけに現在あるダムの機能を正しく維持しそれを十分に発揮させることが社会から求められています。技術は人、実践出来る人がいないと書物に書いてあるだけでは技術になりません。設計し建造した経験者がいなくなることは致命的な問題です。しかし、技術の現場に接する機会が無いと、我々のようなハードの仕事をする人がどんどん減っていますし、その中で技術継承していかねばならないのです。そのことで今取り組んでいるのは、農業工学会の中に「長期供用」ダム、ちょっと変な名前の委員会を作り、大学の若い人たちや若い技術者の中で興味を持ちそうな人に声をかけて活動を広めていきつつあります。農水省、学会からは力強いご援助を受けております。そこで何をしているかというと、主として若手技術者研究者対象に現在現場で技術的に問題になっていることを紹介し、現場を視察、現場技術者との話し合いなど、研究や勉強の取っ掛かりとなるようにと取り組んでいるのです。

若手技術者に向けて



中野: 若手の人がそういう委員会に入って、普段勉強すること以外にいろんな方の経験則を聞ける機会が増えるのは良いことですよね。技術継承のきっかけづくりとしても。

長谷川: すぐに継承するのは、なかなか難しいと思うのですが、だから細々でも委員会を続けているのです。またこれ以外の技術検討委員会や耐震の委員会でも、そこに出てこられる技官の方や委員でさえ、技術のポテンシャルを高めるために積極的になってほしいと思っています。そこでは、委員が役所の方や高名な大学の先生だったとしても、参加者は自分の考えていることをちゃんと話して議論をしてほしいのです。どうしても遠慮してなかなか自分の意見を言えないのですが、勇気をもって議論しろと。技術力を高め維持するために焚きつけているのですがね。(笑)
中野: 今、先生がおっしゃったように、委員会の中では議論が活発になるように。高名な先生だから何も話せないのではなく、先生方も逆に若い人からいっぱい話を聞こうことで待っていることですね。

長谷川: 理想としては、そういうふうなことにならないかと。大学の先生だって、ダム工学ぐらいになりますと関係する専門分野が広いから、何もかも知っている、解っている、オールマイティな人ばかりじゃないのです。それから現場を理解することは非常に重要なことで、現場の状況によって、現場に即した物の考え方が柔軟に出来なければ、とても実学の技術の専門家とは言えないのです。大学の先生も学生や現場技術者と議論をして、ああそうだったのかと思うことがあった方が良いと思います。先に述べたように私は若い時から、そういう先生方と付き合ってきました。そこで得た教訓として、他人の意見を聞き、ここは自分の考えが足らなかったな、と考えるなどしながら勉強をしてきたつもりです。だから私が関わる委員会はそういう場になってほしいと思っています。

中野: なるほど。先生が仲人をされた方、教え子の中にたくさんいらっしゃるとは伺いましたが、そういうところがあるからですね。私も最初、先生のこと怖くて、どうしようかなと思っていたのですがちょっとほっとしたような感じです。済みません。

長谷川: いえいえ、まぁお気楽にどうぞ。(笑)

昔から使われてきたため池は自然のなかにある

中野: 気楽過ぎて、話があっちこっちへ行ったりしましたが、昔の本で、農業土木学会誌の中にこういう図面があって、コアが入ってないアースダムがあるのですか。

長谷川: アースダムはもともとそうですよ。均一型といって、古いものではコアがなく、全断面が遮水材になるような材料なのです。

中野: それはやはり壊れますか?

長谷川: そうでもないです。こういった古いため池はともかくとして、近代技術(1950年頃から基準として整えられた)は知識の量、質の高まりの成果であって、それが適正に利用されてきたので、地震で多少の損傷はあるけれども、決壊するようなことはなかったと考えられます。ため池の場合は地震よりむしろ洪水の危険性の方があるのです。つまり、土系のダムが一番弱いのは、水が堤体の上を越すことです。かつては、洪水吐の不調によるため池はおろか、小型のアースダムの決壊すらがありましたが、今ではありません。

中野: オーバーフローしてしまうのですね。

長谷川: そうです。堤防もそうですが、ため池の災害の90%は豪雨被害です。地震は9%です。ただし、豪雨と地震では発生頻度が大きく違いますがね。最近では、不幸な藤沼(ダム)ため池の例がありますが、あれは大変不均質な材料でできた堤体をもつ溜池です。その上、大抵のため池は立地条件として小渓流の平地への出口にあり、決壊しても水は平地へ拡散して圃場が冠水する程度ですが、藤沼では谷筋に沿って水が流下したのです。

中野: 実はダムより溜池の数は遙かに多いですね。

長谷川: 溜池は日本国内で、20万ヶ所ぐらいあります。ダムは直轄管理しているもので190基、県営その他をいれてもせいぜいその5倍位でしょうから桁が違います。

中野: すごくありますね。近代では水瓶と、どうしてもコンクリートの大型ダムだけが目立ってしまうのですが、古くは溜池がダム代わりだったのですから、当たり前と言えば当たり前ですね。

長谷川: 以前に大阪府でため池調査しましたが、溜池では極端なケースがあります。それはどんどん畑を広げるために、土堤の裾を削っていったので、なだらかだった堤体が切り立っているようなため池もあります。よくあれでもっているなと思いますが、経験的にその地点では壊れても大した被害にならないと多寡をくくっているのでしょうか。厳しい農民の生活を反映して、危ないけれど必要だからそうやって使ってきたのです。

中野: 農業用ダムと、そういうイメージですね。だから改修しつつ長く使われてきた。改めてエコとういう感じがします。

長谷川: それは、おっしゃるとおりです。再々申したように溜池の堤体は、ある程度の危険はあるのです。しかし、溜池の存在は里山とともに、身近で親しみのある日本の自然を形作ってもいるのです。古くから田畑の近くにあって、使われなくなって放置されて、自然の沼のようなのもあります。かつては、人が造った池ですから、水辺の環境を多少は変えたでしょう。しかし、それが長い年月を経て自然に還り、今ではそれがそこの環境になっている。だから、いずれ水のたまっているダムは水辺の環境をつくり出していくものだと私は思っているのです。

今後は「保全工学」でダムを理解して欲しい

中野: 戦後の高度成長期に大型のダムをたくさん、とにかく早く造らねばのもあるのかもしれないのですが、どうしても自然に負荷をかける、環境によくない非常に悪いイメージがついたのは、そこにつながっているのかなと思います。溜池のように、もともと水をためて利用するのはダムと同じ発想だと思いますが、受け入れて貰えないか、ダムは悪者にされてしまった。

長谷川: そうだと思います。農民にはもともと農業用の溜池を求める強い期待と意欲があった上に、技術が進歩してより大きなダムが造れるようになったのです。私は、沖縄で地下ダムにも係わっていますが、地下ダムはどうにも味気ない。ダムを構築しても、地表の様子が全く変わらないのですから。少しは変わってくれた方が手応えがあります…。(笑)それに、目に見えていないと水のありがたさの意識も薄くなるのではと思います。そこで、宮古島に造った地下ダムで止水壁の一部を掘り込んで壁の上部を水が超えるのが見られるようにしました。観光名所となっていますから機会があったらぜひ一度見て下さい。でも、見えない水でも栓をひねれば出るのですから、今まで水のなかった沖縄の人は、物すごく喜んでくれます。農業の経営が確実に変わっています。水が使えなかったから出来なかった農業が可能になるのですから一変しますよ。

中野: そうですね。

長谷川: 農業ダムは、まさに農業土木の考えで造り、農業しか目的になっていないことから、ダムとはいえ、地域でも受け入れ方が異なる存在です。

中野: 日本には溜池は 20万基あるとか。管理はどうなっているのでしょうか?

長谷川: それは、これからのダム工学にとっても1つの大きな問題です。ため池が災害を受け易いといいましたが、その原因の1つは日常の管理の悪さにあります。ため池の被災から学ぶべきことがあるとすればそれは管理問題です。先ほど、後継者、若い人を育てることを申し上げましたが、私は、出来れば「保全工学」で、現在あるダム工学の体系をまとめ直したいと思っています。特に新しい要素が入ってくるのではなく、今までに出来上がったダムの技術は非常にしっかりしたものなので、その技術知識の配列の仕方を変えるか、技術の使い方を変えるだけでよいのです。当然埋めなければならない課題も出て来ますが、そういうのも含めて「保全工学」のようなイメージでまとめていき、かつ、そういう流れに沿った後継者が、ダムを理解してくれたら良いなと思っているのです。

中野: それは、すばらしいお話で、実現すると良いですね。

長谷川: ちょっと、ほらを吹いているだけかもしれませんよ。(笑)
保全工学はさらに地域への影響についても考えなければなりません。先程出ました、藤沼ため池の話ですが、あのようなことが起ってはならないのです。あれは古い堤体でしたし、たまたま悪条件が重なってしまったとも言えるのですが、これは事前に予想出来たことです。このような事態への対応のためには、ハザードマップが大きな力になりそうです。熊本地震では大切畑ため池で急遽、圃場の湛水状況がハザードマップと整合するかを検証して貰いました。割とよく合っていたのですが、更に小修整を加えて今後の検討の強力なツールにしようとしています。

中野: なるべく早く対応しなければいけませんが、課題はないのでしょうか?

長谷川: そこで問題があるとすれば、耐震検討や溢水解析で問題ありと判断したものへの対応です。小さな溜池のようなものでも、堤体に非常に危険があるようなものについてはどんどん改修していかねばなりませんし、人命に危険が及ぶかどうかに関わらず、改修が必要なところは危険を避けるようハード面だけでなく、ソフト面でも対策を実施する必要があります。しかし、結局は国の予算の問題で、予算に限りがなければ何でも出来るのですが、そうもいかないのが現実でしょう。厳しい予算の中でそれを事業化していく手法については役所の努力に期待するばかりです。

中野: 役所ではハザードマップを作成したら、危ない場所は事前に情報を流して避難するとか、いざとなったら逃げられるように考えているようですが。

長谷川: もともと災害に対応するにはハードな対応だけでなく、ソフト面の対応も十分配慮されなければなりません。ハード対策は予防が主ですが、安全に逃げるにはソフト対策が重要です。社会資本への係わりは、人口が減り需要が減ってくるとなれば、あとはメインテナンスだけやれば良いじゃないかとなりがちですが、そのような状況では対災害のソフト面の対応にも制約が出てきます。リスクを過大に言うことは出来ませんが、予算を盾にしないで出来る良い工夫がないか大いに考えるべきでしょう。

中野: そうですね、ダムに関しては敏感な人も多いですからね。
 先生は、農業土木の第一人者で、ダム工学会の会長のお立場でしたので、今日はなかなか聞けないお話も伺えて良かったと思います。

長谷川: いえいえ。ダム工学会では上に座らせて頂いていただけで、何もやっておりません。

中野: 本日は長時間お付合い頂き、非常に興味深い、貴重なお話をありがとうございました。



(参考)長谷川高士先生プロフィール

昭和35年3月京都大学 農業工学科卒業
昭和37年3月京都大学大学院 修了
昭和55年4月京都大学農業工学科 教授
平成10年3月京都大学 退職
平成10年4月京都大学名誉教授(現職)
平成10年4月近畿大学農学部国際資源管理学科 教授
平成16年3月近畿大学 退職

受賞歴など
昭和55年農業土木学会 学術賞受賞
昭和55年度〜近畿農政局管内ダムを始めとする全国各地のダム技術検討委員会委員長
昭和62〜2年農業土木学会 理事(平成8年〜10年まで会長)
平成5年〜7年土質工学会副会長、理事
平成5年ダム工学会理事(平成12年から副会長)
平成16年度ダム工学会会長
平成14年度農業土木学会ダム研究委員会委員長
平成14年度〜長期供用ダム研究小委員会 委員長
平成23年度〜ダム工学会 特別功績賞受賞
平成24年度〜農業用ダム全国総合調整評価委員会 委員長

(平成28年11月作成)
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